Primary  2_Jupiter-11

 

 

 

 

 

今日は、風が強いな。

僕は、赤い海の砂浜にいる。
僕がアスカを殺そうとした砂浜。
吹きつける潮風は、潮の匂いとLCLの匂いの混ざり合った独特の生臭い、
でもとても懐かしい感じのする匂いがした。
遠くに見えた綾波の残骸は、今は崩れて形容し難い形になっている。
寄せて返す波の音に混じって、バシャバシャと水を掻き分けて進む音。
黒いドレスを着たアスカが、赤い海を進んでいく。
海水でドレスが濡れていく。
膝の少し上ぐらいまで海水に浸かったところで、アスカは止まった。
アスカの手には、包帯が握られている。
赤い海から帰ってきたときに、アスカに巻かれていた包帯。
アスカはそれを抱きしめた。
慈しむように。
祈るように。
しばらくアスカはそのままでいた。
やがてアスカは包帯を静かに海に沈める。
包帯がアスカの手を離れ、遠くの方へ流れていく。
それを見守るように、赤い海にアスカは佇んでいた。

 

 

 

「もういいの?」
赤い海から上がって、ドレスの裾を絞っているアスカに向かって言った。
「うん。付き合ってくれてありがとね、シンジ。
 ちゃんと、心の中でだけど、ママにありがとうって、
 アタシは幸せだって伝えたから。だから、アタシはもう大丈夫。」
「そっか…。」
僕は赤い海を見た。
アスカのお母さんが、僕とアスカ以外のみんなが溶けている海。
僕は手を合わせて目を瞑り、拝んだ。
僕の中にある思いや願いを、僕は心の中でアスカのお母さんに伝えた。
目を開けてアスカを見ると、アスカも僕と同じように拝んでいた。
僕はまた目を瞑り、赤い海に拝んだ。

 

 

 

 

