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[1075] Fate/stay night  ~その時、聖杯に願うこと~
Name: 石・丸◆054f9cea ID:cd39b2d5
Date: 2010/03/10 21:06
 
 
 その時、聖杯に願うこと 1 
 
 彼へと迫る閃光のような一撃を、力の限り打ち弾く。
 腕に伝わる激しい衝撃と、眩しいほどの魔力の発光。その光で薄暗い土蔵が明るくなった。
 
「――――本気か、七人目のサーヴァントだと……!?」
  
 態勢を整えている暇はない。私はそのままの流れで槍を構える男へと踏み込んだ。 
 振るった聖剣の回数は二度。
 槍の男――ランサーは、二度目の一撃で大きく体勢を崩した。
 
「ちっ――!」
  
 軽く舌打ちをしながらもランサーが後退する。
 それは神速の如き素早さだった。ランサーは一息も吐かないうちに土蔵の外へと身体を躍らせている。
 だが、これで当初の目的は達せられた。
 私は油断なくランサーを牽制しながらも、ゆっくりと背後に居るだろう人物を振り返った。
 
 ――覚えている。
  
 その日は、とても風の強い日だった。
 月明かりが銀光のように土蔵へと射し込み、私と、目の前で尻餅を付いている少年を照らしている。
 
「――――――」
  
 彼は驚いたように、声も無く私を見上げていた。
 赤茶けた短髪。男性としては低目の身長。だけど華奢ではない。その腕も、その胸も鍛えられていて逞しい。
 私はその力強さを知っている。
 彼のやさしさも、暖かいその温もりも知っている。
 
 無茶ばかりしていた。いつも、傷ついていた。理想の重さに潰されそうになりながらも、それでも走りつづけた。
 二人で声を荒げて、喧嘩もした。
 お互いが、お互いを想って、それでも曲げることが出来ないからぶつかった。
 あの夕日の中で私は彼を罵倒し、そんな私をもう知らないと彼は走り去って行く。
 だんだんと小さくなっていく彼の背中。それを見た私の心に広がった小さな波紋。
 
 ――辛かった。
 けれど、彼も辛かったに違いない。それでも彼は私を迎えに来てくれた。
 あの時の彼の手の温もりを、私は忘れることはないだろう。
 
「――――――」
  
 シロウ、と呼んだら彼はどんな顔をするのだろう?
 言葉もなく、ただ見上げている彼。
 驚くだろうか?
 でも、私が今言うべき言葉は決まっていた。
 私は、言葉に万感の想いを乗せて――
 
『――――問おう。貴方が、私のマスターか』
  
 そっと、それだけを口にした。
 
 
「え……マス……ター……?」
  
 彼はオウム返しに問われた言葉を口にする。
 私が何者なのか、今、何が起こっているのかが判らずに混乱しているのだろう。
 でも私は知っている。貴方が何者なのかを。
 
「サーヴァント・セイバー。召還に従い参上した。マスター、指示を」
  
 私の声を耳にした瞬間、彼が左手の甲を押さえながら苦痛に顔を歪める。
 そう、令呪が現れたのだ。
 
 令呪が私と貴方を繋ぐ。私にとって唯一のマスターである貴方と。
 
「――これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある――――ここに、契約は完了した」
「け、契約って、なんのっ!?」
  
 今は説明している時間はない。外にはランサーが控えているのだ。
 私は彼に背を向けて土蔵の外へと身を躍らせた。
 
 
「やめっ――――!」
  
 彼の声を背中に受けながらランサーに聖剣を叩き付ける。
 土蔵から飛び出た瞬間に槍兵が待ち受けていたかのように襲いかかってきたのだ。
 その一撃を受け払い、流れのまま攻撃に移る。
 振るう一撃に魔力を込め、そのまま爆発させた。
 ランサーと如何に体格差があろうと、溢れる魔力でその溝を埋める。
 
「ちぃっ!!」
  
 上段から袈裟斬りに振り下ろす。その一撃を槍の腹で受け止めたランサーが後退した。
 だが、攻撃の手を緩めるわけにはいかない。
 私はその後を追撃し、上から、横から、下からと連撃を火のように加えていく。その一撃をランサーが受ける度に、激しい剣戟の音と併せて火花のような閃光が走った。
 
「ぐっ……卑怯者め、自らの武器を隠すとは何事か――――!」
  
 ランサーが悪態を吐く。
 さしものランサーも、この武器相手ではやりにくいとみえる。
 そう。私の持つ剣は見えないのだ。
 
 ――ならば、押し込む。
 
 聖剣を下段に構え、肩から突っ込むように前進しそのまま振り上げた。
 ランサーの槍を打ち払い、返す刃で空いた空間に一撃を見舞う。
 
「てめぇ……!」
  
 ランサーが更に後退し、こちらも更に押し込んでいく。
 激しく散る魔力の飛沫に合わせて剣舞のように続く連撃。それでもランサーは全ての攻撃を防ぎきっていた。
 
 ――初見で、しかも見えない武器相手だというのによくやる。
 
 だが防御に徹して防ぎきれるほど私の攻撃は甘くない。
 彼が守るなら、その守りごと撃ち砕く。
 私は渾身の力を両腕に込めて、相手のガードの上からでも叩き割れる一撃を放つ。
 
 だが――
 
「調子に乗るな、たわけ――――!」
  
 一瞬にして視界からランサーが消えた。
 
「ち……!」 
 
 見失った彼の気配を直感で辿る。
 彼は一旦後方へと飛び退り、着地と同時に弾けるようにして舞い戻って来ていた。
 しかし、相手の行動が読めても私の体勢は崩れている。振り下ろした聖剣は未だ地面を撃ち据えたままで、ランサーは眼前に迫っていた。
 ここが勝機と必殺の槍を繰り出すランサー。
 だが、私とてセイバーの名を冠するサーヴァントだ。
 迫る必殺の一撃を円を描くようにして避けると、そのまま相手の脇腹に向かって聖剣を走らせて――
 
「ぐ――ッ!!」
「ぬ――っ!!」
 
 激しい衝撃が両腕から全身へと伝わっていく。
 渾身の一撃は互いの武器を打つに留まったようだ。そして、その勢いで私とランサーの間合いが大きく開く。
 離れた間合いの中、ランサーは槍を構え、じっと私を睨み据えていた。
 
「どうした、ランサー? 止まっていては槍兵の名が泣こう。それとも、私から行った方がいいかな」
「ハッ!、わざわざ死にに来るか。それは構わんが、その前に一つだけ訊かせろ。貴様の宝具――それは剣か?」
  
 ランサー射抜くように見つめる。
 あの時と同じ問い。ならば、私の答えも決まっている。
 
「――さあ、どうかな。戦斧かも知れぬし、槍剣かも知れぬ。いや、もしかしたら弓かも知れんぞ、ランサー?」
  
 私の答えに、ランサーは面白そうに口を歪めて
 
「――く。ぬかせ、剣使い」
  
 と言い放った。
 それからランサーが、僅かに槍の穂先を下げてもう一度だけ口を開く。
 
「……ついでにもう一つ訊くが、お互い初見だしよ、ここらで分けって気はないか?」
  
 チラリと、ランサーが私の後ろに視線を向けた。
 いつの間に土蔵から出てきたのか、そこには私のマスターが呆然と佇んでいる。
 
「悪い話しじゃないだろ? ほら、あそこで惚けているオマエのマスターは使い物にならんし、俺のマスターとて臆病者でね。イレギュラーな事態が起きたなら帰って来いとぬかしやがる。ここはお互い万全の状態になるまで勝負を持ち越した方が好ましいんだが――」
  
 月光の下、ランサーが私の答えを待っている。その間に、私は視線だけを動かして自身のマスターを捉えた。
 彼は心配そうに私のことを見つめている。
 先程まで自身が殺されかけていたにもかかわらず、私のことを案じているのだ。
 本当に、彼らしい。
 私はほうっと小さく息を吐いてからランサーに視線を戻した。
 
「――いいだろう、ランサー。その提案を受けることにする。今宵は、ここまでとしよう」
「ほう、以外に融通が利くじゃねえか。セイバーなんて、どいつも堅物だと思っていたが……いや、助かったぜ」
  
 先に私が剣を下げたのを見届けてからランサーも槍を下げた。
 それから僅か一足で広い衛宮の庭を隅まで移動する。
 
「じゃあな。次に会う時を楽しみにしてるぜ、セイバー」
 
 青い槍兵は、身軽に塀を乗り越えて夜の闇に消えて行った。
 
 
  
 ランサーを見送ってから聖剣の存在を掌から消す。続けて、背後から駆け寄ってくる乱雑な足音。
 
「――――なんで」
  
 足音は私の側で止まった。
 それを確認してから、ゆっくりと主を振り返る。
 
 ――シロウ。
 
 彼は声をかけようとして、口を開こうとしてはそれを止める仕草を繰り返している。
 
 ああ、これは奇跡なのだろうか。
 私の目の前に、彼が、シロウがいる。
 あの日、別れた私の半身。もう会えないと、夢の中でならと眠りについた、なのに、私の目の前に彼がいるのだ。
 
 思わず彼に手を伸ばしてしまう。それにあわせて鎧が金属音を奏でた。
 その音に驚いたのだろうか、彼が半歩だけ後ろに下がる。
 
 ――いけない。
 
 私は何をしているんだ? こんなことをしても彼を驚かせるだけなのに……。
 そう思ったものの、一度動き出した想いは止まらなかった。
  
 駄目だ、やめろ――!
  
 心の声に反して身体が動く。
 一歩だけ近づいた。今度は彼も動かない。。
 ゆっくりと差し出した両腕が彼の背中に廻っている。気がついてみれば、私は彼をきつく抱き締めていた。
 
 ああ――シロウが私の腕の中にいる。
 
 シロウが、シロウが、シロウが――私の腕の中にいる。
 
 永遠か、一瞬か。月明かりを浴びながら、私は彼の胸に顔を埋めてその温もりだけを感じていた。
 静寂の中、密着した身体が彼が動くのを伝えてくれる。
 私は震えていたのだろうか。彼はそっと私の肩に手を置いてやさしい声で
 
「――なんで、泣いてる?」
  
 はっと、彼を見上げた。間近で視線が絡み合う。
 頬を伝う熱さ。
 
 私は――泣いているのか?
 
 これじゃいけないと、私は慌てて彼から腕を離して背中を向けた。それから右腕で目元を覆って、改めて彼に向き直る。
 今度は、強く、自分を律しながら。
 
 それで場に緊張感が戻ってきた。彼はその変化に戸惑いながらも疑問を口にする。
 
「――――おまえ……なにものだ?」 
「……何者もなにも、セイバーのサーヴァントです。シ……貴方が私を呼び出したのですから、確認するまでもないでしょう」
「セイバーの……サーヴァント……?」
  
 何を思っているのか、彼の目が驚きに見開かれている。
 
「はい。ですから、私の事はセイバーと」
  
 ――そう、呼んでください。
 
「そ、そうか。ヘンな名前だな……」
  
 彼はそわそわと地面に視線を落としたり、私を横目で見たりしながら最後にぶっきらぼうにこう言った。
 
「お、俺は士郎。衛宮士郎っていって、この家の人間だ」
  
 シロウ。そう、貴方の名前はエミヤシロウ。私の魂に刻まれている、永遠に忘れ得ぬ愛する人の名前。
 じっと見つめる私の視線を勘違いしたのか、彼が慌てたように両手を振った。
 
「いや、違う。今のはナシだ。訊きたいことはそういう事でなくて、つまりだな……」
「知っています。貴方は、正規のマスターではないのでしょう?」
「え……?」
「しかし、それでも貴方は私のマスターです。契約を交わした以上貴方を裏切りはしない。そのように、警戒する必要はありません」
「い、今……なん……て?」
  
 驚いたように口篭もる。
 無理もない。命を狙われて、突然知らない不審者が現れたのだ。すんなり受け入れる方がおかしい。
 彼は一度溜まった唾を飲み込んでから、改めて私に声をかけた。
 
「ち、違うぞ。俺、マスターなんて名前じゃない」
「それではシロウと――ええ、私としてはこの発音の方が好ましい」
「なっ…………っ!!」
  
 彼の顔が赤くなったのが分かった。
 そういう仕草は、見ていてなんだか微笑ましい。
 
「ちょっと待てっ、何だってそっちの方を…………痛っ――なんだ、これ……あ、熱っ……!」
  
 彼が左手の甲に信じられない物を見つけたとばかりに凝視している。
 そこには、刺青のような紋様が刻まれているはずだ。
 
「それは令呪と呼ばれるものです。私達サーヴァントを律する三つの命令権であり、マスターとしての命でもある。無闇な使用は避けてください、シロウ」
「え……セ、セイバー?」
「シロウ、外に……」
  
 一瞬、口篭もる。
 敵――そう、今は“まだ”敵のはずだ。
 
「外に敵が二人います。この程度の重圧ならば問題ない相手ですが……」
「……外に敵だって? ちょっと待て。おまえ、まだ戦うっていうのか!?」
「向かってくるのなら応戦はしましょう。とりあえず外に出ませんか、シロウ」
 
 
 屋敷の外には二人の人物がいた。
 赤い外套を纏った青年――サーヴァント・アーチャー。そして、彼のマスターである遠坂凛。
 敵対する可能性がない訳ではない。いや、以前は私がアーチャーを切り伏せた為に共闘したが今回もそうだとは限らない。
 私はシロウを守るようにアーチャーと対峙した。当のアーチャーは、私のことを驚いたような目で見ている。
 私は彼を牽制する為に一歩だけ前に出た。手には、再び現した聖剣を握り込んでいる。
 
「――――マスター、指示を」
  
 アーチャーの後ろにいる彼女は、驚いた風もなく事態の推移を見守っている。
 正直に言えば戦いたくない相手ではある。
 
「……止めてくれ、セイバー。正直、俺はまったく事態に付いていけてない。それに――おまえが敵って呼んだあいつ、俺の知ってる奴なんだ。それを襲わせるなんて出来ない」
  
 やはり、彼ならそう言うと思った。
 だけど――
 
「シロウ、彼女はアーチャーのマスターだ。今はまだ私達の敵です」
「……そんな事は知らない。だいたい、マスターだ、サーヴァントだって、俺には全然解らないんだ。理解して欲しいなら説明するのが筋じゃないのか?」
「それは……そうですが」
  
 そこへアーチャーを押しのけるようにして彼女が前に出てきた。
 
「――ふうん、つまりそういうコトなんだ。へえ、素人のマスター……ね」
  
 そんな彼女を驚いたように見据えながらシロウが呟いた。
 
「遠坂……凛――――」
「あら? 私のこと知ってるんだ。なんだ、なら話しは早いわよね、衛宮くん?」
「あ……え……?」
  
 場にそぐわない明るい声。私ですら拍子抜けしてしまう程の。シロウなんて金魚みたいに口をパクパクさせて目を丸くしている。
 そんな彼は、少し――可笑しかった。  
 
「ば――遠坂、おまえは……!」
「そうよ。貴方と同じ“マスタ”ーよ。つまりは、魔術師ってことになるわね。貴方も魔術師なんだし、隠す必要もないでしょう?」
「魔術師だってっ? 遠坂……おまえ、魔術師なのか……!?」
  
 彼女の眉根が不機嫌そうに寄った。
 それに危機感を感じたのか、シロウが慌てて弁解を始める。
 
「あ、いや、違うんだ。俺の言いたいことはそういうことじゃなくてだな……つまり……」
「……そう。納得いったわ」
  
 彼女は思い切り嘆息してから、背後にいるアーチャーを振り仰いだ。
 
「アーチャー、悪いけどしばらく消えててくれるかしら。私、ちょっと頭にきたから」
「……解らないな、凛。頭にきたとはどういうことだ?」
「言葉通りの意味よ。アイツに現状を、自分の立場を思い知らせてやらないと気がすまなくなったの。貴方がいたらセイバーだって剣を収められないでしょ?」
「ふう、君にも困ったものだ。まあ、命令とあれば従うが……一つ忠告すれば、それは余分な事だと私は思うがね」
  
 やれやれと苦笑しながらも、アーチャーは彼女の言う通りにその身体を消していった。その光景を驚愕の眼差しで見つめながら固まってしまうシロウ。
 そんな彼を通りすぎながら彼女が衛宮の家に向かう。
 
「話しは中でしましょ。どうせ何も解ってないんでしょ、衛宮くんは。安心してね、嫌だって言っても全部お・し・え・て・あ・げ・る・か・ら!」
「ばっ――待て遠坂っ。一体なに考えてんだ、おまえ……!」
  
 憤慨したように彼女の肩を取ったシロウ。たが、振り向いた凛の表情を見てどうやら氷ついたようだ。
 凛が先程までの笑顔とは違う別の顔をしていたから。
 
「衛宮くん? 突然の事態に戸惑うのは解るけど、素直にその事態を認めないと命取りって時もあるの。ちなみに、い・ま・が! その時だって分かって?」
「う…………ううっ……」
「はい、わかればよろしい」
  
 元の笑顔に戻った凛が私に視線を向けてきた。
 
「それじゃ行きましょうか。貴女もそれでいいでしょセイバー? 貴女のマスターに色々と教えてあげるんだから」
  
 確かに、私が説明するよりも凛が説明する方がシロウには理解しやすいだろう。それに、今はまだシロウと顔を合わせて冷静でいられる自信もない。
 
「はい、貴方がマスターの助けになる限りは控えています」
  
 私と凛、二人そろって衛宮家の門をくぐる。
 その場に一人取り残された彼は
 
「なんでさ。なんであんなに怒ってるんだ、あいつ……」
  
 と、しばらく呆然と佇んでいた。
 
 
 
『――――“Minuten vor SchweiBen”……』
  
 凛の呪を詠む声が衛宮家の居間に響く。その効果を受け、畳の上に散乱していたガラスの破片が組み合わさっていく。
 それを呆然と見つめているシロウ。
 
「――凄いな、遠坂。俺はそんなこと出来ないから、直してくれて感謝するよ」
「え? 出来ないって、そんなことないでしょ? こんなの魔術の初歩の初歩じゃない」
「そうなのか。俺は正式に教わった事がないから、基本とか、初歩とか、知らないんだ」
  
 ピタリと、凛の動きが止まった。
 あれは予想外の出来事に戸惑っているのではなく、何故だかわからない怒りを押し殺しているのだろう。
 
「……ちょっと待って。じゃあなに、衛宮くんは自分の工房の管理も出来ない半人前ってことかしら?」
「工房……? そんなの持ってないぞ、俺」
「…………………………………………なに? じゃあ、本当に貴方、素人?」
「そんな事ないぞ。強化の魔術くらいは使える」
「強化って、随分半端なのを使うのね。で、それ以外はからっきし駄目なワケ?」
  
 おう、と横柄に頷くシロウ。
 これは……そろそろ、きそうですね。
 危険を感じ取った私は、ススっと、凛から少し距離を取った。
 そしてやはり
 
「――――な、なんだってこんなヤツに、セイバーが呼び出せるのよぉぉっーーーー!」
  
 夜の深山に凛の嘆きが響き渡った。
 
 
  
 凛の説明は淀みがなく、整然としていて解りやすい。
 聖杯戦争に対して何の知識もないシロウでも、よく理解できるような丁寧な説明だった。
 
 衛宮の家に、私とシロウ、それに凛がいる。こうして三人で居る空間に、とても懐かしいものを感じた。
 あの時は、聖杯戦争に勝つことばかりでこの雰囲気を楽しむ余裕はなかったけれど、改めてこの場所を鑑みればとても暖かいものを無碍に放り出していたんだと感じる。
 
 淡々と続く凛の説明。
 その話を聞きながら何とはなしに二人を見つめていたら、シロウが凛の言葉に疑問を持ったのか声を挟んだ。
 
「ちょっと待ってくれ。遠坂、俺がランサーに殺された事を知っているのか?」
「――――ちっ。少し調子に乗りすぎたか」
  
 あからさまに怪しい素振り。
 それでも凛は、キッパリとシロウの疑問を否定する。
 
「ただの推測よ。つまんない事だから忘れなさい、衛宮くん」
「……つまんない事じゃないぞ。俺はあの時、誰かに命を助け――」
「いいからっ! そんな事より今はもっと知らなきゃいけない事があるでしょっ!」
  
 無理やりに話しを捻じ切って凛が説明を再開する。シロウも不承不承ながら追撃を止めて、凛の話しを聞くことにしたようだ。
 しばらく、二人のやり取りだけが続いていく。
 そして、話しが一段落したところで凛が立ち上がった。
 
「さて、話しもまとまったところで、そろそろ行きましょうか」
「ん? 行くって何処へさ?」
「もちろん、貴方が巻き込まれた“聖杯戦争”をよく知っているヤツに会いに行くのよ」
「こ、こんな時間からか!?」
 
 シロウが時計を確認している。
 もう、深夜といって良い時間だった。 
 
「そうよ。今からでも急げば夜明けまでには戻ってこれるんじゃないかしら。明日は休日だし、別に夜更かししても問題ないわよね?」 
「いや、そういう問題じゃなくってだな……」
  
 シロウが私のことをチラチラ見ている。
 彼は困ったように嘆息してから、それでも意を決したように口を開いた。
 
「だいたい、セイバーが困るだろ? セイバーって昔の英雄なんだろ? なら現代のことなんて分からないことだらけのはずじゃないか。違うか、遠坂?」
  
 ああ、そういう事ですか、シロウ。
 
「いいえ、シロウ。私達サーヴァントは人間の世であるのなら、あらゆる時代に適応します。ですから、この時代のこともよく知っている。それに――この時代に呼び出されたのは、初めてではありませんから……」
「なっ――」
「うそ……? どんな確立よ、それ……!?」
  
 二人が絶句している。
 そう、私がこの時代に来るのは“三度目”だ。
 
「……初めてじゃない?って、セイバー、本当か?」
「ええ、その通りです、シロウ」
  
 私の声に彼は考え込むように俯いてしまい、それからポツリと小さな声で呟く。
 
「……セイバー、おまえ……」
「じゃあ、問題ないワケね、衛宮くん」
  
 彼の声を掻き消すように、凛が声を挟む。その為にシロウが何を言ったのか正確に聞きとれなかった。
 シロウも大した用件ではなかったのか、凛の方へと顔を向けてしまう。
 
「分かった。行けばいいんだろ、行けば。それで、何処に行こうってんだ遠坂?」
「隣町にある教会よ。そこにこの聖杯戦争を監督してるヤツが居るのよ」
  
 凛が不敵な笑みを浮かべ、じーっとシロウを見つめていた。あれは何も知らないシロウを振り回して楽しんでいる表情ですね。
 今度私もやってみましょうか。
 そんな視線を向けられているシロウは、少し怯えたように凛から目線を逸らしていた。
 
