既にお知らせ致しましたように、2000年11月15日に
「分数ができない大学生」の著者の先生方のうち
,牧厚志慶応義塾大学教授を除く、すべての先生方13人(*)に手紙を発送いたしました。
*先に掲載した先生方すべての意です。本の目次に登場する著者の先生のうち、唐木田 健一先生・富士ゼロックス総合研究所主席研究員および佐藤 和孝先生・東京大学付属中・高校教諭の両先生は正確な宛先が不明のため、配送出来ませんでした。なお正確な目次は
http://www.math.hc.keio.ac.jp/edu/bunsu-index.htm
にあります。
ところが2001年1月12日になっても、どなたからも一切返答がありません。
突然の公開の手紙に、戸惑われたのか、立腹なさってなのか、共著者の牧厚志氏をかばってなのか、はたまた辻村江太郎や慶応義塾、文部省に遠慮をなさってなのかはわかりません。しかしどういう事情であれ、「4+8は9ではなく、12ですよ」とか「地球は通常の意味において立方体よりは球体に近いですよ」というぐらいのことなのですから、「辻村仮説は序数の足し算をしているから0点ですよ」と言うのを拒むような科学者がいらっしゃるのは不思議な気がします。何か他に理由があるのでしょうか。
手紙とは次の通りです |
* * * * * 先生
大学生の学力低下に警鐘を鳴らし、とりわけ数学力の低下は経済、社会の崩壊を加速すると訴えておられる、話題の「分数ができない大学生」の著者の先生方にお願いがあり、このたびお手紙を出させていただきました。
実は先生方のお仲間の一人が残念なことに「算数ができない大学教授」であることが判明いたしました。
この人は牧
厚志慶応義塾大学教授で、その師の辻村江太郎氏の学説「消費習慣形成仮説」を、そっくりそのまま引き継いでおり、それで博士号までとっています。
ところがこの師弟は算数、つまり「序数の定義」でさえも理解しておらず、それゆえそこでは初歩的で致命的な間違いをしており、この学説はもともと最初から仮説たりえないというありさまです。つまり0点なのです。
こんなお粗末な人が「今の大学生は数学ができない。数学ができない大学生には論理的思考は無理で、独創性にも欠ける」と嘆いていらっしゃるのは、実に滑稽なことだと言わなければならないでしょう。
しかもこの師の辻村なる人物たるや、今から30年以上も前にその学説の間違いを指摘した教え子の大学院生を、上司の名前をかたり、この院生の母親をだましてまでして、無理矢理退学させてしまったという前科の持ち主です。
本来この破廉恥教授を処罰し、院生を助けなければならないはずの大学当局は塾長以下一致団結して、この不祥事をもみ消してしまったのです。そしてこの院生はといえば、授業料を滞納したといういわれなき理由で、除籍させられてしまったのです。
その結果このような欠陥学説が30年余りも生き延びているのです。
慶応義塾には自浄作用も全くありません。
先生方が「分数ができない大学生」の出版により最終的にご希望なさった「科学の進歩や発展」には、このような欠陥学説、欠陥書物の横行のほうが、大学生の学力低下よりも、ずっと大きな阻害要因になっているのは間違いありません。
それゆえ、このたび「悪徳慶応義塾大学を告発する」というホームページを立ち上げました。サブタイトルは「算数ができない大学教授」となっております。
科学の進歩、発展のために先生方は小学校、中学校、高校の授業内容や、大学入試の科目や制度にまで踏み込まれて日夜ご努力なさっておられるご様子ですので、私も微力ながら少し違った角度からお手伝いさせていただくことといたしました。
それゆえ前掲のホームページにおいて、辻村、牧氏の習慣形成仮説が0点であることを論証させていただき、同時にそれに対する先生方のお考えを公開にてお尋ねしたい旨の内容とさせていただきましたので、お手数ではございますが、よろしくご回答お願い申し上げます。
ホームページのアドレスは
http://homepage2.nifty.com/inachan/
