解説

 

 

メインタイトル「hidden lecrifür」について

 

本編ラストやあとがきで、タイトルを改めて「Für die Children」としているように、

このタイトルは、「hidden」も含めて、「Für die Children」の文字を並び替えて作ったアナグラムです。

この作品の本編中には様々なオマージュやパロディ、モチーフやシンボルを「隠して」いますが、

「hidden」はアナグラム化した時偶々出てきたもので、「hidden lecrifür」というタイトル自体には、本来は意味はありません。

ちなみに、この「hidden lecrifür」というタイトルはこの作品のタイトルを考えているときに偶々聞いた某劇場版アニメのエンディング曲のサブタイトルから来ており、

アナグラム化したのは、タイトルでこの作品の方向性を悟られないようにするという意図からでもありますが、

真のタイトル「Für die Children」も、それをアナグラム化して意味をわからなくしたのも、元々はその曲のサブタイトルが由来となっております。

真のタイトルである「Für die Children」は「子供達の為に」という意味で、ドイツ語で「子供達の為に」を意味する「Für die Kinder」という文の内、

ドイツ語で「子供達」を意味する「Kinder」を、英語で「子供達」を意味する「Children」に代えたものです。

「Children」、「チルドレン」は旧作のエヴァンゲリオンでは、エヴァのパイロットを指す呼称であり、

故に、「Für die Children」の中の「子供達」は、「チルドレン」だったシンジとアスカ、その「子供」であるミライ、

また、アダムとリリスの「子供」である全人類、全生命、

更に、「チルドレン」だった綾波レイと渚カヲル、その本来の姿であるアダムとリリスさえも含んでいます。

ちなみに、「die」はドイツ語の複数名詞につく冠詞で、英語の「死」の動詞である「die」では無いです。
 

 

 

サブタイトルその1について

 

サブタイトルその1の「Primary」と「Secondary」はそれぞれ、真には、「Primary Rainbow」で「主虹」、「Secondary Rainbow」で「副虹」を表し、

エピローグにあたる最後の話のサブタイトルその1である「Over the Rainbow」、「虹の彼方に」に繋がります。

 また、一般に「主虹」が内側に、「副虹」が外側に現れる事から、

「Praimary編」は主に、アスカとシンジの中だけの、内側の、「閉じた世界」での話、

「Secondary編」は、アスカとシンジに加えて、その周りの世界や人も関わる外側の、「開いた世界」での話であるという事も意味しています。

 

 

 

 

サブタイトルその2について 

※以下、解説がわかり難い上に、ここからは宗教的な要素が含まれてくる上、更に作者の解説も電波めいてくるので注意。

 

「2_Jupiter」、「3_Mars」、「4_Saturn」、「5_Mercury」、「6_Venus」、「7_Sun」が本編で出た順のサブタイトル2であり、御覧の通り、「1」が欠けております。

「1」は何処かといいますと、おこがましくもTV版エヴァ本編及び旧劇場版がこれに当たり、対応するサブタイトルその2は、「1_Moon」となります。

本編を読んでお気づきの方も多いと思われますが、このサブタイトルその2は、綾波(とカヲル)の幻が現れる前後に変化しており、

同時に、その度に、シンジとアスカを取り巻く「世界」が変わっていっています。

実はアンダーバーの後の星の名前は七曜で、

「Moon」、「月」である「月曜日」を「一」としますと、

「Jupiter」が「木星」で「木曜日」で「四」、「Mars」が「火星」で「火曜日」で「二」、

「Saturn」が「土星」で「土曜日」で「六」、「Mercury」が「水星」で「水曜日」で「三」、

「Venus」が「金星」で「金曜日」で「五」、「Sun」が「太陽」、「日」で「日曜日」で「七」を表し、

更にこの出てきた漢数字が何を表しているかというと、仏教の輪廻転生観の中の一つ「六道」の階層数を表しています。

(ただし、本来仏教の六道観では六道に階層という概念は存在しないらしいので、あくまでイメージ的なものとして捉えてください。

上に行くほど楽になっていき、そこにいる存在が上等になっていくという感じで。)
 

 

