<大項目> 放射線影響と放射線防護
<中項目> 原子力施設による健康影響
<小項目> 放射線事故
<タイトル>
ブラジル国ゴイアニア放射線治療研究所からのセシウム137盗難による放射線被ばく事故 (09-03-02-04)
<概要>
1987年9月、ブラジル国ゴイアニア市で、廃院となった放射線治療医院からセシウム−137線源が持ち出されて廃品回収業者の作業場で解体され、セシウム−137による広範な環境放射能汚染と多数の人々の被ばくが生じた。汚染された者の数は249人(同年12月まで)、被ばく線量は0.5Gy以上約70人、1Gy以上21人、4Gy以上8人であり、死者は4人であった。
<更新年月>
2000年03月 (このデータは今後更新致しません。)
<本文>
1.背景と経緯
ゴイアニア市(Goiania)はブラジルの首都ブラジリアから南西約250km離れたゴイアス州にあり、人口約100万人の農畜産物集積(大豆、牛肉など)都市である。1987年9月、この市の廃院となった民間放射線治療クリニックの建物( 図1 )の中の放射線治療装置からセシウム−137の入った回転照射体が、取り外して持ち出され、市内にある廃品回収業者の作業場で分解された。この放射線治療装置は1971年6月にイタリアから輸入され、線源はセシウム塩化物(CsCl)で、指向性を良くするためレジンを混ぜ、米粒大にまとめたものを治療用装置に充填したもので、米国オークリッジで製作された。重量93g、体積31立方センチメートル、事故当時全放射能は50.9TBq(1375 Ci)であった。1987年、この医院の移転により業務を止めたが、セシウム照射装置はそのまま廃院に残されていた。持ち出されたセシウム−137は青白く光る粉末で極めて水に溶けやすく、散らばりやすい状態で、業者の家族、親戚、隣人が好奇心から自宅に持ち帰ったり、また作業場から風雨や人、動物を介して、汚染地域が拡大した。この事故が起こったのは市の中の貧しい区域で、汚染された範囲はおよそ 図2 に示す通りである。
2.事故の状況
2人の若者(22才と19才)が、この廃院のスクラップから価値があるものと思い、照射装置を分解して、回転照射体(線源)を自宅に持ち帰った(9月10−12日)。回転照射体を取り外した段階から2人の放射線被ばくが始まり、2〜3日後から2人は下痢、目まいなどになやまされ始めた。1週間後には線源容器に穴を開けることに成功し、この時点から放射能汚染が始まった。ここで2人はこれを廃品回収業者に売り払った(9月18日)。業者は暗いガレージの中で線源の粉末が光っているのに気付き、家の中に運び込み、その後数日にわたって家族、親類、隣人が、これを眺め、手を触れ、体に塗ったりした。作業人とその家族全員の体の調子が次第におかしくなり、その内の1人(廃品業者の妻)が、青白い粉に原因があると思い、線源をプラスチックバッグに入れて、ゴイアニア公衆衛生局に届けた(9月28日)。風土病病院で患者を診察していた医師は、症状から放射線障害の疑いを持ち、市の公衆衛生部と州の環境局に連絡した。その結果、医学物理学者が鉱物探査用の放射線測定器(仏製:SPP2NF)で測定して、放射線被ばく事故が起こっていることが明らかになった(9月29日)。これは線源が持ち出されてから17−19日後のことである。(持ち出された日は正確に判っていない。)
3.被害の大きさ
(1)急性障害
選別検診の結果、20人が入院治療が必要と診断され、14人がリオデジャネイロ、6人がゴイアニアの病院に入院した。体内セシウム排せつのためプルシアン・ブルー(Prussian Blue)が投与され、また被ばく線量推定のためにリンパ球の染色体異常の頻度が調べられた。4人が入院後(リオデジャネイロ)4週間以内に出血や敗血症などの急性障害で死亡したが、その線量は4.5−6Gyと推定された。死亡者は、6才の少女、38才の女性、22才、18才の男性である。同程度の被ばく線量で2人が生き残った。また1名は腕半分を切除された。2ヶ月後には11人の入院患者は全員ゴイアニアに転院し、退院までずっと放射能排せつ促進剤を投与された。
