TADANORI YOKOO & BOHEMIANS NEW ITEMS 2010年7月13日(火) 〜 2010年9月12日(日) 「横尾忠則全ポスター展」の為のオリジナルTシャツは制作販売をしない事になりました。 |
4月9日
とうとう本格的な闘病生活に入ってしまった。風邪が喘息を誘発すると、大雨で地崩れを起したようなものだ。咽の奥では嵐が電線をヒューヒュー唸らせているような不穏な音を立てている。なんだか谷内六郎の絵みたい。
○本日の寄贈本
理論社より「世界のシェリー」平沼正弘著
三輪書店より「世界を魅了するチベット」石原裕美子著
昨夜、夜中に目が覚めた。4月9日だったが、2.3時間前は8日だ。4月8日は父の命日だ。寝る前にぜんぜいを食べた。いつもなら全部食べるのになぜか半分残した。きっとぜんざいが好物だった父が半分食べたかったのかも知れないと思った。
何もしない日を作りたいと思ってもなかなかできない。だけど風邪で寝込むと何もする気がしない。何もしない理由ができるから、別に怠けているという罪の意識もない。
4月8日
風邪のため、午前中病院へ。昨日は点滴を受けたが、今日はレントゲン撮影。しばらく様子を見ようということになりました。風邪以来一日中体温のグラフを作って書き込んでいるが、これがまた結構楽しいのだ。創作体力温存のため、ここ2、3日はツイッターで遊んでいます。活動は週末後半になりそうです。
病院に行くのは面倒ですが、自分の体のことが理解できるのはいいが、チェックを要する個所は心配ですが、知らないより知った方が早目に治療ができるので、怖がらないで行くようにしています。右の肺に少し変化があるので近いうちにCTを撮ることにしています。
4月7日
○本日の寄贈本
光文社新書より「ウォーホールの芸術」宮下規久朗著
左時枝さんより「私の物語」谷口桂/左時枝共著
風邪が凄くなってきた。午前中病院で点滴を打つ。明日も行こう。とにかく風邪の破壊力は芸術の破壊力に匹敵する。本日の朝日新聞の書評委員会は欠席です。
4月6日
今年は風邪のため外出ができず花見ができなかった。ベッドの中から庭の桜を眺めている。桜の枝の間から見える青空は格別にきれいだ。マチスは樹の枝を描くと同時に枝と枝の間にできる空間の造形を考慮した。これはひとつの物の見方だ。
病気の時の時間は世の中の時間と完全に切り離されている。病気の時間は水たまりのように沈んだ状態だ。その周囲を外の時間がぐるぐる駆け巡っている。この感覚は子供の頃熱を出して寝込んでいたあの孤独で淋しいまだ地上にそんなに慣れてない時の気持ちの再現だ。
ブログは今まで通り継続しますが、ツイッターは毎時つぶやきをたれ流しています。だから量的にはブログより項目は多いです。ツイッターの方へのホローして見て下さい。
4月5日
この間、兵庫県立美術館で見た神戸市立青陽東養護学校の生徒の「ひまわり」(ゴッホ)と「金魚」(マチス?)。神戸市立美賀台小学校の生徒の「泣く女」(ピカソ)が送られてきたので紹介します。
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風邪は熱も下がりほぼ治ったかに見えるが、今度は風邪薬が喘息を誘導して喘息の咳に変わった。風邪薬で熱は下がったのだが、その薬で喘息になるという因果関係を解決する手はないのか。我ながら厄介な体だと思う。
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ぼくの小説が深沢七郎を連想するという意見があるので、深沢小説を3本読んでみた。どこが似ているのかさっぱりわからない。強いていえば難解な表現をとらないということだろうか。それと土着性に共通を見るのかな。
4月4日
風邪を引くといつも長い。日常の進行がガラリと変わって、ベッドの上だったり、中だったりしながら、本を読んだり、メモを取ったり、時には原稿を書いたり、画集をめくりながら、自作を思索したりする。不思議な重さを体に感じながら、生死の間を彷徨するようなシュミレーションを味わってみたりする。病気は虚実の境を取り除いてくれるので、創造しないで創造的感覚を味わえる。麻薬みたいなものだ。
○本日の贈本
藤原書店より、「体の歴史Ⅰ」A.コルバン/J−J・クルティーヌ/G・ヴィガレロ監修
亀岡智さん