メールアドレスは
**********
でございます。
11月15日
尚、先生方全員のご連絡先までは不明でございましたので、ご連絡できなかった先生もいらっしゃいますが、よろしくお伝えください。
そして出来ますれば、手紙を受け取った旨メールでもいただければ大変有り難く存じます。勝手なお願いをいたしましたが、よろしくお願い申し上げます。
稲垣 武彦
以上が手紙の全文です。何か返事がいただけない理由でもあるのでしょうか。
算数ができない大学教授がもう一人 |
ところで先日滋賀県の、とある田舎町で時間つぶしの必要があり、本屋に入りました。
そして
ぶらぶらしていると一冊の本が目に入りました。今までなら決して目に留まらなかったでしょうが、今件で存じ上げたお名前を見つけたのです。つまり「分数ができない大学生」の著者のお一人です。
その本は
「入門ビジュアル・サイエンス
微分・積分のしくみ 」(岡部
恒治著・日本実業出版社)
というものでした。
内容は高校生か、昔、微分・積分を習ったがよく分からなかった人向きといったところでしょうか。
著者の岡部先生は裏表紙によれば、埼玉大学経済学部教授となっていますが、東京大学理学部数学科卒業ということですから、数学者ということになります。
著書に、「数学オンチのための数学入門」「微分と積分なるほどゼミナール」「絵でわかる微分と積分」(日本実業出版社)、「マンガ数学小事典」「マンガ微分積分入門」「マンガ幾何入門」(講談社)、「マンガ数学感覚」(筑摩書房)、「アルキメデスの発想術」(実務教育出版)などがあるということです。
マンガ系の本をずいぶん多く書いておられるなあという感じがしますが、数学の落ちこぼれを少しでも助けようとなさってのことなのでしょうか。
(もっともこの本をパラパラと読んだ限りでは、落ちこぼれはやっぱりこれを読んでも
よく分からないだろうなという感じがします)
それはともかくパラパラめくってみると、この先生は学者らしく、なかなか厳しいところがあるなぁ、という印象を持ちました。
例えば52ページに大阪大学の過去の入試問題が引用されており、解き方および答えが書かれています。
そしてその後に次のように書いてあります。
しかし、予備校の有名講師の編集するある参考書では、********というふうにやらせているのです。
もちろん結果的には同じ答えが出ますが、計算は面倒です。また、出題者が意図したであろう曲線の形状の把握は、そのような解き方からは出てきません。
これは生徒にとっても、数学にとっても不幸なことです。(********の部分は本文省略のため、筆者が使用)
私などから見れば、答えが合っていれば、どちらでも良いのではと思ってしまいます。
しかも試験問題なのですから、曲線の形状に思いをめぐらす余裕などはなかなか無いでしょう。問題の要求することをすばやく式にして、後はひたすら答えを出すという有名講師のやり方も、いつでも使える実践型で、悪くないと思ったりもします。間違ってもいないのに、いきなり自分の書いた参考書を「読んだ生徒は不幸だ」と他の本で嘲笑されたこの予備校の有名講師は立場がありません。
私が「分数ができない大学生」の著者の先生方に、いきなりインターネット上で公開のお尋ね、お願いをしたことよりも失礼なことのようにも思われます。
なおもパラパラめくっていると136ページに「経済学への応用」という項目があります。
「理系以外では微分・積分は関係ない」と思ったら大間違い。経済学などの社会科学や言語学などでも、微分・積分は活躍しますし、哲学でも、微分・積分的な考え方が取り上げられたりしています。
ここでは、とくに経済学で、かなり本質的な役割を果たす「効用関数」の分析について紹介してみましょう。
というように始まって、「効用関数」、「限界効用」が説明されています。
そして「経済理論に強くなる」、「効用関数の性質」、「効用関数のグラフ」という項目が続きます。
