エピクテトス 『生きる手引き』 (The Enchiridion by Epictetus)

 

はじめに:エピクテトスと『The Enchiridion』について

エピクテトス(Επίκτητος)は、1世紀中頃から2世紀の初めにかけて生きた、古代ギリシアの哲学者です。奴隷階級の母親のもとに生まれ、青年期をローマで奴隷として過ごした後に解放された彼は、89年から95年の間に皇帝ドミティアヌスによってローマから追放され、ギリシア北西部のニコポリスに亡命しました。そこで彼は哲学の学校を開き、これは皇帝ハドリアヌスも訪問するほどの有名な学校になりました。

エピクテトス本人は一冊も著作を残しませんでしたが、彼の教えは弟子達によってまとめられています。『The Enchiridion』はその一つです。

彼の哲学はストア派という流派に分類されます。ここでは専門的な説明を一切省きますが、「ストイックな人」といった表現があるように、ストア哲学は、厳しく、禁欲的な思想によって特徴づけられます。

さて、僕が『The Enchiridion』を翻訳しようと思ったのは、別にストア派の教えを人に説きたいからということではなく、単にこの本が読み物として非常におもしろいからです。厳しい奴隷生活の中、不自由な体で哲学を学び、解放されたかと思ったら国から追放され、その後異国の地で哲学の学校を開くに至った、そんな希有な人生を送った人間の思想が、誰にでもわかるような言葉で、ここには書かれています。個人的には、彼の哲学と哲学者に関する考え方には、とても興味深いものがあると思います。

哲学というと、なんだか難しい言葉で、わけの分からない、どうでもいいようなことを語るものだというイメージを持る人もたくさんいると思いますが、まさにそういう人に、『The Enchiridion』のような著作を知ってもらいたいのです。『The Enchiridion』は職業哲学者を対象に書かれてはいません。どうすればよく生きる事ができるのか、と思い悩むすべての人に向けて書かれています。

したがって、翻訳にあたっては、簡潔さと分かりやすさを第一に考えました。哲学に関してまったく何の知識がなくても、中学卒業程度の読解力があれば、十分に読み進めることができるはずです。重要なのは、ここに掲げられた「生き方」を、あなたがどのように受け止めるか、ということです。

『The Enchiridion』の邦訳は、岩波文庫と中公『世界の名著』シリーズに所収されているようですが、どちらも現在では入手困難です。入手できたとしても、訳そのものは相当古くなっていると思われます。そもそも、『The Enchiridion』というタイトルが、「提要」だとか「綱要」なんていうとても堅苦しい言葉で訳されています。『The Enchiridion』というのは、英語で言えば「handbook」というほどの意味なので、ここでは僕は『生きる手引き』という邦題を考えました。

とにかく、難しい言葉ばかり並んだ訳では、読んでいておもしろくないでしょうし、また内容への実感もわかないでしょう。ここでは、そのような「インテリ」な翻訳とは一線を画するスタイルを選んだつもりです(例えば二人称が「君」なのはこの理由からです)。

僕はギリシャ語が読めないので、底本はパブリックドメインにある英訳ですが、もともと『The Enchiridion』はエピクテトス本人の筆に依るものではないわけで、その教えが弟子達のノートなどを通して歴史を下ってきたことを考えると、この「又訳」も正当化できるかと思います。

それでは、お楽しみ下さい。意見、感想、文章のおかしなところの指摘、訳に関するアドヴァイスなどはメールにて。

エピクテトス 『生きる手引き』

1. 世界には私たちの思い通りになるものと、ならないものがある。思い通りになるのは意見、目標、願望、反感、つまり、一言でいえば、私たち自身の行動である。思い通りにならないのは体、資産、名声、指揮権、つまり、一言でいえば、私たち自身の行動ではないものである。

私たちの思い通りになるものは本来は自由で、制限されたり邪魔されたりすることはない。対して、私たちの思い通りにならないものは弱く、下劣で、他人のものであり、制限されている。ならば、もしも君が、もともと下劣なものが実は自由であると思い込んだり、他人のものを自分のものと思い込んだりするなら、君は自分が邪魔されたように感じるだろうことを、覚えておきなさい。君は嘆き、心は乱れ、人と神々の両方に対して文句を言うだろう。けれど、もしも君が、本当に自分のものだけを自分のものとして、他人のものはそのまま他人のものにしておくことができるなら、誰かが君に何かを無理強いしたり、君を制限したりすることはなくなるだろう。それに君は、文句を言ったり、人を責めたりすることもなくなる。自分の意志に反して行動する必要もなくなる。誰も君に害を与えることはなく、敵はいなくなり、傷つくこともなくなる。

