塾員・小泉純一郎君は強姦魔 |
週刊文春の新刊、3月25日号が発刊されるという、毎週木曜日に、お決まりになっている広告が朝日新聞に掲載されたのは、3月18日のことだったと記憶していますが、それによりますと独占スクープとして元外務大臣、田中真紀子さんのご家族が■■なさったという事実が取り上げられているようでした。
別に何ということも思わず読み過ごしたのでしたが、昼ごろのTVニュースでその記事のために、この週刊文春が出版禁止処分になったというようなことを伝えていたので、何事があったのかと不思議に思っていたのですが、その後、本屋の前を通りかかると、この本はいつも通り売られていました。
それで何となく購入したのでしたが、当の記事は別になんということもなく、新聞の広告の見出し以上のものは見られませんでした。
何か騙されたような気持ちで、何かこれにはウラがあるのではないかと勘繰り、他の記事まで一応皆に目を通しましたが、それほど問題があるような記事には出会えませんでした。
あえて言えば、「NY郊外でついに狂牛病が発症か」というジャーナリスト椎名 玲氏による記事ぐらいでした。
これによりますとニューヨーク郊外の人口一万一千人の町で、わずか九年のあいだに十人が狂牛病に似た症状で死んでいたことが明らかになった。しかも彼らを追跡調査したところ、全員が同じレストランでステーキを食べていた、というのです。
少し記事を引用してみましょう。
先月末、元米国農務省検査官のフリードランダー氏が本誌に告発した米国農務省の「BSE(狂牛病)虚偽疑惑」は、今後、米国で刑事事件に発展する可能性も浮上してきた。その後、虚偽の説明をしたという証言や証拠が次々と出てきて、ついに刑事捜査権を持っている監査局が捜査を開始することになったからだ。
そんな中、アメリカ国内で大変な問題が表面化してきた。先々週、ワシントンの民主党議員たちの会議に、ニューヨークから車で二時間のニュージャージー州のチェリーヒル地区に住むジャネット・スターベックさん(31)が呼ばれた。
彼女が連邦議会議員たちの前で説明したのは、彼女の友人が狂牛病で死んだ可能性があるからだ。
ジャネットはこう語る。
「友人のキャリー・マハンがBSEの感染によって死んだ可能性が高いのです。四年ほど前に倒れ、ペンシルバニア州立大学医学部の病院に運びこまれました。
そのまま集中治療室に入り一ヶ月半後の2000年2月24日に亡くなった。死因は孤発型クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)という神経難病に侵されたということでした。しかし彼女は当時二十九歳。この病気にかかる年齢ではなかったのです」
孤発型クロイツフェルト・ヤコブ病は百万人に一人の頻度で発症する難病で、患者は六十歳を超える高年齢層に多い。
この病気にかかると中枢神経が侵されるので、ふらつきや目眩、気分のムラが目立つようになったり、痙直、視覚異常、痴呆など神経症状が多い。キャリーの場合も、目眩や気分の変化などを訴えていたという。
「死亡する一年ほど前からキャリーの性格がガラリと変わり、攻撃的な性格になってしまい、気分のムラが激しくなった。それが原因で離婚もしています。私はキャリーがヤコブ病で死んだことについて何か釈然としないものを感じていた。
しかしキャリーの死因について再度、疑問が浮上し調査しようと思ったのは三年後。母の友達のキャロル・オリーブも五十代で孤発性ヤコブ病により2003年5月に亡くなったことがきっかけでした。キャロルとキャリーには共通点があり、今はクローズされている地元の「ガーデン・ステイト競馬場」に勤め、いつもそこのレストランで昼食を摂っていたんです」
百万人に一人という病気が、一万一千人ほどしか住んでいないチェリーヒルで立て続けに発症、しかも二人とも同じレストランで食事をしていた偶然性に疑問を感じたジャネットは独自調査を進めることにした。
すると1995年から2004年のあいだにこの地区だけで十人が孤発型クロイツフェルト・ヤコブ病にかかり死亡していたのだ。しかも全員が競馬場のレストランで食事をしたことがあるというのである。
「死者の職業は様々、年齢も性別もバラバラでしたが、唯一の共通点はこのレストランで牛肉を食べていたということです。ここの人気ランチメニューは特大サイズのリブステーキで、ポテトもついて五ドル九十九セントで出されていた」
彼女たちを見てきた医者たちはこぞって死因を「クロイツフェルト・ヤコブ病の中でも変異なもの」と診断している。
狂牛病は正式には「新型クロイツフェルト・ヤコブ病」といい、潜伏期間は五年から二十年、発病したら最後、脳がスポンジ状に変異し、死に至る病気だ。つまり、彼女らの病気はきわめて狂牛病に似ているのである。
「新型の特徴は二十代から五十代までの比較的若い人に見られるということですが、チェリーヒルでは半数がその年齢で亡くなっています。また、痴呆の症状は孤発型ヤコブ病より出にくいので、入院する直前までキャリーのように症状が見られない人が多いのです」
キャリーの場合、担当医師がまず、ヤコブ病の中でもさらに変異的なタイプであると診断した。その後、米国厚生省の機関の「病理管理・予防センター」に彼女の脳サンプルを送ったところ、国立プリオン病センター部長のピエールキイギ・ギャンベッティ医師は脳組織の中にプリオンが見られなかったとヤコブ病であることすら認めなかった。
しかしキャリーの母親はその結果に納得できず、名高い神経学者であるサウスキャロライナ・クラフリン大学のオマー・バガスラー博士に再検査を依頼した。その結果「BSEの感染による変異的なクロイツフェルト・ヤコブ病の可能性が高い」と診断されたのだ。
他にも五ヵ所でヤコブ病集団発生 |
バガスラー博士は、なんらかの圧力が働いて米国政府は正しい診断を下していないと指摘する。
「私が、彼女の母親に依頼されて検査をしようと彼女の入院した病院側に脳のサンプルの提供を申し入れたが病院は提供を拒否。仕方なく弁護士を立てて、わずかな脳細胞のスライスを手に入れることができました。
その少量の細胞からはプリオンは発見できませんでしたが、細胞の様子は明らかにクロイツフェルト・ヤコブ病であり、それも通常のものとかなり違って、脳細胞全体がスイスチーズのようになっていました。プリオン検査では陰性でしたが、まるでプリオンが存在したかのような脳細胞。私はBSEの感染から起きる新型の中でも新種のクロイツフェルト・ヤコブ病ではないかと考えています」
キャリーの脳はケストンウェストン病院のキャンバリ博士にも送られていたが、分析結果はほとんどバガスラー博士と同じだった。このように権威ある医師たちが狂牛病に近いと判断を下しているのにもかかわらず、米国政府は何の動きも見せなかったばかりか、表面化を押さえている、とバガスラー博士は語る。
「ヤコブ病は国に報告する義務が医師にはないため、多くの医師は積極的に調べようとはしません。キャリーは若くして亡くなったために、母親が原因を追及したという珍しいケース。中高年になってヤコブ病になった場合、親族がその死因を突き詰めようということは少ないと思います。この病気は生前診断はあくまで状況診断でしかなく、死後に脳細胞を調べてはっきり分かるものですから。ましてBSEによる新型ヤコブ病の発症など、さらなる検査をしなくては判明できない。アメリカの病院ではそこまで検査を重ねません。
また、国の機関に脳検査などを持ち込んでも、ほとんど検査は行ってくれない。地元の保健局に渡してしまい、そこで適当に握りつぶされているのが実情です」
実はチェリーヒル以外にも、クロイツフェルト・ヤコブ病の集団発生が起きている。
1986年〜90年 ペンシルバニア
レイアレン地区で18人
1989年〜92年 ペンシルバ アレンタウン地区で15人