「どうして、アスカはあの時僕を撫でてくれたの?」
この場所に来たせいか、ふと、聞きたくなった。
アスカは気まずそうに黙った後、
「殺されそうに、なったから…。」
半ば自嘲気味に言った。
「抵抗しようとしたって事?」
「抵抗っていうより、シンジはあの時アタシに認められたがってるって思ったから、
 シンジのこと、撫でたら殺されないかなって…。」
何か違和感を感じた。
「そうなんだ。じゃああの後、気持ち悪いって言ったのは?」
「それは、…アタシが撫でたぐらいで、シンジは泣いちゃったから、
 シンジのことが、何ていうか、バカみたいに見えて、それで…。」
「ひどいなぁ、アスカ…。」
苦笑しながら言った。
「ごめん…。」
アスカが落ちこんだ。
何だか可愛かったから抱きしめた。
「あっ…。」
「ばかだな。元はと言えば僕が悪いんだから、アスカが落ち込むことなんて無いのに。」
「だって…。」
「アスカがあの時どんな気持ちだったからって、アスカが撫でてくれたから僕はアスカを殺さないで済んだし、
 僕の心は救われたんだ。それにあの時の僕は、気持ち悪いって言われても仕方ないと思うし、僕は気にしてないよ。」
「ごめんね、シンジ。」
「いいよ、アスカ。僕の方こそごめん。何度謝ったって、謝りきれない。」
「ううん。アタシだって、シンジのこと殺そうとしたもの。お互い様よ。」
そういえば僕もアスカに殺されかけたんだっけ。
ふと、疑問が湧いた。
「ありがとう、アスカ。
 …そういえばさ、アスカって僕に殺されそうになったのに、僕を撫でたぐらいで抵抗らしい抵抗ってしてないよね?」
「え?」
「僕はアスカに首を絞められたとき、アスカを突き飛ばして抵抗したけど、アスカは全然暴れなかったよね。
 普通さ、殺されそうになったら暴れて抵抗すると思うんだ。僕みたいに。」
「うん…。」
「殺そうとしてくる相手の方が力が強くて、暴れても止められないんならわからなくもないけどさ。
 アスカと僕の力ってそれほど変わらないよね?
 アスカは僕を突き飛ばそうとすれば出来たわけだし、
 わざわざ僕を撫でて止めるよりそっちのほうが簡単だと思うんだけど?」
「そう言われてみればそうよね…。」
アスカが困惑した顔になってる。
「アスカは僕を撫でたのは殺されたくないからって言ったけど、本当にそうだったの?」
「ん〜〜〜〜〜〜?
 …わかんないわよそんなの。とっさだったんだし。
 とっさの行動の理由なんて、後から、ああこういう理由でこんな事したんだな、
 って自分で何となく納得できる物を当てはめるしかないんだしさ。」
「じゃあ、あの時僕を撫でた理由も、本当は、殺されたくないからだったのかどうかわからないんだよね?」
「それはそうだけど、だからって…ん〜〜〜?」
アスカは何か考え込んでしまった。
「どうしたの?アスカ。」
「うん…、何となく、今思えばなんだけどね、シンジを撫でる前に、シンジのことを可哀想だなって、思ったのかな?」
「可哀想?」
「うん。だって、シンジあの時、辛いのを必死で我慢してるみたいだったもの。
 辛いのにどうしようも無くて、泣きたくてしかたないのに泣くこともできないって感じ。」
「あの時の僕が?」
「うん。だから可哀想だなって思って、シンジの顔を撫でてあげようって思ったような気がする。
 でもそう思ったことを認めたくないから、ただ殺されたくないから撫でただけって思い込もうとしたのかもしれない。
 今思えばだけどね。」
「……。」
「もちろん、殺されたくないとも思ってたし、こんなの、あの時の事を美化しようとして、
 アタシがそう思い込もうとしてるだけかもしれないんだけどさ。」
「そっか…。」
「これでいい?シンジ。」
「うん。何かごめん。アスカがどんな気持ちでもいいなんて言っておいてこんなこと聞いちゃって。」
「いいわよ。アタシもあれがシンジのことを思ってやったことかもしれないんなら、悪い気はしないもん。」
「ありがとう、アスカ。僕も、アスカがそういう風に思って撫でてくれたんだったら、やっぱり嬉しいや。」
「ま、ホントはどうだったかなんてわかんないんだけどさ、シンジが嬉しいんなら、そういうことにしとこっと。」
「決め付けちゃうのは流石にどうかと思うけどね…。」
「何よ〜。どの道ホントのところはわかんないんだし、わかったところでどうなるわけでもなし。
 だったら、解釈する事のできる範囲で選べる、なるべくアタシ達が幸せな解釈を選んだって、バチは当たんないわよ。
 だからあれは、アタシがシンジを慈しんで撫でてあげたのよ。わかった?シンジ。」
「……。」
しばらく僕はきょとんとした後、嬉しさや可笑しさがこみ上げてきて、
「ぷっ。」
っと吹きだして、笑った。
「あははははっ!」
「ちょっと!笑うこと無いじゃない!」
「ごめんごめん。何かアスカが可愛かったからさ、つい。」
「可愛いって…意味わかんないわよ、バカ。」
そういって、アスカは拗ねたように口を尖らせた。
「ねぇアスカ。」
「ぷいっ。」
アスカはそっぽをむいた。
やっぱり、アスカは可愛いや。
「ごめんって、許してよアスカ。」
そう言いながらも僕の顔は笑っている。
「ふ〜んだっ。」
やっぱり、アスカはアスカだ。
嬉しいな。
「ほんとにごめん。許して、ね?」
「ふ〜ん?そんなに許して欲しい?」
「うん。」
「じゃあ、可愛いって言って。」
「可愛い。」
「もっと。」
「可愛い。」
「もっと。」
「可愛い。」
「もっと、もっと、もっと。」
「可愛い、可愛い、可愛い。可愛い。可愛い。」
「もっともっともっともっともっと」
「可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い…」
「うん。うん。うん。うん。」
「可愛い可愛い可愛い可愛いかわっ、…はぁ、はっ…いい可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い…」
ちょっ、いつまで言えば…。
「はいストップスト〜ップ!わかったわかった、そこまで言うんなら許してあげるわよ、しょうがないわね〜。」
「……。」
やっぱり、ちょっとめんどくさい。

 

 

 

 

