北朝鮮の人民保安省が部に格上げ

住民統制の強化が狙いか

 北朝鮮の人民保安省(警察庁に相当)が、最近になって人民保安部へと格上げされたことがわかった。北朝鮮の朝鮮中央テレビは5日、平壌市に10万戸の住宅が建設されているとのニュースを報じる際、「人民保安部建設旅団」所属のリム・ソンチョルという人物へのインタビューを映し出した。インタビューではリム氏も自らを「人民保安部所属」と明言した。

 人民保安省は形の上では内閣に所属している。しかし北朝鮮最高の権力機関である国防委員会直轄の「人民武力部(韓国の国防部に相当)」や「国家安全保衛部(同じく国家情報院に相当)」などと比較すると、人民保安省はやや格下だ。韓国政府当局者は「人民保安省が省から部に昇格し、国防委員会の所属になったかどうかははっきりしないが、権威や機能に変化があったのは確かなようだ」と述べた。

 人民保安部の本来の名称は「社会安全部」だった。1994年に金日成(キム・イルソン)が死亡する前までは、住民の統制がその役割だった。権限も非常に大きく、住民にとって社会安全員(警察官)は恐怖の対象だった。

 ところが金日成死亡後は事情が変わった。とりわけ1990年代後半の「苦難の行軍」では、社会が極度に混乱し、社会安全部の力だけでは住民の統制ができなくなった。そのため国家保衛部が住民の統制に乗り出し、社会安全部の権限は弱くなった。それにつれて住民も社会安全員より保衛部員の方を恐れた。社会安全部は1998年に社会安全省に格下げされた。

 金日成死亡直後、金正日(キム・ジョンイル)は権力を掌握するために、それまで政府で重要な地位にあった多くの人物を、韓国戦争(朝鮮戦争)当時米軍のスパイだったという濡れ衣を着せ、全国で激しい粛正を行なった。当時、これを実際に担当したのが社会安全省だった。しかし米軍スパイの疑いは後になってウソだったとされ、金正日は一転して粛正を行なった社会安全省政治局長だったチェ・ムンドクの責任を追求した。社会安全省の権威は低下し、2000年には人民保安省に改称された。

 今回の格上げについて北朝鮮の事情に詳しい消息筋は、「人民保安員(警察)に力を与えるための措置」とみている。昨年末に断行されたデノミ(通貨単位の切り下げ)に反発する住民を効果的に統制するために、保衛部以外に保安省の力も必要になった。そのため今回、人民保安省の権威を高める決定を下したということだ。

李竜洙(イ・ヨンス)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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