しかし効用などという測定不能なものを、あたかも測定可能であるかのように説明しても、何の意味もありません。
測定できないので、限界効用を数値例を使って、したり顔で説明したり、グラフを描いたりしておられますが、何の意味も無いどころか、大変有害です。この本が専門書ではなく、微分・積分の啓蒙書であるとしても有害です。
「分数ができない大学生」を嘆くより、大学の先生が勉強していただかなくてはいけません。こんな本を読んだ子は第二、第三の辻村、黒田、牧となってしまいます。これはこの子にとっても、数学にとっても不幸なことです、というような皮肉を言ってみたくなります。他人には厳しく、自分には甘いということでしょうか。
私のお尋ね、お願いに返事をなさらないのは勝手ですが、ご自分が辻村、牧両氏と同じ間違いをしているから、口をつぐんでいらっしゃるのなら、とんでもないことです。
勿論両氏のように、自身の学説が0点であるとか、辻村や黒田のように上司の名前をかたってまでして、退学を強要したとかということではありません。
しかし間違ってもいない予備校の先生を嘲笑したり、数学力の低下は経済、社会の崩壊を加速すると数学教育の重要性を唱えていらっしゃる先生としては、ここで黙っておられるのはおかしなことでしょう。
「算数ができない数学者」よ、しっかりしなさい、しゃきっとしなさい、と言いたくなります。
上高森遺跡などで、仲間が「石器」を埋めたのを見た学者がいるとしたら、それを黙っているのは勿論良くないことですが、自分も一緒になって埋めていたのなら、黙っているなどというのは、言語道断のことです。
これにちょっと似ているようですね。
お返事をいただけない理由は、これなのでしょうか。
ここまで書いてきて、昔辻村江太郎が「三田評論」に次のように書いていたのを思い出しました。
・・・・審議会の席上で業界代表委員と議論してみて、われわれの経済学が思いのほか
知られていないのにまず驚いた。わたくしは日本における経済学の教養として
とくに終戦までの時期に かならずしも
近代理論が大勢でないのは
知ってはいたが、それでも何となく 現在、大学の一、二年でならう教養程度の知識、つまり自由競争の原理くらいは、周知徹底しているように思っていた。
しかし
考えてみれば、平均年齢六十才の、しかも東大法学部出身の多い業界代表にそれを期待するのはむりだったかもしれない。
・・・・・・・・・・
このような言葉の使い方の相違を双方とも気付かずに
議論していれば、果てしない平行線をたどるのは当然である。
わたくしは講義用語を相手かまわずに使った自分の生硬さを、ひそかに恥じるとともに、教育の重要性をあらためて感じた。
現在、塾で経済学を学んでいる学生諸君が
将来、業界首脳の地位に付いたときには、こんな誤解は起こらないだろう・・・・。
笑わしやがる。本当にいやみな男です。自分は、大学の一、二年でならう教養程度の限界効用もわかっていないくせに・・・・・。東大を受験して失敗したからといって、東大を目の敵にするなんて、不細工な男です。
先の岡部
恒治先生もこの辻村とよく似ています。
教育の重要性をあらためて感じました。
こんな嫌味なことを書いていると、私まで辻村に似てきたような気がします。
自分の学説の初歩的な間違いを教え子に指摘され、逆上してその生徒を無理矢理退学させた辻村や、自らの出世のために、その不祥事に積極的に加担し、またそれを隠蔽した黒田昌裕や、塾長をはじめとする慶応義塾当局は論外です。
しかし自分の学説の間違いを知っている学者が、それを正しもせず、引っ込めもせず、大学生の学力低下を憂える本をしゃあしゃあと書くなどということもまた、到底理解できることではありません。(これは牧氏のことですよ)
さらにその学者と一緒に本を書き、その中で大学生の学力低下を憂え、教育改革を唱える学者がその事実に無頓着、無関心なのは信じがたいことです。(これは西村和雄氏、戸瀬
信之氏を中心とする「分数ができない大学生」の著者の先生方のことです)
学者としての資質、常識を疑ってしまいます。
