LAI−LA
第8話
アスカは図書館から出た後の歩いた道のりを覚えていない。
ただ、ぼんやりと考えながら歩いていた。
『病院に戻ろうか』それは考えた。
でも、シンジにどういう顔をして会えばいいのか分からなかった。
『アタシは悪くない』
『でも、シンジも悪くない』
『シンジと話したかっただけなのに……』
『時間が元に戻せるなら……』
アスカの思考はまとまらなかった。
そうして、商店街のアーケードの中をぼんやりと歩いていた。
そういうアスカに声をかける人物がいた。
「こら、おのれはこないなところで何しとるねん」
アスカの前には鈴原トウジが腕組みをして立っていた。
「人が探しとるっちゅうのに」
「………?」
「かぁ〜、分からんか。ほんと、あほ女やな」
「だれが『あほ女』よ!」
「このオトコ女は元気やのう。心配して探しているっちゅうのが信じられんわ」
『?』
「お前を探すのに必死な男がいるってことや!」
「えっ、鈴原が?」
「アホ!探しているのはシンジや。さっき会ったんや。あいつ、病院の格好のままでお前を一生懸命探しとるで」
「シンジが、アタシを……」
「悪いけど、ヒカリと一緒にシンジから事情を聞いたで。
シンジもいろいろあるんや。それが一番判っているのはおのれやろが。 逃げてどうすんねん」「逃げてなんかいないわ」
「おのれがシンジに惚れとるっちゅうことは判るけどな」
「ヒカリから聞いたの?」
「いいや、ヒカリは一言も言わん。でも日頃の態度を見ていればバレバレや」
「そんなことないわよ」
「そうか?」
トウジはアスカに真剣な顔で言う。
「なぜ、自分ですぐ心にもない言葉を言って逃げるんや。惣流はいつも強気のようやけど、本当は弱いのう。
シンジは違うぞ。」「シンジが?」
「シンジも前は逃げていたところもあった。 しかし、惣流のこととなると、あいつ、真剣や。あいつなりに考えとる」
「何を?」
「惣流と自分のことを考えてるということや」
「鈴原、それって…」
「あ〜、なして俺がこないなことを言わなあかんねん。自分で確かめんかい」
ここで、トウジは道行く人から好奇な目で見られていることに気がつく。
『こりゃ…あかん』
トウジはアスカとの距離をとった。
「じゃあ、ワシは行くけど、すぐ、シンジが来るさかいにここを動いたらあかんで」
「ちょっと、場所を教えなさい…」
「あ?」
「アンタのお説教はもう聞き飽きたから、早くシンジの居場所を教えなさいって言っているのよ!」
ニヤリと笑ったトウジは携帯を取り出し、ヒカリに電話した。
そして、シンジはマンションの入口で待っていることをアスカに告げた。
「鈴原、ありがとう。」
「おう」
そして、アスカは駆け出して行った。
残されたトウジは何もなかったような顔で、「腹減ったな。何か食べさせてもらお」とつぶやき、
ヒカリとの待ち合わせ場所に向かって歩いて行った。
アスカは走った。
『シンジに会いたい』
その気持ちを抱いて急いだ。
しかし、マンションに近づくにつれ、歩みがゆっくりとなった。やはり、気まずい。
しかし、アスカはマンションの駐車場に着いた。そしてシンジを見つけた。
シンジは、ふと、人の気配を感じた。
その目に入ったのは、アスカの姿だった。
シンジはゆっくりとアスカの前に歩く。
「アスカ」
「何?」
「さっきはごめん。で、ちょっと僕の話を聞いて欲しいのだけど」
「……いいわよ」
「家に入ろう。そこで話すよ」
「そうね」
二人はマンションに入った。
「ただいま」
シンジの声がマンションの玄関に響く。
アスカは小さい声で「お帰りなさい」と答え、二人は久しぶりの我が家に上がった。
アスカがちょっと帰宅していたが、最近ほとんど無人だったマンションはなんとなく空気がよどんでいるように感じる。
シンジはすべての部屋の窓を開いた。アスカも黙って窓を開ける。
「これでよし」 とシンジは独り言をいい、アスカに向かって言った。
