Secondary  6_Venus-3

 

 

 

 

僕達が復興した第二新東京市に住むようになってから、半年程経った。

 

僕とアスカはミライを連れて、松代にあるHRO、「人類再生支援機構」の本部に来ていた。
本部施設は旧ネルフ第二支部の施設を幾つか再利用して建てられており、
ミサトさんをはじめ元ネルフの人達の殆どが現在此処で働いている。

 

ナンバープレートに「三六九」と書かれた部屋。
ここが、ミサトさんの部署のある部屋だ。
「じゃあ、また後でね。シンジ。」
「うん。終わったらすぐに呼びに来るよ。」
アスカが、ドアを開けて部屋に入っていく。
「あら、いらっしゃいアスカ、ミライちゃん!」
中から、ミサトさんの声が聞こえた。
「ヘロ〜、ミサト。」
「ヘロ〜!」
「へロ〜。今日シンジ君は?」
「ちょっと上に寄ってくるって。」
「そ〜なんだ。…ところでさ、ねぇねぇ、ちょっと聞いてよアスカ!あのバカがさぁ…」
「あら、ちょうど良かったわ。こっちもちょっと聞いてよミサト!バカシンジがさぁ…」
ドアが完全に閉まる直前、ミサトさんとアスカのそんな会話が聞こえた。
う…。
何話す気なんだアスカ…。
ミライもいるんだしあんまり僕の愚痴とか言わないで欲しいな…。
二人の会話を気にしつつ、僕は目的の部屋に向かった。

 

 

 

「五六七」研究室。
リツコさんがいつもいる部屋だ。
普段なら、僕がノックするとすぐに出てくるけど、今日はいくらノックしても出てこなかった。
どうやら今日はここにいないみたいだ。
仕方が無いので部屋の前から立ち去ろうとした時、
「あら、どうしたのシンジ君?」
と、マヤさんの声がした。
振り向くと、マヤさんだけじゃなく、シゲルさんとマコトさんも一緒だった。
「こんにちは、マヤさん、シゲルさん、マコトさん。」
「こんにちは、シンジ君。」
「こんちは、シンジ君。」
「こんにちはシンジ君。リツコさんに何か用だったのかな?」
マコトさんが、僕に訊いた。
「はい。借して貰っていた資料を返そうと思ってたんですけど、どうやらいないみたいで。
 リツコさん、例の場所に行ったんですか?」
「ええ。多分リツコさん、一週間ぐらいは帰ってこないんじゃないかしら。
 明日私達、リツコさんの所に行くから良かったらその資料、直接リツコさんに渡しておくけど…」
「ありがとうございます。じゃあお願いします。マヤさん。」
僕は、リツコさんから借りていた資料をマヤさんに渡した。
「ところで、シンジ君。
 唐突で悪いんだけど、俺とバンド組まない?」
シゲルさんが、本当に唐突にそんな事を訊いてきた。
「え?バンド、ですか…?
 でも、僕は楽器なんてチェロぐらいしか…」
「そんなの気にしなくて良いって。シンジ君にはボーカルをやって貰うつもりだから。」
「ええっ?!ぼ、僕がボーカルですか?!何でっ?!!」
「いや〜、実はもう俺のバンド、ギターもベースもドラムも揃ってて、後はボーカルがいないだけなんだよね。
 それでボーカルをずっと探してるんだけどさ、
 シンジ君、何やら女声もシャウトも上手いって話だし、それってある程度高音域もカバー出来て声量もあるって事じゃん?
 だからボーカルには打ってつけだって思ってさ。」
何処でそんな話が…。
エヴァに乗っている時も散々叫んでいたから、シャウトが上手いって話はまだかろうじてわかるとして、
女声なんて殆ど人前ではしたこと無…。
ああ…、
アスカか…。
「なあ、頼むよシンジ君。試しに一回だけでいいからさ。な、この通り。」
シゲルさんが、僕に手を合わせて懇願した。
「え、えと、僕、歌とかあんまり…」
「こらシゲル、シンジ君困ってるだろ。ごめんなシンジ君。」
マコトさんが、僕に助け舟をだしてくれた。
「何だよマコト〜。せっかく俺がシンジ君をバンドに誘ってる所を邪魔すんなよな。
 …そういやさぁ、シンジ君聞いてくれよ。
 一回ネルフが停電になった時ってあったじゃん?マコトのやつさ、その時知り合った選挙カ……もがっ!」
シゲルさんが何かを言いかけた所で、マコトさんが慌ててシゲルさんの口を手で塞いだ。
「こらシゲル!!!ドサクサに紛れて何シンジ君に言おうとしてるんだよ?!!」
「い〜じゃんマコト〜。どうせいつかシンジ君にもバレるんだし。」
「よかないよバカッ!!!バレるにしてもタイミングってものが…」
そしてシゲルさんとマコトさんは僕そっちのけで口論、と言うよりじゃれ合いをはじめた。
「まったく、何やってるのかしらね二人とも…。
 ゴメンね、シンジ君。」
シゲルさんとマコトさんを呆れるように見た後、マヤさんが僕に言った。
「あ、いえ…。
 マヤさん、これから冬月さんに会いに行くんで、そろそろ僕は行きますね。」
「うん。二人には私が言っておくから、気にしないで。」
「ありがとうございます。それじゃあ、マヤさん。」
「うん。それじゃあね、シンジ君。」
そして、僕はマヤさん達に背を向けて歩き出した。
「もうっ!シゲルさん、マコトさん、いつまでやってるの!シンジ君もう行っちゃいましたよ!」
背中越しに、マヤさんが二人に怒る声が聞こえた。
マヤさん、ほんの少しだけ変わったみたいだな。
「それにしても、バンドか…、やっぱりちょっとだけ、興味あるかもな…。」
冬月さんの部屋へ向かいながら、僕は呟いた。
 