このような学者が自分たちの執筆活動などを「我々自身の報告」としてインターネット上で報告なさっていますが、タイトルで見る限り大学生に対する愛情も薄そうです。例えば
といったところです。
現在の受験システムによって学力の低い大学生が生まれたとおっしゃっているようですが、それなら「悪党」辻村江太郎やその一派の限界効用に対する無知、無能は何に由来するのでしょうか。ずいぶん昔に受験したと思うのですが・・・・。
お仲間の牧 厚志氏や岡部
恒治氏も「つめこみ教育」「多科目受験」を経験なさったのではないでしょうか。
いくら微分・積分を勉強しても、どんどん頭が良くなるわけではないのです。また必要とされる学力とは、ある人にとっては「序数の定義」なのです。
「つめこみ教育」が大学教授の学力と常識を奪った、とも言えるのかもしれません。
いずれにしても「序数の差や和は無意味」というような「定義」でさえ、表立っては言えないというような閉鎖的な学問、および閉鎖的な大学は消え去ってしまうことでしょう。いや是非消し去らねばならないのです。
それでは「分数ができない大学生」などの多くの本を著して、大学生の学力低下を執拗に訴えておられる、教育フォーラム所長でもある西村和雄京都大学・経済研究所教授ご自身は自分の著書では、限界効用について、どのように扱っておられるのでしょうか。
岡部氏の著書は、つい購入してしまったのでしたが、今回は立ち読みで済ませることにしました。
立ち寄った本屋には西村教授の著書として、「マンガ
DE 入門・経済学」というような書名の本と、普通の書名の、一見公務員試験の受験用のような感じの本、および「ミクロ経済学」というような本の三冊がありました。
立ち読みで、その部分のみを拾い読みしただけですが、丁寧には書かれているというような印象を持ちました。
効用は測定できないこと、それゆえ序数的効用しか意味を成さないことが説明されています。そして消費者が効用函数を極大化するよう行動するというように説明してあったように思います。そして後は所得効果、代替効果、上級財、下級財などお決まりの用語の説明をなさっておられたような気がします。これで消費者行動の理論、無差別曲線の理論は終ってしまっています。
しかしこれは理論でも何でもないのです。消費者が効用極大化行動をとるなどということは、決してそれ自体検証することは出来ません。これはただの約束に過ぎないのです。
ニュートンは「人間の愚昧の法則は探求しがたい」と述べたと言われていますが、経済学者は、その代わりに「人間の法則なんて簡単なものさ。消費者が実際にX財、Y財をいくらかずつ購入したのは、それが彼にとって最も得だったからさ」と主張したのでした。
それでは将来、或る所得とX財、Y財の価格に直面したら、彼はX財、Y財をそれぞれどれだけ購入するのか」との問いにも、経済学者は胸を張って答えるでしょう。
「勿論消費者は、その時の所得線上のX財、Y財の組み合わせのうちから、彼の効用を最大にする組み合わせを選択するであろう。またその組み合わせの点で所得線と無差別曲線は接しているのだ」と。
こんなものは当然科学ではありません。
もしX財、Y財の実際の購入量が気まぐれで決められたとか、神のお告げで決められたとするのなら、これは科学では分析できないというのと同義です。それゆえ消費者の行動を何とか科学として分析できないかと考えた昔の経済学者は、一つの案として、消費者が効用を極大にすると考えることで現実の経済現象を説明できないかと、思い付いたのです。すると当然、現実の購入量の組み合わせを上手に説明できる効用関数があるのかどうかを説明しなければなりません。そこまでしないと話は完結しません。
ところが西村和雄教授などはどういうわけか、一切その説明をしていません。これでは教育的とは言えません。
もしそのような効用関数が見つけられないのなら、このような思い付きは何の意味も無い、単なる思い付きに過ぎません。それゆえこんなものを何冊もの本に書いて販売するのは、詐欺行為に等しいことだと言えるでしょう。ペテンなのです。
