※今回の話はストーリーの大筋に直接は関わらないので、読み飛ばして頂いても特に問題はございません。
雨。
もう、午後だった。
傘を差して眩暈坂という名の坂を上り、ちょとした高台にでる。
そこには、幾つかの住居や店舗が並び、古本屋の隣に、
芹沢、と書かれた表札のある豪邸がある。
旧 芹沢邸。
芹沢ジュウゾウ博士という科学者が暮らしていた家だった。
アスカが僕の為に再び料理を作ってくれるようになって既に半年。
僕はアスカの作ってくれる料理を食べ続けていた。
アスカを突き放すべきだと思いつつも、再び傷つけなければならない事が嫌で、
それに下手に突き放してやけになられでもしたら…、という言い訳めいた思考が働いた結果、
相変わらず一緒の場所に暮らし、料理まで作ってもらっているのに一言も喋らずにお互いを無視し続けているという奇妙、
というよりも単に中途半端なだけの関係が続いていた。
とは言え、それ以上アスカは僕に関ろうとはしてこないし、この事は大した問題じゃ無かった。
それよりも、僕にはもっと大きな問題があった。
弾が尽きたのだ。
正確には、実際に使う為の、「実戦用」として残してある分以外の弾薬、
つまり「練習用」の弾が尽きた。
当初、玩具のエアガンやガスガンで代用しようとしたけれど、
あまりにも手ごたえが違いすぎて妙な癖が出来ると思いやめてしまった。
弾薬がありそうな場所はもはや近場にはなく、
かといって第二新東京に行くのは時間がかかりすぎてアスカを心配させてしまうから、極力避けたかった。
そこで、射撃訓練が出来ずに空いた時間を利用して、猟銃など許可があれば一般所持可能な銃や、
セカンドインパクト直後のドサクサで流出して一般人が手に入れた銃や弾なんかが今も保管されている事を期待して、
僕は周辺の民家や施設なんかを探し回った。
そしてそんな時に、この芹沢邸に初めて僕は足を踏み入れた。
芹沢邸に玄関から入り、客間を抜けて真っ直ぐ書庫へ向かう。
外の暗さも相まって、書庫の中はとても本を読めるような明るさではないから、僕は持ってきたランプに火を点けた。
学校教室程の広さの書庫内にある膨大な量の書物が炎に照らされた。
書庫とは別の書斎にあった手記によると、
この家に元々住んでいた芹沢博士と言う人は、ネルフお抱えの研究者の一人だったらしい。
エヴァ開発の基礎理論にも彼の研究が使われる程優秀な科学者だったらしいけれど、
セカンドインパクトの数年後、彼は自殺してしまったそうだ。
また芹沢博士は生前、セカンドインパクト孤児のゴロウとヒロコという二人の兄妹を養子に引き取っていたが、
芹沢博士の死と同時に、彼らは謎の失踪を遂げたそうだ。
その後、人のいなくなったこの家で、
生前の芹沢博士と深い親交のあったボルガ博士というドイツから来たゼーレからの客員研究員の人が、
以後、サードインパクトまでの間ここで暮らしていたそうだ。
この事を書いていた手記も、ボルガ博士が記していたものだ。
この家に暮らしていた芹沢、ボルガ両博士は、共に古いタイプの研究者だったらしく、
論文や研究レポートなどを未だに電子媒体ではなく紙に書いて一旦まとめていた。
また、書庫内に存在する膨大な専門書と論文の量からわかるように、
彼らは共に彼らの研究分野の専門書に関しては非常な蒐集家としての側面を持っていた。
この家に最初足を踏み入れたとき、このあまりの本の量に圧倒された僕は、
何となく試しに一冊手に取って読んだ事をきっかけに、弾薬を探すと言う目的も忘れて、
まるで昔見た、未解決事件を記録したファイルについて調べ政府の陰謀を追求していく海外ドラマの主人公の如き情熱が湧いて、
僕はこの家にある書物を読み漁り、彼らの研究を調べ理解しようとする事に没頭した。
彼らの研究、それは形而上生物学、エヴァに深く関る研究だった。
1980年代前半、部分と全体が相似形を成す構造、所謂フラクタル構造を持つ立体構造の内の幾つかが、
電磁波を照射した時何ら鏡面構造などの反射機構を持っていないにも関らず、
照射された電磁波をその立体構造内に閉じ込め続けるという「局在」と言う原理不明の現象が発見された。
初めはフラクタル構造特有のものと思われていたこの局在という現象はその後、螺旋構造や、
更にもっと単純な幾何学構造でも微弱ながら発生している事が判明する。
また同時期、R・テラー博士により、最初に局在が発見されたフォトニックフラクタルという立体構造内での、
ガンマ線衝突による反物質生成実験が行われた。
この時、フォトニックフラクタル内では反物質は発生せず、
照射されたガンマ線のエネルギーの一部は局在によってフォトニックフラクタル内に留まったままだった。
その後再度のガンマ線照射が行われた際、照射されたガンマ線は本来ならばあり得ない角度で「反射」された。
この「反射」が局在によって留まっているガンマ線と衝突したものと考えるなら、
照射したガンマ線だけでなく、局在によって留まっているガンマ線も何処かに反射されるはずだが、
そのような反射ガンマ線が観測される事は無く、また、
どの角度からガンマ線を照射しても同じような反射現象が起こった為、
ガンマ線同士の衝突による反射という線はすぐに消えていった。
原因不明の不可解なこの現象について、R・テラー博士は一つの仮説を立てる。
再照射されたガンマ線は、その前に照射され、局在によって留まっているガンマ線のエネルギーが、
何らかの斥力場を発生させて、その斥力場にぶつかる事で反射されたのだと。
そして、入念な再実験と検証の結果、この仮説は立証される事になる。
これが、世界最初の「光子補填による空間相転移現象」、後に「A.T.フィールド」と呼ばれる現象の発見だった。
光子は電磁気力を伝えるゲージ粒子として空間に電場と磁場を発生させるが、
ガンマ線照射による局在の結果発生した斥力場は明らかに電磁気力による斥力場とは異なるものだった。
ガンマ線の進行は電磁気力の影響を受けない上、その強力なエネルギー故に物質に対して高い透過性を持つ。
そのガンマ線が反射したという事は、空間自体が相転移を起こしたという考えに至るのは至極自然な発想だった。
つまり、初期宇宙において自発的対称性の破れを引き起こしたと考えられているヒグス機構に続く新たな空間相転移現象が、
理論の提唱も何も無く、いきなり発見されたわけである。
当然、これは当時の物理学の世界に大きな衝撃を与えた。
特に、既に量子力学と一般相対性理論を整合的に統合して説明する事ができる「超弦理論」の理論的な整理をほぼ終えて、
後は「証拠」の発見を待つばかりであった理論物理学の分野は、大混乱に陥った。
更に追い討ちをかけるように、
当初はヒグス機構の様に空間に「一様に満遍なく」発生するものと考えられたこの空間相転移現象は、
後の様々な実験により、
もはや「構造」といえるほど空間中に大きな偏りを持って発生する上、
さらに、その「構造」はどうやら観測によらず連続的に存在している、という、
物理学の根幹の量子力学、その根幹法則である「ハイゼンベルクの不確定性原理」に反する、
最新の分野どころか基礎中の基礎である量子力学の根幹まで揺るがせる異常な現象である事が判明する。
この「量子力学崩壊の危機」は、光子空間補填量「・」と、その「・」という保存量に関して、
「「不確定であるか不確定で無いか」が不確定になる」、
という「レミングスの不確定性原理」の導入によって一応の回避をみせたが、
しかし、この出来事によって以降、
それまで科学の花形だった理論物理学をはじめとした当時の最先端物理学の分野の多くが衰退し、
後に純粋物理学と呼ばれるようになり、
以後、サードインパクト発生により人類の歴史が幕を閉じるまでそれらの分野は暗黒期に突入する事となった。
その一方、局在についての研究は進んでいく。
まず、局在現象は空間に光子が「補填」される事によって空間に相転移が起こり、
更に相転移空間が持つ「構造」に、空間に補填されなかった電磁波が反射し続ける事で発生するいう、
現在の定説が唱えられた。
そしてその上で、直接観測できるほど強力な光子補填相転移空間はとても高いエネルギーが必要なので、
その間接的な顕現である局在現象を通して、主に研究が行われる事になった。
その中で注目を集めたのが、「自己組織化クラスター群」における局在の研究だった。
局在が最初に発見されたのがフラクタル構造体だったように、
様々な構造で局在が起こる事が判明してからも、最も強く局在が発生する構造はフラクタル構造体のままだった。
この自己組織化クラスターは、その名の通り自己組織化をする構造体、つまり自己で自己を組織し成長する構造体である。
そしてこの自己組織化クラスターの「成長の仕方」は、大部分が基本的に、まず「部分」を造り、
更にその「部分」を集めてもっと大きな「部分」を造り、更にその「部分」からもっと大きな…、
と言うように小さな部分から大きな部分を徐々に造って成長して行く。
そしてこのような成長の仕方をする結果、多くの「自己組織化クラスター」は、
「全体が部分の相似形」であるフラクタル構造を持つように成長する。
このフラクタル構造を造り成長する「自己組織化クラスター群」に、もし局在を起こしたらどうなるか?