「一」は「六道」の最も下の階層の「地獄道」であり、エヴァ本編がこれに当たります。

仏教の中の地獄は、「責め苦」を受け、傷を受けてもすぐ「回復」し、また、無理矢理「労働を強いられる」場所でもあり、

これは、エヴァで戦って「苦しめられ」、痛みを受けてもエヴァを修理するなりして「回復」すればすぐ乗れるようになり、

また、半ば無理矢理「エヴァに乗せられていた」という類似点などから、エヴァ本編を「地獄道」に見立てています。

 

「二」は、地獄道のすぐ上の階層「餓鬼道」であり、餓鬼達が飢餓感に苦しむ世界です。

「3_Mars」では最初は心が満たされない「心の飢餓」に、最後は食べ物が無くなっていく「本物の飢餓」に、

シンジとアスカが陥る事で、「飢餓」に関するこの章を「餓鬼道」に見立てています。

 

「三」は餓鬼道の上の「畜生道」であり、動物の世界です。

「5_Mercury」では動物が戻ってきた世界として、「動物」に関するこの章を「畜生道」に見立てています。

 

「四」は畜生道の上の「修羅道」であり、「修羅」達が争い合い、殺しあう世界です。

「2_Jupiter」では最初、シンジとアスカがお互いに嫉妬や憎しみで争い合い「修羅場」を繰り広げ、

最後は「免疫」という、常に外部の細菌などと「争い合う」器官が異常をきたす事で、「争い」に関するこの章を「修羅道」に見立てました。

 

「五」は修羅道の上の「人間道」で、人間達の、つまり我々の世界です。

「6_Venus」では、人が帰ってきた世界として、「人間」に関するこの章を「人間道」に見立てました。

 

「六」は人間道の上の「天道」であり、神様が住む平和で幸せな世界です。

「4_Saturn」では、植物や虫や魚などが帰ってきて、ミライが生まれ、シンジとアスカとミライが平和で幸せな暮らしをしていた事から、

「平和で幸せな世界」として、この章を「天道」に見立てました。

 

「七」は天道の更に上、「悟り」を得て「六道」から外れ、輪廻転生の苦しみから解放された世界であり、

「真の天国」、「真の天道」である「涅槃」です。

非情におこがましい話で、仏教関係者の皆様から怒られそうですが、

お釈迦様、仏陀が苦行の後、苦行では悟れないと気づき菩提樹の樹の下での「瞑想」中に「悟り」を開いた事と、

何度も死の危険を乗り越えた後、

電車に揺られ、「瞑想」中の様なまどろみの中で「夢」としてシンジがこの作品世界全体の構造を「悟った」事とを対応させております。

また、エヴァ本編も含め「輪廻転生」に見立てたこの作品内での苦しみをシンジとアスカが全て乗り越えて、苦しみから解放された事や、

更に「涅槃」には基本的に「人間道」からしか行けないという仏教内での教えに対応するように、

人間道の見立てである「6_Venus」の次章としてこの章がある事などからも、「7_Sun」の章を「涅槃」と見立てています。 

 

 「六道」を七曜に見立てたのは、一週間の始まりで、多くの人にとって最も苦しい日である「月曜日」を「地獄道」に見立て、

それを「一」とすれば、多くの人にとって休日である「日曜日」が「七」となって「涅槃」に当たる事になり、

更に、「日曜日」で終わる事で、エヴァンゲリオンという終末論をモチーフとした作品世界の中の問題を乗り越えたという事で、

「終末(週末)を越えた」となって上手くかかる為です。

その七曜を更に星に見立てたのは、月と関わりの深いエヴァ本編が「月」、「Moon」に当たり、

また、古今東西の「終末論」では終末後の世界が、多くの場合「光に満ちた世界」、「太陽」と深く関わる世界として言われる事から、

終末を越えた世界が「太陽」、「Sun」に当たる事になり、

更に、その直前の章である「人間道」が「Venus」、「夜明け」に輝く「明けの明星」である「金星」となる為です。

ただ、これはあくまで例えや見立てであり、作者としては決して「月」が「地獄」の象徴だとかそんな事を言うつもりは一切無いことを書いておきます。

日曜日の後には月曜日が必ず来るものですが、この作品世界の次の「月曜日」、「月」は、もう地獄では無いですし。

 

 この話を仏教の輪廻転生に見立てようと思ったのは、この話を書き出す前にまだ全体の構想を頭の中だけで考えていた頃で、

(エヴァ本編がユダヤ、キリスト教をモチーフにしているから、こっちは仏教か神道辺りをモチーフにしてぇなぁ。)