このような偉大なゴールを目指すために、君は、他のどうでもいい物事にほんの少しでも心を動かされてはならないことを、覚えておきなさい。やめるべきことはきっぱりとやめ、他のことは後回しにしなくてはならない。この偉大なゴールを目指しながら、同時に権力や財産も手に入れたいと望むなら、君は二兎のウサギを追っているのと同じで、どちらも手に入れることができないだろう。とにかくそんなやり方では、幸せと自由とを獲得する唯一の場所であるこれら偉大な物事を手に入れることは、決してできない。

辛いことやイライラする出来事があったとき、それに対して次のように言えるように努力しなさい。「お前はただの“見かけ”であって、絶対的に本当のものではない!」そしてそれを、君がこの『手引き』から学んだルールに照らし合わせてみなさい。何よりまず第一に、それが君の思い通りになることに関わっているのか、それとも君の思い通りにはならないことに関わっているのか、を考えること。そして、もしもそれに関して君の思い通りになることがなにもなかったなら、それは君にとってまったくなんでもないことだ、と言えるようにしなさい。

底本

Epictetus. The Enchiridion. Elizabeth Carter, trans. Online. The Internet Classics Archive. Daniel C. Stevenson, ed. 2000 <http://classics.mit.edu/Epictetus/epicench.html>.


目次

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*1:なぜなら、マグカップというのは、一般に、壊れてしまうかもしれないものだから。

*2:なぜなら、人間というものは、一般に、死んでしまうものだから。

2. 君は、君が望むものはなんでも手に入るし、避けたいと思うことはなんでも避けることができる、ということを覚えておきなさい。ただ、望むものが手に入らないと人はがっかりし、避けたいと思うことが起こると人は不快になる。それならば、もし君が、君の思い通りになるものである、君という人間の自然な機能に反する物事だけを避けたいと思うようにすれば、それらが君に起こることはなくなるだろう。でももし君が病気や死や貧困を避けたいと思うなら、惨めな結果が君を待っている。だから、君の思い通りにならないことを避けたいと思うのをやめて、君の思い通りになる物事にもともと反しているものにその忌避の気持ちを移しなさい。ただ、特に今は、あらゆる願望を抑えなさい。なぜなら、もし君が君の思い通りにならない物事を望むなら、君は必ずがっかりすることになるのだから。それに、本当に願望の対象になるべきものは、君はまだ一つも持っていない。何かを追いかけるにしても、避けるにしても、それにふさわしい行動をとりなさい。それらの行動も、控えめに、穏やかに、注意深くすること。

3. 君を喜ばせるもの、便利なもの、君が愛するもの、これらのものが一般にはどんなものなのか、自分に言い聞かせて、忘れないようにしなさい。それほど大事じゃないものからはじめるといい。例えば、特別にお気に入りのマグカップがあったとしたら、君の気に入っているのは、単にマグカップ一般である、ということを忘れないようにしなさい。そうすれば、もしそれが壊れたとしても、君の心が乱されることはないだろう1。君の子どもや、奥さんにキスする時にも、君がキスしているのは普通の人間なのだ、と自分に言い聞かせなさい。そうすれば、子どもか奥さんかが死んでしまった時も、 君の心が乱されることはないだろう

4. 何か行動を起こそうとする時は、それが一体どんな行動なのか、よく考えるようにしなさい。お風呂屋さんに行くなら、その前にお風呂屋さんで普通に起こるだろうことを思い浮かべて見なさい。お湯を飛び散らす人はいるし、誰かが君を押すかもしれない。汚い言葉を使う人もいれば、泥棒もいる。そして、次のようなことを自分に言い聞かせれば、君は実際の行動をより安全に起こすことができるだろう。「私は今からお風呂屋さんにいくのだ、そして私はそこで、私の心を自然に順応した状態に保つ。」なぜならこうすれば、何か嫌なことが起こったとしても、君は次のように言う準備ができているから。「お風呂に入ることだけを望んだんじゃない、私は、私の心を自然に順応した状態に保つことを望んだのだ。だから、何か嫌なことが起こっても、わたしはこの状態を保つ。」

