Secondary  5_Mercury-1

 

 

 

 

 

 

最初に聞こえてきたのは、鳥の鳴き声。
鳴き声を聞いた翌日には、鳩や雀、烏なんかの鳥の姿が見えるようになった。
更にそれから数日後、遠くから微かに犬達の遠吠えが聞こえ始めた。
今度赤い海から帰ってきたのは、どうやら鳥や獣といった動物達のようだった。
 

 

 

 

 

鳴き声だけではなく、鳥の姿をちらほらと見る様になった頃。
 

「薔薇だ。」
森の中の一角に、九輪の真紅の薔薇が咲いているのを見つけた。
「あらホント、綺麗ね〜。ほらっミライ。バラよ。バ・ラ。」
「ばりゃ?」
「ううん、違うわよミライ。バラ。バ〜ラ。」
「ばらっ。」
「うん。」
「ばらっ!」
「そうそう、偉いわミライ。よく言えまちたね〜。」
「ばらっ!」
「うんうん。」
「ばらっ!」
嬉しかったのか、ミライは元気に何度もバラと言う。
「ふふっ。」
アスカとミライのそんなやり取りに、心が和んで僕は笑みをこぼした。
動物が帰ってきて命の危険が出てきたけど、こうやって暢気に一緒に散歩しているように、
僕もアスカもそれ程その事を心配してはいない。
一応、柵を作ったり鳴子を張ったり、
他に撃退するのに役立ちそうなものを探したりしているけど、それはあくまで念の為に準備しているという程度だった。
僕の心に今こんなに余裕があるのはきっと、アスカとミライがこうやって傍にいてくれるからなんだろう。
暢気過ぎるのかもしれないけど、何故かこれで良い気がした。
それに、無闇に不安がるよりはきっと良いはずだ。
「ねぇシンジ。あの薔薇って何て名前なの?」
「確か、Reiner Rubinって名前の品種だったと思う。」
「へぇ〜、良い名前ね。花の色も綺麗な赤だし、アタシ好みだわ。」
「僕も結構好きかな。
 何か薔薇ってさ、棘があるところも含めてアスカって感じがする。綺麗な薔薇には棘がある、ってね。」
「まあっ!シンジティーヌ様ったら、お上手です事…。
 でも、そんなキザッたらしいお台詞、お似合いになりません事よ?」
何故かアスカが何処かの貴族のような口調で言った。
ってか、シンジティーヌって誰さ。
「まあ、確かにちょっとキザだったかも知れないけど…、実はちょっと喜んでない?アスカ?」
アスカの表情は少し緩んでいた。
「煩くてよ?ついでに棘があるっていうのも一言余計でしてよ?
 …まあそれはともかく、ところでシンジ、この茨って鞭として使えそうじゃない?ほら、薔薇棘鞭刃って感じで。」
「う、う〜ん?薔薇の蔦ってそんなに強くないし、鞭の扱いが下手だと棘で自分が傷つくから、
 あんまり適さないと思うけど…。」
「そっか、良いアイデアだと思ったのに残念ね…。」
アスカが、心底がっかりしたような表情をした。
う、何か申し訳無い気分になるな…。
せめて薔薇棘鞭刃って言ってあげるぐらいは…、
いや、何を考えているんだ僕は…。
「ま、まあ、それは置いといて、今は薔薇を眺める事を楽しもうよアスカ。ミライもずっと見蕩れてるみたいだしさ。」
「あぅ…。」
僕達がそんなやり取りをしている間、ミライはずっと薔薇を眺めていた。
「それもそうね。」
そう言って、アスカも薔薇をみつめた。
 

この後、すぐ近くに様々な色のReiner Rubinの姉妹種や、
スイートキャンディやビィオロンいった多くの品種の薔薇が咲いているのを僕達は見つけ、
アスカが「ここを立派なバラ園にするわよ!」と、いくつか苗木を採って家庭菜園で栽培し始めた。

 

そんな感じで暢気に暮らしている内に、遂に僕達は野犬の群れに遭遇した。

 

 

 

