日比谷カタンという異端の音楽家が、現在までの音源と既存曲の再録音源を含む未発表音源をオトトイのためだけに自らセレクトした作品を発表する。実際の対話、コミュニケーションの可能性、そして困難と向き合った結果生み出される日比谷カタンという表現は、誰もが普段は見ないふりをするような場面であっても、予想もしない角度からスポットライトを当ててみせる。それゆえに、どうしても目が離せなくなる独自の表現世界からオトトイに届けられた全6曲。その世界に足を踏み入れ、日比谷カタンとの対話を楽しんでもらいたい。
インタビュー & 文 : 佐々木健治
→ 「ヘテロのワルツ (路上録音 2010. 4/1)」のフリー・ダウンロードはこちら(期間 : 4/8〜4/15)
作家性とか芸術性とかはどうでもいい
――カタンさんのライヴは、MCも考えられているし、普通のライヴの息抜きみたいな意味ではないですよね。それも含めてのライヴという感じですけど、このスタイルはライヴを始めた当初からですか?
始めは偶然ライヴをやることになって、曲もないから慌てて作って、頑張って覚えて。マイクを立てて人前で喋るっていうのはやったことがなかったので、行き当たりばったりでしたね。当時はオネエ言葉ではなかったし、もっとユルく喋ってました。ただ、変なボケを言うとか、勝手に話があっちこっちに行くっていうのは当時からありましたけど、今ほど頻度も情報量も多くなくて。もう少し音楽に集中していたような気がするんですけど(笑)。
――(笑)気がついたら、今のスタイルになっていたという感じですか?
初期衝動でやっていた頃なので、慣れていなかったし、腫れ物みたいな感じだったんですよ。周りに対してピリピリしているのではなく、自分で潰れてしまいそうな中でやっていた。当たり外れも激しかったですし。その葛藤の中で、曲としては意味を持たせるんだけど、一般的には分かりにくい歌詞だということも自分でも認知はしていたんですが、あまりにも伝わらない(笑)。それと、印象で全部終わられてしまう。それはありがたいことなんですけれども、センシティヴに受け止められてしまうことが面倒臭くて。僕は作家性とか芸術性とかはどうでもいい人間なので。芸術的感性でオーラを振りまいてそこにいるとか、そういうのが苦手なんですよ。でも、初期に作った曲は慌てて作って、自分の情報を全部詰め込んだような曲になってしまったので、悪い意味で敷居の高い世界というか、踏み込みにくい世界を作ってしまったのかなと。
――お客さんが入り込みにくかった。
そうですね。演奏とか歌とか雰囲気で受け入れてくださる方はいたんですが、当時は賛否が凄くて。一部の方には強く支持して頂いてライヴを続けることはできたんですけど、先入観を強く持たれてしまう。MCでも笑わせてはいたんです。ただ、僕が先入観とかそういったものを壊したくて喋っているというところまでは伝わっていなかった。逆に、その当時ファンになってくれた人は、今は全然来ないですね。喋りすぎるからかと(笑)。ライヴを始めた2001年、2002年の頃は、お客さんの妄想とか想像とかに余力を与えていたと思うんです。どういう人なんだろうとか。どういう意味なのかとか。でも、あまりにも喋りすぎるので(笑)。ミステリアスじゃないと。
――答えを言わないでと。今回の収録曲の中で、活動初期の頃に作った曲と言うと?