5. 人の心を乱すのは、物事ではなくて、人が物事に関して持っている信条や考えである。例えば死は本当は恐るべきものじゃない(もしそうだったならソクラテスにもそう見えたはずだ3)。実際は恐怖というものは、私たちが持っている「死とは恐ろしいものだ」という考えの中にある。だから、邪魔されたり、イライラしたり、悲しいことがあった時は、決して他人のせいにせず、自分自身に目を向けよう。つまり、責めるべきなのは自分が持っている信条である。訓練をはじめたばかりのうちは、自分を責めてしまいがちだ。訓練を完璧にマスタした人は、他人を責めることも、自分を責めることもない。

6. 自分のものでない長所にうぬぼれないようにしなさい。馬が思い上がって「私はハンサムな馬だ」と言うのは構わない。しかし、君が思い上がって「私はハンサムな馬を所有している」と言うなら、君がうぬぼれているのは馬の長所でしかないことを知りなさい。本当に君自身のものは、一体なんだ? 君自身の出来事に対する反応だけだ。だから、君が、出来事に反応するとき、心を自然に順応した状態に保つように振る舞えば、君のうぬぼれは正当な誇りに変わるだろう。そのとき君は、本当に君自身のものに関して誇りを持っているのだから。

7. 船旅の途中、港に停泊した時のことを考えてみなさい。ちょっと水を飲みに港町に降りただけでも、君は貝を拾ったり、市場でタマネギをみつくろったりするかもしれない。それでも、船長の出発の合図を聞き逃さないように、船のことを考えるのをやめたり、注意をそらしたりしてはいけない。合図があれば、すぐさま港にあるものをすべて置いて船に戻らなくてはいけない。さもないと、君は羊のように首と足を縄で結ばれて、船の中に放り込まれておかれることになる。生きることも、これと同じようなことだ。貝やタマネギのかわりに、奥さんと子どもとを授かったとしよう。それはそれでいい。けれど船長の合図があれば、すぐに彼らを港に残し、後ろを振り返らずに船に駆け戻らなくてはいけない。そして君が年をとったら、決して船から遠く離れないようにしなさい。そうしないと、出発の合図があった時、間に合わなくなるかもしれないから。

8. 君の願い通りに事が運ぶことを求めるな。むしろ、物事が起こるがままに起こるように願いなさい。そうすれば、君はうまくやれる。

9. 病気は体の働きを妨げるけども、君がそう選ぶのでなければ、君の判断能力を妨げるものではない。足が不自由になったとしても、それは君の判断能力を妨げるものではない。君に起こるすべてのことに関してこのように言えるようにすれば、こういった障害は、君自身ではなくて、何か他のものを妨げるものに過ぎないことが分かるだろう。

10. 予期しない出来事が起こる度に、それを適切に処理するためのどんな能力が君に備わっているか考えなさい。魅力的な人に出会った時には、自制心が君の欲望に対抗する力となるだろう。どこかが痛む度に忍耐力が鍛えられ、また不快な言葉を聞く度に君は我慢強くなる。このように自分を習慣づければ、物事の見かけに簡単に振り回されることはなくなるだろう。

11. 何事に関しても、「失ってしまった」とは決して言わないようにしなさい。ただ、それを「もとある場所に返したのだ」と言いなさい。君の子どもが死んでしまったって? もとの場所に返ったのだ。君の奥さんが死んでしまったって? もとの場所に返ったのだ。誰かに土地を取られてしまったって? それだって同じように、もとの場所に返ったのだ。「でも、土地を奪っていったのは悪者です!」だって? 土地を最初に与えた人が誰にそれを与えようと、君に一体何の関係があるんだい? 彼が君にそれを与えたなら、受け取って面倒を見なさい。ただ、旅行者がホテルを自分のものだとは思わないように、それが君のものだと勘違いしないようにすること。

