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2010-04-08

[]情報弱者と呼ばれない為の四つの心得

 世間はデマゴギーに満ちている。

 「Hey Say Jumpが原宿に来た!」、「ザイール大使館が200人分の子供手当てを申請している」、「平沼与謝野が結成する新党の名前が『たちあがれ日本』」。

 これらは最近ある種の信憑性をもって流布された風説の一部だが、実際にはこれらは全てが嘘であり、人によってはこんなもの信じる方が馬鹿なのだと嘲笑ってしまいたくなるかもしれないが…………え、何? 最後のは嘘じゃなくて本当? じゃあ選挙で投票しようと思ったら投票用紙に「たちあがれ日本」とか書かなきゃならないの? マジで? ってか、何で党名が命令形になってんの? 頭おかしいんじゃないの?…………失礼。話が逸れてしまったが、かように今の世の中、何が本当で何が嘘なのかを判断するのは至難の業である。

 まして、メディアがテレビや新聞だけだった時代と異なり、現代を生きる我々はインターネットを通じて常に大量の情報に曝され続けている。

 「嘘は嘘であると見抜ける人でないと難しい」と言ったのは、「お前だけだから! 絶対結婚するから!」とフィリピーナを騙し続け、2年半タダマンを楽しみ続けた私の大学の先輩である、長沢弘一(仮)氏であるが、この言葉はフィリピンパブで働く女性ばかりではなく、日々の暮らしでインターネットを眺め続ける我々にも当てはまるのではないだろうか。

 たとえ、ジャニタレ子供手当ての騒ぎを鼻で笑って済ますことができる人も、twitterのTL上に「駅前で露出AVの撮影やってるなう」という呟きを見れば、会社や学校をサボって電車でGO! となってしまうのが人間という生き物だ。

 そこで、今日は情報強者となって世間の連中を鼻で笑いたい方々のために、世間を飛び交う流言蜚語に騙されない為に必要な心構えというものについて考えていきたい。

 

1:責任の取れない奴の情報は信じない

 世の中には、その発言の内容よりも誰が言ったかが重要視されることがしばしばあるが、情報というものも同様である。ソースの所在がどこにあるかが重要になってくるのだ。

 これは発信元が大手新聞社じゃなければ信用できないとかそういうわけではない。

 重要なのは、その情報を発信した個人の存在をちゃんと把握し、情報を吟味する前に発言元を吟味することである。

 こうしたことをきちんと確認していれば、万が一、その情報が嘘やデマだった場合でも、「俺はその情報を信じたのではない! 情報を流した彼を信じたのだ!」と強弁し責任の所在を他人に擦り付けることができる。

 逆にどんなに信憑性のある中身だったとしても、その発言元が匿名だったりすると、それが嘘だった場合、騙された責任が全て己にのしかかってくるので、反応しない方が良いであろう。

 

2:とりあえず嘘だと思う

 「人は信じたいものを信じるのだ」なんてことが、よく言われるがそんなもの嘘っぱちである。

 そりゃ、信じたいものを信じることもあるだろうが、信じたくないものを信じてしまう時だっていくらでもある。そうでなければオレオレ詐欺があそこまで流行るはずがない。

 人間の心なんぞちょっとした不安や願望、思い込みをつついただけで十二分に揺れ動くし騙されてしまうのだ。

 嘘だと思うなら、身の回りの人に「お前鼻毛出てるぞ」、「チャック開いてますよ」と言ってみればよい。こんな古典的な嘘ですら人は反応せざるをえないのだ。

 だから、とりあえず信用の出来ない情報はある程度落ち着くまで、嘘、大袈裟、紛らわしいものであると看做さなければならない。

 基本的に自分以外の人間は全て嘘を吐いていると考えて生きれば、騙されることはないのだ。

 清純派を装っている声優は皆枕営業で伸し上がってきたのだし、非モテを装っているbloggerは実際はオフ会で女をヤリ捨てているし、ジェームズ・ディーンは生きているし、このblogの主は美少女中学生である(先日進級しました(*^ー゚)/)。

 このような嘘にまみれた世の中において、何かを信じようという方が狂っているのである。

 無論全てを疑う懐疑論者のような生き方は貴方の精神を蝕み、心の病院への通院が必要になるかもしれないが、メンタルクリニックに通うというのは現代社会では決して恥ずかしいことじゃないし、そうした偏見こそが貴方の身を蝕む一因になっているのかもしれない。

