Secondary  3_Mars-4

 

 

 

 

 

 

アスカから妊娠したかもしれないと告げられた時、僕は気が気じゃ無かった。
表面上は平静を装っていたけれど、
頭の中はアスカに動揺を悟られないように、アスカを傷つけないよう、取り繕ろうのに必死だった。
それから三日、僕はアスカの言葉に甘えて中に出してしまった自分の浅はかさを恨みながら、
アスカに子供が出来ていていない事を願いながら過ごしていた。

 

そうだ、この男は自分の妻を殺した疑いがある!
自分の妻を殺したんだ!

誰かの声。
父さんの噂を、僕に話す声。

サードインパクトを起こした男の子供。
全人類を滅ぼした罪人の子。
僕に子供が出来れば、その子はそんなものを背負って生きていかなければならない。
そう、僕の様に。
それだけじゃない。
今ならまだ「無かった事」に出来る僕とアスカのつながりが、決して消せないものになってしまう。
それが原因で、アスカが人の社会に受け入れらなくなる可能性だって出てくる。
何より、アスカが僕から、離れにくくなってしまう。
子供ができれば、僕も、アスカも、生まれて来る僕達の子供も、誰も、幸せになれない。
生まれてきては、いけない子供。

父さん、僕はいらない子供なの?
父さん!!!

いつかの僕が、頭の中でいつも父さんに問いかけていた言葉。

違う!!!
いらない子供なんかじゃない!!!
違うんだ!!!!

じゃあ、どうして?

仕方ないんだ。
君が生まれてきたらみんなが不幸になってしまう。
だから…。

やっぱり僕は、生まれない方がいいような、いらない子供なんだ。

違う!!!

何が違うの?

違うんだっ!!!!

何が違うの?
父さんと僕と、何が違うの?

……。

捨てられた父さんと、何が違うの?

……。

人類を滅ぼした父さんと、何が違うの?

……。

ねぇ?
父さん。

 

 

廃屋のソファで、僕は目を覚ました。
傍らには、アサルトライフルが立て掛けてある。
射撃訓練の途中、小休止のつもりで横になって、どうやらそのまま寝ていたみたいだ。
「夢か…。」
嫌な夢だった。
心の奥底を抉られるような、嫌な夢。
すっかり忘れていた、父さんへのコンプレックスを呼び起こされた。
「父さん、か…。
 僕も、父さんと同じなのかもしれないな…。」
僕を捨てた、父さんと。
「いや、生まれてくる事すら望んで無いんだから、父さん以下か…。」
父さんは、僕が生まれてくる事は、望んで、いや、少なくとも、認めてはくれたから。
「こんな奴に、父親になる資格なんてあるのか…?」
きっと、無いんだ。
「……。」
僕は、ソファから起き上がった。

 

家に帰ると、アスカから生理があった事を告げられた。
僕は、アスカに悟られないよう取り繕いながらも、心の底から安堵していた。
そんな自分に、嫌悪感を抱きながら。
 

 

あれ以来、アスカとセックスする時は必ずコンドームを付けて避妊するのはもちろん、
セックスする事自体を控えた。
もう出来るだけ、子供が出来てしまうような事は避けておきたかった。
ほんの少し、アスカとの間に気まずさみたいなものが出来てしまったけれど、それでいいと思う。
どうせいずれ、アスカとは離れなければいけないのだから。
なら、今の内から少しでもアスカとは距離をつくっておいた方がいい。

 

そうして、以前より精彩を欠きながらも、僕達の日常はまた流れていく。

 

 

 

 

 

 

何処だ?ここ?

見たことも無い景色。
知らない街。
知らない人々。

その人々の中に、アスカがいた。
アスカの隣には、僕の知らない男の人。
アスカはその人に腕を絡ませて、その人に向かって笑っている。
僕に見せてくれるような、
幸せそうな笑顔。

 

何だ、これ?

未来だよ。
僕が望んだ。

望んだ?

そうだよ。

僕はこんな、アスカが他の人といる事なんて…。

アスカが幸せになる事を、僕は望んでいるじゃないか。
例え、僕が死んでしまっても。

……。

それとも、僕がいなくなった後も、アスカが僕に縛られて誰とも一緒になれないような孤独な人生を送る事を、
僕は望んでいるのか?

そんな事、無い…。

そう…。

 

場面が切り替わる。
何処かの家の、部屋の中、そのベッドの上。
アスカが、その人と抱き合っていた。
快楽に身を捩り、喘ぎながら、その男と身体を絡ませていた。
僕にするように、その男に愛を囁いていた。
僕にするように、その男に…。

やめろっ!!!

これが、僕の望んだ未来。

やめろっ!!!!

僕が犠牲になる事で、アスカが幸せになった未来。

やめろっ!!!!!

僕がいなくなって、アスカが僕の事を忘れて、他の誰かと幸せになった未来。

やめろって言ってるだろっ!!!!!!!!!!!
 

やめろ。
そんなものを僕に見せるな。
考えさせるな。
せっかく、せっかく意味がわかったのに。
僕が生きていく意味が、
人を殺す意味が、わかったのに。
そんなものを見せて僕を惑わせないでくれ!!!!

どうして惑うの?

……。

アスカの幸せだけを願っているんだろ?

そうだよ…。

なら、祝福してあげなよ。

……できない。
そんなの、無理だよ。

アスカが幸せならいいじゃないか。
例え、それが他の男の手によるものだとしても。

……嫌だ。

嫌?

嫌だ。
そんなの、嫌だ。

じゃあ、何の為に僕はアスカを守るの?

そんなのっ、アスカに幸せになって欲しいからに決まってる!
でも、それは僕の手でじゃなきゃ嫌なんだよ!
僕の手でじゃなきゃ…。

僕の手?
そんな血塗れの手で、アスカを幸せに出来ると思っているのか?

