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在日コリアンとして約80年を生きてきた益田市在住の李克演(クッヨン)さん(81)がこのほど同市須子町の市人権センターで、「戦中・戦後の証言」をした。李さんは地方参政権に関して、日本の側から参加してと言ってほしいと語り、歴史を踏まえた対応を求めた。【上村里花】
「平和をすすめる益田市民の会」(福原孝浩会長)の主催。質問に答える形で語り、約40人が聴き入った。
李さんは1928年、当時日本領だった韓国生まれ。生後まもなく、すでに現在の浜田市弥栄町で土建業をしていた父親に家族で合流した。小学校は転校が多かったが、益田市の鎌手小学校を卒業。差別やいじめにあったという。
戦時中は学徒報国隊として日立安来製作所で働いた。終戦時、益田市の石田製作所にいたが、翌8月16日に辞めた。「解放された。自由になれるとの思いがあった」という。広島の朝鮮学校で学び、そこで初めて「朝鮮人も胸をはって生きられる」と思ったと話す。
上京後、益田へ戻って、人気が出ていたパチンコに目をつけて自ら開業。店が軌道に乗り、生活は安定した。厚生年金に入っていたため、引退後は年金で暮らしている。
民主党政権となり、外国人に地方参政権を認める議論が出てきていることについて、「こちらから(参政権を)下さいというのは(歴史的に見て)不自然。日本の側から『同じ人間なのだから、同じように生きていきましょう』と言われたら、喜んで参政権をもらいます」と話した。
福原会長は「現在、『なぜ外国人に生活保護をやるんだ』といった声も出始めている。戦後、築き上げた権利すら後退する可能性が出てきた。これは、こうした問題にうとい日本人の側の課題なのではないか」と問題提起した。
毎日新聞 2010年4月15日 地方版