ウガンダのイディ・アミン・ダダ、ザイール(現コンゴ民主共和国)のモブツ・セセ・セコ、中央アフリカのジャン・ベデル・ボカサはアフリカの3暴君と呼ばれていた。幸いなことに彼ら独裁者は現在では一人残らず失脚しているが、依然としてアフリカの国々では彼らのような恐怖政治をひく独裁者がおり、また新たな独裁者が出現しうる土壌が残っている。
またこの3人以外にも、アフリカの現代史においてはアミンにも決して引けをとらないような独裁者が数多く登場していた。政府を非難した者を捕まえて自分のペットであるライオンの餌にしていたリベリアのサミュエル・ドエ、悲惨な内戦を指揮し国家予算の横領と大量虐殺を繰り返し、国を回復不能まで破壊しつくした同じくリベリアのチャールズ・デーラー、国民に対して血の粛清といわれる大量虐殺や国外追放を繰り返した赤道ギニアのエンリコ・マシアス・ンゲマ、汚職・援助金の横領・国家ぐるみの犯罪を指揮して見事に国を破綻させたナイジェリアのサニ・アバチャなどあげるときりが無い。ここで彼ら一人一人のことを詳しく述べると、紙面がいくらあっても足りそうも無いので、ここでは独裁者の面白い特徴を述べようと思う。
彼ら一人一人を見ていると、面白いほど共通点が多いことに気づく。と、言うより独裁者というものはアフリカだけではなく、古今東西を問わず共通点が多いものだ。まず第一には反対派への徹底した弾圧が挙げられる。これはほとんどの人が持っている独裁者のイメージだと思う。
少しでも自分の考えに異を唱える者や反乱を起こしそうな者は逮捕され、拷問され、その後は処刑されるか強制収容所へ送られるか国外へ追放される。ウガンダのアミンは反対派を少なくとも30万人以上は虐殺したし、リベリアのドエはテレビの前でしょっちゅう公開処刑をした。また中央アフリカのボカサはアムネスティ・インターナショナルに児童大量虐殺事件を暴露され、世界中から非難を受けた。
話は少しそれるが、ボカサは話題に事欠かない人物で、特にその奇行は有名である。国民の年間の平均所得が155ドルしかない国で、国家予算の2倍にもあたる2500万ドルという大金をつぎ込んで、フランスのナポレオン1世を真似て戴冠式を行った。その愚行の模様はテレビでも放映され、国際的な非難というより嘲笑を招いてしまい、アメリカなどは即座に経済援助を停止した。
ちなみに当時の日本の昭和天皇もこの戴冠式に招待されていたそうだが、欠席したようである。こうして中央アフリカ共和国は一時的ではあるが中央アフリカ帝国となり、ボカサ皇帝が誕生した。またボカサの人肉嗜好(カニバリズム)の習慣も有名である。ウガンダのアミンも食人の習慣があったが、ボカサのそれには及ばない。ボカサは刑務所にいる囚人にわざといい食事を与え、囚人を太らせてから処刑して、その肉を食していたそうである。ボカサはやる事なす事すべてにおいて、理解しがたい独裁者であった。
第二に独裁者は外国や民間団体からの援助金や国の資産などを国民に還元せず、すべて自分の懐にいれてしまうことがあげられる。その代表的存在がザイールのモブツで、彼は国の借金と同額以上の莫大な個人資産を蓄え、スイスの銀行などに貯金していた。
国民が貧困にあえいでいるのに、何とモブツは世界の長者番付で堂々の上位ランクインを果たしたのは有名な話である。またナイジェリアのアバチャの巨額横領も有名である。石油産出国でありながらナイジェリアが貧困から脱却できなかったのは、アバチャが石油の利益を独り占めしたためだ。政府があまりにも治安対策に力を入れず全く取締りをしなかったため、ナイジェリアの治安は最悪になり、多くのギャング団や詐欺師グループを生み出し(アバチャが加担していたとも言われている)、多くの外国人が被害を受けた。