「アスカ、僕がお茶を淹れるから、座って待っててよ」
そして、アスカの返事を聞かず、紅茶を淹れはじめる。
シンジの肩は、紅茶を淹れる程度は大丈夫らしい。
沈黙に耐えきれずアスカがキッチンに立つシンジの背中に話しかけた。
「シンジ、話すことがあるんじゃないの?」
「うん、まずは僕の話を聞いて欲しいんだ。いいかな?」
「…いいわよ。黙って聞いてあげる」
「じゃ、このままで話しをするけど……まずはぼくがバイクに乗りはじめた理由だけど」
『?』
「あのバイクね、通学の途中のある家の車庫にぽつんと置いてあったんだ。アスカは気付かなかっただろうけど。
全く動いてなくて、誰も乗らないようだった。
何か分からないけど、寂しそうに見えて、そのままにしておけなくて……
ずっと、気にかかっていたんだ。
そして、あるとき、たまたま、その家から出てきたおばさんに思い切って聞いてみたら、
亡くなった息子さんのものだったんだって。
息子さんが大切にしていたものだったからそのままにしていたらしいんだ」「……」
「そして、おばさんから、欲しいなら大事にするという条件であげるって言われて……迷ったけど、貰ってきたんだ」
紅茶が仕上がった。
シンジはティーカップをアスカの前に置いた後、座った。そして一口飲む。
アスカはカップをとらず、じっとシンジの顔を見ていた。
シンジが再び口を開く。「あの時は分からなかったけど、入院している時、考えたんだ。
僕はあのバイクとアスカを重ねて見ていたんだって」アスカの表情が曇る。
「それって、どういうこと?」
「変なことを言って、ごめん。
ただ、一緒に走りたいと思ったんだ。そして、楽しかったよ」シンジはアスカをまっすぐに見つめて言う。
「バイクはアタシの身代わりなわけ?
それとも、…放っておかれたバイクをアタシのあの時をだぶらせて、
そして救ったと思って満足してたわけ?
バカにしないでよ!」「アスカ…」
「そんなの卑怯よ。
アタシはシンジだけを見ていたいのよ。
シンジはいつもアタシの近くにいるわ。
そうしたら頼りたくなるじゃない。
でも、その時、シンジのココロがどこかに行っちゃったら、
そうしたらアタシは独りなのよ。
それが嫌なの。耐えられないの」アスカが目に涙をためながらシンジに言った。
シンジはアスカの言葉を受け止める。
「そうだね。僕は確かに自分の事だけを考えていたよ。
アスカに言われて思ったけど、ぼくはアスカを大切に思う。
そんな簡単なことに気がつかずに今までいたんだ。
バイクのことも、まだ、自分の気持ちに向き合うことが怖くて、逃げていたのかもしれない。
自信がない証拠だね。
アスカを思いやる余裕も無かった」シンジは言葉をつなぐ。
「今でも思い出すんだ。
あの海の上で出会ったアスカは眩しかったよ。
あの頃、僕は独りでうじうじしていたしね。
たぶん、その時から僕の中にアスカがいるのかもしれない
それに気づくのは遅すぎたよね。
でも、それが好きということなのか…分からなかったし、今も分からない。
今はエヴァに乗らなくなって、普通の生活を送っているけど、
やっぱり、あの時の仲間が一番好きだし、アスカのことは大事にしたいと思う。
そして、もっとアスカのことが知りたし、僕の気持ちを確かめたい。
今はこのくらいしか言えないけど」かつての少年は大人に近づいていた。
アスカはシンジの言葉がとてもうれしかった。
それは『好き』『愛している』と言われなくてもシンジの気持ちが伝わるものだったから。
だから、あえて言葉をシンジに投げつける。
「シンジの気持ちは分かったわ。
アタシも自分から逃げていたのかもしれない。
昔のアタシは素直じゃなかったし、シンジやレイにずいぶんひどいことを言った。
それも自分を現実から守るため。
でもダメだった。間違いだった。
それが判った今でもそう。素直じゃないし、かわいらしさも無い。
シンジはこんなアタシをもっと知りたい?