視線を下ろす。
下ろした先、そこには、血で真っ赤に染まった僕の掌。

 

「――――――ッ」
飛び起きた。
夢。
嫌な夢。
いつかのような、嫌な夢。
「っ……。」
心がざわざわして、落ち着かない。
自分が、酷く惨めな存在に思えた。
孤独感。
悲しくて、泣きたい気分だった。
「アスカ…。」
アスカは、隣で眠っている。
そのやすらかな寝顔を見たとき、僕の心に黒いものが沸きだした。
嫉妬心という名の黒い炎。
僕は、アスカの上に被さった。
「んっ…、シンジ。どうしたの?…んんっ…」
目覚めたばかりのアスカの唇に、何も言わず吸い付いた。
来ていたパジャマを、無理矢理に脱がしていく。
「んっ…ちょっとシンジ、いきなり…んっ…」
アスカの言葉も耳に掛けず、僕は乱暴にアスカの身体をまさぐった。
「やめっ…ちょっと、いたいってばっ…やっ…」
アスカが抗議の声をあげながら、抵抗する。
僕の身体が少しアスカと離れる。
「どうしちゃったのよシンジ?…なんか、怖いわよ…」
「……。」
僕は再びアスカの身体を弄りだす。
「やっ…もうっ…やだっって言ってんでしょ!!!」
アスカが渾身の力で僕を押しのける。
「……。」
それが、僕の脳を灼く黒い炎を、更に激しく燃え上がらせた。
「きゃあ!!!」
僕は力いっぱい、アスカを押さえ込んだ。
「やだっ…痛いっ…なんで?シンジ…」
まだ微かに抵抗する気配を見せるアスカを、力ずくで押さえ込み続ける。
「ホントに、やめてよ……」
アスカの懇願も聞かず、僕はアスカの身体を貪る。
アスカは抵抗しても無駄とあきらめたのか、もう僕のされるがままになっている。
「シン…っ…っ……」
アスカが、僕から顔を逸らした。
「っ…ぐすっ…っ……っ……」
アスカは、嗚咽を押し殺している。
「……。」
熱くなっていた頭が、一気に冷えた。
炎が、消えていく。
僕はアスカから身体を離し、背を向けた。
泣いているアスカを見続ける事が出来なかった。
「…っ……うっ…っ………っ…」
背中越しにアスカの泣き声を聞きながら、
僕は、ごめん、の一言すら言えずに黙り込んだ。

 

朝。
僕はアスカに何も言わずに家を出た。
いつものように走ろうとしたけれど身体に力が入らなくて走れなかった。
いつものように銃を撃とうとしたけれど、撃てなかった。
汚してしまうと思ったから。
血が、僕の手を汚してしまうと思ったから。
いつか、アスカを他の誰かに奪われてしまうと、思ったから。
半年以上前に見たあの悪夢は、既に遠い記憶の彼方にあって、もう僕の中から憎しみを引き出してはくれなかった。
僕は、何も出来ずに住処に帰った。

 

帰って来てもアスカはいつものように出迎えてくれなかった。
昨日、あんな事をしたんだから当然か。
食堂にいくと既に夕食の支度がしてあった。
「帰ってたんだ、シンジ…。」
後ろから声を掛けられた。
振り返るとアスカが髪をタオルで拭きながら立っていた。
「アスカ…。」
「……。」
アスカは何も言わずに僕の傍を通り抜け、夕食の置かれているテーブルの椅子に座った。
「……。」
「どうしたの、シンジ?」
「いや…、……。」
そう言って、僕も席についた。

 

気まずい食卓。
僕もアスカも何もしゃべらない。
味が、ほとんどしない。
わからない。
僕達は、お互いに「いただきます」と「ごちそうさま」以外何の言葉を発さないまま、食事を終えた。
 

 

 

 

 

 

「ねぇシンジ。昨日は、ごめんね。」
寝室、お互いに背中を向けて眠っているときに、アスカが僕に言った。
「…どうして、アスカが謝るんだよ。」
どう考えても、悪いのは僕の方なのに。
「……。」
「……。」
「シンジ…。」
アスカの手が、そっと僕の腰に回される。
「……。」
「シンジ…。」
縋るようにアスカが僕に抱きつく。
「なんで…」
なんで傷つけた僕に、そんな媚びるような、縋るような真似をするんだよ。
そんなの、アスカらしくないよ。
思った言葉を、僕は呑み込んだ。
代わりに、
「アスカ…。」
振り向いて、アスカを抱きしめ返した。
「あ…。」
「アスカッ…。」
抑圧していた、あらゆるものが溢れてくる。
熱が甦る。
黒い炎と共に。
僕は、アスカの首筋にむしゃぶりついた。
服を引き裂くように剥がして、乱暴に胸を揉みしだく。
「んっ……っ……っく…」
アスカが苦しげな声を出す。
それが僕の嗜虐心を煽った。
アスカの首筋に歯を立てた。
血が滲むほど強く。
「…いっ…っ……」
アスカが、必死に声を押し殺しているのがわかる。
自分を押し殺して耐えるアスカに、僕の中に僅かにあった征服欲が肥大化していく。
もっと、アスカを滅茶苦茶にしたい。
そうだ。
どうせいつか、僕から離れていくんだ。
他の誰かのものになるんだ。
あの夢の様に。
なら、いっそ…。
「…くっ!あっ………」
恐怖と、苛立ちを燃料に、嫉妬心という憎悪に似た黒い炎が、
僕の中で燃え盛る。
僕は、アスカの事なんて何も考えず、
むしろ痛めつけるように、僕をアスカに刻みつけるように、自分勝手にアスカを犯した。

 

 

 

 

 

「……。」
終わった後の後悔は、酷いものだった。
嗜虐心は、アスカを蹂躙する事を酷く魅力的に見せたけど、
その絶頂は、いつもの僕達のセックスがもたらすものに比べて随分と色褪せたものだった。
そして、後に残ったのは病室でアスカをオカズにしたあの時以上に、何もする気力が無くなる程の自己嫌悪。
おまけに、中にまで出してしまった。
最低だ、本当に。

