第三十二話 友情と愛の狭間で
「すいませーん!」
その日の朝、礼儀正しいノックの音が研究所に響いた。
「あ、はーい!」
「えーと、赤木アスカさんのお宅はこちらで……」
「はい、いつもご苦労さまです」
「ハンコを――」
「あ、はい」
シンジはいつものように郵便配達員の差し出した紙に印鑑を押した。
「ご苦労さまでしたーっ!」
「トーキョーからの手紙?」
郵便配達員をシンジが見送ったあと、アスカはシンジに声をかけた。
シンジは黙って手紙をアスカに渡す。
「あ、ナオコママからだ」
「やっぱり? で、何が書いてあるの?」
「…………ん?」
突然顔をしかめたアスカにシンジも心配そうな表情になる。
「どうしたの?」
「………………戻って来いって、トーキョーに」
「ええっ?」
「……近頃、トーキョーにおけるオキナハシティ情勢に関して不穏な動きあり……?」
「ちょっとみせて――」
「うん……」
アスカから手紙を受け取ったシンジは食い入るようにその内容を読みこんだ。
「こんにちは、アスカさん。……ちょうど近くを通りかかったものですから、お邪魔しちゃいました♪」
そうしているうちに、笑顔を浮かべたヒカリが研究所を訪れた。
「……あ、ヒカリ」
「あら、どうしたんですか? 二人とも難しい顔をして」
「うん、実はね……」
アスカはヒカリに手紙の内容を話した。
「お母様が、トーキョーに戻れと?」
「うん……」
アスカは沈んだ様子でそう頷いた。
「ナオコさんからの手紙によると……どうもトーキョー都議会の方で、オキナハシティをトーキョー都に編入するかどうかの議論が行われているみたいだね」
「どういうこと?」
「つまり、他の諸島と同じようにトーキョー都と言う扱いにして管理しようとする動きがあるみたい」
「まあ、それは大変ですわ」
その言葉とは裏腹に、ヒカリは笑顔を浮かべていた。
「……場合によっては面倒になるかも。武力行使なんかされたら、軍隊同士の内戦になる」
「内戦?」
「これは本当に最悪の場合だけどね。……ナオコさんは、万が一のそういう事態を心配しているみたい」
「で、でも、オキナハシティをトーキョー都にだなんて……平成の大合併の影響なのかな」
「アスカの活躍のおかげで、オキナハシティの税収は上がって黒字化が見込めるから……最近オリンピック招致の失敗で悪化している都の財政を立て直そうとしているんだよ」
「そんな自分勝手なこと、納得できないわ!」
「まぁまぁ、お二人とも」
話しているうちにいきり立ってきたシンジとアスカを、ヒカリはニコニコした顔でなだめた。
「……ナオコさんは手紙でこう言っているけど、一度トーキョーに戻る?」
「帰った方がいいと思いますわ、アスカさん」
「……いくらナオコママのいいつけでも、今オキナハシティから離れるわけにはいかないわよ……」
「ええっ?」
アスカの決意に満ちた強い眼差しに、ヒカリは驚いた。
「……うん、僕もそう思うよ。ここで新しい技術の投入を止めたら、オキナハシティは元の寂れた街に逆戻りするかもしれないしね」
「ママには後で説明の手紙を書くわ。……ちゃんと仕事が終わるまで、アタシは残るって」
「そ、そんな……アスカさん」
「僕はナオコさんの意見を尊重してくれた方が、気が楽なんだけど……」
「そうですよ! 危ない事になるかもしれないんですよ……!」
「ダメよ……もう決めたんだから」
「……僕はアスカの意思を尊重するよ」
シンジの言葉を聞いたアスカは嬉しそうな笑顔になる。
「ありがとう、シンジ♪」
「……アスカさぁん」
ヒカリは沈んだ表情でそう呟いた。
「ごめんね、ヒカリ――でも、あともう少しなのよ。今、オキナハシティを放って行くなんてできないわ」
「正直、僕はどっちの選択が正しいのか分からない。ナオコさんが懸念している事態が起こらないように祈るだけだよ」
「はぁ……研究のための苦労ならへっちゃらだけど、こういう苦労はあんまりしたくないわね……」