 
 
 
 
  
 
  
 ☆★☆★☆★☆★
 
 以前投稿、完結いたしました作品の改訂バージョンです。
 ふと読み返していたら色々と気になってしまい、ちょい加筆修正してみるべーとチャレンジしてみることにしました。
 
 遠からず最後まで改定できる……と思います。ぺこ <(_ _)>
 
 
                     



[1075] その時、聖杯に願うこと 2 
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/10 21:06
 
 その時、聖杯に願うこと 2 
 
 夜の冬木を、シロウと凛と歩く。時刻は深夜。出歩いている人影は私達以外に見当たらない。
 それでも彼は用心の為にと――
 
 ……はあ。半ば予想はしていましたが、またこれを着ることになるなんて。
 
 鎧を脱がないと言う私に、シロウが用意したのはいつかの黄色いレインコート。思わず抗議の意味を込めて無言になってみたりもしましたが、果たしてシロウに如何ほどの効果があるのか。
 じーと視線で圧力でもかけてみましょうか。
 
 そのシロウは「こっちから行こう」と、川沿いにある公園を目指して歩いている。
 公園から橋を渡って新都に行こうというのだ。
 
「へえ、こんな道があったんだ。そっか、橋にはここから行けるんだから公園を目指せばいいのね」
  
 公園に着いた途端、凛が辺りを見回しながら弾んだ声を上げている。
 その声に釣られた訳ではないが、私もぐるりと首を巡らせてみた。
 
 深夜、視界に映る公園は、何時か見た光景を思い出させる。
 
 この場所で――私の半身を見つけたのだ。
 
 忘れようとしても、忘れることは出来ない。
 あの時、彼に手を引かれ家路に着こうとした時に突然現れた死の災厄。
 襲いくるエアの咆哮。
 あの黄金のサーヴァントとの死闘に敗れた私は、まるでゴミ屑のように撃ち捨てられて、この場で倒れた。
 彼もまた、ギルガメッシュの凶刃に倒れ血の海で沈んでいた。
 
 瞳を閉じればあの時の光景が鮮明に蘇ってくる。
 視界は血で赤く染まり、声はか細く、それでも叫んだ。
 
 
『もう無理だと、どうして判らないのです……!』
 
 私の声を振り払い、傷ついて、血まみれになって、死にそうに呻きながらも、それでも戦おうとした。
 
『いらないっ! 貴方の助けなどいりませんっ! 私は……既に貴方の剣ではないんです……!』
 
 彼は流れ出る鮮血もお構いなしに、絶望ともいえる相手に突き進んでいた。
 
『やだ、止めてくださいシロウ! それ以上はダメだ……! 本当に、本当に死んでしまう。こんな、こんな事で貴方に死なれたら、私は――――』
 
 罵倒しても、懇願しても、哀願しても、彼はその歩みを止めようとしない。
 うるさいと、黙ってろっと。そうしないと大事なものを失うからと。
 
『俺には、セイバー以上に欲しいものなんて、ない――』
  
 温かい言葉だった。
 そして激闘は、一つの奇跡によってその幕を閉じる。
 その末に辿り着いた一つの真実。
 
  
 ――やっと気づいた。シロウは、私の鞘だったのですね――

 
「――――――――――」 
  
 冷たい冬の風が、そっと頬を撫でていく。
 私はゆっくりと目を開いてから視界に彼の姿を捜した。
 当のシロウは、私の少し先を歩いていたが、距離が開いたのに気付いたのだろう。立ち止まっている私を振り返っている。
 
「いいから、もう行くぞ。ここに遊びに来たわけじゃないんだから」
  
 叫ぶ彼の後を小走りに追った。
 橋を越えれば新都へと至る。目的の教会までは、まだ少し時間がかかる。
 なら、ちょっとだけ、あの時のことを思い出していよう。幸いフードに隠れて、私の顔は二人には見えないのだから。
 
 
「うわ――すごいな、これ」
  
 教会を見上げたシロウが、感嘆の声を上げている。
 高台のほとんどを敷地にし、その奥に建てられている教会は、その大きさ以上に荘厳さと威圧感を持っていた。
 シロウにくっ付いて教会を目指す。
 以前は外で待っていたのだが、ここの神父は気を許せる相手ではない。無事に出てくると知ってはいるものの、待っていることなど出来ない。
 
 ギイと音を立てて扉が開かれる。広い、礼拝堂の中は無人だった。
 
「遠坂、ここに居る人ってどんな感じの人なんだ?」
  
 広い空間に彼の声が反響している。
 
「どんな感じって、説明するのは難しいわね。十年来の知人だけど、私だって未だに性格は掴めてないもの」
「十年……か。それはまた、随分と年季が入った関係だな」
「わたしの後見人よ。ついでに言えば第二の師っていうところかしら」
「なんだって?」
  
 大仰にシロウが驚いている。目を剥くという感じだ。
 
「なに驚いてるのよ、衛宮くん?」
「だって……普通驚くだろ。教会の人だろ? そんな人が魔術とかって……ご法度じゃないのか?」
「だから、エセなのよ。聖杯戦争の監督役として派遣されたヤツだもの。バリッバリの代行者よ。ま、もっとも、神のご加護があるかは大いに疑問だけど」
  
 その時、かつん、という高い足音が礼拝堂に響いた。続けてアルトな女性の声が心地よく耳に届く。
 
「失礼ね、凛。少しは師を敬ってくれても良いんではなくて?」
  
 その人物は奥へと続く扉からゆっくりとこちらに近づいてきた。
 
「な――っ?」
  
 思わず声が洩れた。
 
 その人物は、美麗な修道服を身に纏い優雅にこちらを見据えている。
 身長はシロウより少し高いかもしれない。綺麗な緑色の髪は肩で切り揃えてあってゆるやかなウェーブを描いている。
 スラリとした細身の美女。見た目から、年齢は二十代の後半あたりに見えた。
 彼女は掛けている眼鏡を押し上げ、靴音を鳴らしながら私達の前まで進んできた。
 
「まったく、呼び出しにも応じないかと思えば、こんな夜中に変わったお客を連れてくるなんて、相変わらずねえ」
「お久しぶり……かしら。レヴィア」
  
 レヴィア。そう凛が呼んだ女性を私は知らない。
 何故なら、ここに居るのは言峰綺礼という男のはずだ。どうしてこの場に知らない人物が現れるのか。
 僅かに緊張感が増す。
 私は、いつでも聖剣が抜けるように体勢だけは整えておいた。
 
「へえ。彼が“七人目”という訳ね」
  
 レヴィアと呼ばれたシスターが、シロウをねめつけるように視線を這わせている。
 
「そう。一応、魔術師だけど、中身はてんで素人だから見てられなくって」
「なるほど……」
  
 レヴィアが右手を顎に当てて、ふむ、と頷いている。それから、シロウの目の前まで来ると微笑みながら優雅に一礼をした。
 
「私はこの教会を任されているシスターで、レヴィア・エーデルフェルトと申します。七人目のマスター、貴方の名前を教えて貰えるかしら?」
  
 やはり並んで見るとシロウよりも少し長身だった。
 そのシスターの迫力に押されたように、シロウが半歩下がる。
 シスターの微笑みは艶やかさがあり、女性である私でも見入ってしまうほどだった。シロウはそんなシスターを見つめて後退いた訳だが、決して彼女の色香に押された訳ではない――と、強く思うことにした。 
 
「……コホン」
 
 軽く咳払いをしてみる。
 それに触発されたのか、シロウも遅れて自己紹介を始めた。
  
「俺は衛宮士郎。けど、俺はまだマスターになるって決めた訳じゃない」
  
 シロウの言葉に、シスターの目が驚きに開かれる。
 
「衛宮――――士郎……?」
  
 シロウの名前を聞いて、一瞬、絶句するシスター。だけどすぐに柔和な表情に戻して、何事もなかったかのように会話を続けた。
 
「そう、衛宮士郎……くんね。そして……」
 
 眼鏡の奥の視線が私に向けられた。その目が、さっきとは別の意味で丸くなる。
 
「そちらが、セイバー……かしら。でも、どうして雨合羽なんて着ているの?」
「…………」
「ふう、まあ、いいわ」
  
 無言で応えてやった私から視線を外し、彼女は再びシロウに視線を戻した。
 その際に優雅に腕を組んでみせ、胸元にある銀のクロスを指で弄ったりしている。
 
「士郎くん、貴方は先程マスターになるって決めた訳じゃないって言ったわね? でも、それは大きな勘違いよ」
「……どうしてさ?」
「もう既にマスターになっているからよ。なってしまった以上、もう辞めることも他人に譲ることも出来ない」
「そんなの、聖杯戦争に関わらなければいいんじゃないのか?」 
  
 シロウの答えにシスターが短く嘆息した。
 それから小さく肩をすくめて凛に身体ごと向き直る。
 
「だから、素人だって言ったじゃない。監督役としてしっかり説明してあげてね、レヴィア」
「……そうね。じゃあマスターとは何か、聖杯戦争とは何かから説明しましょうか」
 
 
 マスターに聖杯戦争とそのルール。サーヴァントにどんな願いでも叶えるという万能の器――聖杯。
 次々に彼の知らない事柄が明かされていく。
 シロウは時に質問して疑問を氷解させたりしながら、彼なりに必死に聖杯戦争とは何かというのを理解していく。
 
 淡々と紡がれるシスターの言葉。その中でシロウは一つの決断を迫られていた。
 
 ――それはマスターとして戦うのか否か。
 
 マスターを辞めることは出来ないとシスターは言ったが、その気になれば辞めることは出来る。故意に令呪を使い切ってサーヴァントとの契約を絶てばいいのだ。
 
 私は彼が戦う道を選ぶことを知っている。
 だけど、万一の確立で彼が私との契約をやめると、聖杯戦争に参加しないと言ったら?
 
 そんなことはありえない。けれど、一抹の不安が胸に去来し離れない。
 私はそっと彼の横顔を見上げた。
 真剣な表情。シロウからは突然の事態にも奥せず立ち向かう意思が感じられる。
 
「死傷者五百名、焼け落ちた建物は実に百三十四棟――」
  
 その言葉を聞いた瞬間、シロウの表情が強張った。
 少し震えているのかもしれない。
 
「未だに原因不明とされるあの火災こそが、前回の聖杯戦争による爪跡よ」 
  
 彼は顔面を蒼白にしながらも、倒れそうになる身体を必死に押し止めていた。
 彼にとっては辛い事実だろう。シロウの苦悩がはっきりと伝わってくる。それでも彼は、その辛い事実さえ乗り越える。
 あの暗い地下聖堂で、私の間違いを気づかせてくれたのは彼の強い心の叫びだったのだ。
 
 そこで、はっと思い出す。
 
 そうだ――あの地下聖堂はここの地下にあるのだ。
 
 あの神父はいない。だが、地下聖堂がないとは限らない。
 果たして、地下はどうなっているのだろうか。気にはなる。だからといって調べに行く訳にもいかない。酷いようだが、今はそれよりも優先することがあるのだ。
 
「マスターとして選ばれるのは魔術師だけよ。その魔術師である貴方に覚悟はないの? さあ、答えなさい衛宮士郎。この聖杯戦争を戦うか否か」
  
 シスターの問いに私の身体も小さく震えていた。けれど声を挟むことはない。私に出来るのは、彼を信じて待つことだけだ。
 一瞬の沈黙は葛藤の間だろうか。
 彼は決意したように真っ直ぐシスターを見上げて
 
「――――戦う。俺はセイバーのマスターとして聖杯戦争を戦う。あんな不幸な出来事を二度と起こさせる訳にはいかない」
  
 はっきりと、そう宣言した。
 
「では、聖杯戦争の監督役として正式に貴方をセイバーのマスターとして認めましょう。ようこそ、こちら側の世界へ――衛宮士郎」
  
 シスターのアルトな声が、礼拝堂に響き渡る。
 こうして彼は、セイバーのマスターとして聖杯戦争に挑むことになった。
 
 
  
 その後、凛とシスターが何やら会話をしているが、既に私の意識は外へと向いていた。
 妙な違和感が身体に纏わりつく、まるで誰かに見られているような感覚だ。
  
 ――これはなんだろう?
  
 感じる違和感は視線ではない。どちらかと言えば、魔術や使い魔から受ける印象に近い。
 距離は――判別できなかった。少なくとも、視認出来る距離からではないだろう。ならば、見られているというより監視されているといった方が正確だろうか。
 直接的な脅威ではないなら、今は詮索するべきではないのかもしれないが……。
 
「それじゃ、行きましょうか」
  
 凛の声で私の思索が打ち切られる。どうやらシスターとの会話も終わったようだ。
 用件が済めばもう終わりだとばかりに、挨拶もそこそこに凛が踵を返す。私とシロウも、それに合わせて礼拝堂を後にしようとシスターに背中を向けた。
 そこへ彼女からシロウへと言葉が投げかけられる。
 
「そうだわ、士郎くん。最後に一つアドバイスをあげましょう」
  
 人差し指を立てて、つかつかと歩み寄ってくるシスター。
 ちょっと近寄りすぎだ。
 
「む……アドバイスってなんだよ」
「聖杯とは万能の器。どんな願いでも叶えることが可能よ。そう、どんな願いでもね――」
  
 こういうのを妖艶というのだろうか。シスターは艶のある笑みを浮かべてシロウを見つめている。
 彼はそれに飲まれたように固まっていた。
 
「求めなさい、衛宮士郎。そうすれば、きっと貴方の願いは叶う」
  
 全て見透かしたような視線。眼鏡の奥にある緑色の瞳がシロウを一直線に貫いている。
 それは、魔力の篭もった言葉のように、私にも、そしてきっとシロウにも染み渡っていった。
 だけど、どんな魅力があっても、私もシロウも聖杯を求めることはない。それはこの身をもって知っている事実。
 それでもこの言葉は、小さな針のように心に突き刺さっていた。
 
「あんた――いきなり、なにを……」
「私は監督役。聖杯戦争の終結まで、貴方たちに会わないことを願っているわ」
  
 シスターの綺麗な声を最後に、教会の扉は閉ざされた。
 
 
  
 外に出ると風が強く吹いていた。
 冬の冷気が肌を刺す。空に雲はなく、数多の星が煌くように瞬いていた。故郷の空には敵わないが、地上よりもたくさんの星が見える。
 それが私には少し嬉しい。
 その時、ふと、シロウが私を見ているのに気づいた。
 
「シロウ、どうかしましたか?」
  
 彼は何かやりたいことがあるのに、決断がつかない様に逡巡している。
 それでも頭を振ってから決意を固めたのか
 
「いや、その……頼りないマスターだけど、これからもよろしくな、セイバー」
 そう言って、照れたように右手を差し出したのだ。
 私は、シロウの差し出された右手を呆然と眺めているだけで、芳しい反応が返せない。それを不審に思ったのか、彼の表情が翳る。
 
「あれ? もしかして握手は駄目なのか、セイバー?」
「い、いえ。突然だったので、少し、驚いただけです」
  
 互いの右手を重ねる。
 それだけでシロウの温もりが伝わってきた。風は冷たいけれど、この温もりさえあれば寒くなどない。
 
「今一度、ここで誓いましょう。私は何があっても貴方の剣であり続けます。そう、何があっても――」
「……ああ」
   
 お互い微笑んでいる。けど二人ともぎこちない笑みしか浮かべていられない。
 それが何だか私とシロウらしい、そう思った。
 
「――ふぅん。その分じゃ、放っておいてもよさそうね」
 
「と、遠坂っ!?」
「凛っ!?」
  
 慌てて手を離す。
 別に見られて困る訳ではないのだけれど、何だか恥ずかしかったのだ……。
 
「仲良くなったなら、ちょうどいいわ。貴方達がそうなった以上私達も容赦しないから」
  
 私達――いつの間にかアーチャーが凛の後ろに現れていた。
 アーチャーとは弓の英霊。遠坂凛のサーヴァント。
 
 結局、以前の召喚の際に彼の正体を知ることはなかった。彼はバーサーカーから私達――いえ、きっと凛を逃がす為に犠牲になった。
 しかし、果たして今回はどうなるのだろう。
 以前と違って彼は負傷していない。凛が協力体制を築かないのならば、いずれ戦うこともあるかもしれない。
 けれど、シロウは凛とは戦わないだろう。私も、凛とは戦いたくはない。
 
「衛宮くん? 私達、敵同士だって理解してる?」
「む? なんでさ。俺、遠坂と争うつもりなんかないぞ」
  
 予想通りの彼の言葉に、凛は、はぁ……と盛大に溜息を吐いた。
 その気持ちは少し解る気はします。彼は良く言えば実直。悪く言えば朴念仁ですから。
 私も何度そういう気持ちを味わったことでしょう。
 しかるに、彼は人の話しを聞いていないと思える節がある。それは彼の大きな欠点の一つですね。
 
 凛が、きっと視線をきつくして彼を見据える。
 
「あのね、ここまで連れてきてあげたのは、貴方がまだ“敵”にもなってなかったからよ。けれど、セイバーと契約して衛宮くんも正式なマスターの一人になった。この意味、分かるわよね?」
「それは――判ってる。でも、やっぱり遠坂とは戦えない。それは俺の目指す戦いじゃない」
「衛宮くん、貴方……あのね……」
「凛、このままでは埒があくまい。相手の覚悟など確かめずとも、倒し易い敵がいるのなら遠慮なく叩くべきだ」
  
 凛の声を遮るようにしてアーチャーが意見を挟む。
 
「アーチャー?」
「それとも何か? 君は“また”その男に情けをかけるのか」
  
 アーチャーの言葉を受けて、さっと凛の表情が変わる。
 それは殺気を纏ったような厳しい表情だった。
 
「……アーチャー。そのことは言わないはずよ。それともなに、令呪で縛って欲しいの?」
「いや、これは失言だったか。マスターの意向には添うように努力しているのだがね、この男に関してのみどうも抑制が効かない」
  
 場の雰囲気が少し危ういものに変わっていく。
 アーチャーはシロウを敵視しているように見える。微々たるものだけれど殺気すら感じた。
 以前は感じることのなかった気配。それは私の勘違いだったのだろうか。
 
 その場へ、にわかに少女の声が響いた。
 アーチャーの微かな殺気など吹き飛ばすような、明確な殺意を持って。
 
  
 
「――――ねえ、お話は終わり?」
 
 綺麗な声音。まるで銀細工が奏でるような澄んだ音。
 歌うような軽やかな少女の声は、教会へ続く坂道の下方から聞こえてきていた。
 
「こんばんわ、お兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね」
  
 シロウを見上げながら無邪気に笑っているのは冬の娘。
 そして、その少女の隣に聳えるようにして巨人が立っていた。
 
「バーサーカー……」
  
 凛の声が震えている。
 正規のマスターである凛には、あの敵の恐ろしさが正確に伝わってくるのだろう。
 
「なんだ……アレ……」
  
 シロウなど完全に凍りついている。
 無理もない。アレは、生きるもの全ての本能に訴えかけるものがある。
 
 即ち――逃げなければ死ぬと。触れれば壊されると。
 
 絶対的な死の象徴。同じサーヴァントを以ってしても太刀打ちさえ出来ない強敵。
 
「――本当、反則モノだわ……。あれってセイバー以上じゃない……」
  
 震えながらも、それに負けまいと凛がバーサーカーを睨みつけている。 
  
 ――気丈だな。 
  
 そんな感想を抱きながら、私は静かに聖剣を出現させた。
 
「シロウ、決して前には出ないでください。例え、私が倒れそうになっても――」
「え、セイバー?」
  
 シロウの前に出て、彼を守るように聖剣を握り込む。
 
 バーサーカー。その正体はギリシャ神話最大の英雄ヘラクレスだ。
 
 彼に生半可な攻撃など一切通じない。英霊であるサーヴァントの力ですら、かの巨人に傷を付けることすら困難なのだ。
 故に、あの敵を打倒するには“奇跡”が必要になる。
 以前戦った時は、押し込まれ、打ち倒され、傷ついて、倒れた。
 だけれど、私はあの時とは違う。あの時以上に、守りたいと、失いたくないと思っている。
 
 ――敵が彼に害なす者であるのなら、私はこの手にある剣で斬り払うのみ。
 
 道が開けないのであれば、私が開く。
 
 決意を込めて構えを取った時、背後から僅かな身じろぎの気配を感じた。
 
「凛、アレは生半可な相手ではない。ここは三人で当たった方が良いと思うが」
  
 アーチャーが冷静にバーサーカーを見下ろしている。
 そう、以前と違い今は弓の英霊も健在なのだ。
  
 ――勝算はある。
 
「――――そうね。逃げるって訳にもいかないし。セイバーはそれでいい?」
「はい。前衛は私が勤めます。凛とアーチャーは後方からの援護をお願いします」
  
 私達の言葉に彼が声を荒げた。
 
「ちょっと待て。俺は数に入ってないのか?」 
「――戦うのは自由よ、衛宮くん。でも、出来るなら逃げなさい」
  
 アーチャーと凛も構えを取る。
 
 
「相談は済んだ? なら、始めちゃっていい?」
  
 明るい声は冬の娘から。
 かの娘は、心底、今の状況を楽しんでいるようだ。
 
「はじめまして、リン。わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えばわかるでしょ?」
「アインツベルン……」 
  
 彼女の名前が凛に動揺が走らせる。それを確認してから、イリヤスフィールが愉快な調子で開始の合図を下した。
 
「――――じゃあ殺すね。やっちゃえ、バーサーカー」
 
 
  
 坂を飛ぶように駆け下りた。
 その下方、闇の中を黒い巨人が疾走する。
 坂を駆け上がってくる巨大な体躯。それは全てを破壊する重戦車を思わせる突進だった。
 
 そんなバーサーカーに向かって、闇の中を閃光が走る。
 それはアーチャーが放つ光の矢。光矢は幾条もの軌跡を闇に穿ちながらバーサーカーに向かって突き進む。
 
「■■■■■■■■■■■■■■■!!」
  
 放たれた矢は合計六。その一つ一つが砲撃もかくやという威力を持っている。 
 それがすべてが直撃だった。それでも、バーサーカーには怯む気配すら生まれない。
 
「うそ、効いていない――――!?」
  
 驚愕の声は遠坂凛。
 光矢を退けた巨人は速度を緩めず駆け上がり――瞬間、激しい衝撃がこの身を震わせた。
 
「――ちぃ!」
 
 バーサーカーの斧剣と私の聖剣が空中でぶつかり合った衝撃で視界がぶれる。
 そこへ続けざまに振るわれる巨人の一撃。威力も速度も尋常ではない。けど、撃ち負ける訳にはいかない。
 
