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井上ひさしさん死去、容体急変眠るように…

神奈川県鎌倉市の自宅で死去した井上ひさしさん。04年7月撮影
神奈川県鎌倉市の自宅で死去した井上ひさしさん。04年7月撮影
Photo By 共同

 「父と暮せば」「ひょっこりひょうたん島」「吉里吉里人」など数々の名作を生んだ劇作家、作家で文化功労者の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名廈=ひさし)さんが9日午後10時22分、肺がんのため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。75歳。山形県出身。11日、井上さんが主宰する劇団「こまつ座」社長で三女の井上麻矢さん(42)が都内で公表。9日朝は元気だったが、夕方に容体が急変した。12日に自宅で密葬が営まれる。喪主は妻のユリさん(57)。

 20年間温めてきた企画。戦時中の沖縄が題材の「木の上の軍隊」を書き上げるため、治療優先の生活を送るはずだった井上さん。「家族にみとられたい」という“遺言”通り、ユリさん、麻矢さん、長男(18)に囲まれての最期だった。

 昨年10月に肺がんが見つかり、以後は入退院を繰り返しながらも精力的に執筆。9日朝に約2週間ぶりに帰宅した。最近は呼吸もつらい状態だったが、静かに居眠りしているような様子だった。

 容体が急変したのは夕方。担当医が付き添っていたことから病院には搬送せず、家族でひたすら手をさすり続けた。麻矢さんは「最期は眠るように静かでした。“遺言”をかなえてあげられてよかった」と唇をかんだ。

 病魔に侵されながらも、創作意欲が衰えることはなかった。戦争・平和をライフワークとしていただけに「どうしても“沖縄もの”は書かないといけない」と周囲に「木の上…」へのこだわりを見せ続けた。また、原爆投下後の広島に暮らす父娘の物語で、宮沢りえ(37)主演で映画化もされた「父と暮せば」に続いて、長崎を舞台にした「母と暮せば」を「書きたいと言っていた」(麻矢さん)という。

 1964年放送開始の「…ひょうたん島」で注目を集め、84年に劇団「こまつ座」を旗揚げ。専属作家になった。私生活では61年に評論家の西舘好子(現・代志子)さんと結婚も86年に離婚。87年に料理研究家のユリさんと再婚した。04年には作家の大江健三郎氏(75)らと憲法9条を擁護する「九条の会」を結成。地元の「鎌倉・九条の会」の呼びかけ人も務め、5月17日に市内で行われる集会に参加する予定だった。

 70歳を過ぎたあたりから「(皆さんに)自分の作品を読んでいただき、劇場に足を運んでいただけたら幸せ」が口癖に。「こまつ座」の今後について麻矢さんは「受け継いで末永く守っていく」と誓った。

 11日夜、自宅で営まれた通夜には親族のみ約20人が参列。祭壇の周囲には著書や舞台化作のポスターが飾られた。近所の寿司店からは、井上さんの大好物だった刺し身入りサラダが届けられた。

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