「これも人生経験の一つだと思わなきゃ。今の苦労はきっと糧になって、僕達の人生を輝かせてくれるよ」
「アタシたちの人生って……」
シンジも自分の発した言葉の意味を理解して、少し顔を赤くした。
「…………」
その後ヒカリは黙り込んだままアスカの研究所を立ち去って行った……。
「赤木アスカさん! いらっしゃいますか?」
「ん?」
「はーい」
朝の研究所に乱暴なノックの音が鳴り響いた。
いつものように入ってきた警察官が応対に出たシンジに用件を告げる。
「市長からの使いの者です。至急、市庁舎にお出で願いたいと」
後ろの方で話を聞いたアスカも警察官の方に近づいて質問を浴びせる。
「市長さんが? ……仕事の依頼ですか?」
「さぁ……詳しい事は聞かされておりませんので」
「じゃ、とにかく急いで向かいます」
「そうして頂けるとありがたいです」
「アスカ、留守は任せて。行ってらっしゃい」
アスカはシンジに見送られ、市庁舎へと向かった。
「あ、アスカさん」
執務室の前ではリョウジがアスカを出迎えた。
「あ、どうもこんにちは。なんだか用があるって」
「はい、お待ちしておりました。どうぞこちらへ――」
アスカがリョウジに案内されて市長の執務室に入ると、そこはいつもと雰囲気が違っていた。
「来たか――楽隊!」
市長の命により、部屋に控えていた音楽隊がラッパを吹き、ファンファーレを鳴した。
「な、何ですか、これ?」
「……赤木アスカ殿。本日は君にオキナハシティ復興の功績を称えての功労賞を授与する」
「え?」
市長はとまどうアスカに賞状を渡した。
そして咳払いをしてアスカに向かって話し始める。
「オキナハシティは、いまや見事に復興を果たしつつある。……行政府としても、君の業績を認めるものである」
「…………」
アスカは市長の言葉に納得がいかずに考え込んでいる様子。
「君とは色々あったが――私はオキナハシティの街を愛している。君に対する数々の非礼は、それゆえの事だ。どうか水に流してもらいたい」
「いえ、そんなことはないです」
「契約期間は来月一杯だが……もうオキナハシティの街は、君の力を借りなくて大丈夫だ」
市長の言葉にアスカはとても驚いた表情で声を上げる。
「ええっ!?」
「赤木アスカ君。今、いくつかね?」
「14歳ですけど……」
「まだ若い。若すぎると言ってもいい。本来ならばまだまだ学業に専念しなければならない歳だ」
「え、でもアタシは大学出てるし……」
「聞けば、君はこの街の復興の仕事のためにわざわざ大学を早期卒業したという……これは年長者としてのアドバイスだが、元の学生生活に戻った方がいいのではないかね?」
市長の言葉にアスカは黙って考え込んでしまった。
「考えておきたまえ。きっと君の親御さんもそれを望んでいるはずだ。君はもう立派に使命を果たしたのだから」
「…………はい」
アスカは市長の思わぬ提案に首をかしげながら執務室を後にした……。
「これでよかったのですか?」
「……ええ、上出来ですわ」
アスカが立ち去った後、執務室の物陰からヒカリが姿を現した。
「あの……なぜこのような事を?」
「詮索は無用です――」
市長の質問をヒカリは厳しい口調で突っぱねた。
「は、はい……」
リョウジはとても怒った表情でヒカリをにらみつける。
「洞木嬢。私はあなたを彼女の友人だと思っていましたが、アスカ嬢は、契約期間を切り上げてオキナハシティを立ち去る事をよしとしないでしょう」
「――何が言いたいんです?」
ヒカリも負けじとリョウジをにらみつけた。
リョウジはポツリと呟く。
「いえ、何も……」
研究所に戻ったアスカはシンジに市長に言われた事を話していた。
シンジもその話を聞いて怪訝そうな表情を浮かべる。
「――もう大丈夫だから、学業に戻れって?」
「……うん、いきなりあんなこと言われるとは思ってなかったから、ビックリしたわ」
「うーん……」
そこへとびきりの笑顔をしたヒカリがやってくる。
「こんにちは♪」
「……あ、ヒカリ」