実際には、そのあとを引き継いでいるのは、お仲間の牧
厚志慶応義塾大学教授です。この人はそのような効用関数があるかのように論文を書いたりしています。しかし本文でも説明しましたように、この効用関数はその師の辻村
江太郎のものを引き継いでいるのですが、経済理論と呼ばれるものと整合性が無いどころか、「序数の定義」でさえ無視しています。根本的に間違っているのです。0点なのです。
牧氏の効用関数を0点と認めてしまえば、西村教授などは詐欺師、ペテン師になってしまいます。
それゆえ西村教授は一切返答しようとしないのでしょうか。困ったものです。
勿論まともな効用関数が別に計測されているのなら、それで良いのですが、もしそうなら、辻村、牧両氏の間違った仮説が、長期にわたって存在できるはずがありません。まともな効用関数などないのでしょう。
理論経済学者は自分たちの理論なるものが実際に観察される事実を上手く説明できるのかどうかを検証しなければならないのですが、そうした例は稀なことです。
また計量経済学者と自称する人たちは理論とは程遠いものをただ計算しているだけなのですが、もともと論理も理屈もないものですから、間違いが生じる余地もほとんどありません。
このようにもともと一体のものであらねばならない理論経済学と計量経済学を分離することによって、どちらの経済学をもってしても、現実の経済現象を分析、説明できないという事実を隠蔽しているのです。
辻村、牧両氏の習慣形成仮説は物理学と同じ分析方法で経済現象を分析するという触れ込みで作られたもので、それゆえ理論に基づいているような体裁になっていますが、あまりにも初歩的な間違いをしています。それゆえこの場合ははっきり間違っていると言えるのです。
このような明確な間違いも、分かっていながら温存されるような腐りきった経済学界に大学生の学力低下を嘆く資格は無いでしょう。
西村和雄京都大学・経済研究所教授は教育フォーラム所長として、所員の戸瀬信之慶応大学・経済学部教授と共に、「分数ができない大学生」などの著書を始め、あちこちで大学生の学力低下を訴えておられるのは、冒頭より何度も述べてきましたが、本件のような不祥事や明確な間違いにも無視で貫くというような態度では、教育など出来ないでしょう。
大学生が授業についてこれないとお嘆きになる前に、数学が苦手な大学生が自発的に数学を勉強したいと思うような授業をなさったり、教科書をお書きになるほうが先決でしょう。
なお西村和雄教授は日本経済学会会長であると新聞か雑誌で読んだ記憶があるのですが、私にとっては、あまり聞きなれない名前なので、小さな、新しい学会なのかと思っていたのですが、先日の立ち読みの際、たまたま目にした「現代経済学の潮流2000」(東洋経済新報社)なる本によれば、97年にあの「理論・計量経済学会」が名前を変更したのだそうです。
役員には前掲の樋口美雄慶応義塾大学教授などの名前もあり、その本の編集者の一人にあの黒田昌裕の名前があったことから、西村教授などは本件に真摯な態度で取り組もうというような意思がおありであっても、動きにくいという事情がおありかも知れません。
しかし先日の上高森遺跡などにおける石器ねつ造事件に対する関連団体のすばやい対応とは正反対の鈍感さには驚かされます。ねつ造事件に対する新聞の見出しをいくつか挙げてみます。
これが世間の常識です。
本件で同じような見出しを考えれば次のようなものでしょう。
このような経済学界のひどい現状を無視なさっておられると西村和雄氏も後世に悪名を残されることになるでしょう。勿論最も悪いのは、辻村であり、黒田であり、慶応義塾であるのですが・・・・・
大学生の学力低下を訴えられるより前に、世間の常識にしたがって、なさることがあるのではないでしょうか。
同じ名前を残すなら、良い名前を残されるべきでしょう。
辻村や黒田などのような学者のクズに気を使っておられると、ご自分までクズと言われることになりかねません。