「はああぁぁ――ッ!!」
  
 魔力を剣に込めて、唸りを上げて迫る一撃を打ち払う。
 衝撃は大地を割り、剣戟の音はどこまでも激しくなっていく。
 直撃を受ければ、如何に神秘の鎧に守られていようと致命傷は避けられない。それでも、敵の間合いの中に身を晒し剣を撃ち込む。
 
 
 何故なら、私はセイバーだ。
 剣を扱って負ける訳にはいかない。
 
「………っ! アーチャー、援護!!」
  
 凛の声に応じて今度は八矢、アーチャーの矢が放たれた。
 それは、眉間、鳩尾、心臓、喉元と、人体にあるあらゆる急所に向かって飛んでゆく。
 それでも――
 
「■■■■■■■■■■!!」
  
 七発までがバーサーカーによって払われてしまった。唯一こめかみに直撃した矢もダメージを与えてはいないようだ。
 しかし、僅かに隙が出来た。
 好機を逃さず全力で聖剣を払って――
 
「――くうっ!!」
  
 それすらも、バーサーカーは払い退けた。
 更に、振り払った刃が嘘のように振り戻り私を襲う。
 
「……ぐ――ッッ!」
  
 幸い聖剣で受け止めたものの、私の身体は木の葉のように軽く十メートルは吹き飛ばされてしまった。
 追撃してくるバーサーカー。
 それを阻止しようと、アーチャーの矢と凛の魔術が炸裂するが……。
 
「■■■■■■■■■■■■■■■!!」
  
 咆哮を上げながら巨人が疾走する。
 かの敵は十メートルなど一瞬で渡り、下段から打ち上げるような一撃が払われた。
 
「――っ!」
 
 更に吹き飛ぶ身体。それでも、視界を巨人から逸らさずまっすぐに見据える。
 
「――なっ!?」 
 
 死の気配を持ったまま迫りくるバーサーカー。その向こう側に、視界の隅に、こちらに向かって駆け出そうとしているシロウの姿が目に入った。
 焦燥したような表情で何か叫んでいる。
 
 ――なぜ? 来ないでと、言ったのに。
 
 ぎりっと、唇を噛む。
 このままでは、あの時みたいにシロウが飛び出してくるかもしれない。
 あの時は彼は私の身代わりになってバーサーカーの凶刃に倒れた。
 その身よりもサーヴァントを優先させるなんて、マスターが取るべき行動ではない。とても馬鹿で、愚かなマスターだ。それでも、そんな愚かなマスターを私は誰よりも愛しく想っている。
 
 あの時は鞘の加護で助かった。けれど、今度も同じ目に遭って助かる保証はない。
 ならば、私の取るべき道は一つだけ。
 
 一瞬だけ視線を逸らし、場所を確認した。
 あの場所ならば、こちらの力を活かし巨人の力を減じることが出来る。
 刹那、迫る巨人の一撃。
 全てを砕くような津波のような一撃だ。私はそれを受け、力に乗るようにして――
 
「セイバァァッ――ッッ!!」
  
 空中高く飛ばされていた。
 
「そのままやっちゃえ、バーサーカー。どうせアーチャーとリンじゃアナタの宝具は越えられない。先にセイバーを殺しなさい」
  
 イリヤスフィールの声を受けて巨人が疾走する。それを視界の隅に捉えてから私は受身の体勢を取った。
 そうだ、追って来いバーサーカー。
 私を追って、ここまで――自分の死地まで来いっ!
 聖剣を握る手に想いと魔力を込めて、私は心の中で叫んだ。
 
 
 
「セイバァァ――ッッ!!」
  
 既にアーチャーと遠坂は、セイバーとバーサーカーの後を追っている。
 セイバーは空中高く吹き飛ばされて、近くにある荒地――教会墓地までその身体を運ばれていた。
 
「……これが、聖杯戦争」 
 
 身体が震えて、両手で肩を抱いても止まらない。
 怖くないはずがない。バーサーカー、アレは桁違いだ。
 衛宮の庭で見たランサーも強かったが、そもそも存在が違う。追えば殺される。そんなこと、言われなくても判ってしまうくらいに。
 それでも、それでも! あの少女を失うことの方がもっと怖かった。
 
 ついさっき、手を重ねて一緒に戦うと誓ったばかりの少女。
 青い月の光で満ちた土蔵での邂逅が胸を占拠する。
 滑らかな金の髪。吸い込まれそうな碧の瞳。
 その綺麗な姿に見惚れた。華奢で小さな少女。そんな彼女があのバーサーカーと戦ってるんだ。
 
「くそっ。答えなんて、とうに出てるじゃないか」
 
 全力で駆け出した。
 俺に何が出来る訳でもない。遠坂の言うように逃げるのが一番なのかもしれない。それでも俺には、彼女を、セイバーを見捨てることなんて出来ないんだ。
 会ってから数時間しか経っていないのに、彼女は俺の為に戦ってる。俺に何が出来なくても、彼女のマスターならばせめて近くに。
 
 駆け続けて墓地に到達した。
 
 そこで俺は――神話の再現を見ることになる。
 
 結論から言えばセイバーは健在だった。
 墓石が乱立する中を縦横無尽に駆け抜け、彼女はバーサーカー相手に一歩も引いていない。
 対するバーサーカーは神話に登場する怪物そのものだ。
 巨人は一振りで墓石を薙ぎ払い、セイバーの激烈な剣戟を受けても怯まない。
 墓石は石の塊だ。その重さは相当なものだろう。それが、木の葉を散らすように吹き飛んでいるのだ。
 
 ――なんて、化物――
 
 そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
 
 そうだ。これは、怪物に挑む勇者の物語。
 儚い少女が巨人に挑む、神の物語。
 
 激しい閃光が走る。あれは、剣戟による魔力のぶつかり合いか――?
 
「ちょっと、衛宮くん、なんで――ここにっ!?」
  
 セイバーとバーサーカーの剣舞に夢中になっていたら、何処にいたのか、気づいたら遠坂が隣にいた。
 
「なんだ、遠坂か」
「遠坂か、じゃないでしょっ! とにかくそこは危ないから下がりなさい!!」
  
 引きずられるようにして、遠坂に物陰に連れこまれる。
 
「逃げなさいって言ったの、聞こえてなかったっ!?」
  
 激昂する声。
 何故だか遠坂はかなり本気で怒っているようだった。
 
「……馬鹿言うな。俺だけ逃げられる訳ないだろ」
「なっ! それは、一人前になって口に出来る台詞よっ。いいから今からでも逃げなさい」
「半人前なのは否定出来ないけど……それでも俺はセイバーのマスターだ。彼女が戦っていて、俺だけ逃げるなんて出来ない」
  
 遠坂は唖然と惚けたように俺を見ている。
 それから表情を一変させると、地団駄を踏むように足を振り上げて――すっと下ろした。
 湧き上がった怒りを精神の力で押し殺したんだろう。
 けど、一度は沈静化したはずの怒りは結局殺しきれずに爆発する。
 
「……馬鹿ぁっ! 士郎っ! あのバケモノ見て死ぬって思わないの!? アンタに死なれたら、折角助けて教会まで連れてきてあげたのが無駄になるでしょっ!」 
  
 そんな罵りを聞いても、俺には怒りより嬉しさが込み上げてきた。
 ああ、やっぱりなとも思う。
 義務感とかじゃなくて、遠坂はコイツなりに無知な俺を助けてくれたんだ。そんな事をしても自分にとって何の得にもならないのに。
 ずっと見ていた優等生な遠坂とは違ったけど、それでも、思ってた通りのやさしい娘だったんだ。
 それが嬉しかった。
 
「そっか、やっぱりな。遠坂って良い奴だったんだな」
「なぁ――っっ!」
  
 遠坂の顔が赤くなっていく。
 俺は思ったことを口にしただけなんだが、遠坂にとっては予想外だったみたいだ。何か言葉にしようとして、止めたり、やっぱり口を開こうとして、また止めたり、ちょっと見ていて可愛い。
 とうとう最後には、拗ねたようにそっぽを向いて口を尖らせていた。
 
「………………ふんっ。衛宮くんがそうしたいなら、そうすればいいわ。もう、知らないんだからっ」 
  
 そこへ爆撃のような衝撃音が響く。
 慌てて視線を移してみれば、バーサーカーの一撃が大きく地面を叩き砕いていた。
 セイバーはと視線を転じてみれば、巨人を廻り込むようにして斬撃を加えている。ここにきて、セイバーはあのバーサーカー相手に互角の剣舞を演じていた。
 
「……すごいわね、セイバー。この分だとこのまま押しきれるかも……」
  
 遠坂の言う通り確かにセイバーは凄い。あのバーサーカー相手に互角の接近戦を繰り広げている。
 触れるだけで墓石を砕き、吹き飛ばすような一撃が乱舞する中を少女の身で戦っているのだ。
 
 それでも――互角。
 
 俺には遠坂ほど楽観はできない。
 
 その時だった。ふとした違和感が俺の脳裏に襲いかかる。
 あれ? おかしい。何か決定的に足りない気がする。
 
 神技のようなセイバーの剣。
 嘘のようなバーサーカーの破壊力。この場に足りないのは――
 
「…………そうだっ!」
「ど、どうしたの衛宮くん。突然怒鳴ったりして?」
「そうだよ、アーチャーだ。遠坂、アーチャーの奴はどこ行ったんだ?」
  
 さっきから死闘を演じているのはバーサーカーとセイバーの二人だけ。アーチャーの姿はおろか矢の一矢さえ飛んできてはいない。
 
「え? そうね……。一体何処に――」
  
 そこまで口にしてから、はっと遠坂の動きが止まる。
 
「……え、アーチャー? 離れろって……どういうことよ!?」
  
 遠坂がキョロキョロと辺りを見回している。
 何故それが見えたのか、俺には判らない。それでもはっきりと見えた。
 ここより小高い丘の上。その頂上で弓を番える奴の姿が。
 
「……あいつ!」 
 
 奴はアーチャーだ。弓を使っているのは不思議でも何でもない。
 それでも全身に言い知れぬ悪寒が走りぬける。
 とても悪い予感がするんだ。
 奴が狙いをつけているのはバーサーカー。
 そしてその場所にはもう一人、銀の甲冑に身を包んだ少女が――
 
「セイバアァァ――ッッ!!」
  
 身体は勝手に動いていた。
 遠坂が後ろで何か叫んでいるがそんなのは聞こえない。今は全力で駆けるのみ。あの少女だけを目指して。
 
 
  
 今の一撃は効いているはずだ。例えバーサーカーといえど不死身ではない。
 黒い巨人が僅かに後退する。私は巨人に向かって疾走しようとして――そこで信じられないものを見た。
 追撃しようとする私に向かって、マスターが、シロウが突っ込んで来ている!
 
「なっ、シロウっ!!」
 
 ありえない。こんなこと、ありえるはずがない。
 思わず罵倒が口を吐く。
 
「馬鹿なっ。なぜ出てきたのですか、貴方はっ!」
  
 私の声などお構いなし。シロウは全速力で一直線に私に向かって来ている。
 この場にはバーサーカーがいるのに。そんな場所にどうして?
 
「し、正気ですか貴方はっ! こんな…………ぁ」
  
 シロウが勢いを殺さず私に跳び付いてきた。
 少しの距離を飛ぶ浮遊感。その着地後に、彼はそのまま私に覆い被さって力強く抱き締めた。まるで、大事なものを守るように。
 致命的な隙だったが、幸いバーサーカーの攻撃はなかった。
 バーサーカーは何か別のモノに気を取られたように視線を上げている。
 
「■■■■■■■■■■■■■■■!!」 
  
 瞬間、バーサーカーが吼えた。
 黒い巨人は、迫りくる何かに向かってその豪腕の全力を持って迎撃を行う。 
 
 刹那――あらゆる音が失われた。
 
 真っ白な閃光が輝いたと思った瞬間、激しい衝撃が大地を通じて襲いかかってくる。
 
「……なっ!?」
  
 シロウに下敷きにされながら、それを見た。
 
 大きく揺れる炎が墓地を火の海に変えている。凄まじい破壊の余波は未だ各所でくすぶり、バーサーカーの全身をを焼いていた。
 先程まで私がいた場所が大きく抉れている。
 それは爆心地という言葉がそのまま当てはまるかのような光景。シロウが来てくれなければ、私も炎に焼かれていた。
 それでも、そんな炎の中に在ってバーサーカーは健在だった。
 
「よ…かった。セイバー、無事……」
「シ、シロウっ!」
  
 彼の背中に廻した手が何かの濡れた感触を感じ取る。
 人の温もりを持ったソレは……。
 
「血……? そ、そんなっ。シロウ! シロウ! どうして……」
「セイ……バーが無事なら、良…かった。俺な…ら、大丈…夫だから……」
「喋らないでっ、マスターっ!」
  
 彼を抱えて走る。今は一刻も早く彼を安全な場所まで届けないといけない。
 強く抱く。こうすれば鞘の加護が彼を守ってくれるはずだ。
 地を蹴る足に力を篭め、私は闇の中を疾走する。今はただ駆けるのみだ。
 
 
「……へえ、見直したわリン。やるじゃない、アナタのアーチャー。いいわ、戻りなさいヘラクレス」
  
 ずっと戦況を見つめていたイリヤが、静かな声でバーサーカーを呼び戻す。
 それまで暴風のように暴れ廻っていた黒い巨人は、少女の声に従って後退した。
 
「――なによ、ここまでやっといて逃げる気?」
「逃げるんじゃないわ。見逃してあげるのよ、リン。このまま潰してしまったら面白くないでしょう? だから、もう少しだけ生かしておいてあげることにしたの」
「きっと、後悔することになるわよ?」
「フフフ。楽しみにしているわ。また会いましょうね」
  
 歌うような声と共に、少女は巨人と一緒に闇の中へと消えていった。
 
 
  
 
 セイバーとバーサーカーの死闘。その光景を遠く離れた場所から覗き見ている人物がいた。
 ここは落ちた霊脈であり、幾重にも結界が張り巡らされた魔術師の陣地。
 
 ――柳洞寺――
 
 その霊地の最奥に、柳洞寺に住む人でさえ近づかない禁忌の場所がある。
 狭く、暗い部屋。僅かな光源は幾つかの蝋燭のみ。
 その小さな部屋の中央で、輝く水晶球を見つめる二人の人物がいた。
 
 一人は深い紫色のローブを纏った妙齢の女。
 彼女は口元に微笑を浮かべながら水晶球を巧みに操っている。水晶の表面は一種のモニターとなっていて、先程までのバーサーカーとセイバー、そしてアーチャーの激闘が写されていた。
 
「バーサーカー……厄介な存在ね」
  
 艶やかで、妖艶な美声。
 
「セイバー、それにアーチャーね。こちらは思ったより使えそうね。本当アナタよりよっぽど有能そうだわ」
  
 紫色のローブの女が、侮蔑の意味を込めた視線を第二の人物に向ける。
  
 そこに居たのは華奢な少女だった。
 体格的にはセイバーと然程変わらないだろう。華奢な身体に鎧を纏っているのも同じ。その手に剣は握られていないが、視線には切れるような鋭い覇気を宿していた。
 しかし、一番注目を引くのは彼女の見事なまでの赤髪だろう。
 後頭部で結わえてなお腰まで届くほどの長い髪。それは、蝋燭の炎を受けて燃えるように輝いていた。
 瞳の色は漆黒。その瞳がまっすぐ水晶球を見据えている。
 
「せいぜい頑張りなさい“アサシン”。セイバーを手に入れた後で、お払い箱にならないようにね」
  
 操っていた水晶球を消して、ローブの女がその部屋を後にする。
 一人だけ部屋に残された少女。
 アサシンと呼ばれた赤髪の少女は、じっと一点だけを、水晶球が在った場所だけを見つめていた。
 



[1075] その時、聖杯に願うこと 3
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/12 09:16

 その時、聖杯に願うこと 3
 
 これは夢なんだと、俺は気付いていた。
 だから、遠くから眺めているような景色の中に俺自身がいても、これは夢の中だからなと変に納得してしまった。
 
 ――しかし、ここはどこなんだろう?
  
 吹きつける風が強い。周りの景色は遥か眼下にあって、夜のライトアップが眩しい。
 そうだ、ここはビルの屋上。幾つも連なるビル群の中でも一際高く、広い屋上を持っている高層ビルだ。
 
 ふと、屋上を注視してみる。そこには黄金に輝く剣を構える一人の少女がいた。
 月明かりを受けて輝く刀身には一点の曇りすらなく、敵を切り裂く武器でありながら見る者を魅了するほどに美しい造詣。
 彼女がその剣を振り上げて、真名を叫ぶ。
 剣から放たれた黄金の閃光は、まるで夜空を断ち斬るようにして、どこまでも、どこまでも伸びていった。
 
  
 深い深い森の中で、俺が懸命に叫んでいた。
 喉が裂けてもいいとばかりの大声で――使うなって。
 
 朝靄が立ち込める森の中、既に彼女は瀕死だった。全身は鮮血で赤く染まり、それでも俺の為に宝具を使おうとしたんだ。
 使えば自分自身が消滅すると知っていたのに。
 だから叫んだ。お前が消えるなんて認められない。令呪を使ってでも止めたんだ。
 
 ――お前が使える剣なら俺が用意する。
 
 敵は黒き巨人。不滅の英雄だ。それでも、奴を倒さないと生き残れないのなら奴を超える剣を作り出す。
 そう、それが俺の役目だ。俺が出来るたった一つのことだった。
 
  
 災厄とはあの男のことだったんだろう。
 黄金に輝くサーヴァント。
 彼女は鎧を砕かれ、半ば意識を失った状態で自身の血の海に沈んでいた。
 俺も生きているのが不思議なほどの重傷を負っている。だけど、それがどうしたと敵に向かった。
 だって、俺があの敵を倒さないと彼女がいなくなってしまう。それなら、こんな痛みなんてどうってことはない。
 
 一歩進むだけで全身から力が抜ける。それでも、背後に彼女がいる限り俺が倒れることはない。
 無慈悲にも振り上げられた敵の魔剣。
 その閃光に成す術もなく消えるはずだった俺を、一つの奇跡が救ってくれた。
 
 その後、俺は彼女のやわらかな腕に包まれて――意識を失う直前に、この立場が逆だったらいいのになんて考えたっけ。
 
  
 彼女を庇ってバーサーカーの凶刃に倒れた。
 柳洞寺へと続く石段で意識を失った彼女。その後二時間かけて家まで連れて帰った。
 友人の手で学園が地獄になった。衛宮の家を異形の使い魔が襲ってきた。全部、彼女と一緒だった。
 
 俺の作ったご飯を美味しそうに食べてくれた。稽古は容赦がなかったな。からかったら本気で怒ったり。
 もちろん喧嘩だってした。
 
 彼女はブリテンの赤き竜――伝説のアーサー王。
 
 国を守る為、そこで暮らすみんなの笑顔の為にと、苦しく惨めな最後が待っていると分かっていても剣を取り続けた。
 その道は一人の少女が背負うにはあまりにも険しい道。
 けれど挫けず、剣を取りつづけ、勝ちつづけた。
 
 いつしか、王は人の心がわからないと蔑まれるようになる。
 周りの誰からも理解されず、部下に裏切られても、それでも皆の笑顔の為に進み続けた。死の直前に至ってさえ国を想い、聖杯さえ求めた少女。
 その人生は、自身の幸せなど一切省みず、ただ国の為に。
 
 それが俺には許せなかった。頑張った奴は幸せにならないと嘘だ。
 もう彼女は十分過ぎるほど役目を果たしたんだ。なのにアイツは、聖杯を得ても自分の為には使わないなんて言う。俺にはそれが我慢できない。
 だから、ぶつかった。
 
 腕の中に抱いた彼女。王でも剣士でもなく、一人の少女として抱いた。
 本当はもっと一緒にいたかった。何度だって抱き締めたかった。失いたくなんてなかった。
  
 ――彼女こそが俺の全てだった。
  
 それがたった二週間の出来事。彼女と過ごした日々だった。
 
  
 だけどおかしい。だって、今見てる光景を俺は知らない。なに一つとして体験していないんだ。
 知らない人物、知らない場所、知らない記憶。
 彼女とは昨日会ったばかりだ。まだ満足に話もしていない。
 
 なのに何で――何でこんなにも鮮明で色のある光景なんだろう。
 
 これは夢だ。夢の中の出来事。
 だけど夢なら、もう少しだけ彼女が笑ってくれたらいいのになんて、そう思った。
 
 
 
 
「…………ん」
 
 だんだんと明るさが増して、視界に光が戻ってくるのを感じる。
 
「もう、朝か……」
 
 だけど随分と光を強く感じる。受ける陽射しの感じから、早朝という訳ではなさそうだ。
 俺はなるべく早起きを心がけているし、目覚ましをかけなくても朝の六時前後には目が覚める。けど今日は身体が疲れていたのか寝過ごしてしまったらしい。 
 仕方ないなぁっと布団を跳ね退けててから、一気に半身を起こす。
 
 ――そこでヘンなモノを見た。
 
 視界に入ったその光景を理解するまで、数秒の時間を要する。
 
「セ――セイバーっ!?」
  
 なんと、枕もとでセイバーが正座しながら俺を見つめていたのだ。
 
「起きたのですね、シロウ」
「な、なな、なんでセイバーが俺の部屋にいるんだっ?」
  
 慌てて佇まいを直し、思わず俺もセイバーの前で正座してしまう。
 
「シロウは、昨夜のことを覚えていませんか?」
「え? 昨夜のこと……?」
  
 思考を巡らせる。記憶を探るようにして昨夜のことを思い出してみる。
 それはフラッシュバックのように突然現れた。次第に記憶が鮮明に、クリアになっていく。
 
 黒い巨人。その隣にいた銀髪の少女。迫り来る歪な一矢。そして、炎上する墓地。
 俺は彼女をその災厄から救うべく飛び出して……。
 
「そ、そうだ! セイバーは大丈夫なのかっ!?」
「私よりも貴方の方が心配です。シロウは私を庇ったおかげで背中に大怪我を負ったのですよ?」
「……大怪我?」
  
 確認の為に背中に手を廻してみる。だけど、怪我らしきものもなければ痛みもない。
 念のため服を脱いでみたものの、やっぱり怪我の痕跡すらなかった。
 
「あ……れ? なんともないぞ、俺」
「どうやら完治したようですね。しかし、貴方も無茶をする。バーサーカーがいるところまで飛び込んでくるなんて、一歩間違えれば大変なことになっていました」
「う……。でもさ、セイバーが危ないって思ったんだ。だから……」
「ええ。確かにシロウのおかげで私は助かりました。アーチャーの宝具はかなりの威力でしたから、あの場にいたら私とて無事ではいられなかったでしょう」
  
 そうだ。アイツ、アーチャー。あの場にセイバーがいるのを知っていて攻撃したんだ。撃てば巻き込むのを承知で……いや、あえてセイバーとバーサーカーが範囲に入る時を狙ったんだ。
 直接見た訳じゃないけど、アイツが笑って弓を射る光景が思い浮かんだ。
 
「くそっ! アーチャーの奴。セイバーまで巻き込もうとしやがってっ……!」
  
 どうにも相性が良くない奴だと思っていたけど、今はっきりした。俺はアイツがキライだ。
 だけど、セイバーは小さく首を振って俺の言葉を否定する。
 
「それは違います、シロウ。彼とは別に協力関係にあった訳ではありませんし、アーチャーが私とバーサーカーを狙ったのは、サーヴァントの行動としてなんら不自然ではありません。もう聖杯戦争は始まっていたのですから」
  
 む……この気持ちはなんだろう。何だかセイバーがアイツを肯定するのは面白くない。
 思わず言葉に棘が出てしまう。
 
「それでも、俺はアイツは嫌いだ。こればっかりは相性の問題だから、セイバーに何と言われても意見を曲げないぞ」
  
 そんな俺の言葉に対して、セイバーがクスクスと小さく笑った。
 
「アーチャーも貴方のことを嫌っているようですね。これはやはり、似た者同士ということでしょうか」
「――は? やめてくれセイバー。俺とあんなヤツを一緒にしないでくれ」
  
 いいえ、私はとても似ていると思います。とセイバーが可笑しそうに俺を見つめている。 
 それはとても眩しくて、俺がずっと望んでいたセイバーの笑顔………………ん、ちょっと待て。
 
 俺、今なにを思った?
 