12. 自分を向上させたいなら、次のような考え方を棄てなさい。「仕事をしなければ、収入がなくなってしまう。厳しくしつけをしなければ、召使いは悪いことをする…。」なぜなら、空腹で死んで、悲しみや恐怖から解放されるほうが、お金持ちになって不安にさらされながら生きるよりましなのだから。それに、君が不幸になるくらいなら、召使いが悪人であるほうがましなのだから。

だから、小さな物事から始めなさい。油をこぼしてしまったって? ワインが盗まれたって? 自分自身にこう言い聞かせなさい。「これが無関心でいること、平穏であることの値段なのだ。なにも失わずに、何かを手に入れることはできない。」召使いを呼びつけたって、来ないかもしれない。来たって、君の言うことを聞くとは限らない。ただ、召使いなんてものは、君の心をほんの少しも乱せるような重要なものでは決してないはずだ。

13. 自分を向上させたいなら、表から見える物事に関しては、他人に君がバカでアホな奴だと思われる事に満足しなさい。何かを知っているように思われたいなんて、決して望むな。そして万が一君が誰かにとって大切な人物であるように思われたとしても、自分を信頼してはいけない。なぜなら、君の判断力を自然に順応する状態に保ちながら、なおそういった外的なものを手に入れるのは難しいから。もし君が片方を気にかけるならば、必然的にもう片方は無視しなくてはいけない。

14. 君の子ども、奥さん、そして友達が、いつまでも健康でありますように、と君が願うなら、君はどアホだ。なぜなら君は、君の思い通りにならないものを思い通りにしようとし、何か他の人のものを自分のものにしようとしているのだから。同じように、もしも君が、君の召使いに完璧さを求めるなら、君は大バカだ。君は悪を悪と認めず、何か他のものだと思い込んでいる。でも、無理なことを望んでがっかりしたくないと願うなら、そのように願望をコントロールすることは君の思い通りになることだ。だから、君の思い通りなることを行使しなさい。何かが欲しいとか、何かを避けたいという願望を自分の思うままに許したり、取り除いたりできる人は、すべての他人の支配者でもある。自由になりたいと願う人には、他人次第である物事に関して、なにも求めさせず、またなにも拒ませるな。そうしなければ、彼は必然的に奴隷のままであるだろう。

15. 人生の中で、君は、ディナパーティの参加者のように振る舞わなくてはいけないことを覚えておきなさい。何か食べ物が君のところへ運ばれてきたって? 手をのばして、節度をもって自分の分をいただきなさい。お皿が君を通り過ぎて行ってしまった? それを止めることをしてはいけない。なかなか料理が来ない? 欲深く周りを見回すのはやめて、来るのを待ちなさい。これらのことを、子どもや奥さん、仕事、それから富に関する事柄に対してするようにしなさい。そうすれば、最後には君は神々のパーティにふさわしいゲストになっているだろう。そして、もしも君が、前に回ってきた料理に手をのばすことも我慢し、それを断ることさえもできるなら、君は、神々のパーティのゲストどころか、神々の帝国におけるパートナになるだろう。実際、ディオゲネス4やヘラクレイトス5をはじめとする人達は、このようにして神性を手に入れ、そのように呼ばれたのだから。

17. 君は自分が、劇作家が好きなようにつくるドラマの中の、一人の役者であることを忘れないようにしなさい。短ければ、短いもの。長ければ、長いもの。もしも作家が君に貧乏人、身体障害者、政治家、あるいは私人の役を与えることを望んだなら、君はその役を自然に演じるように心がけなさい。君の仕事は、与えられた役を上手に演じることなのだから。役を選ぶのは、誰か他の人のすることだ。

20. 君を侮辱するのは、不適切なことを言う人や君を殴る人ではなくて、これらのことを侮辱的だと考える信条なのだということを、よく覚えておきなさい。だから、誰かにイライラさせられたと思う時は、本当は、君は君自身の考え方によってイライラさせられているのだ。だから、まずはじめに、物事の見かけに簡単に振り回されないようにしなさい。時間をおいて、冷静になれば、より簡単に自分をコントロールすることができるのだから。

21. 死や島流し、その他諸々、とんでもなく恐ろしいと君が感じる物事を、毎日目の前に思い浮かべるようにしなさい。この中でも死を特に。そうすれば、そのうちに、惨めな考えに悩まされることもなくなり、むやみに何かを求めることもなくなるだろう。

