現・歌舞伎座は4月いっぱいで劇場としての役割を終え、建て替えに入る。東京の成駒屋は中村芝翫、福助、児太郎の親、子、孫が現役女形として活躍する稀有(けう)な家だ。三代の目を通し、戦後の再建からこれまでの歌舞伎座の歴史をたどってみたい。【小玉祥子】
現役女形の最高峰に位置する芝翫はまた、日本俳優協会会長として歌舞伎俳優を束ねる立場にもある。現在82歳。歌舞伎座の4月公演では第3部「実録先代萩」の主役、浅岡を演じている(28日まで)。
同座を「わが家のような場所」と表現する。「一番楽しいのは地方公演から戻り、大道具も飾っていない舞台の真ん中に立った時です。3階席まで見渡すと自分の家に帰ってきたような感じがします」
初舞台は1933年11月同座での「桐一葉」の女の童。その前年には父の五代目福助が踊った「娘道成寺」の所化で初お目見得をしている。
だが歌舞伎座との縁は、それが始まりではない。誕生のはるか前にまでさかのぼることができるのだ。芝翫の祖父の名女形、五代目中村歌右衛門とその養父、四代目芝翫は歌舞伎座の開場翌々年の1891年9月に同座の舞台に初めて立った。芝翫家と歌舞伎座は六代の付き合いになる。
七代目福助を13歳で襲名したのも同座。戦争の非常措置で同座が閉鎖される1944年2月まで芝翫はその舞台に立った。
だが、45年5月25日。同座は空襲で骨格だけを残して焼失した。「大屋根の落ちた劇場を見た時は悲しく、ヘタヘタと座り込むくらいがっかりしました」
再建後の開場は51年。そして67年に同座で七代目芝翫を襲名した。劇場にかかわる一番の思い出に、襲名で「鏡獅子」を踊ったことを挙げる。役名は「弥生後に獅子の精」だ。
歌舞伎舞踊屈指の大曲という以上の理由があった。幼くして父と祖父を亡くし、後ろ盾のない芝翫に芸を教え、親代わりになったのが名優、六代目尾上菊五郎であった。「鏡獅子」はその六代目の得意演目である。
「弥生で手を引かれて出る時に、緊張しているべきなのに『にやにやしている』と言われました。それほどうれしかった」
長男の福助と次男の橋之助も歌舞伎俳優になり、福助の長男、児太郎、橋之助の3人の子、国生、宗生、宜生も同じ道を歩む。次女と中村勘三郎の間に生まれた中村勘太郎、七之助も花形俳優に成長した。
「実録先代萩」には児太郎と宜生も出演中。一家は繁栄している。「父と祖父を亡くしたころの私に、そんな将来は考えられませんでした」
初舞台から77年が過ぎた。焼失と再建を繰り返してきた歌舞伎座の四代目となる建物も最期を迎える。
「壊す時が近づくんだなと思うと日々、さびしい気がいたします」=<中>は15日に掲載します
毎日新聞 2010年4月8日 東京夕刊