なお私は語彙が少ない上に、普段あまり他人の悪口を言ったり、書いたりしませんので、他人を悪く言うのに、悪党、破廉恥、悪徳、などしか知らず、大変単調なものになっておりましたが、先日、元塾生(元慶応大生)を名乗る男性が、慶応のクズ教員のリストなるものを作成して、メールで送ってくださいましたので、リストはそのままでは使用できませんが、クズという言葉を拝借することとしました。ここに表記して、お礼申し上げます。
ここまで書いてきて、西村氏に対する手紙のような雰囲気になってきました。今まで述べてきましたことを要約しますと、次のようになります。
以上の状況から辻村の消費習慣形成仮説が間違っていると宣言なさるのは、日本経済学会会長である西村和雄教授が最も適役でしょう。何も難しいことはありません。
これは科学上の明確な間違いを指摘するだけで、学問の自由を犯すことにはなりません。
このような宣言をなさらないということは、科学の進歩、発展に反する態度であると言えましょう。
さらにこれは日頃、「大学生の学力低下」を訴え、2002年から始まる、更なる「ゆとり教育」、つまり「新教育指導要領」の実施の中止を求めての署名集めをなさってまでして、「国民のための教育」を実現するきっかけとしたいと希望なさる、西村
和雄教授の行動とは矛盾する態度でしょう。
みなさんは本件について、どのようにお考えになりますでしょうか。
最近の日本では不祥事と言えば、雪印や三菱自動車、ブリヂストンにおける事件が先ず頭に浮かびます。経営陣が悪いのは確かなのですが、企業の内部にいる労働者が会社の悪事に抵抗した、内部告発した、という話もあまり聞きません。労働者が動きにくいのは、百も承知なのですが、だからと言って、腐っているもの、危険なもの、間違っているもの、正義に反するものを放置したままにしておいて良いという言い訳にはなりません。
自分たちも消費者なのですから勇気を持っていただきたいと思います。最近では組合からして経営陣の手下、飼い犬のようなありさまです。
自分が身を置いている組織を守ろうという行為が、公益に反する場合は、逆にその組織を危うくすることもあるのです。
同じことは慶応義塾の場合にも言えます。
何が正しいか、つまり公益を無視して、慶応義塾を守ろうというような浅はかな考えや、出世のためにというような考えだけで、同僚学者、後輩学者、大学院生、大学生の皆さんが動くとするなら、生徒は集まらず、慶応義塾に属しているというだけで、軽蔑されるような日が遠からず訪れるでしょう。
勿論慶応に関係ない人も打倒・悪徳慶応義塾のためにご協力下さい。
30数年前の私の場合はクチャクチャにされました。相談する場所もありませんでした。マスコミも、経済学の初歩でもわかる人はいない、わかろうとする人もいない、学者もこちらの言い分に同意してくれる人はいても、証言をしてくれる人はいないというありさまでした。
マスコミの対応は、ちょうど桶川事件の被害者が何度も訴えたにもかかわらず、無視し続けたという警察の対応と同じでした。マスコミに取り上げてもらいやすいというので、セクハラにあった女子学生をうらやましく思ったほどでした。
(余計なことを言って誤解されないように念を押しておきます。セクハラなど大したことはない、とか被害に遭われた女性をお気の毒と思わないなどということでは勿論ないのです。マスコミがどうして大学や大学院での自分勝手で、狂暴な教授による被害に関心を持たないのか、残念に思ったということなのです。これはアカデミック・ハラスメント、略してアカハラと言うのだそうですが、パソコンで検索しても、アカハラと言う名の鳥に関するページが次々に出てくるぐらいで、あまり一般的には知られていないようです。また「大学で起こったセクハラ」というように女性の被害だけに絞っているのがほとんどです。もっとも本件はアカデミックな問題ではなく、算数の問題にすぎないのですが・・・。)
