LAI−LA

第6話

 

 

「しかし、きったないわね。アンタ、ちゃんと体を拭いてもらっていたの?」

アスカの声にエコーがかかっている。ここは病院の浴室である。

アスカは、Tシャツとスパッツを着て、ヒカリおすすめのミトンタイプのタオル『あかすりみとん』を両手にはめ、

シンジの背中を洗っていた。

シンジの背中からおもしろいように消しゴムのカスみたいな垢が出る。

「しょうがないだろ。拭くだけじゃ無理だよ。…痛いよ。もっと、優しくしてよ」

「なにぜいたく言ってるの。アタシにしてもらっていることだけでも光栄に思うことね。
 他の人にはこういうことなんて絶対しないんだから。シンジが…」

危うく自分の気持ちを漏らしかけて、あわてて口をつぐむアスカ。

そのアスカの気持ちに全く気付くことなく、シンジがアスカに問う。

「ぼくがどうしたの」

「なんでもないわ。ほかに洗って欲しいところある?」

「左腕の後ろの上の方、届かないんだ。」

「わかったわ」

アスカはシンジの肌に直接ふれることは初めてであった。

そして、シンジの肩幅が広くなり、各所に発達した筋肉が感じられる事に驚いていた。

『シンジ…いつの間にこんなに。身長は伸びたなって思っていたけれど』

ちょっとドキドキしながらアスカはシンジの入浴の介護をしていた。

「ほら、これでいいわね。後は自分でしなさい。アタシ、もう外に出るから」

浴室の蒸気にあてられたのか、はてさて、他の事でなったのか。アスカは真っ赤に頬を染め浴室を出ていった。




二人が病室に戻ってしばらくすると、シンジの主治医が部屋に入ってきた。

この医者は、この病院の中でも優れた腕を持ってたが、偉そうな態度はなく、

普通のおっちゃんといった感じで、シンジや他の患者から信頼されていた。

「シンジ君、どうだい?」

「あっ、先生。今日は休みじゃないのですか?」

「今日は休日当番だよ。 さっき、ユキ君から連絡があって、退院の件を話したと聞いたから。
 すまないね。本当は昨日話すつもりでいたので、ナースステーションにも事前に連絡していたんだ。
 昨日は急患が多くてね。ついうっかりしてしまったよ。いや、まったく」

「いえ、そんな…」

「この間も説明したとおり、鎖骨骨折は仕事とか学校とかの事情のある人は術後すぐ退院する人もいるが、
 シンジ君の場合は骨が3つに折れていてね。
 ボルトとワイヤで固定しているけど、最低1ヶ月はできれば安静にしてもらいたかったんだ。
 頭のこともあったしね。シンジ君のお父さんからもそういう要望をもらったし」

「父さんが?」

「ああ、あのネルフの最高責任者だったってな。ビックリしたよ、そんなVIPの息子さんが入院してきたって知った時は」

「父さんのことは…僕には関係ありません」

うつむくシンジ。

「シンジ…」

心配そうにアスカがシンジを見る。

「……いや、失礼。そういう意味で言ったわけじゃないんだ。気に障ったなら謝るよ。
 シンジ君、君のお父さんと君との間がどのようなものかは知らない。 でも、これだけは言わせて欲しい。
 私には君のお父さんが君の身体を思いやる態度は普通の親と変わらないように思えたよ」

「うそだっ」

突然シンジが大きな声を出す。

「父さんが僕のことを気にするはずなんてない」

「シンジ君、聞いてくれ。いや、これだけは君に言っておかなければと思っていたんだ。
 君はお父さんが一度も見舞いに来ないことを気にしていないかい?」

「気にしていません!」

シンジは唇をかみしめる。

「そうか。でも、君のお父さんは、深夜とか明け方頃見舞いに来ていたよ。シンジ君は寝ていてわからなかったと思うけど」

「えっ?」

シンジもアスカも驚いて顔を上げる。

「病院にとっては迷惑な見舞い客だったけどね。
 院長から箝口令が出ていたから誰も君に話してなかっただろう。
 私も一度夜勤の時、会って話を聞かれたよ。
 息子さんの前で言うのもなんだが、君のお父さん、怖い顔をして妙な迫力があるけど、
 話してみると普通の親と一緒だったよ。
 ただ、昼間に面会に来てくれと言ったら、「私は忙しい。」の一言で話が終ってしまってな。
 その点、変わっているな。ありゃ、照れているのかもしれんが……」

