「子ども倍増計画」

子ども倍増計画

2010年2月17日(水)

実は、日本は少子化を目指していた

非婚、晩婚、負け犬の遠吠え…、古い道徳観に失政が重なった

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 日本の少子化傾向はいかにして進んだのか。歴史人口学を専門とする、上智大学経済学部の鬼頭宏教授に聞いた。

(聞き手は日経ビジネス記者 大西孝弘)

 ―― 人口問題には長期的な視点が欠かせません。日本はどのようにして少子化に突入していきますか。

 鬼頭 実は1974年に、日本ははっきりと少子化を目指す政策を打ち出していました。

 同年に厚生省の諮問機関である人口問題審議会は、人口白書で出生抑制に努力することを主張しています。73年にオイルショックがあって、資源と人口に関する危機感が高まっていたからです。

 象徴的なのが同年に開催された日本人口会議です。人口問題研究会が主催し、厚生省と外務省が後援した会議では、「子どもは2人まで」という趣旨の大会宣言を採択しました。

政府は1974年に人口抑制政策を進めた

上智大学経済学部(歴史人口学)鬼頭宏教授 (写真:的野弘路)
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 同会議には斉藤邦吉・厚生相のほか、岸信介・元首相や人口問題の識者が勢ぞろいしました。作家の小松左京氏や画家の岡本太郎氏も講演しています。

 当時、大学院生だった私は3日間の会議をすべて傍聴して、今でも当時の資料を保管しています。ただ、講演した政府関係者や研究者の大半は亡くなってしまいました。振り返ると当時の論調には隔世の感があります。

 ―― それからおよそ35年で日本の人口動態は大きく変わりました。

 1980年代から合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産むと推計される子どもの数)は減り続けているのに、政府は1990年代まで何もしてきませんでした。政策の転換が遅れたと言ってもいい。

 1989年に合計特殊出生率が1.57まで急落して少子化が社会問題となり、政府が動き出したのはこの後です。1991年にようやく育児休業法が制定されました。

出生率が回復しても人口は減る

 政府は様々な少子化対策を講じていますが、合計特殊出生率は簡単には回復しません。子どもが増えずに死亡者が増えたために、2005年から日本の人口は減少します。

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子ども倍増計画

日本の少子化が止まらない。2006年に上向いた出生数が、2009年にまた減少。民主党政権は、子ども手当、高校の無償化など、次々と子ども向け政策を打ち出している。不況に伴い、働きに出る母親が増えた影響で、急増している保育園の待機児童対策も急務だ。だが、対策にはどれも財源が必要だ。もっと有効な手立てはないのか。見落としていることはないのか。そもそも、なぜ少子化がここまで進んでしまったのか。残された時間は限られている。人口や少子化問題に詳しい識者に聞いた。

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