地理的な僻地と心の僻地はイコールではありませんが
今や医者不足ネタは全国どこでも珍しくない関係ですっかりニュースバリューも落ちた感がありますが、そんな中で最近某所界隈でも医療関係者のみならず一般人の間でもちょっとした話題になっているニュースがこちらです。
上小阿仁唯一の医師辞意
1通の辞職願で上小阿仁村が揺れている。村唯一の医療機関「上小阿仁村国保診療所」に勤務する有沢幸子医師(65)が「精神的に疲れた」と先月下旬、突然、退職表明し、61年ぶりの無医村になる可能性が出てきたのだ。関係者は必死の慰留を続けているが「辞職の意思は固い」という。休みは20日に1回という激務に耐え、地域医療を支えてきた有沢医師に何があったのか。(糸井裕哉)
■村の神様
「死に水を取ってもらえた」「こんなに話しやすい先生は初めて」。村を歩くと村民から、有沢医師への感謝の言葉が聞こえて来る。有沢医師は昨年1月の赴任以来、午前8時30分~午後5時15分の定時診療のほか、早朝や夜間の往診も自発的に続けている。
脳梗塞(こうそく)で倒れた母(88)の看病を続ける小林ユミ子さん(66)の元にも、有沢医師は診療時間の合間を縫って連日訪問。今月8日の流動食開始日には3度往診し、「鼻から胃へ液体を落とすのよ」と優しい口調で説明を続けた。
小林さんは「分からないことは丁寧に教えてくれる。有沢先生は私たちの神様なんです」と話す。
斉藤ヒサコさん(70)は昨年3月に他界した義理の母(享年92歳)に対する有沢医師の献身的な診療が忘れられない。
ふりしきる大雪の中、深夜の午前1時でも3時でも容体が悪化すると点滴や酸素ボンベを持って夫と駆け付けてきた。嫌な顔一つせず、「少しでも休んで」と家族をいたわってくれた。
「息を引き取る瞬間まで、『ばぁちゃん、早く元気になれ』と声を掛け続けてくれた。先生が居なくなったら私は生きていけない」と斉藤さんは声を絞り出した。
■心に傷
辞意を表した理由を有沢医師は公にしないが、小林宏晨村長(72)は「言われ無き中傷により、心に傷を負わせてしまったことが最大の原因」と語る。
村幹部らによると、有沢医師は昨秋、診療所向かいの自宅に「急患にすぐに対応できるように」と自費で照明を設置。だが、直後に「税金の無駄使いをしている」と言い掛かりを付けた村民がいたという。
また、昼食を食べに行く時間が無く、診療所内でパンを買った際、「患者を待たせといて買い物か」と冷たい言葉を浴びせられたり、自宅に嫌がらせのビラがまかれたこともあったという。
昨年、有沢医師の完全休診日はわずか18日。土日や祝日も村内を駆け回り、お盆期間も診療を続けた。しかし、盆明けの8月17日を休診にすると「平日なのに休むとは一体何を考えているんだ」と再び批判を受けたという。
診療所の小嶋有逸事務長補佐(60)は「こんなに身を粉にして働く医師は過去に例が無い。無医村になったら村民が困る。自分で自分の首を絞めている」と憤る。
■翻意なるか
村は、有沢医師の負担を軽減するため、土曜日の完全休診制や村の特別養護老人ホームへの往診免除などを申し入れ、交渉を続けているが結果は芳しくない。
村民の中には有沢医師に「辞めないで」と懇願するために受診する人もいる。署名活動の動きもあり、旅館経営の高橋健生さん(62)は「一人でも多くの声を伝えなければ手遅れになってしまう」と話す。
有沢医師は兵庫県出身で、海外や北海道の利尻島などで診療に携わった経験がある。村へは夫と共に移住した。有沢医師は後任が見つかるようにと辞職日を来年3月末にした。だが翻意しなければ、村は2~3か月後に医師募集し、後任探しをしなければならない状況に追い込まれる。
小林村長は「一部の不心得者のために人格も腕も一流の医師を失うのは不本意。医師不足は深刻で、無医村になる公算は限りなく大きい」とため息をつく。
「後任が見つかるようにと辞職日を来年3月末にした」なんてところにまだまだワキの甘さが垣間見えるような記事ですけれども、これ自体は今どきどこにでもあるような話ではありますよね。
何故この小さな村の話がこんな大きな話題になったのかと言えば、この村が無医村になるのは別にこれが初めてでも何でもないという歴史的経緯があるからなのですが、まずは話の最初からということで、ちょうど二年ほど前のこんな記事を紹介してみましょう。
無医村のため力尽くす 秋田・上小阿仁に松沢医師着任(2008年2月7日河北新報)