1996年〜97年 フロリダ タンパ地区で18人
1999年〜00年 ニューヨーク州 ナッソー地区で12人
2001年〜02年 オレゴン州全体で14人
「孤発型クロイツフェルト・ヤコブ病は集団発生するものではありません。可能性として考えられるのはBSEの人への感染です。これらの集団発生に関してアメリカ政府はひとつも調査を行っていないのが現状です」(前出・バガスラー博士)
アメリカではアルツハイマー病、あるいは痴呆症と診断される人は年間四百万人にのぼるが、複数研究機関の合同研究でこのうちの3〜13パーセントが実際はヤコブ病であったことが判明している。ということは、少なく見積もっても12万人がヤコブ病の公式統計に含まれていない可能性があるのだ。
「私はすでにアメリカ中にBSEが蔓延していて、死者が多発しているのを必死に隠していると思っています」(前出・ジャネット)
全頭検査に反対する巨大精肉加工業者 |
彼女が民主党の議員たちの会議に呼ばれた際、「アメリカ農務省は他にもBSEの牛がいることを見つけているが発表していない」とある議員が話していたという。
「情報を隠蔽してしまう体質が農務省の最大の問題点です。また、消費者やマスコミが声を上げて問題を追及することもままならないのです。それは多くの州に農産物名誉毀損法というおろかな法律があるからです。
これは、正当な科学的根拠もなく農作物を批判することを禁じるというもの。実際に有名な黒人タレントのオプラ・ウィンフリーが食べ物を非難する発言をし、告訴されています。しかし、アメリカの多くの消費者は検査代を負担しても安全な肉を食べたいと考えているはずです。日本のように検査キットを使い二重三重のチェックをしていくことが重要なのです」(同前)
米国の食肉加工業者の中には、消費者の声を受け、自分の解体場で処理する牛に関して全頭検査をしていこうという動きが出てきている。中堅の精肉加工業者「クリークストーン・ファームズ」もそのひとつだ。
この会社は今後、全頭検査を実施していく方針を明らかにし、日本などに向けた輸出分から順にキットによる全頭検査をしていく計画を示し農務省に許可を申請した。ジョン・スチュワート社長によると一頭あたりの検査費用は約二十ドルで済むという。
だが、農務省はこの申請を却下しただけでなく、もしも業者が勝手に全頭検査に踏み切った場合、刑事責任を含む法的な措置をとると脅かしてきたのだ。しかしスチュワート社長はこう語る。
「中小の精肉加工業者の六割が全頭検査を望んでいます。日本がもし民間の第三者機関を通した検査でも認めてくれ、輸入を再開してくれたら、多くの精肉加工業者は農務省の指導を無視して自主的に牛を検査に回すでしょう。検査に反対しているのは農務省を意のままにうごかしている巨大な精肉加工業者なのです」
アメリカでもし人へのBSE感染が確認されたとしたら、日本では牛丼が食べられないどころの騒ぎではない。輸血製剤の安全性など人の命に直接かかわってくる大問題になるのだ。
以上が、「同じレストランでステーキを食べた10人が似た症状に」という副題がついた「NY郊外でついに狂牛病が発症か」
という記事の一部始終です。
確かに非常に興味深い記事なのですが、何日か後の朝日TVの昼のワイドショウでも同じような内容の話をしていたようです.
するとこの記事のため出版禁止されたのではなく、やはり田中真紀子氏の家族に対する記事によって、週刊文春に対して「出版差し止め仮処分命令」が下されたと考えざるを得ないのでしょうか。
確かにこの家族のプライバシーを守ることも大事でしょう。公益性があるとも思えない記事をスクープとして「売らんかな」商法で出版した週刊文春は悪いと思います。
この家族にとっては、自分は私人なのだから、世間に広く知られたくない事柄を記事にして欲しくないという気持ちは良くわかります。
しかし、そう言っては何ですが、こんな程度のことで東京地裁が出版の事前差し止めを認めてしまったというのは驚きです。他の記事が全く読めなくなってしまうわけですから。
週刊文春もこんな記事をやめて、「NY郊外でついに狂牛病が発症か」をスクープとして、専門家の詳しい解説をつけていただいたほうがずっと良かったと思います。
私人ではなく、公人のスキャンダルなら面白く、公益のためにもなることが多いので賛成ですが・・・。
週刊誌などは、そのへんのところに存在価値があるように思います。
商売ですので消費者に購入してもらって、雑誌を存続させねばならないので、多少のキワモノは仕方がないと思いますが、もう少し頑張っていただかなければならないと思います。
週刊現代や週刊ポストなどはスッポンポンの女の子の写真を掲載して、読者を獲得しようとしましたが、写真を希望する読者と実のある記事を読みたい読者とがほとんど一致しないようになり、週刊現代の方は卑猥な写真は載せないようにしたようです。
ところで2004年7月16日の読売新聞の1面には「BSE 、全頭検査見直しへ」という文字が踊っています。
内閣府調査会報告書案として「若い牛除外」と言うのです。
BSE(牛海綿状脳症=狂牛病)対策として、食肉処理されるすべての国産牛を対象にした現在の検査体制のあり方を検証してきた内閣府の食品安全委員会プリオン専門調査会(座長=吉川泰弘・東大教授)は十五日、「感染を検出できない若齢牛を検査対象から外しても、人の健康へのリスクに影響しない」とする報告書案をまとめた。十六日の同調査会で公表される。政府は全頭検査を見直し、検査対象を一定月齢以上の牛に限定する方向で検討に入る。
米国産牛肉の輸入再開を巡る日米協議では、米国が「全頭検査は科学的でない」と主張しており、日本側の見直し方針で、輸入再開に向け、協議が加速するとみられる。
同調査会は、国内で初めてBSE感染牛が確認された2001年秋以来、検査頭数が約三百四十万頭に達した全頭検査について、世界的にも珍しい生後二十一か月や二十三か月の若齢牛の感染例を見つけた点などを評価。しかし、現在の検査技術では、病原体である異常プリオンの蓄積が少ない若齢牛については、検査しても感染を発見できないという限界があることを指摘した。
食肉の安全のためには異常プリオンが蓄積しやすい脳などの特定危険部位(SRM)の除去が重要で、現行通り全頭からSRMを除去していれば、若齢牛を検査対象から外しても、人が感染牛を食べて発症する新型のクロイツフェルトト・ヤコブ病になる危険性が高まることはないと結論付けた。
現在BSEの全頭検査を行っているのは日本だけで、欧州のほとんど国では生後三十か月以上を検査対象としている。日本の科学者の間でも「若い牛を検査しても意味がない」として、見直しを求める声が上がっていた。
一方、米国ではこれまで、神経症状などを示した牛を中心に検査。検査頭数を増やすなどの強化策を打ち出しているが、全頭検査については、「三十か月以上を検査対象とするのが国際的な基準」と消極的で、全頭検査と同等の措置を求めてきた日本側との協議は平行線をたどっていた。
同調査会は、どのくらいの月齢以上の牛なら感染を検出できるかについては、現在の知見では明確に出来ないとしている。今後、農水省や厚生労働省が検査対象とする月齢の線引きを検討するが、生後二十か月から三十か月の間になるとみられる。
また関連記事として「米牛肉輸入、年末再開も」というのが同日の読売にあり、それによれば
政府が十五日、国内のBSE(牛海綿状脳症=狂牛病)対策として行っている全頭検査を見直す方向で検討に入ったことで、昨年末以来、停止している米国産牛肉の輸入が、早ければ年末にも再開される可能性が出てきた。
日本は、BSEの発生した米国産牛肉について、国産牛肉と同じ全頭検査を求めている。今後、国産牛肉の基準が緩和され、若齢牛が検査の対象から外れると、食肉処理される牛の85%が生後二十か月前後までの若齢牛である米国からの輸入も、再開できるようになる。
