Primary  2_Jupiter-5

 

 

 

 

 

あれから、何日過ぎたんだろう。
身体を動してもそれほど痛まなくなった。
痣も、殆ど無くなった。

何も無い。
時間の流れが遅いや。
誰もいない。
誰にも責められない。
誰にも期待されない。
誰にも認められない。
「…先生の所にいた時みたいだ。」
僕が存在してもしなくても、同じ世界。
何も無い世界。
もし、生き残ったのがカヲル君だったら。
いや、きっとカヲル君がこんな世界に生きてく事になるだけか。
だから、僕に殺して欲しかったのかな?
だから、死を望んだのかな?

生と死は等価値なんだ、僕にとってはね。
自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだよ。

カヲル君の遺言。
今なら、意味がわかる気がする。
生きてたって何になるんだ。
こんな僕が、こんな世界で。
死んだほうがよかったんだ。
あのまま、全てを受け入れていればよかったんだ。
そうすれば、こんな思いをしなくて済んだんだ。
こんなに苦しまずに済んだんだ。

人殺し。

アスカの言葉。
僕は、カヲル君を殺した。
それだけじゃない。
サードインパクトを起こして、全ての人間を、生命を、殺したようなものだ。
生き残ったアスカだって、殺そうとした。
本当に、どうしようもない。
「…償うことなんて出来なかったんだ。」
そんな事、出来る訳無かったんだ。
償いきれない。
許されることは無い。
僕は、何を期待してたんだろう。

アスカには、あれ以来会っていない。
時々、二階からアスカが暴れる音が聞こえてくるけど、僕はもう気にしなくなっていた。
アスカに償いたいって気持ちが、
いや、認められたいって思う気持ちがなくなってしまった。
トウジを殺そうとした後の父さんみたいに、認められても仕方ないって思ってしまった。
だって、アスカは嗤っていた。
僕を傷つけて、愉しんでた。
きっと、アスカは本当に一生僕を許さない。
僕を苦しめて愉しむために。
それでも僕は償うべきなんだろう。
アスカを傷つけたのは事実なんだから。
でも、そんな気になれない。
「…アスカの言う通りじゃないか。」
僕は、ただ認められたいだけだったんだ。
自分しか心の中にいないんだ。
ただ逃げ場所を探しているだけなんだ。
僕は、やっぱりどうしようもない奴だった。

「それでも、アスカの事を殺さなかった。」
朧気ながら僕は思い出せるようになった、あの後の事を。
僕はアスカの首を絞めた。
殺そうとした。
アスカが僕を撫でても僕は手を止めなかった。
そんな事ぐらいじゃもう許せなかった。
でも、僕は手を止めた。
このままじゃだめだって思ったから。
同じ事を繰り返すだけだと思ったから。
アスカが手を差し伸べてくれたからじゃない。
僕は、僕の意思でこの手を止めた。
僕の意思で、憎しみに打ち勝ったんだ。
きっと、後悔したくなかっただけだったんだ。
後悔する辛さから逃げただけなんだ。
それでも、微かだけど、
僕の中に誇らしい気持ちが生まれた。
自分の事を、信じてもいいんじゃないかって思えた。
ほんの少しだけ、前に進めた気がした。
きっと、こんなのは単なる自己満足にしか過ぎないんだ。
でも、この気持ちが今、
自分の醜さと、犯してきた罪に押し潰されそうな自分を支えている。

「それでも、次は殺さないでいる保障なんてないよな…。」
あれだけ後悔してたのに、償いたいって思ったのに、僕はまたアスカを殺そうとした。
きっとまた同じように責められたら、僕は同じ事をすると思う。
次は止められる自信なんて無かった。
「やっぱり、アスカと離れるべきなんだ。」
僕がいても傷つけるだけだから。
きっとまた、アスカを殺そうとするから。
今度こそ、アスカを殺してしまうかもしれないから。
あの時僕の手を止めた、あの暖かなものの残滓はまだ僅かに胸に残ってるけど、
それでもそれを捨てる事の方が、この手を再び止めるよりは簡単なはずだから。
だから、もう少ししたら、此処を出て行こう。
一人で、生きていこう。
一人でも、ずっと生き続けよう。
それが、カヲル君を、全ての人間を、全ての生命を殺して生き残った、僕に課せられた使命だと思うから。

 

 

 

 

 

 

あれから、何日たったんだっけ。
わからない。
ずっとこの部屋にいるから。
動く気がしなかった。
だって、体中が痛い。
暴れるから、すぐに新しい傷が出来る。
でも暴れなきゃ、すぐにあの声が聞こえる。
アタシの声。
アタシを責めるアタシの声。

人殺し。

シンジに突きつけた言葉が、

アンタは所詮そんな人間なのよ。

アタシに突き刺さってくる。

自分の事しか考えられない。

痛い。

人殺し。

痛い。

人殺し。

助けて。

逃げ場所ぐらいにしか思って無い癖に。

もう、やめてよ…。

ママも加持さんもヒカリも、逃げ場所ぐらいにしか思ってない癖に。

違う!!

