GIANTS ニュース
2010年04月
チーム
2010.04.10
さよなら永遠のヒーロー 木村拓也コーチ告別式
多くの供花が寄せられた斎場には愛用の野球道具も並べられました
遺影を手に斎場を出る家族の姿に参列者の涙もやみませんでした
遺影に語りかけるように弔辞を読む滝鼻オーナー
加藤コミッショナー(左端)らが安からな眠りを祈り手を合わせました
くも膜下出血で7日に37歳の若さで亡くなった読売巨人軍の木村拓也・内野守備走塁コーチの告別式が10日、広島市内の斎場でしめやかに行われました。葬儀は木村家と巨人軍の合同葬という形で行われ、巨人軍の桃井恒和球団社長が葬儀委員長を務めました。
NPBの加藤良三コミッショナーをはじめ、広島の松田元オーナー、元広島監督の山本浩二さん、故郷の宮崎からは東国原英夫知事、戸敷正・宮崎市長、アナウンサーの徳光和夫さんら、各界から多くの方が参列しました。誰からも愛されていた木村コーチの人柄を表すように、参列者は約2500人に上り、周辺の歩道に集まった約500人のファンは、「タクヤ、忘れない」などと記したボードを掲げ、木村コーチにお別れしました。
弔辞を述べた巨人軍の滝鼻卓雄オーナーは木村コーチが病に倒れた日から球団のホームページに寄せられたメッセージが9日までに2万3000件を超えたことを紹介し、「君がいかにファンから愛された野球人であったか」と話すと多くの参列者がうなずきながら、涙をぬぐいました。
木村コーチは2日にグラウンドで倒れ、意識不明のまま病院に運ばれましたが、7日の未明に亡くなるまで、必死に病と闘いました。滝鼻オーナーも「絶望的な症状の中、強靱な体力で、懸命に生きようとしたそうだね。奥さんといとしい子供さんのことを心配したからでしょう。でも、私たちは出来る限りのことをして、支えていきます。だから、安心して、ゆっくり休んでください。そして、天国でノックバットを片手に、ジャイアンツがしくじったら、遠慮なく、カラカラと笑い声を響かせてください。さようなら、木村拓也君」と哀悼の意を表しました。
全国から寄せられた弔電は約560、供花は約500に達しました。試合のために、参列出来なかった巨人軍の原辰徳監督は弔電で「いつまでも、いつまでも元気でプロ野球界はもとより、巨人軍の発展に尽力して欲しかった。今年も日本一を達成し、墓前に報告するつもりです」と悲しみを乗り越えて目標を達成することを誓いました。
告別式の最後に喪主の由美子夫人が「(広島と東京で)遠く離れていても、いつも家族を気にかけてくれた優しい人でした。子供たちにとっては永遠のヒーローでした。一緒に過ごした日々に感謝し、主人がいつも色紙に書いていた言葉通り、一生懸命に生きていきます」と謝辞を述べると、参列者はあふれる涙を止めることができませんでした。
子煩悩だった木村コーチの棺には、子供たちからの手紙や家族写真、大好きだったゴルフの雑誌やゴルフシューズ、コーヒーなどが納められました。棺を乗せた車は惜別のホーンを鳴らしながら旧広島市民球場の前を通り、10年以上プレーした思い出の地に最後のあいさつをしました。
加藤良三・NPBコミッショナー「将来の日本野球の指導者候補でした。残念でなりません。毎日、毎日、創意工夫してきた人でした選手で、人生は短かったが、称賛すべき立派な人生でした」
東国原英夫・宮崎県知事「まだ信じられません。宮崎の人にとっても、財産、至宝を失った気持ちです。決してエリートではなかったが、才能を自分の力で切り開いた県民の理想の姿でした。多く夢と感動を与えていただき、感謝しています」
山本浩二・元広島監督「悔しいし、さみしいし、残念です。よく怒ったが、その反発心で上がってくるような、強い精神力を持った選手だった。一生懸命にやった野球人生だったと思います」