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きょうの社説 2010年4月10日
◎しいのき迎賓館 「歴史の審判」に耐えうる施設
きょう開館する「しいのき迎賓館」は、大正ロマンの面影を残す広坂側と、全面ガラス
張りの近代的な金沢城址側という二つの「顔」を持つ。重厚でモダンな外観は存在感抜群で、「堂形のシイの木」を従え、風格すら漂わせている。ふるさとの新たなシンボルとして、「歴史の審判」に耐えうる施設になるだろう。旧県庁跡地の有効利用は、前知事の中西陽一氏が県庁移転計画を打ち出して以来、ほぼ 20年来の懸案だった。当時、金大移転後の跡地(金沢城跡)、金大附属小中跡地(広坂1丁目)とともに、金沢の真ん中に広大な「空き地」が生まれようとしていた。金沢の魅力の中心は、歴史遺産が集積する都心部にあり、利用方法を一歩間違えれば、景観や都市機能が台無しになっていた可能性がある。 県庁跡地で言えば、中西知事時代の「ガラス屋根付きのイベント広場」構想に始まり、 博物館、総合学習センター、国際会議場、参加型科学館、未来型図書館、NHK金沢放送局の移転先など、さまざまな案が浮かんでは消えた。県庁跡地の利用と連動して、隣接する県中央公園敷地をバスターミナルに整備する構想もあった。 もし、未来型図書館という名の巨大なハコモノ施設が完成していたら、また高さ50メ ートルのアンテナを持つ放送局が移転していたら、都心部はどうなっていただろう。四高および金大理学部の跡地を受け継ぐ中央公園の木々や芝生が掘り起こされ、コンクリートのバスターミナルに変わっていたら、景観は一変していたに違いない。 都市の記憶を刻む旧県庁舎に新たな命を吹き込んだ、しいのき迎賓館という選択肢は、 過去に出たどの案よりも優れているように思える。残る広坂庁舎の解体と地上駐車場の緑地化、地下駐車場整備計画を粛々と進めてほしい。 金沢城跡では「河北門」の復元が進み、この春、宮守堀に水がたたえられた。金大附属 小中跡地では、金沢21世紀美術館が開館から6年目を迎え、設計者が「建築のノーベル賞」といわれるブリツカー賞を受賞した。県庁跡地を含めた三つの跡地利用が成功裏に推移していることを心強く思う。
◎今石動城が文化財に 「チーム加賀藩」で発信を
小矢部市教委が先ごろ、加賀藩祖の前田利家が築いた今石動城跡(城山)を市の文化財
に指定した。今石動城は、利家と後に3代藩主に就いた利常の、生涯でただ1度の親子対面の場になったとも伝わっており、小矢部市の歴史に刻まれた加賀藩の足跡の大きさを示す存在と言える。これを機に、「ふるさと教育」のみならず、観光資源としても今まで以上に積極的に活用したい。その際に欠かせないのが、今石動城跡を富山県内に点在する加賀藩ゆかりの遺産と結び 付け、一緒にアピールする発想である。実際に機能していた期間が10年に満たず、歴史の表舞台に登場する機会もあまりなかった今石動城だけでは、いささかインパクト不足かもしれないが、いくつかのスポットと組み合わせ、それらを抱える自治体が結束して、いわば「チーム加賀藩」で発信に取り組めば、加賀藩のブランド力で観光客の関心を引き寄せられよう。これは小矢部市だけではなく、ほかの自治体にも求めたい姿勢である。 小矢部市など富山県西部の自治体の場合は、地理的に近い石川県内の自治体とも手を携 えれば、発信の内容にも厚みが増す。チームの「メンバー選び」で、県境にこだわる必要はない。 既に富山県西部の自治体と金沢市は「金沢・富山県西部広域観光推進協議会」を発足さ せ、「加賀藩ゆかりの地を訪ねて」と銘打ったリーフレットを作成したり、利家の出身地である名古屋市中川区で「加賀藩学講座」を開催したりと、実績を重ねている。この組織を今後もフルに生かしたい。必要があれば、石川県内の金沢市以外の自治体にも参加を呼び掛けてもよいだろう。 富山県内では、高岡市の国宝・瑞龍寺や国史跡・前田利長墓所などが、加賀藩関連の名 所旧跡の代表格だろうが、そうした「有名どころ」も、周りを彩る要素が増えれば増えるほど輝きを増すに違いない。高岡市が、金沢市と協力して利長墓所の国史跡指定にこぎ着けたように、埋もれた遺産の掘り起こしでも、大いにチーム力を発揮してほしい。
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