「無医村」状態だった秋田県上小阿仁村に今月、栃木県の開業医だった松沢俊郎さん(67)が村国保診療所の常勤医として着任した。赴任のきっかけは、新たな勤務地を探していて偶然目にした村の医師募集のホームページ(HP)だったという。松沢さんは「村に縁を感じた。医療を切実に求める地域のため、職責を果たしたい」と意気込んでいる。
診療所は、1人しかいなかった常勤医が5月末に退職した。人口が約3000と県内で最も少ない小さな村に開業医はなく、村の要請で周辺市町の医師3人が非常勤で診察に当たってきた。
内科医の松沢さんは、首都圏の病院に勤務した後、「医師を志した原点である『へき地医療』を担いたい」と、栃木県の農村部で開業。20年間、地域医療を支え続けた。地域の医療事情が改善し、「もっと困っている場所で診療したい」と考えたという。
医師が切実に求められている地域を探すため、7月にインターネットで「へき地」「無医村」をキーワードに検索し、最初に目に留まったのが上小阿仁村だった。村に連絡を入れると、早速、強い誘いを受け、「そんなに喜んでもらえるのなら」と今月1日からの勤務を決めた。
新潟県出身の松沢さんは、東大文学部に進学後、シュバイツァーの著作に感銘を受け、「恵まれない人の役に立つ仕事がしたい」と、1年で東大医学部に入り直した。文学への情熱も冷めず、医師になった後も小説2作を出版した異色の経歴を持つ。
松沢さんは、村の印象について「素直で実直な患者さんが多く、診察しやすい」と語る。患者の方言が理解できず、看護師に「通訳」を求めることも多いが、「この村が、医師として最後の勤務地。人への愛情、興味が尽きない限り、診療を続けたい」と話している。
今いる地域の医療状況が改善したからと、わざわざインターネットで検索してまで僻地、無医村にこだわるというあたりが並の情熱ではありませんが、「この村が、医師として最後の勤務地。人への愛情、興味が尽きない限り、診療を続けたい」とまで言い切る医者など今どきそうはいないということは誰しも理解出来ることだと思います。
これだけの熱心な先生が一年後には早期退職してしまったというのですから驚きますが、わずか一年で「人への愛情、興味が尽き」果ててしまうような経験とはどんなものであったのか、記事には語られていないそちらの方にも非常に興味が湧いてくるところではないでしょうか。
「無医村」回避で住民ひと安心 秋田・上小阿仁(2009年2月18日河北新報)
「無医村」となる危機に陥っていた秋田県上小阿仁村に、京都府の医師有沢幸子さん(63)が村国保診療所の常勤医として赴任することが6日までに内定した。村は昨年5月、いったん無医村状態となり、公募に応じた栃木県の男性医師が同11月から診療所長として勤務。その医師も退職を申し出たため、村は再度、全国から医師を募集していた。
村によると、有沢さんは兵庫県出身。内科と小児科が専門で、北海道利尻島の病院勤務や、タイでの医療支援に従事した経歴を持つ。秋田にゆかりはないが、へき地医療に深い関心があり、夫とともに村内に引っ越して来年1月から診察を始める予定という。
村は、男性医師が本年度内の退職を申し出た3月、村ホームページ(HP)のほか、医療雑誌に広告を出して医師の募集を開始。9月にHPを見た有沢さんから連絡があり、村幹部との面接を経て診療所の常勤医に内定した。
退職を申し出た男性医師も村HPの医師募集ページを見て赴任してきた経緯がある。男性医師の早期退職という「誤算」はあったが、村のインターネットを使った作戦が再び奏功した格好だ。
上小阿仁村の人口は県内最少の約3000で、村内には開業医もなく、診療所の医師確保は深刻な課題となっている。昨年5月に1人しかいなかった常勤医が退職し、無医村状態となった同10月までは、村の要請を受けた周辺市町の医師3人が非常勤で診察していた。
小林宏晨村長は「無医村になる危険性が大いにあった。全国的な医師不足の中、本当に幸運なことだ。できるだけ長く勤務してもらいたい」と、有沢さんの赴任を待ち望んでいる。
この問題は早速Wikipediaの「上小阿仁村」の項でも「無医村問題」として取り上げられていますけれども、実のところこの小さな東北の寒村が話題になったのは今回が初めてのことでもなくて、全く別方面でも少しばかり全国に名前が知られていたという経緯があるのですね。