新聞や雑誌などのマスコミは、政府の発表をそのまま書く、警察の発表をそのまま書く、大学(教授)の発表をそのまま書くという具合で、教育問題でも教育をする側からの意見、考えがほとんどで、教育を受ける側の意見や考えはほとんど取り上げられていないというのが現状です。
例えば、現在の「ゆとり教育」によって「学力の低い大学生」が生まれ、更に2002年から実施される「新学習指導要領」によって、大学生の学力はますます低くなる、これは困ったことだ、大変だ、というような図式が、「分数ができない大学生」の著者である、西村
和雄、浪川 幸彦 、戸瀬
信之氏たちの思惑通り、あちこちのマスメディアで報道されています。
しかし本件に対する態度から判断しても、この人たちが、とても「本当の意味での、国民のための教育を実現する」のを目的となさっているとは思えません。
しかし現在はインターネットの時代です。私たち教育を受ける側からの意見を訴えていくことが出来ます。また昔ならこのホームページの内容を誰か、知らない人に伝えようとすれば、ほとんど不可能なことでした。ビラを配っても、内容はほんの「あらすじ」だけになるでしょうし、ビラを読んでも、どちらの言い分が正しいのか全く判断できないでしょう。
このホームページをお読みになっても、同じように私の言い分が正しいかどうか分からないという方も多いことと思います。また全く興味が湧かないという方も多かったかもしれません。
しかし短期間で多くの人に読んでいただいたということだけでも有り難いことだと思っています。外国にお住まいの方々からもメールをいただき、うれしく思いました。今の時代、外国も国内も変わりはないのですね。
また私には一応書くべきことは書いたという満足感も出来ました。
あとはこの不祥事を、より多くの方々に知っていただき、学校、大学、教育界、学会の改善に役立てばと願っています。特に慶応義塾はこの不祥事をもみ消すのみで、なんの反省も謝罪もしていないままですので、ぜひ皆様の力をお借りしたいと思います。
慶応に関係ある人も、無い人も、悪徳慶応義塾や辻村江太郎、黒田昌裕の悪行三昧を永く語り継いでください。また「分数ができない大学生」の著者の先生方の恥ずかしい振る舞いも、大学の先生の実態を知るための資料として記憶しておいて下さい。
読んで面白かったという方は勿論ですが、面白くなかったという方も出来ればこのホームページの話題をお知り合いの方との会話の中で取り上げて下さい。悪口でもかまいません。少しでも多くの方に読んでいただければと希望いたしております。
このホームページが永く続くことで、私の言い分が根も葉もない、でたらめなものではないとご理解いただけるものと思います。
もし間違った、悪意ある情報なら、消されてしまうはずだからです。
学者の世界の一端でもご理解いただけたのでしたら、望外の喜びです。
冒頭にも言いましたが、大学が教育の場、研究の場であるべきなのは言うまでもないことなのですが、慶応義塾というところは、これとは全く正反対のところです。これは患者の生命第一に、医療行為を行うとされる病院で、殺人行為が行われているようなものです。
実際にごく最近、看護スタッフが筋弛緩剤を患者に点滴して、殺してしまったという事件がありました。この犯罪を隠そうと、病院や医師会が画策したとしたら、とんでもないことですが、慶応義塾のやったことは、まさにこれと同じことなのです。
また日本経済学会もこの医師会と同じようなものに、なりかけています。
また西村
和雄教授と同じ京都大学の医学部付属病院において、入院中の女性が、人工呼吸器の注水器に、消毒用エタノールを誤って注入されて中毒死したという事件がありましたが、この医療過誤を、女性の死亡診断書に記入せず、遺族にも誤注入の事実を隠していた医師が虚偽公文書作成容疑で書類送検されることになったと、昨日(2001年1月12日)の各新聞は伝えています。氷山の一角でしょうが、大学関係者というのは本当に冷徹で、恐ろしい人が多いですね。
しばらくは西村
和雄教授などに対する、抗議、お願いは続けて行くつもりです。