 

「○九十」と書かれた部屋。
僕はドアを二回ノックした後、
「失礼します冬月さん。碇です。」
と、ドア越しに冬月さんに言った。
「おお、シンジ君か。入ってくれて構わんよ。」
冬月さんが中から言った。
「失礼します。」
部屋のドアを開き、僕は中に入る。
部屋の中には、冬月さんと時田さんがいた。
「こんにちは冬月さん。それとお久しぶりです、時田さん。…あの、僕が居ても大丈夫ですか?」
「おお、久しぶりだねシンジ君。ちょうどさっき私も用事が済んだ所だから、気にしてくれなくて構わんよ。
 それでは冬月さん、失礼致します。」
「うむ、またな。時田君。」
そうして、時田さんは席を立ち、冬月さんに一礼した後、部屋から出て行った。
「時田さん、何の用事だったんですか?」
僕はソファに座り、冬月さんに尋ねた。
「何、いつも通り重化学工業共同体の代表として、「何を残すべきか」について相談に来ていただけだよ。
 ところで、今日はアスカ君とミライ君は?」
「下のミサトさんの所で待ってて貰っています。
 今日は出来れば冬月さんと二人だけで話をしたかったので。」
「そうか。して、話と言うのは?」
「はい。…あの、冬月さん。父さんと母さんがどんな人だったのか、教えて頂けませんか?」
「また、随分と唐突だな。」
「すいません。」
「謝らんでもいいよ。嫌味のつもりで言ったわけでは無いからな。
 確かに、私は君の父親と母親について、共によく知っている。
 それに、私もいつか君には、君の父親である碇ゲンドウと、
 母親である碇ユイ君の事について話しておかなければならないと思っておったしな。」
「じゃあ、話してくれるんですか?」
「うむ。時間もある事だしな。」
「ありがとうございます。冬月さん。」
「さて、では何から話すべきか…」

 

そして、冬月さんは僕に父さんと母さんの事を語り始めた。

 

 

 

