3.ところで、冒頭で、「最近、岩波書店による<佐藤優現象>の積極的推進への批判を弱めるためと思われる、小島の活動が目立つ」と述べたが、その事例を挙げておこう。
一つ目は、小島による、昨年11月に行われたシンポジウム「近代日本のなかの韓国併合」開催への働きかけである(シンポジウムについては
http://assoc-asia.blogspot.com/2009/10/blog-post.html を参照)。このシンポジウムの記録は、最近単行本化されている(安田常雄・趙景達編『近代日本のなかの「韓国併合」』東京堂出版、2010年3月)。このシンポジウムで小島は、「岩波書店」の肩書きで、李成市とともに「司会」を務めている。
シンポジウムの単行本における編者の「あとがき」には、「岩波書店の小島潔氏には、外部からいろいろと支援を受けており、シンポジウム当日には快く司会の任を引き受けていただいた」(253頁)とある。この企画は岩波書店が公的に関与しているわけではないから、小島が自発的に「岩波書店」の肩書きで登場した、ということである。
なお、李成市は、「上原専禄氏の「世界史の戦略」についての理解は、多くは小島潔氏(岩波書店)のご教示に負っている。」などという一文(
ワードファイル注意)からも明らかなように、小島と極めて昵懇な人物である。
また、『思想』2010年1月号の
特集「「韓国併合」100年を問う」にも、小島がかなり深く関与しているようである。日本経済新聞2010年2月20日朝刊の文化欄は、「日韓併合 問い直す」という記事(酷い記事だが、執筆者は「文化部 郷原信之」とある。郷原信郎の親族か?)が掲載されており、以下のように記されている。
「『韓国併合』100年を問う」。岩波書店の月刊「思想」1月号は1冊すべてを使って特集を組んだ。東京大学から韓国の成均館大学に移って朝鮮近代史を研究する宮嶋博史氏が中心となり、朝鮮史研究者の趙景達氏や李成市氏、ロシア・現代朝鮮研究の重鎮、和田春樹氏らが集まって研究会を発足。およそ1年かけて研究発表や討議を重ねた結果を1冊にまとめた。(中略)/「併合100年の機会をとらえ、日本の近世・近代史への理解や認識の枠組みを根本から問い直したい、というのが研究会メンバーに共通した思いだった」。会の世話役を担った岩波書店編集局部長の小島潔氏は振り返る。」 」
この特集も、個々の論文の出来はさておき、その執筆陣の顔ぶれから見て、岩波書店が朝鮮問題にまともに取り組もうとしているという印象を一般の人々に与えるものであろう
(注)。
だが、小島や岩波書店が、朝鮮半島の分断克服や過去清算、植民地支配責任を果たすことを肯定的に受けとめる姿勢をとっているとは言えないだろう(これは批判しているのではなく、事実をそのままに描写しているのである)。
単純な話であるが、それは、<佐藤優現象>問題を一つとれば自明である。佐藤優は「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」(インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」〈地球を斬る〉2007年3月15日「6カ国協議の真実とは」)などと発言しているのであって、「韓国併合」への一片の反省の念も持っていないと見なしうる人物であり、また、これまで私が指摘したように、日本の「国益」の観点からの朝鮮半島分断状態の肯定や、在日朝鮮人弾圧の扇動等を積極的に行ってきた人物である。
小島は、このような佐藤を岩波書店が積極的に起用することに関して別に反対しておらず、また、『世界』編集部員としてこのような人物を起用することに携わりたくないがために、「思想・良心の自由」を理由として異動を申請した私に対して、積極的に弾圧をしているのであるから、小島が「韓国併合」等の朝鮮問題についてまともに考えているとは少なくとも言えないだろう。したがって、上記のシンポジウムや研究会への小島の関与は、それが純粋な商業上のものでなく、小島の私的な動機または関心も混じっているとするならば、それは主に「岩波書店による<佐藤優現象>の積極的推進への批判を弱めるため」と解するのが妥当だと思われる。
また、小島は、上原専禄に私淑していることを
表明している。「上原専禄氏の「世界史の戦略」についての理解は、多くは小島潔氏(岩波書店)のご教示に負っている」と述べている、李による解説を上の文章から引いておこう。
「「世界史像」の自主的な形成を国民的な課題として掲げ、生涯これを追究した歴史家として知られる上原専禄氏は、1950〜60年代にかけて、おりに触れ、日本人の世界史における現代アジアへの問題意識が希薄であることを訴えていた。日本はアメリカの政治的従属下にあり、そのままでは戦後のアジア・アフリカ諸国と直接向き合うことができず、これでは真に世界史を生きることができないと上原氏には深刻に感じられていた。第一次世界大戦以後の世界秩序は、ヨーロッパ人が支配の対象としてつくりあげたヨーロッパ人の秩序(単一の世界)であり、これをアジア・アフリカ諸国と連帯して、その支配・従属の構造を否定し、構造転換をはたすことが現代の切実な課題とうけとめられていた。
つまり、上原氏によれば、ヨーロッパ人の世界史がヨーロッパ固有の歴史的課題に応えるためにヨーロッパの歴史的経験の深部から、彼ら自身の課題解決のために構想された歴史であるとするならば、日本がアジア・アフリカ諸国と連帯して自らの歴史的課題に応えるための自らの世界史を新たに構想しなければならないというコペルニクス的転換を提起していたのである。」
