住民至上主義

明日は死ぬつもりで、今できる事をひとつだけ

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さるさる日記

2010/04/13 (火) カネに汚い 実例

法務省所管法人、元最高裁判事に破格条件で融資

 法務省所管の社団法人「民事法情報センター」(東京都新宿区)が昨年3月、理事長を務める元最高裁判事の香川保一氏(88)に対し、無利子・無担保で1500万円を貸し付けていたことがわかった。

 貸し付けは理事会の審議を経ずに行われ、返済の期限も設けていなかった。同時期、センターの役員報酬も改定され、香川氏の報酬は月50万円から同100万円に倍増していた。好条件の融資や報酬の増額に“お手盛り”との批判が上がるのは必至

2010/04/12 (月) おカネ持ちが判決すると

メールの紹介
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コメント:こんばんは昔、友人が付き合っていた彼女は、裁判官の娘でした。彼女と軽井沢の別荘に行くのに、親の公用車で往復したそうです。こういう人達に、人の痛みが解るとは到底思えません。
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2010/04/12 (月) 平成22年4月12日 課長会市長訓示1

中部大学の武田邦彦 教授が、こういうことを言っておいでです。
---------------------------------以下引用
大学の教員になったときに、第一に感じたことは「人間は教育をするほど悪くなる」ということだった。頭の良い人、知識のある人は総じてたちが悪い。そうでない人は、ズルはするが根本的には人柄が良い。これまで我慢をしてきているからそれだけ人格が磨かれているという印象を受けた。
知識が付き、教育を受けると、一般的に「利己的」になる。しかしそれと同時に「利己的ということを隠す技術」を学ぶ。だから見かけは利己的には見えない。衆議院議員が「国民の為に一切を投げ出す」等と言うのと同じだ。庶民はそんな歯の浮くような事は言えない。
 次に、知識が付くと「惻隠の情」を失う。相手の悲しさがわからないのだ。環境関係ではそういった例が多く、インテリの住む杉並区の住民は自分たちのごみを江東区が引き受けないと言ってもめたことがあった。
 教育とは何だろうか?公的には「人を人たらしめる」とされているが、それなら「人」とは利己的で相手をやっつける存在ということになる。その上、「教養教育」というのがある。ほとんどがヨーロッパの学問を学ぶのだが、それがまた人を悪人にするのだ。
 16世紀からの世界はヨーロッパの知識人が世界中の人を奴隷にした歴史であった。世界のほとんどの国がヨーロッパ人の植民地となって苦しんだ。ヨーロッパの人は教養は高かったが有色人種を人間とは見ていなかった。日本人のことは「サル」と呼んだ。

2010/04/12 (月) 平成22年4月12日 課長会市長訓示2

教育基本法第一条 [教育の目的]は
「教育は,人格の完成をめざし,平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値をたつとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」

このようになっています。
 日本の大学教育がこれほど教育基本法と乖離した原因は、社会の拝金傾向から来ていると考えている。本来、人格の優れた人間が社会の上位にあり、お金持ちはやや軽蔑されるのが適当である。でも現在はお金さえ持っていれば尊敬される。お金が能力の尺度になっているからである。
 現代の社会に適合する人材を育成するなら教育基本法の第一条は改訂したらどうだろうか? 今の教育の現状を教育基本法にするならば、次のようなものになります。

(提案・・新しい教育基本法第一条【平成の日本の大学の教育目的】)
「教育は、お金を儲けることができる人材を作ること目指し、競争力の強い国家および能力主義の社会の形成者として、具体的な知識を有してそれを武器に戦い、できるだけ働かずに儲けて責任逃れをすることができ、自己を主張し自己の権益を守ることのできる、体の機能は機械に委ね頭脳だけが優れた国民の育成を期して行わなければならない」

 皮肉でも何でもない。東大を頂点とした日本の大学はすべて、上記の「修正第一条」に基づいて教育を行っているからである。
---------------------------------------------引用終わり

2010/04/12 (月) 平成22年4月12日 課長会市長訓示3

大学のトップクラスの人が正直にものを言うと、こういうことになる訳です。
私たちの本音、この社会の目指している本音というのは、この辺です。こういうことで勝ち残れる子供たちを育てようとしている。
自分のところの子供たちだけが育てばいいんだと思って、子供たちに投資している。それが本心ですよ。違いますか。子供たちが生きる社会はどうなるでしょうか。

私たちが変わっていかなければならない。市役所の組織は変わらなければいけない。
惻隠の情、結果が出なければいけない。実際、市民の暮らしが変わっていかなければ、良くなっていかなければいけない。苦しい人が少ない阿久根市にならなければいけない。そこに私たちの気持ちをいつも置いておかなければいけない。

では、どうやったら変わっていくのか。
役所というのは、どうも、所掌事務ということに皆さんがしがみついているというか、それに締め付けられているというふうに感じているかも知れない。でも、それは、たぶん今までの習慣だ。
所掌事務というものをはずしていこうと思う。結果として、市民のためになる行動ができなければ、成果が出せなければ、所掌事務にしがみついていることは何の意味もない。
それをやっているからというのは、言い訳にもならない。今の現状をよく見ると、どうもそれぞれの個別の職員、あるいは係長、課長それぞれが、自分の所掌事務にしがみついている、あるいはそれによって拘束されているように思っている。
これは外しましょう。
課であれば、親分である課長の言うとおり動かなければいけない。係長の目指すところを職員が同時に目指していかなければいけない。成果を出すために。だから、隣の職員が忙しいときは手伝うのは当たり前。全部の職員が全部の市民のためにある。全部の市民の税金を全員が使っている。ですから、部下を持っている職員は、部下の仕事を全部わかっていなければいけない。全部わかって、手を突っ込んで、頭を突っ込んで、調整をする、その義務がある。「そこの部分は私の仕事ではない、その担当職員の仕事」などとは、絶対言ってはならない。
みんながみんなの仕事に関係しているのだから、実際に関わってください。
そして、市役所の仕事が悪いとするならば、それは全部私のせいです。
そのような体制を作りましょう。よろしくお願いします。

