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「カチンの森事件」歴史的和解の兆し ポーランド兵大量虐殺 (1/3ページ)

2010.4.3 19:10
4400人のポーランド兵が眠る記念館の慰霊碑(佐藤貴生撮影)4400人のポーランド兵が眠る記念館の慰霊碑(佐藤貴生撮影)

 ソ連が2万人以上のポーランド人捕虜を虐殺した「カチンの森事件」から70年となる今年、後継国ロシアとポーランドの間で歴史的和解に向かう動きが出ている。ロシアのプーチン首相はポーランドのトゥスク首相を7日の追悼式典に招き、「スターリンの犯罪」に言及する見通しだ。しかし、事件の全容は今もって解明されておらず、当時のことを聞き知る現場周辺の住民も、過去を封印するかのように口を閉ざしていた。(ロシア西部スモレンスク州グネズドボ村 佐藤貴生)

死の穴

 ベラルーシとの国境にほど近いスモレンスク市街から約20キロ。カチンの森は周囲に人家もない街道沿いにあった。森の外れに追悼記念館ができたのは2000年で、4400人以上が眠るポーランド兵の墓地には1人ひとりの名前や生年月日などが刻まれたプレートが延々と並び、赤くさび付いていた。

 記念館のガリーナ・アンドリエンコワ副館長(50)は、「主に3つの収容所に入れられた捕虜たちはほぼ同時期に銃殺された。内務人民委員部(NKVD)は遺体を埋める大きな穴を前もって用意し、周到に計画していた」と話す。

このニュースの写真

4400人のポーランド兵が眠る記念館の慰霊碑(佐藤貴生撮影)
銃殺されたポーランド兵の食器や水筒、ナイフなどの遺品(佐藤貴生撮影)
埋葬場所を記した地図を示す記念館のグリゴリエフ館長(佐藤貴生撮影)
銃殺されたポーランド兵の名前が刻まれたプレート(佐藤貴生撮影)
スターリン時代、粛清や強制移住の対象者はこうした貨車でシベリアなどに送られたという(佐藤貴生撮影)
記念館のアンドリエンコワ副館長(佐藤貴生撮影)

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