と、思っていたところ、

(そういや、生物が帰って来るとき、例えば菌だけとか、植物だけ、とか、動物だけ、とか種類ごとに帰ってきたら、その度に二人を取り巻く環境が大きく変わるなぁ。)

という考えが浮かび、

(環境が、自分を取り巻く世界が変わる、か…。そういや、輪廻転生も、死んで生まれ変わることで「自分の周りの世界」が変わるな…)

という事に気づき、

(細菌が戻ってくる事で食糧が腐敗して餓鬼道、植物が戻ってきて食糧やその他諸々の心配の無い平和な世界で天道。

 動物が戻ってきて畜生道。人間が戻ってきて人間道に見立てられるな…。

 更に、細菌や黴といった微生物が戻って来るまでは食糧に困らないが、その状況が続けば「免疫」が異常を来たすだろうし、

 「免疫」は常に争い続ける体内器官だから免疫に関する病気になる事で修羅道。

 更にエヴァ本編を地獄道に見立てて、それで最後に「あの夢」をシンジに見させれば、

 最後を涅槃に見立てる事ができて、この後は幸せな夫婦LAS作品にだけ繋がるという意味にもなるな…)

という発想に至り、ここからこの話全体のプロットが出来始めました。

シンジとアスカが何度も死に掛けるのも、「死んで生まれ変わる」という輪廻転生の見立てだったりします。

 

ちなみに、仏教だけでなく神道と関係するモチーフもこの作品本編には実は隠されていますが、

入りきらなかった、というより語らせようとしたが流れ的に無理があり出来なかった神道的なモチーフがあり、

それは、「渚カヲル」の「渚」の「ナギ」と、「イザナギ神」の「ナギ」。

更に、旧エヴァ二十四話ラストで、渚カヲルが「彼は逃げたのよ」とミサトに評された事と、

記紀神話において「イザナギ神」が黄泉津比良坂を「逃げた」と語られている事。

更に、渚カヲルの本来の姿である「アダム」が、「使徒」という「神」に近い生命を一体で生み出した事と、

「イザナギ神」が一柱でアマテラス神、ツクヨミ神、スサノヲ神をはじめとした何柱もの神々を生みだしたとされている事から、

「渚カヲル」、その本来の姿である「アダム」を「イザナギ神」に。

また、「綾波レイ」の「綾波」の「ナミ」と、「イザナミ神」の「ナミ」。

更に、綾波レイの本来の姿である「リリス」がサードインパクトによって人類全てを補完して一度「死」に追いやった事と、

記紀神話において「イザナミ神」が、「日に千の命を殺す」と言ったとされているように生命に「死」を与える存在とされている事。

更に、人間である第十八使徒「リリン」が聖書などでは悪魔の一種とされており、

「リリス」が、悪魔とされる「リリン」の祖であり、(聖書でのリリスとは異なりますが)「リリン」の祖先となる生命を一体で生み出している事と、

「イザナミ神」が一柱で黄泉津国で羅刹女や悪鬼などを生んだとされている事から、

「綾波レイ」、その本来の姿である「リリス」を「イザナミ神」にそれぞれ見立て、

サードインパクト時に「アダム」と「リリス」の遺伝子が交じり合い、

全ての生命がアダムとリリス両方の遺伝子を持つ存在となったこの世界を、

記紀神話で別れたとされている「イザナギ神」と「イザナミ神」が再び夫婦として一緒に暮らし始めた世界だと、

冬月かリツコ辺りに語らせようかと思いましたが、流石に無理でした。

ただ、これはあくまで本編で語れなかっただけであの世界は、「イザナギ神」と「イザナミ神」、

それに限らず別れ別れになった夫婦神が再び一緒になった、そういう世界です。

 