そんな価値があると思う?」「人に価値なんかつけられないよ! それにアスカは本当は優しい女の子だと思うよ」
「本当?」
「嘘じゃないよ」
「そう。でも、アタシ、自信がないの。
他人にココロを見られるのが嫌で、そのくせ、独りは嫌。
今もシンジ達に頼ってばっかりで……全然成長していない。
さっきのアタシの言葉もシンジだけが悪いのではないのは分かっている。
でも……」「アスカ、僕はアスカの全てを受け止められないし、アスカもそうだと思う。
だけど、お互いを思いやれることは出来ると思うんだ。
そのために2人でこれからもっともっと成長すればいいと思うけど。
あの時みたいに2人でがんばろうよ。ユニゾンの時みたいに」シンジは少し照れくさそうに笑った。
アスカはシンジの笑顔を見て、自分も微笑む。「そうね、これからだもんね、アタシ達。わかったわ。改めてヨロシクね」
「うん、僕もよろしく」
向かい合わせに座ったテーブルで、お互いに頭を下げる。
「ふふっ…」「はは…」
何かお見合いか何かのようで可笑しくなった二人。
リビングの空気も一気に和んでいった。
しばらくして……
シンジは病院に戻った。「ただいまでした」
シンジはナースセンターに声をかける。
ユキがシンジに気付き、すぐに出てきた。
「シンジ君。おかえりなさい」
「ユキさん。心配をかけました」
「その顔じゃ、大丈夫だったみたいね。よかった。明日は退院だからね」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ、お姉さんに詳しいハナシ、聞かせてもらえるかな」
ニッコリと笑ったユキを見て、シンジは少し恐怖した。
その頃、アスカはヒカリの家のキッチンにいた。アスカはすこぶる機嫌がよい。
ヒカリはそんなアスカの様子を優しく見ていた。
「ヒカリ、ごめんね。心配かけちゃったね」
「うん。大丈夫。気にしないで。で、碇君とうまくいったの?」
アスカの様子で結果は判っているものの、やはり尋ねるたくなるのは止むを得ないということか。
「結局、シンジからは『好き』とは言われなかったわ。 でも、シンジの本当の気持ちが聞けたの。 うれしかった」
「よかったわね」
「うん、だけど…」
「だけど?」
「アタシもがんばらなきゃ。シンジに甘えてばかりじゃいけないから」
ヒカリはビックリした。
こんなに素直なアスカは珍しいからだ。
「そう。がんばってね」
「うん」
「アスカ、今日も泊まっていく?」
「ううん。明日はシンジが帰ってくるから片づけとかいろいろあるし、今日はもう帰るね。
ヒカリ、本当にいろいろありがとう」「友達でしょう?そんな、水臭いわよ」
「うん、ありがとう。ヒカリ」
仲の良い友達はにこやかに笑った。
その日は月のきれいな夜だった。
アスカはシンジの部屋や他の所の掃除(ミサトの部屋は除いたようだが…)を終え、明日の料理を考えていた。
『お祝いだから…簡単な割に見栄えがするもので…でも、入院していたから、こってりした料理がいいかもね。
病院食ってあっさりしすぎだし』楽しげにレシピの本を見ているアスカの頬にベランダからの夜風がさわる。
『いい風ね』
アスカは本を置いて、ベランダに出た。
「月、きれい」
アスカはじっと月を見ていた。
シンジは消灯後、眠れずにいた。
病院の消灯時間は早い。すぐに寝るというのは難しいものである。
シンジは、そっと病室を抜け出し、ジュースを買って病院の中庭に出た。
月明かりが明るく照らしている。
ベンチに座って、ジュースを一口飲み、独り言をいう。
「明日退院か」
そして、シンジは空を見上げた。
「今夜の月きれいだなぁ……こんなにゆっくり夜空を見たのは久しぶりだ。」
さわやかな風がさらさらとシンジの髪をなびかせていた。
2003.3.8 改訂