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長崎清峰高校 短かった夏。/センバツ優勝の快挙の裏で

全国優勝の経験もある長崎日大・金城監督の攻略術。

 清峰の近年の甲子園における勝率の高さは異常だ。ここ5年で5回出場し、13勝4敗。初戦敗退は一度もない。勝率は.765にもなる。この快進撃はいつまで続くのだろうと思っていたのだが、大会前、長崎日大の監督、金城孝夫は清峰の今後をこう占っていた。

「それまで清水さんが相当厳しく鍛えていた。春は、それが緩み切らない、丁度いい状態だったと思うんです。だから勝てた。でも、夏はどうですかね。だいぶ緩んできてるんじゃないですか。それが結果に出ていますから」

 選抜大会後、清峰は確かに苦しんでいた。ただ、吉田の中に計算がないこともなかった。

「本番までの最後の7試合は、2勝5敗ぐらいが丁度いいかな、と思っていたんです。そうすれば、勝たなきゃいけないという変な重圧からも解放されると思って。でも実際は、7連敗してしまったんです……」

 戦前から、金城は「夏の今村は、春より2、3割落ちる」とまったく臆していなかった。そして実際、その言葉通り攻略してみせた。

 吉田の反省の弁。

「やはり4月、5月の調整が難しかった。試合ばかりになり、今日は招待試合だから下手な試合できないな、とか、うまくやろうとし過ぎたのかも。やりこむ時期にやりこめず、宙に浮いたような感じになってしまった」

 清水がいなくなったことの影響も少なからずあったに違いない。

「春は、清水コーチがいなくなったことを最大限、プラスに転化することができた。今までやりたくてもできなかった練習を取り入れたりね。でも、それから夏まではいなくて大変だったことは事実です。結局2番手以降の投手をつくることができず、今村頼みのチームから脱却できなかった」

「こんなこと、もう二度とないよ」。監督も認めた奇跡。

 しかし、だからといって、清水が監督として残っていたならば、夏も勝てたのかというと、そこまで単純ではないだろう。春もわからなかったはずだ。目には見えないが、人を動かすという分野にもやはりテクニックはある。吉田はそのスペシャリストだった。

「自分には何の才能もない。でも、それで卑屈になったりはしない。才能がある人を動かす技術には自信がありますからね」

 だからこそ、コーチである清水にそこまで委ねることができ、また監督としてもあれだけの勝ち星を挙げることができたのだ。

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 清水を失った吉田も、吉田を失った清水も、この夏、また新たなスタートラインに立った。ソロに戻った2人の本当の力量が問われるのは、2年後、3年後のことになる。

 試合後、吉田は選手にこう声をかけた。

「おまえらはこの春、歴史に一生残る、すごいことをしたんだからな。長崎県の関係者には怒られるけど、こんなこと、もう二度とないよ。少なくとも、相当ないよ」

 2009年4月2日。WBC連覇の直後だっただけに、世間的にはやや見過ごされてしまった感があるが、清峰の優勝物語はちょっとした奇跡だった。長崎空港に飛び、佐世保へ移動し、そこから松浦鉄道で清峰を訪ねてみればいい。その理由はすぐにわかる。

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筆者プロフィール

中村計

中村計

1973年千葉県出身。ノンフィクションライター。某スポーツ紙を経て独立。『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。『雪合戦マガジン』の編集長も務める。趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。


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