結果は、全ての自己組織化クラスターで成長速度が速まり、
また、多くの自己組織化クラスターで成長限界が増大した。
当初はこの現象に対して、単に光のエネルギーを吸収した結果でしかないと局在との関りに否定的な意見も存在していたが、
あらゆる物質の自己組織化クラスターでも起こる事、更に触媒に同様の熱エネルギーを与えても、
局在発生時ほど著しい現象は起こらない事などから、これらの意見は消えていった。
また、自己組織化クラスターが局在発生下で成長し、成長限界に至った時にクラスターが蓄えていたエネルギーは、
既にあらかじめ同規模まで、外部的な操作で造り上げたクラスターに局在を起こした際に、
その造られたクラスターが蓄えるエネルギーよりも大きかった。
この事から、構造の形質そのものだけでなく、
自己組織化する事、つまり成長するという事もまた、この現象と深く関っている事が判明した。
また、局在が最も強力に発生する構造はフラクタル構造であったが、
その次に強力に発生するのは「螺旋構造」である事が既に知られていた。
当然、局在に対する人々の関心は、一部にフラクタル構造を持ち、更にDNAという「二重螺旋構造」を持ち、
自己組織化し「成長」する「生命」という存在へ、
「生命」と局在、つまりは「生命」と「光子補填による空間相転移現象」との関係性へと向かっていく。
生命体における局在の研究は、多くは植物を対象として行われた。
これは植物が全ての生物の中で最も巨大に「成長」し、フラクタル構造を多く持ち、
更に光合成という、光と深く関りを持つ働きをする為であった。
しかし、この植物に関する調査を始め、生物を対象とした局在の研究成果は決して芳しいものでは無く、
不毛とさえ言えるものだった。
これは、生物の内部構造が極めて精密で繊細である故に、
局在の発生を確認できるほどの強さの光を当て続けると、簡単にその構造が壊れて死滅してしまう為。
そして、弱いエネルギーの光では、局在の発生自体が確認しにくく、
光による対象生命への影響が果たして局在と関係したものかどうか曖昧で、あまりにもわかりにくかった為である。
その為、生命体についての局在現象の研究は大きく行き詰まり、以後、大きな進展を見せることは無かった。
あくまで、表向きは。
1980年代後半、以前より密かにその存在が知られていた箱根山地下に存在する巨大空間に、
初めてゼーレの調査団が内部に進入する事に成功する。
その調査の結果、ゼーレは「ある預言書」の記述どおりに、そこで第二使徒「リリス」を発見した。
だが、ゼーレは発見の段階で「リリス」との接触、
及び、ありとあらゆる「リリス」及び地下空間内の調査を完全に禁止した。
おそらくセカンドインパクトのような事態を防ぐ為の措置であると思われるが、
この段階で何故ゼーレがそれを予期し、そのような措置をとったのかは不明。
おそらくその「預言書」の記述に関しての判断だと思われる。
以後、セカンドインパクト発生まで「リリス」及び箱根山地下の巨大空間の存在はゼーレによって厳重に管理、秘匿される事になる。
だが、「リリス」直接の調査が禁止されたとは言え、この調査は、ある一つのとても重大な発見を齎した。
「Lilith's Cursed Liquid」、L.C.Lの発見だった。
LCLは、リリスから流れ出た、リリスの体液だった。
ゼーレはこの液体を採取、研究用に持ち帰った。
研究の結果、LCLは、非常に多くの特殊な性質を有した液体であることが判明する。
その多くの特殊な性質の中で、特に、
エヴァの操縦に関して重要なものを二つ挙げれば、
一つは、LCL中には酸素を多く含む事が出来、肺呼吸の生物に液体呼吸を可能にする性質。
その効果は、既に医療用等に使われていた他のどんな液体呼吸を可能にする物質よりも遥かに優れていた。
そしてもう一つは、LCLは神経パルスによる微弱な電位変化を捉え、それを増幅して外部に伝えるという性質。
そしてそれは神経パルスを外部に伝えるだけではなく、
逆にLCLを通して外部から神経パルスに干渉し、まるで自分の意識が拡大したように感じられるような特殊な双方向性を持ち、
この性質に関しては、それまでも、今も、LCL以外にこれを有する物質は発見されていない。
これら二つの性質はエヴァにとって重要な、
特に後者はこれが無ければエヴァとの神経接続が出来ずに、基本操作は兎も角として、
A.Tフィールドの発生がまず不可能になってしまうような、特に重要な性質だった。
そして、この多くの特殊で重要な性質を有するLCLは、化学的に生成する事は出来ず、
人工的に生成するには、後に発見される「ロンギヌスの槍」が必要であり、
また、この方法では大量のエネルギーを使ってもわずか少量のLCLを生成する事しか出来ず、
よって基本的にLCLの入手方法は、リリス、
そして成分は多少異なるが、「ロンギヌスの槍」と同じく後に発見された「アダム」から採取するより他は無く、
それ故、地下空間ではこのLCLの採取のみは、ゼーレによって認められ行われていた。
LCLを化学的に生成しようとする試みも確かに存在していたが、
まず、その成分の分析さえも上手く行かなかった。
LCLの成分は、分析出来た範囲では原始地球の「生命のスープ」と同じ成分が含まれている事がわかっていたが、
それ以外の成分は、まるで光子、或いは電子やニュートリノなどのレプトンで出来ているかの様に、
殆ど質量が無いといっていいほど恐ろしく軽く、
それ故に通常の物質よりも波としての性質が強く出る傾向があるという事、
LCLの特殊な性質は殆どがこの物質に依るものであるという事。
そして、LCLから「生命のスープ」の成分を完全に取り除く事は出来ず、
この成分物質だけを抽出する事は不可能という事以外、殆ど謎のままで、
セカンドインパクト後も、現在に至るまでやはり殆ど何もわからないままだった。
ただ、この残りの成分は、既知の、純粋物理学の物理法則だけでは説明できるような物質ではない事だけは、はっきりしていた。
このLCLの研究の一環で、LCL中での局在についての研究が行われた。
その際、ある奇妙な現象が発見される。
局在、つまり「光子補填による相転移空間」が、LCL内で物質構造から独立した状態で「固定」されたのだ。
更に、LCLは内部で発生した相転移空間の挙動を、まるで「泡箱」や「霧箱」のように記録する性質を有していた。
局在発生前に照射された電磁波や、
局在によって閉じ込められている空間に補填されなかった電磁波とLCLの反応を考慮に入れれば、
純粋な「相転移空間」の挙動のみを知ることが出来たのである。
つまり、LCL中であるならば、物質に依らず、更に局在にさえ依らず直接的に、低エネルギーレベルでの、
「光子補填による空間相転移現象」を観測する事が可能だったのである。
そして、これにより表向きは行き詰まっていた「生命」とこの現象との関係についての研究が、
ゼーレという組織内部において、秘密の内に、大きな進歩を見せ始めたのである。
キルリアン写真、というものがある。
これは高電圧、高周波の電圧を生体にかけた状態で写真を撮ると、まるで身体から輝きが発せられたように、
身体の周りに光のようなものが写真感光板上に写る現象である。
以前より疑似科学では、これこそが「気」、「プラーナ」、「オーラ」などの、
宗教やオカルトなどの分野で、人が身体から発するとされている生体エネルギーの実体だと主張されてきたものだ。
実際、体調や心理状態の変化によって写る光の色が違っていたり、
ごく稀にだが、「ファントムリーフ現象」という、切断した葉を写すと切断前の葉の形の周りに光が写る現象が起こり、
これが彼らの主張の主な根拠になっていた。
しかし一般的な科学の立場では、「キルリアン写真」はあくまでコロナ放電という物理現象の一種という事になっており、
上記「ファントムリーフ現象」もそれで「一応は」説明し得るものだった。
しかし、この「ファントムリーフ現象」と同様の現象が、LCL内で発生した。
「生物」の身体に起こっていると考えられていた微弱な「相転移空間」が、その死によって生物の身体を離れて、
LCL内に「固定」されたのだ。
更に記録されていたその挙動から、生物の生前の形ほぼそのままで「相転移空間」は「固定」されていた事が判明した。
これは、ウイルスさえも含めたどの生命体でも同様に起こり、
このことから、「生命」は非常に弱い相転移空間を、その身体の形に常に展開している事が明らかとなった。
これが、「魂」、正確には、「魂魄」のうちの「魄」が「生命」には存在する事の、
人類史上初めて科学的に明確に得た証拠であった。
LCL内での実験は、微弱な相転移空間の挙動を確認でき、
特に、LCLから「生命のスープ」の成分等を可能な限り取り除いた純度のより高いLCL内での実験によって、
それまでより遥かに微細な相転移空間の挙動、構造を知り得る事が出来るようになった。
例えば、原子、原子核レベルでも相転移空間は実は発生しており、
燃焼反応、核分裂といった、質量欠損により炎などの形で電磁波を放出する現象は、
実はこの相転移空間が崩壊して空間に補填されていた光子が吐き出された為に起こっていたという事がわかり、
相転移空間はどうやら「物質の結合」自体に関係しているようだった。
そしてこれこそが「相転移空間」発生の最も根幹の原因であり、
「成長」により発生したものは兎も角、
少なくとも「構造」によって発生するものはあくまでこの関係の副次的なものでしかなく、
この「物質の結合」によって空間中に補填された光子こそが実は、
「ポテンシャルエネルギー」の実在であり、更には質量、いや物質そのものも実はこの相転移空間の一つの現れである、
と提唱する説も現れた。
後に大規模展開した相転移空間の周りに高重力下と同様の空間歪曲現象が確認された事も、この説の支持に貢献した。
また、ある相転移空間をLCL中に「固定」し、
物質と切り離して独立させ、そこに再び電磁波を照射することにより、
相転移空間の構造の中に「内向き」に新たな相転移空間を作り出す事に成功した。
さらに、別の相転移空間に同様の事を行うと、
相転移空間が内部に発生する事までは同じだが、元々あった相転移空間を内部から押し拡げ、
結果として相転移空間全体の大きさが増大し、「外向き」に成長した。
この「内向き」に成長する相転移空間は「体積」という「三次元上の大きさ」は有限だが、
「表面積」という「二次元上の大きさ」は無限に成長する事ができる「フラクタル構造」のような、
「次元が下がる事で有限から無限に成長できる構造」から、
「外向き」に成長する相転移空間は、「底面」という「二次元上の大きさ」は有限だが、
二次元の底面である「円」の上を周り続けながらも、円と垂直の座標を無限に進み、
「体積」という「三次元上の大きさ」は無限に成長する事ができる「螺旋構造」等の、
「次元が上がる事で有限から無限に成長できる構造」から、それぞれ発生した。
この「外向き」の相転移空間は、大規模に展開した場合、エヴァや使徒が張る対物理障壁としてのA.T.フィールドを作り出し、
そして「内向き」の相転移空間は、大規模に展開した場合、その内部に「物理的大きさ」を持たない虚数空間、
「ディラックの海」を「理論上」は作り出す。
しかしこれはあくまで理論上のもので、実現は不可能のはずだけれども、
おそらく、僕が球みたいな使徒の影に飲み込まれて閉じ込められたのは、実現不可能のはずのこれだったのだろう。