「ねぇシンジ、アタシの我侭聞いてくれたり、アタシを甘えさせてくれて、ありがとね。アタシ、嬉しい。」
「うん。僕もアスカが我侭言ったり甘えてくれたりして、それでアスカが喜んでくれるなら嬉しいよ。」
「…シンジはさ、強いよね。」
「強い?僕が?」
「うん。アタシなんかより、ずっと強いと思う。…アタシは、シンジのこと尊敬してる。」
そう言って、アスカは僕の目をみつめてきた。
真剣なまなざし。
僕は少したじろぐ。
「尊敬って、そんな…」
「ホントよ!ホントにシンジのこと、そう思ってる。」
「ごめん、アスカの気持ちを疑ったわけじゃないんだ。アスカがそう思ってくれるのは嬉しいしさ。
 でも、僕はアスカに尊敬されるような強い人間なんかじゃないよ。
 アスカの方が、僕なんかよりずっと強いと思う。」
「ううん、シンジは強いわよ。アタシなんかよりずっと。
 だって、シンジは自分の力だけで自分の罪に押し潰されずに立っているもの。
 アタシは、シンジ無しじゃ耐えられなかった。」
「僕は、実感があんまり無いだけなんだと思う。
 だから僕なんかが耐えていられるんだ。
 それに僕だって、自分の力だけで耐えてる訳じゃない。
 カヲル君に、いろんなものを貰ったんだ。
 カヲル君だけじゃない。
 トウジやケンスケ、綾波やアスカ、ミサトさんや加持さん、それと、父さんと母さん。
 僕が出会って来た人達からいろいろなものを貰ったから、きっと僕は潰されないで済んでるんだ。
 それに、アスカがいなかったら、きっと僕はいずれ潰れてた。」
「シンジ…。」
そう言って、アスカは僕から離れた。
「アスカ?」
「シンジさ、この前、自分は自分勝手な人間だって言ったよね。
 でも、アタシのほうがよっぽど自分勝手な人間なのよ。
 さっきだって、シンジに思いっきり我侭言ったりしちゃったもん。」
「アスカ、そんなこと気にしないでよ。僕は…」
「大丈夫。自分を責めたりなんかしないわよ。
 ただシンジにアタシも自分勝手な人間だって示したかっただけよ。
 シンジは、ただ認められたいだけ、自分で自分を認めたいだけだって言ったけど、
 それは誰だってそうよ。」
「そう、かな…?」
「そうよ。
 少なくとも、アタシはそう。
 だからシンジはそんなこと気にしなくてもいいの。
 この前シンジと喧嘩したときに殺されかけたのも、アタシが悪いんだし。」
「それは違う!!!あれは僕が悪いよ!!!」
「ううん。アタシが悪いわよ。だってアタシ、シンジのこと何もわかってなかったもの。
 シンジがどれだけ苦しんでたのかなんてわからないのに、人殺しなんて言っちゃったもの。
 シンジに殺されててても、仕方なかったって思ってる。」
「そんな事ない。アスカにそんな事を言わせるほど怒らせたのは、そもそも僕だ。
 もともと全部僕が悪かったんだよ。」
「…シンジ。あの時ね、アタシ嫉妬してたんだ。」
「嫉妬…?」
「そ、嫉妬。
 …アタシね、ホントはずっとシンジのことが好きだったの。
 でも、プライドなんかが邪魔して、素直になれなかった。
 ずっと気持ちに気づかない振りして、そのくせ、ファーストなんかに嫉妬したりしてた。」
「……。」
「サードインパクトのときにね、シンジの心に触れて、ショックだった。
 シンジがアタシのこと、アタシがシンジを好きなほどには好きじゃないってわかってショックだった。
 勝手よね。アタシが勝手にシンジを好きになったのに、ずっと気持ちを隠してたのに、
 それでシンジにアタシと同じように、アタシのこと好きになって貰おうなんてさ。
 でも、それでアタシはシンジのことが許せなくなった。
 絶対にシンジのことを認めない、って思ったの。」
「それは…。」
僕が悪い。
僕はアスカの事を壊してあんなことをしたんだから、アスカが僕を絶対に認めないと思っても当然だ。
でも、続きを言おうとして、止めた。
まだアスカの話の途中だ。
「でも、アタシが認めなくたって、アタシの心はシンジを求めてた。
 だからアタシはずっとシンジの傍にいたの。
 シンジのことを認める気なんて無いのに、
 シンジがアタシのこと好きになってくれることを期待しながらね。」
「……。」
「世界にはアタシ達しか残ってないし、
 シンジはアタシに許されて認められる事を求めてたから、シンジはアタシから離れることはないと思ってた。
 アタシは、心のどこかでシンジを独り占めできたような気になってた。
 だからアタシはシンジに酷いことも平気で言えたの。」
「……。」
「いい気になってたのよアタシ。
 そんなのでシンジがアタシのこと好きになってくれるはずなんて無いのに、
 シンジの心まで独り占めした気になって。
 シンジを全部、アタシの物にしたような気でいたのよ。
 …シンジの口からカヲルって子の名前を聞くまではね。」
「……。」
「シンジにはアタシしかいないと思ってたから好き勝手言ってたのに、
 アタシ以外の誰かがシンジの心の中にいたら、シンジはアタシなんか見向きもしなくなるって、
 シンジの心の中にアタシの居場所なんか無くなってしまうって気がして、怖かった。
