平沼赳夫氏や与謝野馨氏などの結成した新党「たちあがれ日本」は、平均年齢70歳。この年齢で新党をつくるエネルギーは立派なものだが、「たちがれ日本」などと揶揄されて評判は散々だ。この理由は、「保守の再建」を旗印にしながら、何を保守するのかという目的がはっきりしないことにある。
英語でconservativeという場合、英米でその意味が違う。イギリスは階級社会なので上流階級の伝統的な既得権を守る傾向が強いが、アメリカの場合は建国のころの「小さな政府」を守る意識が強く、最近の「ティーパーティ」も連邦政府の肥大化を批判する点で、よくも悪くも建国精神の延長上にある。
では日本の保守新党は、何を保守するのか。平沼氏はイギリス型の「改憲派」のようで、与謝野氏はどちらかといえばアメリカ型の「改革派」にみえるが、両方を混ぜるとなんだかよくわからない。「安心」とか「伝統」という言葉がよく出てくるところをみると、戦前のような古きよき日本に回帰しようということかもしれないが、残念ながらそういう政策を支持するのは60代以上だけだろう。
![](http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/2770a.jpg)
今の日本は、社会主義の崩壊後の東欧圏に似ている。たとえば自殺率の国際比較をみると、図のように日本は世界第8位で、上位は旧社会主義圏ばかりである。市場を導入して生活がよくなるかと思ったら、曲がりなりにも安定していたコミュニティが崩壊し、企業倒産や失業が激増したためだ。
これは日本の90年代と似ているが、もう一つの共通点は社会主義国には資本市場も労働市場も存在しないことだ。社会主義の建て前では倒産も失業もありえないので、破綻処理の制度も職安もない。職を失った人々は、Shleifer-Treismanの表現によれば「地図なし」の廃墟の中で手探りで職をさがさなければならなかったのだ。
だから現在の日本の不安を解消するために必要なのは、平沼=与謝野新党のいうような過去への回帰ではなく、個人が「一所懸命」に同じ所でがんばりつづける日本的伝統から決別し、新しいコミュティに移る(あるいは作り出す)ことを容易にする制度設計ではないか。「アゴラ」のような仮想空間からも多くの出会いが生まれ、会社までできた。それは農村のような強固な共同体ではないが、あれほど息苦しいコミュニティでもない。
英語でconservativeという場合、英米でその意味が違う。イギリスは階級社会なので上流階級の伝統的な既得権を守る傾向が強いが、アメリカの場合は建国のころの「小さな政府」を守る意識が強く、最近の「ティーパーティ」も連邦政府の肥大化を批判する点で、よくも悪くも建国精神の延長上にある。
では日本の保守新党は、何を保守するのか。平沼氏はイギリス型の「改憲派」のようで、与謝野氏はどちらかといえばアメリカ型の「改革派」にみえるが、両方を混ぜるとなんだかよくわからない。「安心」とか「伝統」という言葉がよく出てくるところをみると、戦前のような古きよき日本に回帰しようということかもしれないが、残念ながらそういう政策を支持するのは60代以上だけだろう。
![](http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/2770a.jpg)
今の日本は、社会主義の崩壊後の東欧圏に似ている。たとえば自殺率の国際比較をみると、図のように日本は世界第8位で、上位は旧社会主義圏ばかりである。市場を導入して生活がよくなるかと思ったら、曲がりなりにも安定していたコミュニティが崩壊し、企業倒産や失業が激増したためだ。
これは日本の90年代と似ているが、もう一つの共通点は社会主義国には資本市場も労働市場も存在しないことだ。社会主義の建て前では倒産も失業もありえないので、破綻処理の制度も職安もない。職を失った人々は、Shleifer-Treismanの表現によれば「地図なし」の廃墟の中で手探りで職をさがさなければならなかったのだ。
だから現在の日本の不安を解消するために必要なのは、平沼=与謝野新党のいうような過去への回帰ではなく、個人が「一所懸命」に同じ所でがんばりつづける日本的伝統から決別し、新しいコミュティに移る(あるいは作り出す)ことを容易にする制度設計ではないか。「アゴラ」のような仮想空間からも多くの出会いが生まれ、会社までできた。それは農村のような強固な共同体ではないが、あれほど息苦しいコミュニティでもない。
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コメント一覧