「君の母、碇ユイ君と私が知り合ったのは、彼女がまだ学生の頃だった。
 ユイ君は元々、私が形而上生物学の教授として京都の大学で教鞭を執っていた頃の教え子の一人でね。
 とても優秀な学生だったよ。
 人格的にも何の問題も無い、良く気が利き、明るく、優しい、しっかりとした人だった。」
「……。」
「一方で、君の父、碇ゲンドウと知り合ったのもその頃だった。
 もっとも、この頃はまだ婿入り前で、六文儀という苗字だったがね。
 ヤツとの最初の出会いは、警察署の中だった。」
「警察署、ですか?」
「うむ。
 君の父は酔った勢いで喧嘩を起こして、留置所に入れられていたのだ。
 その時、ヤツは何故か身元引受人として、当時はまだ面識の無かった私を指定した。」
何やってるんだ父さん…。
少し情けない気持ちになった。
…それはともかく、
「父さんは、なんでまた冬月さんを身元引受人に?」
「さあな。
 おそらく単なる気まぐれだろう。
 もっとも、その時のヤツの弁では、私の事をユイ君から聞いて、興味を持ったからだと言う事だったがね。
 ヤツとはそれ以来、十数年来に渡り付き合い続ける事になるが、何を考えているのか良くわからない事が多かった。」
「…冬月さんの事を父さんが母さんから聞いたって事は、その時既に二人は知り合いだったんですか?」
「ああ、後でユイ君に聞かされる事になったが、その頃既にヤツとユイ君は付き合っていたそうだ。
 元々ヤツはその当時、形而上生物学の中でも有名な研究者で、学会内でも異端視されていた存在だった。
 ヤツの当時唱えていた学説、その中でも「結晶遺伝子論」は特に、
 アダムやリリスの存在を知らない当時の私や他の研究者達から見れば、荒唐無稽で突飛なものだったからな。
 だからかは知らんが、ヤツ自身や、ヤツの唱える学説に群がる人物や組織には、常に胡散臭い、妙な噂が絶えなかった。
 どうしてユイ君がそんな人物と交際しているのか、当時私は理解に苦しんだよ。
 もっとも、妙な噂があったのは、ユイ君の背後に存在していたゼーレについても同様だったがね。」
「母さんの背後に、ゼーレが?」
「ユイ君の家系、碇家は元来、古くから、それこそ明治の初めの頃からゼーレと深い関わりを持ち続けていた家系だったそうだ。
 当然、彼女が望むと望むまいと、彼女自身もゼーレと深い関わりを持っていた。
 最初、君の父は、彼女とゼーレとのつながりをヤツの周りの人間達から嗅ぎつけ、それを目当てにユイ君に近づいたのだ。
 人類を裏から支配するゼーレ、その頂点にいる者たちに直接接触するという野心を持ってな。
 もっとも、すぐに君の父は本当にユイ君の事を愛してしまう事になってしまったが。」
「……。」
「セカンドインパクトの後しばらくは、彼らと連絡が途絶え、私は彼らの安否すら知らなかった。
 そんな中、愛知県で闇医者として生活していた私の所に、君の父から連絡が来た。
 君の父と再会した時、ヤツは既にユイ君と婚約し、苗字を六文儀から碇へと改めていたよ。
 君も、既に生まれていた頃だったな。
 その頃ヤツは既にゼーレと深く関っていて、ゼーレの計画を忠実に実行していた。
 セカンドインパクトの発生にも、ヤツは深く関わっていた。」
「……。」
「私は、セカンドインパクト発生の真相を知りたくて、君の父が所長を務めていたAEL、人工進化研究所という組織へ、
 君の父に直接問詰めに行った事があった。
 ユイ君と再会したのは、その時だ。
 ユイ君はヤツの下、AELで、
 正確にはそれを隠れ蓑にした非公開組織であるゲヒルンにおいてエヴァの開発に携わっていた。
 自らをエヴァとの接触実験の被験体としながらな。
 そして、実験中の事故で彼女はエヴァに取り込まれ、そのまま、自らの意思でその中に留まる事になった。」
