昭和43年に東レに入社。 |
テキスタイルを主の営業をして来ました。 |
繊維業界は、生産者から消費者までが非常に長い(中間業者が多い)と感じました。 |
当時は、繊維業界の力が凄く強く、中間業者を維持するだけの利益を享受することが出来ました。 |
しかし、将来このシステムは崩壊すると感じていました。 |
昭和の時代が終わる頃には、通信速度と物流速度が飛躍的に向上。 |
海外の生産拠点の品質向上などグローバル化が加速して、繊維業界の物流システムは崩壊してしまいました。 |
1990年、海外へ単身赴任をしている時に日本から妻の重病の知らせで帰国。 |
3ヶ月の治療も虚しく最愛の妻をガンで亡くし、3人の子供を一人で育てることになりました。 |
会社の計らいで婦人服部長のポストで本社へ戻りました。 |
1994年、世界の生産センターと呼ばれたマレーシアに赴任。 |
ヨーロッパへ市場開拓の出張を敢行し、1日1国1社の出張生活で、三十数カ国を訪問。 |
商談が終わってから、ディナーの席で趣味のピアノ演奏。 |
日本の曲を紹介すると店中で大合唱。 |
化繊は、レイヨンからナイロンになり、この時期にポリエステル繊維にシフトする時期でした。 |
日本の製品の品質はずば抜けていて、ヨーロッパの高級ブランドメーカーへ営業すれば、必ず売れるという、凄く良い時代でした。 |
セカンドライフは、海外が楽しい。 |
海外赴任が長い為、雑誌などで紹介される海外でロングステイを成功させているご夫婦とも親しくしており、団塊の世代の方で興味のある方は、是非、実際に生活されている方から話を聞かれると良いのではと考え、海外ロングステイ体験ツアーを企画しようと会の終盤には、盛り上がりました。 |
最後になりましたが、繊維業界の変遷及び海外ロングステイの勧めについてお話し頂きました土井英嗣様、また、素晴らしい出会いを演出して頂きました錫村民生様と山崎賢二様に、深く感謝申し上げます。 |