 「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ。」
野犬達の荒い息遣いが聞こえる。
「この子がクドリャフカ、こっちがパトラッシュ、そっちがハチ、クイール、チョビ、インターセプター、ラッシー、チャッピー、キバ、
 ようこ、のらくろ、メンチ、バウ、シリウス、タロ、ジロ、シロ、銀、忠吉、定春、陸、サルサ、ダニー、イギー、アイボ、与那国、
 ポッキー、ブラックハヤテ、ロシナンテ、バスカヴィル、モロ、コマムラ、スケキヨ、ワンチン、アヌビス、紫狼沙、ロボ、ブランカ、
 太郎、ホロ、モロ、リーヤ、アイン、ひしゃまる、チロ、野分、4WD、チーズ、この眉毛の太いのがナマサ。で、その隣が…」
様々な種類の野犬達が僕達の前、というよりアスカの前で行儀良く座り、何故かアスカが一匹一匹に名前を付けられている。
野犬達は鳴子を上手く潜り抜けてきたようで、最初僕達はその接近に気づく事が出来なかった。
野犬達はとても人懐っこく、遭遇した時いきなり僕達にじゃれ付こうとしてきた。
あまりに凄い勢いで向かってきたので、ミライが襲われると焦ったアスカが一喝すると、
犬達は一勢にじゃれ付こうとするのを止めて、その後はアスカの命令どおりに行動するようになった。
「今更だけど、アスカ、何で犬達に名前付けてるの?」
「何でって、この子達を区別する為に決まってるじゃない。」
「まさかアスカ、この犬達全部飼うつもりじゃ…」
「あんたバカァ?飼うわけないじゃん。こんなに沢山面倒見切れる訳無いんだし。
 でも、この子達こんなにアタシ達に懐いちゃってるし、しばらくはアタシ達の傍に居そうだから、
 名前ぐらいは付けといた方が便利でしょ?」
「まあ、確かに。」
「よしっ、名前も全部決まったし、解散!!!」
アスカがそう言って、手をパンッと叩くと、
「わん!」「ばうっ!」「わふっ!」など、犬達はそれぞれに声を上げ、
それから、アスカに言われた言葉の意味を理解しているみたいに、
森に行ったり、その場で横になって眠ったり、僕とアスカとミライに擦り寄ってきたりと思い思いの行動をし始めた。
 

 

 

 

「わんわん。」
「うん。ミライ、わんわんだね。」
ミライと一緒に、さっきアスカにしっぺい太郎と名づけられた犬のお腹を撫でた。
「それにしても、何でこんなに聞き分けいいんだろう?」
ペットだったにしても、ここまですぐ懐いたり命令を聞いたりするものなんだろうか?
「試しに僕も何か命令してみようかな。…よしっ!しっぺい太郎、ふせっ!」
「はっ、はっ、はっ、はっ」
僕の命令が聞こえていないみたいに、しっぺい太郎はお腹を向けたままだった。
「ふっふ〜んっ♪ど〜やらこのアタシの命令しか聞かない見たいね。お座り。」
アスカが命令するとしっぺい太郎はすぐさまお座りの姿勢になった。
「よしよしいい子ね〜。」
「いいこねぇ。」
アスカとミライがしっぺい太郎の頭を撫でる。
「何でアスカの命令だけ…。」
「そりゃあ、誰が主人かって一目瞭然だからじゃない?
 犬の扱いにも慣れてるしね〜。」
「え?アスカ、犬なんて…」
アスカに訊きかけて、僕はアスカの言葉の意味に気づいた。
「僕か…。」
「うんっ♪」
 

 

 

 

犬達はその後もしばらくの間、僕達の傍に居続けたけど、
ある日を境に、みんな何処かに行ってしまった。
飼っていたわけではないし、時折遠くから遠吠えが聞こえるけど、
それでも、犬達が傍に居なくなった事を僕達は寂しがった。
そうやって寂しがっていると、今度は猫が大量に現れた。
 

 

「にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜、」
僕達の、というより僕の前に猫達が座り、一斉に合唱している。
「この子がドラ、その子がケルベロス、次がジジ、アルク、みかん、バク、じゃじゃ丸、にゃんちゅう、ルドルフ、イッパイアッテナ、
 小鉄、ヌクヌク、バロン、幽、焔、楽、ミレイ、ホーリーナイト、シャミセン、黒須、夾、シャンプー、珠生、翼、キャサリン、レオ、
 チェシャ、ニャルラ、寮長、シュレディンガー、バス、スナドリ、ピトー、パステト、グイン、ルナ、アルテミス、斑、ゴエモン…」
アスカと同じように、僕は猫達に名前を付けていく。
「…マタムネ、ぼやき、サチコ、ナガヤマ、ヤママヤー、チータス、ワガハイ、タマ、トムっと、これで全部だね。よしっ解散!!!」
そう言って僕がパンッと手を叩くと、猫達は僕の周りに集まりだした。
「何でアンタの周りにばっかり集まんのよ?」
「何でだろね…。猫の扱いに慣れてるからかな…?」 
「猫ってアタシの事?にゃは〜♪」
「……。」
可愛いから困る。