「あら、なんだか難しい顔をなさっていますね?」
「うん……」
アスカは市庁舎で起こった出来事についてヒカリに話した……。
「まあ、それ凄いですわ。アスカさんの真面目に頑張る姿がみなさんに見られていたんでしょう」
「うーん……どうかしら。ヒカリは、どう思う?」
「オキナハシティの市長さんが帰ってもいいというなら、もうここに留まる理由もないと思いますわ。……ねえ、シンジさん?」
ヒカリがシンジに意見を求めると、シンジも考え込みながら答える。
「うーん、学業に専念しろっていうのも一理あるけど」
「ですよね♪」
「でも、今さらって感じもする……」
シンジがそういい直すと、ヒカリは怒った顔になる。
「ダメです! 少年老い易く学成り難しっていうではないですか!」
ヒカリはそう言うと、ころっと表情を笑顔に変えてアスカに話しかける。
「そうと決まったら早い方がいいですわね。――ねっ、いつになったら一緒に帰ります?」
「洞木さんも帰るの?」
「ふふ……もちろん。アスカさんの居ないオキナハシティなんかなーんの未練もありませんもの♪ そうだ、専用機をチャーターして」
それまで考え込んでいたアスカは怒ったような顔で叫ぶ。
「……ダメ。やっぱりダメよ……!」
「えっ?」
「トーキョーには、まだ帰れない。市長はああ言ってくれたけど、まだやらなければならない事が残っているわ……」
「そ、そんな……一緒に戻りましょう? 大学に」
「ヒカリは帰っていいよ。アタシはまだここに残るから」
「……ア、アスカさん? そんなこと言っても、契約期間だって来月一杯で……」
「契約期間なんて関係ないわ! アタシは納得できる仕事が終わるまでここにいる……」
「そ、そんな……」
アスカの言葉に、ヒカリもショックを受けた様子だった。
「これはとても、やりがいがある仕事なのよ」
「…………」
「アタシは、本気だから――」
アスカの目を見て、ヒカリは辛そうに胸を押さえる。
(ア、アスカさんが……私の手の届かないところへ行っちゃう……アスカさんが……私の大好きなアスカさんが……オキナハシティの街に盗られちゃう……)
「ヒカリ、どうしたの? 顔が真っ青よ……?」
ヒカリは一言も口をきかずに研究所から去って行った……。
降りしきる豪雨の中、アスカは研究所で地道に研究を重ねていた。
「今日は朝から雨か……ちょっとウンザリね」
「今日は一日研究所に籠って、仕事だね」
「そうね。かえって研究がはかどるかも――」
アスカとシンジがのんびりと話す中、激しいノックの音が研究所に響き渡る。
「アスカーっ!!」
「うん?」
「――あ、良かった。居たわね」
突然飛び込んで来たのはマナだった。
「あれ、マナ? そんなに急いでどうしたの?」
「ぜぇ……ぜぇ……」
マナは肩で荒々しく息をしていた。
「うわ、びしょびしょじゃない……あ、トイレ?」
「バカ、違うわよ! ……今、港が大騒ぎになってて……」
すっとぼけたアスカの言葉にマナは怒ったように叫んだ。
「何かあったの?」
「それが、今朝から船がみんな港に入って来なくなっちゃったのよ」
「えっ、どういうこと?」
アスカの質問にマナは悲しそうな顔で呟く。
「……わからない。どの船も沖を通りすぎちゃって……まるでオキナハシティを避けているみたい」
「おかしな話ね……」
「アスカは、市長の所にしょっちゅう出入りしているでしょう? このこと、何か聞いてない?」
「ううん……なにも」
「そっか……アスカの所に来れば何かわかるかもって期待してたんだけど……」
「ごめん……」
気落ちするアスカに、マナは軽く笑い飛ばす。
「半分、ダメもとだったし気にしてないわ。じゃあ、私、港に戻るから――」
マナが去った後、アスカはシンジと一緒に相談を始める。
「港に船が入らないってどういうこと?」
「さっきの話だと、船の方が意図的にオキナハシティ港への入港を避けてるって感じだったね」
「なんで?」
「……さあ、僕にもわけが分からないよ」