 それと一緒に、シンジがアタシのことを見ないでカヲルって子のことを見ていることが許せなかった。
 シンジの心の中のカヲルって子の存在を否定したかった。
 アタシを見ないでそんな奴を見るシンジなんていらないと思った。
 アタシの物にならないなら、シンジなんて壊れてしまえばいいって思った。」
「……。」
心が、乾く。
あのときの気持ちが、少しだけ甦る。
アスカに対する幻滅と怒り。
それを悟られないように、僕は口を噤み続ける。
「アタシは、そんな理由でシンジにあんな事言ったの。最低よね。」
「……。」
「だからシンジがアタシを殺そうとしたのだって、アタシが悪いの。
 シンジがあの時のことで悩むことなんて無いのよ。」
「……。」
「…今だって、アタシはまだシンジの心の中にいるカヲルって子に少し嫉妬してる。アタシは、こんな奴なのよ。」
「……。」
「…シンジは、こんなアタシで、本当にいいの?」
「うん。」
僕の中に迷いは無い。
だけど、アスカに対して今、去来している感情が、僕に肯き以外の言葉を出させなかった。
「…そっか。」
「……。」
「…シンジ。アタシね、もうきっとシンジ無しじゃ生きていけない。
 シンジに見捨てられたら、アタシはもう死んじゃうしかない。」
「……。」
「だって、意味なんてないもの。
 シンジに必要とされないアタシなんて、生きてる意味ないもの。
 それに、シンジ無しでこんな世界に生きてたって、仕方ないもの。
 アタシは、ずっとシンジに傍にいて欲しいって思ってる。」
「……。」
「でもね、こんなアタシはいつかシンジをあの時みたいに傷つけるかもしれない。
 また、シンジを壊してしまうかもしれない。
 だから…」
アスカは、僕をみつめた。
真っ直ぐな青い瞳が僕を貫いた。
「だからシンジ、アタシを利用して。
 シンジの都合のいいように、アタシを使って。
 アタシが要らなくなったんなら、アタシを見捨てて。
 アタシに傷つけられたんなら、アタシを傷つけて。
 アタシに殺されそうになったんなら、アタシを殺して。
 例えアタシが嫌がって、情けなく泣き喚いても、
 アタシのことなんて、気にしないで。」
アスカに言った、僕の言葉だ。
「アスカ…」
「アタシはシンジを傷つけてまで、シンジと一緒にいたくなんて無い。
 そうやってシンジを犠牲にしてまでシンジに縋りつくアタシなんて、死んじゃったほうがいい。」
「……。」
「アタシは、シンジにとてもたくさんの大切なものをもらったの。
 返しきれないぐらい、とてもたくさん。」
「……。」
「ママにもたくさん大切なものをもらったけど、加持さんやヒカリ達にもいろんなものをもらったけど、
 それでも、アタシはシンジにだけ、アタシの全てを捧げたいの。」
「……。」
「アタシは、シンジのことが好き。
 殺されたって構わないぐらい好き。
 アタシは、シンジの為だけに生きたい。
 アタシの全てを、シンジに捧げたい。
 だから…」
一度アスカは目を瞑り、自分の心に問いかけるように黙った後、
目を開き、僕を再びみつめた。
そして、
「アタシは、惣流・アスカ・ラングレーは、身も心も、命も全て、碇シンジの為に捧げ、
 死が訪れる最期の時まで、碇シンジに尽くし続けることを、今此処で誓うわ。」
アスカは、言った。
僕をみつめる青い瞳は、どこまでも真っ直ぐで、強い決意を秘めているのがわかった。
人形のような整った顔は、いつもより美しく見えた。
華奢な身体を包む黒いドレスが、アスカの肌の白さを引き立たせ、
赤みを帯びた金色の髪は、風に靡いて、青空の下、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
赤い海を背にして立つアスカは、今まで見てきたどのアスカよりも凛々しくて、綺麗で、
そのあまりの美しさに、僕は呑み込まれそうだった。
「………僕も、」
僕の中に去来する感情。
アスカに対する幻滅や怒りなんて、アスカが僕の言葉を返してくれたときに消え去ってる。
今在るのは、胸に込み上げてくるのは、熱い思い。
アスカが、愛しい。
「僕も、アスカが好きだ。
 殺されたって構わないぐらい好きだ。
 アスカの為だけに、僕は生きたい。
 僕の全てを、アスカに捧げたい。
 だから、」
僕を見つめるアスカの瞳が、潤んでいく。
僕も何か、目が熱い。
「僕は、碇シンジは、身も心も、命も全て、惣流・アスカ・ラングレーの為に捧げ、
 死が訪れる最期の時まで、惣流・アスカ・ラングレーに尽くし続けることを、今此処で誓う。」
「シンジ…」
アスカの瞳から涙が流れ落ち、頬を伝う。
凛々しい顔がくしゃくしゃになって、
アスカはぽろぽろと涙を零した。
「アスカ…」
涙を流すアスカを見ていると、僕まで涙が出そうになってくる。
まるで、アスカの気持ちが僕に流れ込んできてるみたいだった。
こみ上げてくるものが抑えきれず、僕の頬を熱いものが流れた。
涙を拭おうとするアスカに僕は近づき、僕はその涙を指で拭った。
アスカはきょとんとした顔で僕を見た後、涙を流しながら微笑んでくれた。
僕もアスカに微笑み返す。
僕の顔に、アスカは手を伸ばして、
アスカの指が、僕の涙を拭ってくれた。