そして当然、その存在が確認された「魄」の性質についても、LCL内で詳しく研究される事となった。
そこで、生きている生体と「魄」の関係を調べる為、人を含めた様々な生物を使っての実験が行われた。
例えば、腕などを欠損し、無いはずの部分をあると錯覚する「幻肢」を起こした人の「魄」は、
実際にその欠損部分に存在し続けていて、その幻肢をイメージ上で動かすと、それと連動して「魄」も動くという結果が出た。
また、逆に神経を損傷して、腕などが動かせない状態になっている人の「魄」は、その動かせない部位の「魄」が、
その部位自体は存在しているにも関らず、縮小、ごく稀に消滅さえしていた。
ただ、これはリハビリなどで動かない腕を動かそうと、腕を動かすイメージをし続けている人はこの限りではなく、
そういう人は、例え動かせなくても腕の「魄」は正常なままだった。
他にも様々な実験が行われたが、共通して言える事は、「魄」の形は、
人に限らずとも、自身の心理状態や「イメージ」と深く関係する事だった。
また、「イメージ」による「魄」の変化の影響は、後に確実に生体に影響を及ぼした。
これは、かねてより言われていた、イメージが人の身体に影響を及ぼすと言う話を裏付ける結果となった。
そして、更に研究を重ねた結果、
人に限らず生物の精神に「リビドー」をはじめ「ポジティブな心」が強く現れている場合は、
「魄」がより成長する方向に変化し、
生物の精神に「デストルドー」をはじめ「ネガティブな心」が強く現れている場合、
「魄」がより退化するような方向に変化する事が結論付けられた。
また、「魄」と生体の関係について、
死んだ生体から分離した「魄」は、純粋な「相転移空間」となっているらしくLCLの神経パルス伝達機能では、
その挙動に干渉する事は出来なかったが、
生体と分離していない状態であるなら、
「魄」は生体を通じてLCLの神経パルス伝達機能によってその挙動に干渉する事が可能で、
これは、生体と「魄」の間に何らかの「繋がり」があり、それが「死」のよって途切れることで分離が起こると考えられた。
なお、これは神経細胞を持つ生物に限らず、電位変化に少なからず影響を受ける生物、要するに全生物において同様である。
また、同時期、ゼーレによって死海から「ロンギヌスの槍」が発見される。
この「ロンギヌスの槍」もまた、ある「預言書」にその存在が記述されており、
「L.C.L」と同様、純粋物理学の範囲では説明出来ない、分析出来ない物質で出来ていた。
この「ロンギヌスの槍」は、死海の海底の、更にその地下3700メートルの地点から発掘されたが、
この発掘作業中、作業員が次々と原因不明の無気力状態に陥り、
更に、「ロンギヌスの槍」に直接触れた作業員は、全員が触れた部位から伝わるように全身が壊死して死、
或いは危篤状態に陥るという事態が発生した。
にも拘らず、発掘完了後、死海近辺の研究所にて秘密裏の内に「ロンギヌスの槍」の本格的な研究が開始された。
多くの犠牲を出しながらも「ロンギヌスの槍」は様々な研究が行われ、その結果、
ロンギヌスの槍は、「光子補填による相転移空間」から「補填された光子」を、
「消滅」させる相転移空間を展開している事が判明する。
光子には対消滅を起こすような反粒子はなく、
対消滅であったとして、他にエネルギーを放出する事なく光子が「完全消滅」するこの現象は説明できず、
原理としては完全に正体不明のこの相転移空間は、
後に「アンチA.T.フィールド」と名づけられる事になる。
この「アンチA.T.フィールド」について、
一時は光子の超対称性粒子であるフォティーノが空間に補填されたものではと考えられたりもしたが、後に否定され、
現在に到るまでその正体は全く謎のままである。
そして、発見されたばかりの「魄」と「ロンギヌスの槍」のLCL内での接触実験が行われ、
結果として、「魂魄」の「魄」が消滅し、球形の「魂」のみがLCL内に残った。
「魂」が「魂魄」から独立して初めて発見され、
これにより、生命は「魂」と「魄」という道教の「魂魄思想」のような「相転移空間」を持っている事が判明した。
この「魂」は、「ロンギヌスの槍」の「アンチA.T.フィールド」の影響は受けないようで、
ロンギヌスの槍にどんな操作を施しても、「魂」が壊れたり消えたりする事は無かった。
「ロンギヌスの槍」の「アンチA.T.フィールド」は「魂」ばかりでなく、
「物質の結合」によって発生している「相転移空間」にも影響を示さず、その点も大きな謎の一つであった。
後に生命の「魂魄」の存在が、あくまで研究者のみであるが、ゼーレにより一般に公表され、
その時各地で発生した宗教やオカルト、哲学や疑似科学との関連性についての議論の際、
「光子補填による相転移空間」は神道でいう所の、「万物に宿る霊性」であり、
「アンチA.T.フィールド」は、「禊」、「祓い」と言われるような「穢れ」を清浄に、本来の姿、能きに戻す為の力であり、
それ故に本来の姿、能きである「魂」、「物質結合による相転移空間」は影響を受けないのである、と唱えた者がいたが、
確かに、局在を起こすような相転移空間は、本来その物質の構成に必要な相転移空間では無い余分な物であり、
また、生命の本質が「魂」であるならば、それを覆う「魄」もまた余分な物であると言え、
また、神道における「穢れ」の概念には「邪悪なもの」「死」「厄」だけでなく、
「邪魔なもの」「余分なもの」というものも含まれるので、科学的にはやはり謎のままだが、
これはあながち、わからなくも無い考え方だと、ボルガ博士の手記には記されていた。
「魂魄」のみの状態では、「ロンギヌスの槍」の「アンチA.T.フィールド」で「魄」が消滅したが、
では、「魂魄」と生体が分離していない状態で「アンチA.T.フィールド」を接触させると、
何が起こるかが研究された。
「ロンギヌスの槍」に触れた作業員は全身が壊死したが、
もっと急速に、徹底的に、指向性を持たせて、「アンチA.T.フィールド」を生体に接触させるとどうなるか?
結果として、生体から「魄」のみが消滅し、生体は「魂」と「L.C.L」に分解されてしまった。
生体から「魄」が消えるとLCL化するというこの事実は、当然研究者達に衝撃を与えた。
生物の身体が、リリスの体液と同じ、正体不明のLCLになってしまった事はもちろんだが、
「魄」という微弱な相転移空間が、単に生体に発生していたわけでなく、
むしろ生体の形状を維持する働きを持っていた事も、彼らにとっては衝撃的だった。
生命は、それ程までに物質的に不安定で、脆弱な存在だったのである。
そしてこの発見が、「光子補填による相転移空間」が、「A.T.フィールド」と呼ばれるようになった所以である。
「魄」の形状は、人の心やイメージに強い影響を受け、「魄」の変化は、生体に影響を与える。
そして、「魄」の形状は生体の形状そのままであり、同時に生体の形状を維持する働きを持つ。
これら「魄」の性質から「魄」の本質は、
生命が生命たる所以、「自我」の「境界線」そのものではないかと考えられるようになった。
それ故生命が生きる上で、「魄」という「光子補填による相転移空間」は、
「絶対に侵されてはならない領域」、侵される事を生命が「恐怖」する領域であるとして、
そもそもの「光子補填による空間相転移現象」の発見者である「R・Teler博士」の「テラー」と、
「恐怖」である「terror」の「テラー」をかけて、「光子補填による相転移空間」そのものを、
「絶対恐怖領域」、「Absolute Terror FILED」、通称「A.T.フィールド」と呼ぶようになったのである。
そして同時に「ロンギヌスの槍」が持つ、「A.T.フィールド」を消滅させる相転移空間は、
「アンチA.T.フィールド」と呼ばれるようになった。
このアンチATフィールドにより生体がLCL化する現象の発見によって、
生命は何処までが純粋物理学的な物質で、何処までがそれにより説明できない物質で出来ているのか、
ということが議論された。
生命は、アンチATフィールドを受けるとLCL化してしまう、という事は、
生体にも「生命のスープ」と「それ以外」の部分があるはずである。
しかし実際は、生命がアンチATフィールドにより分解される事なく、ごく普通に死を向かえた場合、
その死体は、全て純粋物理学で説明できる物質で構成されている。
それは、死後、十分な時間が経過した死体にアンチATフィールドをかけてもLCL化しないという事実から見ても、
やはり死体を構成する成分は全て、純粋物理学で説明できる物質である事は明らかだった。
これは死によってLCL中で生体から「魂魄」の分離が起こったように、
死後に十分な時間が経過すれば死体から「魂魄」が抜け出すためで、
LCLの「未知の物質」部分は、消滅した「魄」とアンチATフィールドの反応の結果によって生成されたものであると、
考えられた。
ただし非生物に発生したATフィールドや、生体と分離した「魄」にアンチATフィールドかけても、
「消滅」するだけで、何の物質もエネルギーも生成されない事から、
このLCL中の未知の物質の生成が起こるのは、「生体」と「魂魄」が分離していない状態で、
アンチATフィールドが「魄」にかけられた時のみ起こる現象で、
生体と「魄」を「繋ぐもの」がアンチATフィールドによって変成してLCL中の未知の物質になったと結論付けられた。
だが、「死」によって死体からも「魄」からも「繋ぐもの」が消えてしまうのは一体何故なのか。
また、この「繋ぐもの」の正体が何であるかも未だに謎のままである。
ただ、生体と「魄」の相補的な関係から、生体が得たエネルギーから発生したATフィールドを、
「魄」の構成と維持に回す役割を、この「繋ぐもの」は持っていると考えられている。
「魂魄」から分離された「魂」の挙動にはよくわからない所が多かった。
「魂」は、LCLから離れると、どんな生物の「魂」であれ、0.00042秒以内に何の痕跡も残さず「完全消滅」した。
「魄」を含む、物質から独立させて「固定した」ATフィールドは、LCLから離れた時に、
空間に補填されていた光子を吐き出し、相転移空間を作っていたエネルギーを放出する。
それはATフィールド同士の、構造を壊すほどの「破壊的」衝突時における、
光子の排斥による同位相部分の「中和作用」時においても同様で、
これらのATフィールドが「完全消滅」するのはアンチATフィールドとの接触時のみで、
この「魂」の「完全消滅」現象は、「魂」がアンチATフィールドの影響も受けない事もあり、
ATフィールドとアンチATフィールドの対消滅現象と関連した現象であろうと考えられた。
これと、「魄」が精神に感応して形状を変化させるという事実から、
「魂」がATフィールドとアンチATフィールドの両方から成っており、
「魂」がこの二つを展開する事でもまた、「魄」が形造られ、
「心」がポジティブ、特にリビドーを発現している時ならATフィールドを、
「心」がネガティブ、特にデストルドーを発現している時ならアンチATフィールドをそれぞれ発生させて、
「魄」の形状を変化させているとし、
また、アンチATフィールドとの衝突で「魄」のように消滅しないのは、
「魂」が自身のアンチATフィールドで自身を守っているからであると推測された。
また、物質結合に関わるATフィールドが消滅しないのは、これとは別の理由、
物質結合とそれに関わるATフィールドが補完しあって何らかの安定作用を齎しているからであるとされた。
