【モスクワ=副島英樹、ビシケク=金井和之】第2次世界大戦下のソ連で集団銃殺されたポーランド人たちを追悼する慰霊の日が、ポーランド人にとって新たな悲劇の日として刻まれる――。ロシア西部のスモレンスク近郊で10日起きた政府専用機(ツポレフ154型機)の墜落事故では、70年前の「カチンの森」事件の被害者遺族も多数が犠牲となった。重い歴史を背負ってきたロシアとポーランド。その「和解」への道は平坦(へいたん)ではない。
ポーランドのトゥスク首相は「戦争以外で起きた最も大きな悲劇」と国民に述べた。ロシアのメドベージェフ大統領はそのトゥスク首相に電話で哀悼の意を伝え、「このつらい日にロシア国民はポーランド国民とともにある」と、ポーランドの国民感情に配慮する姿勢を見せた。トゥスク首相とロシアのプーチン首相はともに現場に向かった。
ソ連秘密警察が1940年、ポーランド人を銃殺した「カチンの森」事件は、ポーランド人の反ロシア感情の根っこに突き刺さった歴史問題だった。
ロシアはカチン事件から70年の今年、ポーランドとの「和解」に向けて動いた。プーチン首相がトゥスク首相を招き、初めてロシア側が主催した今月7日の追悼式典がその象徴だった。
だが、一貫してロシアとは敵対姿勢をとってきたカチンスキ大統領は、7日の式典には招待されなかった。このため、ポーランド側が別日程の10日に主催する式典に参加しなければならない事情があった。その背景にあるのは、秋に迫ったポーランド大統領選だ。
トゥスク氏とカチンスキ氏の所属する政党はライバル関係にある。国民が高い関心を寄せるカチンの追悼式典に参加しなければ、選挙に重大な影響を及ぼしかねない。ライバルがロシア政府の正式な招待を受け、今後の対話の窓口がトゥスク首相に一本化されかねない状況にもあった。