私は上原の文章は大して読んでいないが(私には読むにたえない)、上の李の解説に従って上原の主張を受け取るとすれば、上原の主張は端的に馬鹿げたものでしかない。少し前まで近隣アジア諸国に対して侵略と植民地支配を行なっていた日本が、植民地支配責任と戦争責任を問わないまま韓国や東南アジアにでも行って「アジア・アフリカ諸国と連帯」などと叫べば、日本人というのはどれだけ虫がいい存在なのか、という嘲笑と反発を買うのがオチだっただろう。著作集をざっと見る限り、上原は、植民地支配責任や戦争責任の重要性、および、過去への責任と「連帯」とのこの自明の関係性を全く理解していない。当たり前であるが、そのような「連帯」は、植民地支配責任と戦争責任を追及し、引き受けることと並行して進められなければ何の説得力も持たない。上原の世界史論は、高山岩男の「世界史の哲学」の焼き直しのようなものであるから、こんな理解で「連帯」を叫ばれても、「大東亜共栄圏」の復活としか受け止められなかったのではないか。
ついでに言っておくと、アジア太平洋戦争をはじめとした日本の侵略がどのようなものであったのかを、「1950〜60年代」の日本の大衆はよく知っていたと思われるので(もちろん別に「反省」していたわけではあるまい)、生半可な「和解」や「連帯」が恐らく不可能であることもよく知っていたはずである。したがって、植民地支配責任と戦争責任が問われないままならば、「現代アジアへの問題意識が希薄である」大衆の方が、アジアへの「連帯」や「関心」を説く上原よりはるかに「まとも」である。
小島がこのような上原の欠落に問題を感じていないらしいのも、日本と朝鮮半島をめぐる歴史認識問題や過去清算問題に関しての小島の姿勢と関連しているものである。
(注)板垣竜太氏も執筆者に加わっているが、板垣氏は、小島のような私を中心的に弾圧している人間が「世話役」を務める「研究会」に、約1年間も参加していた(いる)ことになる。私は小島の積極的関与について板垣氏に説明してはいなかったが、少なくとも形式的には小島は私への処分を決定した一人なのであり、板垣氏もそのことを認識していたはずである。
以前記したように、私は板垣氏とは部分的な共闘はするが、板垣氏が『インパクション』編集委員を相変わらず続けていることも含めて、このような点には強い疑問を持つ。
4.ところで、これまで私は、一件矛盾しているように見える小島の行動を、一貫しているものとして叙述してきた。この見解が正当であることを、私の体験談を語ることで、裏付けしておこうと思う。それは、<佐藤優現象>に関する岩波書店、およびリベラル・左派の行動様式を考える上で、一定の示唆を与えるものではないかと考える。
実は、リベラル・左派系と見なされる編集者にはありがちであるが、小島は、私のような在日朝鮮人に近づいてきて、入社後一年くらいは私も何度か話したことがある(私は岩波書店では初めての在日朝鮮人社員だった)。小島は
90年代後半から柄谷行人を読みはじめ、懇意になっていったという人物であったので、話は大してかみ合わなかった。
そのような形で以前話していたせいもあったのかもしれないが、私は、『世界』編集部からの異動直後だったと記憶するが、小島氏に声をかけられて、以下のように言われた。
「社内での君への非難については、率直に言って差別意識に基づいて言っていると思えるものもあって、僕も聞いていて不愉快になることがある。ただ、君も、もう少し慎重に振る舞ったら?君は、岩波書店に入社したという時点で、在日の方としては特権的な、恵まれた地位にあるのだから、そのことの意味をもう少し考えてはどうか。君が受けてきたような教育を受けられない在日の人たちも大勢いるんだよ?」
これに対して私は適当にお茶を濁したのだが、あとあと考えてみて、これはかなり示唆的な内容を含むものではないか、と思うようになった。
小島は多分、善意で上のような「忠告」を行っているのである。だが、上の発言においては、
在日朝鮮人の日本人に対する従属的地位という前提は、微塵も疑われていないのである。ここにおいて、在日朝鮮人は、分をわきまえ、「良心的」な日本人を持ち上げる一方で、「良心的」な日本人から俗悪と見なされる人々(右派や歴史修正主義者たち)を攻撃することによってのみ、リベラル・左派ジャーナリズムで一定の社会的地位を許可される、という論理になっている。実際に、姜尚中にせよ辛淑玉にせよ趙景達にせよ、意識的にか無意識的にかそのように振る舞ってきたわけであり、姜や辛に関していえば、鉄砲玉としてそれなりに有能と見なされたからこそ、現在の地位を築けたのであろう。
したがって、そのような従属的地位に留まろうとしない在日朝鮮人は、
「分」をわきまえない存在であり、しかも、在日朝鮮人の中で自らが特権的であるということを自覚しない、甘えた存在であって(そういえば小島はスピヴァックらの『サバルタンの歴史』の担当編集者である)、在日朝鮮人全体の権益を侵害しかねない存在であるから、日本人からしても在日朝鮮人からしても不適格ということになり、擁護する理由はなにもないことになる。かくして、そのような在日朝鮮人を排除することは、日本人にとっても在日朝鮮人にとっても望ましい。
在日朝鮮人へのこのような認識は、小島だけでなく、恐らく、岡本厚『世界』編集長ほか、岩波書店幹部に共有されているものである。多分、日本のリベラル・左派全般、と言ってもいいのではないか。
そして、問題はむしろここにこそある。在日朝鮮人が「分」をわきまえた上で、従属的地位に置かれている上でならば、日本人は、いくらでも「共生」やら「反差別」やら「レイシズム反対」を主張してくれるだろう。小島の事例は、
<佐藤優現象>が持つ構図の外延を浮き彫りにしているのであって、<佐藤優現象>に象徴されるリベラル・左派の「国益」論的編成と、それへの批判的視座との境界線を示しているのである。
(金光翔)