そして、道教の「魂魄思想」では、「魂」が精神を、「魄」が肉体を司る霊性であるとするように、
この相転移空間としての「魂」も、心そのもの、「心」の実体であるという考えに研究者達は至った。
この「魂」は、人ならば「魂魄」の心臓またはごく稀に臍下丹田に当たる部分のどちらかからのみ出現する為、
脳にこそ心が宿るというそれまでの科学の考え方とこの考えは反発しあったが、
脳の心的働きとは、情報の取得と統括と選別などの、あくまで「思考」でしかないとして、
それを脳にさせている「心」の本体は別である、という意見や、
後に、「魂」だけが分離した状態の「魄」が発見された事などで否定される事になるが、
「魂魄」状態では「魂」と「魄」の区別は無く、
アンチATフィールドによって分解される時初めて「魄」の一部が「魂」として生成され、その生成場所が、
どういう原理かはわからないが心臓または稀に臍下丹田になる、とする説などが、この反発に対して挙げられた。
後に、前者の「心」の本体は脳とは別であるという意見が正しいと判明する事になるが、
どういう条件で「心臓」と「臍下丹田」に「魂」のある場所が別れるのか、
なぜ、この二つの場所だけにしか「魂」が存在しないのかは、現在でも詳しい事はよくわかっていない。
同様に、「完全消滅」するという現象も、
なぜ「消滅」するのか、そもそも本当に「完全に」消滅してしまっているのか、
消滅していないとするなら何処に行ったのか、
また、なぜ「魂」はATフィールドとアンチATフィールドの両方を持ちながら安定して存在しているのか、
など、多くの謎は未だに解明されていないままである。
1989年、ここまでATフィールド、そして「魂」についてゼーレが知り得たところで、
これら研究の成果の一部をゼーレは、マスメディアに対しては厳重な情報統制を敷いた上で、
更に、「リリス」、「ロンギヌスの槍」などの伏せるべき情報は伏せ、
LCLの「Lilith's Cursed Liquid」という伏せるべき「リリス」の情報と抵触する上に不吉な正式名称を、
「Link Connected Liquid」というLCLの神経パルス伝達機能から取ったように見せかけたものに改ざんしたように、
多くの情報を隠蔽、改ざんした上で、ゼーレ以外の一般の各種研究機関に公表した。
これはゼーレが、ATフィールド関連で秘するべき情報は全て掌握したと判断したとともに、
ゼーレによる閉鎖的なATフィールド研究を一般に公開することにより、
より多くの分野から様々な新しい発想、発見が起こり、
ATフィールド研究に新たな進展が起こることを期待してのものだったという。
マスメディアに公表させなかったのは、このATフィールドと魂の存在を公表する事で、
既存の幾つかの宗教の「立場」が「危うくなる」事に配慮して、
また、多くの疑似科学、新興のカルト宗教の台頭を防ぐ為、
そして、生命が、ATフィールドを失えばLCL化するという、
物質的に不安定な、脆弱な存在であるという事実が、
人々に与える衝撃を慮ってのものであった為、などの理由からだったそうだ。
それが本当にゼーレの真意だったかどうかは兎も角として、
マスメディアに公表されなかった事でこの事実を知り得たのは一部の知識層のみだったとは言え、
やはり多くの場で宗教思想、オカルト、哲学などとの関連が議論される事となり、
そこで少なからず幾つかの怪しげなカルトめいた思想団体が興り、更にその団体同士の間に対立関係が発生したらしく、
学者などの知識層でさえこれなのだから、これを一般に公表しなかったゼーレの判断は正しかったといえるのだろう。
幾つかのごたごたを生み出したとは言え、このATフィールド関連の情報の一般公開は、
ATフィールド研究のみならず、多くの分野に後々まで影響を与える様々な出来事を齎した。
その一つが、それまで疑似科学の内の一つとしてしか扱われていなかった形而上生物学に、光が当たった事である。
「形而上生物学」は、その名の通り、生命の定義を物質存在から拡張して、非物質的な、概念的な生命や、
時には、空想上の生物について「科学的に」研究する分野である。
当初は実在しない生命を研究するこの分野は擬似科学として扱われ、その存在すら殆ど世に知られていなかった。
だがATフィールドに関する研究成果が一般に公開され、
生命が半分非物質的とも言えるほど、物質的に不安定な存在である事が判明し、この分野が注目される事となった。
それと共に、数多くの分野の研究者、
特に「光子補填による相転移空間」の発見で衰退する事となった純粋物理学の研究者と、
ここ数年、大きな成果を出せなかったゼーレ以外の「光子補填による相転移空間」の研究者が、
元々の研究分野から鞍替えしてまで、こぞってこの分野に参入する事となった。
その結果この「形而上生物学」がATフィールド研究の主流となり、
後に世界初の人格移植OS搭載型の生体コンピュータ「MAGI」の開発者となる赤木ナオコ博士や、
S2理論の提唱者である葛城ノリト博士を始めとした優秀な人材を数多く輩出し、
更に、この段階では未だ一般どころかゼーレ内部においてさえ殆どその存在を知られていない「リリス」、
そして後に発見される「アダム」の調査、研究にこの分野は大きく貢献し、
最終的にこれら形而上生物学の成果は、「人造人間エヴァンゲリオン」の開発という形で結実する事となる。
注目を集めた事で、それまで閉鎖的だった形而上生物学の研究分野は、ATフィールドの研究、
そして他の多くの科学の分野とも連動し、大きな拡がりを見せていった。
その結果多くの新事実の発見や新たな理論が出てくるのだが、
その初期の成果の中で、後に大きな影響を齎す事になったのが、
グラハム・ムアコック博士とクリス・レヒテ博士が提唱した「ムアコック・レヒテ機関」である。
これは既知の、ただしあくまでこの時点での話ではあるが、通常の生命の様に脆弱なATフィールドではなく、
もっとずっと強固なATフィールドを持ち、更にその身体の組成がLCLの「生命のスープ以外」の部分のような、
非純粋物理学的な未知の物質によって成っている生物がその体内に持つ機関の総称である。
両博士は、ATフィールドを展開して構造を造り、そこにLCLの様な特殊な性質を持たせた架空の物質を満たし、
生体と「魄」を繋ぐ、電位変化に関連した相互作用を、ATフィールドとその物質とので間に仮定する事で、
細胞小器官や感覚器、臓器などの実在の生物の器官に似た働きを持つ、
幾つかの「ムアコック・レヒテ機関」が出来る事を理論的に示した。
当初は、この「ムアコック・レヒテ機関」そのものより、
彼らの理論的な手法が注目され、
架空の生命では無く実在の生命に対して、
今までのように物質ではなく、ATフィールドという方面から、
生体内部における構造や器官の働きを分析する手法が、彼らの手法を元に確立されるようになったのだが、
後に、南極で「アダム」が発見された事によって、この「ムアコック・レヒテ機関」自体が、
「アダム」の体内構造、及び遺伝子解析に大きく貢献する事となった。
南極地下で第一使徒「アダム」が発見されたのは、1995年の事である。
「リリス」と同様、南極地下に存在する巨大空洞の中に、「アダム」は存在していた。
「リリス」の存在が未だゼーレ内部においても秘匿され続けているのに対し、
この「アダム」の存在は、あくまで「ゼーレ」と関連のある者にのみにではあるが、発見と同時に公表された。
最初の調査の段階で、アダムが人に似た巨人とも言うべき形を持った生物で、
「アダム」は活動が殆ど止まった、休眠状態ともいえる状態にある事がわかり、
また、「アダム」から、「生命のスープ」のような純粋物理学的な物質成分は異なるが、
LCLとほぼ同じ性質を持つ、亜LCLともいうべき液体が流れ出ている事が発見された。
更に、発見の段階で調査が禁止された「リリス」と違い、「アダム」本体に対して詳しい調査が行われた結果、
アダムは、通常の生命どころか、それまで人類が発生させる事の出来た最高出力のATフィールドさえ遥かに及ばないような、
桁違いに強力なATフィールドによってその身体が構成、維持されていることが判明する。
ATフィールドは空間中に補填されている波長付近の光子を弾く性質があり、
それ故にアダムの何重にも張られた強力なATフィールドを通すのは、
赤外線以上の波長の長さを持つエネルギーの低い帯域の一部、透過力の殆ど無い電磁波のみで、
また、強力すぎるATフィールドは、
あらゆる物理的衝撃や熱、電流や粒子線などを遮断する恐ろしく強力な障壁として作用していた為、
アダムの体内構造についての調査は、
人工的に発生させたATフィールドをぶつける事で「中和作用」を起こし、
アダムのATフィールドを僅かながら弱め、そこに、かろうじて通る透過力の低い電磁波を照射するというような、
殆ど情報を得られる見込みの無い、得られても断片的な情報しか得られないような手段を取らざるを得なかった。
「ロンギヌスの槍」の「アンチATフィールド」の使用を求める声が上がったが、
休眠状態のアダムがそれにより目覚め、その際何が起こるかわからないという危険性、
何より、アダムという貴重なサンプルをロンギヌスの槍によって失う可能性があるとしてその使用は却下され続けた。
それでも僅かずつ、断片的とは言えアダムの体内構造が少しずつ明らかになり、
その断片的な情報からアダムのより詳細な構造を推測するのに役立ったのが、
先述した「ムアコック・レヒテ機関」の理論である。
そして、アダムが桁違いのATフィールドを生み出し続けている事から、
アダムの中にそれを生み出す強力な動力源がある事が推測され、その動力源となる機関について、
「S2機関」がそれではないかと目され、注目される事となった。
「S2理論」、つまり「スーパーソレノイド理論」は、
1999年、葛城ノリト博士によって提唱された理論である。
この葛城ノリト博士は、「葛城」という苗字と、亡くなった年齢と時期から見ておそらく、ミサトさんのお父さんなんだろう。
この中で提唱されている「S2」、「スーパーソレノイド機関」は、その名の通り、基本的に「ソレノイド」、
コイルに電流を流す事で電磁誘導によりコイルを貫く方向に磁力を発生させる装置と似た機構を持っている。
磁力は、電流、その実体である電子の「スピン角運動量」と、「軌道角運動量」など電子の運動に関する「角運動量」との、
電子が持つ全ての角運動量の総和と比例関係にある。
この「角運動量」という量は粒子の運動に関する量で、
重力や電磁気力などの「保存力」以外の外力が加わらない限りは変化する事のない「保存量」であり、
その為、粒子の運動が「保存力」によって同一軌道上で安定した状態にある場合、「角運動量」が変化する事はない。
電子の運動は「ハイゼンベルクの不確定性原理」のせいで不確定であるが、
同一の原子軌道上に電子が定常波として存在している場合は、基本的にこれら角運動量も保存される。
葛城博士は、「レミングスの不確定性原理」とATフィールドを純粋物理学に導入する事によって、
フェルミ粒子の「スピン角運動量」が無限に増大する事を発見した。
これは文字通り通常「スピン角運動量」が半整数となるフェルミ粒子の「スピン角運動量」が無限に増大していくというものだが、
純粋物理学の範囲では、フェルミ粒子に限らず、素粒子が持つスピン角運動というものの絶対値は変化する事はない。
が、「レミングスの不確定性原理」を考慮に入れ、超弦理論を解くと、