「市庁舎に何か知らないか聞きに行こうか?」
「うーん、港の管理者の霧島さんが全く知らないなら、市長さんはもっと知らないじゃないかな」
「でも……放ってはおけないわ」
「そんなに気になるなら、洞木さんの所に行ってみたら?」
「ヒカリんとこ? どうして?」
「洞木さんはオキナハシティに来てからも定期的に、たぶん洞木家のお抱えだろうトーキョーからの連絡員と接触してる」
「え、そうなの?」
「《洞木屋》の周りにはたまに、鋭い身のこなしをする人がうろついているからね……」
「やっぱり、シンジにはわかっちゃうんだ、そういうこと」
アスカはシンジの言葉を聞いて少し悲し顔になった。
「ごめん、なかなか普通の男の子に戻りきれなくて……」
「ううん、いいのよ。これからはシンジが戦う必要はアタシが無くしてあげるんだから……」
「……とにかく、外の情報を聞くなら洞木さんが一番確かだと思うよ」
「うん、そうしてみる。さっそくヒカリのところに行ってみるわ」
アスカは降りしきる雨の中、《洞木屋》に向かった……。
「さて、ヒカリはいるかしら……あれ?」
《洞木屋》の店先には、休業中の札がかかっていた……。
「年中無休のはずなのに……変ね?」
アスカはゆっくりと静まり返った店内に足を踏み入れた。
「……アスカさん」
すると暗い顔をしたヒカリが俯きながら立っていた。
「い、居たの……? どうしたの、今日はお店はお休みなの?」
「ええ、《洞木屋》オキナハシティ支店は、本日を持って閉店ですわ……」
「え? それってどういうことよ?」
アスカが驚きの声を上げても、ヒカリは視線を床に落としたまま反応を示さなかった。
「……そんなことより、なにか私に聞きたい事があったんじゃありませんか……?」
「う、うん……」
「当ててみましょうか?」
ヒカリは濁った目をアスカに向けた。
「――えっ?」
「……オキナハシティ港に、外からの船が入港しなくなった……」
「そ、そうよ――ヒカリ、理由を知っているの?」
「もちろんですわ。だって、ふふ……」
そう言ってヒカリは暗い笑いを浮かべた。
「……ヒ……ヒカリ?」
「私が命令したんですもの……洞木財閥の力を使って」
ヒカリの言葉にアスカはとても驚いて叫び声を上げる。
「ええっ!?」
次の瞬間、ヒカリは店から飛び出して行ってしまった。
「あ、ヒカリ、待って!」
土砂降りの中、アスカはヒカリの後ろ姿を必死に追いかけ、やっと海岸沿いの通りで追いついた。
「うそよね? ヒカリが……」
「うそじゃありませんわ……」
ヒカリは視線を地面に落しながら答えた。
「外からの物資供給を断ちきって、街の経済を崩壊させれば、使徒襲来以上のダメージを与えられますもの……」
怒ったアスカはヒカリに向かって怒鳴りつける。
「ひ……ひどいよ、ヒカリ! なんで町興しの邪魔をするような事をするのよ!」
「私は、この街が大嫌いなんです……!」
ヒカリも逆ギレを起こしてアスカに向かって叫んだ。
「……ねえ、ヒカリ。どうしたの? ……ね、訳を聞かせてよ」
アスカがそう懇願してもヒカリは黙ったまま。
「アタシの知っているヒカリは、優しくて思いやりがあって……自分のわがままで家の力を使ったりは絶対しない子よ……」
「……アスカさん」
「え?」
「じゃあ……私と一緒にトーキョーに帰ってくれます?」
「えっ、なんでそんな話になるの?」
驚くアスカの瞳を、ヒカリはきりっと力を入れて見つめる。
「……答えてください。……どうします?」
アスカは視線を地面に反らして俯きながら辛そうな顔で返事をする。
「……無理よ……オキナハシティには大切な仕事が残ってるし……」
「ほら! やっぱりアスカさんの考えているのはこの田舎都市の事ばかり!」
「……ヒカリ?」
雨に打たれながらもヒカリは気にすることなくアスカに向かって心のたけを叫ぶ。
「アスカさんは行っちゃうんですもの! 私のことなんてどうだっていいんだわ!」
「――ヒ、ヒカリ?」