「母さんは、やっぱり自分から望んでエヴァに残っていたんですね…。」
十年もの間、たった一人で。
そして…。
「それが、その時彼女に出来る最善の選択だったのだ。
 彼女は、ゼーレがセカンドインパクトを起こした事も、更にサードインパクトを起こそうとしている事も、全てを知っていたよ。
 だが、全てを知っていながら、彼女、いや、私達の誰も、どうする事も出来なかった。
 その気になればすぐにでも世界を破滅させられる程、ゼーレは強大だったからな。
 我々がどう歯向かった所で、彼らに太刀打ちなど出来はしなかった。
 彼らの計画を止める事は、出来なかったのだ。」
「だから、世界がサードインパクトで滅んでも、せめて人間が生きた証、「心」だけは残るよう、
 母さんは、エヴァに残り続けた。
 例え、永遠に一人で宇宙を彷徨う事になったとしても…。」
「ああ…。」
「……。」
「…話を戻そう。
 ユイ君がエヴァに取り込まれた後一週間もの間、
 君の父は全ての職務を放棄して行方を眩ませ、当ても無く各地を彷徨った。
 ユイ君を失った事が、ヤツの心に大きな傷を与えたのだな。
 一週間もの彷徨の後、ヤツは一つの強い決意を秘めて帰って来た。
 人類が神へと至る道、「人類補完計画」を遂行するという強い決意を秘めてな。」
「……。」
「その日から、ヤツは変わった。
 それまでも仕事人間的な所はあったが、
 それからは、いつ寝ているのかもわからない程、ヤツは常に獅子奮迅とも言える働きを見せ続けた。
 同時に、自分の本心を、決して他人には見せなくなった。
 冷徹に、手段を選ばず、ただ「人類補完計画」を成す為だけにヤツは生きるようになった。
 それも全て、「ユイ君にもう一度会いたい」というヤツ自身の願いを叶える為だけにな。」
「……。」
「君がヤツの遠い親戚に預けられたのも、ちょうどその頃だ。
 その頃のヤツにはもう、時間的にも精神的にも、君を構ってやれるだけの余裕は無かったのだ。」
「……。」
「今でも、君はヤツの事を恨んでいるかね…?」
「いえ、父さんに対しては、恨んでいるとか、そういう事はもうありません。」
「そうか…。
 ……こんな事を私から言うのも何だが、
 あの海の世界でヤツの記憶を見る限り、ヤツは元来、不器用な人間でな。
 駆け引きには強いが、例えばユイ君や息子である君、或いはレイの様な、損得感情抜きに付き合う相手には、
 傷つけるのが怖くて、どう接すればいいのかわからなくなるらしい。
 心から人と接する事に、慣れていなかったのだろうな。」
「……。」
「それに、既にあの時、ヤツは君がエヴァのパイロットになる可能性がある事を見越していた。
 君に優しく接し続けていれば、もし君をエヴァのパイロットにして辛い目に合わせてしまった時、
 より深く君を傷つけてしまう事になるだろうとヤツは考えていた。
 君の友達である鈴原君を傷つけた時のようにな。
 だからこそ、ヤツは君を遠ざけ、むしろ君の敵であろうとし続けた。」
「……。」
「ヤツが君の事を遠ざけ続けていた主な理由は、そんな所だ。
 ヤツはヤツなりに、君の事を案じていたのさ。
 恨んでいないのなら良いが、もしも本当は違うのなら、
 許してやってくれとは言わないが、ほんの少しだけでも、ヤツの気持ちをわかってやって欲しい。
 それが、上辺だけとは言え、十年以上ヤツと付き合い続けてきた、私のささやかな願いだよ。」
「……。」
「私は、それを君に言いたかった。差し出がましい事を言ってすまなかったな、シンジ君。」
「いえ、ありがとうございます冬月さん。
 とても、嬉しかったです。」
「そうか。」
冬月さんは、そう言って小さく笑った。

