◆ 時間とお金と性器は他人の為にこそ使って意義がる・・・のお話 | 2010.4.10 |
「土方殺すにや刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい」 という「言葉」がございました。 昭和30年代の中頃まではよく聞かれた「言葉」でございます。 「土方」とは「土木現場で働く作業員」のことでございます。 当時そうした建設現場の現業で働く労働者の立場は、 ほとんどが給料はその日払いの「日雇い労働者」でございました。 「土方殺すには・・・」のセリフは「日雇い、日払い」 という不安定な労働条件下で働く労働者自からが 自嘲的に口にしていた言葉でもございましたが、 現実に雨が三日も降り続きますと冗談でなく 飢え死にしかねない過酷な現実があったのでございます。 今日では「孤独死」や「自殺」が話題となっておりますが、 あの時代では生活の困窮に耐えられず 「一家心中」といった痛ましいケースを 新聞で連日のように目にしたのでございます。 私の父親は行商の「傘直し」を商売としておりました。 雨が三日も降れば干上がってしまう「土方」という「職業」は 厳しい職業でございましたが、それと比べても行商の「傘直し」 の商売の方はより劣悪と思えるものでございました。 「土方」は雨が三日も降ると「降伏」することになるのでございますが、 逆に雨さえ降らなければ「連戦連勝」となって「食うに困ることのない生活」 の安定を手に入れることができたのでございます。 が「傘直し」の行商の仕事の方は「雨が降る」と行商に出歩くことができず、 晴れの日が続いてもこれまた行商に歩いても「傘を直す」お客が現われずで、 誠にもって「因果な商売」なのでございました。 父親の「傘直しの行商」という職業はまるで戦場にあって 前に一歩足を踏み出せば「地雷」があり後ろに足を一歩ズラしても これまた「地雷」があってニッチもサッチもいかない地雷原で 戦いをくりひろげる「兵士」のようでございました。 これまで60余年を生きてきて、父親が職業としていた 「傘直しの行商」以上に「絶望的」に思える職業にお目にかかれずにおります。 そんな大黒柱の父親の「職業」の「選択」の「不都合」さのせいで、 両親と姉二人の五人家族の我が家の家計は文字通りの 「火の車」でございました。 夕方、夕御飯の時間になりましても 母親がいっこうに飯をたく様子がございません。 「かあちゃん、お腹がすいた」と母親に訴えますと 「母ちゃんが用事をすませるまで、これでも喰ってまってろ」 とドンブリに山盛りになった「ジャガイモ」が出てまいりました。 育ち盛り、でございます。アト、サキも考えず「ジャガイモ」に かじりつきますともうそれでお腹イッパイとなって満足し本命の 御飯への「欲求」は消えうせるのでありました。 母親の「策略」でございます。 なにせ「米櫃」に米粒一つも残っていないのでございます。 「お腹がすいた」と言うと母親が出してくれたのには他に トウモロコシ、干しイモ、イナゴの佃煮、ザリガニ蒸し、干し柿、 などがありました。スイトンで一週間などというときもありました。 あの時代一生分の「ジャガイモ」を喰ったような気がします。 ですから今「フライドポテト」を目の前に出されたりしますと、 思わず顔をそむけてしまうのでございます。 一部には「三丁目の夕日」に見られるように あの「昭和の貧乏だった時代」を懐しく「懐古」する風潮がございますが、 正直私には「懐しく」想い出す気がどうしても起きません。 もうあんな一日中腹ペコで頭の中が喰いモノのことでイッパイだった 「飢えた時代」には絶対に戻りたくない「まっぴら御免」 と心底から「嫌悪」しているのでございます。 社会に出てバーテンダーから百科事典のセールスマン、 テレビゲーム屋から裏本稼業、そしてAVの世界へと生きるなかで 私を「つき動かしいたもの」は思想や信念ではなく ひたすらもう貧乏には戻りたくない、という貧乏への恐怖感でした。 