「光子補填されたフェルミ粒子」という解が出現する。
このフェルミ粒子は角運動量の値が可変的という性質を持ち、
更にATフィールドによって縮退させると、理論的にはスピン角運動量を無限大に増加させ続ける事が出来ると共に、
ATフィールドを含めた「系」全体の総エネルギーも無限大に増大させ続ける事ができるという代物だった。
この発見を葛城博士は、「光子補填されたフェルミ粒子」の角運動量を増大させ、
そこから無限にエネルギーを発生させる為の具体的機構について説明した「S2理論」にまで発展させる。
同一条件の「光子補填されたフェルミ粒子」を複数、
「パウリの排他律」に反して縮退させる程強力なATフィールドによって、同一エネルギー準位軌道上に閉じ込める。
この時、「光子補填されたフェルミ粒子」はスピン角運動量を際限なく増大させ続け、そのエネルギーも増大していく。
この増大したエネルギーを取り出して、フェルミ粒子を抑え続ける為のATフィールドの発生に回し、
フェルミ粒子の軌道を安定させながらエネルギーを取り出し続けるのだが、
その時、磁力などの形でエネルギーを他に放出する際、
スピン角運動量が一部軌道角運動量に変換してしまい、フェルミ粒子の軌道が単純な円や楕円から螺旋になってしまい、
また、一つの軌道では自身を抑え続けるATフィールドの生成に間に合わない為、もう一つ螺旋軌道を造る必要があり、
結果、二重螺旋上にフェルミ粒子がATフィールドの隙間を移動しながらエネルギーを放出し、
そのエネルギーの一部から通過予定軌道上に新たなATフィールドを造り続けるというのが、
「S2機関」の基本的な構造である。
しかし、この「光子補填されたフェルミ粒子」も、
それらを同一エネルギー準位軌道に閉じ込め続けるほど強力なATフィールドも、
実際に造りだすのは非常に困難であり、尚且つATフィールドをフェルミ粒子の軌道上に造り続けるというのは不可能に近く、
更に「レミングスの不確定性原理」は量子力学のレベルでも整合性が未だ完全には取れておらず、
この「光子補填されたフェルミ粒子」が本当に実在するのかも怪しく、
荒唐無稽とは言えないまでも、かなり突飛な理論であった。
だが、南極のアダムの体内に、このS2機関らしきムアコック・レヒテ機関の存在が確認され、
更にアダムの桁外れなATフィールドはこのフェルミ粒子を閉じ込め続け得るものであると共に、
何らエネルギーを外部から摂取していない様に見えるにも関らずこれだけ強力なATフィールドを発生させられるのは、
安定している限りは永久にエネルギーを発生させ続けられる半永久機関ともいうべき「S2機関」しか理論的にも存在せず、
突飛であれど、「S2理論」とその提唱者である葛城博士は、大いに学界に認められる事となり、
翌年、表向きは国連からの要請により、初の「ロンギヌスの槍」の使用許可を得た「アダム」調査団体である、
葛城調査隊の隊長として、葛城博士は南極での「アダム」の調査に乗り出す事となった。
だが、この葛城調査隊にはゼーレ関係者が多数参加しており、真には単なるアダムの調査では無く、
別の目的を持ってゼーレによって組織されたもので、葛城博士は実際の所、単なる傀儡でしかなかった。
「アダム」とは一体なんであるのか、というのは発見時から存在する当然の疑問であり、
巨人のような形の生命体であるというところからも、人間と何らかの関連がある存在だとは推測されていた。
少なくとも、単体でいきなり出現したとは到底考え難い複雑な生命である故、
DNAでは無いにしても何らかの遺伝子は存在していると推測され、調査された。
その結果、アダムに遺伝子らしきものがある事が判明し、
まだ固有波形による遺伝子解析技術が確立されていない時代、
というよりその技術はアダムの遺伝子調査の為に確立されていった技術ではあるが、
ともかく、地道な遺伝子解析の結果、アダムの遺伝子と思われるものが発見され、それはDNAと素材は違えど、
そのパターン配列は、人間の遺伝子のものと99.92パーセントで一致しているという結果が出た。
これで、アダムと人間の間に何らかの関連があることはもはや揺るぎようのない事実である事が明らかとなった。
では、具体的にその関係とは何だということになり、「リリス」の存在を知らない当時のゼーレの学者達の一部は、
「生命の祖」ではないか、という考えに至った。
確かに、アダムの眠っていた「白き月」という巨大な球形の構造物が、
生命誕生前の過去に地球に落下した形跡があることから見ても、
「アダム」が地球外生命体であることは殆ど疑いようの無い事であり、
また、ATフィールドと「魂」という、それまでの科学の常識では測れない存在が、
既に宗教思想やオカルトの中でその存在が主張されていたという事実が、
「彼ら」にオカルトめいた考えを受け入れやすくしていたのだろう。
結晶遺伝子論という、無機物的な結晶の成長によって遺伝子を伝えていた地球外生命が、
有機物に触れたことでそれに暫定的な遺伝子の「転写」を行い、
それが現在の地球上の有機生命体になったという形而上生物学でもトンデモ扱いされている理論を取り込み、
「生命のDNA」の起源は「アダムの遺伝子」が有機物に「転写」されたものだと主張しだし、
そこから何処をどう誤ったのか、「人間の遺伝子」を「アダム」にダイブさせよう、という考えに彼らは至ってしまった。
それは、確かに「タブリス」を生み出した事からも意味のあることではあったのだろうが、
「神」に近づくにはあまりに稚拙で荒唐無稽すぎる考えで、
結果としてセカンドインパクトを引き起こしてしまった事から見ても、彼らの暴走をゼーレは止めるべきであったと、
「彼ら」とゼーレについてボルガ博士は日記の中で苦言を呈している。
ともあれ、「ロンギヌスの槍」がある事もあり、葛城調査隊はセカンドインパクト直前まで、
アダムについてそれまでの調査とは桁違いの成果をあげていた。
S2機関の存在の確認、アダムの生命を司るのは胸の「コア」という機関である事の発見。
そして、ユダヤ教で「全ての子供の魂がやってきて、いずれ帰る場所」であるとされる、
「ガフの部屋」と名づけられた、亜LCLに満たされアダム以外の「十四の魂魄」が眠っていた機関の発見などである。
どうやって知り得たのかはわからない、おそらく例の「預言書」に記述されていたんだろうが、
ゼーレと繋がりをもつ「彼ら」は、この「ガフの部屋」が、
アンチATフィールドの発生を示す「デストルドー反応」をアダムが起こした時、
この「ガフの部屋」の扉が開き、
ロンギヌスの槍が展開しているものとは比べ物にならない、地球全体を覆うほどの大規模なアンチATフィールドが展開され、
地球上の生命が全てLCL化してしまう事を知っていた。
だが、その「デストルドー反応」を引き起こす「ロンギヌスの槍」でなければアダムのコアのATフィールドは破れず、
彼らの目的、「人間の遺伝子のアダムへのダイブ」が達成出来ない為、
「彼ら」はおそらく強硬するようにアダムのコアに「ロンギヌスの槍」を突き刺し、
その結果としてセカンドインパクトが発生したのだろう。
皮肉な事だが、結晶遺伝子論を提唱して「彼ら」に協力し、「彼ら」の扇動に一役買った、
「ダイブさせた遺伝子の提供者」と目される人物は、
その前日に運良く南極から離れ生き残っている。
だが「彼」が生きていたおかげで、セカンドインパクト直前までの貴重な調査結果が失われずに済んだと言うのも、
また、皮肉な話である。
もっとも、本当に「運良く」であるかはわからないが。
世間一般ではセカンドインパクトは大質量隕石の落下によって起こったとされ、
ゼーレ内では、目覚めかけていたアダムを、アンチATフィールドの展開によって全生命をLCLに変える前に、
卵の状態に還元させてアンチATフィールドの発生を防ぐ為、「彼ら」はセカンドインパクトを引き起こしたとされているが、
そのどちらも欺瞞で、先に述べたのがおそらくセカンドインパクトの本当の真相だろうと、ボルガ博士は書き記していた。
セカンドインパクトが人災だった事は、ミサトさんから聞いて知っていたけれど、
でも、後半の、ボルガ博士の手記から得た情報を、僕は知らなかった。
そして、ボルガ博士が書き記していたように、こっちが真相なんだろう。
セカンドインパクトは、本来なら起こる必要のなかったものだったわけか。
そして「彼ら」、暴走した科学者達に協力し、セカンドインパクトを間接的に引き起こした人間の一人である「彼」、
六文儀ゲンドウは、
父さん、なんだろう。
本当に、最低な人だ。
でも、それはサードインパクトを起こした僕も同じか。
なるほど、そう思ってみれば、僕と父さんは親子揃ってセカンドインパクトとサードインパクトを引き起こした事になる。
全人類を滅ぼした、最低最悪の父子。
そして、セカンドインパクトの発生によって、アダムの「ガフの部屋」の中にあった「十四の魂魄」が解放され、
後に、どういうプロセスでか生体を持って成長して使徒となり、
アダムの肉体、つまり「生体」と「魄」は、卵の状態に還元された状態で発見された。
そして、そのATフィールドも以前のような強さを持ってはいなかった。
また、これもどういうプロセスの結果こうなったのかは不明だが、
その卵となったアダムの生体の中の「ガフの部屋」に、
アダムの「魂」が、ダイブさせた遺伝子の提供者のものから造り上げたと推測される「魄」と結合した状態で発見され、
それを元に「アダム」の魂を持つ人間、「タブリス」が造り出された。
この「タブリス」とは、おそらくカヲル君のことなんだろう。
また、「リリス」の情報と調査が同時期にゼーレによって解禁された。
「リリス」もまた生体と「魄」だけで、そして「ガフの部屋」の中にはリリス自身の「魂」が入っている事がわかり、
そこで、母さん、碇ユイの提唱した、
生体を、LCLに特殊な処理を施した培養液の中で、ATフィールドを発生させながら徐々に成長させる事によって、
「魂」の無い生体を、「魄」を伴いながら成長させ、
非無性生殖動物種、その中でも特に脊椎動物種の、精子も卵子も用いず造った「純粋クローン体」において一般的に発生していた、
「魂」が無い故に「魄」が成長せず、
「魄」が生体の成長に伴わない故に起こっていた成長不全、機能不全問題を解決する事を可能にした新たなクローン技術により、
提唱者自らのクローンとして作り上げた生体と「魄」だけの存在に、「リリス」の「魂」を入れる事で、
「タブリス」と同様の、「リリス」の「魂」を持つ人間、「レイ」を造り出した。
そしてこれが、綾波。
母さんの身体を元に造ったクローンの身体と、「リリス」の魂を持つ存在。
「リリス」は、最初からセカンドインパクト前の「アダム」ほどの強さのATフィールドを持っていなかった。
これは、おそらく過去にリリスが現在の地球生命を生み出したとき、
セカンドインパクトのアダムと同様な事を既に起こした為だったのではないかと推測される。
その為、「アダム」調査時のデータと併せ、「リリス」の調査研究は、恐ろしいほどスムーズに進行した。
「リリス」の遺伝子パターンは人間と99.9999%同一であるとともに、
その遺伝子は、当時はまだ未知の物質で構成されていたとは言え、
まだ純粋物理学の範囲で説明できる物質である上、DNAと同じような核酸様の有機物によって成っていた。
更に、ウイルス型ナノマシンの逆転写反応によって、この「リリスの遺伝子」にDNAを組込む事が出来る事が判明し、