わが家の猫の本名は「タマゴ」なんですが愛称はタマです。以前にも書いたのですが、野良猫だったのが、見る見るお腹が大きくなったので子供を産むのかと思って、体の中に卵が入っていると思ってタマゴにしました。結局食べ過ぎで大きくなったみたいでした。
元匿さん
ぼくは先週木曜日までTwitterって何?だったのですが友人のすすめで始めました。ぼくはつぶやくだけですが、ホローしてくれる人が急増しています。ブログより短い言葉を発信しています。そうねえ、ぼくの好きな花はやっぱり赤いバラの花ですね。バラの他に絵にも時々ユリとか桜なども描きますが、、、、、、、。
藤巻一也さん
YMO結成時に細野晴臣さんがYMOにぼくを参加させようとしたのは本当です。記者会見の当日ドタキャンしたためにメンバーにはならなかったんです。
4月3日
土日祝日のツイッターは休むけれどブログは開いた状態なので、ケイタイの人に知らせて下さい。4月に入っても一向に暖かくならない。昨日、無帽のまま外出したので、とうとう風邪を引いた。ちょっとした油断です。でも風邪をひくことで、かえって体が改善される場合もあります。風邪によって体内の滞った気が放出されるからです。こーいう火は暖かくして横になって寝るに限ります。
アトリエの隣に公園というか遊歩道ができてからというもの時々人が通ります。そんな人をアトリエの木陰の間から盗み見をします。誰も見ていないと思っても見えない所から誰かが見ているものです。
ツイッターが開始してからホローがどんどん増えています。どういう原理が働いているのか、ツイッターの新米にはよく分かりません。おまけにブログのアクセスも倍増しているようです。数の原理って本当はよくわからないですよね。
4月2日
○今日の献本
白澤秀樹さん/鈴木完さんより「神の詩・バガヴァッド・ギター」田中嫺玉訳
桜の木をよく眺めていると灰色に見えてきた。桜はピンク色と決めつけているがそれは頭が決めたこと。ぼくの目は灰色と認識した。そして他の風景や事物もよく見ると灰色に見える。というより全ての色に灰色が混色されている、絵具の色を全部同じ量を混ぜ合わせると何色になると思いますか。灰色になります。
春日八郎の歌を聴きながら絵を描いている。その春日八郎が「カスバの女」を歌っている。今月モロッコに行くが、「カスバの女」でモロッコが出てくる。小さいシンクロニシティである。ところがその「モロッコ」という言葉がスグに出てこなくて、「モナコ」とか「モスクワ」とか「モンゴル」とか「モンテカルロ」とか「モントリオール」とか「モ」のつく土地をいくつか挙げている内にやっと「モロッコ」にたどりつく。昔なら「モロッコ」は地の果てで、なかなか、辿り着かない場所だったかも知れない。
4月1日
石野日都海さん
ブログの日記の他に昨日からツイッターを始めました。ケイタイからブログを見ることもできるようになりました。当然ケイタイからONLINE SHOPも可能です。秋田はもう雪は溶けましたか?
○本日の寄贈本
アイバン・バルタニアンさんより「古←→今(むかしといま) 比べてわかるニッポン美術入門」和田京子著
ハルの嵐、桜が心配。成城の街中は桜の名所。特に東宝撮影所の裏の仙川堤の夜桜はライトアップされて凄絶美。川の底に桜宇宙が見える。そして野川堤。ここは昼がいい。
今日送られてきた「『古←→今(むかしといま) 比べてわかるニッポン美術入門』」にぼくの「腰巻仙」のポスターをサイケデリックと書いているが、サイケデリックという言葉が生まれる以前の作品だ。第一サイケデリックというのはドラッグを服用して、その幻覚をビジョン化したもので、おおよそぼくの作品に関してはこの呼称は間違いである。
昨日からツイッターを始めました。今後徐々につぶやきます。ブログと同様、こちらの方もヨロシク。
飯田高誉さん。大学の先生でインデペンデント・キューレイターが、今日「ツイッター」を勧めてくれた。よく分からないままツイッターに登録した。そして4時間経ったけれど、まだフォローがない。やっと1名がフォローしてきたと思うと、ナーンだ飯田君じゃない。今日はツイッターのためにえらい疲れた。
ツイッターを始めたら、一気に千数人が増え、見ている内にどんどん増えていく、これって何?ツイッターは何?識らべてみると「ペチャクチャしゃべる」ことらしい。ブログも多少そーいうところもあるけれどツイッターではお買物カゴを下げたおばさんみたいに町角のおしゃべりなんだ。
since July 13th, 2008 |