井上ひさしさん
04年には「九条の会」の呼びかけ人の一人となるなど護憲・平和運動にも積極的で、日本の右傾化に警鐘を鳴らし続けた。原爆で生き残った娘と亡父の交流を描いた戯曲「父と暮(くら)せば」(94年)は映画化もされた。
膨大な資料を渉猟後、ユニークな発想で創作するために筆が遅く、「遅筆堂」を自認。戯曲が完成せず公演の開幕が遅れることもたびたびあった。87年、故郷の川西町に蔵書を寄贈して「遅筆堂文庫」が設立された。
日本ペンクラブ会長、日本劇作家協会長などを歴任。直木賞、岸田戯曲賞、大佛次郎賞などの選考委員を長年つとめた。99年の菊池寛賞、00年度の朝日賞など受賞多数。04年に文化功労者、09年には芸術院会員に選ばれた。
09年10月から体調不良のため静養していた。