この事実と、「黒き月」もまた「白き月」と同時期に地球に落ちた痕跡がある事から、
「リリスの遺伝子」から「地球生命の遺伝子」が派生したという、
アダムの時の「結晶遺伝子論」よりはまだずっと現実的な「代替遺伝子論」という、
「リリス」こそ、「生命の祖」であるという説が六文儀ゲンドウによって提唱され、ゼーレ内外でも多く支持された。
そしてこのリリスを元に、「リリス」の存在する「黒き月」、その中に建設した「ジオフロント」を拠点にして、
「預言書」の記述を根拠に、いずれ来る「使徒」によるサードインパクトの阻止という名目の元、
国連直轄組織であるAEL、人工進化研究所を公的な隠れ蓑に、
父さん、碇ゲンドウを所長として、ネルフの前身、非公開調査組織「ゲヒルン」が結成された。
「ゲヒルン」の目的は大きく分けて三つ。
「E計画」という「アダム」をベースに、また、その前段階として「リリス」をベースに、
対使徒専用の汎用人型決戦兵器、「エヴァンゲリオン」の開発、運用を目的とした計画。
「アダム計画」という卵にまで還元している「アダム」を再び再生する計画。
そして「人類補完計画」という、「アダム」の時は成しえなかった、人類が「神」へと到る為の計画。
芹沢博士はゲヒルンに所属していて、このゲヒルンではこの三計画の内の「E計画」、
エヴァの開発に携わっていたらしく、
アンビリカルケーブルから供給した電力を動力にするエヴァの動力機関を開発したのはこの人だそうだ。
そのエヴァ開発は当時、相当ハイペースな、日進月歩ともいえる速度で進行していたらしい。
その時の新しい発見や技術の開発が毎日のように次々と起こるめまぐるしいその状況に対して、
芹沢博士は楽しくて仕方なかったらしく、当時の芹沢博士の手記からは、まるでその時の興奮が伝わってくるようだった。
だが、その芹沢博士は、ある二つの出来事によって良心の呵責から自殺してしまう事になる。
一つは、母さん、碇ユイがエヴァとの接触実験によって、
母さんの身体がLCLに融け、エヴァの「魄」と母さんの「魂魄」が融合してしまい、
エヴァの中に取り込まれてしまった事だった。
母さんの身体は、「魂魄」がエヴァの「魄」と融合した事で自我境界線を失いLCL化したが、
「死」ではないので、まだ生体と「魄」を「繋ぐもの」が残っており、
LCLとそれに融けた母さんの身体を通じて母さんの「魄」に働きかけることは可能だった。
そこで、神経パルスに似せた電気信号をLCLに流して融けた身体を通じて「魄」に伝え、更に「魄」から「魂」へ伝え、
「魂」に「リビドー反応」を起こさせ「魄」に自我境界線を取り戻させるという「サルベージ理論」に則り、
母さんの「魂魄」をエヴァの「魄」から分離させ、
LCLに融けてしまった身体を再構築させようという試みがなされたが、
発信したパルス信号が、LCL内で「魂」が信号を拒絶する為に作り出した「クライン空間」という、
カルツァ・クライン理論の折畳まれた次元にまで跨いで展開されていると推測される、裏表の無い「クラインの壷」のような、
ループ状の構造を持つATフィールドに捉われてしまい、「魂魄」が信号を受付けなくなってしまった。
その結果、母さんは、エヴァに取り込まれたきり、戻ってこれなくなった。
芹沢博士が原因という訳では無かったが、同じエヴァの開発に携わっていた同僚が、
その犠牲になったこの事件は、彼にエヴァ開発に対して大きな責任と疑問を投げかけた。
自分達は、一体何を造ろうとしているのか、と。
そして今までそれに喜んで携わっていた自分は一体何だったのか、と彼は自問自答するようになり、
そんな自問自答を繰り返しながらも、彼はエヴァの開発に携わり続けた。
そして、二つ目の事件が起こる。
世界初の人格移植OSを搭載した生体コンピュータ「MAGI」の開発者である赤木ナオコ博士、
おそらくリツコさんのお母さんだろう、が、その「MAGI」の完成直後に謎の投身自殺を起こした事だった。
その時、既に自問自答は自責に変わり、自分を責めながら生きていた芹沢博士は、
赤木ナオコ博士の自殺は、自分と同じくエヴァ開発に関わってしまった事からの自責の念からものだと思い込み、
そして、その時から自身の死を考え始めるようになり、そのすぐ後に、自ら命を絶ったそうだ。
彼が引き取っていた二人の孤児も、その時何処かに消えてしまい、
日本に来てからも可能なあらゆる手段を用いてずっと探し続けているが、結局その二人を見つけることは出来なかったと、
ボルガ博士の手記には記されていた。
一方のボルガ博士はネルフの松代第二支部に来る前は、ゼーレの研究者として、
まだネルフのドイツ第三支部が発足する前からドイツにあったゼーレ本部直轄の研究施設において、
アダムをベースとしたエヴァの開発に携わっていた。
そして、彼もまた、ある一つの事件に遭遇する事となった。
惣流・キョウコ・ツェッペリン、アスカのお母さんが、
僕の母さんと同じくエヴァとの接触実験においてエヴァに取り込まれた事件だった。
母さんの時と同じく、キョウコさんの身体はLCLに融け、エヴァの「魄」とキョウコさんの「魂魄」が融合しかけていた。
母さんの事例から「サルベージ理論」も更に発展し、その理論に則ってサルベージが行われた結果、
キョウコさんの「魄」は自我境界線を取り戻してエヴァの「魄」から分離し、
それと同時に「繋ぐもの」の働きでキョウコさんの身体も再構成されて戻ってきた。
だが、キョウコさんの「魂」はエヴァに取り込まれたままだった。
キョウコさんは、生体と「魄」だけの状態で甦った。
その結果、キョウコさんは「心」を失い、生きる為の本能的行動や、感情の伴わない機械的な行動には支障は無いが、
それ以外は、まるで「心」を取り戻そうとしているかのように、
脳と「魄」の「記憶」に存在している、以前は「母性」などの失ってしまった「感情」から行っていた行動を、
ただ意味も無く反復するだけの機械のような存在になった。
更にその後、「魂」を失った不自然さのせいか、「魂」の無い「魄」は消滅するしか無いとでも「魄」が判断したのだろう、
キョウコさんの「魄」が「デストルドー反応」を示すようになり、
その結果、アスカにトラウマを与えるような行動をキョウコさんは取るようになった。
そして最後には、キョウコさんの生体と「魄」は、「デストルドー」の赴くままに自らの手で命を絶った。
ボルガ博士は芹沢博士と違い、長年ゼーレに身を置き、その汚さを見ながらも研究を続けていたため、
この出来事自体は彼にはさほど大きな衝撃を与えはしなかったが、
既にセカンドインパクトによってゼーレとそれに加担し続けた己の所業に嫌気がさしていた彼は、
この出来事をきっかけに、ゼーレと手を切ろうとはっきり決意しはじめるようになり、
そして親交の深かった芹沢博士の死を契機として、ゼーレから少しでも遠ざかる為日本に渡り、
ここで行方不明になった芹沢博士の養子を探しながら、
表向きはゼーレからの客員研究員、裏向きはゼーレからのネルフの監視要員として、
そして真にはゼーレから少しでも遠ざかる為に、半ば隠居者として、ネルフの松代第二支部に勤めていたそうだ。
「ふうっ……。」
書庫の書籍や論文を漁っていた僕は、手を止めて一息を付いた。
どうやら探していた理論について書かれた論文は、やっぱりこの書庫には無いみたいだ。
あの書斎にある分が、どうやら全部か。
僕は、ボルガ博士の書斎に向かった。
ボルガ博士の書斎で、目的の理論について書かれた、まだボルガ博士が書きかけていた論文だった。
目的の理論、それはボルガ博士が日本人研究者である、真田ライゾウ博士、獅子王コウサブロウ博士と共同で研究していた、
「S12機関」という、「S2機関」を更に発展させた動力系の理論だった。
葛城博士が「S2理論」を発表した後、
S2機関を人の手で造り挙げようと、セカンドインパクト後ゼーレの科学者達は試み続けていた。
その具体的モデルとして、多くのS2機関のプロトタイプモデルが提唱され、
最終的に、二つのタイプの「S2機関」に絞られたようだった。
一つは「ミノフスキードライブ」、一ノ谷・T・ミノフスキー博士が提唱したタイプのS2機関である。
これはS2機関に使う「光子補填されたフェルミ粒子」に、
「弱い力」を伝えるゲージ粒子の一つであるWボソン、
その超対称性粒子である「ウィーノ」に「光子補填」を起こして出来る「ミノフスキー粒子」を使ったタイプのS2機関である。
もう一つが「GNドライブ」、ハルハ・シュヘンベルク博士が提唱したタイプで、
「ミノフスキードライブ」と同じく、「弱い力」を伝えるもう一つのゲージ粒子であるZボソン、
その超対称性粒子である「ジーノ」に「光子補填」を起こして出来る「GN粒子」を使ったタイプのS2機関である。
この2タイプが実現可能とされたS2機関であり、実際、ボルガ博士がドイツを離れるまでには、
2タイプ共に試作機の試験段階にまで入りかけていたらしい。
ボルガ博士は、この二つのS2機関の開発には携わっていないが、
この二つの開発はおそらくどちらも成功するだろうと考えていたようだ。
ボルガ博士自体はS2機関自体に興味はなく、というより、S2機関の不安定さから、
S2機関とは違う、S2機関より安定した動力機関をボルガ博士は考え続けていたようだ。
そして、「S12機関」という機関を彼は提唱した。
この「S12機関」のS12は、「S2機関」が「Super Solenoid」をS2と省略表記しているように、
名称の省略表記の結果S12になったという訳ではなく、
「S2機関」が二重螺旋構造を持つこと、そしてこの「S12機関」が十二の螺旋の「流れ」を持つ機関であることから、
二つの螺旋の「S2機関」に対して、十二の螺旋の「S12機関」という名称をボルガ博士は付けたのである。
この「S12機関」は、「光子補填されたフェルミ粒子」を螺旋軌道に「流す」所までは同じだが、
この「流れ」が十二個存在し、この十二個がまず二つずつ合わさって六つの「流れ」になり、
更にこの六つの「流れ」が二つずつ組み合わさって三つの「流れ」になり、
この三つの「流れ」の内、二つの「流れ」が合わさって一つの「流れ」になり、
更に、残った一つと合わさった一つの、二つの「流れ」も合わさって、
全てが合わさった一つの「流れ」になる。という構造を持つ。
この「S12機関」は「S2機関」より出力は小さく、永久機関と言うには不完全で、外部から多少の「光」の寄与を必要とするが、
代わりに、「S2機関」よりも遥かに安定して存在し続ける事が出来、
更に、「S2機関」よりもずっと複雑な構造を持つにも関わらず、「S2機関」より遥かに小さく、
それこそ、まだ未完成ではあるが理論上は、人間の細胞の中にミトコンドリアのような小器官として埋め込める程、
小型化する事が出来るという性質を持っている。
ボルガ博士は、ゼーレから離れここに来たとき、この「S12機関」の研究を生涯の最後の研究にしようと、
旧知の二人の科学者と共に、この研究に本格的に着手し始めたそうだ。
論文を読み終わる。
書きかけのところから見ても、おそらくこれが、「S12理論」研究における最後のものだろう。
大筋の要点は既に書き上げられていて、後は細かな部分と結論だけが残っているような状態だった。
結論が何であるかを、読んできた中から僕は推測し、一応の納得をして、論文を裏返して机に置いた。
裏に、何かメモのようなものが書かれていた。
「……頭の中に、爆弾が。
…………………?」
どういう意味だろう?