2010/04/12 (月) ウソ泣き、談合、多数決

「ウソ泣き、談合、多数決」 これが議会の正体だ。「社会の理想」を追求する本物の議論は全くない。

“ウソ泣き”:一方的な質問でしかないものを「議論だ」と言い張っている。どうせ聞いてみるだけだから議員はまったくのバカでも格好がついてしまう。議会は演芸会だ。バカバカしい事に“うそ泣き質問”して点数を稼ごうとする者まで出た。

“談合”:全て多数派議員の談合で決める。汚れたホンネや裏取引などを絶対ひとに聞かせるわけにはいかない。だから市民にも議員にも録音禁止。

“多数決”:多数決というのは談合で決めた事に権威を与える儀式。これで無知な大衆に民主的だと言いわけできる。

こういった仕掛けの議会に物事を決めさせている。
私達は根性の腐った人間を議会に送ってきた。だから彼らのホンネの程度にまで社会は転落し続けている。

2010/04/11 (日) おめでとうございます?



中身の無い判決文を見れば、裁判官は私達を見下しているのが分かる。
結論は一緒でも、もう少しホンネを上手に隠したものの言い方が出来てもよいのではないだろうか。

2010/04/10 (土) 一般市民をバカ扱いする議員と識者たち

議員報酬を下げれば“悪賢い議員は減る”

職員の給料を下げれば“市民の痛みが分かる役所に変わる”

「民間並みの給料では優秀な人間は集まらない」などと、ふざけた事を言う議員と識者たちこそ無能なくせに報酬が高すぎるに違いない。まさか、自分たちも優秀な人材だとでも思っているんじゃないだろうね。厚かましすぎやしませんか?センセイさま
言い過ぎました。身の程知らずで、記者のおだてにのりやすいだけなのでしょう。
記者って、給料高かったりするんだから、低収入のセンセイをバカにしながらの取材だったりして。新聞記者は頭が良い。新聞社への忠誠心もある。体力もあったりする。厚かましさと記者同士の仲間意識もすごい。まったく足りていないのは、最も大切なはずの社会への責任感だけ。

2010/04/09 (金) 小太り男 「もっと税金を自治労のために使う」

 3月14日 市民懇談会の時、最前列に居て「土下座をして謝罪しろ」などとわめき散らし、私が「誰だ」と聞くと「人間」と答え、マイクを向けたら黙り込んでしまった男。
私が、「だまっとれ」と言った相手の事を新聞では“市民”としていた。
この小太り男が夕方のテレビに出ていた。
自治労鹿児島県本部 執行委員長 栄留道夫

阿久根の市民懇談会には鹿児島県内の自治労をあげての動員があったと聞く。動員の手当て3万円も本当なのだろう。
兎に角、カネ目当ての自治労がやることは明白だ。
「もっと税金を自治労のために使う」

2010/04/09 (金) 日本の政治を糾弾する

検察庁の歴史的に根ざす構造的腐敗 から引用http://www.kyudan.com/opinion/kensatsu1.htm

「検察一体の原則」とは 『検事は上から下まで一体であると同時に、検察官は個々独立単独の官庁と言われ、検察事務に関して検察権を行使していくうえ、一人一人の検事が独立して法律上の職務を負わされており、厳正公平、不偏不党の立場を堅持し、その権限を的確に行使する』 と言う事。 そしてその身分は保障されている。
 検察庁は、行政機関としての側面と司法機関としての側面を併せ持った機関だ。 所属する検察官は起訴権をもち自らも法廷に立ち、刑事裁判の判決執行について指揮権を行使し、また法律の専門家として各官庁で様々なポストに就いている。

 検察庁の検事が一体となって権力犯罪、汚職、さまざまな事件の犯人の特定から立件までし、法の番人として、正義と良識の組織として認識され信頼されるためには捜査が悪に達するかどうかにある。
しかし、検察庁はまさに一体となって公金横領を行う巨悪な組織だと言う事が表面化した。

------------中略----------
国会でこの問題を真剣に取り上げ、追及したとすると、法務省の上級官吏、各地の検事正以上全員逮捕ということになり、検察制度そのものが、一時的にしろ、消滅する事になる。 警察官も同様、公金に手を染めていないのは下級の警察官だけで、役職についている者はほぼ全員逮捕されてしまう。
 検察、警察と言う組織は泥棒を捕まえるのではなく、泥棒の集団なのだ。 日本の司法制度はすでに崩壊している。 

----------引用おわり-----------
その2は、
日本の司法界の腐敗構造、検察庁、裁判所によるでっち上げ冤罪事件 - 日本に正義はありません。 役人の犯罪を糾弾すれば逮捕投獄されます。
http://www.kyudan.com/opinion/kensatsu2.htm

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