 

「シンジ…。」
背中越し、アスカが僕に問いかけた。
「……。」
僕は、何も答えなかった。
「気にしないで、ね?
 …アタシは、平気だから。」
震えの混じった、無理をしている声でアスカが言う。
「……。」
僕は、何も答えられない。
「……。」
アスカが、そっと僕を後ろから抱きしめる。
「……。」
その優しさが、今は酷く痛かった。

 

 

 

翌朝。
また僕はいつものように、銃を撃ちに行った。
そして昨日のように、何も出来ずに帰ってきた。

 

帰って来ると、アスカは僕を出迎えてくれた。
昨日や一昨日の事を気にしていないように僕に接してくれたけど、
その振る舞いの中には何処か、僕の挙動に怯えているような不自然さがあった。
そんなアスカの様子が、僕を更に自己嫌悪へと追い込んだ。
 

アスカを抱いた。
求めてきたのはアスカの方からだった。
まるで僕に許しを請うみたいに、アスカは僕を受け入れようとした。
僕は、アスカの望むままにアスカを抱いた。
昨日のような乱暴はしなかった。
自分の中の暴力的な感情を、僕は押さえ込んだ。
興奮を引き換えにして。
そうして味わえた快感は、昨日よりも更にずっと色褪せていた。

 

次の日、外に出なかった。
僕は、朝からアスカを求めた。
アスカも、僕を受け入れた。
しているとき、アスカはいつもより少し大げさに喘いだ。
入れているとき、しきりに僕の名前を呼んで、愛してると何度も言った。
僕も、それに答えて、アスカに何度も愛を囁いた。
そうやって、自分達で自分達を騙すようなセックスを、僕達はした。
一日中、し続けた。
次の日もそうした。
その次の日も次の日も、し続けた。
たまに避妊するのも忘れた。
でも、もうどうでもよかった。
何もかもつらいから、上手く行かないから、心を通わせる事さえ出来ないから、
一緒にいることさえ辛いから、身体で誤魔化して辛さを忘れようとした。
何もかも、誤魔化そうとした。
だけど、そうして抱き合っている内に、喜びも、楽しさも、快感も、やすらぎも、
悲しみも、不安も、痛みも、苦しみも、何もかもが膜に包まれていくように、鈍っていく。
味がしない。臭いが無い。
世界に、色が無くなっていく。
心が、乾いていく。
だけど、やめる事は出来ない。
餓える心を、こうする事でしか満たせないから。
 

色褪せながら、僕達の日常は平穏に流れていく。

 

 

 

 

 

 

 

「シンジッ!!!いいっ!!!!愛してるっ!!!!もうだめっ!!!!いっちゃうっ!!!!」
シンジに脚を絡ませて、アタシは獣のように叫ぶ。
「ああああああああああっ!!!!!」
絡めた脚に力を込めて、つま先を伸ばした。
身体中に力を入れて、強張らせる。
「くっ…。」
シンジが、アタシの中で吐き出した。
アタシは、身体の力を抜いた。
それから、
「はぁ…はっ…はぁ…」
大げさに、肩で息をした。

 

演技だった。
イッた振りをしただけ。
ホントは、全然気持ちよくなんて無かった。
 

何時からか、シンジとのセックスでイけなくなった。
気持ちいいって、思えなくなった。
原因は、わかってる。
アタシが、シンジの事を信じられなくなったからだ。

 

シンジがアタシを無理矢理押し倒そうとしたあの時、
アタシを見るシンジの目には、いつか射撃訓練場で向けられたように憎しみが籠っていった。
アタシの事を、そんな風に見るシンジが怖かった。
悲しかった。
いつか、いつかシンジに見捨てられるような気がして、怖かった。
だから、アタシはシンジに縋った。
シンジに何も訊けない、守ることも出来ない、何の力にもなれない弱いアタシには、
もう、そうするしか無かった。
シンジを受け入れる事しか、シンジの為に出来る事はアタシにはもうなかった。

 

シンジはアタシを乱暴に扱った。
それはあの一回切りで、あの後、そんな事はもう無いけれど、
あの時アタシの心には確かに刻まれた。
シンジへの不信と、恐れが。

 

身体で、シンジへのそんな思いを誤魔化した。
だけど、
シンジは、いつかアタシを傷つける。
アタシの事を、見捨てて離れていってしまう。
誤魔化しながらも、そんな確信に似た思いがアタシの中で育っていった。
そしていつからか、アタシはシンジとのセックスで感じなくなっていた。
きっと、身体を重ねる事で気持ちを誤魔化してきたツケが巡ってきてるんだろう。

 

「…はぁ…はぁ…ねぇ、気持ちよかったよ…シンジ…」
肩で息をしながら、シンジを褒めた。
もちろん、嘘だった。
「……。」
シンジは何も答えない。
何も言わずアタシの中から引き抜いて、上からどいた。

 

シンジは、最初の内はアタシに愛してるって言ってくれた。
気持ちいいって言ってくれたけど、
今はもう、何も言ってくれない。
ただ、身体を重ねて、一人で果てて終わり。
シンジも、アタシと同じで、本当はもうこんな事をしても気持ちよくないんだろう。
アタシの嘘にも、演技にも、気づいているんだろう。
だから、どんどんそっけなくなっていってるんだ。

 

ううん、きっとシンジの心はずっと前に、もうアタシから離れていた。
アタシは、心の何処かでその事に気づいていた。
だから、ずっとシンジに何も訊けなかったんだ。
 

欺瞞は、既に破綻していた。
アタシ達はもう、きっと終わってしまっている。

 

それでも、アタシはシンジに媚びた。
シンジを、せめて容だけでも繋ぎとめておきたかったから。
例え、それが気休めにしか過ぎないとしても。

だから、アタシを見て!
アタシを、一人にしないで!!!