気になったけれど、考えすぎて疲れたから、
そのうち僕は、考えるのをやめた。
「……。」
起きた。
書斎のソファで軽く寝ていたようだ。
何気なく、ボルガ博士の手記が収められていた本棚に目を向けた。
思えば、偶々この芹沢邸を見つけ、
ゼーレやATフィールドについて、
更には父さん、母さん、ミサトさんのお父さんや、
アスカのお母さん、そして綾波に、カヲル君の事を知る事が出来た事は、
芹沢博士が母さんの、ボルガ博士がアスカのお母さんの事故にそれぞれ関わりをもっていたという所から考えても、
我ながら妙な話、奇妙な縁だと思う。
何気なく、目の前の机に置かれたボルガ博士の「S12機関」の論文を見る。
そういや、僕はボルガ博士や芹沢博士が何年もかけて研究してきた成果である論文や、
コレクションである専門書を勝手に読み漁った上に、彼らのプライベートが書かれた手記まで勝手に見てるんだよな…。
罪悪感が湧いてきて、
何か、居た堪れない気持ちになってきた。
「ボルガ博士、芹沢博士、お許しください。」
何となく、僕は目の前の論文に向かって頭を下げた。
書庫から二冊本を持ち出して、芹沢邸を後にした。
雨は、午後から日暮れにかけてずっと降り続いていたようだ。
泡の様に浮かぶ考えに耽りながら、軽い夕立の中、傘を差して眩暈坂を下る。
あの芹沢邸にあった書物や論文に書いてあるような難しい事を、
僕が理解できるようになるなんて思っても見なかった。
アスカ曰く、僕にはもともと才能が合ったらしいけど、
それよりも、アスカが暇つぶしに僕に色々教えてくれたのが大きいと思う。
教えてもらっている時も、ずっと楽しかったし。
「「人は環境が育てる」か…、持論にしようかな…。」
アスカが傍にいてくれたという「環境」が、僕を育ててくれた。
「今だって感謝してるけど、アスカには、もっと感謝しないといけないな…。」
そのアスカを、僕はずっと傷つけてきた。
今も、きっと傷つけ続けている。
いつ、僕はアスカにちゃんと感謝を示せるんだろうか?
恩に、報いる事ができるんだろうか?
そう思うと、途方も無い気持ちになった。
芹沢邸で、憑かれたように本や論文を読み漁り、多くの事を知った事は、
アスカが傍にいない、喜びや楽しみの殆ど無いこの日々の中で、
アスカのつくってくれた御飯を食べる以外では、唯一の僕の楽しみだった。
でも、「S12機関」の最後の論文まで読んでしまった今、
あそこにはもう、新しい発見や楽しみは期待できないかもしれない。
まあ、それもいいか。
あそこで何故かダイナマイトを発見して以来、爆弾どころか弾薬も何も見つけていないし、
そろそろそっちを再開しなきゃいけない。
プラグスーツを一旦ガス状にして身体に「蒸着」させる事を提唱している論文とか、
ベルトを装着してポーズをとるだけでプラグスーツ姿にに「変身」できる「変身ベルト」についての論文とか、
N2兵器をペンシルサイズにまで圧縮させた「ペンシル爆弾」についての論文とか、
まだ読んでいない興味を引かれる本や論文が幾つか残ってるけど、
今持ってきた本を返したら、もう芹沢邸に行くのはやめる事にしよう。
これ以上拘れば、キリが無くなってしまうだろうし。
再帰性を持つ構造。
それは学問の探求にしても同じだった。
物質をどこまで分解できるか科学者達が探求し続けたように、
宇宙がいつから始まったのか科学者達が探求し続けたように、
宇宙の根本的な支配法則を科学者達が探求したように、
いつの時代もこれらの問いは「一応」の答えに辿りついたけど、
すぐにそれを覆す新たな「何か」が見つかってきた。
その度に科学者達は新たな、もっと「一般的な答え」を見つけようとして、
その試みは終わる事がなく、そしてきっと、サードインパクトが起こらずに世界が続いていても決して終わる事はなかった。
何故なら、全て「状態」だから。
これら全ては、科学者達の「試み」はいつも、「存在」の「状態」を追い求めるものでしかなかったから。
既知の「状態」を根城として「別の状態」を見つけるだけのものでしかなかったから。
「存在」そのものがなんであるか、触れる事すら出来ないから。
誰も決して、神さえも、「存在」するものには、「何故存在するのか?」という問いに答えることは出来ない。
「存在」を説明する為に、最後には「「非存在」という「存在」」を用いなければならないから。
「非存在」、「無」を、「存在」の「一つの状態」としてしか考えられないから。
だからこそ上の問いは永遠に「果て」に到達する事はない。
「存在」を説明する為に、「状態」を「状態」で説明するという、無限に続く、再帰性を持つ構造。
「存在」には「状態」が付きまとう。
例え「無」にさえ。
ここで言う「非存在」、「無」は、真の「無」では無い。
「概念的」に「存在する」限り、それは「無」ではない。
そしてその上の「真の無」を考えるとまた概念上存在する事になるから、「真の無」もまた「無」ではない。
ではその上のその上のその上の、総括して「全ての「無」」を考えると、全ての「無」が「無」で無くなって、
「無」が、「存在しない」事になる。
当然だろう、
「無」なんだから。
だから、「無」を「考える」と、「状態」という「存在」がつきまとう。
なら「状態」とは何だろう。
その根源を求める事は無意味だろうか?
「存在」であり「状態」である「人」にとっては無意味ではないだろう。
だからこそ、科学がある。
科学が成果を挙げてきた。
科学の行いが無意味であるという事は決してない。
では、科学の果てには何があるのか。
例えば、この宇宙の支配法則を探ろうとする試み。
宇宙の全ての「状態」を説明する法則。
それが「完成」したなら、或いは「幾つかの変数」を変える事で、この宇宙の全てを説明できるかもしれない。
だが、それが本当に「全て」だろうか?
「この宇宙」においては全てではあるが、他の「全ての宇宙」においてもそうだろうか?
他の変数の宇宙は在るのか?
そもそもこの宇宙は何故この変数になったのか?
或いは、まったくこの宇宙とは別の法則で成り立っている宇宙は本当に存在しないのか?
そんなものは存在しないというのなら、科学なら、それらが存在しない事を「合理的」に証明出来なければならない。
なぜ、「存在しないのか」を導き出す新たな「法則」が、必要になってしまうだろう。
数学の上に、公理系を一般化して扱う超数学が編み出されたように、
法則の上、それすら一般化して扱う「超法則」とも言うべき法則が出てきて、
更にそれを説明する「超超法則」が出てきて、更に、
というように「一般化」は際限なく拡大していくのだろう。
その行き着く先は何処だろう?
「一般化」の行き着く先、「条件」を広げた先、どんな「状態」も考慮に入れた先。
その先は、
おそらく「何でもあり」だ。
そして、「何でもあり」である故に、「何でもあり」では無く、
「何にも無い」が「あり」になる。
だから「何でもあり」は同時に「全てが無い」でもあり、
「全てが無い」から「「全てが無い」が無い」でもあり、「全てがある」から「「全てがある」では無い」がある。
「何でもあり」であり「矛盾すら内包しながら矛盾を内包していない状態」であると共に、
「全て」であり「全て」ではない。
無秩序、不条理でありながら、それしか許さない状態でありながら、秩序、合理的であり、それしか許さない状態である。
「全て」を肯定してると同時に「全て」を否定している、と同時に、「同時に」では無く、「同時に」でもあり…
全てを並列に扱うからこそ論理に矛盾がでるとして、「階層」を造れば確かに合理化できるけど、
その「階層」が何故在るのか、という事を扱う「階層の超法則」が出てきて、更にそれが何故…、
というように、やはり最後は「何でもあり」まで行き着いてしまう。
だから、「何でもあり」だから、その階層はあると同時に、決して無く。それと同時に…
際限が無いので誤解を恐れずに一言でいうならば、やっぱり「何でもあり」が一番しっくりくる言葉だろう。
そして、奇遇というべきか当然の帰結というべきか何というべきか、「何でもあり」とは、僕達人間が何の条件も制約も無い場合、
最初に考える「白紙の状態」でもある。
「状態」の探求の行き着く先は、きっと「何でもあり」なのだろう。
不合理。
そしてその不合理な「状態」が常に付きまとう「存在」もまた「不合理」であるといえる。
だからこそ、「何故存在するのか」に誰も答えられないのだといえる。
科学者達はひたすらに「合理的」に「我々が存在している事」を説明しようとするが、
「存在」している事そのものが、最大の「不合理」なのだ。
「不合理」を「合理」的に説明しようというのもまた、不合理な話ではある。
それでなくても、「合理的体系」は、自身で「合理的」であると完全には証明できない事は、
ゲーデルの「不完全性定理」の言う所でもあるのだし。
とは言え、「不合理」である故に「不合理」では無く「合理的」であるという事でもあるのだろうし、
事実、この世界は「合理的」に見える。
そして、この「存在」が「不合理」だという結果も、僕が自分では「合理的」だと思える思考をした結果でしかなく、
本当は「不合理」なんて何処にも無く、世界の全ては秩序と調和で出来ていて、
それが人の知識や思考では図りきれないだけなのかもしれない。
或いは、「不合理」のカオスの中に、「階層」と「秩序」を与えて「合理化」させた「神様」とも言うべき存在が、
もしかしたらいるのかも知れない。
その「神様」の存在もまた、不合理ではあるのだけど、
「何でも在り」だからこそ、どんな「在り方」でもありえるのだから、在りえなくは無いんだろう。
「何でも在り」故に、この世には、不思議な事など何も存在せず、
同時に、不思議な事しか存在しないのだから。
ともあれ、こんな事を考えて、答えが出たところで世界が何ら変わることなど無く、
それに、こんな不気味な泡のような事を考えていると、自分の存在まで儚い泡のような存在に思えて酷く気が滅入る。
目の前のこの世界も、幻覚だろうと偽物だろうと何だろうと、確かに「僕には」見えてはいるし、
「この世界が見えている」という僕の「感覚」は、「僕にとって」確かなものだし。
僕が今感じている僕の「心」は、「僕にとっては」確かに在る。
それは揺るぎないのだけれど、それでも、滅入るものは滅入る。
自分の存在の根拠を、剥奪されていくようなこんな考えを抱く事は、
自分で自分を認め難い僕にとっては少し酷だった。
まして今は、傍にアスカがいないのだから。
「こんな事を考えてしまうんだから、やっぱり、あそこに行くのはもうやめるべきだな…。」
そう呟いて、僕は雨の眩暈坂を下りた。
電波電波電波電波電波電波電波電波電波電波電波電波電波電波電波電波電波電波ァーーーーーーーーーーーーー!!