 そういえば、今朝はセイバーの夢を見たような気がする。内容なんてほとんど覚えていないけど、確かに彼女の夢を見た。それが影響してるのか、昨日までとは明らかに違う心境になっている。
 欲しかった物をやっと手に入れたような……ちがうな。大切なものが戻って来たような。それは、マスターとして戦うことに目的を見出せたからだろうか。
 
 それに、その、今はセイバーが服を着替えていて、見ていると少し照れる。
 白色のブラウスに紺色のスカートという組み合わせが、清楚な雰囲気の彼女にとても似合っていた。
 その姿を見ているだけで、涙が出そうなほど懐かしいものを感じるが……いや、きっと気のせいだろう。だって彼女とは昨日会ったばかりなんだし。
 それにしてもこの服はどうしたんだ? 俺の家に女物の服は置いてない。
 
「セイバー、その服、どうしたんだ?」
「これですか? これは凛から頂いた物です」
「遠坂から? アイツ、ここに居たのか」 
「先程まで居たのですが、やることもあるのでと戻ってしまいました。――――そうだ、シロウに凛から伝言がありました」
「伝言だって?」
  
 はい、と頷いてから、セイバーがすう~と息を吸い込む。
 それから遠坂みたいな表情を作り出して俺をキッと睨んだ。
 
「いい、衛宮くん。アナタもマスターになったんだから、くれぐれも用心しなさいよ。それでなくても危なっかしいんだから。それと、分からない事柄はセイバーにキッチリ確認しておくこと。わかった? わかったら返事っ! ……だそうです」
  
 セイバーの奴、いつの間にそんなに遠坂のことを知ったのか、今の声音はとっても良く似ていた。おかげで、遠坂に目の前で怒鳴られてる気分になる。
 遠坂とも昨日知り合ったようなもんだけど、何となくアイツの性格とかは掴めてしまった。
 これは、良いことなのかだろうか、それとも……。
 
「私も凛に念を押されましたから。余程シロウのことが心配だったのでしょう」
「心配……してるのかなあ。俺には腹いせに思えるんだが……」
「いいえ、凛は本当にシロウのことを心配していました。私には分かります」
  
 セイバーは遠坂のことをとても信頼しているようだ。
 短い邂逅だったけれど、女同士、何か感じるものがあったのかもしれない。それに、遠坂の言うことももっともだ。なんせ、昨日だけで三回は死にそうな目に遭っている。これは尋常じゃない。
 知識で防げるかは分からないが、知らないよりは知っている方がいいに決まってる。
 
「じゃあ、遠坂のありがたい忠告に従って、セイバー先生に色々教えて貰いますか」
「了解しました、マスター。何でも訊いてください」
  
 えっへんと胸を反らせるセイバー先生。
 その胸元に視線が自然と吸い寄せられ――いかん、いかん。
 俺は慌てて視線を逸らせて、誤魔化すように時計で時刻を確認した。
 時間は11時を少し過ぎた辺りで、もはや朝というより昼に近い。そう思ったら、途端に空腹感を意識してしまった。一度意識したら、何か食わないと気が済まなくなってくる。
 
「……もう、昼だな。話しは昼飯を食べながらしよう。セイバーも食うだろ?」
  
 パチパチと目を瞬かせるセイバー。
 あれは何かを期待している目だ。
 
「用意して貰えるのでしたら是非。ちょうど私も空腹を感じていたところでした」
「よし、じゃあ気合入れて作るか。セイバーは居間で待ってて……って、場所分かるか?」
「問題ありません。昨夜のうちに屋敷の構造は把握しておきました」
「そっか。じゃあ、期待して待っててくれ」
「はい。“期待”して待っています」
 
 
 セイバーはコクコクと頷きながら、俺の作った昼食を美味しそうに食べてくれた。
 作る側から言わせてもらえれば、こんなに嬉しいことはない。心配した箸の使い方も上手いものだったし、行儀も非常によろしく、結局食べている間はあまり会話することができなかった。
 
 食後にお茶を入れて、そこから改めてセイバーと話しを始める。
 
 サーヴァント。宝具。聖杯戦争。そして七つのクラスの特性など。知っている事柄は深く、知らない事柄は要点を逃さないようにしながら、お互いの思いや考えを披露しながら進めていった。
 でも、こうして話しているだけで、時折セイバーの声に聞き惚れてしまいそうになる。
 本当に綺麗な声。燐として淀みがなく、澄んだ小川のような透明感がある。雑踏の中でも彼女の声は聞き逃さない自信があった。
 
 それに、今更だけど彼女はとても美人だ。平静を装っていても内心はかなりドキドキしている。
 頭を突き合わせるような格好で会話していたところ、俺の額に彼女の前髪が触れた。
 金砂を思わせるきめ細かい髪。撫でるととても柔らかそうで、心地良いだろうなあと夢想してしまう。
 
「シロウ? 聞いていますか?」
  
 いけない、思わず見惚れていたようだ。
 
「あ……ああ。ごめん。ちょっと考え事をしてた」
「はあ。もう一度言いますから、よく聞いていてください。既に聖杯戦争は開始されています。シロウはマスターなのですから、油断などせず、常に辺りに気を配っていてください。外出する時などは私が同行しますから、決して一人で出歩いたりしないように」
「学校とか、あるぞ?」
「休んでいただくのが一番ですが、どうしても登校する時は私に一声をかけてください」
 
 セイバーを連れて登校か。
 それはそれで大騒ぎになること間違いなしだ。衛宮が金髪美女を連れて来たと冷やかされる光景が目に浮かぶ。
 
 いかん…………大問題だな。
 
 まあ、学校に関しては明日考えるとして、後は概ねセイバーの言うことは正しい。もう一度バーサーカーやランサーと出会ったら、間違いなく俺は殺されてしまうだろう。 
 
「ああ、分かった。なるべく一人で動かない」
「なるべくではありません。絶対に一人で出歩かないように。それでなくても貴方は放浪癖が…………」
  
 はっきりと喋るセイバーにしては珍しく、言葉尻を濁して何やら呟いている。
 
「ん? 俺がどうしたって?」
「い、いえ。こちらのことです。とにかくシロウには戦う術がないのですから、そこのところをよっっく肝に銘じて行動するように。――いいですね?」
 
 ずいっと顔を寄せてくるセイバー。よっぽど信用がないんだな、俺。
 
「了解した。セイバーを不安にさせる行動は慎む。それでいいだろ?」
「一抹の不安は残りますが……シロウがそう言うのなら、これ以上の追求は詮なきことでしょう」
  
 それからも二人で色々と話した。
 ほとんど聖杯戦争に関することだったが、少し好きな食べ物だとか、好きな物の話しなんかを織り交ぜてみた。怒られるかなと思いもしたが、予想に反してセイバーは朗らかに答えてくれる。
 こうして好きな物について語ったりするところを見ていると、年相応の普通の女の子と同じだと思う。
 そう感じれることが、とても嬉しかった。
 
 それこそ、楽しい時はあっという間に過ぎる。気が付いたら、時刻は夕方に射しかかろうとしてた。 
 
「シロウ、少し失礼します」
  
 セイバーが席を立つ。きっとトイレだろう。
 じゃあ俺は、彼女が戻ってくるまでに新しいお茶でも入れてくるか。そう思って、俺も席を立ち、隣にある台所へとむかった。
 
「あれ、牛乳切れてるな……」
  
 お茶を入れようと台所に来たついでに冷蔵庫を開けてみる。中を覗いて見れば、牛乳他、幾つかの食材が切れていた。
 昼食で結構材料も消費したし、牛乳を買うついでに商店街で食材を補給してくるのがいいかもしれない。お茶請けも必要だろうし。明日には虎も来る。買っておいて損はないだろう。
 セイバーには……まあ、すぐ戻ってくるし連絡しなくてもいいか。
 そう思って、急ぎ財布を取ってから深山の商店街を目指して家を出た。
 
 
 
 
「ありがとうございましたー」
  
 とりあえずコンビニで牛乳を購入し、次の店を目指す。
 商店街には行きつけの店も多く、買い物する順番とか決まってるもんだ。この後は八百屋に寄って、肉屋にも寄って、最後に甘いものでも買って帰ろう。
 そう思った時、妙な違和感を感じたので足を止めて見た。
 
 ――なんだ? もしかして見られてるのか?
 
 針で刺されているような鋭い感覚。
 その圧力は俺の前方。真正面から注がれていた。
 
 そこに居たのは同年代の一人の少女。
 少女は歩くこともなく、その場に立ち止まってじっと俺のことを見ている。
 彼女はラフな格好の上に赤いダッフルコートを羽織っていて、遠目にもよく目立っていた。しかし、一番目を引いたのは腰まで届こうという真っ赤な髪の毛。ポニーテールに結わえてあって、燃えるように鮮やかな真紅の色合いが夕日に映えている。
 
 その少女がゆっくりと俺に近づいてきた。
 だけど知り合いじゃない。あんなに目立つ少女なら、一度会ったら忘れるはずがない。
 そして少女は、俺の一メートル手前くらいで止まって
 
「一人で出歩くなんて、馬鹿なマスターね」
「え……?」
  
 それをかわせたのは偶然だった。
 少女が何かを振るった瞬間、手に持っていたビニール袋が綺麗に切れて牛乳が地面にぶちまけられた。
 地面に染み入る白い液体を見て、心臓が凍りつく。
 
 マスターと少女は言った。ということは、少なくとも聖杯戦争の関係者なのは間違いない。
 件の少女は、まるで物を見るような冷たい瞳で俺を見据えている。
 外見に騙されちゃ駄目だ。
 少女は確かな殺気を身に纏っている。俺だって魔術師の端くれだ。それが本物の殺気かどうかくらいの区別はつく。
 
 ならば、目の前の少女は――――敵っ!?
 
 嘘だろ? 夕方とはいえ、こんな商店街のど真ん中でっ!
 
「くそっ!」
  
 悪態を吐きながらも、少女に背を向けて全力で駆け出した。
 俺は何処かで甘く見ていた。戦うのは夜だけで、人目のある場所では襲われないと。――聖杯戦争。マスターとして戦うということを、頭で理解している“気”になっていただけだった。
 
 背後を振り返る余裕はない。
 俺は、何も考えずに走りつづけた。
 次々に過ぎ行く景色。行き交う人々。そんなものに気を配る余裕なんてまったくない。時々人にぶつかりながらも、ただ全力で駆けた。
 
「はあっ、はあっ、はあっ…………俺、馬鹿か……」
  
 気が付いたら公園に来ていた。逃げるならもっと人目のあるところじゃないと意味がない。
 いや、無関係な他人を巻き込むなんて出来ないから、ここに来たのは正解じゃないけど間違いでもないはずだ。衛宮の家に向かうのが良かったんだろうけど、無我夢中でそこまで考えてなかった。
 
 呼吸を整えながら辺りを伺う。
 公園の入り口、ジャングルジムにブランコ。物陰は特によく見た。けど、何処にも少女の姿はない。もしかしたら、うまく逃げ延びれたのかもしれない。
 注意深く、もう一度だけ辺りを伺う。
 
 ――やはり、誰の気配も感じない。
 
 ふう、と安堵の溜息を吐いた時、件の少女の声が真後ろから響いた。
 
「もう、逃げないの?」
  
 心臓が止まるかと思った。
 俺は慌てて跳び退いて、少女と距離を取る。
 
「貴方マスターでしょう? なら、殺される覚悟も出来ているはずよね」
  
 少女の手には剣が握られていた。小柄な少女には不釣合いな長剣。形や幅は西洋剣のそれだが、長さだけが異様に長い。少女の身長を優に越えて二メートルほどはある。それを、少女は当たり前のように構えていた。
 
「なん――で?」
「何で? 変なことを訊くのね」 
  
 刹那、少女が踏み込んできた。それを脳が確認した瞬間に、俺は地面を這うようにして逃げた。
 剣線なんて見えないし、どうしようもない。 だから、その場から逃げただけだ。
 少女の一撃は、俺の背後にあったジャングルジムを、まるで飴細工を切るみたいに容易く両断している。
 
「……嘘だろ」
  
 ジャングルジムって鉄で出来てるんだぞっ。こんなことが普通の人間に出来るはずがない。
 出来るとしたら、それは……。
 
「――――おまえ、サーヴァントか?」
  
 足元に飛んできたジャングルジムの破片を拾いながら立ち上がる。
 こんな物でもないよりマシだ。
 
『――“同調、開始”……』
  
 鉄の棒みたいなそれに強化の魔術を施す。
 必死だった。そのおかげか運良く魔術は成功し、鉄棒が数倍の強度に強化された。
 
「強化? けど、そんなことしても無駄よ。どうせ――貴方はここで死んでしまうのだから」
 
 少女が動くと同時に、俺は鉄棒を眼前に突きす。続けて腕に伝わってくる衝撃。
 強化を施した鉄棒だったが、少女の剣を一撃受けただけで大きく曲がってしまう。それでも、後退しながら振るい続けた。
 型なんてないデタラメな振り回し。当然少女に当たるはずもなく、少女の剣をもう一度受けただけで大きく体勢を崩された。
 
「ぐあ――っ!」 
 
 少女はその気になれば俺なんかすぐに殺せるだろうに、この剣術ごっこに付き合っている節がある。そう思ったものの、対抗できる術があるわけではない。
 そして幾度目かの斬撃。それを受けて、俺は盛大に尻餅をついてしまった。
 
「ぐっ……」
  
 地面は砂地だったけれど、衝撃で息が詰まる。それでも何とか呼吸を整えて、眼前の少女を見上げた。
 少女は剣を下げたまま、さっきまでと変わらない冷たい視線を向けてくるだけ。夕日はもう地平に落ちていて、空に上った月の光が、少女の凛々しい面を照らしている。
 
 場に訪れる一瞬の静寂。
 公園に幾つもある街灯がチカチカと明滅し、一斉に光が点った。その光を受けて、少女の赤髪が夜の公園にあって炎のような存在感を現し、夜風を受けて靡いている。
 
「セイバーのマスター。貴方の聖杯戦争はここで終わり。求めた聖杯を得られず死ぬなんて――残念ね」 
  
 少女がゆっくりと剣を引き、それから俺の心臓に向かって突き出した。
 
「――俺は聖杯なんて、求めてないっ!」
  
 地面を転がって、何とかその一撃を避ける。続けて肩に激痛が走った。剣の一撃が俺の肩を掠めていたのだ。
 激しい痛みに顔が歪む。けれど、本来なら串刺しだ。
 かわせる速度じゃなかったのに、一瞬、少女の剣速が鈍ったのだ。おかげで肩を切られただけで、まだ命はある。
 それでも、状況が変わった訳ではない。
 
「セイバーのマスター。貴方は今、何と言った?」
「……なに?」
  
 傷口を抑えながら少女を見つめる。
 少女は立ち止まったまま、俺を見据え僅かに苛立っていた。正直、彼女の意図が分からない。
 
「聖杯戦争に参加する者は例外なく聖杯を求める。なのに貴方は、マスターでありながら報酬である聖杯を求めないの? どうして?」
「……聖杯なんていらない。俺が戦うのは悲劇を繰り返させないためで、聖杯とかマスターとか、そんなもののためじゃない」 
 
 少女の黒色の瞳が揺れている。
 彼女は何かを考えるように視線を這わせて――改めて剣を構えた。
 
「……不可解ね、あなた。けれど、ここで死ぬ事実は変わらない。残念だけどそれが聖杯戦争なのよ」
 
 少女が剣を振り上げて俺に殺気を叩き付けてきた。ただそれだで身体が震え、満足に動くことが出来なくなった。
 
 ――脳裏に浮かぶ明確な死の予感。
 
 俺の視線が少女の持っている長剣に釘付けになる。あれを振るわれれば終わりだ。それだけで俺は死ぬ。
 けど、ここで殺されるとか冗談じゃない!
 まだ俺は何も成しちゃいないし、それにここで死んだらセイバーを裏切ることになる。そんなのは俺には認められない。
 だから足掻く。何か手段はないか、生き残る術はないか。
 
 ――何か、何かないのか!?
 
「さようなら」
 
 思考が纏まる前に少女が剣を引いた。
 
「くそぉ――っ!!」
  
 駄目もとで強化した鉄棒を頭上に構える。
 せめて、一撃でも防げればと目を閉じた瞬間、耳元で鋭い剣戟の音が響いた。
 
「…………え?」
  
 強化鉄棒を持った腕には何の衝撃も伝わってきてない。かといって切られた箇所もなかった。
 不思議に思って目を開いてみれば、目の前に赤い大きな背中が。
 
「なん…で…?」 

 少女の一撃は、俺の眼前で黒と白の双剣によって受け止められていたのだ。
 
「馬鹿が、何をしているっ!」
 
 赤い男――アーチャーが振り向きざまに俺を蹴り払う。
 
「ぐわっ!」
  
 俺は軽く五メートルは吹き飛ばされて、地面に無様な格好で転がった。
 口の中に、砂の味、血の味が拡がる。
 
 ア、アイツ……何で……。
 
 大きく咳き込みながら腹を抑える。
 あの馬鹿は加減ってものを知らないのか……!
 
「凛、そこのマヌケを頼む」
 
 アーチャーの声を受けて、一人の少女が俺を守るように前に出た。
 
「と、遠坂……?」
「アンタねえ、何やってるのよっ! 一人で出歩くなんて、私の伝言受け取らなかったのっ!!」
 
 そこにいたのはコートを羽織った遠坂凛の姿。
 
「マスター、馬鹿の相手は後にしておけ」
 
 そう言いながらも油断無く少女を見据えているアーチャー。
 赤髪の少女は、俺と対峙した時には見せなかった苦い表情をしていた。
 
「貴様――アーチャーか!」
「おや、お互い初見だったと思ったのだが、何故私がアーチャーだと判ったのだ?」
「――ちっ!」
 
 舌打ちをしながら、少女が真紅の鎧を纏う。それはセイバーのような西洋風の甲冑だった。
 重装というよりは軽装に近い。防御力よりも動き易さを優先させてるのだろう。月光を受けて紅炎の鎧が輝いていた。
 
 少女はアーチャーを睨み付け――自身よりも長い剣を振り上げる。
 
 
 こうして、夜の公園で両者の戦いが始まった。
 
 二人のサーヴァントが同時に大地を蹴る。瞬間、辺りに響く剣戟の音。闇夜を幾つもの閃光が走っていた。
 少女は長剣を手足のように自在に操り、アーチャーは双剣を的確に操っていく。正確に見えている訳じゃない。なんとなく、そう感じただけだ。
 どうやら俺は“剣”というものに人並み以上に関心があるらしい。剣と剣がぶつかりあう激しい音、光が軌跡を描く剣線。そんな二人の剣舞を見惚れるように見つめながら、俺は両者の武器にも注視していた。
 
 片や見るものを畏怖させるような長剣。
 長さは二メートルに達し、その間合いは槍のそれに迫る。秘められた魔力は未熟な俺でもわかる程に潤沢だ。
 
 片や一対で作られた双剣。
 無骨で豪奢さもなく、ただ敵を切る為だけに在るような剣。そこに篭められた思いは戦意。ただそれだけだ。それでも俺は、その双剣を美しいと思っていた。
 黒と白、陰と陽。二本で一つ。あれは夫婦剣だ。
 
 アーチャーがその双剣を左右に払った。それを少女が打ち払い、勢いそのままに突撃する。
 二メートルの長剣がアーチャーの首へ。アーチャーの体勢は崩れていてその一撃をかわせない。そう思った。だがアーチャーは、事前に感じていたように双剣で少女の剣を受け止めた。
 それでも少女は止まらない。流れるような動作でアーチャーの足元を払う。
 アーチャーはその一撃を、後方に飛び退くことで凌いでいた。
 
 月下の公園での二人サーヴァントの戦いは、まるで舞うような攻防だった。
 少女の剣技は鋭く流麗で、アーチャーの剣技は卓越していて技巧。いずれも一歩もひかず、公園の中央で激しく入れ代わりながら交差している。
 こうして見れば少女の戦闘スタイルはセイバーに似ていた。
 小柄な身体ながらアーチャーに打ち負けることはなく、時に押し返し、双剣を避け、その一撃の威力は迸る魔力の猛りを感じて絶大。
 対するアーチャーは、無理に自身の間合いに入ろうとはぜず、迎撃を主としながら相手を見極め、そこからの鋭い連撃で相手を迎え撃っていた。
 
「――グウッ!!」
「――ちぃっ!!」 
 
 一際大きな剣戟、続けて二人のサーヴァントの叫びが耳に届いた。
 今の攻防を経て、両者が間合いを開けて対峙する。その距離は約二十メートル。
 隣にいる遠坂も魔術を放つタイミングを計ってはいたが、両者の攻防が早すぎてそれを掴みかねていた。下手に放てばアーチャーを巻き込んでしまう。
 そのアーチャーは、双剣を下段に構えたまま納得したように頷いていた。
 
「ふむ。剣を使ってはいるがセイバーは既に存在している。なら、私が知らないサーヴァント、ライダー、アサシン、キャスターのうちで該当しそうなのは――アサシンといったところか」
 