(2)人体汚染のモニタリング
合計112,000人が、放射線計測を受け、その内249人が体内外汚染があることを認められた( 図3 )。染色体異常の頻度から推定された線量は最高7Gyであった。また尿や糞の分析もスクリーニングの一手段として行われた。全身カウンターでの計測、あるいは糞尿の計測からプルシアン・ブルーの効果が判定された。
(3)環境汚染
全ての汚染源を推定する第一段階の緊急汚染調査は、高温多雨の気象条件下で、ヘリコプターや自動車等によるモニタリングを含めての大規模な活動となり、10月3日までに大部分が終了したが、12月まで続行された。最も汚染がひどかった廃品解体場所では、地上1mの高さで線量率が2Sv/hに達した。ヘリコプターサーベイは67平方キロメートルの地域がカバーされ、21mSv/hの汚染地点が発見された。自動車によるサーベイでは2000km以上の道路ネットワークが調べられた。
第2段階の除染復旧作業は1988年3月までかかって行われた。汚染区域の認定レベルは10μSv/h以上を適用し、これ以下は非汚染地区とし、汚染レベルは 表1 に示した区分に従がって分類し、市民の行動等も規制した。また、合計85軒で高い汚染が認められ、その内41軒、200人が避難したが、その中の30軒は2週間後に再入居が許可された。放射性セシウムは大量降雨にもかかわらず、屋根に残っており、これが屋内線量率をあげる原因であった。特に汚染の著しい7軒の家屋は解体し撤去され、高汚染区域の表土が入れかえられた( 図4 、 図5 )。飲料水中の濃度は、廃品解体現場の近辺の井戸を例外として、ごく低かった。家屋159軒がサーベイされ、42軒が除染の対象となり、屋内の真空掃除機による清掃と、屋外壁の高圧水による洗浄が実施された。1988年3月までにこの作業は終了した。
汚染廃棄物(土壌、建材など)は200リットルドラム缶で3,800本、金属コンテナー1400個等、合計3500立方メートルに達し、約25km離れたゴイアニア郊外のアバディア(Abadia)一時保管場所(4000〜5000立方メートル)に運ばれて保管されている( 図6 参照)。汚染放射能の総量は、線源に含まれていた50.9TBqに対して、44TBq(1200Ci)であった。
(4)事故の社会的、経済的影響
事故発見後、ブラジル関係機関は直ちにIAEAに連絡し、核事故または放射線緊急時における援助協定の枠内での援助を要請した。 表2 に各国、各人の様々な支援活動の状況を示す。汚染事故に関係し、被害者の心理的ストレス、被害者への社会的差別からの失業問題や不買など物心両面からの圧迫のほか、州、国も経済面、経費面から大きな影響を被った。
<図/表>
表1 汚染区分と地上1mでの線量率レベル
表2 各国の支援活動
図1 セシウム線源が持ち出された放射線治療クリニックの建物
図2 ゴイアニア市の位置
図3 ゴイアニアオリンピックスタジアムで放射線サーベイを受ける住民
図4 放射能除染作業(家屋の解体)
図5 放射能除染作業(廃品回収業者の作業場)
図6 ゴイアニア市郊外の汚染廃棄物一時保管エリア
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<関連タイトル>
放射性廃棄物の処分の基本的考え方 (05-01-03-01)
放射線の急性影響 (09-02-03-01)
緊急被ばく医療 (09-03-03-03)
放射線防護薬剤 (09-03-05-03)
<参考文献>
(1)IAEA:The Radiological Accident in Goiania、1988年9月
(2)中島敏行:ゴイアニアのセシウム137被曝事故顛末記、放射線科学31巻No.11 1988、31巻No.12 1988、32巻No.1 1989
(3)IAEA:Radiation sources: Lessons from Goiania、IAEA BULLETIN vol.30 No.4、p.10−17、1988年4月
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