ママと一緒に死んであげなかった癖に。

やめて!!!

ママは一緒に死んでちょうだいって言ってたのに。

やめて!!!!

ママが死んだのに、まだ生きてる癖に。

やめてええええええええええええええええええ!!!!!!!!!


暴れた。
でも、もう黒い塊はアタシを動かしてくれなかった。
だって、アタシはママの為に生きてなんか無かったから。
ママの人形になれなかったから。
ママの為に、死ねなかったから。
アタシは、この声から逃れる為だけに暴れた。

自分しかいない。

我に返ると、いつだって暗い部屋。
朝にしか、光がないと眠れないから、
アタシの昼と夜は逆転した。
暗闇と静寂と孤独。
常にあるそれが、アタシの言葉をアタシに跳ね返す。
闇と、無音と、時間で出来た鏡。

もういっそ、狂ってしまいたい。
壊れてしまいたい。
いや、もうアタシ、壊れてるんだ。
だって、こんなにも惨めだ。
髪だってボサボサで。
服だって汚れてて。
腕と脚は傷と痣だらけで。
なのに、床でぐちゃぐちゃになった残飯を、
漁ってまでまだ生きてる。
アタシはまた、壊れたんだ。

現実から逃げるために壊れただけよ。

そうよ。
だってアタシにはもう誰もいない。
シンジだって壊してしまった。

どうして、ほんの少しでも僕の事を認めようとしてくれないんだよっ!!!!!

だって、怖かったのよ。
裏切られるのが、
見捨てられるのが、
傷つけられるのが怖かったのよ。
現にアンタ、アタシの事見捨てたじゃない。

助けてなんて一度も言わなかった癖に、勝手な事ばかり言わないでよっ!!!!!

何もしなかった癖に。

助けたよっ!!!!!

「…くっ……」
涙が滲む。
苦しい。
悲しい。
「…っ…くうっ…うう……」

助けてよ。
苦しいから。
悲しいから。
今すぐアタシの事を助けてよ。

自分で壊した癖に。

「…くっ…うっ…うう……うあ、あ…ぅあああああああああああああああああああああああああ」

そうだ。
アタシは、シンジを壊したんだ。
シンジに助けを求める権利なんて、アタシには無いんだ。
アタシにはもう、泣き続けることしか出来ないんだ。
 

 

 

 

 人殺し。

声が、聞こえる。
でも、もう暴れる気力もないわ。

どうして、アタシは生きてるんだろう?
生きている意味なんて、アタシには無いのに。
どうして、ママはこんなアタシを見守っていてくたの?
どうして、アタシなんかに笑いかけてくれたの?
アタシは、ママの為に何もできなかったのに。

闇と、無音と、時間で出来た鏡。
まるで、アタシの心を犯した、あの時の使徒の光みたいだ。

心を犯された?
違う。
暴かれたのよ。

何が違うのよ。
アタシの心はあの時汚された。

汚された?
違う。
汚れていたのよ、最初から。
アタシが見ないようにしていただけよ。
自分自身の汚くて弱い心を。
さも、自分は価値あるものを持ってるって振りして、自分も他人も騙してきたのよ。
本当は何も無い、自分しかいない空っぽの癖に。
だから、誰にも心を知られたくなかった。
だから、加持さんやヒカリのような、アタシの心に踏み込まない、アタシの心を乱さない、
アタシにとって都合のいい人ばかりを求めた。

違う…。
アタシは…。

わかってる癖に。
あの時だって、自分しかいない事を、本当は自分に意味や価値なんて無い事を暴かれて、
もう誰も、自分さえも騙せなくなったから、闘う気を失くしたんでしょ?

アタシは…。

空っぽ。

…それでもアタシは、ずっと闘ってきた。

単に何も無いことを誤魔化してきただけじゃない。

一人でもずっと、闘ってきたのよ。

誰も傍に居なかっただけでしょ?

心を暴かれたって、エヴァを動かせなくなったって、最後まで闘ったのよ。

ママが手を差し伸べてくれなかったら、一人じゃ何も出来なかった癖に。

…もう、ボロボロなのよ?

人殺しにはお似合いね。

傷だらけなのよ?