 この現代社会では誰もが心に何かしらの疾患を抱えていると考えるべきだが、自分から病状を悪化させるのは問題かもしれないので、「本当とも嘘とも言い切れない事柄に関してはとりあえず疑ってみる」ぐらいのスタンスで臨むのが賢明であろうし、その第一歩として、まず私のこの文章を疑ってみるべきではないだろうか。


3:真偽が判明するまでは黙ってる

 ぶっちゃけ情弱と呼ばれたくなければ、これ一つ守ってれば充分である。ジャンケンは常に後出しが勝つし、お互いノーガード戦法ならば後から殴った方が勝つ。

 人間、誰だって騙されるときはある。日々研鑽を積み情報強者を自負する私でさえも、白いバラの花束を抱えたままハチ公前で6時間待ちぼうけを食らったり、業者からのメールに動揺し8万円を振り込んでしまったこともある。

 しかし、勘違いしている人も多いが、本当に大切なのは騙されないことではない。騙されたということを知られないことなのだ。

 嘘はバレなければ嘘ではないという言葉があるが、それと同様に、騙されたと気づかれなきゃ騙されてないのである。

 twitterで面白そうな情報を見たからといって、下手にRTなどしてはいけない。そんなことしようものならば、その情報が嘘だと判明した場合、騙されて被害者の立場にあるにもかかわらず「風説の流布に協力した情弱乙m9(^Д^)」などと馬鹿にされ、さらにはデマの頒布に協力した加害者であるなどと騙されたはずの自分が、騙した側に回ってしまうのだ。これが東洋に古くから伝わる忍法・順逆自在の術である。

 だから、ネットで怪しげな情報が流されているのを見たら、多少その内容が琴線に触れたとしても、知らぬ顔の半兵衛を決め込むのが大切だ。そうすれば全ての真実がわかった後に「俺は最初からデマだとわかってたしwwwあんな情報信じてる奴とかマジ情弱wwwwww」などとドヤ顔で勝ち誇ることができる。

 そもそも情報の速報性などにこだわらなくてはならないのは、株屋と新聞屋とニュー速民とアクセス数に餓えるbloggerぐらいなもので、一般市民が普通に暮らすのであれば、次から次へと流れてくるニュースに即座に反応する必要なんてこれっぽっちもないのだ。

 よっぽどの急ぎ事か生き死にに関係することでなければ、あやふやな情報に関しては続報が見られるまで、しばらく静観を決め込むのが冴えたやり方というやつであろう。

 

4:ネットとかやらない

 まあ、情報のプロフェッショナルの俺から言わせてもらえば、ネットなんてやってる時点で既に情弱である。インターネットに書いてある情報が全て真っ赤な嘘であり、テレビのニュースや学校の教科書で教えていることも、政府が我々を騙す為に作った捏造の集積物であり、真実とはそれぞれの心の中にあるもので、全てはベテルギウス星から出力される電波を受信した選ばれた8人の聖人達が踊り歌い火を囲んでその明かりの中に見えた輝きが人生であると同時に我々選ばれし地球人類がこの大宇宙において日々勢力を拡大し今日も美味しいご飯を食べられるのも農家と蟹の甲羅に映し出される戦争で死んだ祖父の顔に良く似た模様も言ってしまえば桜並木の中で花びらが散るかもしれないがしかし生まれてこの方海を見たことが無い人などいるのだろうかという問いにいるのかもしれないしいるとするならばその人は不幸だというかもしれないが我々が宇宙空間に旅立ったことが無くても充分幸せであるように海を知らない人には海を知らない喜びがあるかもしれないし海月に刺されて溺死するよりは海を知らない方がまだ幸せなのかもしれないが幸せとは歩いてこないものなので足が不自由なのであろうから車椅子か何かに乗っているのであろうが近年車椅子というのもなかなか進歩しているものであるので歩くのよりも速いのかもしれないが何より問題なのは幸せの方にこちらから歩こうにもこちらこそ寝たきりで歩けず車椅子なり松葉杖なりが必要になってしまう可能性だが宝くじと言うのは控除率を考えればギャンブルとしてはやるだけ損だというのは確率をちょっとでもわかる人ならば自明の理だとしても奥さんちょっと待って欲しい健康が何より大切だ健康のためなら死んでもいい死んだ先にはペテルギウス星が私たちの魂を祝福するかといえばいえよいわないいうときもしかしたらこの文章を書いている人は何も考えていないのかもしれないし何らかの方法を用いて真実に至った結果がこの文章なのかもしれないがそれを確かめる術はインターネットには存在せず真に重要なことは常に貴方の心の中と夜天に輝くベテルギウス星だけが知っているのだろうがしかししかしけれどもしかし(以下八百行省略)

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