 

 

「にゃんこ。」
「うん。にゃんこね。」
アスカとミライが、僕がミックと名づけた猫を撫でている。
「この子達も去ってちゃうのかな?」
アスカが、僕を見て言った。
「きっとそうなんだろうね。猫って犬よりも気まぐれだしさ。」
「そっか、また寂しくなっちゃうわね。」
「うん。でも、僕達の傍からいなくなるだけで死んじゃうわけじゃないんだし、
 それに、僕とミライはアスカの傍から離れたりはしないから。」
「うん。」

 

その後、やっぱり猫達はいなくなり、そして、

 

「アルジャーノン、ジェリー、ガンバ、マンプク、ボーボ、ガクシャ、イダテン、ヨイショ、バレット、バス、テノール、忠太、
 イカサマ、オリョウ、シジン、ナギサ、ジャンプ、アナホリ、オイボレ、カリック、七郎、潮路、長老、一郎、又ベエ、太一、順太、
 トラゴロー、ウキクサ、ポロリ、グリ、グラ、光宙、スチューアート、ラットル、ヤメタ、トッポ、火鼠、大国、由希…」
例の如く、鼠が僕達の前に並んで座っている。
初めネズミ達は家庭菜園に現れて、なっていた野菜や果物を荒らしていたけど、僕達の存在に気づくなり荒らすのを止め、
何故か犬や猫達のように僕達の前に集まって座りだした。
「…スプリンター、エビちゅ、コゾウ、とっとこ、テッソ、チウ、チュウ兵衛、神酒、観仁っと、これで全部だね。じゃあ、解散!」
手を叩くと、ネズミ達の殆どは森に帰ったけど、一部が家庭菜園の果物と野菜の前に集まりだして、
じっと、なっている野菜や果物を見つめだした。
「…食べたがってるみたいね?」
「そうみたいだね。でも、食べようとすれば食べられるのに、どうして食べないのかな?
 僕達の事を恐れてるわけでも無いみたいだし。」
「アタシ達に迷惑を掛けないようにしてるのかもね。
 犬にしろ猫にしろネズミにしろ、何故か動物達がアタシ達の命令を聞いてくれるようになったんだし。」
「そうなんだろうね。」
ネズミ達は、相変わらずじっと野菜や果物を見つめたままだった。
アスカが、ネズミ達の見つめている果物を一つもぎ取った。
「あげるの?」
「うん。何か可哀想でしょ?」
「下手に餌をあげたら、これからずっとたかられるかも知れないよ?」
「そうなったらそうなったで、その時追い返すなり捕まえるなりすればいいのよ。」
そう言って、アスカがネズミ達の間になっている果物を置いた。
「ちゅ〜。」
とネズミ達はアスカに向かって鳴いて、果物を食べ始めた。

 

「ちゅーちゅー。」
「うん。ちゅーちゅーね。」
アルジャーノンと名づけたネズミが、花畑の前で花を見上げていた。
果物や野菜に集まっていた他のネズミ達と違って、このアルジャーノンだけは花畑にいた。
「この子は花を欲しがってるのかしらね?」
「そうみたいだね。」
アスカは花畑から花を何本か採ると、アルジャーノンに差し出した。
アルジャーノンは、
「ちゅう。」
と一鳴きし、器用に花を持って森の方に去っていった。
「野菜や果物じゃなくて、花を欲しがるなんて変な子ね。」
アスカはそう言って、アルジャーノンが去った方を見て微笑んだ。

 

それから、ネズミ達はたかりに来る事も、家庭菜園を荒らす事もなく、
犬達や猫達と同じように、僕達の前から姿を消した。
 

 

どうして、動物達が僕達に危害を加えないどころか、僕達の言う事まで聞いてくれるのかはわからない。
それに、犬も猫もネズミも雑食なのに、どうやら他の動物を食べてはいないみたいだった。
僕達の身体が少し変わったように、きっと動物達もサードインパクトで何かが変わってしまったんだろう。
いずれにしろ、もう動物達を警戒する必要は無いみたいだ。
そう思って、僕は動物達の生活の妨げになる柵や鳴子を外した。
 

 