米国産牛肉の輸入再開を巡り、日米両国は二十一、二十二日の専門家による作業部会で科学的見地からの認識を一致させたうえで、八月の局長級協議で決着を図る方針を確認している。政府が全頭検査を見直す方針を決めれば、局長級協議で「再開」の方向性が打ち出される可能性がある。その場合、所定の手続きを経て年末から年明けにかけて輸入が再開できそうだ。
と言うことです。
米国で狂牛病が発見されて以来、米国産の牛肉は輸入禁止になっており、解禁のためには米国も日本と同様の全頭検査をすべしと言う日本側に対し、米国は「全頭検査は科学的でない」と反論してきました。
「効率的でない」と言うのなら理解できなくはないのですが、「科学的でない」と言うのはどういうわけかと不審に思っていましたが、どうやら米国側は生後30ヶ月以内の若齢肉は検査しても、BSEの感染を明確に判定することができないと主張している模様であります。
しかし日本での全頭検査によって、生後21ヶ月や23ヶ月のBSEに感染した若齢牛が見つかっているわけですから、若齢牛の検査が「科学的でない」ということにはなりません。
むしろ効率的ではないが、有益であると言えましょう。
若齢牛の検査には限界があり、陰性であっても油断はできない。それゆえ検査のみに頼るのではなく、脳や脊髄など、異常プリオンの蓄積しやすい特定危険部位を、いかに完全に除去するかということに政府や専門学者や精肉加工業者が真摯に話し合い、取り決めを設けるべきでしょう。今後若齢牛の検査も、より信頼の置けるものとなるでしょう。焦る必要はありません。全頭検査は無意味では決してありません。
それにしても生後30ヶ月と25ヶ月の牛というのは簡単に見分けがつくのでしょうか。もしかすると牛の蹄に年輪のようなものがあるのでしょうか。こうした点を詳しく教えていただきたいと思ったことでした。
「米国では狂牛病が、隠されてはいますが、蔓延して多数の死者が出ている」というのは本当のような気がします。
こんな記事を見ているとこの内閣府の食品安全委員会プリオン専門調査会(座長=吉川泰弘・東大教授)は「初めに輸入再開あるべし」で動いているような気がしてなりません。
どうもアメリカの圧力のままに動いているようです。日本国民のために専門調査をしているようには思えません。
小泉内閣がアメリカに弱い、言いなりである、それは小泉純一郎がアメリカや北朝鮮を初めとする諸外国に、秘密を握られており、言いなりにならざるを得ない、つまりアメリカのポチにならざるを得ないと、巷で囁かれているあの事実もあながちピントはずれとは言いにくいのです。
イラクに、ろくに議論もしないで派兵してしまったのも、北朝鮮に拉致問題がまったく決着もしていないのに、と言うより何の進展もないのに、食料援助、医薬品援助を早々と約束してしまったことなど、程度の低い人だと呆れてしまいます。
たしかに人道支援というわけですから、バーター取引のようなことは品が悪いかもしれません。しかしこうした援助は北朝鮮の本当に誠実な回答が得られない限り、もっと厳しい態度で臨まなければならないでしょう。小泉が最初に北朝鮮に行ってから、随分時間がたちます。
たしか横田めぐみさんは自殺をなさり、病院の裏山に埋葬された。ところが小泉が最初に北朝鮮に行ったほとんどその時に、元の夫が遺骨を別の場所に移したと新聞に書いてあったように記憶しているのですが、それなら今どこにあるかすぐにわかると思うのですが、不明のままです。
どうも塾員でもある小泉純一郎氏はおそまつな振舞いが目立ちます。
ご存知の方も多いのですが、まだまだ「この事実」は一般的に知られているとは言い難いので、事実をはっきりとしておく方が、国益にかなうというものでしょう。
本HPのような無力なHPではなかなか数多の人々に読んでいただけないので、週刊誌に倣って、キワモノを載せることもしなければならないかもしれません。こういうものを掲載する方が人の口に上りやすいと思われます。
ただ公人中の公人というわけですから、文句はないでしょう。「人生いろいろ」などと浮かれていてもらっては困ります。
左に示しましたような「財界にっぽん」という雑誌があります。これは2002年6月号なのですが、おもしろい記事が掲載されています。
表紙をご覧いただくとお分かりのように、「特別対談」として
「わが社なら課長止まりの人材ですから
そんな人に首相をやらせるのはかわいそうです」
というような記事があるのが分かります。
地味な見出しですから、本屋で見つけても、気に留める人も少なかったかも知れません。
この記事は藤原 肇という国際問題コメンテーターと小串正三という元フランス三井物産総支配人の対談です。
記事によれば藤原氏は次のように紹介されています。
1938年生まれ。東京都出身。グルノーブル大学理学部地質学科卒業。理学博士。多国籍企業で石油開発に従事した後、米国で石油会社を経営。国際問題コメンテータとしてカリフォルニアに住む。「オリンピアン幻想」(東明社)、「夜明け前の朝日」(鹿砦社)など著書多数。
他方小串正三氏は
1914年生まれ。山梨県出身。旧制5中を経て東京外語大学フランス語科卒業。三井物産に入社してベトナム、トルコ、ベルギー、フランス各地で貿易業務を担当。フランス三井物産の総支配人を最後に定年退職した後は、東京の中野で老後の生活を楽しんでいる。
「わが社なら課長止まりの人材ですから、そんな人に首相をやらせるのはかわいそうです」というタイトルを見た時は、三井物産がそんなにいいものかいと思いましたが、記事を読み始めると、小串氏はなかなかの博学で、でたらめを言ったりするような人ではないということはすぐわかりました。私もそうですが、私よりずっと若い方は読みにくいかもしれませんが、かまうことなく、とばし読みしてください。雑誌や週刊誌と言うものはいつまでも本屋にあるものではなく、花火のようなものです。それゆえ資料として、多くの人の手元にあるようになるべく正確に引用させていただきました。
ご両方および出版社にはお礼申し上げます。
「わが社なら課長止まりの人材ですから、そんな人に首相をやらせるのはかわいそうです」
「小泉首相が三十年前に起こした不祥事と留学経歴の真相」とは…。
日蔭茶屋から日影茶屋への時代の変遷
藤原 だいぶ以前のことだったと思うのですが、食事をしながら小串さんの思い出話をうかがった時に、関東大震災の時のドサクサに紛れて虐殺された、アナキストの大杉栄に良く出会ったという話を聞きました。そこでお願いですが、今日はその話をもう一度じっくりと聞かせて頂きたいのですが……
小串 そうですか.実は大杉栄と会ったのは未だ子供だった頃です。不思議な縁とでも言ったら良いのでしょうか、彼は東京外語のフランス語科を卒業しており、三十年ほど遅れて外語のフランス語科に入ったので、いうならば、私は後輩になったという関係になります。しかも、私は子供の頃に逗子に住んでいたので、葉山の日蔭茶屋という割烹旅館に滞在していた大杉さんに、何度も出会っているという体験をしています。
藤原 小串さんと大杉栄とが不思議な縁で結ばれているとしたら、今の私はそれ以上の因縁があるみたいであり、実は今度の訪日の前に作家の小島直記さんから手紙が届き、「逗子の日影茶屋でお食事を差し上げたいので、滞日中に時間が取れるなら連絡を頂きたい」というお招きを受けました。そんな有難い招待が縁結びになりまして、数日前に逗子に出かけ葉山の日影茶屋で鮮魚料理をご馳走になりました。
小串 そうですか、それは良かったですね。日蔭茶屋の料理ならば最高のもてなしであり、あなたも得難い経験をなさったことになります。
