LAI−LA
第2話
独り朝食を取るアスカ。今日もミサトは帰っていないらしい。誰もいない食卓ほど寂しいものはない。
アスカは、寂しい気持ちをそのままシンジへの文句に変えて、ぶつぶつ言いながら食事をしていた。
その時、電話が鳴った。
ほかに出る者がいないことを知っているにもかかわらず、アスカは渋々と言った感じで電話の受話器を取る。
「はい、惣流ほか2名の家ですが…」
不機嫌な声でアスカは応対する。
「惣流さん?失礼ですが、碇シンジさんはそちらの家の方でしょうか?」
聞き慣れない、事務的なそしてどこか無機質な声。
「シンジ?一応そうだけど、何か用?今、いないわよ」
「こちら、中央警察署の交通課からです。碇シンジさんが事故に遇われまして…」
アスカはその声がとても遠くに聞こえた。
アスカが到着した時、ミサトも連絡を受け病院に駆けつけていた。
シンジの容体は検査中ということで詳細が判らない。
しかし、警察から、シンジが頭を強く打っていることを聞いていたアスカはあきらかに取り乱していた。
「ミサト、シンジが、…どうしよう」
「アスカ、しっかりして、シンちゃんは大丈夫よ。」
「何を根拠にそんなこというのよ。………そうだわ、ミサト、ネルフの病院に連れていって。あそこならシンジは助かるわ」
アスカはミサトに詰め寄る。
「ネルフの病院は今閉鎖中なの」
「じゃあ、今すぐ開けて。そして、スタッフを集めるのよ。 あそこならシンジのデーターもあるし、あそこしかないわ。
すぐ手配して」「アスカ、今はだめなの。それにここはネルフの病院と同じくらい設備が整っているから大丈夫。
スタッフも優秀だわ。だから心配しないで。 ね」「もういい!アタシが司令に頼むから」
アスカは駆け出そうとした。ミサトはアスカの手をつかみ引き寄せ、厳しい表情でアスカの肩を掴んで自分と向かいあわせた。
アスカはその手を振りほどこうとする。
「アスカ!」ミサトの手がアスカの頬をとらえる。
「アスカがうろたえてどうするのっ。
ネルフの病院がもう無い事は知っているでしょう。
ここが一番確かなの。」
ミサトはそういってアスカを抱きしめた。そして、アスカの身体が震えている事に気がつく。
ミサトは優しく言葉を継いだ。
「シンちゃんは大丈夫よ。きっと」
アスカは泣きながらミサトに言った。
「アタシ…シンジに何かあったらどうしよう。 昨日もシンジに我が儘を……。シンジ…」
『アスカ……』
ミサトは震えるアスカを抱きしめながら、根拠のない言葉しかいえない自分が悔しかった。
しかし、言える言葉はひとつしかなかった。
「シンちゃんは大丈夫よ。今までもそうだったし、これからも…
だから、アスカ、しっかりして待つのよ。私たちにはそれしかないわ」「ミサト…」
不安な時間が病院内を流れていく。
静寂な空間に二人は黙って待つしかなかった。
暫く経って、看護婦が二人に近づく。
「碇シンジさんの御家族の方ですか?」
弾かれたようにアスカが立ち上がったが、何も言えずミサトを見る。
ミサトはゆっくりと立ち上がり、かつて作戦行動時に見せた厳しい表情で返事を行った。
「そうです」
「当直の先生が怪我の状況の説明をします。こちらの部屋へどうぞ」
アスカは看護婦に掴みかかるように近づき、説明を求める。
「シンジは、…シンジは無事なのっ」
アスカの言葉に看護婦は困ったような表情で答えた。
「私は連絡に来ただけでお答えできません。どうかドクターにお尋ね下さい」
まだ食い下がろうとするアスカにミサトが優しく諭す。
「アスカ、看護婦さんを困らせたらダメよ。お医者さんのところに行きましょう」
「でも…」
「看護婦さんは『怪我の状況の説明』と言ったわ。アスカ」
ミサトはそう言うと、さっさと看護婦の後ろについて歩きはじめた。