「貧乏」は人間の心を「貧乏」にします。 お金は人間の本性をムキ出しにします。 他者に対して「優しい心」の余裕を失なわせます。 それは家族の間の人間関係にも大きなヒビ割れを生じさせるのでございます。 まず「夫婦の絆」が壊れます。 「貧乏もあまりの果てに笑い合い」という川柳がございます。 もう何日も口に入れるものがなくひもじさが極まって 遂には畳をほぐして口に入れて喰べはじめる、 フト目の前を見ると同じようにほぐした畳を 口いっぱいに入れている相方がいる、 ボロを身にまといまるで餓鬼のごとくの必死の形相の互いの姿が 急にお可笑しく感じられて思わず腹を抱えて笑い合った、 という模様をよまれたものでございます。 が現実は違います。 貧乏が続きますと「貧乏もあまりの果てにののしり合い」 となるのでございます。 貧乏は諸悪の根源、といいますがその諸悪の最たるものに 「家族間に生まれる憎悪の感情の連鎖」がございます。 「貧乏の家庭」にあっては例外なく「夫婦喧嘩」が日常のものとなります。 「夫婦喧嘩は前技だ」などというムキもございますが 四六時中が「夫婦喧嘩」となっては「本番」など 盆、暮れにもおぼつかなくなるのでございます。 「夫婦の間に生まれた憎悪」は子供たちに伝染します。 父親が横暴だ、母親が我慢が足りないという子供の両親への批判が いつの日かいずれかへの「憎悪」に変わるのでございます。 無妬の心が人を憎しむことを覚えます。 中学生のとき父親に包丁を持って向かっていきました。 それが原因で両親は離婚しました。 思い返しても泣きたくなるような「痛恨事」でございます。 大人になって思い返せば父親、母親の大人の事情や考えていたことが 「どれほど辛かったんだろうか、心配していたに違いない」 とその愛を手にとるように理解し実感できるのでございます。 なんであのとき包丁を手にしたのかと、 悔やんでも悔やんでも悔やみきれない親不孝の「暴挙」でございます。 日本や社会が運が尽きて三流国の道を突き進み 貧乏に堕ちることがあっても「それが運命だ」 と大人たちはいくらでも自業自得となって 屈辱の日々を生きればいいのでございますが、 その結果、子供たちが犠牲となって私が味わったような 「泣きたくなる後悔」をしないで欲しい、 私一人で十分だ、と心から願うのでございます。 「お陰さまで」という言葉がございます、 この世に生きているすべての人たちは意識するとしないにかかわらず、 支え合って生きているのだという「実相」を 感謝の心で現わした言葉でございます。 この「お陰さまで」の言葉は私どもエロ業界人は 最も重く受け取らなければならない人間でございます。 「お陰さま」によってもたらされている我が国の安全で安定した、 秩序によって構成されている社会があればこそ、 営むことが出来る「果報者」の仕事であるからでございます。 「戦争や混乱、貧困」がある社会では「エロ事師」の仕事など 存在が許されず「ワタケ者」と打ち首、獄門を 覚悟しなければならないのでございます。 どんな仕事の立場の人間でも、そのよって立つところの 社会に感謝をしなければならないのは当然でございますが、 エロ業界人ほどその寄生する社会への「感謝の念」を 強く持たなければならないのでございます。 生きさせていただいて申し訳ございません、 という具合が丁度良いのでございます。 「タワケ者」を生かさせていただいている皆さまの豊かな楽しい人生に 「御恩しする心」でスケベな作業に日々に精進すべきなのでございます。 誰れとてそうした社会への「報恩の心」がなければならないことは あたり前のことでございます。 そうした自覚なき者はいっときの幸運を手に入れても、 生涯をつら抜いて満足な人生を終えることはかなわないのでございます。 人生とは不思議なものでございます。 謙虚さを失なわせしめた増上慢の心は必ずつまずきを招くのでございます。 