エヴァのゲームやエヴァンゲリオンクロニクル等で語られている準公式設定、また、エヴァの初期プロットなどでは、

「第一始祖民族」によって「アダム」と「リリス」は、それぞれ別々に「生命の種」として宇宙に蒔かれたとされていますが、

この作品世界では、シンジが見た夢からもわかる通り、

「第一始祖民族」は「最初の生命」では無く、また、「アダム」と「リリス」は元々「つがい」でした。

どうしてこういう風にしたのかと言いますと、訳あって「第一始祖民族」の方はここでは語らないでおきまして、

とりあえず、「アダム」と「リリス」を元々は「つがい」だととしたのは、

「アダム」と「リリス」が宇宙にバラバラに散ったと仮定すると、

この二つの「種」が同じ太陽系、しかも同じ「地球」に漂着する確率は、宇宙の広さから考えて天文学的に低い事。

また、もし仮に二つの「種」が自ら選んで「地球」へ来たとして、

同じ地球型惑星である金星や火星が近くにあるにも関わらず、何故二体ともわざわざ同じ「地球」を選んだのかという事。

特にアダムは、「使徒」というデタラメな生命を生み出している事からも、

金星や火星の環境に適応した生態系を創れてもおかしくは無く、アダムがリリスと争ってまで地球に拘る理由は無いように見えます。

また、使徒とエヴァの戦いは「アダム」と「リリス」の生存競争ともされているが、

「裏死海文書」という「予定表」ともいえるものが存在し、使徒の出現のタイミングもその「予定表」の通りであり、

更に使徒の行動にしても、殆どの使徒が「リリス」を「アダム」と勘違いしていたり、

複数同時出現をしなかったりと、生存競争としてはあまりにも人間側にとってご都合主義的で不自然だった事。

また、もし使徒とエヴァの戦いを「アダム」と「リリス」の生存競争とするなら、

ほぼ「裏死海文書」通りに「使徒」が動いた事からみて、「裏死海文書」は「リリス」側にとって攻略本とでも言えるもので、

使徒を全て倒して「アダム」との生存競争に勝てば「裏死海文書」はもう用済みのはずなのに、

「サードインパクト」を起こして「リリス」側の生命を全部滅ぼすようおそらく「裏死海文書」には書かれており、

「裏死海文書」が「リリス」側が勝つ為に用意された「攻略本」とも考え難く、

「裏死海文書」が一体何なのか良くわからなくなってしまう事等から、

「アダム」と「リリス」が別々に地球に来たと考える事、まして生存競争の為に使徒とエヴァを戦わせたと考えるには、

明らかに無理があると思い、元々「つがい」として地球に来たと考える方がずっと自然だと思い至ったからです。

故に、本編からもわかるとおり「裏死海文書」及び「人類補完計画」の真の黒幕は「アダム」と「リリス」であり、

その目的は生存競争でも、再び一つになることでも無く、地球上の全ての生命の「共存」です。

まあ、本当は思い至ったというよりも、先に本編最後のシンジの夢、及びこの作品のオチ(クオリアが流れ込むことによる魂の浄化と洗練)を思いついていたので、

それに合わせて理屈をつけたというのが真相ですが…。

そのため、先の解説の「イザナギ神」と「イザナミ神」の見立ての通り、

この作品は、実はLASだけでなくLRKでもあったりします。

ただし、LRKと言っても、あくまでアダムと統合した「渚カヲル」と、リリスと一人目、二人目、三人目のレイが統合した「綾波レイ」ではありますが。

 

 

 

 

この作品においての「人類補完計画」について 

 