「キッチンレアリヅム」と「ヘテロのワルツ」ですね。その頃にURiTAという人と知り合ったんです。彼が中野駅のサンモールの路上でやっていたライヴが素晴らしくて。路上のライヴであんなに聴き入ったのは人生初めてですね。それで声をかけて、そのまま一緒にやってみたら気に入ってもらえて、一緒にやらないかと誘ってもらって人前で演奏するようになったんです。だけど、そのうちURiTAが一人でやりたいということになって、これからどうしたらいいんだろうと。彼から凄くいい刺激をもらって、じゃあ自分は何をしたらいいのかと。そういう中で、僕が一人で作った最初の歌ものが「ヘテロのワルツ」ですね。この曲は、アルバム「ウスロヴノスチ」に収録したバージョンを配信するのではなくて、初心に帰って(笑)中野の路上で録り直そうと思っています。その方が生々しくて、自然な感じになるかなと。ototoyでの配信限定の音源になりますね。
――「キッチンレアリヅム」はセカンド・アルバム「ウスロヴノスチ」にも入っていますよね。
「ウスロヴノスチ」に入っているのは2007年に一発録りしたものなんですが、配信させていただくものはCD-Rの自主制作盤を作っていた時代のもので、サラヴァ・レーベルのコンピレーション『くさまくら』に収録されたヴァージョンです。個人的にはフリッパーズギターへのオマージュのつもりです(笑)。初期衝動がまだ続いている2001年頃に録ったものですね。
中野の路上にて |
――「対話の可能性」は、カタンさんにとってはかなり重要な曲ですよね。
そうですね。この曲は、副題にCard Bop Textologyというのが入っているんですけども、ハードバップになぞらえて。僕はキャノンボール・アダレイのコンボが好きで。「対話の可能性」のメロディをアルト・サックスとトランペットで吹くと完全にハードバップになるんです。それで、途中で人格を変えながらフォー・バースが入って、アドリブをやる。という構成に歌詞をのっけてると。歌詞は僕の本音なので、攻撃性はありますけど。いつになるか分からないですけども、「対話の可能性」の完全ハードバップ・ヴァージョンを録るかもしれないですね。
――この曲の歌詞が持つ意味はカタンさんの中で大きいですよね?
そうですね。認識は今も変わらないですね。この歌詞をいろいろな曲で言い換えているだけというか。人と人とが出会って、触発されて人生が変わっていく。そこで、本来は話を続けなければならない。だけど、話が途切れることがあるじゃないですか?
――はい。
それは何なんだっていうことが、僕のテーマでもあるんです。例えば、意味不明な話でもないのに意味不明な話と受け取った側の問題、そう受け取られた自分の問題、両方がある。そこにはあの人は苦手、あの人とは話したくないみたいな先入観があって、全く理解とは程遠い状況が、日常のあらゆる場面である。それは何故なのか。例えば、生理的に気に食わないという理由で、くだらない悪口を言うような人もいる。そんなレベルの人間に何も言われたくないとも思う反面、逆に何がその人にそんなことを言わせたのかとか。何でその言い方をしたのかと聞きたくなってしまう。相手のことを理解しようとするなら、そんな態度を取らないはずですから。コミュニケーションを良くしたいとは皆が思っていると思うんです。そういった思考停止の状況で話をしても、意味がない。それは普段のライヴでもあることですが、もちろん僕はそれでもアプローチを続ける。
――なるほど。
でも、ミュージシャンって言うのは、何の為に音楽をやっているのか? っていうのが、正直分からないんですよ。いい演奏を観れば、よかったです。と言えるけれど、そもそも何であなたは人前で音楽をやっているんですか? という質問にはならない。僕はそこが全然分からない。10年活動をしてきてますけれども、自分はミュージシャンではないと、ますます確信を持ってきているんです。周りの人達はそんなことも関係なく、音楽をやっている。それは凄い差だと思うんですよ。例えば、ライヴをやって、お客さんに何を届けたいのか。もちろん、楽しんで欲しい。じゃあ、お客さんに楽しんで欲しいのは何故? と何故が続いていく。逆にお客さんはそこでパワーをもらったとして、それを日常にどう活かすんですか? と。日常の問題、ストレスを抱えて、ライヴに行くことが生きがいという人もいますよね。それでライブを観たら何か変わるのか? と。受身ではない自分は、本当は何がしたいのかと。野暮な質問ですけど。それでそのストレス、根本の問題は解決するのか。同じ状況でストレスを感じる人、感じない人の差は、その状況でストレスに感じない回路を作れているかどうかだと思うんです。僕の場合はライヴを繰り返す中でその回路を作ることができた。僕の根本が変わったのではなく、そういう回路ができただけ。そういう可能性は誰にでもあるんじゃないかと。どんな逆風にも、絶対これをやるぞということが見つかる可能性。そのきっかけになるようなことをしたいんだと僕は思うんです。
――ミュージシャンではないという実感は、他にはどういうところで?