それは地方分権、地方主権なんだと思います。
それも国民に最も近いコミュニティが金と人材と権限を持つという原則が必要だと思います。
スウェーデンのコミューン(基礎自治体)は、日本の同規模基礎自治体の2倍の予算を持っています。
普段の生活に関わることは殆どコミューンで決まります。
学校には学校の自治があって、校長が金と権限を持ってます。
県はあって無きに等しく、ほぼ国とコミューンの2層構造で、あくまでコミューンでできないことを補完するという原則です。
こういった方向に向かうに従って、国民満足度も非常に高くなり、自殺率も減ってきたという歴史があります。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2774.html
60才以上が支持するのは亀井大臣が目指す高度経済成長期の日本なのでは?僕の知る限り60以上は安田講堂に立てこもって投石してたりする世代なので、むしろ共産か民主支持が多い気がするのですが。
が、昨今若い世代の方が戦前のような体制を望む者は少なくないでしょう。一時期噂に出ていた徴兵制なんかも、徴兵されている間に支払われる給料は悪くない収入源ですし。
ただ、この国では保守党というド直球な党ですら、忘却のうちに消え去ったので、ここ数ヶ月に生まれる政党も・・・
池田先生、皮肉ではなく孤立感から脱することができたようでおめでとうございます。
同年輩の私も「役に立つ老人」になるにはどうすればいいのか試行錯誤中です。
>古きよき日本
Good Old Daysは回想の中にしか存在しないと思います。
介護の仕事をしていて思うのは、事務的手続きの恐るべき煩雑さと前時代性です。猫の目のように変わる法体系、膨大に製作される書類は監査のときにしか使わない。判子を押したか否かなんていうくだらないことで費やされる時間。シャチハタ一つ買うのにも一食抜かねばならない程度の給料しか払っていないのに・・・。
与謝野さんも平沼さんも家族がどんな環境で介護されているか見に行くとよいです。以下に自分が妄言を吐いていたかわかるから・・・。介護事業所はほとんど赤字で、労働者と事業者と家族の寄付によってかろうじて成り立っているような現状なんです。
「君死にたもうことなかれ日本」でよかったんじゃないかな。思想も理論も政策も何もない、とにかく元気だけが取柄な70代の老人集団の頑張りで自殺国家日本を変えて欲しいですね。
「たちあがれ日本」じゃガンダムのテーマソングですよ。(笑)
特に最後の部分の提言に、激しく同意いたします。
個人にとってなんらかの形のコミュニティは必要不可欠なものでしょうが、実のところ、それは意外と流動的なものであるということをよく自覚していないと、時代から取り残されてしまいますね。
また、今後ますますと、テクノロジーがコミュニティーを補完するツールになっていくと思いますが、同時にそれはコミュニティーを破壊というか刷新する力も持ち合わせているわけで、世の中が便利になればなるほど、両様の定義の中でバランスしていくわけですね。
しかし最近の70代くらいの方々って、一昔前に比べると本当に元気ですね。その点は勇気づけられます。私も含め、今の日本人ってむしろ、若者世代の方がより臆病で保守的な傾向があると思いますので、日本のイノベーションの核は想定外の世代から立ち現われてくる可能性が強いような気も。誉められたことではないのかもしれないですが。大器晩成型の社会になっていっている感じはしています。
自民党が反省すべきことは検察権力とマスコミ権力に頼ろうとしたことです。今はネットの時代です。ガサ入れと被疑者を監禁して取り調べる程度の捜査しかやれない検察は、もはや無能な小道具にすぎない。経営が赤字化しているマスコミに往年の力はない。鳩山内閣を第二の細川内閣にすることはできないのです。見識の高い民間人の方々が理解していることを、自民党執行部のアホ幹部たちは理解していなかった。
シルバー新党に行かれた方々に、見識の高い民間人の方々と同じ理解力があるとは思えません。しかし、守ろうとしているものがある。それは地方議会の保守系無所属議員です。とくに与謝野さんは市区町村の保守系無所属議員の動向を気にしている。国民新党との連携もあるでしょう。
国会議員も含めて、すべての党員党友が1人1票というルールの下で予備選を行う以外に自民党を再生する道はないです。しかし、次の参院選だけでなく、次の衆院選にも間に合わないという気がする。それが党員と党友が下した裁断なら、総入替えが起きてもしょうがないじゃないかと言っても、今は無駄。政権を取り返すまで10年かかります。