 

 

 

 

「よかった。まだあった。」
赤い海のほとり、地面に突き刺さった木の棒に、白い十字架が釘で引っ掛けられている。
ミサトさんのペンダント。
「それ、ミサトの?」
後ろから、アスカが訊く。
「うん。」
僕は釘からペンダントをはずして、手に取った。
「サードインパクトのときにさ、母さんに会ったんだ。」
「うん。」
「母さんだけじゃなくて、綾波とカヲル君にも会ったんだ。
 母さん達は、生命には生きていこうとする心と、復元する力があるって、
 人は自分の心で自分をイメージ出来れば人の形に戻れるって、僕に言った。」
「うん。」
「いつか、この海からみんな戻ってくるのかもしれない。でも、僕はそんなの期待してなかった。」
「うん。」
「でも今は、みんなが戻ってくる事を期待してる。だって………」
その先を言う事を躊躇した。
「だって…?」
「だって、…アスカと、あ、赤ちゃん欲しいからさ!!!」
言ってしまった。
僕は一体何を言ってるんだろ…。
恥ずかしい。
顔が熱い。
「!!!?」
「い、今欲しいって訳じゃないんだ!!
 ただ、これから、もっと先、もっと僕達が大人になったら欲しいなって…。」
「〜〜〜〜っ」
アスカ今、どんな顔をしてるんだろ…。
とても振り返る勇気が無いや。
「ご、ごめん、変な事言っちゃって…。別に僕はこのままでも幸せなんだ。でも…」
背中に、むにっとやわらかい感触がした。
「あっ…」
「謝んないでよばか。」
アスカが後ろから僕に抱き付いてる。
背中が熱い。
「……。」
「…アタシも、シンジの赤ちゃん欲しい。」
ぎゅっと、アスカが更に強く抱きついた。
のぼせそう。
「〜〜〜〜っ」
「……。」
「……………あ、ありがと、アスカ。」
「ん。」
「…でも、このままじゃあさ、生まれた子も、その子供達も、きっといつかは食べ物が無くなって飢えちゃうよね。」
「…うん。」
「せめて植物だけでも、戻ってくれなきゃね。」
「うん。」
「僕は、みんな戻ってくるって信じてみるよ。」
「アタシも、信じる。」
「それでいつかみんな帰ってきて、もしミサトさんに会えたら、このペンダントを返すんだ。」
「うん。会えるよ、きっと。」
「ありがとうアスカ。その日まで、僕はこのペンダントを持っていようと思うんだ。」
「うん。」
僕は掌の上の白い十字架を見た。
本当は、何も帰ってこないのかもしれない。
僕達には未来なんて無いのかもしれない。
でも、信じたい。
いや、信じる。
僕達に残された希望を。
信じる事は、きっと悪い事じゃないはずだから。
僕達が、未来を信じる証。
僕はそれを、強く握った。

