【コラム】漁船の乗組員、死んでも差別されるのか(下)

 第98クムヤン号の乗組員たちには、「天安」の乗組員たちのように、対策を求めて声を上げる家族もいない。遺体が発見されたキム・ジョンピョンさん(55)には、法的な意味で家族として認められる人が一人もいない。「息子を助けてくれ」と号泣する母親も、ショックのあまり失神する妻も、彼らにはいないのだ。第98クムヤン号の乗組員たちは、死んでも一人ぼっちというわけだ。

 彼らはただ、生計を維持するために漁船に乗らざるを得なかった、社会的弱者にすぎなかった。だが、彼らの行動は英雄的なものだった。忠清南道の近海でイイダコ漁をしている最中に、軍から要請を受け、操業を中止して事故現場へ向かった。操業した分だけ金を稼ぐことができる彼らにとって、操業を中止するということは、収入が減ることを意味する。

 彼らにとって(「天安」が沈没した)ペンニョン島の近海は、普段操業したことがない、不慣れな海域だったという。海底に石が多いため、底引き網を使うのは無理だ、という指摘も多かった。だが、彼らは無条件で、文句一つ言わずに国の求めに応じた。そんな彼らが英雄ではないというのなら、一体誰を英雄と呼べばいいのだろうか。

 第98クムヤン号の乗組員たちに対し、払った犠牲に見合うだけの礼遇をするをいうことは、国の品格にかかわる問題だ。他人のために犠牲になった人たちを冷遇する国は、まともな国とはいえない。李明博(イ・ミョンバク)大統領はなぜ、今すぐにでも第98クムヤン号の乗組員二人の殯所へ駆けつけようとしないのか。なぜ、法や制度が許す範囲内で最大限の名誉を与え、叙勲や補償を検討する、と宣言しないのだろうか。

 補償はインドネシア人の乗組員二人にも分け隔てなく支給しなければならない。韓国は国のために犠牲になった人に対し、国籍に関係なく責任を果たす国だということを、国際社会に示さなければならない。

朴正薫(パク・ジョンフン)記者(社会政策部長)

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朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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