心の中で、幼いアタシがシンジに向かって必死に叫んでいた。
 

 

「どんどん駄目になっていく気がする、か…。」
隣で眠るシンジを見ながら、いつか、シンジが言っていた言葉をアタシは呟いた。
「結局、こうなっちゃったじゃない…。」
お互い慰めあってるだけの、依存するだけの関係。
いつ、この関係は終わってしまうのだろう?
「夜って、こんなに暗かったっけ…?」
見上げた天井には、色が無かった。

 

それからも、アタシはシンジに媚びて、抱かれ続けた。
これはシンジの為なんだと、シンジはアタシを求めてくれてると、
自分で自分を騙しながら。

まるで、仮面夫婦のような生活。

色褪せた日常は、まだ続く。
 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…はっ…」
「ああっ!…んんっ…あんっ!…」

 

アスカとただ抱き合うだけの日々。
感情が磨耗して、
こうやって抱き合ってても、まるで自分が自分じゃ無いみたいに、現実感が無い。

 

「あああっ!!!好きよシンジ!!!!もっと来て!!!!!あああああんっ!!!!」
アスカが、大げさに喘いだ。
わざとらしい。
どうせ演技の癖に。
そう考えてしまうとイライラした。
無音の世界に、ノイズだけが響いているみたいだ。
「……っ!」
苛立ちを動力に、アスカを強く突く。
床が、軋む。
「あんっ!!!!!」
アスカが鳴いた。
僕は、更に苛立った。

 

感情は、もうこれ以上は無いってぐらいに色褪せて磨り減っていた。
こういう時、人は不感性になって普通男なら勃たなくなるらしいけれど、
どういう訳か、勃起だけはちゃんとしてくれる。
心は冷めているけれど、身体は、まだアスカを求めているんだろう。
いや、
違うか。
きっと、苛立ちからだ。
僕が心の中に封じ込めているアスカを壊したいと思う衝動。
抱き合う時、いつもそれが僕の中から沸きあがろうとした。
勃つのはいつもそんな時だ。
性欲と破壊衝動は決して同じものでは無いけれど、共通の部分を持つ。
汚したいと思えるから、汚せる。
まだ勃つ事が出来るのは、アスカに欲情してるからじゃなく、
むしろ壊したいと思った結果からなんだろう。
もしかしたら、アスカがこれを狙ってわざと僕を苛立たせようとしている、なんて事もあるかもな。
そうだとしてもそれは多分、無意識的なもので、意図的って訳ではないんだろうけれど。
いずれにしろ、苛立ちと、自分を押さえ込もうとする良心が僕の中で鬩ぎ合って、今のこの爛れた関係を成り立たせている。
いつ割れるかも知れない薄氷の上にあるような関係。
そう思うと、随分危うい綱渡りを、僕はしているような気になる。

 

どうして、僕はこんな事をしているんだろうか?
苛立ちが、色褪せた世界をほんの少しだけ、赤色に染めてくれる。
動きの無い感情の凪の世界を、波立たせて僕に衝動をくれる。
餓えた心に、食べる為の噛む力を与えてくれる。
餓えた心が、ほんの少しだけ満たされる。
だから、こんな不毛な事を繰り返しているんだろう。
でなければ、こんな事でもしなければ、いつか苛立ちを押さえ込む良心さえ、僕は忘れてしまうような気がする。

 

 

 

「……。」
「……。」
食卓。
会話は無い。
僕もアスカも無言で黙々と食事を摂っている。
僕もアスカも裸だった。
セックスの合間の食事。
裸で食事を摂る僕達の姿は、傍から見ればさぞかしシュールなものに見えるんだろうな。
「……。」
味が、感じられない。
今食べているものが、前はどんな味だったのか思い出せない。
アスカを見る。
抱き合っているときは表情を作っていてわかりにくいけれど、
今、気が抜けて無表情になっているから、酷く疲れた顔をしているのがよくわかる。
瞳には、光が無い。
死んだ魚の目。
「……。」
アスカが僕の視線に気づいてこちらを窺うように見た。
おどおどとした、怯えを含んだ気弱な瞳。
僕は、食卓の料理に視線を落とした。
「……。」
無言の食事は続く。
「……。」
豆腐に醤油をかけようと、僕は醤油を探す。
「あの…これ…?」
アスカが、か細い声でそう言って、オドオドと僕に醤油を差し出した。
「……。」
僕は、無言でそれを受け取った。
「……。」
アスカは落ち込むように視線を食卓に落とした。

 

心の中に、また苛立ちが募っていく。
心を平静に保とうとしながら、
なるほど、昔の僕もこんな風に人をイライラさせていたんだと、
ぼんやりと思った

 

「ねぇアスカ。…ここで、してよ。」
食事を終えて、僕はまだ食事をしているアスカに言った。
アスカの箸が止まる。
「…うん。」
怯えの混じる声で、アスカが肯いた。
アスカが食事を止めて、
椅子に座る僕の前に跪いた。
そして、僕の股に顔をうずめるように、僕のものをくわえ込んだ。
僕は、アスカにフェラチオをさせた。

 

怯えるようなアスカの姿に苛立って、思わずさせてしまった。
食事中にこういう事をさせると、アスカが嫌がると思ったから。
様は、僕はアスカに当たったのだ。
力で痛めつける事が出来ないから、陰湿なやり方で。
最近、こういう事が増えてきていると、僕は思う。
もしかしたら、僕達の生活を支える薄氷は、もうすぐ割れてしまうのかもしれない。

 

 