エヴァ本編では、人類補完計画を成そうとする勢力は二つ存在し、

一つはゼーレ、もう一つはネルフ(つまるところゲンドウ)です。

EOEにおいて、ゼーレは、エヴァ初号機、エヴァ量産機、ロンギヌスの槍を使うことによってサードインパクトを発生させようとし、

ゲンドウは、再生したアダムの肉体、綾波レイ(リリスの魂)、リリスの肉体を用いる事によってサードインパクトを発生させようとしましたが、

EOEでそれぞれが独立して行った方法が混じり合ってサードインパクトが発生している通り、

この作品においての真のサードインパクトの発生用件は、

上記のものに加えてアダムの魂が揃った状態で、この二つの勢力がそれぞれに執った方法を同時に行う事でした。

そしてサードインパクトの真の目的は、全生命が一つになる事ではなく、

アダムの遺伝子とリリスの遺伝子の融合、アダム由来の肉体とリリス由来の肉体の融合による「肉体の補完」と、

人の魂の「浄化と洗練」、その先にある地球上の全生命の共存であり、

同時に、シンジが見た夢の通り、新たな「生命の種」を宇宙に飛ばすことでした。 

また、「生命の実」とは「生命の身」、使徒などの「アダム由来の肉体」で、

「知恵の実」とは「知恵の身」、人などの「リリス由来の肉体」をそれぞれ意味しています。

こう書くとまるで駄洒落のように思われるでしょうが、

そもそも「実」とは、植物の生殖器である「花」が「受粉」する事によって出来る「植物の子供の肉体」であり、

故に「実」を、「肉体」の隠喩と捉える事も出来ます。

「身」と「実」を日本語ではどちらも「ミ」と呼ぶのも、もしかしたらこの事が関係しているかも知れないですしね。

実際に聖書で登場する「知恵の実」と「生命の実」が、果たして「肉体」の隠喩であるのかはわかりませんが…。

また、 「裏死海文書」は、「アダム」と「リリス」がその作者の人間の意識に干渉して書かせたものです。

神の人の無意識への干渉は、その人の感度、「魂」の浄化具合、洗練具合と、干渉の強さによって、

時に無意識下から意識上にはっきりとしたものとして顕現する事もあり、

それ故はっきりと文字として、或いは自動書記としてその干渉が現れて、裏死海文書は記されました。

後、ゼーレ側のサードインパクトの発生方法は裏死海文書に記述されている方法であり、

ゲンドウの行った方法は、セカンドインパクトの時のデータなどを参考にMAGI等で試算して導き出した独自の方法という設定です。

 

 

 

 

この作品の使徒について

 

実は復活しています。

ただし、人間や他の生命と違い、「使徒」の身体は以前のものから、実体を持たない霊的存在のような抽象的なものへと大きく変わっています。

また、復活した使徒は条件つきで身体を実体化させる事も出来、エヴァ本編に出てきた時の能力を更に拡大して発揮できるのに加え、

使徒の名前の元ネタとなった天使が司るものを操ったり守ったりする力も持ち、

それらの力を使って自然環境を変化させたり、人間や他の生命の営みを守護する役割を持つ本物の天使の様な存在へと変わっています。

 

詳しくは後述しますが、「3_Mars」においてシンジとアスカが「2_Jupiter」の時の様に病気にならなかったのは、

「2_Jupiter」ラストで細菌等の微生物が帰って来た後に、微生物タイプの使徒「イロウル」が帰ってきていて、それ以来二人を守護していた為です。

 

また、「3_Mars」の最後に起こった大洪水は、人間の文明を有毒な物や不要な物ごと洗い流して浄化し、

赤い雨に乗せて植物等を復活させる為に「アダム」と「リリス」が使徒を使って起こさせたもので、実は全世界で起こっていました。

その際、

「水」を司る「サキエル」が水全般の操作、及び水に関わる他の使徒の働きの補助。

「雨」を司る「マトリエル」が雨の操作。

「雷」を司る「ラミエル」が雷の操作、及び雷を通しての雲、その他気象等の操作。

「鳥」を司る「アラエル」が鳥として気流を操作。

「空」を司る「サハクィエル」が、天候全般の操作、及び空で行われている他の使徒の働きの補助。

「魚」を司り、魚のような身体を持っていた「ガギエル」が、魚として水流を操作。

建物を切り裂く触手を持っていた「シャムシエル」が、建物等の切断、分解。

あらゆる物を飲み込む影のような身体を持っていた「レリエル」が、有毒な物体や不要な物体を吸収、埋没、封印。

マグマ内で泳げる身体を持っていた「サンダルフォン」が、地下のマグマの流れの操作、それを通じての地震や火山活動などの誘発。

という感じで各使徒がそれぞれ働いていました。

ちなみに、この章でシンジを引き止めた「声」の正体は、

シンジの深層意識下に元々あった「勘」、「予感」を、「アラエル」がシンジの心を「暴いて」、

「勘」や「予感」をシンジの深層意識から顕在意識へと引っ張り出したもので、

あの「声」自体は、シンジのものだったりします。

また、カヲルとレイの声は本人達のもので、

それ以外の「声」は基本的に、シンジとアスカが精神不安などを起こした事で起こった幻聴です。

まあ、エヴァの作品世界に本来いないものを使うのでアレなんですが、

悪魔的な何かが居て、それによって起こされたものだったのかもしれません。

ただし、悪魔的な何かがいたのはあくまで洪水によって流される前までですが。

また、エヴァ劇中で登場した使徒以外にも、「神的な何か」が存在しており、復活した使徒と共にあの洪水の発生を助けたりしていたかもしれません。

 