 

 

 

 

「僕には、今でもわからない事があります。
 どうしてこうまで、僕達を含めて、世界中の人々がゼーレの思惑通りに、
 ゼーレの持っていた「裏死海文書」の記述通りに動き続けたのかという事です。
 例えゼーレがどんなに強大でも、そこに書かれている「予言」の成就を阻もうとする人々はきっと幾らでも居たはずです。
 それこそ、ゼーレが世界を支配する前や、ゼーレの内部にも。
 でも、結局は誰にも「裏死海文書」の予言の成就を、それを元にしたゼーレの計画を阻む事は出来なかった。
 いや、阻むどころか、むしろ阻もうとした事が結果的に、
 ゼーレの計画と「裏死海文書」の予言の成就を助ける結果になった事さえ多々あった。
 サードインパクトまでの世界の歴史の一連の流れは、ゼーレを阻もうとした人々の「意思」とは全く無関係な、
 あらゆる「偶然」に支配された「運命」としか言えないものの様に、僕には見えました。」
「ふむ…。
 シンジ君。
 唐突だが、そこの将棋盤の上の駒をどれでもいいから一つ取ってみてはくれんか?」
冬月さんにそう要求され、僕は机の上にある将棋盤の上から、「と」を一枚、手に取った。
すると、
「どうして、その「と」を選んだのだね?」
冬月さんが、そう僕に訊いた。
「いえ、特に意味は…。ただ「何となく」ですけど…。」
「つまり、「無意識」だったという訳だな?」
「まあ、そうですね。
 近かったから、とか、何となく「と」の赤い文字が気になったから、とか、
 「理由らしきもの」を挙げようと思えば挙げられますけど。
 それがどうかしたんですか…?」
「ふむ。
 君はさっき、「裏死海文書」の「予言」の成就は、「意思」とは無関係な、「運命」としか言えないものの様だと言ったな。
 阻もうとしても、結果的にその成就を助ける事になってしまうものとも。
 それは「神である彼ら」が、人の「無意識の選択」に干渉していたからで、
 「彼ら」から干渉を受け知らず知らずの内にしてしまった人々の「無意識の選択」が積み重なり、
 それらが「決して人にはわからない伏線」として働き、
 結果的に、君の言う「運命」の通りに世界が動いていく事になった、と言う考えはどうだね?」
「それは、ホントなんですか…?」
「あくまで仮説の一つだよ。
 だが、こう考えれば幾らかの辻褄が合う。
 ご都合主義的とさえ言えるほど、ゼーレにとって都合良く、「裏死海文書」の記述通りに物事が進行していった事にな。」
「人の意識の至らぬ「無意識」の領域、「選択の基準そのもの」に干渉する「神」、というわけですか。
 なるほど、僕がさっき、この「と」を選んだ「理由」にしても、
 その「理由」が頭に「浮かんできた」のも、その「理由」を「選択してしまった」のも、
 その「理由」で「動いてしまった」のも、
 そもそもは僕の意識の及ばない「無意識」から来ているものですからね。
 そんな事が、大多数の人々に対して出来るのなら、確かにこうもご都合主義的に物事を動かす事も、可能ではありますね。
 でも、そう思うと、まるで僕が今確かに持っていると感じている「自分の意思」も、
 本当は「神」か何かに操られているだけのような気になってきますね…。」
「人の「意識」とは、突き詰めればすべからく、自身の「意識」の及ばない「無意識」から成り立っているものだからな。
 だが、例え「意思」自体が何で出来ていようとも、そこに「何」が干渉していようとも、
 君も私も確かに「自分の意思」で感じ、考え、判断し、行動して生きている。
 その事に変わりは無い。
 そこにある「自由」もな。」
「そうですね。
 それが「本当の意味での自由」でなくても、「自由だと感じる」事は、確かですしね。
 それに、「本当の意味での自由」、「完全な自由な世界」を、もし人が手に入れれば、
 きっと「自分の形」すらわからなくなってしまうでしょうしね。
 …でも、何だか理不尽な気がしますね。
 そんな風に人の無意識に干渉して世界を操る事が出来るのなら、人がこれほど苦しみの歴史を歩む必要も無かった気がします。
 それを清算する為の、サードインパクトも。」
「…むしろ、逆なのかもしれんな。」
「逆、とは?」
「「神」が干渉する事が出来なくなっていったから、サードインパクトを起こすしかなかった、という事だよ。」
「どういう事ですか?」
「人は、この地球上の生命の中で、最も知能が高く、最も強い「我」を持つ生命だ。
 それ故に、多くの「自由」を持ち、同時に、強い「欲望」と「執着」を持っている。
 …シンジ君、「欲望」と「執着」に人が強く囚われると、一体どうなってしまうかね?」
「どうって…、
 そうですね、周りが見えなくなったり、その事しか考えなくなったりしますね。」
「うむ。その通りだ。
 そんな時、人は「他の選択」に目が行かなくなり、融通や、柔軟性を失ってしまう。
 時には、せっかく持っている「選択の自由」に、全く気づく事さえ出来ないほどな。
 だから人が強い「欲望」と「執着」に囚われている時、人は「無意識」から遠ざかる。
 正確には、「無意識」の「欲望と執着を司る領域」以外の「他の領域」から遠ざかり、繋がり難くなるのだ。
 そして、「欲望」や「執着」に囚われれば囚われるほど、「神が干渉できる領域」はどんどん狭まっていく。
 故に、「無意識」に対する「神」の干渉は、
 「欲望」と「執着」に囚われ過ぎた「獣のような人間」には特に難しくなる。
 それは、「神」に操られ難く、「神」からは「自由」になる事を意味するが、
 同時に、「神」に導かれ難く、助けられ難くなるという事も意味する。
 そして、そんな「獣のような人間」ばかりが増えると、「神」は人を、人の社会を操れなくなる。
 当然、人々を救うこともな。
 そんな状態で人々が「神」に対して「自分を救え」と不平を言うのは、