「んっ…あむっ…んっ…れろっ…んっ…」
アスカが僕のものを舐めあげ、咥え込む。
僕は、その様を見下ろす。
奉仕するアスカの姿に、征服欲が満たされ、
苛立ちが、少しだけ静まる。
だけどまだ、足りない。
僕は、アスカの髪を掴んだ。
「んんっ!!?」
そして、僕のものを咥え込むアスカの頭を無理矢理に動かした。
「んんっ!…んんんんんっ…」
きっちりと喉の奥まで咥え込む様に、アスカの頭を押し付けた。
アスカが、目じりに涙を浮かべて、苦悶の表情を見せた。
「げえっ…んんんんっ…」
アスカがえずくのも構わず、僕はアスカの頭を動かす。
アスカが、涙を溜めた目で苦しそうに僕を見上げた。
ぞくぞくした。
動かす速度を早くする。
「んんっ…うっ…んんっ…ううっ…んんっ…」
アスカの目から涙が流れている。
苦しむ声には、嗚咽が混じっている。
そのまま、構わず僕はアスカを動かして、
「うっ!!」
僕は、アスカの口の中に出し、アスカを解放した。
「ごほっ!!ごほっ!!うっ…」
苦しそうに喉を押さえて咳き込むアスカの姿を見ても、何も思わない。
もう、罪悪感や同情する心さえも磨耗している。
いや、心が磨耗しているというよりは、どこまでも現実感がなかった。
目の前にいるアスカの姿も、自分とはまるで関係の無いものの様に感じた。
アスカが、アスカじゃなくてアスカみたいな人形の様に感じられた。
意味が、乖離している。
「……っ。」
苦しんでいたアスカが、僕を睨み付けた。
唇からは、僕が吐き出した白い粘液が垂れかけている。
僕は、何も感じない。
さっきまでと何も変わらない感情で、アスカを見ていた。
アスカからは、きっと何処までも呆然とした間抜けな顔で僕は見えているんだろう。
「……。」
そうやってしばらく僕を睨むアスカを見つめているうちに、アスカの方が僕から顔を逸らして、
唇から漏れていた精液を苦そうな顔をして飲み込んだ。
そしてアスカの顔から、綾波のように表情が消えた。
それがたまらなく、僕の神経を逆撫でした。
「アスカ…。」
アスカの身体を、張り飛ばすように床に倒した。
「……っ。」
アスカから小さく苦悶の声が漏れたけど、それだけだった。
僕は、仰向けに倒れるアスカの脚を持って、アスカの身体をひっくり返した。
アスカは何も言わず、僕にされるがまま、うつ伏せになった。
まるでマネキンを動かしているような感覚になりながら、
僕はアスカの腰を持ち上げて脚を身体の下に畳む様に床に置き、アスカを四つん這いでお尻を突き上げたような体勢にした。
お尻を突き出して背を向けたこの格好は、している時僕の征服欲を程よく満たしてくれる。
アスカのお尻をわし鷲掴みにした。
お尻の穴が見えて、そこをいじくってやろうと思ったけれど、何となく気分じゃないから止めた。
もう一方の穴に、僕は自分のものを挿れた。
「んっ……。」
入れたとき、アスカの身体に力が入る。
この反応は本物で、僕は少し気分が良くなる。
動かし始める。
「あんっ…あんっ…あんっ…あんっ…あんっ…あんっ…」
いつもより、随分とわざとらしい喘ぎ。
きっと、さっきされた事に対する怒りが、こんな演技をさせているんだろう。
僕はアスカの背中を強く抓った。
「いっ!!……あっ…ああっ…あっ…くぅっ…」
それをきっかけに、アスカの反応がよくなる。
喘ぎ声からわざとらしさが消えた。
アスカの腰が動きだした。
痛みが、アスカの快感を無理矢理引き出したんだろう。
別にマゾヒストでなくとも、アドレナリンやドーパミン、エンドルフィンといった興奮や快感を司る脳内物質は、
苦痛を受けた際、誰でも苦痛を和らげる為に放出されるものだ。
それらの脳内物質は、オピオイド受容体などの各種受容体と結合し、多幸感を齎すA10神経等の神経系の働きを活性化させる。
痛みが引けば、後に残るのは興奮や快感だけ。
そして神経系が活性化されている間は、少しの刺激にも敏感に反応を示すようになる。
痛みをきっかけに快感を得るというのは、誰にでも起こり得ることだ。
「あうっ…あっ…あああっ…ああんっ…」
アスカの喘ぎに演技臭さが混じり始める。
だけど、さっきまでよりは堂に入った、まだわざとらしくない演技。
律儀なもんだな。
何となく、くだらない事を考えている内に、バカバカしくなってきて苛立ちが収まっていた。
僕はそのままだらだらとアスカを突いて、イケないままぐだぐだの内に終わった。

 

 

 

 

 

 

寝室。
見知った天井を、瞬きもせずに見つめていた。
眠る寸前の一時。
眠りにすらも侵されない、唯一「何もしなくていい」やすらぎの時間。

 

どうして、こんなにアスカに苛立ってしまうんだろう?

そう自分に問いかけると、

どうして、僕に何も訊いてくれないんだ?

そんな言葉が返ってきた。

声。
久しぶりに聞いた。

 

何てことはない。
自分の望む事をしてくれないアスカに対して、ガキみたいに拗ねているだけだ。
それだけならまだしも、訊いてくれない事を口実に、
自分の不甲斐無さからくる苛立ちをアスカにぶつけて晴らそうとしている。
どうしようもない下種だ。

……。

そんなに訊いて欲しいのなら、自分でそう言えばいい。

言えば、アスカを傷つける。

傷つけるだって?
今更だね。
もう僕は、これ以上は無いってぐらいアスカを傷つけてるじゃないか。
今もアスカに、酷い事をしているじゃないか。

……。

可哀想に。
あんなに元気に、楽しそうに笑っていたのに、
いつの間にかアスカはいつも僕の行動に怯えるようになってしまった。
媚びたような、怯えたような笑い方しか出来なくなってしまった。

……。

それも全部、僕がアスカを乱暴に扱って、自分勝手な欲望と苛立ちの捌け口にしたからだよ。

……。

僕がアスカを疎ましいと思ったことも。
僕がアスカが犯される夢を見て人を殺そうと決意した事も。
僕がいずれ全ての罪を背負ってアスカから離れようと思っていることも。
僕がアスカとの子供を望んでいない事も。
僕がいつかアスカが他の誰かと幸せになる事に嫉妬している事も。
僕が何も訊いてくれないアスカに、苛立っている事も。
僕がアスカを不甲斐無い自分への苛立ちの捌け口にしている事も。
その全てをアスカに告げていた所で、果たしてアスカが今以上に傷ついていたのかな?

