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巨人小笠原の孤独を救った恩人

2010年04月09日17時00分 / 提供:ゲンダイネット

ゲンダイネット

 その顔に笑顔はなかった。7日夜の阪神戦。三回に甲子園球場初本塁打となる2ランを放った巨人の小笠原は、4安打の固め打ちでチームを3―0の快勝に導いたが、ニコリともしない。

 7日未明に木村拓也コーチ(37)がくも膜下出血のため死去した。チーム全体が深い悲しみに包まれる中、ユニホームの袖に喪章を着けて臨んだ特別な試合だった。小笠原は試合後、「木村コーチが勝たせてくれた。これからも全員で木村コーチと一緒に戦っていきたい」と言葉を詰まらせたのは、誰よりも木村コーチに恩義を感じていたからだ。

 今でこそ、坂本などの後輩選手に打撃指導をすることもある小笠原だが、日本ハムからFA移籍した07年の春季キャンプは孤独だった。当初、パ・リーグから来た孤高の大物選手に巨人ナインは声をかけるのをためらった。小笠原の方にも遠慮があって、なかなか新しい仲間との距離が縮まらない。宿舎近くの居酒屋で、ひとり寂しく背中を丸めて晩酌する姿も珍しくなかった。

 そんな小笠原に声をかけたのが、前年のシーズン途中に広島から移籍していた木村拓だった。同じ日本ハム出身で1歳年上。日本ハム時代に一緒にプレーすることはなかったが、無類の焼き肉好き、たばこ好きでもある2人は意気投合。試合後に一緒に焼き肉店に繰り出したことは一度や二度ではなかった。孤立していた小笠原がチームに溶け込めたのは、木村拓のおかげだった。小笠原はそんな“恩師”を「タクさん」と呼んで慕っていた。

●外様選手のオアシス

 小笠原だけではない。不振にあえいでいた李スンヨプも木村コーチとは家族ぐるみの付き合い。同じ外様で同級生の谷も何かといえば木村コーチを頼った。木村コーチはかつてこんなことを言っていたことがある。

「ガッツやスンちゃん(李)は普通にやれば凄いんだから。だけど、よそのチームから来ると、巨人はいろいろな重圧があって普通にできないことが多い。オレが声をかけて彼らが普通に野球ができるならお安いご用だよ。オレの何倍も稼いでいる高給取りに焼き肉をおごることもあるんだよ。そういうこともレギュラーではないオレの仕事だと思ってるんだ」

 小笠原の本塁打は、お世話になった木村コーチに捧げる弔い弾だった。

(日刊ゲンダイ2010年4月8日掲載)


関連ワード:
巨人  日本ハム  阪神  オアシス  レギュラー  

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