 「神」の立場からしてみれば、ハンドルもブレーキも無しに、
 アクセルだけで車を運転しろと言われているようなものなのだろうな。」
「……。」
「他の生命にはない強い「我」と、高い知能から多くの「自由」を持つ我々人類は、
 その強い欲望と執着から、必要の無い物まで欲しがり、拘り、
 必要以上に自然を壊し、自然や、同じ人間同士からさえ様々な物を奪い、
 やがて、神の意図から外れた「奪う事でしか成り立たない社会」を造りだした。
 放っておけば、この地球上に棲む他の全ての生命を道連れに自滅するしかない様な、な。
 だから人が苦しみの歴史を歩むのも、サードインパクトが起こるのも、必然で、必要な事だったのだろう。」
「過ぎたる欲望と執着、「我」が、人を、自ら自滅の道へと誘った、という事ですか。
 ですが、それでは逆にゼーレが世界を都合良く動かす事も、まして「裏死海文書」を成就させるなんて事も、
 不可能だという事になるんじゃ無いんですか?」
「確かに、「神」が直接人々を操る事は難しくなるだろうな。
 だが、欲望と執着に囚われた人々は、私がさっき「獣のような人間」と言ったように、
 その行動原理も獣の様に単純で、故にその行動パターンや行動の帰着する先も実に読みやすく、同じ「人間」にとっては、
 策謀や権力などによって彼らを操る事は比較的容易い事なのだ。
 ゼーレは、人々の「習性」を知り尽くしていた。
 そんなゼーレにとって最も行動を読み易く操り易い人間は、そんな「獣のような人間」達だった。
 だから、ゼーレは彼らの行動を読んで操り、「彼ら」を通じて世界を裏から支配する事が出来たのだよ。
 それに、「欲望と執着」という領域からなら、「神」も直接彼らに干渉できるからな。」
「なるほど…。」
「ゼーレは、元々は自分達の国を失った流浪の民族から発祥した組織だった。
 それ故に、彼らは最初各地で移民として低い立場に立っていた。
 その彼らが世界を裏から支配できる程に強大になったのは、
 彼らが人々の「習性」を知り尽くしていた事、
 また、例え一つの計画に対しても、非常に長い、それこそ世代交代しても続けられるほど長いスパンで行動し続け、
 着実に彼らが自分達の計画を成していった事。
 そして、彼ら自身は自分達の宗教の教義を守り続け、更に自分達の犠牲を厭わないが故に、
 「神」に従う事以外の「欲望と執着」に囚われ難く、それ故に「神」の導きを受け続ける事が出来たであろう事が主な要因だった。
 やがて、彼らは「金銭」を支配するに至り、
 それを通じてゼーレは「獣のような人間」達を「金銭」によって陰から支配できるようになった。
 社会が出来れば、多かれ少なかれ人々の欲望と執着は「金銭」という形で一元的に統合される事になる。
 その「金銭」を支配するという事は、多くの「欲望と執着」を同時に支配するという事と同義だったからな。
 そして、その「金銭」の支配が何処にでも及ぶよう、ゼーレは、「何もかも」を「経済化」していった。
 同時に、多くの「対立」を煽る事でそれを隠れ蓑にし、自分達が陰から世界を操り支配している事を人々に上手く隠しながらな。」
「そうして、ゼーレは何処までも強大になっていき、やがて世界のほぼ全ての国を裏から支配するに至り、
 「神」は、ゼーレの、特にゼーレのトップの「老人達」の「無意識」に干渉する事で、人々を、「歴史の大きな流れ」を支配し、
 ゼーレの計画と、「裏死海文書」の予言を成就させ、サードインパクトに至った、という事ですね。」
「そういう事なのだろうな。」
「…「神」からの干渉、「神」の導き…。父さんも、そうだったんでしょうか…。」
「ああ、きっとそうだったのだろうな。」
「父さんは、母さんともう一度会うという事に執着しすぎてて、
 むしろ「神」から干渉されにくそうだと思うんですけどね…。」
「だが、ユイ君の事以外について、あの男は「欲望」も「執着」も殆ど持ってはいなかった。
 それに、「欲望」と「執着」があるから、「神」が干渉できないという訳では無い。
 人が、いや、生命が生きていけるのは、欲望や執着、「我」があるからこそであり、
 「我」が無ければ、人も、他の生命も、生きている意味や喜びを噛み締める事など出来はしないからな。
 だからむしろ、それだけしか持っていないという程の、もはや「使命」や「生きている意味」とさえ言えるような、
 強く「純粋な」欲望や執着は、
 その「純粋な欲望や執着」が「神」にとって「必要なもの」なら、
 むしろ、それを持つ人への「神」の干渉や導きはより強いものになるのだろう。
 君の父や、ゼーレの「老人達」、それに、歴史を動かしてきた偉人や天才とよばれた人々も、おそらくはそうだったのだろうな。」
「その「純粋な欲望や執着」、「使命」からの行動の結果、例え多くの人々や他の生命を傷つける事になっても、
 「神」は導く、という訳ですか。」
「何かを成すには、多かれ少なかれ何かを犠牲にしなければならない。
 サードインパクト以前の人の社会でも、一応は、そこに暮らす人々は幸せに暮らしていた。
 いずれ必ず滅びる、まやかしの幸せでしか無かったがな。
 滅びる事の無い真の幸せな世界を手に入れる為には、
 人々の幸せを壊し、犠牲を出してでも昔の社会を破壊するしか無かったのさ。」
「それは、きっと正しいんでしょうけど、気持ち的に納得し難いものですね…。」
「気持ちは、良くわかるがね。
 私も、ゼーレや君の父のように、当時の社会を破壊してまで、
 まして世界を滅ぼしてまで自分の「使命」を貫く気持ちには、なれないしな。」
「…だから、ゼーレは父さんをネルフのトップに選んだんでしょうか。」
「そうなのだろうな…。仮に私がヤツの立場なら、使徒を全て倒した後、ユイ君ごと、エヴァを破壊していただろうからな…。
 きっとあの男にしか、「人類補完計画」は成せなかったのだろう。」
「……。」