……。

アスカの為だと言って、結局自分がアスカを傷つけるのが怖かっただけじゃないか。
そうして一人で全部抱え込んで、その結果がこれだ。

……。

ねぇ、何がしたいんだ?
僕は?

……。

ねぇ?

 

気がつけば、色の無い天井を見ていた。
目から、何かが流れ落ちた。
涙だった。

僕が、アスカから笑顔を奪ったんだ。

闇の中に、確かにそんな声が聞こえた。
 

 

 

 

「はっ…はっ…はっ……」
「…んっ…あっ…あっ…」
また僕は、アスカと抱き合っていた。
そうやってまた、全てを誤魔化すような道を選んだ。
僕は、どうしようもない。
本当に、どうしようもない。

 

愛していたはずなのに。
僕を愛してくれた事に、感謝していたはずなのに。
傷ついたアスカを、可哀想だと思ってたのに。
傷つけてしまった事を、後悔していたはずなのに。
どうして、僕はアスカに苛立ってしまうんだろう?
どうして、アスカを平気で傷つけてしまえるんだろう?

 

関係ないんだよ。
愛していたとか。
感謝していたとか。
可哀想だと思っていたとか。
傷つけた事を後悔していたとか。
自分の欲望や苛立ちの捌け口に出来るのなら、案外人は平気で他人を踏みにじれるものなのさ。
今の僕の様に追い詰められた人間は、特にね。

 

そんな…。
そんな事…。

無いとでも言うのか?

……。

まあ、そんなに罪悪感を感じる事は無いよ。
僕だけじゃない。
人間はみんなそうさ。
それが人の性というやつなのさ。
仕方のない事なんだよ。
それに、僕に捌け口にされて、アスカもきっと喜んでいるさ。

…やめろ。

僕に必要とされたくて、僕に必要とされていると思い込みたくて、
望んで僕にあんな事をされたんだ。
僕がそれでどれだけ悩んで苦しむかなんてお構い無しにね。

違う!!!

何が違うのさ?
僕に何をされてもアスカは何も言わない。
何も言わないどころか、自分から擦り寄ってくる。
その癖、僕の事は何も訊いてこない。
僕だって、ずっと引っかかってたんだろ?
どうしてアスカが何も訊いてくれないのか。

……。

ダッチワイフなんだよ。
僕がアスカをそう扱っているように、
アスカも僕をそう扱っているのさ。
アスカにとっての僕の存在意義は「自分を必要としてくれる存在」っていうだけで、
僕がアスカを求める行動さえすれば、それでアスカは満足なんだよ。
アスカには他に何もいらない。
僕が苦しんでいようがお構いなしさ。
「身体だけでも自分を必要としてくれる人形」、それがアスカにとっての僕なんだよ。
だからこそ、僕の様子がおかしいのにアスカは何もしなかった。
何も僕に訊こうとしなかったのさ。
ホントは僕も、薄々気づいていたんだろ?
こんな事ぐらい。

…やめろ。

ほら、今も僕がこんなに悩んで苦しんでるのに、アスカはただよがるばかりじゃないか。
僕がどうなろうと知ったこっちゃない証拠だよ。

やめろ!

もし、このまま僕が壊れたら、アスカは僕を捨てるだろうね。
父さんのように。

やめろ!!!

大丈夫、僕がいなくなっても、
きっと他の「ダッチワイフ」をアスカは見つけてくるさ。
あの夢のようにね。

やめろ!!!!!!!!!

そして今僕に愛を囁いているように、他の誰かに愛を囁いて、
今僕の下で喘いでるように、いつか他の誰かの下で喘ぐのさ。
僕との事なんて、全部忘れてね。

やめろっ!!!!!!!!!!!!

だから、壊そうよ。
アスカの事。
どうせ僕を捨てるから。
父さんのように捨てるから。
誰かのものになっちゃうから。
だったら先に壊そうよ。
アスカの事を壊しちゃおうよ。
きっと、すごく気持ちいいよ?
アスカに乱暴したあの時よりも、ずっとずっと。

 

「やめろおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!」

 

「……。」
気がついて視線を下ろせば、呆然と僕を見つめるアスカがいた。
僕は、アスカの上に跨ったまま叫んでいた。
「シンジ…?」
心配なんだろう、
アスカの瞳に、不安の色が浮かんでいく。
「……くっ!!!!」
僕はアスカの上からどき、その場から逃げ出した。
 

 

下着もつけず、浴衣だけを羽織って、殆ど半裸の状態で外に出た。
玄関を少し出たところで、僕は立ち止まる。
「……。」
呆然と、立ち尽くした。
僕は待っていた、アスカが追ってきてくれるのを。
静寂が、僕を包む。
ただ、時が過ぎていく。

 

しばらく待っていても、アスカは来てはくれなかった。
僕は、悟った。
もう、決してアスカは僕を追って来てはくれない事を。
諦めて、僕は旅館に戻った。

 

もう、限界なんだろう。
もう、誤魔化す事さえ、出来なくなってしまう。
この僕達を支える薄い氷は、すぐにでも融けて割れる。
僕達はもう、冷たい水の中に落ちる事を避けられない。
なら、せめて…。

 