 

 

 

 

夕暮れ時。
僕とアスカはまだ赤い海の浜辺にいて、夕焼けに染まる海を見ていた。
まるで、カヲル君と出会った時のような景色。
「ねぇシンジ。」
「なに?アスカ。」
「アタシは、シンジに会えてよかった。」
「僕も、アスカに会えてよかった。」
「シンジはさ、サードインパクトを起こした事を後悔してるよね?」
「…うん。」
「でもアタシはさ、シンジがサードインパクトを起こしてくれた事を感謝してるんだ。」
「何で?」
「だって、シンジがサードインパクトを起こしてくれなかったら、アタシは死んだままだったもん。」
「……。」
「こうやってシンジとわかり合えないまま、こんな幸せな気持ちを知らないままだったもん。」
本当に…。
「アスカっ…」
「シンジ、アタシを生き返らせてくれて、アタシを幸せにしてくれて、ありがとね。」
本当に、アスカでよかった。
「…っ…うっ…」
「シンジ、ホントに、大好き。」
一緒にこの世界に残されたのが、本当にアスカでよかった。
「…ううっ…くぅ…っ…」
「ほら、男でしょ、泣いてちゃかっこ悪いわよ。」
僕の傍にいてくれたのが、本当にアスカでよかった。
「…うくっ…ごめっ…っ…」
「な〜んてね。ホントは今、アタシ、シンジを泣かせることが出来て嬉しいの。
 だって、アタシはずっとシンジに泣かされっぱなしだったもの。」
「…っ…ねぇっ、アスカっ…」
この景色のせいなんだろうか、
僕は、親友がかけてくれた言葉を思い出した。
嬉しかった言葉。
それを今、アスカに言ってあげたかった。
「うん。」
「僕は、アスカに会う為に生まれてきたのかもしれない。」
 

「もお、せっかくちょっと感動したのに、
 他人の、それもアンタが好きだった人に言われた言葉だっただなんて、言われたこっちは複雑よ。
 そういうことは黙っときなさいよね〜。」
「う、ごめん…。でもさ、そう思ってる事は本当だよ。」
「…ま、カヲルって子の思い出までひっくるめてシンジなんだし、
 元は他人の言葉でも、シンジにそんな事言われてアタシも嬉しかったし、別にいいけどね。」
「ありがとう、アスカ。」
「いいわよ。
 ……アタシも、シンジに会う為に生まれてきた気がする。
 そういう、運命だったんだって気がするの。」
「運命…、うん。きっと、そうだよ!」 

もしこれが運命だったんだとしたら、アスカに出会う為に、僕はエヴァに乗ったのだとしたら、
今まで受けた痛みや苦しみ、悲しみさえも、僕は越えてきてよかったと思う。
それにアスカと一緒なら、アスカが僕を好きでいてくれるなら、僕がアスカを好きでい続けるなら、
これから先、どんな運命が待っていても、僕達はきっと乗り越えられる。
そう、信じてる。

 

 

 

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ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

此処で綺麗に纏まりましたし、AEOEモノのLASSS的には此処で終わってもそれはそれで良いのかも知れませんが、この話はまだ続きます。

次回から「サブタイトルその1」である『Primary』が『Secondary』へと変わります。

「サブタイトルその2」である『2_Jupiter』はまだ変わりませんが、これもおいおい変化していきます。

サブタイトルが変化していく事からもお分かりのとおり、此処まででまだまだ話全体のほんの一部です。

 

 

せっかく『Primary編』が終わったので、少々『Primary編』の裏話を書いていきます。

 