藤原 幸運でした。また、大杉栄が利用していた頃は日蔭茶屋として、割烹と旅館を兼業していたということですが、戦後は看板を日影茶屋に改めて料理屋だけになり、同じ発音でも営業内容が変わったのだそうです。そういえば、大杉が殺された関東大震災から既に八十年ちかくも経っており、「明治は遠くなりにけり」というが大正も遠くなって、時代の移り変わりには目を見張るものがあります。
小串 本当にそうですな。また、葉山の日蔭茶屋と言えば、大杉栄が若き日の神近市子に刺された彼の常宿として有名ですが、小島さんがあなたをそこに招いた理由には、大杉栄がらみの話が関係していたのですか。
藤原 そのようです。実は最近の雑誌に活字になった記事を幾つか、「オリンピアン幻想」(東明社)と一緒に小島さんにお送りしたのです。そうしたら、小島さんがそれに関連して雑誌の連載記事に、「藤原氏のエッセイ、対談記事を読み、全文にあふれる憂国、愛国の熱情に、久々に青年のような興奮を感じた。日本のジャーナリズムは、藤原氏の指摘に耳を傾け、コマーシャリズムに毒された現状を謙虚に反省すべきである」と書き、その掲載誌と共に日影茶屋への招待の手紙が届いたのです。「アナキストの大杉栄は内相を務めた後藤新平のスパイだった」ということが、雑誌に出た記事や拙著の中に書いてあるので、そこで小島先生は日影茶屋を思い当たったのでしょう。
小串 確かに、日蔭茶屋は大杉ゆかりの場所としてピッタリです。
特高の尾行付きの大杉栄に続く東郷元帥の散歩姿
藤原 そこで食事をしながら大杉栄や甘粕正彦が話題になり、フランス物産の総支配人だった頃の小串さんが、パリで私を息子にようにして下さったことを始め、東京外語の先輩の大杉栄に葉山で何度も会った話が出ました。そこで、今日は小串さんが大杉栄に会った時の模様について、より詳しい説明をして欲しいのですが……。
小串 そうでしたか。私が未だ小学校の一年か二年生の頃でしたが、母親に連れられて良く葉山の海岸を散歩しまして、その途中で大杉栄に何度も出会ったのです。向こうから難しい顔をした小父さんが歩いてきまして、軟禁されているのかいつも後ろに特高警察が付いており、それが大杉栄という人だと知ったわけです.
藤原 特高警察は制服ですかそれとも私服でしたか。また、大杉は洋服ですかそれとも着物姿でしたか。
小串 着物姿でブラブラと散歩しているのです。大杉栄の後ろに付き纏う特高はもちろん私服ですが、別に隠れて尾行しているのではなくて、そばに近づいたり離れたりで黙って歩いているのです。大杉栄も監視されているのを知っているから、自分のペースで散歩しているわけであり、ボディーガードのつもりかも知れません。
藤原 当時の大杉は日蔭茶屋を仕事場にしていて、そこに愛人たちが訪ねて来て泊まったりしていたことは、大杉の「自叙伝」(岩波文庫)に書いてあります。彼は四谷の家に妻の保子を置き去りにしており、本郷の菊富士ホテルでは伊藤野枝と同棲しながら、仕事部屋にしていた日蔭茶屋の二階の部屋に、時々だが愛人の神近市子が訪れたりして、実に奇妙な四角関係で絡み合った生活をしてます。
小串 アナキストだった大杉流の自由恋愛でしょう。話を散歩の場面に戻しますと、いつも向こう側から特高付きの大杉栄が近づいて来るので、それを見ると私の母が「あの小父さんは悪い人だから、近づいてはいけません」と言って、手をぐいぐい引いて横道に引っ張って行くのです。どうして悪い人か良く分からないから、きっと伝染病でも持っているのだろうと思い、私は恐い人だという印象を強めました。そして暫く行くと今度は散歩している東郷元帥が近づくので、そうすると母親がニコニコ顔になって、「あのお爺さんは良い人だから、お辞儀をしなさい」と言うから、近づいて行って「小父さん今日わ」と挨拶すると、「おお、坊や元気かい」と頭を撫ぜてくれるのです.そんなことが何度もあつた記憶が鮮明に残っていて、これが大正時代の思い出になっています。
藤原 東郷元帥も逗子に住んでいたとは面白いですね。
小串 海軍の拠点だった横須賀や久里浜に近いので、逗子の町に隠棲したのでしょう。
藤原 それで、小串さんは逗子のお生まれですか。
小串 生まれたのは山梨県ですが.赤ん坊だった頃に父が転勤になったので、逗子で子供時代を過ごしたのです。というのは、父が「真白き富上の嶺」の歌の遭難事故で有名になった逗子開成中学の国文の先生をしていました。関東大震災で家が潰れて東京の滝野川に引っ越し、西が原にある東京外語のフランス語科に入ったので、恐い小父さんだった大杉栄の後輩になったということです。
パリに繋がる東京外語のフランス語科人脈
藤原 大杉が学んだ東京外語フランス語科と言えば、読売新聞のパリ特派員だった松尾邦之助さんも、小串さんと同じフランス語科の出身ですが、私は彼からフランスの新聞の読み方を教わりました。
小串 松尾さんは大先輩でお世話になっており、私が学生だった時ペンパルを持つのが流行していて、丁度その頃に彼がパリに駐在していたので、ペンフレンドを捜してもらったりしました。松尾さんがパリの新聞に広告を出してくれて、山のような返事の手紙が学校に届いたので、クラスの仲聞と手分けして相手を選びました。そして、「自分はフランソワーズとマリアンヌにする」とか「君はアンリエットにしろ」と言う具合に、女の子だけを選んで分け合ったことを覚えています。
藤原 私も中学生の頃にアメリカやフランスにペンパルを持ち、苦労して手紙を書いた思い出があるが、同じように女性を文通相手に選びましたよ。
小串 いつの世でも男の子の考えることは似ていて、異国のマドモワゼルと文通することに憧れを抱き、外国に行く夢の実現を目指したものです。今時の若者には余りはやらないかも知れないが、昔は外国が非常に遠い存在だったこともあり、海の彼方の国に対して大きな憧れを持ちました。だから、外国に行けるということが最大の理由になって、私も三井物産に入社したのですが、最近の若い人は海外に転勤になると聞くと、会社を辞めるという人が商社でも増えているそうです。
藤原 私の青春時代は未だ海外渡航も制限されていて、外国に行くこと自体が憧れの的だったが、先ずは言葉の勉強をすることが先決でした。私は中学生の頃にフランス語の独習を始め、高校の2年から大学生にかけて市が谷の日仏学院に行き、一般教養の授業をカトリックの神父から受け、彼らの博識ぶりや議論好きに驚きました。ユーゴやモリエールの訳読に苦労しましたが、仏文和訳などは武者小路実篤の戯曲がテキストだし、授業の中にフランスの新聞購読というのがあり、松尾邦之助さんの手ほどきで「フィガロ」や「ル・モンド」を読み、一年ほどじっくり生きた言葉の訓練を受けました。
小串 松尾先輩はサムライ記者だったから、パリでは人生を大いにエンジョイしたようで、エッセイ作家として軽妙な本をかなり残しています。
藤原 彼がフランス娘と同凄していた青春賛歌を始め、エロスにまつわる面白い本を書いていたので、甘美な生活を楽しんだのは確かでしょう。それを画家の藤田嗣治やパトロン男爵の薩摩次郎八と重ね合わせて、パリの生活のイメージを思い描いたものです。でも、ある日のこと洗足池の近くの松尾家を訪ねて、松尾さんもパリ戻りの明石元二郎と同じであり、日本では実に地味な生活をしていました。
小串 当時の日本人は単身赴任で外国に出かけたから、向こうでは同棲でも冒険でも何でも自由気儘だったが、日本に帰国すれば世間のしがらみの中で、永井荷風や南方熊楠のように日本化して、土俗的にならざるを得なかったのでしよう。
後藤新平内務大臣のスパイだった大杉栄
藤原 大杉栄と一緒に殺された伊藤野枝は個性的な女性で、福岡から上京して上野高等女学園の生徒だった時に、教師だった辻潤と同棲して大スキャンダルになり、その後に辻と結婚して息子を二人つくっています。そして、次に大杉栄と同棲関係に入って子供を三人生み、中でも有名なのは「魔子」と名づけた娘です。
