普天間移設 混迷14年 きょう 返還合意の日

鳩山政権でも道筋付かず

2010年4月12日 09時53分この記事をつぶやくこのエントリーを含むはてなブックマークLivedoorクリップに投稿deliciousに投稿Yahoo!ブックマークに登録

 日米両政府が1996年4月、米軍普天間飛行場の移設条件付き全面返還に合意してから、12日で満14年を迎えた。当初は5~7年以内の返還を目標としていたが頓挫し、2006年に日米両政府が米軍再編で合意し直した14年の移転完了期限も見通しは不透明だ。

 09年に誕生した鳩山政権では、新たな移設先として徳之島(鹿児島県)や名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部へのヘリ離着陸施設、うるま市勝連沖などが候補地として浮上しているが、いずれも地元合意を得るのは困難な状況で、対米交渉も進んでいない。

 県内では25日、県内移設に反対し、国外・県外を求める県民大会が読谷村で開かれる。

 1996年の合意当初、ヘリコプター部隊を嘉手納基地に、KC130空中給油機を岩国基地(山口県)に移転する計画だったが、同年6月からシュワブ案が浮上し、SACO最終報告で移設先は沖縄本島東海岸沖に決定。

 97年、名護市の住民投票で条件付きを含む反対が過半数を占めたが、当時市長の比嘉鉄也氏が自身の辞任と引き換えに移設を受け入れたことで名護への道筋がつくられた。

 その後、軍民共用空港建設案を掲げた稲嶺県政が移設候補地を検討し、7カ所から「シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域」を選定。比嘉氏後継市長の岸本建男氏が受け入れ、政府は沖縄サミットの開催も決めた。

 だが着工に伴う調査をめぐり、反対運動が激化。膠着(こうちゃく)状態のまま、2004年8月、普天間に配備されていたCH53ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落した。

 05年の米軍再編協議で、同じ海域ながら、反対運動を排除しやすく、実現可能性が高い案としてシュワブ沿岸部移設に日米が合意。06年にV字形の2本の滑走路建設を決めた。

 しかし、岸本氏の後を受けた島袋吉和前市長や仲井真弘多知事はV字形を沖合に移動するように要求。地元と日米両政府が折り合わないまま、最低でも県外と訴えた鳩山由紀夫氏ら民主党を中心とする連立政権が昨年9月に発足した。鳩山政権は県民の期待と裏腹に、県内移設を含むさまざまな案を示唆。混迷ぶりは1996年以降と同じ状況をたどっているかのようにも映る。

« 最新のニュースを読む

写真と動画でみるニュース [一覧する]