音楽に対する僕の固定観念はあるし、だから今みたいな形態になっているとは思います。本当はごく自然に歌が歌えれば、こんなにいいことはない。でも、僕はそうではない。自然に歌うマネはできても。本当に歌を歌えている人は、絶対にこんなことも考えていないと思うんです。歌いたいから歌うだけで。でも、僕は歌うってこういうこと? みたいな意識のままライヴをやっている。音楽に対して、よそよそしさが凄くあるというか、ライヴ中も違和感が常にあるんです。いろいろな天才と会いましたけど、一音出すだけで、これはまいったなと思いますからね。音楽に対して純粋だし、僕にはそれがないから、ミュージシャンの気持ちって分からないんです。「今日もいいライヴができた」みたいに屈託なく言えるって、凄いと思いません?(笑)
――(笑)そういう気分になったことはないんですか?
合格点、及第点みたいなのはありますけど「今日はいいでしょ! 」みたいなことはないです。自然さが音楽に対してないんですよ。僕は曲を覚えるのも凄く効率が悪いし、普通に歌を作って歌われている人達との差を痛感しているだけに、よりはっきり感じるんですよ。「これがこう、それはそうして。はい、できました。」かっこいい(笑)。そういう感じがないんですよね。
作り手がパッケージに拘るだけではもったいない
――カタンさんの曲作りはどういう感じなんですか?
今度、新曲を作る過程をWEBにアップしたんです。とんでもなく無駄なプロセスを一人何重人格の対話形式で説明して、歌詞を書く時にどれだけ検討違いの方向に行くかということも入れて。ほぼ実際の作業通りなんですが、かなりの長文というか駄文になってしまいました(笑)。あんな無駄な経緯があって曲を作るってありえないんじゃないかと。ミュージシャンなら(笑)。
――今回収録されている「Stereoboy Versus Stereotype」は新曲ですね。
映画監督の熊坂出さんが去年撮ったショート・ムーヴィー「じかんのじかん」という作品に挿入されている曲です。10歳ぐらいの子供が、自我が少し発達してきて、自分だけの秘密を持ち始める。その子は、ロックに目覚めてしまう。家でヘッドフォンを付けて、誰も知らないところで、一人で踊っている。その少年の過渡期を描く作品で、ストーリーもNIRVANAとかPEARL JAMとか、そういう感じの曲を聴いている設定だったので、監督からそういう感じの曲、ない? と聞かれて、無いの知ってるでしょと(笑)。それで、ステレオタイプなグランジっぽいイメージで作った曲なんです。デモみたいなものでほんと申し訳ない(笑)。映画にも挿入されたヴァージョンですけれども、完成とは言えません(笑)。いろいろなところでリズムがズレたりもあるんですが、デモならではということで。
――ライブ・バージョンの「ヲマヂナイ」は、新大久保ジェントルメン(梅津和時/太田恵資/清水一登の変名ユニット)との共演ですね。
これは1stアルバムのボーナス・トラックです。梅津さんに誘っていただいたイベントなんですが、即興でお三方に混ざっていただきました。とにかくお三方が凄くて、煽られている感じのいっぱいいっぱいな状況でした。にしては健闘してるんじゃないかと(笑)。
――今回の配信とも繋がると思いますが、カタンさんはメディアに対してもかなり考えて動かれていると思うのですが。
今は、いろいろなインフラが整備されてきているけれども、そこに乗らなければ意味がない。その格差は凄く広がってきていると思うんですよね。こんなによくしてくれているのに、乗らない。ototoyの配信にしても、今のメディアの状況を考えても、過渡期ですから、その流れに乗らない手はないですよね。そうなっていくものだと思うので。もの作り概念というか、アルバムを作りたい、CDを作りたいって言うのは、音楽行為とも違う思い入れが入ってますよね。CDを作るってことをしたいってことだと思うんです。所有欲というか。僕もアルバムは創りたいけれど、それとは別問題として、ネット上で無料で音楽を聴ける時代で、作り手がパッケージに拘るだけではもったいないと。4/22の『対話の可能性』というイベントでも、メディア・ジャーナリストの津田大介さんをお迎えして、そういうメディアについて、これからどうなるんですか? みたいな話をしたいと思っています。
