沖縄戦時下の慶良間諸島の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、米軍が本国などへ報告した電文の中に、日本兵から投降を禁じられていた住民が「米軍上陸前の自殺協定(約束)」のため、多数が死傷したとする記述があることが13日までに分かった。打電の時期は米軍が「集団自決」発生直後に日本兵や住民へ尋問した直後にあたる。地域や戦場で影響力を持つ日本兵と住民の間に、強制力などで導かれた「集団自決」が存在したとの米軍側の見方をうかがわせる公文書として注目される。(知念清張)
電文は1945年4月8日付。地上戦を担ったバックナー陸軍中将率いる第10軍が陸軍省やハワイの太平洋司令部などに報告した「アイスバーグ作戦(沖縄侵攻作戦)」の日付順ファイルに収められていた。県公文書館が、米国立公文書館から取り寄せ確認した。
電文は「慶良間列島において、約350人の住民が軍政府の管理下に置かれ、病人を除く全員が一つの村に収容されている」と捕虜の状況を説明。「壕で一緒にいた日本兵から、(米軍に)投降することを禁じられていた住民約200人がいた模様。そのうち、米軍上陸前の自殺協定により、約20人が死亡、60人がのどに切り傷を負った」と記述されている。
米軍による慶良間諸島での尋問記録から、日本兵が住民に「集団自決」を命令していたことを、2006年に明らかにした林博史関東学院大教授(現代史)は「住民は米軍が上陸した時には自殺するよう言い含められていた。協定というよりも約束させられていたという意味合いが強い」と指摘。
「戦闘状況などを簡潔に報告する大文字だけの電報からは通常、住民の被害は上がってこない。それだけ、集団自決の事の大きさを米軍が認識していたのではないか。日本兵の集団自決への強制や誘導を、裏付ける資料になる」と語った。
「集団自決」についての米公文書を県公文書館が確認したのは今回が初めて。仲本和彦公文書主任専門員は「集団自決を直接見聞きする状況になかったため、米軍側にも記録はほとんど残されていない。歴史を体系的に解明する助けになれば」と話している。