 アーチャーの推測を受けても、少女は肯定も否定もしなかった。しかし、その表情がアーチャーの言が正しいであろうことを物語っている。
 
「どうだ、引く気があるのなら見逃すが?」
「見逃す? ここで死ぬ貴方が言うべき言葉ではないわ」
 
 少女が上段に剣を構えた。
 
「……やれやれ。こんな男の為に魔力の無駄遣いはしたくなかったのだが――これもマスターの意向でね。悪く思わないでくれ」
 
 言葉と共にアーチャーが双剣の存在を手の中から打ち消す。
 
「なにしてんだ、アイツっ!」
 
 その行為に思わず声が出た。
 如何にアーチャーといえど、武器なしで少女の剣を防ぐ術はないはずだ。訝しく思ったのは少女も同じなのだろう。警戒しながらアーチャーの様子を伺っている。
 そのアーチャーの口元が小さく動いた。
 
『――――“I am the bone of my sword”――――』 
 
 距離的にここまで届かないはずの声。だけど、俺にははっきりと聞こえた。
 
 アーチャーは左手に漆黒の弓を生み出し、続けて右手に歪に捩れた剣を出現させる。
 そう、あれは剣だ。矢じゃない。
 それなのに、アーチャーはその剣を番え、狙いをアサシンに絞る。
 
「――――宝具!?」
  
 叫び声を上げて、少女が剣に魔力を込め始めた。
 瞬間、少女を中心にして凄まじいまでの魔力の乱舞が起こる。それは風を伴って俺達のところまで届いていた。
 アーチャーは間近で少女の魔力を受けつつも、まったく動じることなく弓を限界まで絞って、更に魔力を充填させた上で
 
 
『――――“偽・螺旋剣”――――!!』
  
 
 真名と共にアーチャーの矢が放たれる。
 
 それは轟音と閃光を纏い、空間を捻じ切るかのような圧倒的な破壊力を持って少女に迫っていった。対する少女は魔力を溜め込んだ剣を構えたままそれを迎え撃つ。
 
「はあああああああぁぁ――――っっ!!」
 
 少女の長剣がアーチャーの“矢”を捉える。神速の矢を、神速の剣が迎え撃った。
 刹那、辺りは昼間のような閃光に包まれ、爆音と同時に大量の砂塵が巻き上げられる。
 
 ――――視界が、遮られる。

「ぐ――くぅ……!」
「な……なによ、これ……何も見えないじゃない……」
 
 俺も遠坂も目を開けていられない。
 砂埃は数十秒も舞いつづけ、その間は両手で瞼を覆い、目に砂が進入するのを防ぐので精一杯だった。口の中なんて、砂利の味しかしない。唾と一緒に吐いても吐いても進入してくるんだから意味がない。
 それでも、いつしか砂塵は収まりを見せて視界もゆっくり回復してきた。涙に濡れた目を力いっぱい見開き、状況の確認に勤める。 
 
 果たしてそこには、街灯に彩られるようにして立つアーチャーの姿しかなかった。辺りに真紅の少女の姿は何処にもない。
 遠坂がゆっくりとアーチャーに近づいていく。
 
「………ぺっぺ。んもう、砂まみれじゃない。それで、やっつけたの、アーチャー?」
「いや、恐らくは逃げたな。まったく、とんだ魔力の無駄遣いをしたものだ」
 
 やれやれ、と肩を竦めてからアーチャーが嫌みな視線を隠そうともせず俺を見た。
 
「む……俺が悪いって言うのか?」
「当たり前でしょ、衛宮くん。自分が如何に無知で馬鹿で愚かなことをしたか、判ってて言ってるのかしら?」
 
 遠坂が微笑んでいる。そう、微笑みながらすっごく怒っていた。
 
「……いや、少しは、悪かったかなって、思ってる……」
「す・こ・し?」
「その…………海よりも深く反省してます」
「ふんっ。当然よ!」
 
 俺の答えに満足したのか、遠坂が背中を向けて歩き出した。
 
「ん? 何処行くんだ遠坂。帰るのか?」
 
 俺の言葉に遠坂が止まった。
 そしてゆっくりとこちらに向き直る。
 
「衛宮くんの家に行くのに決まってるでしょう? 護衛も必要だろうし、何よりきっちりはっきりきちんと言い聞かせてあげないと、死ぬまで理解しなさそうだから」
 
 遠坂さんはとっても笑顔でした。 
 
「……ふう。凛、忠告として言わせてもらえれば、それはとても無駄なことをしようとしているぞ?」
「私だって、こんなの心の贅肉だって理解してるわよ。でも、いいのっ!」
 
 スタスタと再び歩きだす遠坂凛。そして、大袈裟に肩を竦めてアーチャーが消えていった。もう付き合ってられん、という感じだ。
 それからしばらく、俺は夜の公園の中でぽつんと佇んでいた。
 
 
 
「シロウゥっっっっーーーーー!!」
 
 セイバーの絶叫が居間に響き渡った。
 
「あ、あな、貴方は、何故こうも人の言うことを聞かないのですかっ! 一人で出歩くなと、あれほど言ったではないですかっ!」
 
 があー! と凄い剣幕で吼えるセイバー。その、ライオンみたいな迫力だ。
 
「シロウ、そこに正座してください。今宵は貴方にきっちりと言い含めなければ気がすみません」
 
 もう、正座してます、セイバーさん……。
 遠坂はというと、セイバーの隣で据えた目で俺を見ている。口を挟まないのは言いたいことがないのではなく、既に吐き出した後だからだ。
 公園からの帰り道、もう耳にタコが出来るほど延々言われ続けた。
 しかし非は俺にある上に助けてもらった身の上では反論も出来ない。大魔神とかした遠坂のお小言をじっと耐え忍んで、そして家に帰ってきたら……。
 
「聞いていますかっ! シロウ――ッ!!」
「き、聞いてる。だから、もう少し声を落として、な、セイバー」
 
 セイバーによる第二の叱責が待っていたのだ。
 はっきり言って彼女はものすごく怒っている。烈火の如く、溢れる溶岩を塞き止めようともしない怒れる活火山のように。     
 
「一体誰の所為で声を荒げていると思っているのですっ? いいですかシロウ。貴方はだいたい――」
  
 セイバーによるお説教は続いていく。
 
 う……うう。今は黙って耐え忍ぶべし……。
 俺には、ただ項垂れて嵐が過ぎ去るのをじっと待つしかなかった道が残されていなかった。
  



[1075] その時、聖杯に願うこと 4
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/12 22:05
 
 その時、聖杯に願うこと 4
 
「うわ――っ!」
 
 僅か一撃。
 セイバーの放った竹刀を肩に受けて、俺は無様に道場に転がった。
 
「やっぱり……セイバー……強いな……」
 
 昨夜のセイバー台風が過ぎ去った後、俺は機嫌を戻したセイバーに道場での稽古を願い出た。
 あの赤毛の少女、アーチャーが言うにはアサシンだったか。
 俺はあの少女相手に何も出来ず、アーチャーが現れなければ確実に殺されていただろう。
 少しは抵抗らしい抵抗も示したかったし、男の意地もある。付け焼刃で何が変わる訳ではないだろうが、色々考えるよりこうして身体を動かしている方が気分的に楽だ。
 それに、セイバーとの稽古もまんざら無駄でもない。
 対抗なんて出来ないし、こちらは一太刀すらも浴びせられない。それでも、セイバーに打ち倒される度に戦う気構えみたいなものが出来てくる。
 気構え、心構え一つで実戦では随分違うだろう。
 
「シロウ。貴方は攻撃よりもまず防御を優先するべきです。不意の事態でも多少なりとも相手の攻撃を凌ぐことが出来れば、その間に私が駆けつけるなり、何なりと方法があります。しかし、一撃で殺られてしまってはどんな手段を用いることも出来ない」
 
 転がった俺を見下ろしながら、セイバーが苦言を呈してくる。
 俺は痛む肩をさすりながら、口を尖らせて跳ね起きた。
 
「そうは言ってもな……。セイバー手加減してないだろっ。剣線なんて見えないぞ」
「十分に力は抑えています。それはシロウが見ようとしないから、見えないのです」
 
 むう。セイバーが力を抑えているのは分かってる。でも、容赦なく打ち込んでくるから手加減されてる気がしない。もっとも、こういう稽古の方が短い時間で得るものもあるのだろう。
 二人で道場の真ん中に戻り、改めて竹刀を構える。
 そこで……
 
「そうだ、シロウ。先程、一つだけ伝え忘れていた事がありました」
 
 突然思い出した、という感じでセイバーが竹刀を下げた。
 
「む――なにさ? お説教ならもう沢山だぞ」
「説教などと……。あれはシロウが――いえ、今伝えたいのはその手にある令呪についてです」
「令呪?」
 
 右手の甲を見てみる。
 そこにあるのは、痣のように浮かび上がった三つの聖痕。
 
「そう、令呪です。例えば今日のように私と離れている時に敵に襲われた場合、その手にある令呪を使用することで瞬時に私を呼び出すことが出来ます」
「そんな事が出来るのか?」
「はい。どれほど距離が離れていても、令呪を使えば可能です」
 
 改めて令呪を見る。
 サーヴァントを律する三つの命令権。それが本当なら、ほとんど魔法の域だ。
 
「でも、俺、使い方知らないぞ?」
「強く念じるだけで良いのです。それだけで、私と繋がることが出来ます」
「そっか。じゃあ――――学校に登校も出来るな」
 
 一瞬にして道場内の時間が停止した。
 
「………………………………は?」
 
 俺の発した言葉の意味が分からないと、セイバーが目を丸くしている。
 
「だって、セイバーを一瞬で呼べるなら、別に護衛してもらわなくってもいいじゃないか。危険な時は令呪を使えばいいんだから」
「…………その、シロウ。先程までの私や凛の話しを“真剣”に聞いていましたか?」
「聞いてたさ。第一、学校にセイバー連れて行けないだろ? 学校に行くのは夕方までだし生徒も大勢いる。先生だっているんだ。こんなに安全な場所はそうないぜ?」
 
 何というかセイバーが変な顔をしていた。いや、あれは絶句しているのか。言いたいことがあるのだが、言葉がみつからないという感じだ。
 俺、そんなに変なこと言ったかな?
 
「あ…………い、いえ。シロウの言いたいことは分かります。ですが、今は非常時です。学校くらいは行かなくても良いのではありませんか?」
「大丈夫だって、セイバー。バイトも行かないし終わったらすぐに帰ってくる。本当、心配ないって」
 
 俺のことをじっと見つめながら、セイバーが逡巡している。
 眉根はきゅっと寄せられて、碧の瞳は絶対に俺から視線を逸らさない。その思索は実に十分以上に渡って繰り広げられた。
 それでも最後には、彼女は大きな溜息と共に俺の我侭を認めてくれたのである。
 
「はあ……貴方が頑固なのは解っていましたが……。本当、一度言い出したら聞きませんね。無理に反対したところで、どうせ無駄でしょうし、了解しましたマスター。但し、絶対に無理はしないこと。危険が迫った時は令呪を使うこと。いいですね?」
 
 逡巡しながら出したセイバーの答え。
 それでも嬉しかった。なんだかんだ言いながらセイバーは俺を信頼してくれている。
 
「ありがとう、セイバー。うん。無茶はしないさ」
 
 その信頼に応えようと言葉に力を込めてみた。だけどセイバーは“その言葉は今朝も聞きましたね”と嘆息するのだった。
 改めて一息吐いて、セイバーが竹刀を構え直す。
 
「シロウ、まだ時間があります。稽古を続けましょう。……久しぶりの稽古なので、少し楽しくなってきました」
「それはいいけど、久しぶりって、セイバーはよく稽古とかしたのか?」
 
 驚いたようにセイバーが目をパチパチさせている。それから小さく咳払いしながら慌てて竹刀を下げた。
 
「そ、そうですね。私は騎士でしたので、け、稽古はよくしたものです」
 
 何となくセイバーの仕草が怪しいんだが……まあ、無理に詮索するほどのことじゃないか。セイバーの言う通り、俺もこの稽古が楽しくなってきたところである。わざわざ水を注すこともない。
 そして今、セイバーは竹刀を下げている。
 これぞ千載一遇のチャンス!! 説教の恨みを晴らすべし!
 
「――――スキありだっ! セイバー! 貰ったあぁっ!」
 
 卑怯とでも何とでも言って欲しい。どうしてもセイバーから一本取りたかったのだ。
 だが……。
 
「甘いっ! 甘いですよシロウ! 先程頂いた白玉あんみつチョコ饅頭並に甘いですっ!」
 
 俺の渾身の一撃すら難なくあしらったセイバーの竹刀が、俺の背中をビシッ!っと打ち据えたのだった。
 
 
 
 翌朝、いつもの通り桜と藤ねえが朝ごはんを食べにきたが、同席を渋ったセイバーの願いで紹介することはなかった。
 まったく律儀というか、頑固というか。変にセイバーは石頭なところがある。
 遠慮することなんてないのに。今日の夕食時には、セイバーが嫌がっても力づくで食卓に連れていくとしよう。大勢いる家の中で、一人だけで食事をさせるなんて俺が我慢できない。
 だけど、それは今日の夜の話だ。今のセイバーは、衛宮の家でお留守番中のはずだ。
 
 坂道を駆け上がって穂群原学園を目指す。
 時刻は8時過ぎ。何とか間に合ったようだ。
 しばらくは登校風景に混ざりながら坂道を歩き続ける。
 聖杯戦争なんて関係ない、ありふれた日常の風景。こんな普通の光景が懐かしいと感じてしまう日が来るなんて、思いもしなかった。
 
 程なくして学園に到着する。しかし、門を潜った瞬間に奇妙な違和感が走り抜けた。
 
 これは――なんだ?
 
 まるで急に水中に飛び込んだような感触。けれどそれはほんの一瞬のことで、すぐに違和感は収まってしまう。
 
「確かに……感じたんだが」 
 
 辺りを見回しても特に変わった印象はない。単に疲れてるだけかもしれないと、俺は深く考えるのはやめて教室に向かうことにした。
 校舎に入って近くの階段を駆け上がり、自分のクラスがある階まで到達する。そこで制服姿の遠坂と鉢合わせした。
 
「よう、遠坂。結構早いんだな」
  
 手を上げて挨拶したのに、なぜか遠坂からの返事がなかった。
 彼女はぽかんと口を開けて、唖然とした表情で俺を見ている。
 
 む……どうしたんだろう。
 低血圧でまだ眠いのか? しかし、意識はハッキリしているように見える。
 
「どうした遠坂? 何か悪い物でも食ったか?」
「ア……アンタ…………何で?」
 
 声が僅かに震えていた。
 
「ん? 言いたいことがあるならハッキリと言ってくれ。いまいち聞こえずらい」
 
 どうも俺の声も素通りしたようだ。遠坂は心ここに在らずと放心している。だけど、突然強い意思の力を瞳に宿したかと思ったら、俺の首根っこをむんずと掴んだ。
 
「な――っ!? いきなり何すんだ遠坂っっ! そこ持たれたら歩けないだろっ!」
 
 俺の抗議もなんのその。
 遠坂は俺を引きずるようにして屋上まで運ぶのであった。
 
 
 
「馬鹿あぁぁ――――っっ!!」
 
 屋上に着いて開口一番。遠坂の怒鳴り声が俺を襲った。
 耳が、キーンとする。
 
「な、なんだよ、いきなり。ビックリするじゃないか」
「ビックリしたのはこっちの方よ! アンタを見た時は我が目を疑ったわっ!!」
 
 何が原因なのか。遠坂嬢はかなりご立腹のようだ。
 
「……言ってる意味が解らない。もっとよく解るように説明してくれるか?」
 
 この俺の言葉が遠坂の導火線に火を点けたようだ。遠坂の顔はみるみる間に真っ赤になっていく。
 歯をぎゅっと食い縛り、必死に怒りを堪えている遠坂凛。だが、もうすぐにでも怒りのボルテージはMAXになって器から溢れてしまいそうに見える。
 拳を強く握って震えている遠坂。
 う~む、屋上は風が強いが……寒い訳じゃないよな。
 
「………………ぁっっんっったっ……!!」
 
 口を開きかけてから、それを意思の力で無理やり閉じ込めた。どうやら遠坂さん、中々の精神力をお持ちのようだ。
 それから思い切り盛大な溜息を吐いて、遠坂が改めて俺に視線を向ける。
 
「……士郎、昨日あれだけの目に遭って、更にあれだけ説教されて、それでもまだ理解できていないようね」
「だから、どういうことなんだ遠坂?」
 
 キッときつい視線を向けてから、遠坂が大口を開く。
 
「何でッ! アンタはッ! サーヴァントを連れずにッ! 学校にッ! 来てんのよッ!! 命が惜しくないのっ!?」
「ぐう――――ゎ!!」 
 
 凄まじいまでの声量、大声だった。耳を指で塞いでも貫通して脳まで届く。
 
「が…学校は安全だろ? 人も大勢いるし、いざとなったら令呪でセイバーを呼べばいい」
「まだそんなこと言ってんのっ! アンアには学習能力がないワケ? 昨日死にかけたばっかりでしょっ!!」
 
 があー! と遠坂が吠える。
 
「そ、そんなに大声出すな。俺だって用心くらいしてるさ」
 
 用心してるという俺の言葉に対し、遠坂から、はあ…っと盛大な溜息がこぼれた。 
 
「あのね、士郎。気づいてないようだから教えてあげるけど、私たちの他にもこの学校にマスターがいるわ」
「な――ッ!?」
 
 聞き違いでなければ、遠坂はこの学校にマスターがいると言った。 
 マスターと言えばあのマスターしかいない。即ち聖杯戦争に参加している七人の内の一人。そのマスターが居るのなら、当然サーヴァントもいるはずだ。
 
 ――サーヴァント。
 
 あの圧倒的なバーサーカーや、赤い髪をした少女。そして俺を殺したランサー。誰一人取っても英雄の名に恥じない存在だ。
 今までは偶々うまく切り抜けて来られたが、そうそうサーヴァントと遭遇して生き残れるはずもない。偶然は何度も続かないから偶然なんだ。
 そのサーヴァントがこの学校にもいるだって?
 
「と、遠坂! この学校にマスターがいるのかっ!?」
「ええ、そうよ! ここに結界が張ってあるの気づかなかった?」
 
 結界って――もしかして校門を潜った時に感じた違和感は……。
 
 あれが魔術の類に関する違和感なのだとしたら、かなり広範囲に渡る結界じゃないのか? そんなものをおいそれと張ることが出来る魔術師っていったら、大の付く魔術師だろう。 
 
「学校を覆うように結界が張ってある。魔法並に高度なヤツよ。発動したら学校が地獄に変わるでしょうね」
「地獄にって……大変じゃないかっ。何をのんびりしてるんだ、遠坂っ!」
 
 すぐにでも何とかしないと。
 そう思って駆け出した俺の腕を遠坂が掴み止めた。
 
「慌てないで。高度な分だけ完成するまでに時間がかかるわ。私も呪刻を壊して回ってるし、発生するまであと八日ほどかかるんじゃないかしら」
「呪刻……? 八日…………?」
「こんなの張れる奴なんて限られるから、たぶんキャスターか、魔術に精通してるサーヴァントじゃないかと思うのよ。コレ、かなり危険な結界ぽいから、仕掛けた奴はかなり危ないやつね」
「………………」
「呪刻は――言って見れば結界の基点ね。学校全土を覆うようなヤツだもの。呪刻だけで相当な数がある。まあ、イタチごっこだけど壊せば少しは嫌がらせになるかな?」
 
 何が学校は安全だ。
 そんなことを言って安穏としてたら、遠坂が怒るのも当然だった。  
 
「士郎、散々言ってきたけど、もう普通の常識とは切り離して考えなさい。私たちはマスターで、殺し、殺される側の人間なのよ」
 
 理解していた。死にそうな目に遭って、理解したつもりだった。それでもまだまだ甘かった。
 犠牲を出してからじゃ遅い。それでも“まだ”間に合った。
 
「分かった、遠坂。俺、明日から学校に来ないよ。来る用事があるときはセイバーも連れてくる」
「ふんっ。やっと理解できたようね。遅すぎるくらいだけど、まあいいわ。私も士郎もまだ生きているしね」
 
 生きている。それこそが聖杯戦争において一番重要な要素なのだろう。生きてさえいれば負けた訳じゃない。生きてさえいれば惨事を未然に防ぐことも可能になる。
 
「ありがとう、遠坂。――――って、ちょっと待て。どうもさっきから変な違和感を感じていたんだが、おまえ、いつのまに俺を名前で呼び捨てるようになってんだよ」
「あれ? 意識してなかったけど……怒りで些細なことは吹っ飛んじゃったのかしらね。イヤなの? 名前で呼ばれるの?」
「……別に嫌じゃないけど。まあ、遠坂の呼びやすい方で構わない」
「そ。なら、これから“士郎”って呼ぶわね」
 
 わざわざそこを強調する遠坂。本当に猫被ってやがったんだな、このあくまめ。
 
「で、これからどうするつもりなの、士郎?」
「ん、そうだな……」
 
 遠坂の言うこれからが何を指しているのか判らない。今からのことか、明日からのことか、それとも―― 
 しばらくは空に流れる雲を眺めて色々と考えて見た。だけど結局は何の考えも纏まらなず時間だけが過ぎた。俺一人の情報量と知識じゃすぐに限界がくる。
 ふと、遠坂は何をしているのだろうと視線を落としてみた。
 どうやら彼女も何か考え込んでいる風で、顎に手を当てて思案顔だ。
 
 俺は学校にマスターがいるなんて考えもしなかった。
 人が大勢いるから安全だとさえ思っていた。それこそが大きな勘違いだったのだが。
 学校に結界を張るようなヤツがまともなヤツな訳はない。関係ない――そう、関係ない“一般人”を巻き込むなんて俺には考えられない。
 学園には藤ねえや桜だっているんだ。
 
 ――結界が発動したら、地獄になるわ。
 
 遠坂の言葉が頭を巡る。
 そんなこと、絶対に許すもんか。
 俺は止めたい。いや、何としても、その結界を張ったマスターを止めてやる。
 
 例え――――相手を……
 
「ねえ、士郎」
 
 そこまで思索した時、ちょうど遠坂が声をかけてきた。考えは一旦中止させて改めて彼女に向き合う。 
 
「何だ、遠坂?」 
「あのね、私達は敵同士だけど……一時休戦にしない? ほら、学校にマスターはいるしバーサーカーは手強いわ。そうね、学校にいるマスターを排除して、バーサーカーを倒すくらいまでは手を組むってことでどう?」
「そりゃ願ってもない話しだ、遠坂っ! こっちからお願いしたいくらいだ」
「ちょっ、即答? 少しは考えてから話しなさいよ」
「なんでさ? 俺、遠坂と争うつもりはないって言ったぞ?」
 