小串 辻潤はオスカー・ワイルドの小説を翻訳したりして、ダダイストとして一世を風靡した作家ですね。大杉栄と一緒に殺された伊藤野枝が、辻潤の妻だったとは迂闊にも知らなかったけれど、辻さんもパリに足跡を残した文化人です。
藤原 松尾さんから聞いたように思うのだが、辻潤は読売新聞の海外文学特派員の肩書きで、パリに常駐して活躍していたらしいです。何か辻のパリでの話について聞いたこととか、それに関連した本について御存じないですか。
小串 松尾さんは大学もパリ生活も大先輩だが、それよりも古い時代のことだから私は良く知りません。しかし、辻の愛人だった伊藤野枝が日蔭茶屋にいた所に、神近市子がやって来て話がこじれてしまい、大杉が神近に刺されたのが葉山事件です。
藤原 刺される直前に大杉が後藤内務大臣の所を訪れて、三百円の資金を内密に貰って来た話は,「自叙伝」の中に書いてあるから知られており、これが大杉スパイ説の根拠になっています。後藤新平は板垣退助が岐阜で演説している時に、襲撃されて「板垣死すとも自由は死なず」と叫んだ現場に駆けつけ、医師として治療をした経験の持ち主です。しかも、各地の県知事を歴任した安場保和の次女の和子を妻に持ち、愛知県病院に勤務していた若き日の後藤は、恩人で岳父の安場の引きで中央官界に出たのだし、この安場は横井小楠の弟子でもありました。また、福岡県知事だった安場を玄洋社の頭山満や杉山茂丸が尊敬し、しかも、後藤が民生長官として仕えた児玉源太郎総督に対して、政界の大黒幕だった杉山茂丸が私淑していたのです。
小串 じゃあ、後藤の人脈は高野長英だけでなく、横井小楠にまで広がるわけですね。
藤原 しかも、「夜明け前の朝日」(鹿砦社)の中に書いてあるが、後藤が名古屋時代に作った娘の静子の息子が、メキシコに渡った左翼演劇家の佐野碩であり、彼は画家のシケイロスと組んでトロツキー暗殺に関連しスターリニストだったと考えられています。また、静子が結婚した医者の佐野彪太の兄が佐野学で、野坂参三とは遠戚関係で繋がっており、野坂の身内は神戸のモロゾフ製菓の筋でして、その周辺には警保局長や特高課長が多くいる。しかも、後藤新平は凄い国際感覚と政治手腕の持主だから、弾圧し易いようにシンパを結集するために、共産党を組織してスパイを潜り込ませたり、ソ連の外交官ヨッフェと親交を結ぶことで、英国流の帝国主義の実行を試みています。
小串 後藤新平は初代の総裁として満鉄を育て、日本における東インド会社にしようと考えたのだし、その延長線の上に満州国が作られたのです。
大杉栄の渡仏とパリに錯綜するスパイ人脈
藤原 そうです。ただ、当時の日本は軍事至上主義に毒されていたし、民主的な植民地経営を実現するためには、ソフトの分かる人材が不足していたために、秘密警察によるスパイ工作と思想統制によって、全体主義国家にと偏向してしまったのです。
小串 後藤新平が野坂参三や佐野学などを効果的に使い、共産党を作ったという藤原さんの仮説は、これまであなたが著書で強調していたから、ここでは素直に受け入れて置くとしましょう。そうなると、伊藤野枝が大杉栄の内妻になったのは、純然とした恋愛ではなくてスパイのためであり、「くの一忍法」であると考えるわけですか。
藤原 さあね、その辺は個人の内面問題に関係するので、本人以外がこうだと断定するわけには行かないし、大杉栄だってそこまで疑わなかったから、何人も子供を作って可愛がったのだと思います。また、金を渡すことで大杉の軟化を試みるように、後藤に入れ知恵したのは杉山茂丸だろうし、杉山ならそれくらいの工作は朝飯前に等しく、太っ腹の後藤なら一つ返事で了承したに違いありません。しかも、大杉のフランス行きの半年前に日本共産党が誕生しており、アナキストとはいえ大杉はポリシェビキと一緒に、協力してやっていけると信じていたことは、後藤が考える路線と共通していたから、スパイの秘密任務を引き受けていたかも知れません。
小串 後藤のスパイである伊藤野枝の影響もあり、大杉がフランスに特殊任務を帯びて渡ったとなれば、その目的はどんなものだったのでしょうか。
藤原 今の段階ではあくまで仮定の推論だが、陸軍のシベリ了出兵の背後関係を始め、フランスのフリーメーソン(大東社)の動きについて、調べることだったのではないかと思います。だが、脇が甘くじっとしていられない大杉は、ボルトーマイヨーに近い日本人会への出入りを始め、パリに住む多くの日本人画家とつき合い、持ち前の派手な行動を大胆な形でやったわけです。しかも、第一次大戦後の円高のお蔭で当時のパリには、二百人を超える日本人画家が住み着いていたし、その頂点に立つ藤田嗣治は陸軍に頼まれて、怪しい日本人に対しての監視をしていたのです。
小串 あの藤田画伯が陸軍のスパイ役とは不思議ですね。
藤原 ちょうどソ連邦が誕生したばかりであり、シベリア出兵がらみで後藤外相が動いたし、当時パリにいた佐藤紅緑は大杉に会った時に、後藤新平の支援で渡仏したのかと聞いたほど、国際関係は非常に流動的だったのです。だが、そんな微妙な情勢を無視する大杉の大胆な行動は、彼一流のスタンドプレーヤー的性格のせいで、メーデー集会で演説を試みて警察に捕まり、パリの南のサンテ刑務所に拘留されてから、国外追放ということで放免になり帰国したわけです。また、大杉が日本に帰国して二ヶ月後に関東大震災が起き、その時に彼は伊藤野枝や甥の橘宗一と共に、東京の麹町憲兵隊で虐殺されています。
小串 下手人は憲兵大尉の甘粕正彦だと言いますね。
藤原 ええ、そう言われています。ほとんどの歴史書には甘粕が殺したとあるが、彼が真の下手人だったかどうかは大いに疑問です。むしろ、甘柏大尉が殺人の罪を負って服役したので、陸軍全体に対して貸しを作ったことにより、その後の地歩を築いたような感じがします。だから、釈放されてから満州に渡った甘柏は、協和会の総務部長に就任することによって、新天地を築き上げる足場にしたと思います。
小串 甘粕が殺人犯ではなかったとすると、歴史を書き換えなければなりませんね。
甘粕大尉が大杉栄たちを虐殺したという歴史の虚構
藤原 そうでしょう、特に満州国に対しての関東軍の支配において、甘粕正彦の果たした役割と軍事謀略については、もっと詳しく調べ直す必要があります。五族協和と王道楽土の建設を理想にして働いた、多くの真面目な人々の希望を砕いたのが、満州に新しい利権を築いた高級官僚や軍人たちであり、岸信介を筆頭にした植民地官僚を始め、板垣征四郎の狂信思想に毒された軍人たちは,亡国路線に大日本帝国を導いたのです。
小串 そうなると甘粕の位置づけはどうなりますか。
藤原 今の段階では未だ十分な事実分析がなされておらず、甘粕大尉が虐殺の下手人でないなら、なぜ責任を取って服役したのかという理由や、刑期の三年間を本当に刑務所の中にいたかは、徹底的に調べ直さなければいけません。当時は第一次世界大戦後の混乱の時期であり、ソ連の成立でコミンテルンが発足したので、陸軍のシベリア出兵の後始末のやり方を始め、満州国が成立するまでに至るプロセスが、どのようなものであったかについて、世界史的な視点で検討することが必要です。
小串 私が生まれたのが大正三年(一九一四)ですから、中学の途中までは大正時代に生きたわけで、殺される前の大杉栄も目撃できたのだし、時代の空気は子ども心にも良く覚えています。そして、大正時代というと白樺派や民本主義を考えて、直ぐに大正リベラリズムを思い浮かべますが、前半の日本は戦争景気で賑わったにしても、後半期は恐慌や関東大震災が起きて大変でした。だから、一九八〇年代のバブル景気で沸き立った後で、十年以上も続いている大不況の日本の姿は、大正時代の生き写しに他ならないし、この数年間は既に昭和の大不況と重なっていて、大変な時代なのに誰も自覚していません。