日本では「保守政治」という言葉の意味をこのエントリーで書かれているような意味で理解している人は1割にも満たないんじゃないですかね?日本語の中でも最も混乱した使われ方をしている単語の一つだと思います。(政治家よりメディアの責任の方が大きい)。
今度の新党は、「日本における保守」を体現するため、基本政策の筆頭に靖国参拝や教育勅語復活などを上げ、経済財政政策は申し訳程度、いっそ名前も「靖国党」とかにしてくれれば、わかりやすかったんですが、与謝野氏が入ったからそういう感じにもならないんでしょうね。
日本での保守は民族主義と海洋派(アメリカ・イギリスであり最近はインドで、大陸派みたいに韓国・中国ではない)だと思います。
若者(低所得者)が保守(特に民族主義)なのは先進国の特徴で、新興国は中流階級が保守的。何故なら仕事をとられる層だから。
先進国なら労働力の安い外国人に若者など低所得者の仕事がとられ、新興国は先進国の起業家が入り込んでくるから。
経済に関しては「格差」という言葉と「バブル型(終身雇用や新卒採用、リストラのしにくさ、成果主義のバランスの悪さ)」の名残が弊害になっていて、エントリーに書いてあるようにしっかりと資本市場と労働市場ができていないのが問題だと思います。
今は世界経済が変革期です。変革期には減点主義ではなく加点主義に変え、守ることより挑戦すること起業することが重要で、日本をもう一度復興させるカギだと思います。
そういう制度設計、価値観の改革をやって欲しいです。
保守って、お年寄りの世代よりも、ネウヨと称される、若者世代が声高に叫んでいるような気が・・・ 私の周りにもいらっしゃるのですが、それが大部分を占めると言い切れませんが、派遣切り難民の方が結構います。昔、共産革命を当時まだ珍しく、上流階級だったと言っていい大学生が指導したことと、現代のネウヨが保守を叫ぶのは、日本人のメンタリティも、本当に変わったんだな~ と思います。
夢を売る首相・・・大盤振る舞いですが、
売ったからには、いずれお勘定がまわって
きます。増税かインフレで。
立ち上がれ日本・・・民主党にわざわざ喧嘩を
売らなくても、単に政権奪取といえばいいのに。
それにしても、政局の達人の小泉純一郎氏は何か
コメントないでしょうか。
祇園精舎の鐘の声・・・おごれる者は久しからず。
たった5年前に郵政選挙で大勝利した自民党。
いまは存続の危機。ま、日本が良くなれば、
どこの政党がどうなっても、私はかまいませんけど。
民主党も同じ。
私はこの問題提起は非常に重要だと考えています。
「人と人とが結びつくことができること(コミュニケーション)」は人間にとって根源的に重要なことだと思います。関係性にこそ意味は発生するものだと考えるからです。そして「自由」も「コミューン」もそのための一つの媒体であると考えます。人は時に自由を使って新たな出会いを求めるし、時にコミューンの仲介機能を使って繋がりを求めます。資本主義は自由に力を与え、伝統的コミュニティを壊したように見えるかもしれませんが、それは時代とともにコミューンに対する必要性が変化するからです。コミューンは本来の意味からして環境が変われば新しい内容で更新されるべきです。
平沼氏などが語るのは、言葉で表現できぬ美意識のようなものが日本人にとって重要なのであり、それを守るために、それがビルドインされている伝統的コミュニティを守る必要があるという話だと思います。ここから一歩進むには、その美意識が何なのか?ということを発見せねばなりません。わからぬので連続性を守ろうとします。
もし、伝統的コミュニティが守ってきたものが、私の考える通り、コミュニケーションなら、守るべきものはコミュニティではなくコミュニケーションの方だといえます。しかし、人それぞれに異なる形の欲求があるわけですので、みなで共通の器(コミューン)を発見することは難しく、だから人それぞれが、それぞれに適したコミュニケーション手段を手に入れることが理想で、それは選択肢があるということだと思います。選択肢を失う(絶望する)と、人は歩みを止めてしまうもので、逆に選択肢が有り過ぎても混乱しますが、コミュニケーションに選択肢があることは人生を自分責任で生きるのに非常に重要な要素だと考えています。
これとは逆に選択肢などあると考えるから人生に迷うのだという主張もあります。武士道です。
そもそも70過ぎの人が新党を結成すると言うのがおかしい。10年後の日本に責任がもてるのか?