と、いうわけで、エヴァ世界の科学史及びエヴァに出てきた架空の科学用語の解説(注:決してこれは公式設定ではなく作者の勝手な妄想です)を、
シンジを語り部としてお送りしました。
いやーーーこれ書いてる時は楽しかった。
「衒学」も、極めるとこうなります。
以下補足。
「局在」は実在する現象ですが、「光子補填による空間相転移現象」なる現象は実在しません。
作者が「局在」を元に思いついた妄想です。
実際に局在の起こるフォトニックフラクタル内でガンマ線の衝突実験を行っても、こんな現象はおそらく起こらないでしょう、多分。
「万物に宿る霊性」は、作者自身はあると考えておりますが、それが「科学的」に実在を持って観測される事はおそらく無いでしょう。
疑似科学、特に其れが変な団体を作っている時はご注意ください。
「レミングスの不確定性原理」について。
当然ながら実在しません。
レミングスという名前も、単に頭に偶々浮かんできただけで、作者自身にはこの名前に特別な意味を持たせようという意図はございません。
ボルガ博士について。
これは「あるアニメ作品」のキャラクターから来ています。
ご存知の方の中にはおそらくこの名前を見ただけで噴出する方もおられるかと思われます。
流石に、ボルガ博士をこの話のメインの博士にするのはどうかと思ったのですが、
この妄想はメイン博士をボルガ博士に決めてからスイスイと組みあがっていったものですし、
また、ボルガ博士(とS12機関)について「あるこじつけ」を思いついた為に、最終的にボルガ博士になりました。
L.C.Lの正式名称「Lilith's Cursed Liquid」について。
公式ではありません。作者が思いついただけです。
直訳すると「リリスの呪われし液体」。
「リリス」は、聖書では「悪魔達の母」ですし。
L.C.Lの正式名称を「Link Connected Liquid」だと思っている方もおられるかと思われますが、
これが正式な名前でない事は、劇場版パンフレット(おそらく旧作の物だと思われる)で書かれているそうです。
wikipedia『新世紀エヴァンゲリオンの用語一覧』の記事内、L.C.L.の項目参照。
リリスの発見時期について。
アダムより先にリリスが発見された事にしたのは、LCLを使いたかったのと、
南極の地下で眠るアダムより、箱根の地下で眠るリリスの方が遥かに発見しやすいだろう事から、こうしました。
また、ゼーレが先に発見したリリスを「第二使徒」としたのは、「裏死海文書」の記述に従っての事です。
ロンギヌスの槍とアダムの発見について。
ゲーム『エヴァンゲリオン2』などでは、アダムを発見したのは南極を調査していた葛城調査隊によってであり、
ロンギヌスの槍も死海からではなくアダムと共に南極から発見された事になっていますが、
それはあくまでゲーム内での設定であり、完全な公式設定とは言い難かったので、思い切って無視しました。
アダムの存在も知られていなかったのに突飛すぎる理論といわれたS2理論が評価されて葛城博士が南極調査隊の隊長に選ばれた理由もわかりませんし、
ロンギヌスの槍についても、ビデオフォーマット版21話冒頭において、死海から南極に運んだと劇中で言及されており、
南極から発掘されたロンギヌスの槍が何の為に一旦死海に運ばれたのかよく分からないですし。
ミサトの父親の名前を、葛城ノリトとした事について。
ミサトの父親について、その下の名前は公式設定は無いようです。
ノリトという名は成田由美子さんの漫画「花よりも花の如く」の主人公の名、それと、神道の「祝詞」からとっており、
これは、ミサトに父に似ていると言われた加持のリョウジという名の由来が、成田由美子さんの漫画「あいつ」の登場人物から来ている事と、
「加持」が、神道の「加持祈祷」の「加持」と同じ字を持っている事からこう付けました。
加持の姓は、元々は船の「舵」が由来らしいですが。
また、公式設定かどうかは分かりませんが、葛城博士が南極に調査に行く前にS2機関の試作機を作ったという設定もあるらしいですが、無視しています。
試作機でも一応は作れたのなら、ビデオフォーマット版21話冒頭で仮説の段階とは言われないはずですしね。
セカンドインパクト発生の真の真相を、科学者達の暴走とした事について。
EOEではミサトが、ロンギヌスの槍を使って休眠状態だったアダムを卵の状態に還元させようとした結果、セカンドインパクトが発生したと言っていましたが、
それならば、なぜ人の遺伝子をアダムにダイブさせたのか分からない為です。
ついでに行った実験だとか、アダムを卵に還元する為には一旦人の遺伝子をダイブさせる必要があっただとか、色々言えますが、
それよりも、アダムを卵の状態に戻すためにセカンドインパクトを起こしたと言う事さえも欺瞞で、
セカンドインパクトの真の真相は、科学者達がアダムに人の遺伝子をダイブさせた事によって起こった単なる事故でしかなく、
それが、ミサトや加持が命を賭しても偽の情報しか掴めなかったほどゼーレ内でも秘匿されていたのは、
セカンドインパクトが使徒の復活を阻止する為でも地球生命の絶滅を防ぐためでもなく、
単なる事故でしかなかったと知れれば、いくらゼーレ内においても反発は必至だった為である、
とした方が自分の中ではずっと自然な気がしたからです。
ゼーレがセカンドインパクトを起こしたっていう事だけでもかなりのインパクトですし、加持やミサトがそれで納得するのは無理もないと思いますしね。
ビデオフォーマット版第二十一話冒頭を見ても、まるでアダムに人の遺伝子をダイブさせた結果、事故が起こった。みたいな感じに描写されていますし。
ちなみに、遺伝子の提供者は、まあ、ゲンドウなんですが、
何故アダムの研究に直接携わる科学者達本人をさしおいて、単なる協力者であるゲンドウが遺伝子の提供者に選ばれたのかと言いますと、
これは科学者達の間に、「自分はあくまで研究の為に人と神の接触を望むだけで、自分が神になりたい訳ではない」という妙なプライドが働き、
それならば自分達に協力してくれたゲンドウにこの座を譲ってやろうという事で、ゲンドウが選ばれました。
別にゲンドウが立候補した訳ではないです。
ゲンドウ自身はセカンドインパクトが起こって科学者達の試みが失敗する事が分かっていたので、どうでも良いと思っていたと思われます。
また、あくまでカヲルはゲンドウの遺伝子を元にしただけで、ゲンドウとまったく同じ部位の遺伝子が発現しているという訳でなく、
それ故に、身体的特徴もカヲルとゲンドウとでは異なっています。
遺伝子的に全く同じ一卵性双生児の中にも、容姿があまり似ていない双子というのはいますしね。
レイとユイも、結構似てませんし。
結晶遺伝子論について。
TV版十六話のシンジの回想時、新聞の見出しに登場しています。
実はこの結晶遺伝子論は実在する説であり、提唱者は勿論ゲンドウではありません。
この話でゲンドウがこれを提唱した人物としたのは、上記の新聞の見出しがゲンドウと関連している事、
また、セカンドインパクト後にAEL及びゲヒルンというおそらく形而上生物学的にかなり専門的な組織のトップに立っていた事、
また、セカンドインパクト以前に形而上生物学の教授だった冬月に会う前から既に知られていた事などから、
ゲンドウはこれを唱えて形而上生物学の中で注目されていたのではと、考えたからです。
代替遺伝子論は私の妄想の産物ですが、もしかしたら同じ名前の説や、類似の説が存在しているかもしれません。
シンジのスパシン化については、シンジの血脈と、アスカさんの教育の賜物です。
後、この世界の科学、特に理論物理学は1980年代の段階で現実世界の現在(2009年)よりもかなり進んでいます。
と言った設定になっております。
やはり専門の方々から見れば突っ込みどころ満載でしょうが、ご容赦ください。
「ミノフスキー粒子」と「ミノフスキードライブ」、「GN粒子」と「GNドライブ」は、正直やりすぎた気がします…。
いや、思いついたもので…。
ちなみに、作者はガノタではございません。
最後のシンジの独白について。
私から申す事は特にございません。
以上。
2009年12月7日 たう
1月19日追記。
「エヴァンゲリオンクロニクル」の新訂版を今日買って読んで見たら、
裏死海文書の発見時期、解読時期、ロンギヌスの槍の発見時期、黒き月とリリスの発見時期等、ここで書いた妄想とかなり異なってましたねぇ…。
この妄想は「エヴァンゲリオンクロニクル」を見ずに書いていたので、いつか食い違いが出ると思っていましたが…。
準公式とはいえ、これと整合性が取れなかったのは痛いですね…。
まあ、逆に、エヴァンゲリオンクロニクルを先に見ていれば、きっと整合性を取りきれず、この妄想が完成する事は無かったのでしょうが…。
ロンギヌスの槍、リリス、LCL、裏死海文書が碌に使えなかったですし。
2月27日追記。
エヴァンゲリオンクロニクルを見ていて思いついたので。
アラエルの光について。
レミングスの不確定原理によって「粒子的側面」が強く出る(故に「物理障壁」になり得る)ATフィールドですが、
この光は、ATフィールドの「波動的側面」が強く出ている光であり、
これは、可視波長域という比較的エネルギーが低い故に波動的側面が強く出ている光によってATフィールドを発生させ、
更にそのATフィールドを一つ一つは極小規模に、それを「同時」に大量に発生、放出する事で、
ATフィールドの波動性を強く引き出したものです。
(イメージ的には電子の二重スリット実験によってできる電子の干渉稿見たいな感じですかね。)
アルミサエルを押さえ込んだ綾波の「反転」したATフィールドについて。
内向きのATフィールドです。
「反転」したのはATフィールドの「展開の方向」。
「内向き」ゆえに内側に、「肉体」を閉じ込めるように「成長」していきます。
通常戦闘で用いるATフィールドは「外向き」のもので、
シンジ、アスカがこのような「内向き」のATフィールドを展開出来たかは不明。
おそらく、レイ(とカヲル)にしか展開できなかったものと思われる。
カヲルの「結界」について。
劇中のマヤが、光波、電磁波、粒子が遮断され、
何もモニターできないと言っている所から、様々な波長域のATフィールドを複数、同時に、大規模に、
更には大概の粒子線を弾く程度の強度を持たせて展開したもの。
器用である。
次元測定値について。
ATフィールドを「次元」で表現したこの量は、
そもそもATフィールド発生の元になる「フラクタル体」を「次元」で表現する事に由来する。
ある波長域、ある強度の電磁波を、
ある次元の「フラクタル立体」に照射し局在を発生させた場合に出来るATフィールドの強さを基準とし、
それを元にATフィールドの強さを「次元」として表現し、比較、観測に用いている。
EOEにおける次元測定値の反転、マイナス化、数値化不能という現象は、
この「次元測定値」の尺度からは説明できない現象が観測された事を意味し、
アンチATフィールドの発生を示す。
ちなみに、「クライン空間」がカルツァクライン理論の「折畳まれた次元」に跨いで展開されているとされている通り、
ATフィールドは三次元領域以上の次元にも展開でき、その「展開次元」と「次元測定値」に間には関連性が存在している。
また、S2機関の解放はアンチATフィールドの発生の為のエネルギーを作り出す為のものであって、
S2機関とアンチATフィールド自体に相互の関連性は無い。
ソレノイドグラフについて。
EOEではソレノイドグラフ反転という言葉の後に、自我境界が弱体化していると青葉が、
更にその後、冬月が、これ以上はパイロットの自我が持たない、と言っている事から、
これは自我境界の強さ、すなわち「魄」としてのATフィールドの強さを意味する。
「ソレノイド」が螺旋構造を持ち、また、「外向き」のATフィールドは螺旋構造から強く発生する事から、
主に螺旋構造を持つDNAを媒介に発生する外向きのATフィールドを、まず螺旋構造をソレノイドの外積として表現し、
それを外向きのATフィールドの強度と対応させ、更にATフィールド強度からエヴァパイロットの心理状態を表現したもの。
以上、この話での設定からエヴァ作品内の現象、用語の解説補足でした。
まあ、この話の設定はエヴァンゲリオンクロニクルと矛盾しておるのですが、
クロニクルは一応GAINAX監修ですが、庵野監督が直接関わっている訳では無いみたいですし、
また、庵野監督自身が、エヴァを「衒学」と言っているように、
ここら辺の設定は「それっぽく」見せるために結構適当に決めていると思われ、
更に、アスカの血液型が変わったりとエヴァは公式設定自体が後づけで変化したりしてるので、
クロニクルと矛盾しててもあんまり気にする必要はないかなぁ、と。
まあ、なるべくクロニクルと整合性が取れるようなら可能な限り修正してもいきますが。
たう