【コラム】漁船の乗組員、死んでも差別されるのか(上)

 沈没した哨戒艦「天安」の行方不明者の捜索活動中に、大青島(仁川市甕津郡)の南西55キロの海上でカンボジア船籍の貨物船と衝突し、沈没した底引き網漁船「第98クムヤン号」には、9人が乗り組んでいた。このうち二人はインドネシア国籍で、残る7人は韓国人だった。われわれが心を痛めたのは、乗組員らが全員独身だったという事実だ。彼らの年齢は33-55歳。大部分が結婚適齢期をとうに過ぎていた。

 48歳のキム・ジェフ船長の弟は、新聞社のインタビューに対し、「兄は普段から、“海と結婚した”と言っていた」と語った。だがこれは、兄のことを案じる弟の気持ちを鎮めようとして口にした言葉であり、決して本気ではなかったはずだ。しかし彼らはなぜ、幸せな家庭を築こうとしなかったのだろうか。

 その理由は、あえて説明しなくても、ある程度想像できる。漁船の乗組員は、典型的な「3K(きつい、汚い、危険)職場」だ。危険な海で1日に20時間ほど働いても、収入は糊口をしのぐ程度だ。一たび出漁すれば、3-4カ月も海の上で過ごすことになる彼らが、伴侶を求めるのは容易ではない。そうした事情があるからこそ、余計に胸が痛む。

 彼らの多くは、貧しい弱者に何もしてくれない社会に対し、やり切れない思いを抱いているようにみえる。だが、そんな彼らが国の求めに応じ、本業を捨ててまで、荒れ狂う海へ駆けつけた。国を思う彼らの尊い犠牲は、行方不明になった「天安」の乗組員46人や、捜索活動中に殉職したハン・ジュホ准尉にも決して劣らないものだ。

 だが、われわれは彼らに対し敬意を表しているのだろうか。そう考えると、とてもむなしい気持ちになる。犠牲者の殯(ひん)所(出棺まで棺を安置する場所)はあまりにももの寂しく、また、彼らに協力を求めた軍や海洋警察は言い逃れに汲々としている。政府の対応や、国民的な追悼ムードもまた、「天安」の乗組員たちだけを対象としたものだ。韓国社会は死者にも差を付けようとするのだろうか。

 第98クムヤン号の「名も無き英雄」たちには、国民の関心を引くだけの逸話が存在しないのが現実だ。彼らは30年余りにわたり、海の中で特殊な任務を遂行してきた海軍特殊旅団(UDT)のような伝説もなければ、敵の海上での挑発行為に立ち向かった「海の盾」でもない。海に沈んだ仲間たちに向かって、涙を流しながら軍歌を歌った「UDTの男たち」がいるわけでもない。

【ニュース特集】哨戒艦「天安」沈没

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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