あなたたちが生きていること自体が担保できないでしょう。80過ぎた人が日本を引っ張らなければならないと考えること自体が異常だと思う。自分たちが敷いた路線を引き継げる最低でも50代の人が党にいなければなにもできないのではないか。
彼らの新党結成の主な動機は「死ぬまで影響力を持ちたい」と言う利己的な動機以外には考えられない。
年寄りを邪険に扱うことはいいことではないと思うが、年寄りは年寄りなりの役立ち方を考えなければ。
大量にいる団塊の世代は数がおおいだけに自分たちの影響力をよ〜く考えて欲しい。
今の日本は外側と内側から変化を強いられているのではないでしょうか。外側からはグローバル化、内側からは価値観の変化です。価値観の変化というのはいつの時代にもあると思うのですが、世代が若くなるにしたがって今まであったものを否定する方向に転換しているように思えます。
古きよき日本では地域の結びつきが強くお互い助け合うというイメージがありますが、そういう面が現代ではおせっかい、煩わしさというようにとられている。おせっかいや煩わしさから逃れようとする結果、それが孤立を産んでいるように思います。
しかし、孤立したままで人は存在はできません。ヤマアラシのジレンマのようなものです。古きよき日本は否定はするが孤立の状態は耐えられない。加えて、企業が共同体の役割を果たさなくなった。新しい形のコミュニティを構築することも考えなければならないでしょう。
では、どういう形のコミュニティを目指すかというとそれはそれで難しいところもあると思います。やはりそこには共通の目的がなければなりません。ただ、従来の共同体にありがちな固定的、閉鎖的なところは廃し、柔軟的、開放的な場があればとは思っています。
コメントを読んで思ったんですが、そういえば「保守」という言葉って、非常に多義的ですよね。
個人的には、産業技術などの運用態度の説明に使われるときに一番しっくり感じますね。たとえば素材や材料面で、敢えて、ある程度こなれたものを使い続けようという態度であるとか。新しいものに対する多少懐疑的な見方をする志向性とか、リスクと便益を的確にとらえようとする考え方のことですかね。クライアントがより切実な要求を突き付けてくることの多い分野、たとえば医療などの分野では、保守的というと、いい意味で使われることが多く感じますね。しかし、けっして新しいものに興味がないという訳ではないところが大切なポイントかと思いますが。
保守主義もヘチマもないですよ。シルバー新党は第二の国民新党みたいになって参院選後に民主党政権の一翼を担う可能性大です。鳩山総理にしてみれば、亀井さんより与謝野さんや園田さんが入閣してくれたほうがありがたいでしょう。問題は小沢さんが拒絶するかもしれないということ。ナベツネさんや中曽根さんの影がチラチラしますからね。それに、来年の統一地方選のことを考えれば、石原都知事とはいっしょにやれない。
ただ、シルバー新党が日本の政党政治と統治機構、社会保障制度や安全保障制度をイギリス型に変更する流れを助長するかもしれません。統治機構をイギリス型に変更することについて言えば、池田さんや他の方々もウェルカムのように思います。私も、それに抵抗するのを止めました。くやしいですが、民主党と言うか旧自由党と言うか、小沢一郎の方針が正しいと言うしかない。鳩山総理も菅副総理もイギリスをお手本にしているみたいですし、逆らってみたところでどうにもならない。その意味での「革命」は、もはや不可避です。とりあえず、イギリスみたいに議員宿舎なんかなくしてしまえばいい。
海外の報道はいかに?
この政党の英語名とか中国語名は
どうなっているのか・・・。
コミュニティの形はいろいろあっていい。
「一所懸命」を良しとする人たち同士が作るコミュニティーも立派なコミュニティーの1つでしょう。
ただ個人レベルで大事なのは、自分が帰属するコミュニティーの数を増やすことではないでしょうか。
日本の自殺率の高さを見るにつけ、そう思わずにはいられません。
変な言い方かもしれませんが、そうしておけば、仮に1つのコミュニティから排除されても他のコミュニティがあるので無縁リスクをヘッジ出来ます。
「立ち上がれ日本(Stand Up Japan! Party?*)」が保守の対象として掲げるべきもの。
それは、あらゆる日本人が所属するコミュニティー。
日本の歴史を紐解く限り、「天皇」という言葉しか思い当たりません。
「立ち上がれ日本」がそこまで思い切れば、ある意味強烈なインパクトを国民(ないし外国人)に与えるとは思いますが…
*http://the-diplomat.com/tokyo-notes/2010/04/08/stand-up-japan/