「倒産」して参るのは「金」が無いことに尽きるのでございますが、 「金」の元となる「信用」を一緒に失うことが一番辛いことでございます。 金が失くなって一文無しとなっても誰れも相手にしてくれない 金を借りようにも貸してくれないのでございます。 倒産でそれまで信頼し合って築いていた人間関係は ズタズタになって壊れてしまっております。倒産前の悪あがきで 考えられる限りの周囲の人間を巻き込んでしまったからでございます。 保証人になってもらったり、高額な金を借りたりして 相手を裏切る結果を招き、多大な迷惑をかけてしまったのでございます。 ホームレスを回避するためのセーフティーネットは人間関係だ、 といわれます。が「倒産」の浮き目に合いますと、 友達、親戚関係、家族、取り引き先、社員と 人間関係のすべてを一蓮托生で道連れにしてしまい 修復不可能なほどに破壊してしまうのでございます。 それまでのすべての人間関係を失なってしまって この先どうして生きて行っていいのか分からなくなってしまい、 つい枝ぶりのいいところにロープをかけて首を入れてしまう、 中小企業のオヤジの倒産の悲惨な結末でございます。 そうした「絶望的状況」にある人間を救うもの、 それは人間の「優しさ」でございます。 それもそれまでほとんど利害関係になかった人間、 あるいはどちらかといえば敵対する立場であった人間からうける 思いがけない「やさしさ」でございます。 50億の借金をして倒産しこけつまろびつ今日までやってこれ、 生きてこれたのも、そうした「思いもしなかった人達の優しさ」 のおかげでございます。 「倒産して18年も鳴かず飛ばずなのはあなたが 運が悪いからじゃなくて、それがあなたの実力なのよ」 と我が女房ドノはニベもないのでございます。 家族を養い自己破産を選択せずして食うや食わずの 借金返済の日々を過ごせば、18年などアッという間でございました。 確に女房ドノの言う通り過去18年は自分の実力の真雁を 知らしめさせられるのに十分な時間でございました。 しかし倒産で得たものは倒産で失なったものの何倍もの価値があった、 と確信を持って申し上げることができるのでございます。 それは前述したように人の優しさに助けられ、 人の世の情を知ったことでございます。 家賃を五ヶ月も滞納して大家から追い出しを受けたとき お金を借してくれて助けてくれた人がいました。 母親の葬式代を貸してくれた人、 分不相応な私学に通う息子の学費を立て替えてくれた人、 ポケットに10円もなく、悄然として訪ねていったらウンもスンも言わずに 黙って食費はいうにおよばず毎日の活動費を用立ててくれた人、 と優しい心の出会いがありました。 これまでも駄目かも知れないと思うことが何十回何百回もありました。 雑踏のなかの人混みにいるときに限って不思議とそんな寂寥感、無力感に 突然襲われて立ちくらみをするのでありました。 「生きてる価値がないな俺は・・・」 自然と自暴自棄な言葉が口をついて出てきます。 無条件に信頼して下さって 「もう一度やり直して頑張れ、お前ならきっと再起できる」 と肩を押してくれ、返せるアテのない大金を黙って渡してくれた 恩人の顔が頭に浮かびます。 「あの人がお前ならやれる、と言ってくれたんだから、 もう一度頑張ってみよう。それがあの人への御恩返しだ」 と勇気が沸いてきます。もうひと踏んばりできました。 倒産以前の人間関係はすべてギブアンドテイクでした。 相手がそう考えていなくとも自分自身の人間関係の考えはギブアンドテイク、 損する人間とは付き合わないし関わりを持たない、 という自分本位な極めてドライなものでした。 それは自分だけの考え、というより世の中の人間は すべてそうした価値観を持って生きている、と考えていました。 世間の常識通りに自分も生きているにすぎない、 と達感していたのでございます。 倒産してみて初めてそうした考えが間違っていることを知りました。 