少し前の話になりますけれども、やはり某所界隈で「奴隷募集?!」「あり得ない!」とちょっとした話題になったのがこちらの画期的企画?だったのです。
求む!限界集落再生の協力隊員…秋田・上小阿仁(2009年10月14日読売新聞)
都会から農業の担い手となる若者を招き、廃村寸前の集落を再生させようと、秋田県上小阿仁村(かみこあにむら)は「地域おこし協力隊」の隊員2人の募集を始めた。
11月1日から最長で2年5か月間、村の中心部から約20キロ離れた「八木沢地区」に住み込みで働いてもらう。小林宏晨(ひろあき)村長は「都会の若者の斬新なアイデアで過疎化を食い止めたい」と、救世主の出現に期待を寄せている。
村の人口は約7000人(1960年)をピークに減り続け、2931人(9月末)。65歳以上が半数を超える「限界集落」は20地区のうち8地区を占める。
隊員が入る八木沢地区は7世帯16人で、うち12人が65歳以上だ。山田テイさん(66)は、4年前に倒れて自宅療養中の夫(73)を支えながら、一人で農業を続けてきた。地区内で「最後の農家」だったが、今春、両ひざの痛みに耐えきれずにやめた。地区には至る所に耕作放棄地が広がっている。
村中心部へは県道1本で、豪雪に見舞われると「陸の孤島」と化すこともある。商店もなく、鮮魚や青果を積んだ移動販売車が週2回、地区を訪れる。
隊員は1日7時間、週5日勤務。農作業のほか、地区の高齢者が病院へ通う際の付き添いや、雪かき、ごみの不法投棄パトロールなども担う。
隊員がそのまま定住することを希望するが、頻繁に話し合いの場を設け、活性化のアイデアも求めている。小林村長は「地元の人の発想は限界に達している。面白い提案には村全体で取り組む」と真剣だ。
報酬は月額16万円。住居は、26年前まで小学校だった地区公民館で、改修後に無償提供する。募集は10月20日まで(当日必着)。応募要件は20歳以上で、運転免許(AT限定は不可)があること。
問い合わせは村総務課(0186・77・2221)へ。
いやしかし雪かきやら農作業はまだしも、ごみの不法投棄のパトロールって何なんですか一体(苦笑)。
築ウン十年の公民館に住み込みで月額16万(ちなみに同村での公務員給与の相場は平均月額358200円、年収5405000円なんだそうですが)で、日々楽しい勤労が待っていそうなこの環境に一体募集があるのかと誰しも危ぶむところですが、驚くことになんときっちり二人分の隊員をゲットしたんだそうですね。
ちなみに隊員の楽しそうな生活ぶりは同村HPに随時アップされていますが、漏れ聞こえる噂と対照的なほど地上の楽園とも言うべき生活ぶりが浮かび上がってくる素敵な日記になっていますから、当然これは期限が過ぎても地元に定住していただけるものと期待していいんじゃないでしょうか。
まあ脱線はそれくらいとしても、当「ぐり研」でも繰り返し僻地医療問題を取り上げていますけれども、これまた繰り返すところですが「地理的な僻地と心の僻地はイコールではない」し、「地理的な僻地が全て医師不足に喘いでいるわけでもない」ということは強調しておきたいと思います。
もちろん単に地理的な僻地であることも医者がいなくなる大きな要因になりますが、実際千葉の片田舎に日本有数の大病院があったり、田舎の小さな病院でも医者をしっかり確保している病院が存在する事実をもってしても、単に田舎だから医者が来ないというわけでは必ずしもなくて、この場合はまず医療需給のミスマッチが医者が去っていく大きな要因になっているという側面があります。
例えば先日は隠岐島前病院で外科医がいなくなるというニュースが地方紙に出ていましたけれども、外科手術はわずかに年間10件というかの地での医療需要の実情を聞いてみれば、もっと医療需要の多い地域では仲間が激務に喘いでいるのに自分はこんなところで仕事もなく遊んでいていいのかと、責任感のある医者ほど日々需給ミスマッチの不条理を感じざるを得ないわけですよね。
地理的な僻地に済む人々は「おらが村には医者がいない」とよく言いますけれども、実は医療需給から考えるとむしろ都市部より医療資源に恵まれている場合の方が多いのだという事実をまず認識していただかなければならないでしょうし、そうであるからこそ厚労省が久しく以前から病院統廃合と医療資源集約化による需給ミスマッチの解消を目指しているという側面もあるわけです。