日比谷カタン PROFILE
広告デザイナーとして活躍する傍ら'01年に弾き語りによる活動を開始。情報過多な歌詞、多重人格な歌声、プログレッシヴかつポップで緻密なアレンジの楽曲、独創的なアコースティック・ギターを駆使し、噺家の如き洒脱なトークを交えたステージが評価される。第58回ベルリン国際映画祭新人作品賞「パークアンドラブホテル」音楽担当。Xbox360 RPG『ロストオデッセイ』OST「亡魂咆哮」でのラップ調語りも話題に。海外でも評価が高く、多数の欧州系ジャズ・フェスに出演、仏公演等でも成功を収めた。'08年からライブ&トークの自主企画「対話の可能性」を渋谷UPLINKで展開中。
- website : http://katanhiviya.com/
EVENT SCHEDULE
日比谷カタン×UPLINK present Live&Talkショー『対話の可能性』vol.7
"4/22 渋谷UPLINKなう。つかメディア、どうするの? 音楽業界、どうなるの? tsudaさんに訊いてみるなう。"
開催日 : 2010年4月22日 (木)
会場 : 渋谷・UPLINK 03-6825-5502
開場 : 19:00 開演 : 19:30
料金 : 1800円(1ドリンク付き)
出演 : 日比谷カタン / トーク・ゲスト : 津田大介(メディア・ジャーナリスト)
詳細 : http://www.uplink.co.jp/factory/log/003510.php
日比谷カタンがUPLINKで贈るLive&Talkショー「対話の可能性」vol.7ではトーク・ゲストにメディア・ジャーナリストの津田大介氏を迎える。『Twitter社会論-新たなリアルタイム・ウェブの潮流』(洋泉社)をはじめネット時代のクリエイティビティにまつわる数々の提言で現在を牽引している氏と共に、ツイッターや音楽/コンテンツ/メディア界...に限定されない様々な話題を展開する予定。開催日までにメールとツイッターによる津田氏への質問も受付中(ツイッターでの質問用ハッシュタグは「#422taiwa7」。メールでの応募方法は詳細ページを参照のこと)。
一瞬で引き込まれる世界観を持ったSSW
渡辺 勝 / 渡辺 勝
岡林信康のツアー・メンバーに始まる音楽活動40周年の本年。はちみつぱいに遺した名唱で知られるシンガー・ソングライター(よりはシャンソニエの呼称が相応しい)、渡辺勝のこの数年活動を共にする歌手・松倉如子のプロデュースによる、8年ぶりのオリジナル・アルバム。 船戸博史とのデュオ、さらに川下直広と古澤良治郎が参加した演奏で録音は行われ、最後に渡辺勝の伴奏で松倉如子が歌った1曲を加え新曲6曲含む全13曲。それは40年の集大成でも、声高に最高傑作と叫ぶものでもなく、これから始まる新しい渡辺勝の初作として、その今をお届けするもの。J・ブレルのカバーや、アーリータイムス・ストリングス・バンド時代の「逢えてよかった」「群青の空」「僕の家」など自曲のカバーも収録。
とうめいなじかん / とうめいロボ
『生と死、こちら側とあちら側など、あらゆる境目を歌にした』という、ポップでありながらも、ギリギリにセンシティブな歌の傑作群!女性シンガーファンなら必聴の名盤登場!
パンパラハラッパ / 松倉如子
元はちみつぱい/アーリータイムス・ストリングス・バンドの渡辺勝、二階堂和美の才能に狂喜した渋谷毅氏がもっぱら惚れ込んでいる天性爛漫治外法権な狂喜のシンガーの登場! 矢野顕子や大貫妙子も髣髴とさせるがその中にも少女性と幼女性が見え隠れして魔性の臭いを漂わせる。曲ごとに変化する雰囲気/演技力は鬼気迫るものが。スウィング、ムード歌謡、フォーク等の要素を完全に松倉ワールドに染め上げてるところは エゴラッピン〜小島真由美好きにもたまらないはず。
・松倉如子『パンパラハラッパ』text by 渡辺裕也