アスカはミサトの言葉に少し勇気が出て来たようであった。 そしてあわててミサトを追いかけた。
狭い部屋にアスカとミサトは案内された。
ミサトはアスカの手を握り、隣に座っている。
遅れて入って来た医師は簡単な自己紹介のあと、画像をディスプレイに表示し、アスカとミサトに説明を始めた。
「これが碇さんの頭部の画像です。ここにみえますが、微量の出血が認められます」
アスカが身をこわばらせる。それに気付いたミサトはアスカの手を握り直す。
「しかし、現時点では問題はないと考えています。
出血はごく微量ですし、事故発生から撮影時までの時間を考えれば、すでに出血部はふさがっていると思われるからです。 この点については、今後も注意して観察しますのでご心配なく。
このヘルメットを見てください」医師がシンジのヘルメットを見せる。見事に割れていた。そして、ミサトに渡す。
「ひどいでしょう?でも、このメットがちゃんと衝撃を吸収しています。
まぁ、事故の程度と比較したら怪我としては軽い方といえるでしょう。
右鎖骨複雑骨折と打撲。それと擦過傷が右足と右腕に少し。内臓は全く大丈夫です。
鎖骨は手術が必要ですが、炎症がもう少しおさまってから執刀します。
術前に主治医になる医師が説明しますのでその時にもう一度来てください。
では、看護婦から入院の手続きを聞いてください」
そして、医師は微笑んでアスカの方を見た。「心配しなくても大丈夫。彼はすぐ元気になるよ」
医師の言葉で初めてミサトはアスカの顔を見た。
アスカは涙を浮かべていたが、うれしそうに笑っていた。
アスカ達はシンジが運び入れられた病室を聞き、病室の前まで行くと赤木リツコとレイがいた。リツコがミサトに聞く。
「シンジ君、どう?」「まぁ、頭は打っているけど大丈夫ね。右の鎖骨が複雑骨折して、おまけで打撲とすり傷が少し。内臓はまったく心配なし。
入院して鎖骨の整形手術をするんだって」「そう、じゃあこれは要らないわね」
リツコは手に持っていたメモリをヒラヒラさせた。
「なに、それ?」
ミサトがリツコに聞く。
「シンジ君のパーソナルデーター」
「データーって、あんた、それ、カク秘どころかコピー所持も厳禁じゃないの。懲罰ものよ」
チルドレンのデーターはいまでも最重要機密。高クラスの職員でも勝手に持ち出しはできない物である。
リツコは自分が管理責任者であるにもかかわらず、その訓令を破って、MAGIからコピーしてきたのである。
リツコは平然として言葉を続けた。
「あなただっていざとなればこのくらいするでしょう? じゃあ、私は研究所に戻るわ」
サラリと言うリツコにミサトは感謝するとともに、レイにも声をかけた。
「リツコ……ありがとう。レイちゃん。というわけでシンちゃん大丈夫だから安心してね」
「はい…。 あの、リツコさん…、私はもう少しここにいます」
レイがリツコに言う。
同居を初めて、いつの間にか『赤木博士』という言い方はやめたらしい。
「そう。シンジ君によろしくね」
リツコはレイに少し微笑んで言い残し、去っていった。
病室で静かにシンジの目が覚めるのを待つ3人。
しばらくして、アスカはシンジの表情が少し変わったことに気がついた。
『シンジ』
アスカが見つめる。
シンジが静かに目を開けた。
「あれ……ここは? アスカ、どうしたの?」
ベッドの横に立っていたアスカ達を見て、シンジは不思議そうにみんなを見た。
「シンジ…」
アスカがつぶやく。
「シンちゃん、ここは病院よ。大丈夫だからまだ眠っておきなさい」
ミサトが静かに言う。
「バイクで…そうか、ぼくは……アスカ、ごめん……転んじゃったよ」
そう言ってシンジはまた目をつぶり、眠りに入っていった。
アスカはシンジを見つめ、レイも黙ってシンジを見ていた。
2003.3.8 ほんの少し改訂