1972年の沖縄返還を前に、沖縄に保管されていたアメリカ軍の毒ガス兵器が撤去されましたが、この費用について、日本政府が一部を肩代わりすることを持ちかけていたことを示す文書が見つかりました。
本土復帰前の沖縄では、アメリカ軍の1万3000トンに上る毒ガス兵器が保管されていることが発覚し、住民の反発が強まりました。撤去は市街地を避けるため、新しい道路を建設して行われましたが、この際に日本政府がアメリカ側に、道路の建設費用の肩代わりを持ちかけていたことを示す文書を、沖縄県公文書館の職員がアメリカ国立公文書館の保管資料から見つけました。文書は1971年4月、当時の沖縄のアメリカ民政府の最高責任者である高等弁務官の部下が作成した「日本政府のシナリオ」という題の内部文書です。それによりますと、日本政府は当時の琉球政府にアメリカ側に対して費用を負担するよう要求させるとする一方で、アメリカ側には琉球政府の要求を拒否するよう働きかけています。これによって琉球政府が日本政府に費用負担を持ちかけ、これに日本政府が応じることが想定されていて、実際に費用の20万ドルは日本政府が負担しました。これについて、国際政治が専門の琉球大学の我部政明教授は「日本政府はアメリカ側に費用の負担を求められていたが、直接支払うのは対外的な説明が難しいため、琉球政府を利用して肩代わりの根拠にしようとしたのではないか」と話しています。