「結局、これを使う機会は無かったな。」
噴射口を改造したスプレー缶を持って、僕は呟いた。
「何よそれ?」
アスカが訊いてきた。
「ん?ああ、これはミニ火炎放射器だよ。」
「ミニ火炎放射器?」
「うん。可燃性のガスが詰まったスプレー缶の噴射口に着火装置をつけて、着火とガスの噴出を一押しで出来るようにしたんだ。」
そう言って、僕はスプレーの頭を押してほんの少し炎を出した。
「シンジ、いつの間にそんな危ないもの作ってたのよ?」
「まだ野犬達と会う前にね。
 ほら、動物って基本的に火を怖がるでしょ?
 だから、撃退するには効果的かなって。」
「へぇ〜、でも、使わなくて済んで良かったわね。撃退どころか、下手したら焼き殺してたかもしれなかったんだし。」
「もし使っててもそんなに火力が無いから、ネズミならともかく、犬や猫ぐらいになると多分これで焼き殺すなんて出来なかったよ。
 まあ、使わなくて良かったのは確かだけどね。」
「ふ〜ん。でもどうするのよそれ?多分もう、少なくとも動物達には使うことって無いでしょ?」
「うん。でもまあ、何かあるかもしれないし、それに人が帰ってきたときの事を考えて一応置いておこうかな。」
「ま、備えあれば憂いなしだしね。でも、危ないからミライの手の届かない所に置いといてよね。」
「うん。」

 

 

僕は、ミニ火炎放射器をミライの手が届かないよう、
元々保管していた、普段暮らしている部屋の上の階の部屋の箪笥の上に保管した。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、牛だわ。」
森を流れる小川のほとりに、牛の群れを見つけた。
「ホントだ。見た感じどうやら乳牛や食用牛とか、家畜の牛で構成されている群れみたいだね。」
シンジが言った。
「食用牛かぁ…。初めて生で見たわね。
 よしシンジ!久々にお肉が食べたいから一匹捕まえて来なさい!」
「え…、本気で言ってるの?アスカ?」
シンジが狼狽した。
「ばーか、冗談に決まってるじゃない。
 捕まえる為の道具も何も無いんだし、
 あったところで、怒って群れで襲ってこられたりしたら堪らないしね。それに、殺しちゃったら可哀想でしょ。」
「まあ…。でも、せっかく目の前に牛がいるのに肉が食べられないのは結構残念じゃない?アスカ、肉好きだし。」
「それがあんまり残念な感じがしないのよね。」
「そうなの?」
「うん。今はむしろ、お肉を食べたいって思えないもの。
 多分、食べようとしても身体が受け付けそうに無いわね。
 お米とか野菜とか植物ばっかり食べてたから、そっちに慣れちゃっていつの間にか好みが変わっちゃったのかしらね?」
「そうなんだ。そういや、妊娠や出産で好みが変わるって話も良く聞くしね。」
「まあね。
 それに、こうやって生きてる所を見たら、わざわざ殺してでも食べたいなんて思えないわよ。
 そりゃあ、植物だって生きてるんだし、他の生命を殺して食べてアタシ達は生きてるって事には変わりないから、
 命の価値とか、博愛精神とか、そんな綺麗事を言うつもりはないけど、
 理屈じゃなくて、感覚的に、動物を殺すって植物を殺す事より嫌な事だって感じるもの。
 だから、食べるのに困ってるなら兎も角、そうじゃないのにわざわざそんな嫌な思いしてまで食べたいとは思えないわよ。
 身体も臭くなっちゃうしね。
 もちろん、肉だろうと野菜だろうと何だって、食べなきゃいけないのなら有難く感謝しながら食べるけどさ。」
「優しいね、アスカは。」
「そんなんじゃないってのバカ。」
「そっか。…あ、でも、それじゃあアスカの好きだったチャーシュー大盛りのコッテリした九州ラーメンやハンバーグなんかも、
 もうあんまり食べられないんだね。」
「あんたバカァ?九州ラーメンはチャーシュー抜いて、味は変わるけどスープにお肉を使わなければいいし、
 ハンバーグだってお肉を使わなくても豆腐とかおからで作れるじゃない。
 …ところでシンジはどうなのよ?
 シンジはまだお肉を食べたいって思ってるの?」
「僕もアスカと同じだよ。食べたく無いし、多分身体が受け付けない。
 …ねぇアスカ。何だか僕達、綾波みたいになっちゃったよね。」
シンジが、微笑みながら言った。
「そういやそうね。」
レイも、確かお肉が嫌いだったのよね。
「ま、悪い気はしないわね。」