 むーと、なぜか俺を睨んでくる遠坂。
 それからちょっとそわそわして、そっぽを向いて、最後には何かぶつぶつ呟き出した。
 
(もう……これじゃ色々悩んだ私が馬鹿みたいじゃないの……。ホント、士郎って…………)
 
 ころころと表情が変わっていく。実に見ていて飽きない奴だ。 
 
「何よ士郎、ニヤニヤして?」
 
 どうやら思わずにやけていたようだ。
 俺はその表情を遠坂から隠そうと踵を返す。   
 
「何処行くのよ、士郎?」」
「授業を受けに行くに決まってるじゃないか。もう、始まってるぞ」
 
 少しだけ思案して、遠坂が笑顔でこう言った。
 
「一限くらいはサボってもいいんじゃない?」
「あのな……それ、とても優等生の発言とは思えないぞ」
「別に良いじゃない。私だって、たまにはそんな気分になるの」
 
 結局、遠坂のそんな気分に従って一限の休み時間までこうして二人で屋上に佇んでいた。 
 風は冷たかったが、あんまり気にはならなかった。   
 
 



[1075] その時、聖杯に願うこと 5 
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/12 22:08
 
 その時、聖杯に願うこと 5 
 
「よう、衛宮じゃないか」
「――慎二か」
 
 昼休み、遠坂の言っていた結界の基点を捜し歩いていた時に、校庭の隅で一人の人物に出会った。
 
 ――間桐 慎二。
 
 間桐 桜の兄で俺とは同級生。もう五年来の友人だが、俺が弓道部を辞めてからは少し疎遠になっていた。
 折角向こうから声をかけてきたんだ。
 本当なら久しぶりに積もる話しでもしたいところだが……。
 
「悪いな慎二。今は少し急いでるんだ。話しがあるならまた今度にしてくれ」
 
 早急にやることがある。談笑している暇はない。
 俺は踵を返してその場を立ち去る。
 
「おい、待てよ衛宮っ!」
 
 だけど、背中からかかる慎二の苛立った声が俺を止めた。
 
「なんだ、慎二。急いでるって言っただろ?」
「いいのかい衛宮。僕をそんな邪険に扱ってさ。僕はね“力”を手に入れたんだ。そう、大きな力だ」
 
 慎二は両手を大きく広げて、優越感に満ちた視線で俺を見据えている。
 力を手に入れたと慎二は言った。
 その言葉で一瞬、遠坂との会話が頭をよぎったが、マスターは魔術師がなるものらしい。幸い慎二も桜も魔術師じゃない。そう考えるとまったく関係のない話しなのだろう。
 多少言動が大袈裟な奴だから、大したことじゃないと思う。
 
「慎二、もう少し具体的に言ってくれ。それだけじゃさっぱり判らない」
「はっはっは。まあ、もう少ししたら僕の偉大な力ってヤツが判るはずさ。その前に衛宮には声をかけておこうと思ってね」
「なんだよ?」
「僕はね、衛宮には結構目をかけてやってたんだぜ? だからさ、衛宮。僕に従いなよ。本当、悪いようにはしないぜ」
 
 ますます不可解になっていく。慎二が俺に何を伝えたいのか見当がつかない。
 従うとか、何を言っているんだ?
 それに今は一刻の時間が惜しい。
 
「用件はそれだけか、慎二。良く分からないが今は構ってやれる時間がないんだ。じゃあな」
「待てよっ!」
 
 再び慎二が呼び止めるが、今度は止まらない。
 俺は慎二を残して校舎に向かって歩く。
 
「後悔するぞ、衛宮ぁ! 僕に従っていれば良かったって後悔するぞっ!」
 
 振り返らず、手だけを振ってその場を後にした。
 
 
 
 放課後になっても俺は家には帰らなかった。結界の基点を捜したかったし、学校内にマスターがいるのなら、その手がかりでも掴みたいと思ったからだ。
 ただ、セイバーにはすぐ戻ると伝えていたから、少し心が痛む。だけど背に腹はかえられない。
 明日からは学園に行かないつもりだったし、少しくらいは無茶も必要だろう。
 それに、まだ陽も落ちていない。
 
 校舎内とその周辺は昼休みに調べていたので、もう少し遠くまで足を伸ばしてみようか。
 各クラブのある部室棟、あるいは体育館やプール、または校舎裏にある雑木林……か。これだけ回るとなると、一人だと結構時間がかかりそうだ。
 的を絞って調べないと日が暮れるかもしれない。そうなるとさすがにマズイ。
 
 ――まず、何処を重点的に調べるか決めないと。
 
 そう思ったとき、校舎を微弱な魔力が包み込んだのを感じた。
 本当に微弱な魔力。一般人なら何の違和感も感じないだろう。いや、もしかしたら誰か特定の人物に送っている魔力の波長なのかもしれない。
 この学園にいる魔術師――俺か、遠坂か。或いは他のマスターか?
 
 魔力の波長は雑木林の方から流れてきていた。
 
 ――どうする、行ってみるか。
 調べに行くとしたら、やっぱりセイバーを呼ぶべきだろうか。
 
 ぎゅっと握り込んだ右拳。その甲にある令呪を見つめた。しかし、令呪の使用は三回に限定されている。無闇に使うわけにはいかない。
 俺は近くにあった掃除用具入れからモップを取り出して、その柄を程よい長さに叩き折った。
 
『――“同調、開始”……』
 
 手に持った木の棒を“強化”する。
 セイバーと契約してから――いや、彼女の夢を視てから、魔術の成功率が飛躍的に上がっているのを俺は感じていた。
 当然、問題なく強化の魔術は成功して、木の棒は鉄の棒以上の強度になる。
 それを強く握りながら“油断するな、慎重に行動しろ”そう自分に言い聞かせて、俺は校舎裏の雑木林に向かった。
 
 
 
 時間的に夕方にもなっていないはずだけど、雑木林に踏み込んだときから薄暗さを感じるようになった。
 当然というか、人の気配は全く無い。だが、感じている魔力の波は、奥に踏み込むにつれてだんだんと強くなってる気がした。
 踏み締める土の感触と重い空気。
 その時、僅かに木々の枝が揺れた。驚いて振り返って見れば、梢に止まっていた小鳥が羽ばたいていくのが見える。
 
「……なんだ、鳥かよ…」 
 
 辺りが薄暗いというだけで、凄く肌寒く感じるものだ。それなのに汗が滲んでくる。
 制服の裾で掌を拭った。それから、唯一の武器である木の棒を力強く握り込む。
 人の気配のない静寂の世界。まるで、世界に俺だけが取り残されたような不安感が胸に迫ってきた。
 走って逃げ帰りたいという衝動と、恐怖という感情が俺の足を竦ませる。でも、それを振り払うように、ぐっと奥歯を噛み締めた。
 
 ――馬鹿なことを考えるな。俺は逃げる訳にはいかない。
 
 気力を振り絞って、魔力の波動を辿り雑木林を進んでいった。
 もう、どれくらい進んでいるのか。静寂な空間だと時間の感覚が曖昧になる。空にある陽の位置を見れば、そんなに時間は経っていないはずなのに、もう何時間も林の中を彷徨った気分になってくる。
 
 その時だった。強い魔力の波動が忽然と消えたのだ。
 
「……え?」 
 
 辺りを見回し、手がかりを探す。しかし、多少広い空間が拡がっている以外は普通の雑木林が続いているだけ。そのことに狼狽する俺を嘲笑うかのように――――それは突然に現れた。
 
 俺の前方にある“空間”が歪む。
 黒い魔力の塊が円を描きながら収束していき、気が付いてみれば、魔力の塊は紫のローブを羽織った人の姿を取っていた。
 飾り気は少ないが威厳のある装飾。
 フードに隠れて目元は見えないけど、零れ落ちる青色の髪や纏う雰囲気で女だと解った。
 
「――――――」
 
 全く声が出ない。
 距離は十メートルは離れているだろう。それでも、太刀打ちも逃げ出すことも出来ないのがはっきりと認識できた。
 まず存在感が違う。放つ魔力が違う。何もかもが桁違い。その女に見つめられているだけで、死の気配がはっきりと感じ取れるのだ。バーサーカーやランサーといった直接的なものじゃなく、身体の内側から侵食されるような死の予感。
 喉が乾き、舌が張り付くような感覚。
 
 あれは人間を超越した存在――サーヴァント。
 
「…………キャスター」
  
 自然と言葉が口を吐いて出た。
 そうだ。あれはキャスターのサーヴァントだ。会ったことはなくても解る。
 本当に俺は運が良いのか悪いのか。
 突然目の前に現れたということは、視覚を誤魔化していたのか空間を渡ったのか。いずれにしても、俺程度で計れるレベルの魔術じゃない。
 そのキャスターが、一歩、二歩と近づいてくる。思わず近づかれた分だけ後退してしまった。
 
「怯えなくてもいいわ、坊や」
 
 妖艶な大人を感じさせる艶のある声だった。それと同時に、自分が絶対的に優位だと確信している声。
 
「坊や……いえ、ここはセイバーのマスターと呼んだほうがいいかしら」
「――――おまえ、どうして……それ」
「私に解らないことなんてないのよ、未熟な魔術師さん」 
「ぐッ!」
  
 見下すようなキャスターの視線。俺はそれに対抗するために気力を振り絞って、一歩だけ足を踏み出した。
 キャスターだというのなら、相手は魔術師のはずだ。
 魔術師は総じて接近戦に弱い。中には接近戦に長じている者がいるかもしれないが、それでも魔術よりは不得手なはず。俺は強化しか使えないから、その為に相手との距離は近いほうがいい。
 
 
「さて、お話しましょうか。折角呼んだんですもの、睨み合いだけではつまらないでしょう?」
 
 そのキャスターが、深遠から誘うような声を投げかけてくる。
 
「呼んだ……だって?」
「ええ。貴方にだけ分かるように魔力を調整して導いてあげたの。おかげで迷わずここまで来れたでしょう?」
「……馬鹿な」
 
 そんなことが可能なのか?
 いや、現実として俺はここに立っている。強く認識しろ。相手はそれを容易く行える存在なのだと。
 
 その時、俺はきっと苦虫を噛み潰したような表情をしていたんだろう。
 キャスターは愉しくてたまらないといった感じでクスクスと笑っていた。
 
「フフフ。お互い暇な身ではありませんからね。単刀直入にいきましょう。セイバーのマスター、あなたのサーヴァント――セイバーを私に譲りなさい」
「なん……だって?」
「聞こえなかったのかしら? セイバーを渡しなさいと言ったのです」 

 キャスターの奴は一体何を言っているんだ? 
 セイバーを渡せ?
 俺をここまで誘い出したのは、セイバーの話をする為か?
 
「最優のサーヴァント・セイバー。正直、貴方にはもったいないサーヴァントだわ。私ならセイバーをもっと有用に活用してあげられる。だから、私に譲りなさいな、坊や」
「ば、馬鹿言うなっ! そんな物みたいに渡せるわけないだろうっ!」
「私なら可能よ。それに“タダ”とは言ってないわ。大人しく渡すのなら貴方の命を助けてあげましょう」
「命――だと?」
「ええ、そう。私がセイバーを手に入れれば、あのバーサーカーですら敵ではなくなる。他のどんなサーヴァントでも太刀打ち出来なくなるわ。その代わりに貴方の命は保証してあげましょう。どう、悪い取引ではないのではなくて?」
「――断るっ! 俺はセイバーのマスターだ。彼女の意思を無視して、どうこうするつもりなんて毛頭ない。何を計りにかけられても答えは変わらないっ!」    
 
 即答だ。
 逡巡も迷いもしなかった。ただ、そんなことを言い出したキャスターに対しての怒りが増しただけだ。
 その俺の答えを聞いて、キャスターが残念そうに目を伏せる。
 
「そう――――なら、貴方はここで死ぬだけよ? 状況が判らないほど馬鹿ではないでしょう?」
 
 ああ。状況は最悪だ。
 キャスターがどの程度の魔術を操るのか想像もつかないが、少なくとも、この俺を殺すことなど造作もない児戯なのだろう。
 俺にしたって、こんな棒きれ一本でキャスターを倒せるとも思ってない。
 
 ――逃げる道もなし。キャスターを倒せる方法もない。
 
 まったく俺は馬鹿だ。相手の罠にまんまと嵌って、しまったと思った時はいつも命の危機に晒されている。
 俺に自力で状況を打破する手段は皆無。それでも、たった一つだけ、この状況を打開する方策が残っていた。
 右手をきつく握り締める。
 この右手には令呪がある。俺と彼女を繋ぐ絆。サーヴァントを律する三つの刻印が。
 
「残念だけど、考える時間はあまりあげられないの。さあ、もう一度答えを聞かせてもらえるかしら? セイバーのマスターさん」
 
 キャスターが俺に向かってゆっくりと右手を翳した。
 目の前のサーヴァントが魔術を行使した時、それが俺の最後。
 しかし、答えが変わることなどありえない。
 
「――答えは変わらない。セイバーをお前のような魔女に渡すことは出来ない。例え彼女がそれを望んだとしても、俺が止めてみせる!」
「…………そう、貴方にも少し興味があったのだけれど、仕方ないわね。愚かなマスターはここで死になさい」
 
 キャスターの右手に視線が吸い寄せられる。魔女は僅かに指先だけを動かして、俺には発音できない呪を口にした。
 確実に俺を殺すだろう魔術の発動。それを防ぐ術は衛宮士郎にはない。
 ならば方策は一つ。
 
 右手を突きだして、強く願う。
 来てくれと。
 あの少女の姿を強く思い浮かべて――――俺は叫んだ。
 
 
『――――“来い、セイバアァァァアアァッッ”――――!!」
 
 
  
 令呪が一つ消える。
 瞬間――空間が歪み、それが破壊され、あらゆるものを超越してセイバーが俺の眼前に現れた。
 それは令呪が可能とした魔法。
 ありえない距離を瞬時に渡ったセイバーは、眼前に迫りきていたキャスターの魔術を見事に霧散させる。
 
「シロウ――ッ!!」
 
 彼女は既に銀の甲冑を身に纏っていた。見えないけれど、手にはあの剣を持っているのだろう。
 セイバーは、俺を守るようにしてキャスターとの間に仁王立つ。
 
「貴様――――キャスターか!?」
 
 一瞬で状況を掴んだセイバーは、激しい怒りの視線をキャスターに叩きつけている。
 
「あらら、怖い顔ね。それでは折角の綺麗な顔が台無しよ、セイバー」
 
 ここで、状況は一変した。
 如何にキャスターが強力な魔術を扱おうと、セイバーには届かない。
 セイバーの対魔力はそれほどにズバ抜けている。こと魔術で彼女に傷を与えることは不可能に近いのだ。
 
 それに距離的にもセイバーに有利な間合いである。たかだか数メートル、セイバーなら一足で飛び込める距離だ。
 例えキャスターの迎撃魔術が間に合ったとしても、それがセイバーに効かないのだから、キャスターにはセイバーに斬られるしか道が残されていない。
 それが判らないキャスターではないだろうに、彼女は先程とまったく変わらない余裕の表情を浮かべていた。
 
「失敗したな、キャスター。この状況は貴方には不利だ。ちょうどいい――――この場で、剣の錆になってもらう」
 
 見えない剣を構えて、セイバーがキャスターを強く見据える。
 対してキャスターは優雅に構えたものだった。
 
「不利? それはどうかしらね。確かに三騎士は高い対魔力を持っているわ。だけれど、果たして私の魔術に耐えられるものかしら?」
「そう思うのなら――試してみるがいい」
「いいのかしら、セイバー。例え貴女が魔術に耐えられたとしても、そこの坊やはただでは済まないでしょうね」
「貴様――――ッ!」
 
 ぐっと唇を噛んで、セイバーが俺とキャスターを交互に見た。
 確かに、俺の抗魔力などたかが知れている。セイバーと違ってキャスターの魔術に耐えられるはずがなく、キャスターが広範囲に効果を持つ魔術を使えば、セイバーは助かっても俺は助からない。 
 キャスターはセイバーに対抗する為、俺を人質にしたのだ。
 
「セイバー。素直に私のものになりなさい。そうすれば、貴女のマスターの命だけは助けてあげます」
 
 妖艶な魔女は、ただの一言で場を支配する。
 それから矛先を再び俺に向けてきた。
 
「よく、考えなさい坊や。私の提案を飲めばセイバーも坊やの命も助かるのよ? そして私は目的を達成できる。こんなに全てが丸く収まるというのに、何を迷う必要があるというの?」
 
 耳障りな魔女の声は無視だ。
 
 武器は手にある強化した棒きれのみ。俺にはキャスターを打倒することもその魔術を防ぐ術もない。
 だけどセイバーならどうだ? 
 セイバー一人なら、キャスターは問題ない相手に思える。
 如何に強力な魔術、卓越した知識を持っていても、キャスターはセイバーには敵わない。サーヴァントとしての相性が最悪なのだ。
 戦えばセイバーが必ず勝つ。
 
 今、天秤に掛けられているのは俺の命だ。
 キャスターは俺の命を盾としてセイバーの動きを封じている。それこそが、自身で太刀打ちできない証拠。
 なんだ。なら、話は簡単じゃないか。
 俺は何があってもキャスターには従わないし、セイバーを渡すなんて問題外だ。セイバーだってそんなことは望まなだろう。
 勿論、死にたくない。まだやらなければいけない事があるから。
 
 だからこそ――戦う。
 
 隣にはセイバーがいる。出会ってまだ数日だけど、掛替えのない大切な存在になりつつある彼女。
 この場で俺に出来ることは一つだけだろう。彼女を、セイバーを信じて共に戦うだけだ。
 もし、その結果が死であったのなら、それは仕方のないこと。
 
 俺は彼女の碧の瞳に視線を逢わせ、その想いをはっきりと口にした。
 
「聞いてくれ、セイバー」
「シロウ……?」
「俺、セイバーを信じてる。何があったって後悔なんかしない。だから、お前も俺を信じてくれるか?」
 
 短い言葉だからこそ、俺は想いを十分に込めて彼女を見つめる。
 その想いは彼女に届いただろうか。
 セイバーは一度大きく頷いてから
 
「――――私も、シロウを信じています」
 
 そう言って、静かに剣をキャスターに向けたのだ。
 
「――っ!!」
 
 それを受けて、キャスターの雰囲気がガラリと変わる。
 
「シロウ、貴方の敵は私が討つ。そして御身は必ず守ってみせます。その命、私に預けてくれますか?」
「ああ、もちろんさ」
 
 もう、問答は必要ない。
 あとは共にキャスターを討つだけだ。
 
「…………交渉――決裂かしら」
 
 セイバーが放つ魔力とキャスターが放つ魔力が渦巻いていく。
 種類の違う二つの魔力は互いに反発しあうように、どんどんと、まるで竜巻のように空に登っていった。
 余波だけで俺の身体が震え、地面が震撼する。
 
「はあ――っっ!」 
 
 セイバーの発したかけ声が、戦いの合図となった。
 
 
 
「――――ハアァッ!」
 
 凄まじいまでの瞬発力――セイバーは魔力をジェット噴射させて、弾けるよにキャスターに迫った。
 手には見えない剣――風王結界。キャスターには彼女との間合いすら掴めないだろう。
 だがキャスターは、慌てた風もなく俺達では発音できない呪を一言唱えた。たったそれだけ。それで大魔術に相当する魔術を行使したのだ。
 
 大魔術――その発動には簡易的な魔法陣と十以上の単語を含んだ魔術詠唱が必要になる。それほどに大魔術とは強力故の制約があるのだ。しかし、魔術師のクラスは伊達ではないのだろう。
 キャスターには“詠唱”など必要ないのだ。
 魔術師のサーヴァントであるキャスターは、はただの一言で、大魔術に相当する魔術をいとも容易く行使することが出来る。
 
 破壊の力を伴った炎の竜巻が大地より噴出しセイバーを捉えた。
 瞬間、拭き散らされてしまう炎の嵐。
 驚くことに、Aランクに相当する大魔術を、セイバーは自身の魔術防御だけで完全に無効化してしまったのだ。
 
「――そんなっ!?」
 
 驚きの声はキャスター。
 
「セイバーの対魔力はAランクの魔術すら弾くというのっ!?」
 
 すぐに次の魔術を行使するキャスター。だが、その時には既にセイバーの剣は振り上げられていた。

『“盾――アルゴス”』と、キャスターの呪が紡がれる。
 
 それと同時にキャスターの頭上に水晶のような透明な盾が展開され、セイバーの繰り出した斬撃を空中で受け止める。空間で両者の魔力がせめぎ合い、激しい閃光が雑木林を染め上げた。
 
 フラッシュのような強い閃光に目を眩まされながらも、俺はキャスターの影が後方へ飛ぶのを見た。セイバーと接近戦を演じるなど、キャスターにとって正気の沙汰ではない。
 距離を開き、体勢を整えようとして――そのキャスターの身体に、視えない風の乱舞が襲いかかった。
 荒れ狂う風の刃。それは、セイバーが放った風王結界による風の旋風。一度きりの終の飛び道具だ。
 
「剣士風情が生意気な真似をするものね――――っ!」
 
 キャスターが腕を振って呪を紡ぐ。それだけで、まるで嵐が止むように風の刃が瞬時に収まる。しかし、その間隙を縫うようにしてセイバーがキャスターへと迫っていた。
 
「キャスターッ!!」
 
 セイバーの手に“剣”が握られていた。
 まるで見る者を虜にするような美しさ。人を斬る武器でありながら完成された至高の芸術品とさえ思わせる。
 刀身に曇りはなく、彼女がが持つに相応しい魔力と豪奢さをもち光り輝いていた。
 
 その剣を見た瞬間、幾つかの光景と、黄金に輝く剣が、瞬くように脳裏にフラッシュバックする。しかし、それらに思いを馳せる暇もなく、セイバーが聖剣を一線させていた。
 
 空間ごとを断ち切るような一撃は、キャスターの身体を確実に捉えている。
 肩から腰までを袈裟斬りにされたキャスターは、断末魔の悲鳴を上げることもなく、両断された状態で地面に倒れ伏した。
 絶命したキャスターから鮮血が流れ、地面を真っ赤に染め上げている。
 