包帯しかなかったじゃない。

 

目が覚めた。
右腕。
立ち上がる。

浴室。
カッターの刃を右腕にあてがう。

アタシは、闘った。
闘ったんだ。
傷ついたんだ。
傷跡だって、今、つけるから。
今、残すから。

刃を沈める。
血が、玉のように染み出る。
記憶が甦る。
引き裂かれた右腕。
痛みの記憶。
手が、止まる。
「く…」
手が震える。

嫌だ。
怖い。
痛いのは嫌。
痛いのは怖い。
もう痛いのは嫌だ…。

カッターが手から滑り落ちて、床のタイルに当たる音がした。

「…くっ…ううっ…う…うううっ……」

黒い塊もいなくなって、最後にアタシに残ったのは、
痛みへの恐れだけ。
臆病な心だけ。
アタシは、どうしようもなく弱かった。
 

 

 

101号室。
シンジの部屋の前。
気がつけば、此処にいた。
「シンジが今のアタシを見たら、嗤うかしらね…。」
ボサボサの髪。
汚れた服。
傷と痣だらけの腕と脚。
やつれた顔。
こんな姿で、シンジに会いたくなんかなかった。
でも、耐え切れない。
これ以上はもう、耐え切れない。
もうすぐ、アタシは本当に狂ってしまう。
「こんなアタシでも、最後にアイツを許してあげることぐらい出来るわよね…。」
アイツを認めてあげることぐらいは、出来るわよね。
早くドアノブに、手をかけよう。
この扉を開けて、シンジに…。
シンジを、許してあげよう。

 

 

 

 

 


ドアノブに、手をかけられない。
手が、動かない。
怖い。
もしも。
もしも、シンジがアタシの言葉さえわからないほど壊れていたら?
そのときアタシは、どうしたらいいの?
アタシは。
アタシは…。

 


階段を上る気力はもう無かった。
ロビーにあるソファに倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

暗闇。
夜か。
こんな時間に起きるなんて珍しいな。
また眠るか。

眠れない。
何か、ソワソワする。
落ち着かない。
飲み物でも飲もう。

ずっと、落ち着かない。
何なんだろう?
窓から、空が見える。
何処も電気が点いてないから星がよく見える。
綺麗だ。
「散歩、してみようかな。」
暗いけど、決して何も見えないわけじゃない。
部屋を出る。

ロビーのソファに、誰かが寝てる。
アスカしかいないんだから、アスカなんだろう。
気にしないで、外に出るべきなんだ。
もう、関わるべきじゃないんだ。
でも、もしかしたら、アスカの顔を見るのはこれで最後かもしれない。
此処から出て行ったら、きっともう会うことは無い。
だったら今、顔を見て行くぐらいなら別にいいか。

ソファのすぐ傍まで近づく。
アスカは、ひどい有様だった。
暗くてよく見えないけど、髪はボサボサで、服も何か汚れてる。
腕や脚に幾つも傷がある。
それに、最後に見たときよりも随分やつれてる。
「…アスカ?」
呼びかけてみても反応は無い。
眠ってるんだ。
「……。」
アスカは、微かに震えている。
寒いんだろうか?
何となくだけど、何かに怯えているように見えた。
時々、二階から聞こえるアスカの暴れる音。
あれは、その何かを振り払おうとしてたんだろうか?
だからアスカは、こんなになってしまったんだろうか?
「何考えてるんだ、僕は…。」
だからって僕に何が出来る?
僕が何かしたってアスカを怒らせるだけだ。
アスカは僕の助けなんて求めてないんだ。
またアスカに責められて、殺そうとしてしまうんだ。
僕には、何も出来ない。
何もするべきじゃないんだ。
…部屋に戻ろう。

 

 

 

 

 

シンジの部屋。
そのドアを開ける勇気が、アタシには無かった。
此処で眠ろうとしてるのだって、ホントはアタシからシンジに会う勇気がないから、
シンジが自分から出てきてくれるのを待ってるから。
アタシは、どこまで弱いんだろう…。

ドアを開く音。
鼓動が、跳ね上がる。
掌にジワリと汗をかく。

シンジがこっちに来た。
目を瞑る。
怖い。
心臓が胸で暴れてる。
呼吸するのが苦しい。
身体が、震える。

「…アスカ?」
シンジがアタシに呼びかけてる。
よかった。
アタシの言葉は、まだ届くんだ。
シンジが傍にいる。
言わなきゃ。
もう許してあげるって。
認めてあげるって。
でも、声が出ない。
怖い。

 


シンジが去っていく。
嫌だ。
行かないで。
お願いだから行かないでよ。
まだ何も伝えてないのに。
許してあげてないのに。

最後まで、アタシは何も言えなかった。
後悔だけが残った。
暗闇と静寂の中、寒気に震えながら朝を待つ。
 

 

 

 