 

 

 

「モーモー。」
ミライが、牛を指差しながら言った。
「うん、モーモーね。…ねぇシンジ、あの牛達、アタシ達の存在に気づいてないのかしらね?」
小川のほとりにいる牛達を眺めて小一時間ほど、結構大声でアタシ達は喋ったりしてるのに、
牛達は暢気に水を飲んだり草を食べたり糞をしたりモーモー鳴いたりしたままだった。
今まで会った動物達なら、アタシ達に気づくとアタシ達の周りに集まってきてたのに、
この牛達はアタシ達に気づいていないように何の反応も示さない。
「うーん。僕達の存在に気づいてないって事は無いと思うけど…。
 試しにちょっと近づいてみるね。」
「えっ!!?ちょっ、ちょっとシンジ!!!」
シンジは牛達の方に走っていき、
そして、牛の群れにかなり近づいた時、
牛達の動きが止まった。
「……。」
全ての牛達が、鳴くのさえ止めて、一斉にシンジを見た。
その異様さに、シンジの動きも止まる。
「……。」
牛達は、鳴き声一つあげずに、
身じろぎ一つせず、じっとシンジを見つめている。
シンジも、何も言わず、動かなかった。
さっきまでののどかな雰囲気が、いつの間にか緊迫したものに変わっていた。
「……。」
シンジも、牛達も動かない。
遠くで見ているアタシでさえも、動けなかった。
何もわかっていないミライだけが、近くにある草をいじくって遊んでいる。
「モー。」
やがて、牛達の一頭が鳴きだすと、他の牛達も一斉に鳴きだして、
また、牛達は水を飲んだり草を食べたりし始めた。
「……。」
シンジは牛達から踵を返すと、ゆっくりとこちらに向かって帰ってきた。
「アスカ、ミライ、帰ろう…。」
帰ってきたシンジが、蒼ざめた顔でアタシ達に言った。
 

 

「ねぇ、ホントに大丈夫なのシンジ?」
帰り道、シンジに訊いた。
「うん。」
「……。」
さっきから、シンジの返事はそっけない。
ただ、歩いていくにつれて段々顔色が良くなって来てるから、
一応は大丈夫そうね。
「ねぇアスカ。」
「うん。」
「あの心の混ざり合った世界ってさ、もしかしたら動物達の心も混ざっていたのかもね。」
「どういう事?」
シンジの言葉の意図がわからなかった。
「あの牛達さ、僕達の事、ずっと無視してたよね。
 牛達が僕を見たときさ、牛達の目を見て気づいたんだ。
 あの牛達は僕を、いや、きっと人間全てを「諦めてる」って。」
「……。」
「きっとあの牛達は、仲間が屠殺されていく光景なんかをあの世界で見たのかもしれない。
 仲間がそんな目に遭っているのを見たらさ、人間だったら怒ったり憎んだりするよね?
 でも、僕を見る牛達の目には、怒りも憎しみも宿ってなかった。
 代わりに、まるで感情なんて無いみたいに、冷たい目をしてた。
 どうしてなのかはわからないけど、あの目を見たとき、僕は怖くて仕方なかったんだ。
 憎まれてあの場で踏み殺されるほうがまだマシだって、思ったんだ。」
「……。」
「ごめん。アスカ。」
「ううん。いいわよ。」
そのまま歩き続け、アタシ達は住処に着いた。

 

シンジは、この日はずっと塞ぎ込んでいたけど、翌日には元気を取り戻していた。
ただ、この日以来シンジは外出する時、もう必要無くなったはずのあのスプレー缶を必ず持ち出すようになった。
 

牛達は、次の日にはアタシ達の前から姿を消していた。
 

 


 

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ここに出てきた犬、猫、ネズミ達の名前は、

当然ですがあくまでパロディであり、パロディ元の動物達とは一切関係がございません。

また、それぞれ四行ずつ、思いつけるだけ書いてみるという縛りの元で書き出したものであるので、

此処に名前が挙がっている名と同じ作品内で出てきた犬や猫やネズミの名前がここに挙がっていなくても別にそのキャラを私が嫌いというわけではないです。

入りきらなかっただけ、或いは忘れていただけです。

 

アルジャーノンのくだりは、ダニエルキイスの『アルジャーノンに花束を』の映画版の邦題が、

旧劇場版の第二十六話タイトルである『まごころを、君に』の元ネタであったので思わず書きました。

 

たう