「どうしたの?シンジ?」
着ている浴衣を整えて部屋に戻ると、アスカが僕に訊いた。
引きつった笑顔。
「何でもないよ…。」
「嘘よ。だっていきなり叫んで、急に飛び出して…」
うるさい。
僕の事を、追ってきてくれなかった癖に。
僕にずっと何も訊かなかった癖に。
今更僕の心配なんてするな。
僕を、惑わすな。
頭の中に沸き上がる声を、僕は必死に押さえ込んだ。
代わりに、一つの質問を思い浮かべる。
僕が一つの決断に踏む切る為の、アスカへの質問を。
「…ねぇ、アスカ。一つ、訊きたい事があるんだ。」
「うん。」
「アスカは、どうして僕に黙って抱かれていたの?」
「え…何よ急に?どうしてって…?そんなの、シンジの事が好きだからに…」
「ちゃんと答えてよ!!!!!」
怒鳴った。
上辺のやり取りをする余裕は、もう僕には無い。
「……ちゃんとって、だからシンジが好きで…」
「いくら好きでもあんな風に抱かれて嬉しいわけ無いだろ!!!
 あんな…、あんな人形みたいな扱いされてアスカはそれでよかったのかよ?!!!」
「……。」
「嫌なら嫌ってはっきり言ってよ!!!
 僕だって、アスカが嫌がってる事ぐらいわかってたよっ!!!
 わかってたけど、僕はっ…、僕は…」
言葉が、詰まった。
情けない。
「どうして、そんな事訊くのよ…?」
アスカが僕に問う。
「先に…、僕の質問に答える方が先だろ!」
僕はアスカを睨みつけて強い口調で言った。
「……。」
アスカは、黙った。
しばらく考え込んだ後、ポツリと、呟く様に答えた。
「…どうして抱かれてたって?
 そんなの、シンジの事が好きだからに決まってるじゃない…。
 だから、嫌な事でも我慢したのよ。
 それが、それだけがアタシに出来るシンジの為になる事だって、思ったのよ…。」
「……。」
「他に理由なんか無いわよ。
 アタシはただ、シンジの為に…」
アスカの声が、震えている。
下を向いてアスカの表情はわからないけど、泣いているのかも知れない。
「ごめんアスカ。もういいよ、ありがとう…。」
僕は、アスカの言葉を止めた。
「……。」
アスカが、黙った。

 

ああ、やっぱりか…。
なら、もう駄目だ。
僕は、僕の手で割らなければいけない。
今の僕達を支えている、この薄氷を。
せめて、何処に、どう落ちるかだけは、僕が決めよう。
それが、多分今の僕に出来る最善の道だから。
 

僕は、深く息を吸った。
覚悟を決める為に。
捨てる覚悟を、決める為に。
何度も深呼吸して、意を決して、僕はアスカに振り返った。
そして、
「別れよう。アスカ。」
そう、アスカに向けて言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え……?」
シンジの言葉が、信じられなかった。
「どう…して…?」
顔を上げて、シンジを見る。
シンジは、アタシから目を逸らしている。
「どうして?ねぇどうして?」
シンジに詰め寄りながら、問い詰める。
問い詰めながらも、アタシは何処かで納得していた。
いつか、こんな日が来る事は、わかっていたから。
「……。」
シンジは何も答えない。
アタシがシンジに突っかかっても、シンジはアタシを見ようとしない。
「アタシが、シンジにちゃんと嫌だって言わなかったから?!
 だったら次から嫌な事は嫌だってちゃんと言うから、だからそんな事言わないで!!!!」
「違う。」
「じゃあ何で?!!!」
「っ……。」
シンジは何かを言いかけて、口を噤んだ。
「アタシに不満があるんならはっきり言って!!!!
 何だって直すから、直してみせるから、だから別れるなんて言わないで!!!!!!」
我ながら、なんて無様。
だけど、無様だろうと何だろうと、縋らずにはいられない。
シンジを、失いたくない。
「……。」
「何で黙ってるのよ?!!!
 何とか言って!!!!!
 アタシが傷つくとか気にしないで言いたい事を言って!!!!! 
 優しい振りして黙ってるのなんてやめて!!!!!」
「…飽きたんだ。」
「え…?」
「アスカの身体に、飽きたんだ。」
シンジが、はっきりとアタシの目を見て、そう言った。
光の無い漆黒の瞳で、はっきりと。
「あき、た…?」
シンジの言葉を反芻する。
言われた言葉を、飲み込めない。
「……。」
シンジは、再び目を逸らした。
「飽きたって…
 そっか…、そうよね。
 アタシ達はもう付き合って三年以上経つし、それに加えてこんなに毎日セックスばっかりしてたら、
 流石にもう、飽きるわよね…。」
その理由は、悲しいぐらい、酷く納得の出来るものだった。
シンジがアタシに飽きてる事は、気づいていたから。
それに、直しようもない。
「……。」
「アタシはもう、身体さえも必要ないって事か…。」
「……。」
「…ねぇ、シンジ。
 アタシ、うざかったかな?」
「……。」
シンジが、微かにだけど、しばらく迷うような素振りを見せた後、
静かに首を縦に振った。
肯定のサイン。
残酷な、本音。
「…そっか。
 そりゃ、そうよね。
 アタシは、シンジに迷惑かけてばっかだったし。
 それに、人が帰ってきたときも、きっとアタシはシンジの足手まといにしかならないしね…。
 アタシがいらなくなったら、アタシを見捨てていいって、アタシは言っちゃったし…。」
「……。」
「…ねぇシンジ。
 ホントはね、ずっと前から気づいてたんだ。
 シンジに、うざがられてるって事。
 でも、はっきりそう言われるのが怖くって、シンジに何も言えなかった。」
「……。」
「シンジの様子がおかしい事に気づいてたのに、アタシは何も言わなかった。
 シンジに怒られる気がして、嫌われる気がして、怖くて何も訊けなかった。
 シンジが悩んでるのだって、苦しんでいるのだってホントはわかってたのに、
 アタシは、シンジに何も訊かなかった。
 …弱いよね。アタシ。
 こんなアタシなんて、シンジに嫌われたってしょうがないよね…。」
「……。」
「以前のアタシなら、もっとシンジに何でも訊いてたのに。
 シンジの事を守ってあげるんだって、シンジと一緒に戦えたのに。
 もう、アタシにはそんな強さなんて残ってないのよ…。
 アタシには、シンジの為に出来る事なんて、身体で慰めてあげるぐらいしか無かったのよ…。」
「……。」
「…さっき、シンジの事を追わなかったのだって、きっとアタシがシンジを追っても、
 シンジの力になんてなれないと思ったからよ…。
 アタシが追っても、シンジに拒絶されるだけで、何の解決にもなんないと思ったからよ…。」
「……。」
「こんな事、言い訳にしか過ぎない事なんてわかってる。
 単に、アタシがシンジに依存したいだけだって事ぐらい、わかってる。
 でも…」
視界が、滲む。
「……。」
「でも、もう、一人じゃ生きていけないのよ…。
 もう、シンジ無しじゃ、アタシ生きていけないのよ…。
 アタシには、もう…。
 だから…」
頑張って、平気なふりしてたのに。
感情を、押し殺そうとしてたのに。
「……。」
「だから、別れるなんて言わないで!!!!
 アタシを一人にしないで!!!!!
 アタシを、見捨てないで!!!!!」
涙を流しながら、アタシはシンジに叫んだ。
泣き叫びながら、シンジの服を掴んで、
シンジに縋りついた。
「……。」
シンジは、アタシから顔を逸らしたままだった。
「アタシを見てよ!!!!シンジ!!!!
 謝るから!!!!!
 シンジに何もしてあげられなかった事を謝るから!!!!!!
 これからはシンジの事をちゃんと助けてあげるから!!!!!!」
「……。」
「シンジが…、シンジが望む事だったら何でもしていいから!!!!!!
 どんな痛い事だって我慢するから!!!!!!!!」
「……。」
「シンジの望むアタシになるから!!!!!!!
 だからアタシを見て!!!!!!!!!!
 お願いっ!!!!!!!!」
必死に、シンジに向かって叫んだ。
「……。」
シンジは、それでもアタシを見なかった。
もう何をやっても無駄なんだ…。
身体を支える脚から、服を掴む腕から、泣き叫ぶ喉から、
身体中から力が抜けていく。
「見捨てていいなんて、泣き喚いても気にしないでなんて、確かに言ったわよ。
 誓ったけど………。
 だけど……。」
「……。」
「お願い、だからっ…アタシを…」
「……。」
「…っ…うっ…ううっ…ううううう」
シンジにもたれかかりながら、泣いた。
「……。」
シンジは、何も言わなかった。