 

「冬月さん。父さんは、やっぱり…」
「ああ。あの男がユイ君を黙ってそんな運命に向かわせるとは、到底思えないからな…。」
「母さんは、いや、「母さん達」は、ずっとあのままなんでしょうか?」
「いや、おそらくはきっと……」
冬月さんは、窓のずっと向こう、空の彼方をみつめた。
 

 

 

 

 

 

「話は変わるが、
 以前受けたあの話、君とアスカ君への我々の援助を打ち切り、
 その分を他の人々への援助や復興活動に回してくれという君達の申し出、受理する事にしたよ。」
「あ…、ありがとうございます。冬月さん。」
僕は、冬月さんに頭を下げた。
「頭を下げる事は無いよ。むしろ頭を下げなければならんのは、こちらの方だしな。」
冬月さんの言葉を受けて、僕は頭を上げた。
「立派だな。君も、アスカ君も。」
「いえ…。
 ただ、今のこの社会は、以前よりもずっと多くの人々が他の人を支える為、自然との調和を図る為に働いています。
 そんな中、何不自由の無い僕達がこうやって援助を受けながら生きているのが、恥ずかしかっただけです。
 それに、なるべく僕達の力だけで生きていけるよう自立したかったですしね。
 …まあ、仮に援助が無くても、働かなくても、今のこの社会ではみんなに支えられて生きていけそうですし…。」
「そうか…。
 我々としては、もっと頼って欲しかったのだがな…。
 仕事の方は、もう大分慣れてきたかね?」
「はい、おかげさまで。
 相変わらず、やりがいがあって楽しいです。」
「それは良かった。
 もし私に協力できる事があるのなら、いつでも言ってくれ。出来る限り力になろう。」
「はい。ありがとうございます。
 …そうだ。
 これをまだ言ってませんでしたね。
 今まで僕達を支えてくれてありがとうございます。冬月さん。
 これだけお世話になったからには、いつか、もっとちゃんとしたお礼をしなければいけませんね…。」
「礼などいらんよ。
 旧ネルフ時代、我々が君達に課してきた事を考えれば当然の事だ。
 それに、礼を言うべきなのは私よりもむしろリツコ君や葛城君にだよ。
 私は、彼女らのおかげで今の地位にいるようなものだからな。
 だからもし君が今の私と同じ立場に立てば、君の方が私よりもずっと有能だと思うぞ。」
「いえ、そんな事は無いと思います…。
 …そういえばリツコさん、また三河の方へ行ったんですね。」
「ああ、「例の物」の開発の為にな。」
「「赤い海の世界」において直接繋がった人々の魂間における、超超高速、超超大容量情報処理能力を利用し、
 加えて、「アカシックレコード」に繋がりそこに眠る膨大で正確な過去のデータの検索と引き出しを行う事が出来、
 更に、無数の人々による「MAGI」より遥かに精緻な「超民主主義的」な判定を可能とした、
 あの海に残っている人々の「魂」を使った超統合情報処理機構、ですか…。
 人道的にどうかと思うんですけどね。
 それに、今のこの平穏な世界に、そんな物が必要とはあまり思えないですし…。」
「確かに今の所、ここにある「MAGI−U」だけでも十分事足りているからな。
 まあ、リツコ君の言では、「MAGI」をはじめとしたコンピュータの様にというよりは、
 主に、未だ「自分の世界」に引き篭もり、
 あの海から帰って来る事の出来ない人々へこちらから呼びかける為に使うのだそうだ。」
「サルベージの為ということですか。」
「うむ。今あの海に残っている人々の大半は、このまま放っておけば絶対に帰って来る事は無いらしいからな。
 だから彼らの「夢」に、外部から無理矢理「干渉」する必要があるのだそうだ。
 もっとも、その「干渉」は見ているテレビ番組の途中に少しCMが入る程度の物で、
 どれだけの人をそれで戻せるかはわからないらしいがな。
 勿論それだけでは無く、MAGIや他のコンピュータの様に純粋に情報処理の為にも使うそうだが。」
「なるほど…。じゃあ、コンピュータ的な機能はあくまで「ついで」という訳なんですね。」
「そういう訳でも無いよ。
 それはそれで重要な機能だ。
 さっき君は、この世界にそんな物が必要だとは思えないと言ったが、私は逆だと思っている。
 この世界に戻ってきた人々は、以前ほどは文明に対して依存しなくなったが、
 それでも我々人類には、工業や科学さえも含めて、文明が必要なのだ。
 我々人類の文明と自然が上手く共存し、同じ「調和」の中に融け入って和合する為には、
 サードインパクト以前よりもずっと高度な「智慧」が必要だ。
 その「智慧」を得る手段の一つとして、そういう物は必要なのさ。
 それに、今の世界の人々は、みんな優しすぎる。
 時として必要となる非情な決断を下す為には、「エゴの総和」として発生する「機械的」で「冷酷」ともいえる思考体系も必要だ。」
「今の人々が失くした非情な側面、それが必要になる時まで、それを残す、という意味もあるという訳ですか。」
「ああ。
 …そういえば、君はリツコ君から聞いているかね?「それ」の名前を。」
「いえ…」
「「ルシフェル」、だそうだ。」
「…それは、中々上手い名前ですね。」
「ああ…。」
単純に、言語間でのスペルの読み方の違いとも言われているが、
ルシフェルとは、「悪魔達の王」であるルシファーが、
「人間達に仕える」という「神」から与えられた「使命」に反発し堕天する前の、まだ天使だった頃の名だ。
そしてルシファーは、「奈落の王」であるアバドンと同一の存在であるともされている。
「「悪魔達の王」が、再び天使となって本来の役割に戻ったという訳か。」
 