 「5_Mercury」において虎についていたのも実は使徒で、「バルディエル」と「ゼルエル」がついていました。

何でこの二体が虎にとり付いてこんな事をしたかと言いますと、

そもそも、この作品世界において使徒がエヴァと戦った理由は、人間にエヴァを造らせてサードインパクトを起こす準備を整える為というものの他に、

人間が「アバドン」によって「魂」を浄化、洗練されたように、「使徒」の「魂」の浄化、洗練の一環の為だったりします。

その使徒の魂の浄化洗練の為の戦闘において、この二体はそれぞれ初号機にバラバラにされたり食い殺されたりと、

それぞれが使徒の中で一、二を争う凄惨な殺され方をした存在で、

しかもそれがパイロットであるシンジの力では無く、ダミープラグやユイの力によってという、

シンジ本人の実力では無いある意味卑怯ともいえる殺され方だった為、シンジに対して恨みが残っており、それ故に虎にとり付いてシンジに襲い掛かりました。

虎以前に現れた動物達が他の動物を食べなくなったように、本来この虎も身体が変わったことで肉食では無くなっていました。

シンジに襲い掛かった時、口から「血」の臭いがしなかったのはその為です。

しかし、粘菌の身体を持っていた「バルディエル」がキノコに取り付き、強力な興奮作用と攻撃性増進作用と幻覚作用を持つ毒を生成して、

そのキノコを虎が食べた事で虎に「バルディエル」がまずとり付き、キノコの作用で心が隙だらけになり、

とり付き易くなった所を更に「ゼルエル」が虎にとり付きました。

虎が出したATフィールドは、虎自体が持っていた力にこの二体の使徒、特に「ゼルエル」の力が加わったものです。

シンジに対して恨みが残っているだけなので、ターゲットはあくまでシンジのみで、

仮にシンジが食われてもアスカとミライが食われる事はありませんでした。

シンジとの戦闘後は虎も元にもどり、「バルディエル」と「ゼルエル」も納得と諦めから恨みが霧散したので、

以後、この二体は他の使徒同様に人間や他の生命を守護する為に働くようになり、もう再びシンジの命を狙う事はありません。

また、この時、シンジ、アスカ、ミライ側にも、

二体に分裂して「シンクロ」した動きをする使徒であった「イスラフェル」が、シンジがより「シンクロ」できるように補助し、

融合して「心を伝える」力を持つ使徒であった「アルミサエル」が、アスカとミライの祈りがシンジにより伝わるように補助し、

それぞれシンジを助けていました。

ただ、この二体の働きはあくまで「補助」で、「シンクロ」も「心を伝える力」も、シンジ、アスカ、ミライをはじめ、この作品世界の全ての生命が本来持っている力です。
 

この作品中で使徒が大きく力を発揮していたのはこれらの場面ですが、復活後の使徒は普段から地球全体の環境操作も陰で行っており、

また、アスカの妊娠と出産を「子宮」を司る「アルミサエル」と、「胎児」を司る「サンダルフォン」が陰で助けていたりと、

シンジ達を、シンジ達だけでなく全ての生命の営みを生命が共存できるように陰から助け続けていたりします。

 

使徒がこういう風に働いているのに対して「アダム」と「リリス」は何をしていたのかといいますと、

「使徒」の働きの指揮や、「魂」だけになった生命が再び「自我」を取り戻す手助け、

「アバドンの蝗」化した人間達の操作(完全に自然の成り行きに任せると、どうして「裁き」が公平にはならない所が出来る為)等を行っていました。

また、セカンドインパクト後にリリスとアダムの「魂」がそれぞれ綾波レイと渚カヲルになっていた間は、

生命の無意識への干渉は、主に「リリスの肉体(魄)」によって行われていました。

 

 

 

肉体の変化(元リリス由来の生命)について

 

