毒入りギョーザ事件容疑者の逮捕、日本人4人への死刑執行と、このところ中国との関係について改めて考えさせられる出来事が続いた。今年は国内総生産(GDP)で日本を上回り、世界第2位の経済大国となるのが確実という中国。「脅威論」や「異質論」もあるが、隣国とのお付き合いは続く。どう付き合えばいいのか?【井田純】
日中国交正常化(1972年)以降初めて、という今回の日本人死刑囚への刑執行。そこに、経済成長を背景にした中国の「強気の姿勢」を読み取るのは興梠(こうろぎ)一郎・神田外語大教授(現代中国論)だ。
「欧米メディアはすでに、この『強硬な中国』への変化を何度も指摘しています。大きな転機となったのが、一昨年のリーマン・ショック。金融危機で世界がもがく中、いち早く経済を回復軌道に乗せたことで中国が自信を強めた」。この時の、中国経済を救世主扱いするような海外での報道も中国の「勘違い」を増幅させた、と興梠教授は指摘する。この「強気」は、08年の欧州連合(EU)とのサミットの「ドタキャン」や、09年の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)で譲歩拒否を続けた姿勢など、先進諸国との関係でたびたび表面化してきている。
昨年末には、今回の日本人と同じ麻薬密輸罪で英国人への死刑が執行された。英国メディアは執行前から強く反発、英政府も執行停止を求めて交渉を重ねたが、中国側は今回の日本人のケースと同様に「国内法に基づいて措置する」と押し切った。「この一連の対応と、検閲をめぐるグーグル問題での姿勢には通底するものを感じる」と興梠教授は言う。
では、こうした中国の強硬な姿勢に張り合ったり、中国のやり方にならえばいいのか。「その考え方は間違い。経済発展を続けているとよくいわれるが、その内実は必ずしも健全なものではない。企業ではなく、政府がマネーゲームに走り、中国共産党の上層部が私腹を肥やしている。市民は、共産党のことを『あいつら』と呼ぶようになり、社会の矛盾に声を上げる集団抗議活動も増えている」。中国のGDP増大に伴って、日本企業の間には「13億のマーケット」に対する期待も膨らむが、興梠教授は「中国を一つのものととらえるような発想は通用しなくなっている」と警告する。
中国社会は今、さまざまに分裂して、各所で摩擦が起き、緊張が高まっている。
「かつて、日本の外交官や研究者、中国に進出する日系企業は、役人とだけ付き合っていればよかった。しかし、共産党が言うことややることと、市民の考えや行動は乖離(かいり)してきている」
08年に乳製品にメラミンが混入し健康被害が出た事件の際には、現地に進出したニュージーランド最大の乳製品メーカーが、国際的なブランドイメージを損ね、大きな損失を被る結果となった。「中国人一人一人を見て、個々に付き合っていけばいい」と興梠教授は語る。
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容疑者の「スケープゴート」説も出るなど、発生から2年以上が過ぎた逮捕を機にさまざまな謎が指摘される毒入りギョーザ事件。東京大社会科学研究所の丸川知雄教授(中国経済)も「逮捕には釈然としないものが残る」と話す。
「容疑者の動機として報じられた『労働条件への不満』は、事件発生当初から日本の中国人留学生たちが盛んに指摘していたこと。これだけ時間が経過したのに、あまりにもシナリオ通り過ぎる。逆に真相はますますわからなくなったという感じがする」と首をひねる。
しかし、丸川教授は同時に「ギョーザ事件を、『食の安全』という文脈で語るのは間違っている」とも強調する。「かつて日本で起きた『グリコ森永事件』と同じような犯罪であり、日本に輸出される食品一般とは別の問題。そこは冷静に考えなくてはならない」と指摘する。「日本には『中国の食品は農薬まみれ、毒だらけ』という偏見があり、逆に中国には『日本では軍国主義が横行している』という偏見がある。誤解はしょうがないとしても、こうした偏見だけはなくすべきだと思う」
丸川教授は、近著「『中国なし』で生活できるか」(PHP研究所)で、経済分野での中国との相互依存関係を生かした発展を説いた。「世界の工場」といわれる中国だが、産業用機械や鉄鋼・化学などの素材分野では、まだ日本に遠く及ばない。日本にあふれる「メード・イン・チャイナ」製品の中には、日本から機械や素材を輸入して製造されたものも数多く含まれているが、一般の消費者の目からは見えにくい。そのため、実際以上に中国製品が席巻しているように感じられる状況になっている、というのだ。
「自動車産業に典型的だが、中国の企業はまだ、『技術は買ってくればいい』という考えを持っている。日本企業とは対照的で、その意味でも補完関係にあると言える。だから、脅威などと過度に恐れなくていい」と述べる。
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「中国人と日本人が理解しあうなんて無理。国の体制から、立っている位置から全部違うんだから。理解しなきゃいけない、付き合わなきゃいけない、なんてことはないよ。別にわからなくたっていいじゃない」。開口一番こう言って、豪快に笑ったのは楊逸さん。ハルビン出身、08年「時が滲む朝」で中国人作家として初めての芥川賞を受賞した。
「私たちが経験してきた日常は、日本人の普通の日常とは違う。同じように考えられると思う方がおかしいでしょう?」。芥川賞受賞作では、民主化運動と天安門事件の時代が舞台となっている。楊さん自身も、文化大革命の時代を生きた。
「私だって日本に来て日本人のことがわからなかった。官僚が横領して、何がおかしいのか。だってそのために必死で勉強したんでしょう? 政治家がヤミ献金もらうの、何がヘンなの? 中国なら当たり前、そういうことよ。わっはっは」
「空気を読む」日本人は中国人のことを非常識だというけど、この世に非常識なんてない、それぞれ「異なる常識」があるだけ、という楊さん。「中国との付き合い方? 日本の人たちのために、今度、私、アドバイザーやろうかしら」。たくましい笑い声がまた返ってきた。
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毎日新聞 2010年4月14日 東京夕刊