 

「「時として必要となる非情な決断」か、
 また昔のように、いつか、この平和な世界でもそんな決断を下さなければならない時が来るんでしょうか…?」
「例えお互いにわかり合っていても、立場が違えば争い合わなければならない時はある。
 全ての人々が優しくなったこの世界でも、それは変わらないよ。」
「……。」
「だが、そんな「立場上の違いから来る争い」の大半は、抗いようの無い自然の猛威や、
 自身の快楽や保身ばかりを優先して得ようとした人々の身勝手な行動から生まれたものだった。
 自然の猛威を文明がある程度克服し、人々が変わった今の世界では、
 人々が他人や自然に思いやりを持ち続ける事が出来れば、これからもそんな争いは殆ど起こることも無いだろう。
 当然、そんな決断もな。」
「誰もがずっと、そんな優しさを持ち続ける事ができるでしょうか…?」
「どうだろうな。
 「全ては流れのままに」だよ。
 だが、きっと心配はないだろう。
 我々は以前よりもずっと、「我々を導く何か」を、強く感じるようになったのだからな。」

 

 

 

「そうそう、「老人達」から、君とアスカ君に会って謝りたいと再び連絡があったよ。」
「そうですか…。すいません。まだ、彼らと会う気にはなれません。」
「そうか…。
 まあ、ゼーレが君やアスカ君にした事を考えれば、仕方の無い事だな…。」
「ええ。それが「必要」だった事や、「老人達」にとっての「正しさ」から来た行動だとは、わかっているんですけどね…。」
「なに、それがわかっていれば、いつかは彼らを許せる日が来るさ。」
「はい…。」
 

 

 

 

「ふむ、もうこんな時間か…。」
冬月さんが、時計を見て言った。
「すみません冬月さん。お忙しい中長々と…」
「なに、構わんよ。それほど忙しい訳ではないからな。それに君とこうやって話すのは、中々楽しかったしな。」
「はい。僕の方こそ楽しかったです。
 僕が知らなかった父さんと母さんの話も聞けましたしね。
 ありがとうございました、冬月さん。
 それでは。」
「うむ。またな、シンジ君。
 アスカ君とミライ君にもよろしくと言っておいてくれ。」
「はい。」
僕は、冬月さんの部屋を後にした。

 

 

それから僕は、ミサトさん達と話しているアスカを呼び、ミライを連れてHRO本部を出た。

 

 

 

 

帰り道。
目の前にある大きな坂道を、陽の光が照らしている。
「まったくミサトのやつ、愚痴かと思って聞いてたら惚気ばっかりじゃない!
 悔しかったからこっちも惚気返してやったわ!」
「あはは…」
内心恥ずかしいと思いながらも、僕は適当に笑った。
まあ、いつもの事だし。
「ねぇシンジ。お父さんとお母さんの話、ちゃんと聞けた?」
「うん。
 …そういやさ、冬月さん、僕達の申し出聞いてくれたよ。」
「あら、良かったじゃない。
 これで晴れてアタシ達も自立するってわけね。」
「うん。
 ねぇアスカ。ホントに良かったの?僕達への援助、断っちゃって。」
「ばーか。良いに決まってるじゃない。なに今更言ってんのよ。
 言い出したのはアンタだけど、アタシも同じ気持ちだったし、
 それに、シンジが本気で望むのなら、アタシは何処までも、シンジに従うわ。」
「ありがとうアスカ。愛してる。」
「ばか。アタシも、愛してるわ。」
「うん。」
笑いあって、僕達は陽の当たる坂道を昇った。

 

 

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冬月のゼーレの説明は、ゼーレの「元ネタ」の組織を参考にしています。

エヴァンゲリオンクロニクル内では、ゼーレはある宗教団体を母体に、

神に対する考え方を改めた結果に発生した組織とされていますが、 

ここで冬月が語っているのは主に、ゼーレの世界支配の手法であって、

母体となった宗教団体も、移民であった彼らの宗教団体であり、

此処でのゼーレの説明は今のところエヴァンゲリオンクロニクルとは大きくは矛盾しておりません。

 

2月27日 たう