ひさびさに「表現の自由」を巡る議論がかまびすしい。
この2月に東京都は、東京都青少年問題協議会の答申を受けて、青少年健全育成条例の改正案を都議会に提出した。改正案には、18歳未満を対象にした児童ポルノの規制を強化すべく、「非実在青少年」(漫画やアニメ、ゲームのキャラクターを指す)の性描写への規制や、「単純所持」規定(画像や図版を持っている行為を規制する)が盛り込まれていた。
この改正案は「表現の自由を損なう」として、多くの漫画家や有識者、出版業界の関係者らが強く反対の声を上げた。その結果、都議会の民主、共産、生活者ネットワーク・みらいの3会派は、この問題については「時間をかけた審議が必要」との認識で一致し、継続審議とする方向で合意した(3月19日付毎日新聞Web版)。
実は私も、この件に関しては、これまで浅からぬかかわりを持ってきた。ここで私自身の意見を簡単に述べておこう。
私は漫画を含む児童ポルノを好ましいとはまったく思わないし、被害者が存在するタイプのそれは憎むべき児童虐待であり、唾棄(だき)すべき犯罪にほかならないと考えている。
しかし、「非実在青少年」については、その有害性が十分に実証されていない以上、「表現の自由」の価値が優先されるべきだろう。それでなくても、すでになされている規制やゾーニングによって、青少年はわいせつ表現から十分に隔離されている。よってこれ以上の「改正」は不要、と私は考える。
とはいえ私は、子供が成人雑誌を読んでいたら問答無用で取り上げるし、ブラウザーに怪しい履歴があれば、フィルタリングソフトも使うだろう。これは別に矛盾ではない。この種の「しつけ」は親から子への「価値の伝達」のための貴重な機会だ。条例のうしろだてなど、大きなお世話でしかない。
規制を進めている人々は、健全な環境さえあれば、何もしなくても子供たちはのびのびと健全に育つと言いたげだ。しかし、本当にそうだろうか。
アメリカで昨年出版された「子育ての衝撃」という本が話題になっている。本書で最も驚くべきくだりの一つは、人種差別にかかわる部分だ。著者のポー・ブロンソンらの調査によれば、子供たちに人種の多様性を教えようとする私たちの方針は、根本から間違っているという。
私たちはこんなふうに考えがちだ。現代の社会には、もう露骨な人種差別はほとんどない。いまや子供たちは、多様な人種が入り交じる環境の中で育っている。彼らはそうした環境の中で、他の人種とうまくつきあっていく方法を自然に学んでいくだろう。だから私たちは子供たちに対して、人種について、皮膚の色について語るべきではない。わざわざ寝た子を起こすことはない、と。
しかしブロンソンらの調査結果は、私たちの楽観に冷水を浴びせかけるものだった。
事実はこうだ。白人の高校生で、他の人種の親友を持つものはわずか8%。多くの人種が通う学校の生徒たちほど、人種間の交流は少ない。白人の親の75%は、子供たちと人種についてほとんど語り合わない。小学3年生以上になると、人種への偏見を変えるのは困難になるが、多くの両親がこの話題について話しても大丈夫と考えるのは、その後になってからである。
要するに、大人が人種についての話題を避けたままでいると、多くの子供はのびのびと立派な差別主義者になってしまう、ということだ。
ブロンソンらのこうした指摘は、人種や子育てといった問題を超えた普遍性を持っているように思われる。たとえ倫理的に適切な「環境」が与えられたとしても、ある種の倫理観は、決して自然には育(はぐく)まれないのだ。大人たちが意識的にそれを子供に伝えようとしない限り、そうした倫理の伝統は容易に失われてしまうだろう。
そのような「倫理観」には、例えば次のようなものが含まれるはずだ。「人を差別してはいけない」「暴力を振るってはいけない」、そして「表現の自由は尊重されなければならない」など。
先人たちの尊い努力によって、少なくとも先進諸国においては、かつてないほどの自由と平等が達成されつつある。それらはもはや、現代社会の最優先課題ではない。私たちは、多様性と表現の自由を空気のように享受している。
しかし、だからといって、誰もが自由や平等を当然であると考えるようになるわけではない。それらの価値は、どの世代にあっても、その正しさをくり返し子供たちに伝える大人がいなければ、「常識」にはなり得ないのだ。
メディアにおける性暴力も「見せなければ済む」という問題ではない。条例改正といった環境調整だけでは、「健全育成」には不十分だ。人を育てるのは法律や環境ではなく、やはり人でしかない、ということ。この「常識」が風化したとき、倫理の伝統は途絶えるほかはないだろう。=毎週日曜日に掲載
毎日新聞 2010年4月11日 東京朝刊
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