そしてまた一方では「心の僻地」という問題は別に地理的僻地に限らず全国どこででも発生し得るもので、そうした土地は往々にして「聖地」などと崇め奉られるものですけれども、これは街であろうが田舎であろうが今どきのネットで情報を収集している医者からは忌避されて当然ですよね(都市部の場合はもともとの医師数自体が多いですから、こうした判りやすい形では現れにくいですけれども)。
そうなると誰しも思うのが「地理的僻地かつ心の僻地って最悪?」ということだと思いますけれども、あちこちで経験者が語っている「ホンモノの僻地の実情」というものには経験からも頷けるという人も多いでしょうし、実際にそうした実態が公になれば今回の上小阿仁村のように全国に晒されてしまう、そんな土地でも来てくれるのはネットリテラシーの低い(今の時代、使えないと同義に近いですが)医者ばかりということになってしまうわけです。
一昔前には(今も?)医者は常に他人から医者として見られている、診療の場を離れても常時振る舞いに気を配れなんて自意識過剰気味な聖人像が要求されていましたけれども、こうした現代社会の状況を踏まえた場合に、今は地域住民もまた医者から常時見つめられているのだという自覚が必要になってくるんじゃないかと思いますね。
人間ですから別にいつ何時でも聖人君子である必要はありませんが、例えば自分たちにとってどうしても必要欠くべからざるような重要な仕事を担っている大切な人間の前では最低限維持するべき礼儀というものがあるのは医療業界に限らず社会常識ですし、それが出来ないような常識知らずの人たちとは自然お取引は考えさせていただきますというのも当たり前のことですよね。
医者は人並みの常識がないとか、医療の世界には世間並みの常識が通用しないとは言う人は今だに多いですけれども、個々の事例は一見して不可解なようでもその実際を紐解いていくと案外当たり前のことが起こっているに過ぎないのだと言うことは当「ぐり研」でも何度も取り上げてきた通りですし、世間の人間がされて嫌だと感じるようなことは医者だって当たり前に嫌だと感じるわけです。
長年にわたって染み付いた習慣やものの考え方を改めるのは難しいかも知れませんが、それが出来なければ外部の人間はもちろん地域内の心ある人達すら次々と逃げ出してホンモノの僻地になってしまう、それが嫌なら自分たちにも何か改めるべきところがあるのではと考えを進めた場合に、まず「医者もまた人間である」という単純な事実に思いを致していただく必要があるんじゃないかと思いますね。
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コメント
自己レスですが、「野蛮人」の「いじめ」のと、村長も広報誌で憤慨しているようですね。
しかし率直に申し上げて、すでに手遅れではないかと愚考いたしますが…
http://www.vill.kamikoani.akita.jp/div/kikaku/pdf/kouhou/1003kouhou11-20.pdf
P16以下を参照ください。
投稿: 管理人nobu | 2010年3月12日 (金) 13時11分
秋田県、都道府県別人口減少率が日本ワースト1、生活習慣病・脳血管疾患による死亡者数(10万人当たり)が日本ワースト1、乳児死亡率も日本ワースト 1、日照率日本ワースト1、がん死亡率日本ワースト1、パスポートの取得率が全国ワースト1、人口10万人に対する自殺率も日本ワースト1、最低賃金も青森・岩手・沖縄とともに最低の610円、今はどうか知らないけど飲酒運転による死亡者と交通事故死者数に占める高齢者の割合もワースト1だったことがあるようです。
さらに「都道府県別肥満傾向児の出現率」で、お年頃の17歳(高三)で全国ワースト1・・・あきたこまち頑張れ
その秋田県で、この上小阿仁村は人口わずか3056人(6月末現在)、自殺率日本ワースト1の秋田県の中でも、さらにワーストの自殺率で、高齢化率も約42%とワーストだそうです。
村の財政事情は厳しく、村債残高は58億円超で村民1人当たりに換算すると190万円の借金で、対する村民所得は1戸あたり年間約157万円・・・
村の94%以上を森林が占めているが林業が停滞する中、目立った産業もないんだとか・・・
http://blog.goo.ne.jp/hisap_surfrider/e/4757e6365ab2ba888df55daedd79c09a
投稿: | 2010年3月12日 (金) 16時09分