 心配する必要など――――何処にもなかった。
 
 セイバーは掠り傷一つさえ負わず、キャスターを打倒してしまった。
 後に残されたのは、血にまみれた紫色のローブだけ――
 
「――え?」 
 
 戦いは終わったはずなのに、セイバーが自身の背後に向かって剣を薙ぎ払った。
 閃光が空間を一線する。
 
「――――まさか、予知直感まで持っているというのっ!?」
 
 響く声はキャスター。どのような魔術なのか、倒れ付していたはずのキャスターは、瞬時にしてセイバーの背中に廻り込んでいたのだ。
 それでも、セイバーがその上をいく。
 横凪に払われた一撃はキャスターの胴体を上下に両断する。
 
 今度こそ、黄金に輝く聖剣がキャスターの命を散らしていった。
 
 
 
 腰から分断されたキャスターが消滅していく。  
 その光景を見て、今度こそ戦闘は終わったと確信した。いや、してしまった。
 俺もセイバー気を抜いたのは、ほんの僅か一瞬のことだ。けれど、相対していた相手は神代の魔女。
 
「本当に貴女は素晴らしいわ、セイバー。囮を三つ用意していなかったら、私の負けだった……」
「なっ――――!? キャスターっ!?」
 
 セイバーのすぐ隣に陽炎のような魔女が現れ、右手を振り上げる。
 
 普通にキャスターが攻撃を仕掛けただけなら、セイバーはその一撃を避けられたはずだ。
 それでも、ただこの一瞬の間を確保する為だけに、魔女は全ての布石を打っていた。本来受けないはずの一撃をセイバーはかわせない。
 
 キャスターの手に在るのは歪な形をした奇妙な短剣。殺傷能力などまるでなさそうなナイフ程度の小さな刃物。
 だけど、それを見ただけで、言いようのない強烈な不安感が俺を襲った。
 キャスターがその短剣を振り上げる。
 
「く――――ッ!」
「少し遅かったようね、セイバー」
 
 短剣をセイバーの胸元に突き立てるキャスター。
 ただ――それだけ。
 短剣によって穿たれた傷は大したことないように見える。けれど、セイバーは呆けたように身体の動きを止めていた。
 距離的にもセイバーが反撃すればキャスターは両断される。如何なる魔術もキャスターの命を救いはしない。それでも――――それでもセイバーは動かない。
 
 彼女は愕然とした瞳で、自身に突き立てられた歪な短剣を見つめていた。
 
「キ、キャスター……貴様……」
「これが私の宝具“破戒すべき全ての符――ルール・ブレイカー”よ。さあ、セイバー。主を裏切りその剣を私に捧げなさい」
 
 二人を中心に赤い光が溢れ出す。
 禍々しい魔力の奔流がセイバーの身体を侵食していく。
 その赤き閃光は、セイバーを律していたあらゆる法式を打ち砕き、全ての契約を灰燼の彼方へと帰してしまった。
 
「う……嘘だ……」
 
 右手の令呪が光を失って――消える。
 たった今、俺とセイバーを繋ぐ何かが、キャスターの宝具によって完全に断ち切られてしまった。
 
「シ、シロウ……」
 
 受身も取らず、セイバーが地面に倒れ伏す。   
 
「セイバァァ――――ッッ!!」
 
 叫びながらも彼女の元まで駆け出した。
 焦っているのか、地面に足を取られ、つんのめって上手く走れない。それでも一刻も早く彼女の傍に行こうと全速力で駆けた。
 
「セイバー! 大丈夫かっ! おい、セイバーッ! セイバーッ!?」
 
 抱き起こし、耳元で彼女の名前を呼ぶ。だけどセイバーからの反応が返ってこない。彼女は苦しげな表情で睫毛をふるふると震わせているだけだ。
 そこへ、すべてをあざ笑うかのようなキャスターの嘲笑が投げかけられた。
 
「驚いたかしら、坊や? この“破戒すべき全ての符”こそ、あらゆる魔術を無効化する裏切りと否定の剣なの。あっはっはっ! これでセイバーは私のものになったのよ」
「嘘だっ!!」
「嘘じゃないわ。貴方も感じたでしょう? 令呪が消えるのを。実感したでしょう? セイバーとの繋がりがなくなったことを」  
「キャスター――――貴様ッッッ!!」
 
 これは怒り? いや、そんな生易しい感覚じゃなかった。
 頭に全ての血液が集まったような感覚。視界が真っ赤に染まって、小刻みに身体が震えている。
 一際強く握った拳から痛みを感じる。あまりにも強く握り込んだせいで出血したらしい。しかし、そんなものに何の関心もない。
 
 キャスターの言ったことは本当だった。令呪が消え失せ、マスターとサーヴァントとしての絆は断たれた。
 しかし、それがどうした?
 セイバーはまだここにいる。消えた訳でも死んだ訳でもない。なら今は、キャスターを倒してセイバーを救う。それが俺に出来るただ一つの行動だ。
 俺は唯一の武器である強化した棒を強く握り込んだ。
 
「今からお前を倒してセイバーを取り戻す――覚悟しやがれ!」
「私を倒すですって? それを本気で言っているのなら最高の道化よ、坊や」
「うるさいっ! お前を倒すしかセイバーを救えないってんなら、俺はそうするだけだ!」
「……本当、馬鹿な坊や」
 
 呆れたとばかりにキャスターが嘆息する。それから俺に向かって右手を突き出し、呪文を唱えようとして――何かを思い至ったようにその動作を止めた。
 
「――そうだわ。折角セイバーを手中に収めたのだから、そのセイバーに坊やを殺させましょう」
「なん――――だってっ!?」
「アハハハ。主従の絆なんて脆いものね」 

 愉快でたまらないと、キャスターが大声で高笑う。
 そして右手をセイバーに向かって翳し
 
「さあ、セイバー。“元”マスターを貴女の手で殺しなさい」
 
 新たに宿した令呪を行使した。
 
「ぐああああぁぁぁぁぁっっっっっ!!」
 
 セイバーを包み込む赤い光。
 彼女は苦悶の叫び声を上げながらも、抱きかかえていた俺を力一杯に突き飛ばした。
 
「セ…セイバァァッッーーー!!」
 
 もんどりうって転がり込む。地面に強く身体を打ちつけた衝撃で、胃液が逆流しそうになった。けど、そんなことに頓着していられない。
 俺は逆流した胃液を無理やり飲み込んで、すぐさまセイバーの姿を探した。
 
「……ぐ…」 
 
 セイバーはキャスターの足元で荒い息を吐いている。
 柳眉を寄せて呻く様は、とても苦しそうだ。
 
「待ってろ、セイバー! 今、行くからなっ!」 
 
 キャスターが近くにいるとか眼中になかった。ただ一刻も早くセイバーの元へ。
 しかし駆け寄ろうとした俺の前に――――セイバー自身が立ち塞がる。
 
「うぅ……あぁぁっ! シ、シロウ…………!」
 
 立ち上がって聖剣を構えるセイバー。
 苦しそうに呻きながら、身体を小刻みに震わせながらも、しっかりと剣の切っ先が俺を捉えていた。
 
「さあ、セイバー。そのまま坊やの首を刎ねなさい。貴女の技量なら簡単なことでしょう?」
 
 キャスターの声を受けてセイバーが進む。
 
「はぁっ、あ――――!!!!」
 
 彼女は必死に何かと戦いながらも、一歩ずつ、確実に俺との距離を詰めてきていた。
 
「セ、セイバー…………」
 
 その光景に、先程までの激しい怒りまでが霧散する。思考は完全にストップしていて、考えることを拒んでいた。
 ただ一つ、俺の視線だけが、セイバーを求めるように彼女に固定されているのみだ。
 
「っ――――はあっ………あぁ!」
「従いなさいセイバー。そうすれば楽になるわ」
「わ――た…………しは……!」 
「令呪に従いなさい!」
  
 令呪というキャスターの言葉が引き金になる。
 それまで何とか堪えていたセイバーが目を見開き、俺に向かって駆け出した。
 
「うあああああぁぁぁ――――ッッッ!!」 
 
 彼女はいつもと変わらない姿で、速度で“敵”である俺に向かっている。
 セイバーの斬撃をかわす術は俺にはない。彼女と稽古した俺は満足に打ち合うことも出来なかった。きっと刹那の間に、俺の首は胴から離れるだろう。
 幸いというか、彼女の腕ならば痛みを感じることなく終わる。
 こんな終わり方は認められない。それでも、彼女になら殺されてもいいか、なんて思った。
 
 だけど、いつまで経っても彼女からの攻撃はこなかった。
 僅か数センチ。聖剣は俺の眼前で静止していたのだ。
 
「――――げ、て」
 
 絞り出すように出した声は、囁きのようにか細く。
 
「――に……げて……」
 
 彼女の頬を一滴の涙がつたった。
 
「……セイバー」 
 
 俺の眼前で静止している聖剣は、一瞬たりとも止まらずに震え続けている。
 彼女が噛んだ唇から血が流れ落ちていた。
 
 ――セイバーは、必死に、必死に耐えている。“絶対命令権”である令呪に抗っている。
 
「――――逃げて、シロウッ……!!」
 
 その叫びは魂からの想いだった。
 血を吐き、涙を流して、それでも許される全力で訴えた。
 
 セイバーは逃げて欲しいと、そう俺に言った。
 
「くそぉぉぉおおお――――ッッッ!!!」
 
 彼女から踵を返して駆け出す。 
 セイバーはあらゆるものをかなぐリ捨てて、ただ、俺に逃げろと言ったんだ。
 その願いを受け入れることが、今の俺に出来る唯一のことだった。
 
 ――情けない。情けない! 情けない!!
 
 キャスターが憎い。けど、それ以上に自分が許せなかった。
 
「セイバァァァァアアアー――――ッッッ!!!!」
 
 後ろを振り返らずに、ただ、彼女の名前だけを叫びつづけた。
 
 
 
「馬鹿な……セイバーの対魔力は令呪の縛りにさえ抗うというの…………!?」 
 
 キャスターはセイバーの姿勢に驚愕する。令呪に抗うサーヴァントなど聞いたことがない、と。
 
 ――仕方ないわね。
 
 セイバーにマスターを殺させる目論見が潰えた以上、自分で手を下すしかないとキャスターが衛宮士郎を視線で捕らえた。
 しかし、その前に
 
「セ、セイバー……貴女っ!?」
 
 セイバーがキャスターの前に立ちはだかったのだ。
 今の彼女に何が出来る訳でもない。ただ、身体を使って立ち塞がっただけ。
 
「キャ……スター……シロウ……は……!!」
 
 令呪に抗った彼女には、満足に指を動かす力も残っていない。それでも魂の力を視線に込めてキャスターを睨み据える。 
 その行為に、初めてキャスターは戦慄した。
 
 だけれどもと、キャスターは自分に言い聞かせる。何はともあれセイバーを手に入れるという最大の目標は達したのだ。
 全ての事柄が自身の都合の良い方向へ進んでいる。そう思ってキャスターは、衛宮士郎を見逃すことにした。
 
「……まあ、いいわ。マスターの一人くらい、どうということもないでしょう。こうして貴女が私の手に落ちた以上、対抗できる敵などいないのですから」
 
 
 そんなやり取りがあったことを俺は知らない。
 俺はただ、無我夢中に林の中を駆けて、駆けて、駆けていくだけしか出来なかったのだから。
 



[1075] その時、聖杯に願うこと 6
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/13 21:30
 
 その時、聖杯に願うこと 6 
 
「うん、これは旨いな。上手に揚げてある」
「よかった。今日のはわりと自信作だったんですよ、先輩」
 
 食卓に並べられた色々なおかず。その中から桜特製のカニクリームコロッケを頬張る。
 噛んだ瞬間、カニの旨味が十分に染み渡った熱々のクリームが、口いっぱいに広がってとても美味い。
 はふはふと息を吐きながら、次のコロッケに箸を伸ばす。
 
「これは俺も頑張らないと、桜に料理の腕が抜かれちまうな」
「そんなことないですよ。まだまだ先輩には教わることが沢山あります。ね、藤村先生?」
 
 衛宮家における夕食の風景。
 食卓を囲んでいるのは、俺と桜、そして藤村大河こと藤ねえだ。
 その藤ねえは、いつもと違い言葉少なげに食を進めている。
 いつもはやかましいくらいに騒ぐ藤ねえにしては実に珍しい。夕食が始まるまではいつもの藤ねえだったから、体調不良とかじゃないと思うんだけど……。
 
「藤村先生、コロッケ美味しくないですか?」
 
 桜も何か感じたのだろう。覗きこむように藤ねえを見ている。
 
「ん~、そんなことないよ桜ちゃん。コロッケ、美味しいよ」
 
 そう言ってひょいひょいとコロッケを口に運ぶ。
 慌てて食うから、ほっぺにクリーム付いてるぞ、藤ねえ。
 
「先輩? おかわりどうです?」
 
 気づいたら茶碗が空になってた。
 
「じゃあ、もう一杯もらうか。桜、頼む」
「はい。お茶碗かしてくださいね」
 
 桜に茶碗を渡しつつサラダをついばむ。
 そこで、食事が始まって初めて藤ねえが俺に声をかけてきた。
 
「ねえ、士郎」
「ん、なんだ藤ねえ?」
「…………士郎、何かあった?」
 
 ピタリ、と箸が止まった。
 
「…………な、なんでさ。変わったことなんかないぞ」
「そう? 何だか士郎、無理してるように見える」
「ば、馬鹿言うなよ、藤ねえ。無理なんかしてないぞ。無理する理由なんて……ないし」
 
 茶碗を受け取って飯をかっ込む。
 
「ああ、もう! 藤ねえもそんなこと言ってないで、はやく食わないと全部俺が食っちまうぞ」
「あー、士郎! そのフライ私が狙ってたのにっ!」
「フフン。早い者勝ちだ」 
 
 藤ねえの箸をかい潜り、エビフライをゲットする。
 そう、無理なんてしてない。藤ねえと桜との食事を楽しんでいるだけだ。それだけさ。
 
 
 
 食後に洗い物を済ませた俺は、お茶の用意をして居間に戻った。
 桜と藤ねえには残ってもらっている。話しがあったからだ。 
 二人の前にお茶を出し、それから空いた場所に適当に座る。
 
「話しって何ですか、先輩?」
 
 桜が不思議そうに首を傾げていた。
 こうやって改まって話しをするというのは、衛宮の家にしては珍しいことだ。
 
「そうだな、時間もないし単刀直入に言うけど、明日からしばらく二人には家に来ないで欲しいんだ」
「ど、どういうことですかっ! 先輩!?」
 
 桜がテーブルから身を乗り出してくる。
 
「……訳を言いなさい士郎。理由がなくっちゃ、お姉ちゃん納得出来ないでしょ」
 
 藤ねえは思ったより落ち着いている。もっと、全力で抗議してくるかと思ったけど。
 
「理由は……言えない」
 
 下手に嘘を吐いて誤魔化しても、どうせばれる。
 
「言えないって……先輩、私、何か失礼なことでもしましたか?」
「いや、桜や藤ねえに関してどうこうとかじゃないんだ。原因は俺にある」
「納得いかないなー。士郎、何か悩んでるなら言いなさい。お姉ちゃんが相談に乗ってあげるから」
 
 そんなこと、言える訳がない。
 桜も藤ねえも、魔術とかそんな世界に関わりのない普通の人だ。
 今俺が関わっているのは殺し合う世界で、そんな世界に二人を関わらせる訳にはいかない。
 サーヴァントを失っても俺はマスターだ。
 敵がいつ襲って来ないとも限らない。そんな可能性のある衛宮の家に、二人を近づかせるのは危険すぎる。
 
「ごめん。謝ることしか出来ないけど、頭ならいくらでも下げる。だから――」
「お姉ちゃん、怒るよ? いいから話してみなさい士郎」
「自分でも我侭だと思う。それでも、これはどうしても必要なことなんだ。頼む――藤ねえ」
 
 そうだ。俺は絶対にこの二人を巻き込む訳にはいかない。
 大事な姉と妹のような、そんな家族である藤ねえと桜。
 もう大切な誰かを失うなんて、俺には我慢出来ない。
 
「む~~~~」
 
 藤ねえに睨まれても答えは変えられない。
 桜は不安気に事態の推移を見守りながら、俺と藤ねえを交互に見つめている。
 しばらくは、重苦しい空気だけが漂って、場にいずらい雰囲気が居間を包み込む。
 その雰囲気に最初に根負けしたのは――藤ねえだった。
 
 藤ねえは誰にも分かるほどの大きな溜息を吐いてから、俺に微妙な笑顔を見せてくれた。
 
「はあ~。わかったわ士郎。それで、どのくらいの期間の話しなの?」
「ふ、藤村先生っ!?」
「あのね桜ちゃん。士郎って昔っから頑固というか、融通が利かないというか、こうと決めたらテコでも動かないの。もう本当、誰に似たのかしらね」
 
 桜を抑えて、藤ねえが嘆息する。
 誰にって、やっぱり親父のことなんだろうな。藤ねえは親父に懐いていたから。
 その頃から俺の一番の理解者は藤ねえだった。いじめられたし、酷い目にもあった。けど、それとは比べられないくらいの楽しさも貰ったんだ。
 俺は藤ねえの思いに応えるように、真剣な表情で口を開く。
 
「そうだな……一ヶ月、いやニ週間くらいで解決すると思う」
「二週間も……ですか……?」
 
 桜が暗い表情で俯いた。
 
 本当、ごめんな、桜。
 しゅんとする桜を見ていたら、ズキズキと胸が痛む。けれど、これも桜の為なんだ。
 
「あ~あ。二週間も美味しいご飯からお別れなんてぇ……。士郎! それまでにもっと料理の腕を上げておきなさいよ。私、楽しみに待ってるんだからぁ!」
「ああ。そん時はとびっきり旨い飯を食わせてやる。約束だ」
「うん」
 
 笑顔で頷く藤ねえ。
 俺はその約束を果たせることを、節に願わずにはいられなかった。
  
 
 
 今日も夜空には綺麗な月が出ていた。流れる雲も少なくて、明るい光が庭まで降りそそいでいる。
 俺はその月光の下、庭を通って道場まで足を運んだ。
 
 窓の格子から射す淡い月明かりだけを頼りに道場の奥まで進んだ。電気は点けていない。
 そっと壁に手を伸ばしてみた。触った壁の感触はひんやりと冷たくて、外の冷気を直接伝えてくれる。
 
 改めて道場を見回してみる。
 
 昨日、この場所でアイツと稽古した。
 ずっと以前にも竹刀を合わせたような――不思議な感覚。
 竹刀を振るえば、容赦のない鋭い一撃が飛んできた。それはアイツの性格をよく現していたと思う。稽古中はずっと厳しい表情だったけれど、時折見せてくれた笑顔が眩しくて、俺は目を逸らしたりしたっけ。
 
 シロウ――と、そう呼ばれるとドキドキしたもんだ。
 
 彼女の声は鈴のように綺麗で澄んでいたし、思わず聴き入って動きを止めたりした。
 月夜に突然現れた銀の乙女。
 何も言わずに俺の為に戦ってくれた。俺を守ってくれた。
 それなのに俺は、彼女に何もしてやれてない。
 
「くそっ――!!」
 
 拳を握って壁を殴りつけた。
 閉じたまぶたの裏にはアイツの姿がくっきり浮かんでいる。
 
 ――何があっても私がシロウを守ってみせます。そう、何があっても――
  
 声が聴こえる。
 
 俺がっ! 俺が間違えたからっ! 俺の所為で彼女はっ!
 
「何で俺は――ッ! ぐ…………セイバー――ッ!!」
 
 壁を打つ拳に血が滲んだ。なのに不思議と痛くなかった。
 瞳を開き、右手を見つめる。
 
 この手に令呪があった。さっきまで確かにあったんだ。俺と彼女を繋ぐ絆が――!
 
