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【正論】異質中国との歴史研究のリスク 井上寿一 (2/3ページ)
このことを当然の前提として、執筆者は史料実証主義に徹して記述している。史料に基づく客観的な叙述に政治的な配慮の痕跡は認められない。ここにあるのは執筆者が求めた「真実」である。
もとより南京事件に関して異なる解釈の余地はある。それでも報告書が指摘する次の点は共通認識とすべきだ。「犠牲者数に諸説がある背景には、『虐殺』(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している」。検証作業は科学的な(反証可能性が担保された)方法によっておこなわなくてはならない。
しかし自然科学の実験室における追試験とは異なり、歴史の検証作業は特別な困難が伴う。「われわれはみな、過去のイメージを現在において作り出し…心地よく思うイメージに、過去を当てはめようとする」(ケネス・フィーダー『幻想の古代史』)からである。
それでも「さまざまな独立した証拠が収斂する」(同書)時、私たちはそこに歴史の真実を発見することができる。この観点から、南京事件に限らず、日中関係史の検証作業を続けるべきだろう。
第2の点を指摘したいのは、報告書の記述の大半を占める軍事史、戦争外交史以外の視点も必要ではないかと考えたからである。戦後、中国はなぜ共産化したのか。戦後の日本はなぜ戦前との連続性を強く持っていたのか。これらの疑問を解く鍵となるのが戦争の社会変革作用である。言い換えると、軍事史、戦争外交史だけでなく、社会史を加えることによって、日中関係史を再構成する試みがあってよいのではないか。
「友好」を前提とするにも
社会史の視点の導入による新しい日中関係史像の提示は、両国の外交関係の改善にとって、必ずしもプラスとはならず、リスクを伴うものになるかもしれない。「悪いのは日本の軍国主義者である。日本の人民は、中国の人民と同様に、日本の軍国主義者の被害者である」。戦後の日中「友好」関係の前提となる、このような共通認識の基本的な枠組みが崩れかねないからである。