まったく利害関係にもなく、無一文のプータローとなった私に協力して 応援して下さり、裏切られる失敗があっても何もメリットのない立場 の人からの「優しさ」をいただいたことで、 それまでの人間観、人生観がブッ飛びました。 世の中には損得でない考えで行動する人がいることを知って心から驚いたのです。 自分にはこんな見返りを求めない無償の親切など、 絶対にできない、と思いました。 そしてそうした優しさによってどれだけ逆境にいる人間が救われるか、 を学んだのです。命を救われた、といっても決して大げさでない 感謝の心を持ちました。 心から震えるほどに感謝をすることなど倒産しなかったら 一生自覚することのできない貴い感情を知りえたのでございます。 倒産して地べたを這うイモ虫のように生きてきた18年間でございます。 沢山の方にご迷惑をおかけしてきました。 まだ沢山清算のついていないこともあります。 しかし負け惜しみでなく倒産して本当に良かった、と思います。 倒産しなければこの世に「無償の心」があることを信じることもできず、 肥大した欲に振り廻されながら生きるサイギ心の塊りのような おぞましい人間の人生を生きていたに違いない、とゾッと致しております。 「優しくされた」ことで無条件に他人に対して自分も 「優しく」できるようになりました。 見返りを求めず無条件に相手に優しくするなんて、 以前の私でしたら倒産考えられないことでございました。 大それたことを言うほどにまったく何も出来ない私でございますが、 見返りを求めず無条件に人に協力できるように 生まれ変われた自分にひそかな満足を覚えています。 時間とお金と性器は自分のために使うものではない、 という言葉を名実ともにようやく噛みしめれるようになりました。 性器の方は先行してなんとか他人さまのために使うことを覚えておりましたが、 「時間とお金」を他人のために使うことの 意義と喜びに目覚めえた次第でございます。 「ボウ然として地雷原にたたずむ兵士」のごとき父親でございましたので 家族5人の生活は母親の肩にかかっておりました。 早朝4時から夜の10時すぎまで、いつ休んでいたのでしょう、 と不思議に思えるほどに母親は働きづくめでございました。 早朝4時からの仕事は近くの風呂屋の掃除でございます。 脱衣場から男湯、女湯までを毎朝3時間近くかかって洗うのでございました。 冬休みの時期などに母親について何度か風呂屋にいったことがあります。 母親の仕事を手伝う、というより誰れもいない大きな風呂場で 遊ぶのが目的でした。 三時間ほど経って帰える時間になったことを知らされ母親の傍に行くと、 ランニング姿となった母親の上半身から汗が吹き出していて 湯気が煙のように立ちのぼり体が燃えているように見えました。 風呂屋の掃除の仕事を終えて家に帰り子供たちを学校に送り出してから、 今度は近くにある知り合いが経営する旅館のこれまた掃除に行きました。 そして午後家に帰るとたまっている家事をこなして夕方近くになると、 町のオデン屋に働きに行き午後11時近くに帰宅するのが日課でした。 母親が病気で横になっていた姿見た記憶がありません。 ウルトラの母ではなかったのですから不治身であったはずがありません。 が風邪をひいて熱が出ても絶対に休むことのない母でした。 夜、働きに出ていたオデン屋では春先と秋口の 桜やチチジ、ツバキの花見のシーズンには 町のはずれの高台にある公園に屋台を出していました。 母親はその時期にはその屋台で働いていましたが、 町から家までの道と違って公園から家まで帰る道は、 街灯も少なく暗くぶっそうでした。 実際母親も何度かその暗い帰り道で危険な目にあったようでした。 そこでまだ小学生になったばかりの幼い私ですが、 母親の用心棒となって帰り道を一緒に付き添って帰ることになりました。 夕方6時すぎになると公園に一人で行きました。 夜の公園には提灯が張りめぐらされて華やいでいて お花見気分が盛り上がっていました。 