
木村拓也というアイドルの見かけだけの派手な名前と同姓同名というだけでも、人には言わなかったが、心理的には一生ついてまわる重圧もあったと思う。地味でこつこつ積み重ね、監督の信頼も厚かった。オールラウンド・プレイヤー(実際去年は臨時捕手までやった)をかわれて、日本代表にもなった。しかし、地味であまり脚光を浴びるのを、なんんとなく嫌がっていたように感じられる。しかし彼こそ日本一派手な球団にもかかわらず、一般ファンは少なかったが内部では、選手はおろか、巨人軍関係者にありほど愛されていた男はいない。そしていつもはにかんではいたが、野球に取り組む姿勢に、これほど真摯な選手もめずらしかった。もう一人の「キムタク」には全然興味がないから知らないが、人格的にはジャイアンツの「キムタク」の方が、はるかに素晴らしかったとおもう。
私事で恐縮だが、私は37歳で「ニュースステーション」をはじめた。巨人の木村拓也は同じ37歳で、この世を去った。わたしはこの歳ぐらいから、やっと報道が分かり始め、世界中を飛び回った。ふつう37歳からでも、それまで生きたきた年数以上の経験をするように、人生は組み立てられているはずだ。しかし木村は突然その人生の後半時間を、断ち切られてしまった。
運命とはつくづく非情なものだと思う。この非情な運命を受けて、木

村のように、若くして逝くひともいれば、過酷なままで生き続けるアホ(私のこと)もいる。いずれにしても人生とは、苦しいか、はかないか、そのいずれかであろう。そのはかなくも、苦しい人生を甲子園で終えた(実際グランドで意識不明になり、意識は戻らないままだった)のが、野球人としてせめても救いだった。その甲子園で行われた伝統の巨人ー阪神戦で、選手たちが木村を忍び、喪章をつけてプレーをした。小笠原のホームランはもとより、松本のファインプレーも、故人に恩返しするには、よいプレーで返すしかないとする「プロ」の根性であったとおもう。
いずれにしても故・木村拓也に合掌するしかない。
重箱の隅をつつくようで申し訳ありませんが…