藤原 ジャーナリズムが堕落して真実を伝えないから、日本人は自分たちが置かれている状況に対して、どれだけ危機的であるか気づかないのです。日本政府を始め銀行や企業も債務超過であり、破産状態に陥っているだけでなく、政治もまともに機能していないという意味では、今の日本は幕末の幕府より酷い状態です。ところが、経済大国の幻覚から未だに覚めない日本人は、支離滅裂で政治がまともに機能しなくて、日本の外交能力は北鮮よりも酷いと世界が見ているのに、そんなお粗末な小泉内閣を支持し続け、口先だけの人気取りに完全に騙されたまま、亡国の淵に引きずり込まれています。
小串 前の森首相が余りにも愚劣すぎたから、その反動で小泉首相の人気が高くなっただけで、野党の民主党が情けないほど腰抜けなために、潰れて当然の政権が生き長らえているのです。小泉首相は細かいことは実に熱心にやるが、大局的なことは考えない一種のオタク族の仲間で、わが社なら課長止りの人材ですから、そんなレベルの人に首相をやらせるのは可哀相です。
無政府状態の擬態としての日本政府
藤原 今の政治家に見識を求めるのは無いものねだりだが、田中外相(当時、以下同じ)には常識や歴史意識が欠けていたし、あれほど凄まじい自己中心的な人間に、外交を任せた小泉首相の判断力のなさは、無政府状態に等しい政治の断末魔です。一国の存亡を決定づける外交の場において、あんな酷い被害妄想に支配されたオバさんが、最高責任者の地位を弄んでいるというのは、日本の運命にとって致命的なことです。歴史を見れば似たような愚行の例があり、オレゴン訛の英語を喋った松岡洋右外相は、誇大妄想でスタンドプレーを得意にしたが、中華民国の顧維均外相に強い劣等感を持ち、日本の運命を徹底的に狂わせています。
小串 そういえば、顧維均外相はウエリントン・クーとも呼ばれて、名外交官として松岡外相を議論でキリキリ舞いさせ、国際連盟で名外交官ぶりを謳われましたな。
藤原 コロンビア大学を出て仏独英語を流暢に喋る顧外相は、国際政治を専攻して学位を持つだけでなく、外交官として洗練されたマナーを身につけ、格調高い論理で、松岡外相を論破しています。出たとこ勝負を得意にする松岡外相は、満州問題の討論で顧外相の論理に追い詰められ、国際連盟を脱退して世界の孤児になり、挙句の果ては日独伊三国軍事同盟を締結して、大日本帝国を滅ぼしてしまいました。
小串 しかし、政治家としての能力では松岡洋右が遥かに上で、松岡と田中では全く比較にならないし、中年女の気紛れによるヒステリー症は、見るに耐えないことばかり目につきます。平気で次から次に嘘を言う田中外相は、とても外国の要人から信頼を得られないし、国家の信用を損なうという意味からしても、即座に首を切るのが日本のためです。ところが、奇妙な応援団が田中真紀子の周辺にいて、田中外相を批判すると過剰な反応を示し、抗議の電話やファックスが押し寄せるのです。税金を払ってこんな愚劣な茶番劇を見せられたのでは、いやはや長生きはしたくないと思いますな。
藤原 世論調査で幾ら高い人気を誇るとはいえ、人気で政治をやろうというのは本末転倒であり、そんな安易な考えは亡国に至る落とし穴です。近衛文麿首相が人気で政局を乗り切ろうとした時に、最後の元老だった西園寺公望元首相が、「今さら人気で政治をやれると思うのは、軽率の極みだ」と言ったそうです。内閣支持率という人気だけを頼りにして、優先順位の高い肝心なことは何一つやらず、巧言令色に明け暮れる小泉内閣は、腐り切った自民党の利権政治を粉砕する前に、日本を破滅させてしまいそうで心配です。
小串 私もそう思います。太平洋戦争において敗戦を前にした時でさえ、今の迷走状態の政治よりは遥かにマシだったし、黒船の出現に動転した幕末の時だって、今の小泉内閣よりは政治も外交も機能しています。何度も口にして耳障りかも知れませんが、こんな情けない醜態を目撃するなんて、長生きはしたくないという思いひとしおです。
藤原 世界に対して恥ずかしい人物を外相に選び、失態の責任を取らせられない小泉首相は、売春防止法で逮捕歴を持つ森喜朗と並んで、日本の憲政史上における最低の首相として、記録に残る破目に陥るのではないでしょうか。
小串 私もそんな気がします。でも、日本の政治は完全なまでに腐り切っていて、国民は政治改革を是非やって欲しいと期待しているし、実行しそうなゼスチャーを示すために、小泉内閣は高い支持を集めているのです。しかも、田中真紀子が全面的な支援をしたお蔭で、小泉純一郎は総裁選挙において勝てたから、田中外相をカンバンにしていることもあって、簡単に首を切れない悩みがあるのです。しかし、こんな次元の低いことで無政府状態を放置すれば、日本は国際政治から取り残されるだけです。
政治家が隠蔽する不祥事を追及しないメディアの怠慢
藤原 小串さんはパリを始め世界各地で仕事をして、三井物産の総支配人を歴任して来たお蔭で、海外の日本人社会の裏話に詳しいと思うが、親が財界や政界の有力者である子供たちの中に、変わり種に属す者がいたのを御存じでしょう。色んな形で不祥事やスキャンダルを起こして、ほとぼりが冷めるのを暫く待つ目的で、留学の名目で外国に出てきた例がかなり多く、それを身近に知っていると思うのです。私が留学したグルノーブルの場合でも、変な行動をして妙な噂を持つ人がいたので、パリの場合は世界の流れ者の吹き溜まりだから、そんなケースも多かったのではないですか。
小串 秘書と駆け落ちして来た政治家の娘とか、ヤクザに騙された売れっ子の女優を始め、傷害で海外逃亡中の大会杜の社長の息子や、刑務所代わりにパリにいる閣僚の御曹子など、商売柄いろんな話を腐るほど聞いています。もっとも、ちゃんと勉強している留学生も随分いて、当峙の日本人は真面目な人が多かったが、流石にパリは別天地と言われているだけに、中に指名手配の人も混じっていたでしょうな。
藤原 今回の訪日で昔の経歴を知ったせいで、三十年あまり前の話で思い当たることがあり、読者の新聞記者に過去を調べてもらい、確証を得た実に興味深い話があるのです。パリで一緒に食事をした人の話の中に、閣僚の息子で婦女暴行で捕まった男が、留学という名目でロンドンに来ており、余り勉強もしていないと言うのです。防衛庁だか自治庁だか記憶にないのだが、大した役所ではなかったことは確かで、今回の訪日で小泉首相が三十年前にロンドンに留学し、親父が防衛庁長官だったと知りました。この線は何か臭いと直観的に感じましたが、小泉も橋本龍太郎と同じ慶応ボーイだし、政治家の二世や三世だという点で、尻癖が悪くても不思議ではないです。
小串 婦女暴行罪で警察沙汰になったとすれば、そう簡単に済むことではありませんが、パリには男女問題で逃避している人は多かつたし、オランダ人の女学生の肉を食べたために、国際問題を起こした留学生もいました。だから、婦女暴行や強姦ていどの猟奇事件は、人の噂も七十五日という程度のことで済み、これはパリもロンドンも同じでしょうな。
藤原 でも、万が一にそれが小泉純一郎の過去だったら、フィーリングを売り物に女性の人気を集め、高い内閣支持率を集めている偽善は、糾弾されて然るべきだと思います。そこで親しい新聞記者に糾弾の可能性を聞いたら、ある新聞社が調査したという話ですが、警察のガードが予想以上に固いために、非常に難渋していると言うのです。
小串 最近の日本のメディアは全く無気力で、痛快なスキャンダルの発掘をしないために、私もいささか退屈しているところであり、この閉塞感を吹き飛ばして欲しいですな。
藤原 今の日本は司法界が腰抜けであるために、「噂の真相」が森首相の売春防止法違反を追い、警視庁に検挙された過去について調べ、犯歴番号や指紋番号まで報道したのに、警察は保有情報の公開を拒絶しました。お蔭で噂の真相社は名誉棄損の裁判に負け、東京地裁から和解と罰金を申し渡されたが、東京高裁に控訴して戦うようです.