「黙ってオキナハシティに行っちゃった時と同じ! どうして一緒に居てくれないの? いつもいつも、人の気持ちも知らないで、アスカさんの……意地悪!」
「ヒカリ……アンタもしかして……」
「そうよ! 大金持ちの娘が、いいパートナーに巡り合えるチャンスなんてたかがしれてます! ……私は政略結婚とか、許嫁とかイヤ! それよりも、自分で見つけられる愛を追い求めたいんです!」
アスカはヒカリの言葉に沈黙したままだった。
「そして……あなたが私の一番なんです!」
「……ヒ、ヒカリ……」
「うう……こんな街、無茶苦茶になってしまえばいいんですわ!」
「ヒカリ……!」
ヒカリは再びアスカの前から走り去ってしまった……。
「ヒカリ……どこに行っちゃったんだろう……」
アスカは辺りを探したが、ヒカリの姿は見つからなかった……。
「そうだ……お店に戻っているかも……」
《洞木屋》に戻ったアスカは、ヒカリの名前を呼び続ける。
「……ヒカリ? ……帰ってる、ヒカリ?」
店内に誰の姿も見当たらない事に、アスカは溜息をつく。
「《洞木屋》、本当に閉めちゃったんだ。……街の人、がっかりするわね……」
ヒカリの部屋に入ったアスカはまた溜息を吐き出す。
「やっぱりいない……ん?」
部屋の片隅に、叩きつけられたようにして無残に壊れた、小さな置時計が転がっていたのをアスカは気付いた。
「あ、これ……昔、アタシがヒカリにプレゼントした……」
アスカはその壊れた目覚まし時計を拾い上げた……。
「ヒカリ……」
アスカはいったん、研究所に戻る事に決め、誰も居なくなった《洞木屋》を後にした……。
「洞木さんがそんなことを……」
研究所に戻ったアスカに話を聞いたシンジはそう呟いた。
「今でも信じられないわ……」
「これは……洞木財閥の経済力をバックにした街への経済封鎖だね……このままだとオキナハシティの経済はダメージを受けることは間違いない」
「……アタシ、どうしたらいいのかな?」
「う、うーん……きっとそう言う世界にも、男女の恋愛と同じように、愛しいとか苦しいとかあるんだろうけど……」
「シンジにもわからないわよね……」
「――う、うん、僕は一人の女の子しか好きになった事が無いから」
普段のアスカが聞いたら赤面モノのセリフだが、ヒカリの事で頭がいっぱいのアスカにはかわされていた。
「……はぁ」
「ふふ……」
憂鬱そうに溜息をつくアスカの姿を見たレイが穏やかに微笑んだ。
「恋は口を閉ざしても語りだす……ね」
「……レイ?」
「愛して失った方がましか、一度も愛したことがないよりは」
「綾波のセリフもますます芝居掛かってきたなぁ。また何かそれっぽい本を読んだの?」
「……アスカはどう思っているの?」
「え?」
「ずっとあなたのことだけを考えていて、きっと今もどこかで胸を痛めている……彼女の事」
「そ、そんな……女の子同士で……アタシも男の子しか好きになった事が無いし……わからないわ」
「なら、とにかく彼女を見つけて、直に話してみる事ね……アスカ。友情と愛は、同じ屋根の下には住めないという事――彼女に分からせてあげられるのはアスカだけなんだから」
「――とにかくこのままじゃあダメだよ!」
「じゃあアタシ、ヒカリを探しに――っとその前にこれを直さないと」
アスカはそう言って壊れた目覚まし時計を懐から取り出した。
「…………時計? ずいぶんひどく壊れて……あれ? ……見覚えがある。確かこれは、アスカが小さい頃作った……?」
「うん……ずっと前に、ヒカリにあげた目覚まし時計よ。ヒカリ……オキナハシティにも持ってきてくれたの……でも」
「……壊れたものは直せばいい、アスカにはそれができるじゃないか」
「うん」
シンジに元気づけられたアスカは、さっそく目覚まし時計の修理にとりかかるのだった……。
目覚まし時計を完成させたアスカはヒカリを探しに研究所を出て行こうとする。
「よし、出来たわ! さっそくヒカリを探しに行ってくる!」
そんなアスカをシンジとレイが呼び止める。
