「人はね、嬉しい時も泣くんだよ?」

おめでとう、綾波。一段ずつ階段を上るように心を取り戻して行こうね。

うん、うんうんうん、と彼女にしては大きく、頷きながら。

心地よい涙を流した。

 

  

 

 

 


 

シンジのススメ

第六話

 


 

  

 

第三新東京市の郊外、旧国道1号線を旧芦ノ湖スカイラインに入る道を過ぎ、しばらく行ったところを右折し進んでいく。昼の陽射しが木立ちの隙間から漏れ、路面に複雑な模様を描いている。

イギリス製の旧車、バンデンプラ・プリンセス1300MK-II 1973年式。

ロンドンではホテルに入ればドアマンが駆けつけてくる、ショーファードリブンのミニマムリムジンとして知られている。

「走行中に感じる(聞こえる、ではない)のはバルブの動きだけ」と言われるその遮音性の高さと言い、リツコらしい選択である。

 

運転は赤木リツコ、後部座席にシンジと並んでレイが座っている。

「芦ノ湖高原別荘地・・・ですか?」

道路脇の案内看板を見て、声をかけるシンジ。

「そこにまでは行かないわ。と言っても数百mくらいしか離れてないけれど」

リツコ宅への転居。

リツコの帰宅する時間の取れないこともあり、結局レイの退院まで伸び伸びになってしまっていた。

 

 

 

 

 

「・・・でかい・・・」

「ええ、セカンドインパクト前まではゴルフ場のクラブハウスだったところを買いとって改装したの。荷物はもう各自の部屋に収めてあるはずだから。はい、これ貴方達の部屋のカードキー。この家の物も兼ねてるから無くさないでね?」

「はい」

「・・・わかりました」

「さ、我が家に帰宅と参りましょうか」

 

 

 

 

 

「広い・・・」

たしかに広い。中学生が貰う部屋にしてはかなり、いや凄く広い。

「30畳位あるかな・・・」

クラブハウスを改装した部屋の為、天井も高い。

持って来たただでさえ少ない荷物が余計に少なく見える。

「取り合えず・・・」

大型学生鞄から強化外骨格「壱」を出して手入れをする。

鍛錬はサボっていないが、少し気の緩みは有るかもしれない。

手入れを終えた「壱」を前に、結跏趺座し座禅を行なう。

夕飯にレイが呼びに来るまで続けるのであった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

心が揺れる。

穏やかに

しかし確実に

硬く閉ざされていた扉が

酷く縺れていた糸が

開かれていく

解かれていく

「碇君・・・」

碇君がいる。

同じ屋根の下。

碇君がいる。

窓から流れ込む風も、風に呼ばれて出たベランダからの景色も。

心に響く。

心が感じる。

 

いのち

 

こころ

 

大事に、したい。

 

もう

 

無に帰る

 

なんて望まなくて

 

良いのかもしれない。

 

 

 

 

 

「碇君・・・」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「さて、と」

 

『初日くらいは腕を振るうわ』

 

ここに来る途中で寄ったスーパーで買ってきた食材を前に、力が入る。

「美味しいって言ってくれるかしら・・・」

実際、料理は不得手ではない。

ただ、親友曰く

「なーんか理科の実験してるみたいに見えるのヨねぇ」

別段調味料をメスシリンダーで計ったり、ビーカーで湯を沸かしてる訳でもないのに、そんな風に言われたのである。

誰も美味しいと言ってくれた事が無い、と言うのもあるのだろうが。

母は、家で食事をとることなど無かったし、ミサトは何故か味に関しては批評しなかった。

 

「だってぇ、私ほどじゃないにしても美人でぇ、頭が良くて、その上料理まで出来るなんて自覚されたら私の立つ瀬が無いじゃない」

とは前出の親友殿の談。ホントに親友か?

 

ゲンドウに至っては、

 

「問題ない」

 

これである。

リツコが料理の腕に今ひとつ自信が持てない訳である。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、レイ?シンジ君呼んできてくれるかしら?もうすぐ夕飯にするわよって」

こくり、と頷きシンジの部屋へ向かう。

 

 

 

コンコン

「碇君、赤木博士が・・・」

と、扉を開けたとたん言葉が詰まる。

(なに?)