小串 しかし、首相になった人が破廉恥罪で検挙歴を持ち、警察にはっきり記録が残っているのに、圧力をかけ情報の隠蔽をしただけでなく、逆に名誉棄損で訴えたというのは、盗人たけだけしいと呆れ果ててしまうね。全く道理に合わない不将な行為だのに、日本の新聞や雑誌は事件の真相を追及して、こんな人物を首相にした責任を問い、狂っている日本の政治の姿を明らかにして、国民の審判を問わないのか不思議です。
権力者のしたい放題が罷り通る平成幕末の日本
藤原 売春防止法違反で検挙された森喜朗の場合は、彼が中曽根内閣の文相になっているだけに、教育界への悪影響の点で実に悲惨であり、子供達への示しが付かないだけでなく、荒廃した教育の現状を象徴していました。ところが、首相と呼ぶのも恥ずかしい森は居直って、破廉恥罪で検挙の過去の否定だけではなく、嘘八百を並べ立てて偽証を重ねたし、噂の真相を名誉棄損で訴えたのだから、全くあきれ果てた根性だと思います。
小串 最近は強盗や詐欺師を政治家に比較すれば、あんな連中に較べるなと怒られるほど、政治家の評価が低くなってしまいました。それは責任感の喪失と素行が悪いせいであり、利権漁りで心が卑しくなったためですが、立派な顔の人が余りいなくなりました。それにしても、売春防止法で逮捕された過去を持つ人が、首相になるとは全く世も末ですな。
藤原 森の破廉恥な過去をスクープしたのは、神戸新聞の記者を辞めてトップ屋になった、西岡研介という若いフリー記者ですが、「噂の真相トップ屋稼業」(講談社)と題した本を書き、取材の経緯についてレポートしています。それによると森が検挙された犯歴は、警視庁の犯歴照会センターに保存されているが、東京地裁の裁判長が提出を要求したのに、警視庁はそれに対し拒否回答したのです。それで東京地裁は腰砕けになり、「売春容疑に対しては原告、被告ともに、確かな証拠を提出したとは言えないため、判断の対象外にする」という、実に無責任な判決を出しているのです。証拠は警察が隠して出さなかったのであり、日本では情報公開が行われていないだけでなく、明らかに隠蔽しているのが分かっても、裁判所もマスコミも見て見ぬふりをしました。
小串 そんな出来レースが横行しているようでは、社会正義などおよそ期待できるわけがないし、悪人は好き放題をやり安心して高鼾ですな。
藤原 警察が権力の忠実な番犬の役目を果たし、国民の信頼を裏切ったのは確かですが、西岡記者の熱心な取材活動に協力して、内部情報を提供したのは現職の警察幹部で、たとえ一部でも正義感を持つ幹部がいたのは、腐敗している日本の警察にとって救いでした。しかも、その幹部は森の犯歴番号の数字だけでなく、左手と右手の指紋を示す番号の数字が、七七九六七と七九九九七だということまで、西山記者にそっと教えているのです。
小串 それでも森は警察に圧力をかけて、過去の犯罪の露見を防いだわけですか。
藤原 上に立つ者が破廉恥罪を犯したならば、潔く責任を取って辞任するのは当然だが、それさえ放ったらかしのままであり、世界中から政府が物笑いになっているのに、日本人は未だに気づかないでいるのです。今の日本は風紀紊乱と網紀の緩みで、亡国の危機の中で痙攣しているから、国民の信頼関係が崩れてしまいました。
小串 信頼関係が崩れたので将来が不安であり、身を守るために誰もが無駄な出費を控えるから、景気が一向に良くならないのは当然です。
藤原 そんな森政権を支えていたのが小泉であり、その小泉が首相になって人気稼ぎに明け暮れ、ことによると新たな情報の隠蔽が始まって、日本は更なる亡国の混乱で呻吟するのです。大震災があった大正の末期の日本で、大杉栄も甘粕正彦も刑務所に入っているが、甘粕の場合は本当に殺人者かどうか疑問であり、二人が共にいわれなき罪で服役したとしたら、日本が法治国家という幻想は空中分解です。
小串 しかし、大杉栄が後藤新平から金を受け取ったことが、スパイだという論法に従うならば、政治家は圧力団体や政商から献金を受けるので、一種のスパイ役をしていることになるから、金の動きには細心の注意が必要ですな。
大杉栄の虐殺を巡る甘粕大尉の謎と大杉のフランス探訪旅行
藤原 懐柔目的に金を貰えばスパイと同類であり、復古主義を主張しているご用文化人たちは、権力に小遣いを貰って動いている点で、現代版のソフトなスパイに相当しています。藤田嗣治画伯だって陸軍に金を貰ったので、スパイだったと言う人もいるわけだし、名目はベルリンの「国際アナキスト大会」への出席だが、大杉栄がパリに行ったのは後藤新平に、調査を頼まれたとも言われています。どこまでがスパイ行為かは厳密に区別できないが、大杉は後藤新平の指示を受けて渡仏し、かつて甘粕がたどった足跡を探るために、フランスで行動したと言われています。
小串 でも、それは変です。甘粕大尉は大杉栄たちを殺した罪で服役し、関東大震災の四年ほど後に奥さんと一緒に、初めてフランスに渡ったのであれば、甘粕大尉の足跡を探るための旅行というのは、どう見たって辻褄が合わないと思います。
藤原 それは通説に従った甘粕の捉え方であり、彼の公式記録は一九一五年から一八年にかけて、三年問にわたって記録の欠落があるから、一九一七年頃に最初の渡仏をした可能性があります。それを追及したのが落合莞爾であり、彼の「陸軍特務・吉薗周蔵の手記」によると、甘粕は一九一七年頃に最初の渡仏をして、フリーメーソン(大東会)に入会しています。だから、通説や角田房子の「甘粕大尉」(中公文庫)が言うような、出獄後九ヶ月経った一九二七年二月に、初めて渡仏したという記述は疑問符付きであり、その辺のきちんとした検証が決め手でしょう。
小串 もしそれが事実であると証明されれば、大きな歴史の謎が解明されることになり、大正時代の日本史が書き換えられますね。
藤原 吉薗周蔵が残した手記の解読によると、甘粕は上原勇作元帥の忠実な手下であり、スパイとしての特殊任務でフランスに行き、ヨーロッパ工作を密かにやったようです。(上原元帥はフォッシュやフォン・マッケンゼーと並んで、近代戦史における三大元帥と呼ばれていて、日本陸軍が生んだ異才だと言われています。
彼は若い頃に野津道實少佐の玄関番をして、大学南校に学んでから陸士を首席で卒業し、フランスに留学した経歴の持ち主であり、陸軍が始まって以来の読書家だったそうです。
小串 上原元帥がフランス派の鬼才であり、大読書家だとしたら油断できませんな。