もしご賛同いただけるようでしたら、私は署名集めはいたしませんので、日本経済学会会長でもある西村
和雄教授などに、病弱な私に代わって、直接、抗議、お願いをしていただければ有り難いことであると思います。
人の道にはずれた、出来の悪い教授を野放しにしておいて、入学試験だけを難しくしても、大学は良くなりません。
西村教授は京都大学のホームページから経済研究所に行けば、ご自分のメールアドレスを公開しておられます。
京都大学のホームページは
http://www.kyoto-u.ac.jp/
です。
尚、西村教授の顔は次のホームページで見ることができます。
個性的な額のあたりは少し不鮮明ですが・・・http://web.archive.org/web/20021221150257/http://www.sam.hi-ho.ne.jp/yabu/education/kyouto.htm
教育フォーラムの所員、戸瀬
信之慶応義塾大学教授のメールアドレスは慶応大学日吉キャンパスのホームページで公開しておられます。
http://www.math.hc.keio.ac.jp
岡部恒治埼玉大学教授のメールアドレスはご自身のホームページで公開なさっておられます。
このホームページは岡部教授の顔写真付です。
(なお今日、このページを久し振りに覗いてみましたら、岡部教授の顔写真が漫画の顔写真に変わっていました。さすがチョット恥ずかしかったのでしょうか。但し漫画はご自分で描かれたのなら、なかなか上手です。2002年6月28日、このカッコ内のみ追加しました。)
http://www.eco.saitama-u.ac.jp/~okabe/
勿論私の言い分にご賛同いただいた方は慶応義塾大学にボランティア活動として抗議していただけば大変有り難く、よろしくお願いいたします。
けれども慶応義塾のホームページから、黒田
昌裕などのメールアドレスを知るのは難しいようです。
それゆえ慶応大学の、どの学部のどなたのメール宛でも結構です。
「このホームページ
http://homepage2.nifty.com/inachan/
をお読みいただくように」と伝えていただければ本当に有り難いことです。
慶応義塾大学のホームページは、以下の通りです。
http://www.keio.ac.jp/index-jp.html
ところで、先日(2001年7月18日)、読売新聞の「いずみ」という小さい欄に、京都大学経済研究所の西村和雄教授らによる私立大学生を対象にしたアンケートで、、「数学の受験勉強をした経済学部卒の会社員は、勉強しなかった場合より平均年収が約50万円高い・・・。」という結果が出た、という内容の記事が載っていました。
西村教授は「数学の学力が仕事への適応力などに役立っている」と推測している、とこの記事は報告しています。
経済学部の入試に数学を必修科目とすべしという主張がいつのまにか、「数学を勉強すれば年収が50万円増えるから」という、どうでもよいような低レベルな話になってしまっているのには呆れてしまいました。
どうでもよいような記事とはいえ、新聞にとりあげられたのですから、また自分たちのホームページ「我々の活動に関する報道」
http://skk.math.hc.keio.ac.jp/edu/news2001.htm
に、これを自慢げに書くのかいな、と思っていたのですが、昨日たまたまこのHPを覗いたところ、本当にこれが書かれていたので笑ってしまいました。
(2005年8月26日、久し振りにチェックをしたところ上のURLは少し変えられていましたので、新しいものを記入しておきます)
http://ega.math.hc.keio.ac.jp/edu/news2001.htmそれにしても、同じ内容の記事が読売新聞だけでなく、朝日新聞、日本経済新聞、共同通信、産経新聞、京都新聞などにも載ったそうですから、少し複雑な心境です。記者クラブというものの弊害なのでしょう。 (この項2001年8月4日挿入)