シンジが床に腰を降ろしている。

両足を組んで、黒い鎧の前で目を瞑っている。

声が出せない。

「壱」から発する気配に押されて喉が締めつけられる。

それの目の前に座るシンジは何とも無いのだろうか。

フッと圧力が消える。

 

「あ、綾波。どうしたの?」

「赤木博士が、お食事って・・・」

連絡事項を伝え終えたのだがそこから離れがたい。

視線は「壱」へ向けつつシンジに、聞く。

「これ・・・は、誰?」

シンジが驚く。これは何?ではなく誰?と聞いたのだ。レイは。

「綾波・・・わかるの?」

 こくり、と頷く。

「初号機と似た感じがするもの・・・」

 

 

 

そう、強化外骨格には人の魂魄が宿っている。

その数およそ3000。

 

 

 

「初号機・・・そっか。」

初号機に誰かが宿っているのは感じた。宿っているのはおそらくは・・・

「綾波は初号機に誰かの魂が宿っているって感じてたんだ。」

「いえ、知っているの」

様々な実験に携わって来たのだ。

ネルフの裏も表も知っている。

彼女から機密が洩れる訳が無い、とゲンドウも冬月も誰憚る事無く第一級の機密を口にするのだから。

そんな具合だから過去の実験の失敗や抹消されている記録、つい口に出してしまった事柄なども全て頭に入っている。

「初号機の中にいるのは貴方の…」

そこまで言ったところで、呼びに行ったにしてはあまりに遅いと様子を見に来たリツコが見咎める。

「レイ!」

「っ!赤木博士・・・」

 

 

 

 

レイを別室にやり、シンジと二人きり。

「そう・・・わかっていたの・・・」

シンジにエヴァの中にいるのが母だと告げた。

「誰かいるなと言うのは乗ってすぐ気が付きました。・・・僕のアレにも人の魂が宿っていますから」

「壱」に、つい、と目をやり、リツコを促す。

「エヴァの場合、そんな比喩じゃなくて本当に入っているのよ。取り込まれてね?」

「比喩じゃありません。強化外骨格を開発した際に、その被検体にされた数は最初の試作品でその数三千。他にも幾つか造られたと聞きましたが正確な数はわかりません。」

「・・・エヴァのようなコアがあるというの?」

まだ半信半疑のリツコ。

聞けば第2次大戦中の関東軍(中国大陸に攻め入っていた日本陸軍)が開発した戦闘服だと言う。

そのような前世紀の遺物にエヴァと同質の技術が用いられているはずが無い。

そう思う。

「この「壱」は、その試作「零」と対を成すものに成る筈でした。」

「でした?そうは成らなかったと?」

「ええ。「零」の成功を受けて、「壱」にも同じように被検体を取りこませる予定でした。」

すっ、と「壱」の方に近寄り胸の留め金を外す。

「「零」が成功を収めたので試作は打切られ、制式の配備を優先されて・・・」

「その「壱」は抜け殻のまま放置されていた、と言うことね?」

「そうです。その後すぐ終戦となり、被検体に何千人も集めることが不可能となりそのまま忘れられていました」

 「壱」の胸を開き中を見せる。てらてらと粘膜が光を反射する。

「ですが、15年前」

リツコの黒い眉がぴくりと動く。

「セカンドインパクトが起こり、大勢の方が亡くなりました。その後に起こった内戦や、暴動でも・・・」

「壱」が、震えはじめた。唸る様に。

「そのとき亡くなられた方々の魂が」

閃光

「コレに宿ったんです。」

「はぅっ」

「壱」から凄まじい“気配”を感じる。動けない。

(なに?見えないけど、なにか、いる、の?)

「リツコさんには見えない様ですが・・・わかって貰えると・・・」

ごめんね、休んでいて。と「壱」に呟く、と同時に重圧も消える。

「・・・信じるわ。(この“感じ”・・・エヴァと似てる・・・)」

「それで初号機なんですが、母さんはあの中で死んだんですね?」

いいえ、と

「亡くなられた訳ではないわ。取り込まれているの。サルベージは過去に試みられたけど全て失敗。実験時の反応から、確かに“死んで無い”のは確認できているわ」

考え込むシンジ。

ややあって、

「サルベージ、というとエヴァのコアから魂を取り出す訳ですよね」

頷き肯定、先を促す。

「・・・ミックスジュースからバナナだけを取り出せ、と言うようなものですよね。出来るんですか?」

「面白いたとえね。でもどちらかというと、油に混じった水をより分ける感じね。人の魂とエヴァの魂は混じることは無いから。」

エヴァは使徒のコピーだから、と言う言葉は飲み込み、続ける。

「油から水を選り分けてその姿形をイメージさせる。それがサルベージの基本概念ね。」

でも、と

「母さんは、戻って来れなかった。・・・いや、戻ってきたくなかった。そうですね?」

「ええ、私はそう思っているわ。報告書ではサルベージ計画に不備が有ったとなっているけどね。私が見る限り、失敗する要素は無かったわ。私の母さんが陣頭指揮を取ったから贔屓目で見てる、って言うのは無しね?そう言うことに関する事柄では親も子も無いの。外的な要因ではなく、内部。サルベージされるべき魂が戻ることを否定したのよ。」

「外からじゃダメ・・・か」

「・・・シンジ君?いったい・・・」

思案にふけるシンジの横顔を、訝しげに見やるリツコであった。

 

 

第六話  了

 

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