第三の独裁者の特徴はやたらと自らの肖像画や写真を街中や空港、駅などに飾りたがる。アフリカ以外では北朝鮮の金日成やイラクのサダム・フセインがこのタイプだが、アフリカでその代表的な存在はやはりモブツである。モブツは自国の紙幣や国民が着る民族衣装にまで自分の写真を印刷し、民族衣装の着用を義務付けた。またモブツ・セセ・セコ湖やマシアス・ンゲマ島のように、自分の名前を地名にしたがる独裁者も大変多い。
これら独裁者は国民の支持がほとんど無いため、大国の後ろ楯の元で成り立っている場合が多く、大国がそっぽを向けば簡単に倒れてしまう。いわば彼らは大国が自国の利益のために仕立て上げただけの存在なのである。中央アフリカのボカサは戴冠式の結果、膨れ上がった莫大な借金の穴埋めのために、リビアのカダフィ大佐に自国領土内の基地を提供しようとしたため、フランスの反感を買い、フランス軍の介入とクーデターであっさり倒れた。
またモブツは東西冷戦下で共産主義勢力の拡大を阻止するために、アメリカによって作り上げられた独裁者だった。そのためアメリカはモブツの人権弾圧政策や腐敗しきった独裁政治に目をつむっていたが、冷戦が終結するともはやアメリカにとってモブツは不要となり、捨てられたモブツは内戦であっさり失脚した。
その後、ほどなくしてモブツは癌で死亡した(エイズという噂もある)。ちなみにモブツに代わって政権の座に付いたのはローラン・カビラであるが、彼もどうしょうもない人物である。1960年代のコンゴ動乱の際に、世界的に有名な革命家であるキューバのチェ・ゲバラに「必要なときに外国に避難しており、戦術面も全く能が無い」と烙印を押された人物である。ほどなく彼も暗殺されてしまった。
何か旅行の話とはかけ離れた内容になってしまったが、こんな独裁者の国を旅行する場合、注意しなければならないことがある。幸い中南米の国々ではこのような軍事独裁政権はなくなったが、アフリカの国々にはまだいくつかの国々で独裁者が存在しているし、毎年発表される世界の独裁者ランキングには、必ずアフリカの国々の独裁者が上位にランクされている。
これらの国々を旅行する場合、写真撮影には十分に注意しなければならない。特に軍事施設や政府の建物、橋、空港、駅などを撮影したところを警察や兵士に見つかると、カメラは没収されるか賄賂なしには返してくれない。それどころか最悪の場合、スパイ罪で拘留されてしまう。
これらの国では警察や街をうろついている兵士の大半が、気が向けば旅行者や国民を脅して賄賂を要求してくるので、あまり近寄らないこと。国の最高指導者がこのざまなら、その下にいる輩も同じということを頭に入れて行動しなければならない。
いろいろ書いたが、最後に面白いエピソードを紹介する。「ジャッカルの日」や「戦争の犬たち」の著者として知られるフレデリック・フォーサイス氏が、アフリカの国でクーデター未遂事件を起こしたと、英国のサンデータイムズ紙にスクープされたことがある。
それによるとフォーサイスは傭兵を雇い、赤道ギニアで苛烈な恐怖政治をひいていた独裁者マシアス大統領をクーデターで倒し、そこにナイジェリアのビアフラ戦争で悲惨な目にあったビアフラ人の国家を作ろうとしたとのことだった。
当のフォーサイスはビアフラ戦争当時、特派員としてナイジェリアにおり、飢餓に苦しんでいるビアフラの様子を見てきているだけに、もっとものような話である。またこの計画の内容が、彼の著書「戦争の犬たち」の内容と酷似しているため、事件はセンセーショナルになった。いつの間にか事件は闇に葬られてしまったが、話題に事欠かないアフリカの独裁者たちだった。
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