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隣人は愛しうるか その1 [オウム・カルト]

 クリスチャンを表看板に、一方必死に日本共産党を応援したり、憲法九条や平和修理をを説きながら、DVなどと呼べない凄惨なリンチを妻に行った故・井上ひさし氏。
 「リンチ発覚」前のみなら、ずリンチ事件発覚後に結婚した妻も共産党員だったそうだが、ある意味、そういう嘘臭さを含めて、(悪い意味で)戦後進歩的文化人の象徴的存在に思える。
 無論、どんなキチガイでも、文章さえ面白ければOKなのが物書きの「道徳」。しかし、私には彼の面白さがついに分からなかった(死後、本棚からエッセイ集の文庫本を取り出して読んでみた。やっぱり分からなかった)。
 ただ、当節はアカを虐めるのは流行り。時流の尻馬に乗るのはあまり面白くないので、別の事を考えてみたい。
 「反人権派よりも人権派の方が、人権を守らない」「人権派た他人に対しては声高に人権を主張するが、自分たちは人権を守らない」というのは、何も昨日今日はじまったことではない。もはや国民の常識なのではないだろうか。オウム真理教なんて分かりやすい例を出さなくたって、共産党の数々の徐名劇や査問・新左翼の内ゲバ殺人等、「平和勢力」「人権派」の残酷さ。もはや並以上に本を呼んでいる人ならば、誰でも気がついている筈だ。

 ナザレ出身のキリストという人は、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」( http://d.hatena.ne.jp/hiroshisj/20090717/1247789583 )という好戦的姿勢の一方で、「汝の隣人を愛せ」「汝の敵を愛せ」「右の頬を打たれれば左の頬を出せ」と隣人愛を説いた。憲法9条や戦争反対を説きながら、「右のほほを殴り終わったら、左のほほを腫れるまで殴りなさい」の井上ひさしとは全く逆の発想だったイメージがある。
 そういう人間の矛盾は、文芸の世界の対象に長くなったように思える。
 何故か最近流行ったドストエフスキー。そのブレイクした作品・カラマーゾフの兄弟で、登場人物に「近い人なんて愛せない、遠い人だから愛せる」旨を作中人物に言わせている。「俺の考えだと、まさに身近な者こそ愛することは不可能なので、愛しうるのは遠い者だけだ。」( http://blog.goo.ne.jp/sinceke/e/1a876935d5a267765063f338cc11b3f6 ) 私の拙い日記の愛読者各位も、どこかで誰かの孫引きで読んだことはあろう(どうせ誰もあんなクソ長い作品なんか熟読=ニ度三度読むなんかするはずが無い)。

 しかし、これがそう簡単でないのだ。
 ベトナム反戦だの憲法九条だの、そしてこう書くとウヨや偽装左翼は怒り狂うと思うと嬉しいのでどんどん書くが、フリーチベットだの北朝鮮拉致問題だの、トレンドの「中国政府の日本犯罪者死刑問題」だのでは、みんな天使のような発言をするが、その人の日常では、職場の誰それや隣の家の誰それや、何よりも通勤電車で足を踏んだ誰それだけは絶対に許さない。しかしソレは人間だけではなく、神様もそうなのである。
 素人さんのブログ「ここがヘンだよキリスト教」より
汝の隣人を愛せなかったイエス様
http://exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-26.html
『とまあこんな風にイエスは限りない隣人愛を説いているわけですが、
イエスはそれを本当に実行したのでしょうか?
答えはイエス(Yes)ではなくノーです。
マルコによる福音書第11章15節から19節までを見てみましょう。
イエスはエルサレムの神殿に行ったところ、
境内で品物を並べて商売をしている人たちがいました。
日本で言う「露店」みたいなものでしょうか。
それを見たイエスは「神の家で商売をするとは何事か!」と怒り、
品物や台や椅子をひっくり返し、
さらに境内を通って物を運ぶことすら許しませんでした。』

 そういう意味では、井上ひさしは「共産主義者は、自己の見解や意図を隠すことを恥とする」エンゲルスではなく、忠実なクリスチャンだったようだ(失笑)。おっとっと、今回はそういう赤狩りネタではない。
 近い人だろうが遠い人だろうが、「自分が正義」と思えば、人間は他人に残酷になるのだ。しかしその一方で、人間という生き物は、核戦争で人類が滅亡しない限り、自分の正義を死ぬまで追求する。なおも悲しくも嬉しいことに、人間は自己の正義を貫く情熱で、ここまで高度な文明を築き、ある意味、先人が羨むような生活を手に入れた。
 さよう。
 ・人間は正義を追求することを止めない。それによって、人間という生き物は、犬やカマキリよりも偉大な成功を収めた。
 ・人間は正義を追求すると残酷になる。「正義を追求しない」事も正義であり、「正義を追求する人を断じて許せない」。
 ・人間は絶対平和を実現するためには、尋源は絶対正義を主張してはいけない。
 極端な話、「全人類が他人を愛するような世界」、それこそ「汝の隣人や敵を愛するような世界」とは、例えば私みたいに地球人が全員がアル中になったり、ノリP煙草漬けにならないかぎり、絶対に実現しないのではないのである。
 と、書いてる私が絶対平和を希求しはじめたので、機会があれば続きを。

 と、書いてる
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