「僕達は本当に力を貸さないでいいの?」
「……これはオキナハシティの問題である前に、アタシとヒカリの友情の問題だから」
「わかったよ、アスカの好きなようにしなよ」
「彼女との友情……無事に取り戻せるといいわね」
「うん。――じゃあヒカリを探してくるわ」
まず、アスカはオキナハシティの港に立ち寄った。
「居ない……」
「あ、アスカ」
「マナ、ちょうどよかった。ヒカリを見なかった?」
「ヒカリ? ……さあ、そういえばここ数日姿を見ていないわね」
「そっか……」
マナの言葉を聞いたアスカは残念そうな顔になった。
「何かあったの?」
「ううん、何でもない。それより……船の方はどうなっているの?」
アスカが尋ねるとマナは疲れた顔で溜息をつく。
「相変わらずよ。――原因不明の閑古鳥」
「……大変ね」
「まったくそうね。じゃ、私は仕事に戻るから」
「がんばってね」
その後もアスカはオキナハシティの各地を巡ってヒカリを探した。
「……ああ、もうちょっとヒカリの事を、気遣ってあげればよかったわ……」
すると偶然にも、アスカの目の前に見覚えのある少女の後ろ姿が目に入る。
「――見つけた、ヒカリ!」
「……あ」
「よかった、まだオキナハシティにいたのね」
アスカは満面の笑顔でヒカリに話しかけた。
「…………」
ヒカリは暗い表情でうつむいていた。
「お願い、話を聞いて、ヒカリ」
「……うう、ごめんなさい、アスカさん」
「え?」
「私、一時の感情に任せて、とんでもない事を……オキナハシティの経済封鎖はつい先ほど、ストップをかけました……」
「えっ、ほんとうに?」
「街への実質的被害はほとんどないはずです……」
「ありがとう、ヒカリ。アタシの仕事、信じてくれたのね……」
「私、自分が恥ずかしいです。真剣に努力しているアスカさんに対して……私は友達失格です……」
「もういいのよ、ヒカリ。それよりも……はい、これ」
アスカは修理した思い出の詰まった置時計をヒカリに手渡した。
「あ……?」
「アタシたちは友達よ」
「…………」
その言葉を聞いたヒカリは涙をこぼし始める。
「……私、今まで通り、アスカさんの友達でいたい……友達でいたいよぉ……」
「うん、友達よ。アタシ、ヒカリの事が大好きだから」
「私を許してくれるのですか……」
「あのね、ママが言ってた事なんだけど……人間はね、少しは嘘をつかないと、お互い仲良く暮らしていけないんだって」
「アスカさん……」
「ねえ、ヒカリ。――ヒカリは最後には、アタシを信じてくれたんだから、アタシもヒカリを信じるわ。今、アタシにはヒカリの助けが必要なの。ヒカリは助けてくれるでしょう?」
「……はい、もちろんです。アスカさん」
胸に飛び込んで来たヒカリを、アスカはしっかりと抱きしめた……。
「……もう大丈夫です」
「《洞木屋》まで送っていかなくていいの?」
泣きやんで落ち着いたヒカリは、アスカに向かって穏やかに微笑んだ。
「はい。本当にご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「そのことは、もう言わないの」
「アスカさん……実は今度、トーキョーで縁談話があるんです。まだ決まったわけじゃないですけど……」
「まだ14歳じゃない!?」
アスカは驚きの声を上げた。
「いえ……これでも遅いぐらいです。《洞木家》のしきたりでは……」
「……け、結婚するの?」
「私、それが嫌だったんです。家のために、見た事の無い男の人と結婚するなんて……それがオキナハシティに来た本当の理由……逃げてたんです」
「……逃げちゃダメよ。シンジもアタシの横で良くブツブツそう言ってる」
「ええ。――私、もう逃げません。トーキョーに戻ってお父様とお母様にきっちりと自分の気持ちを伝えるつもりです」
「頑張って……ヒカリ」
「ここでお別れです。さようなら……アスカさん。オキナハシティでの仕事、頑張ってください」
こうして、ヒカリはトーキョーへと帰って行った……。