22. もしも君が心から哲学を志したいと願うなら、一番初めから、人々に笑われ、軽蔑されるのを覚悟しておきなさい。君は、皆が君を見て、「なんだアイツ、ちょっと見ないうちに哲学者気取りの面をして帰って来た!」「なんだあのクソ偉そうな表情は!」などと言うのを聞くだろう。さて、君としては、もちろん“ クソ偉そうな表情”をするのはやめなさい。ただ、神様に一つの使命を与えられた人のように、君にとって最良だと思われる物事をしっかりとつかんで離さないようにしなさい。首尾一貫してずっと同じことを続けていれば、初めは君をバカにしていたまさにその人達が、君に敬服して、君をほめるようになるだろうことを忘れてはいけない。しかし、彼らの嘲笑に屈してしまえば、君は二倍の笑い者になるだろう。

23. 一度たりとも表面的な物事に注意がいってしまい、それで誰かを喜ばせたいなどと願ったなら、言っておくけれども、君はそこで自分の人生の計画をぶち壊してしまっているのだ。だから、哲学者であるということのすべてに満足するようにしなさい。誰かにこう思われたい、と願うなら、自分自身にそう思われるようにしなさい。君にはそれで十分なはずだ。

26. 自然の意志というものは、私たちが区別をしない物事から学ぶことができる。例えば、ご近所さんの子どもが大事なカップを壊してしまった時は、私たちはそれを聞いた時、「そういうこともあるだろう」と言うことができる。ならば、君は、君のカップが壊れてしまった時、他人のカップが壊れたときとまったく同じような気持ちでいなければならないことを、確信しなさい。段々と、この考え方をより重要なものに応用しなさい。誰かの子どもや奥さんが亡くなったって? これに対して、「人の命とはそういうものだ」と言えない人はいないだろう。それなのに、誰かがその人の子どもや奥さんを亡くしたなら、その人はすぐに「なんてことだ! なんという惨めな私!」と言う。しかし私たちは、このような出来事に対して、同じ事が他人に起こった時とまったく同じ気持ちでいなければいけない、ということを忘れてはいけない。

27. 的を外すために立てられる目印なんてものがないように、悪の本質などというものは世界には存在しない。

30. 義務というものは例外なく関係によって測られるものである。誰かが父親なら、その人の子どもたちは彼の世話をし、何に関しても彼に従い、彼の小言や叱責を我慢強く聞かなくてはいけない、ということだ。「でもこの人は悪い父親です!」だって? 君は「良い父親」のもとに生まれてくる権利をもとから持っていたのか? いや、ただ単に「父親」のもとに生まれてくる、ということだけだ。君の兄弟が不誠実だって? ふん、それならば、彼に関する君自身の立場を保つようにしなさい。君が気にかけるべきなのは、彼が何をするかではなく、君自身の判断の仕方を自然に順応する状態に保つことだ。だから、このようなやりかたでいくつかの関係を考えていけば、ご近所さん、市民、将軍、といった概念から、これらの役割に相当する義務が何なのか見いだすことができるだろう。

35. そうしなければならない、とはっきりと判断した上で行動する時は、たとえ人がそれに関して間違った考えを持つかもしれないとしても、その行動が人に見られることを決して構うな。間違った行為をしてしまったなら、その行為そのものを避ければいい。でも、正しい行為をしているなら、なぜ、誤って君を非難するような人を恐れるのか?

37. 自分の手に負えないようなキャラをつくってしまったら、君はそのキャラをうまくこなすことはできないし、君の力に相応だったはずのキャラを、君はもう棄ててしまったのだ。

38. 君は、歩く時は、落ちているものを踏んづけたり、足をひねったりしないように注意するだろう。それと同様に、君の精神をコントロールする力に害が与えられないように気をつけなさい。そして、何をするにもこのように注意を払っていれば、私たちはどんな行動もより安全にすることができるはずだ。