 

 

泣いて、泣き疲れて、それでもまだ悲しい気持ちが収まらなくて、
アタシはシンジから離れて一人蹲った。

 

「アスカ、まだ言っておきたい事があるんだ。」
シンジが、膝を抱えて蹲るアタシに話しかけてきた。
「……。」
アタシは、何も答えない。
何よ…。
アタシの事なんて飽きたくせに。
アタシの事なんて鬱陶しいと思っているくせに。
アタシの事を見捨てて、泣かせても平気な顔をしているくせに。
まだ何かあるっての?
「……。」
思ったことは、一言も口に出さなかった。
「もし、これからアスカが僕から離れて生きていこうと思っているなら、
 迷惑だから止めて欲しい。」
「……。」
何、言ってんの…?
「アスカが僕の傍からいなくなったら、心配なんだよ。
 もしかしたら、何処かで自殺でもされるんじゃないかってね。」
「……。」
何、言ってんのよ…。
「僕にはもう、アスカへの恋愛感情なんて残ってないけれど、
 ほら、一応ずっと一緒に暮らしてきた仲だろ?
 もしそんな事になったらと思うと、心配で寝つきが悪いんだよ。」
「……。」
何勝手な事言ってんのよ。
信じらんない…。
「だからアスカ、もし、僕の事を好きだという気持ちがほんの少しでも残っているなら、
 何処にも行かないで、ここで暮らしていてよ。」
「……。」
アタシは顔を上げて、精一杯不快感を示すよう顔を歪ませて、シンジを睨みつけた。
睨みつけたシンジの顔にはまるで能面の様に表情がなく、ドス黒い漆黒の瞳がアタシを見ていた。
「ここで暮らすといっても今までみたいに僕の為に家事や其の他の世話、雑用、
 それと勿論、夜の相手なんかもしなくてもいいよ。
 と言うか、しないでくれ。」
シンジは、まるでアタシが睨みつけている事なんて意に返さずに、淡々と、そんな事を述べた。
「……っ…。」
それが悔しくて、惨めで、また泣いてしまいそうになったから、アタシはシンジから顔を逸らすように伏せた。
「もっとも、別れた今となってはアスカがどうするかを僕にとやかく言う資格なんて無い。
 だから、アスカがこれからどうするのかは、アスカの自由だ。
 だけど、もし僕の事を思ってくれてるなら、「僕の為に」何かをしたいという気持ちが残っているんなら、
 何処にも行かず、ここで暮らしていて欲しい。
 勿論、自殺なんてせずにね。」
「……。」
「それだけだよ。
 勝手な事ばかり言って悪かったね。
 僕はここの隣の隣の「七夜の間」で暮らすから、アスカはそこ以外、どの部屋でも好きに使ってくれればいい。
 それじゃ。」
シンジの足音が遠ざかる、
シンジが、アタシから離れていく。
苦しい。
悲しい。
「…っ……。」
シンジの足音が止まった。
「……そうそう、最後に一つ、言い忘れてたよ。
 もう二度と、僕に話しかけないでくれ。アスカ。」
そう言って、シンジの足音がまた遠ざかり、聞こえなくなった。
「うっ……っ……くぅううううううううう」
シンジの最後の言葉が、心を深く抉った。
堪え切れなかった。
また、涙が溢れてきて、アタシはすすり泣いた。
 

そうして、欺瞞の日々は終わりを告げた。
 

 

 

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