公園のブランコに乗ったり、管理人のいなくなった遊園地で 動かなくなった観覧車や回転ボートに乗ったりして 帰る時間がくるまで一人遊びをしていました。 時々母親の様子を見に屋台の近くまで行きました。 ツツジや桜の木の陰からソッと母親の働いている屋台の様子をうかがいました。 屋台の前にはムシロのゴザが数枚敷かれてあり そこが特設の宴会場になっていました。 酔った客がゴザの上に車座になって酒をくみ交わしていました。 戦後の焼跡からようやく立ち上がり朝鮮戦争の特需の影響もあって 日本の国中が盛り上がっていた時代でございます。 好景気の影響がこんな福島県の田舎の街まで及んでいたのでした。 当時の労働者たちは血気盛んな男たち、でございました。 酒が入るとなおその精気が横溢して酒の上での暴力沙汰も ヒンパンに起きていました。 母親はそうした男たちの間をぬうようにして廻り、 オデンを配り酒を注ぎヨッパライの相手をして一緒に歌を唄っていました。 酎婦でございます。まだ男尊女卑の名残りの強かった時代でございます。 客の虫の居所が悪いと悪しざまに悪態をつかれ ワケもなく怒鳴られることも諸中でした。 ある夜、暴力をふるわれる母の姿を目撃しました。 母が酔客に髪をつかまれて殴られる姿を木の陰からジッと見ていました。 母親は泣いていました。父親に夫婦喧嘩をして殴られても 決して、涙を見せたことがない気性の強い母でしたが、 そのときは泣いていました。 母も酒を飲んでいて酔っていたのだと思います。 酒の力が、つい母の涙を誘ったのでしょう。 割烹着のソデで涙を拭う母親の姿を息をこらして木の陰から見ながら 私も一緒に泣いていました。 あの時のことを思い出すと45年以上の半世紀もの前のことなのに、 涙が溢れ出てきて止まらなくなります。 母親をイジめる男たちに怒りを覚えました。 と同時に酔って母親にからみついている男たちが とても怖く感じられて恐怖で体が震えました。 帰り道、母親には何も言いませんでした。 私の手を引きながら暗闇の道を歩く母親も何も話しをしませんでした。 母親の手を力強く握り返しながら思いました。 大人になったら女性に暴力を振るうような男には決してならないと。 それは男として最も許しが難い行いなのだ、と。 女性のなかには、随分と礼儀知らずで人を裏切っても 平気な嘘つきがおります。迷惑をかけられたこともありました。 がたいがいの女性にあっても本当に頭にくる、ということがありません。 この女性もいずれ結婚して私のような息子を持つ母親になる人なのだ、 と想像すると怒る気持になれないのです。 将来この女性の息子が母親を叱ってイジメた男がいると知ったら、 どんな感情を持つのだろうか、 と想像すると空恐ろしい気持になって真面目に叱ることさえ 出来なくなるのでございます。母なる女性は皆、偉大でございます。 母親は五年前に死にました。 父親とは離婚しましたので新しく建てた墓に 母親が一人で入り眠っています。 死を考えると死ぬのは怖い、といつも思います。 でもあの大好きだった母親の傍に入れると思うと、 死への恐怖をまぎらわせることができるのです。 母親のところへ行くのに怖いなんて罰当たりな考えを持ってはいけない、 と自分を諌めるのでございます。 果てしない貧乏な日々が続いております。 抜ける道などどこにもなきごとき、のようでございます。 辛い、本当に辛い、生きることは何んと辛いことでございましょうか。 しかし私たちは知っています。 そうした貧乏や苦しい生活のなかからしか 手に入れることが出来ない「果肉」があることを、でございます。 それは人生で本当に大切なことは何か、 を味合わせてくれる「果肉」でございます。 出版業界の雄、幻冬舎の社是は「ヒンシュクは買ってでも買え」 だそうでございます。 読者諸兄には慎んで「苦しみや悲しみは買ってでも味わえ」 の言葉をお贈り申し上げる次第でございます。
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