この話全体の構想を思いつき始めたのは、去年(2008年)の10月の終盤ごろで、

それから一ヶ月ほど頭の中だけで構想を練り、書き始めたのは確か去年のアスカさんの誕生日(12月4日)から一週間程経った辺りからでした。

しかし、構想として具体的にあったのは話の全体の大まかな構造と、この話全体の最終話の展開の一部ぐらいで、

この『Primary編』は書き始めた当初は、シンジとアスカをどうやって和解させるかも考えておらず、殆どノープランで書き始めました。

過去にこの『Primary編』とほぼ同じシチュエーションでAEOEモノのLASSS(一作目(と二作目))を殆ど勢いだけで完成させた事もありましたし、

EOEの後の二人がどうなったかをよく妄想していたので、その要領でいけばまー何とかなるだろうと。

ただ、旧エヴァ劇中で二人が抱えていた問題を、可能な限り決着をつけようとは思ってはいましたが。

 

で、いざ書き始めるとまるでパズルみたいにスイスイと一連の流れが出来上がっていきました。

あの修羅場も書いてる内に自然と出来上がったもので、まさかシンジがカヲルの事について自分の中で決着を付ける事になるとは思っても見ませんでした。

LAS小説なのに。

 

実はこの『Primary編』までは新劇場版の『破』の公開日が発表されて一ヶ月ほど経った2009年の三月の初め頃には一旦完成しておりました。

しかし、後々細かい修正が出るだろう事や、プレッシャーに負けて書けなくなる事を危惧し、全体が一旦出来上がるまでは発表しないと決めていました。

が、その一ヶ月後にスランプに陥り書けなくなり、閉鎖的な環境を変えなければ書けないのではと思い、せめて『Primary編』だけは公開しようとしましたが、

色々あって結果的に公開せず、そのまま長いスランプ期間に突入しました。

下手すりゃ話全体どころかこの『Primary編』さえ公開できないような事になるのではと思っておりましたが、

今こうやって『Primary編』もその続きも公開できる所までこれたので良かったです。本当に。

 

 

 

 

アスカのカヲルに対しての現時点の認識について。

実はアスカはこの時点ではカヲルを女だと思っています。

正確には男1:女9ぐらいで。

シンジのカヲルに対しての「好き」を恋愛感情としての「好き」と勘違いしているので、

シンジがカヲルを「君」づけでよんでいる事に若干疑問を感じつつも、

「でもカヲルって普通女の子の名前よね…。アイツが好きだった人なんだしまさか男の訳…」

 といった感じに。

でなきゃあそこまで嫉妬したりしません。

この後アスカがカヲルが男である事をシンジから聞いて、シンジがホモだと勘違いしてショックを受けたり、

誤解が解けた後、今度は男に嫉妬した事に対してショックを受けて恥ずかしがったりシンジに八つ当たりする話を思いつきましたが、

アスカがカヲルを女だと勘違いしている事は本編ではぼかしておこうと決めていたので、また、どちらにしても作者に書く気力が残って無かったので、書きませんでした。

誰か私の代わりに書いてくれ。

後、アスカの頬なでの解釈については、本当にあれが正解です。

もう一つ付け加えるなら、例え憎しみでもシンジが真剣な感情を自分に向けてくれたことを実は嬉しくも思っていたという事も挙げておきます。

 

  

シンジがアスカに惚れた時期について。

実は最初からです。

正確には、EOEラストのアスカの頬撫でで、シンジはアスカに完全に惚れています。

というか、EOEラストの首絞めのときのシンジの心理状態であんな事をされたら、誰でも惚れる気がします。

少なくとも私は惚れる。

(誤解がありそうなので言っておきますが、作者はEOE最後のシンジ首絞めについては、シンジがアスカを憎んで首を絞めたというよりも、

人にわかって欲しくて仕方ないのにそれが期待できないから、アスカを殺してその気持ちを完全に断ち切ろうとしてやったのだと思っています。)

シンジもあの後泣いたのは、おそらく嬉しくて泣いたんでしょうし。

ただ、それを罪悪感なんかに邪魔されてシンジ自身もその気持ちに気づいていなかっただけです。

でなきゃ流石のシンジでもあそこまで無茶苦茶言ったアスカを命を懸けてまで助けようとはしません。多分。

なので、アスカがシンジの服の裾を掴んだ時は、単にシンジの中に押し込められていた気持ちが表面化しただけだったりします。

また、作中の修羅場の最後でシンジがアスカを殺そうとする手を止めたのは、確かにシンジ自身の意思の力によってですが、

憎しみで我を失ったシンジに思い直すきっかけを与えたのは、直前のアスカの頬撫でだったりします。

 

以上。

2009年12月3日 たう