「………」

「たぶん、お父さんは面会時間には一度も来なかっただろう。
 どのような事情が君たち親子の間にあるのかは知らない。
 ただ、事実は知ってもらいたくてね。
 医者としては患者の秘密は守るべきだが、見舞い客の存在までの守秘義務はなかろうと思ったので話すのだけどね」

「……………」

「まぁ、私が言いたいのはそれだけだよ。いらんお節介かもしれない。その点は謝る」

「………」

「話しは戻るが、入院はもういいだろうということになってめでたく退院だ。
 でも、まだ、完全に骨がついたわけじゃないから私の言うことを守ってもらうという条件だけど」

「具体的にはいつ退院なのですか?」

黙っているシンジに代わって、アスカが尋ねる。

「ん、もう一度レントゲンを取ったら後はいつでもいいよ。まぁ、今日は会計が閉まっているから、明日以降だけど。
 だから、シンジ君。葛城と相談して退院する日を連絡してくれ。看護婦さんに言ってもらえばいいから」

「じゃあ、明日にします」

アスカが即答する。

「おいおい、君が決めていいのか?」

「いいんです。ね、シンジ?」

「………」

「シンジ、答えなさいよ」

「あ、うん。いいよ」

「じゃあ、先生、そういうことでよろしくお願いします」

「ははっ、わかった。アスカ君、葛城には私から連絡しておくよ。
 それと退院の手続きは看護婦さんに尋ねてくれ。
 それと、シンジ君、明日、退院前のチェックには別の医師が来るからね」

「…はい」

シンジは心ここにあらずの風情で返事する。

医師は心配げにシンジを見つめた後、アスカに向かって軽くうなずき、部屋を出ていった。

 

 

アスカはシンジに微笑みかける。

その微笑みはうれしさと心配の混じったものだった。

「シンジ、いよいよ退院じゃない」

「うん…」

「なによ、ちょっとは楽しそうにしなさいよ」

「うん」

「ちょっと、シンジ。聞いているの?」

「うん」

「『うん』だけじゃなくて何か言いなさいよ」

「うるさいよ。アスカ、静かにしてよ」

「なっ。このっ、バカシンジ!」

「人をバカ、バカって言うなよ。少しはぼくの気持ちを考えてよ」

「アタシが考えていなかったとでも言うの。人の気持ちを考えていないのはシンジ、アンタじゃない」

「えっ」

アスカはうつむき、つぶやくように話す。

「シンジはいつも自分ばっかり。アタシの想いなんてわかっていないのよ」

そう言い捨てて、アスカは病室を駆け出して行った。

「アスカ!」

シンジは慌てて追いかけたが、階段を一気に駆け下りたアスカの足は速く、シンジはその姿を見失ってしまった。

アスカのコトバと表情が脳裏から離れない。

『くっ、ぼくはまた……』

シンジは手を握り締め、病院のロビーに立ちすくんだ。その瞳は翳っている。

そんなシンジに一人の女性が声をかけた。

「何しているのっ!」

突然の大きな声にシンジが振り向く。

そこにはユキが怒ったような顔で立っていた。

「シンジ君!」

「はいっ、あの…」

「アスカちゃんが飛び出ていくところを見ていたわよ。理由は判らないけど早く追いかけなさい。もう、元気になったでしょう!
 外出許可でも宿泊許可でもとってあげるわ。だから、ほら、早く」

ユキはそう言って、笑った。

あっけに取られていたシンジは我に戻ると、ユキにぺこりと頭を下げ、パジャマのままで出て行った。

「気をつけてねって、もう行っちゃったわ。ふふっ、青春ねぇ」

ユキはまたにっこりと笑った。

   

 

2003.3.8 ほんの少し改訂

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