使徒の身体が変わったように、人間をはじめ、元々リリスの遺伝子を持っていた生命の身体も変化しており、

虹が十一色に見える事や、魚などがLCLで変化した海洋環境でも生息できるようになった等、

本編中にも幾つか変化した部分が挙げられましたが、最大の肉体の変化は、以前よりも精神の肉体への影響が段違いに強くなっているという点です。

それ故、罪悪感などで精神の拮抗を崩すと簡単に体調を崩して死にかけたり、逆に精神的に復調すると身体もすぐに回復したりします。

シンジが「2_Jupiter」ラストで「免疫」のバランスを崩して「病気」になったのも、精神の均衡を崩した事がそもそもの原因で、

対して、「3_Mars」でシンジとアスカが精神の均衡を崩したにも関わらず体調を崩したり病気になったりしなかったのは、

先述した様に「イロウル」がストレスの影響から二人の身体を守っていたからです。

また、「願い」も身体に反映されやすく、本編でのシンジのスパシン化は、シンジの「願い」が身体に反映した為という部分もあります。

更に、虎がATフィールドを出したり、シンジが生身でそれを破ったりしたように、

完全な肉体になった人間が、ATフィールドを出そうと「願って」修行し続ければ、

出力は小さいながらATフィールドを実際に出せるようになったりします。

ついでに、ATフィールドどころか「か○はめ波」や「ス○シウム光線」なんかも出せるようになったりします。

完全な肉体は半分使徒と同じ肉体であり、

作中でちょろっと出てきた「S12機関」を実は復活した生命は備えており、休眠状態の「S12機関」を活性化させる事で、そんな芸当が出来るようになっています。

この体内の「S12機関」の発動条件もまた、精神状態と深く密接に関係しています。

また、他の特徴としては以前よりもずっと人間は色々なものに飽きにくくなっており、特に恋愛に関しては相手に飽きるという事はもう起こりません。

「3_Mars」でシンジがアスカに飽きたのは、精神の均衡が崩れた事が原因で感覚がおかしくなっただけで、純粋にアスカに飽きたわけではありません。

故に、この作品の世界では以後、夫婦や恋人には倦怠期というものは殆ど無く、

あってもすぐに元に戻りますので別れる事はありません。

また、浮気や不倫というものも一切おこりません。

もし万が一、億が一、兆が一、穣が一、極が一、浮気や不倫が起こったら、それをした当人達はどうなるかといいますと、

罪悪感と自分に対する嫌悪感で体調を崩してそのまま死にます。

それは他の不道徳な行為や、不必要に他者を傷つける行為にしても同様だったりします。

完全な肉体は、精神が大きく影響するが故に罪悪感や自己嫌悪で簡単に死んでしまうような身体であり、

そんな身体でも生きていけるように、罪悪感を感じるような事を「心の弱さ」から人間がもう起こさないよう、

人間の精神を成長させる為にアバドンによる「魂」の浄化と洗練が起こったとも言えます。

また、別れている時に二人から性欲が消えていたのも、身体の変化によるものだったりします。

 

後、この身体はもしかしたら老いる事や寿命で死ぬ事が無いかもしれません。

なにせこの作品の後の世界は、あくまで「見立て」ではありますが、「涅槃」であり、同時に、「終末」を乗り越えた世界ですので。

 

ミサトに再びペンダントをあげたのはミサトの父親で、ミサトがアスカに惚気ていたのは加持の事です。

どうしてこの二人の名前を出さなかったのかと言いますと、

サードインパクト以前に死んだ奴らまで甦るなんて都合良過ぎじゃねーの?

と、何処からか(今まで死んだ人の魂もあったと作中で言ってるのに)いらんツッコミをされる気がしたので、本編中では名前を出さずあえて解釈の余地を残しました。

電車での結婚式の話の時のアスカの母親にしても、キョウコさんでは無く、継母の方とも解釈できますしね。

いや、あの話で言われていたのはキョウコさんですけどね。あくまで私の中ではですが。

 

ここに書いた解説はあくまで作者である私の脳内設定であり、準公式設定みたいなものです。

故に、あの作品世界をどう取るかは読み手の皆様の自由です。

ですので、もう恋人や夫婦に倦怠期がなかったり別れなかったり、

老いなかったり死ななかったりするかもしれないというような事や、

加持やミサトの父親やキョウコといったサードインパクト以前に死んだ人が復活している事などが、

ご都合主義だ何だと気に食わないのであれば、

どうぞご自由に解釈でもしてください。

  

十一色の虹などの解説については、更に宗教的、オカルト的に専門的な話となる上、解説の電波度が更に上がるので、

このページとはまた別の、このページ最後にリンクを張ったページにて行いたいと思います。

 

2009年12月12日  たう

 

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