関係者からのメッセージ
2010年4月15日
「はやぶさ」、そうまでして君は。
プロジェクトマネージャ 川口淳一郎
「はやぶさ」の帰還がせまるなか、2009年11月、すべてのイオンエンジンの寿命がつき、運用停止に追い込まれた。だが、われわれプロジェクトは、彼をあきらめさせることなく、動くものはなんであれ動員してあらためて走りださせることに成功した。いや走らせてしまった。運用再開を喜ぶなかで、私は、若干複雑な気持ちも併せてもっていた。「はやぶさ」は、本当は帰還を嫌がったのではないか。知ってか、知らずか、「はやぶさ」を待ち受ける運命は、大気再突入で燃え尽きることだ。もちろん、子のカプセルを運び、ともかくも所定のレールに載せた後にはなるのだが。
どうして君はこれほどまでに指令に応えてくれるのか?そんなにまでして。イオンエンジンの運転が再開したとき、そんな気持ちをもってしまった。われわれが、方策を考えあぐねていたならば、それは君を救う道だったかもしれない。使命を全うするのか?それとも、いやいやをしたいのではないのか。「はやぶさ」にはぜひがんばってほしい、と思う反面、その先に待つ運命は避けられないものかと思う。空力的に大気でジャンプする案など、力を得ることもできるのだが、度重ねた検討によっても、熱の壁が先に来てしまい、救えないことはわかっている。
この帰還の運用には、一度きりのチャンスしかない。万全の備えが必要だ。しかし、この万全さは、逆に、「はやぶさ」自身の最期を確実に演出してしまう残酷さにつながってしまう。おもえば、この運命は、化学エンジンがつかえなくなった2006年の時点でわかっていたことなのだ。帰って来るなというわけにはいかない。万全の準備とは、冷酷な準備でもある。「はやぶさ」が切り離すカプセルは、「はやぶさ」自身の思いを載せて、次の後継機への「たまご」となると考えるべきなのだろう。「はやぶさ」自身もそれを望んでいるのだ。
イオンエンジンによる長期の軌道制御が終了した3月末、君はどうしてそんなにまで、とふたたび思った。けれど、その時、「はやぶさ」の覚悟が何であり、何を望んでいるのかが、わかった気がした。たまごを受け取って孵(かえ)してあげること。それをしなくてはならない。
満身創痍。ハードウェアとしては、たしかにそうだ。しかし、自律機能や判断能力といったソフトウェア面は今までもちゃんと機能してきた。けなげにもがんばった。ところが、最近は、「はやぶさ」の頭脳や感覚にも老化が現れてきている。記憶であるRAM データレコーダにはビット反転が頻発し、頭脳であるDHU でも反転が発生、感覚器であるジャイロも反転が起きやすくなってきていて、動作も今や確実でない。そろそろ寿命が全うすることは、「はやぶさ」自身が感じているのかもしれない。これ以上、長い飛行を続けるのは苦しいだろうと思う。無理だろう。
この6月、「はやぶさ」自身が託したいことをやりとげられるよう運用すること、彼が託すことをかなえてやることが、彼自身にとって最良な道なのだと、ようやく悟れたと思う。