 星空。
「そういえば、アスカと綾波と三人でこんな星空を見たっけ。」
もう戻らない、幸せといえたかも知れない時間。
「アスカ…。」
震えてた。
何かに怯えるみたいに。
「そんなの、僕の勝手な推測じゃないか。」
何も出来ないんだ。
何もするべきじゃないんだ。
余計なおせっかいなんだ。
偽善なんだ。
僕が認められたいだけなんだ。
でも、震えてた。
「別に何か掛けてあげるくらい、いいよな…。」
部屋からタオルケットを持ってアスカの元に向かう。
 

 

 

 

 

また、ドアの開く音。
思わず顔を上げそうになる。
近づいてくる足音。
また目を瞑る。
心臓が高鳴る。
今度こそ、伝えなきゃ。
シンジが、傍まで来た。
アタシの身体に何かが掛かる。
薄目で見ると、
シンジがタオルケットを掛けてくれていた。
優しさが、暖かかった。
嬉しかった。
アタシは、アンタの事を壊したのに…。
罪悪感。
それでも、孤独感が、不安が消え去って、安心感が心を満たしていく。
タオルケットを掛け終わると、シンジはしばらくアタシの傍に立っていた。

やがてシンジが踵を返した。
部屋に、戻るんだ…。
嫌だ。
アタシはまだ、何も伝えてない。
まだ、傍にいて欲しい。
とっさに、シャツの裾を掴んだ。

 

 

 

 

 

タオルケットを掛けてやると、
眠るアスカの表情が穏やかになったように感じた。
少しだけ、嬉しかった。
僕の行為は、上辺だけかも知れないけど、
それがアスカを少しでも安心させてやれたなら、意味があったんだと思えたから。
しばらく、アスカの顔を眺めていた。
これで最後かもしれないって思ったら、やっぱり寂しいや。
これ以上寂しくなったら此処から離れにくくなる。
僕はアスカに背を向けて、歩き出そうとした。
不意に、シャツの裾が引っ張られた。
足が止まる。
「……。」
心臓の鼓動が速くなった気がする。
「……。」
裾が、更に強く引っ張られる。
まるで、僕が行こうとするのを引き止めるみたいに。
鼓動が、更に速くなっていく。
「……。」
アスカは、今起きてるんだろうか?
僕は今、アスカに頼られているんだろうか?
助けを、求められてるんだろうか?
「か…。」
勝手だよって、言おうと思った。
僕に助けなんて求めなかった癖に。
僕の事を認めない癖に。
僕を傷つける癖に。
僕の事なんて嫌いな癖に。
でも、だけど、掴まれた裾から伝わる、アスカの震え。
それが、僕の言葉を止めた。
僕の動きを止め続けた。
アスカに振り返ることさえ、僕には出来なかった。
「……。」
やがて、裾を掴む手が静かに離れた。
僕は、振り返らずに部屋に戻った。

 

「本当に、離れることが正しいのか…?」
アスカは、ボロボロになって震えていた。
僕は、助けるべきじゃないのか?
例えアスカが怒っても。
例えアスカが望まなくても。
例えアスカを殺そうとする自分と、また闘わなければならないとしても。
「次は殺さないでいる保障なんて、何処にも無いじゃないか…。」
今まではこの手は止まってくれたけど、次は止められる保障なんて無いんだ。
今度こそ本当に殺してしまうかも知れないんだ。
「今更、こんなのってないよ…。」
せっかく一人で生きていく決心がついたのに、
あの気持ちを捨てる決意が出来たのに、僕はまた、迷ってしまっている。
服の裾を引っ張られたとき、僕は嬉しかった。
頼られたことが嬉しかった。
あの時僕の手を止めた気持ちとは少し違う、だけどとても暖かな気持ちが僕の心を満たした。
今もまだ、胸に残ってる。
「僕は、どうしたらいい…?」
僕は、どうしたいんだ?
僕は…。

 

 

 

シンジが、また部屋に戻った。
パタンと、ドアの閉まる音。
アタシは、言えなかった。
許してあげるって、シンジに伝えられなかった。
もしも、シンジの事を許したら、シンジの事を傷つけたアタシを、シンジは許さないんじゃないか、
シンジはアタシの事を見捨ててしまうんじゃないかって、
そんな、どうしようもなく勝手な考えが、アタシの口を開かせなかった。
結局、アタシはシンジに縋りついただけだった。
縋りついた手でさえ、振りほどかれるのが、拒絶されるのが怖くて離してしまった。
ホントに、どうしようもない。
どうしようもないバカよ、アタシは…。
此処にいれば、またシンジに会える。
だけどアタシは、きっと何も伝えられない。
また、縋りつくだけなんだ。
戻ろう、あの部屋に。

シンジが掛けてくれたタオルケット。
持っていきたいけど、此処に置いていこう。
夜の暗さが薄くなってきてる。
あの何も無い部屋でも、
きっとすぐに、アタシは眠れる。

 

 

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