藤原 そうですね。また、運命の不思議な巡り会わせになるが、彼は私が留学したグルノーブルの山岳師団に配属され、工兵隊の指揮をした後で日本に帰り、陸軍の要職を全てにわたり歴任しています。
しかも、上原が留学中にフランス人との間に娘を作り、このハーフの娘が甘粕正彦の愛人になりまして、最初に渡仏した時に親密だったことが、落合莞爾の努力によって検証されているのです。
小串 歴史の謎を追うと奥行きが実に深いから、頭がくらくらするような気分に支配されるが、本当にそんなことがあるとすれば、隠れた真相の解明は興味が尽きませんね。
藤原 だから、われわれの行く手には未知の地平が広がり、困難を乗り越えてチャレンジすることによって、新しい歴史を書くことが可能になるのです。
〔文中敬称略、01年11月収録〕
以上が最近良く話題にされる「小泉純一郎氏が起こした強姦事件」の原典の一つのようです。
「天皇を中心とする神の国」発言でひんしゅくを買った森前首相が売春防止法で逮捕された過去があるという件も、私個人としては、それほど大騒ぎする必要はないのではと思うぐらいなのですが、2004年8月17日の朝日新聞の次の記事を読んで、そうとも思えないような気になってきました。
「少年期の非行で退職強要」
大分県警に採用され、警察学校に入った男性巡査(29)が「少年時の非行を理由に退職を強要された」として、不利益な扱いをしないよう求める措置要求書を県人事委員会に出した。
要求書などによると、巡査は18歳の時、盗みなどの事件で調べを受けたが,家裁の審判で不処分になった。その際、出会った警官の影響で警察官を志した。大学卒業後、他県警に入り、4年余り勤務。故郷の大分県に戻り、県警に今年4月、採用されたものの、6月以降、警察学校の教官や幹部らから少年時の非行を理由に退職を求められた。拒否すると「免職処分にする」と迫られた。
県警警務部の内村隆志参事官は「要求書を読んでいないのでコメントできない」としている。
森前首相の場合は、指紋番号まで調べ、また実際の指紋まで提出しているのに、おとがめなしで、それどころか、その事実を書いた雑誌「噂の真相」を名誉毀損で訴えたりしています。上の雑誌にもありますように盗人猛々しいと呆れてしまいます。
森が検挙された犯歴は、警視庁の犯歴照会センターに保存されているそうですが、東京地裁の裁判長が提出を要求したのに、警視庁はそれに対し拒否回答したというのです。
それで東京地裁は腰砕けになり、「売春容疑に対しては原告、被告ともに、確かな証拠を提出したとは言えないため、判断の対象外にする」という、実に無責任な判決を出しているのです。
証拠は警察が隠して出さなかったのであり、日本では情報公開が行われていないだけでなく、明らかに隠蔽しているのが分かっても、裁判所もマスコミも見て見ぬふりをしました。
藤原 肇氏の指摘どおりだと思います。
ちなみに、この雑誌「噂の真相」は先に報じた森の犯歴に記された「指紋番号」の真実性を2001年7月号で森の指紋を懸賞金つきで誌上公募するという挙に出たのですが、それに対して手相研究家が呼びかけに答えたのでした。
完璧な森の指紋が採られていたのです。
右がその指紋です。
ところで、この、先にご紹介した巡査の方は4年余りも勤務なさっており、問題なかったわけで「何を今更」と腹が立ちます。この巡査が不適格というのなら、森が総理大臣というほうがずっと不適格ということになります。
ところが小泉純一郎の場合はとんでもないことです。
確かに大学生の頃は性欲も強く、精神的なバランスも不安定な時期ですが、強姦はいけません。それも罪を償っていただいておれば、まだしも、父親の権力で、ほとぼりが冷めるまで、外国に逃がしてもらっているのです。
この件はニューヨーク市立大学大学院教授の霍見(つるみ)芳浩氏も以前同氏が書いたコラムで、小泉純一郎氏の留学経験に対し、厳しい見方をしておられるようです。
つまり2004年2月20日の週刊ポストによれば、霍見氏が同誌に次のように指摘したと言います。
「私の調査では、小泉氏の留学経験は、ある種の固有の問題(霍見氏は問題の性格を具体的に指摘しているが本誌取材では未確認のことなのであえて秘す)が表沙汰になることを恐れて、当時防衛庁長官だった父の純也氏がイギリスに行かせたということだった。語学学校に行ってからロンドン大学に入ったというが単に、一般の公開講座を受けただけで、留学とは名ばかりのものだった」
また写真週刊誌フラッシュ2004年4月6月29日号で、仰天!小泉首相が「婦女暴行」で訴えられていたという記事を載せています。
小泉首相に新たな疑惑が浮上した。何と、慶應ボーイ時代に婦女暴行容疑で逮捕されていたのではないかとの真偽が問われ、現在裁判沙汰に発展中だというのです。総理を訴えたのはジャーナリスト木村
愛二氏。
木村氏は「一国の首相が過去にレイプ事件を起こしていたのか、いなかったのか、国民は知る権利がある。権力者である首相が裁判所や警察を押え込むまえにこちらから先制攻撃するしかないと思い、知恵を絞り、提訴に踏み切った」と言う。
この話題はついに国会でも取り上げられ、6月10日の参院有事特別委員会で民主党の斎藤
勁議員が質問なさった。
斎藤議員は言う。
「2回めの口頭弁論が15日に開かれる予定というのに、まるで報道もされていない。
官邸はただちに国民に説明すべきだと思って質問したら、山崎正昭官房副長官は”私人同士の訴訟について官邸はコメントする立場にない”と答弁した。しかし、レイプという犯罪性・人間性が問われる件でそう答えるのは納得できない。事実でないのなら首相はきちんと公の場で否定すべきです!」
ところで、このフラッシュの同じ号に右のような写真が掲載されていました。
どういうつもりか、何を考えているのか、わかりませんが、塾長を初めとする教師に自浄作用など全く働かないイカサマ慶應義塾においては、こんな学生が出現しても、不思議ではありません。
もっともこの子は今年の春卒業した子のようですが、これを見ていると、「福澤先生のマン札でマンを隠す」というとんでもないことをしていると情けなくなりました。
(品の悪い言葉でごめんなさい。顔と名前を隠したのは筆者によるものです。)
地下の寺尾琢磨がこれを見たら、何と言うのでしょうね。
しかしこの子が「慶應義塾が福澤先生の名前を使って大事なところを悉く隠蔽してしまうという嫌らしさを身を以って示そうとしているのなら結構なことです。
まあ、そういうことにしておきましょう。
今回はこの「番外篇」でお茶を濁しておくこととします。