42. 誰かが君を傷つけたり、君を誹謗中傷したりするのは、そうする事が義務だとその人が考えているからだということを、君は覚えておきなさい。さて、その人が、君にとって正しいと思われるものではなく、彼にとって正しいと思われることに従うというのは、十分有り得ることだ。だから、もしその人が物事に関する間違った印象から判断しているなら、本当に害を被っているのは君ではなくて彼だ。なぜなら、彼こそが見かけにだまされている人なのだから。もし誰かが、本当は正しい事を嘘だと信じたなら、害を被っているのはその正しい事そのものではなくて、それに関して誤った考えを持っている人の方だ。これらのことを頭にとどめておけば、君をののしる人を、君はおとなしく我慢することができるだろう。何があっても、君は、「彼にはそう思えたのだろう」と言えるようになっているのだから。

44. 次のような物言いは、理論的につながっていない。「私は君よりお金持ちだ。だから私は君より優れている。」「私は君より雄弁だ。だから私は君より優れている。」理論的に言うなら、むしろこういうべきだ。「私は君よりお金持ちだ。だから私は君より多くの資産を持っている。」「私は君より雄弁だ。だから私の話術は君より優れている。」しかし、究極的には、君は資産でもなければ、話術でもないじゃないか。

45. カラスの行水ほどにしかお風呂に入らない人がいるって? でも、彼の入浴の仕方は不適切である、とは言ってはいけない。ただ、彼はカラスの行水ほどにしかお風呂に入らない、と言いなさい。大量にワインを飲む人がいるって? でも、彼の飲み方は不適切である、とは言ってはいけない。ただ、彼は大量にワインを飲む、と言いなさい。その人達がどのような信条をもって行動しているのか完璧に理解しているわけでもないのに、どうして彼らが“不適切な”行動をしているなんて君に言えるのか? このようにすれば、君が完璧に把握できる出来事以外の事にあれこれ口を出すことの危険は避けられる。

46. 君は、自分のことを哲学者と呼んではいけない。また、いろいろな理論について学のない人にだらだら話すのもいけない。相手に相応の行動をしなさい。だから、宴会の席では、料理をどのように食べるべきか他の人にぐだぐだ説教してはいけない。ただ君が自分で正しい食べ方をすればいい。ソクラテスはこのようにして、どんな時でも、自分の知識や能力を誇示することを避けたということを覚えておきなさい。誰かがソクラテスのところにやってきて、哲学者に弟子入りするので推薦してほしいと頼むと、ソクラテスは彼以外の哲学者のところにその人を連れて行って、推薦したのだ。これほどまでに、彼は自分が見過ごされることに耐えることができた。だから、もし、万が一、学のない人達の間で、話題が哲学の理論に関することになっても、大体においては、君は黙っていなさい。まだ消化しきれていない事柄をすぐに繰り出すのはとても危険なのだから。そうして、誰かに「お前はホントに何にも知らないな」と言われてもイラっとこないようになったら、君は哲学者としての一歩を踏み出したと確信していい。羊達は、彼らがどれだけ食べたかを羊飼いに見せるために、牧草を吐き出したりしない。彼らは体内で食べたものを消化して、体外に向けて毛糸とミルクをつくるのだ。だから、このように、いろいろな理論を学のない人に見せびらかすのではなく、それらを消化した後で、それらに裏打ちされた行為を示すようにしなさい。

52. いかなる時にも、私たちは次の格言を座右の銘としなければならない。

私を導きたまえ、ユピテル、ああ、そして運命よ、
あなたがたの天命が、私の定めをどこに置こうとも。
(クレアンテス)

私は喜んで従う、もしそうでなくとも、
たとえ惨めでも、哀れでも、とにかく従わなくてはなけない
運命に適切に身を任せる者、彼こそが
天の法を知る、知恵ある者なのだ。
(エウリピデス、『断片』965)

そして三つ目はこれ。

ああクリトン、それがもし神々の意にかなうなら、そのようにせよ。アニュトスとメレトスは確かに私を殺すかもしれない、しかし、彼らに私を傷つけることは、決してできない。
(プラトン、『クリトン』および『ソクラテスの弁明』)

*3:ソクラテスは、『弁明』のなかで、我々は死後何が起こるかについてなにも知らないのだから、死を恐れる必要はない、と言った。

*4:古代ギリシアの哲学者。禁欲・自足・無恥を信条とし、樽に住む(!)という極端に簡素な生活を送った。

*5:古代ギリシアの哲学者。万物の根源を「火」とし、生々流転が世界の実相であるとした。「同じ河に二度入ることはできない」という文句で有名。