 ――驚いた、坊や? この“破戒すべき全ての符”はこの世界にかけられたあらゆる魔術を無効化する裏切りと否定の剣なのよ。
 
 魔女の声が頭に響く。
 
 ――そう、これで“セイバー”は私のものになった。主従の絆なんて、脆いものね。
 
 棘のように心に突き刺さる言葉。
 引き抜いても、引き抜いても、棘は突き刺さり続ける。
 その痛みを掻き消すように、壁を打った。
 
 金砂のような髪。紺碧の瞳。握った手はとても暖かくて、笑顔がとても眩しかった。
 華奢な身体でバーサーカーとも渡りあった。鎧を纏ったその姿は凛々しくて、騎士の名に恥じない気品が漂っていた。それでも、彼女は普通の女の子だった。 
 怒ったセイバー。拗ねたように口を尖らせるセイバー。微笑んだセイバー。
 
「セイバーァァァ――――ッッッ!!」
 
 振り絞って叫んだ。声を荒げて名前を呼ぶ。それでも、力の限り叫んでも、彼女から声が返ることはない。 
 そこに在るのは静寂な空間だけ。
 そうして、彼女を失ってしまったのだと、やっと理解した。
 
「うああああああああぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!」
 
 頬を伝う涙は誰のためだろう。
 暗い道場の中に響くのは、たった一人、俺の声だけだった。
 
 
 
 
「………………あれ、俺、寝ちまったのか」
 
 気が付くと、外から明るい陽射しが差し込んでいた。
 一睡も出来ないと思ったけど、身体は正直だ。思いの他に疲れが溜まっていたらしい。
 俺は道場の壁に背中を預けるようにして、眠り込んでしまったようだ。
 
 真冬の道場。一晩ずっと道場にいた身体は冷え切っていた。
 
「風呂にでも入るか……」
 
 壁に手をついてなんとか立ち上がる。
 無理な体勢で寝ていた為か、身体の節々が痛んだ。
 
「……今、何時だ?」 
 
 時計を探して首を巡らせてみる。確認した時刻は朝の九時を過ぎたあたりだった。今日は平日だから学校があるが、今から行っても遅刻は確定だ。それに、行くつもりも、その気力もない。
 そうと決まれば、風邪を引く前に風呂に入ってしまおう。
 少しは温まるかなと、俺は道場を後にした。
 
 
 そして時刻は12時、昼時である。
 何もしてなくても腹は減る。身体がしっかりと空腹を訴えていた。
 正直食欲はないが、食べないと体力が落ちる。かといって今から調理するのも面倒だ。
 
 ……久しぶりに外で食うか。
 
 俺は財布の中身を確認してから、商店街に向かうことにした。
 以前赤毛の少女に襲われた場所だけど、外出しないなんて出来ないし、そういうことは気にしない方向でいく。
 
 衛宮の家から坂道を下って商店街を目指す。
 平日のお昼どきだと、すれ違う人達の大半が主婦さんだった。商店街までの二十分、のんびりと冬の陽射しを感じながら歩いた。
 
 さて、到着したはいいがどうするか。あの中華料理店は論外として、どこで食べるか何を食べるか決めていなかった。
 こういう時に食いたいものがないのは困る。
 というか献立を考えるのさ億劫になっていた。こうなったらコンビニでパンでも買って詰め込むか。
 そう思った時、人込みの中に、見覚えのある白い少女の姿を発見した。
 その少女は何の躊躇もなく真っ直ぐ俺に向かって来る。そして、文字通り目の前で静止して
 
「よかった。生きてたんだね、お兄ちゃん」
 
 と、歌うような声を出して俺を見上げた。
 
 雪ような綺麗な銀の髪に、吸い込まれそうなほど深い真紅の瞳。
 白い少女は、いつかの夜に出会ったバーサーカーのマスターだった。
 
 思わずキョロキョロと辺りを見回してしまう。あの巨体だ。見逃すはずはないと思うが……。
 けれど少女が、そんな俺の心配を見透かしたように微笑む。  
 
「バーサーカーなら連れてきてないわ。今日はお話に来ただけなんだから」
「話し……だって?」
「そうよ、お兄ちゃん」
 
 ニコニコと微笑む少女は、とてもあの夜出会ったのと同一人物には思えなかった。
 こうして見ると、年相応の普通の女の子に見える。
 確か、名前を名乗ったはずだ。
 
「えっと、確かイリヤ……ス……」
 
 喉につっかえて後が出てこない。
 貴族っぽい名前だったとは思うんだが……。
 
「もう。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ。それでお兄ちゃんの名前は何ていうの? わたしは名乗ったんだから、名乗るのが礼儀だと思うわ」 
 
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
 不思議と耳に馴染む名前だった。
 
「俺は衛宮士郎……だけど」
「エミヤシロ? 何だかヘンな名前ー」
「そんな変な名前じゃないぞ。エミヤ・シロウだ」
 
 区切るようにしっかりと発音する。
 外国人には日本人の名前は発音しずらいのかもしれない。それを真剣に聞いていた少女が、へえ、と小さく頷いた。
 
「エミヤ・シロウ……。シロウね! うん、気に入ったわ」
 
 気に入ったわ、と両手を合わせて、それから何の躊躇もなく俺の腕を取るイリヤスフィール。
 
「ちょっ、いきなり何するんだっ!? イリヤスフィールっ!」
「長いからイリヤでいいよ。さっき、お話するって言ったでしょ?」
「話しって……。お前、俺を殺そうとしたじゃないかっ!」
「何言ってるのよ、シロウ。聖杯戦争だもの。当然でしょ? でも今日はお話だけ。お日様が出てる間は戦っちゃダメなんだから」
 
 そう言って微笑む少女は、本当に無邪気なものだった。
 お日様のような笑顔。それを見て疑問に思う。
 どっちが本当のイリヤなのだろう。
 あの夜、バーサーカーを率いて現れたイリヤ。こうして俺の手を引いて微笑む少女。どちらが真実で、どちらが嘘なのか。あるいはどちらも本当のイリヤなのか。
 
「行こっ、シロウ! あっちに公園があったんだ。ベンチもあったよ!」
 
 イリヤが俺の腕を引っ張って小走りに駆け出した。
 まるで、今日という日を待ちわびていたような躍動感を持って。
 
 
 
 二人して公園のベンチに座っている。
 イリヤは所在なさげに足をプラプラさせて、冬の空を見ている。
 こうして近くで見てみると、本当に綺麗な顔をしているなと思った。纏っている雰囲気から冬の妖精なんて言葉が頭をよぎる。
 そんなことを考えながらイリヤを見ていたら、一陣の風が吹いた。
 それを受けて、イリヤが寒そうに身体を震わせる。
 
「イリヤ、もしかして寒いのか?」
「うん、寒い。わたし、寒いの嫌いなんだ」
「……そっか。よし、ちょっと待ってろ」
 
 イリヤにそう言い残してベンチを立った。
 それから公園の入り口にある自販機でコーヒーとホットココアを買って、それを手に戻って来る。
 
「ほら、これ飲めよ」
 
 ココアをイリヤに手渡す。
 それを不思議そうに眺めながら、イリヤが揺れる瞳を向けてきた。
 
「……くれるの?」
「やるよ。飲めば少しはあったまるだろ」
「……えへへ。ありがとう、シロウ!」
 
 イリヤがプルトップを開けて口を付ける。
 
「あつぅ~っ!」
「慌てて飲むからだ。ほら、もっと落ち着いて飲め、イリヤ」
「……うん」
  
 ふーふーと小さい口で息を吐きながら、ココアを両手で持って飲むイリヤ。それを横目に見ながら俺も缶コーヒーを開けた。
 それからしばらく、二人してベンチに座り、ちびちびとコーヒーとココアを飲んでいた。
 傍から見たら兄妹に見えるかもしれないな。いや、髪の色とか違うから兄妹には見えないか。
 なら、どういう風に見えるんだろうなとイリヤに視線を移したら、イリヤも俺のことをじっと見上げていた。
 
「わたしね、あんまり人と話したコトってないんだ。だから、今日はすっごく楽しみにしてたんだよお兄ちゃん」
「話したことないって、本当か?」
「うん! だから少し残念。だって、お兄ちゃん元気ないんだもの」
「……そ、そんなことないぞ」
「ううん。わたし分かるもの」
 
 そう言って、イリヤがぴょんっとベンチから飛び降りた。
 それから三メートルほどゆっくりと歩いて、くるりと振り返る。
 
「それは、やっぱり――――セイバーがいなくなっちゃったから?」
 
 赤い瞳で俺を真っ直ぐ見据えながら、少女はそんなことを言った。
 
「…………な、何で、そんな……こと……」
「サーヴァントについて私に解らないことはないわ。そうね、いなくなったっていうのは正確じゃないわね。セイバーはまだ死んでないもの」
 
 死んでない?
 
 ――――そうだ、俺は何を惚けているんだ?
 
 セイバーは死んだ訳じゃない。セイバーはキャスターに捕まっただけだ。
 
「でも、お兄ちゃんはきっと死んじゃうわね。殺されてしまう。だから――――」
 
 イリヤの赤い瞳が俺を見据える。
 まるで吸い込まれたように、その視線を外せなかった。
 
「だから、わたしのものになりなさい、シロウ」
「何言ってんだ、イリヤ……?」
「どうせ他のマスターに殺されるんだもの。わたしのものになって生き延びるほうが懸命な選択だと思わない? セイバーもいなくなって身を守る術もない」
「セイバーは……」 
「――シロウ、わたしと一緒に来て。バーサーカーがアナタを守ってくれるわ」
 
 歌うような声で俺を誘うイリヤ。
 それはローレライが謡う歌のように深く心に染み渡っていく。
 海を小船で漂うような不安感。それを安心させてくれるのは目の前の少女だけだと心が傾いていく。
 
 それでも、俺は首を振った。
 イリヤの誘いに乗るワケにはいかない。俺にはまだやることがある。こんなところでリタイアなどしていられないんだ。
 
「悪いがそんな話しには乗れない。俺はまだマスターで、戦い抜くと誓った」
 
 アイツに誓った。そして、俺自身の夢に誓った。
 例え死んでもこれだけは曲げられない。 
 その俺の答えを聞いて、イリヤの瞳がすっと細められていく。
 
「そう……。シロウもわたしを拒絶するのね」
 
 イリヤの瞳に魅入られたように視線が外せない。
 身体はずっと硬直していてうまく動かせないし、喉だけが渇いていく。
 イリヤはそんな俺を嬉しそうに眺めながら、ゆっくりと俺の前まで歩み来て…………ポイっと、ココアの缶を隣にあったゴミ箱に投げ捨てた。
 
「そんなに怯えないで、お兄ちゃん。今日はお話だけだって言ったでしょ?」
 
 それからイリヤは、無邪気に微笑みながらも、ぴょんぴょんと跳ねて公園の出口まで駆けていく。
 そして最後に一度だけ振り返って
 
「じゃあね。今日は楽しかったわ。また会いましょうね、シロウ!」
 
 笑顔を残して去って行った。
 俺はイリヤが公園を出ていった後も、しばらくベンチに腰掛けたまま動けなかった。
 
 
 
「ぐ――――あ……!」
 
 魔女が住む落ちた令脈。
 
 ――柳洞寺。
 
 その最奥にある小さな薄暗い部屋の中に、か細い少女の声が響き渡っていた。
 苦しげな声。一時の休みもなく繰り返されるその喘ぎは、セイバーが口にする魂の叫びだった。
 
「はっ――あぁ…………うぅ!」
 
 セイバーは未だ銀の甲冑姿で戦っている。その手に剣はなくとも、騎士として己を全てを懸けて戦っていた。
 負けないと。
 負けるわけにはいかないと。
 セイバーは、絶望しか先にない戦いを、たった一つの思いだけを武器に戦い続けていた。
 
 そんなセイバーを驚愕の面持ちで見つめている一人の人物。
 深紫のローブに身を包んだ魔女キャスターである。ルール・ブレイカーを用い、セイバーに裏切りを仕向けた張本人だ。
 そのキャスターの声もまた、憔悴していた。
 
「信じられない……。まる一日も令呪抗い続けるなんて……!」
 
 そう。同じサーヴァントであるが故、キャスターにはそれが信じられなかった。
 令呪とはサーヴァントに対する“絶対命令権”である。サーヴァントである限り令呪に逆らうことは不可能なのだ。
 それを、少女の身で抗い続ける。
 その光景を見つめながら、キャスターは大きな戦慄と深い狂喜を感じていた。
 これほどの魔力と精神力。セイバーさえ手に入れれば自身が望む全てが叶う、と。
 
 セイバーを従えたこの身に敵などいなくなり、歯向かう敵は死を賜るだけだ。
 だが、肝心のセイバーは未だキャスターの手に落ちていない。
 令呪にすら抗う思い。そんなものがあるとは夢想すらしなかった彼女。
 だからこそ漏れる呟き。 
 
「何て…………女っ!!」
「うあ――――ぐっ…………!」
 
 セイバーの声が響く牢獄。そこに、第三の人物が現れた。
 
「梃子摺っているようだな、キャスター」
「マ、マスター!?」
 
 キャスターがマスターと呼んだのは、痩身の男だった。
 背はかなり高いだろう。セイバーもキャスターも小柄なので、この空間では一際大きく感じる。
 
「セイバーを手に入れることこそ、我々の第一優先事項だ。これ以上時間をかける訳にもいくまい。令呪を使え、キャスター」
「し、しかし……既に一つ使っています。今後セイバーを抑制していく為にも、令呪は……」
「構わん。使え、キャスター」
 
 マスターからサーヴァントに命令が飛ぶ。
 
「…………了解しました」
 
 魔女が主人の命に逆らうことはない。
 キャスターは、改めてセイバーに右手を翳す。
 
「まさか……令呪に同じことを願うなんて、思いもしなかったわ」
「キ……キャスター……、まさか……!?」
「さあ、セイバー。無駄な抵抗はやめて、私に従いなさい――!!」
 
 魔女の右手にある令呪が赤く光り、室内が赤色一色に染め上げられた。
 それは、審判の光だったのだろう。
 赤き閃光はセイバーの最後の防波堤すら突き崩し、心すら侵食していく。
 
「うあああああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!」 
 
 ――シロウ! シ、シロウ……! わ、わたしはっ……。
  
 赤い光が収まった後には、牢獄に響いていた少女の呻きは一切聞こえなくなっていた。    
 
 
 
「――“同調、開始”……」
 
 魔力を流し、手にした木刀を強化する。行使した魔術は問題なく成功し、木刀は真剣以上の強度へと変わっていた。
 それを大きく一振りする。
 使い慣れた木刀は、しっかりと手に馴染んでいた。
 
 ここは衛宮の家にある土蔵の中。
 やはり、いつかの夜と同じように、銀光めいた淡い月明かりが格子から射し込んでいる。それは、土蔵の中を神秘的な空間へと作り変えていた。
 俺は魔術の鍛錬をする時はいつもこの土蔵へと足を運ぶ。
 辺りには、雑多なガラクタ(修理待ちの電化製品がほとんどだが)や、藤ねえが持ち込んだ謎の雑品が溢れている。それでも俺には、この雑多な場所が一番落ち着くんだ。
 
 俺的にはこの土蔵が工房ということになるのだろう。遠坂あたりが聞いたら卒倒した上で激怒すること間違い無しな話だが、俺自身には魔術師の工房という感覚はまったくない。どちらかと言えば物置といった方がしっくりくる。
 それでも、深い愛着のある一室だった。
 
 窓からの月明かりを受けながら、もう一度木刀を振った。
 やはりここ数日で魔術の成功率が格段に上がっている。
 強化だけでなく、変化の魔術までもがその成功率を上げていた。
 以前の俺は強化すらまともに行使することが出来ず、魔術回路の生成すらままならなかった。それが今は、思い念じるだけで魔術回路を生成できる。いや、スイッチが切り替わると言った方が早いかもしれない。
 
 それも全ては、彼女と、セイバーと出会ってからの変化だ。
 イリヤは彼女が生きていると言ったが、考えれば当たり前だ。キャスターはセイバーを手に入れたがっていた。ならば、彼女を殺すはずがない。
 
 ――俺の所為で失ってしまった。
 
 傲慢な考えかもしれない。それでも、俺は、セイバーをキャスターから取り戻す。
 チャンスは必ずあるはずだ。
 目指した理想もある。その為にも、少しでも魔術の成功率を上げておかなければ。
 
「――――ふう」
 
 冷たい汗が頬を伝う。それでも、あまり根を詰めすぎるのも良くないか。まさか、二日続けて野晒しで朝を迎える訳にもいかない。
 身体を壊してしまっては元も子もないと、俺は風呂に入るべく土蔵から外にでた。
 
 真夜中の衛宮家の庭。
 そこで――ありえない人物の姿を見ることになった。
 
 庭に佇んでいたのは一人の少女。
 少女は庭のほぼ中央で、月明かりをその身に浴びながら悠然と月を見上げていた。
 月光が彼女の真紅の髪を綺麗に照らし出している。燃えるような赤い髪。その真紅の髪が小さく揺れた。
 ゆっくりと彼女の面が動き、その漆黒の瞳が土蔵から出てきた俺を捉える。
 
「――――アサシン……」
 
 忘れるはずがない赤い少女。そう、俺は彼女に殺されそうになったのだ。
 帯剣もしていないし、鎧姿でもなかった。飾り気の無い赤いダッフルコートを羽織った姿は、同年代の少女のもの。それでも紛れも無く俺の目の前にいるのは“サーヴァント・アサシン”だ。
 
 俺を殺しに来たのか……?
 
 だが、結界は反応しなかった。
 この家には魔術師の張った結界がある。それは、敵意を持った者が進入した時に警報を鳴らすという代物だ。
 無いよりはましという程度のものだが、確かにある。
 俺はその警報を聞いていない。
 視線を手に落とした。
 幸いというか、手には強化した木刀が握られている。だが、こんな物がなんの役にも立たないことは知っている。
 
「ぐっ!」
 
 アサシンがゆっくりと俺に向かって歩き出した。
 
 くそっ、何とかこの場は逃げ出さないと。戦って勝てる相手じゃない。
 俺は相手に悟られないように視線は固定したまま、何処からなら一番逃げやすいかを思索し始めた。
 屋敷の見取り図は頭に入っている。後はどう行動するかだが……。
 
「衛宮士郎。そう、怯えないでください。私は、戦いに来たのではありません」
 
 完全に虚を衝かれた。
 俺を殺そうとした少女が、戦いに来た訳じゃないと言っている。
 彼女は間違いなくサーヴァントだ。
 サーヴァントは敵を排除する者。そのサーヴァントに何か別の目的があるのだろうか?
 
「…………戦いに来た訳じゃないって、どういうことだ?」
 
 木刀を構えながら、油断なくアサシンを見据える。
 当の彼女は、俺が武装していることなど眼中にないように無造作に近づいてきた。
 
「今日は、貴方にお願いがあってきました」
 
 全く言っていることが判らない。
 
「――願い……だって? お前が俺にっ!?」
「その通りです」
 
 少女が俺の目の前までやってくる。その距離は五十センチも離れていなかった。
 間近でじっと俺を見つめる赤い少女。本来なら木刀を振ってしかるべきだが、俺は彼女の迫力に押されたように攻撃するという選択肢を忘れていた。
 
「時間がありませんので、単刀直入に言います。衛宮士郎、私と――契約してください」
 
 そんな不可思議な状況の中で、混乱していた俺を更に混乱させるようなことを、少女が綺麗な声で言い放った。
 
 
 
「け、契約……だって……?」
「はい。私と契約してマスターとなって欲しい」
 
 少女は漆黒の瞳を真摯に向けて、俺に左手を差し出した。
 
「マスターって……一体何を言っているんだ!? 訳が解らないっ……!」
「混乱するのも当然でしょう。ですがマスターとして事態を把握して欲しい。私はマスターを持たないサーヴァント。貴方はサーヴァントを失ったマスター。見事に利害は一致していると思います」
 
 マスターを持たないサーヴァント?
 
 ……確かに少女の言う通り、俺はセイバーを失った。だけど、なんでこの少女がそれを知っているんだ?
 
 俺はまだ誰にもその事実を話していない。
 イリヤは知っていたようだが、彼女はイリヤのサーヴァントではない。
 ならば、何故だ?
 
 ぎゅっと木刀を握り締めて、一歩、少女から間合いを取った。
 
「なんで俺がセイバーを失ったって知ってる? 俺は誰にもそのことを話しちゃいない」
 
 その質問は予め予想していたのだろう。赤毛の少女は詰まることなく即答した。
 
「簡単です。私はキャスターが召喚したサーヴァントだからです」
「なん……だって?」
 
 サーヴァントがサーヴァントを召喚した……?
 そんなことが可能なのか。
 大体、キャスター自体が呼び出された存在で……。
 
「魔術師というクラスを利用した、捻じ曲げた召喚でした。故に、本来召喚されるはずのない私がアサシンとして呼ばれた」
 
 捻じ曲げた、そう言った時に僅かだが少女の瞳が曇った。
 
「しかし、キャスターはセイバーを手中に収め私を切り捨てた。マスターがいなくなってはサーヴァントは存命できない。それでも、私は消えたくはなかった。こうして現界したからには、私にも何か成すべきことがあるはずです。本来は呼ばれるはずのない私。その私がここに来た理由。それが、今マスターを求める理由」
 
 少女は代わらず手を差し出したまま
 
「私と契約して欲しい。その代わり、私は貴方の剣となる」
 
 そう言葉を締めた。
 そのアサシンの言葉が、鮮明にある光景を蘇らせる。
 
 ――私は、貴方の剣となりましょう――
 
 それはセイバーの声。
 言葉通り俺の為に戦って、俺を守って、そして――彼女は。
 アサシンと契約するということは、彼女の信頼を裏切ることになる。 
 
「……それは出来ない。お前と契約は――」
「衛宮士郎。私に成すべきことがあるように、貴方にも成すべきことがあるのではないか? あの時、貴方は聖杯などいらないと言った。ならば何故貴方は、この戦争を戦うと決めたのだ?」
 
 なぜ俺は戦うのか……だって?
 
 セイバーのため……? 
 もちろん、それもある。
 セイバーは必ず救い出す。それは俺が成さなくちゃいけないことだ。だけど――それだけじゃない。
 彼女に出会う以前から、強く目指していたものがあった。
 俺が俺である為に覆せないもの。今、俺が生きているのはその為であり、そのおかげだ。
 俺が戦うのは、悲劇を繰り返させない為。
 十年前の――あの火災のような悲劇を。
 
 ――爺さんの夢は、きっと俺が叶えてやるから。
 
「衛宮士郎。私と契約することはセイバーを裏切るということではない。むしろ彼女を救うことに繋がる。聖杯戦争に力は必要だ。貴方はそれを身をもって知っているはずだ。それでも私を拒むというなら――私も諦めよう」
 
 力――か。サーヴァントに対抗できる力は俺にはない。
 バーサーカー。キャスター。ランサー。彼等に太刀打ちが出来るとしたら、それは同じ存在だけ。
 戦う意思はある。しかし――意思や言葉だけではどうにもならないことがこの世になある。
 
 目の前の少女は俺を殺そうとしたが、その力も垣間見た。彼女ならば対抗できる。彼等と同じ存在であるが故に。
 更に学園には地獄を招く結界が作られつつあるという。セイバーを救うには、キャスターを打倒しなければいけない……。
 
 ――くそったれっ! 
 
 俺は――俺が選ぶ道は…………。

 
「…………わかった。おまえの言う通り契約させてもらう。だけど、俺は契約の仕方なんて知らない」
 
 初めて、彼女の目が大きく開かれた。
 あれは……驚いているのだろうか。
 
「……了解しました。では、私が言う通りに呪を唱えてください。強く、私と契約すると念じながら」
 
 アサシンの教えに従って簡易的な契約儀式を遂行する。
 月の夜、衛宮の庭で再び起こった契約の儀式。
 
「―――告げる! 汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に! 聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら―――」
 
 魔力の渦が巻き起こる。
 それは、俺と少女を内包するように包み込んでいく。
 
「―――我に従え! ならばこの命運、汝が剣に預けよう……!」
 
 俺の声に従って、少女から赤い魔力の光が天に向かって迸った。
 少女はその魔力光の中、必死に求めるように手を伸ばした。
 
「アサシンの名に懸け誓いを受ける……! 貴方を我が主として認めよう、衛宮士郎―――!」 
 
 瞬間、魔力が弾け飛んだ。
 それだけで、辺りは何事もなかったかのように静まり返り、月夜の世界が戻って来た。
 
「これで……あ……! 痛っ――――!」
 
 一瞬の熱さと共に左手の甲に令呪が現れる。
 輝くような朱色。それは、セイバーの令呪とは形の違うものだった。
 
「これから、よろしくお願いします。マスター」
 
 燐とした迷いのない声。
 アサシンは最初からずっと手を差し出したままだった。その手をおれは力強く握り返す。
 その手を振り払うことなど、俺には出来なかった。
 
 
  
 ~ステータス~
 
 マスター:衛宮士郎 
 クラス :アサシン
 真名  :???
 性別  :女性
 能力  :筋力C 耐久D 敏捷B 魔力B 幸運C 宝具??
  
 クラス別能力:気配遮断D
 保有スキル :???
            



[1075] その時、聖杯に願うこと 7
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/14 21:28
 
 その時、聖杯に願うこと 7  
 
「それで? やはり流れは柳洞寺か?」
 
 深夜、人気の絶えた新都を歩く二人分の人影があった。
 
 一人は赤い外套を纏った屈強な騎士。
 かなりの長身だが、その全身は鋼のように無駄なく鍛えられていて、褐色の肌が精悍さを際立たせていた。
 そんな彼の隣を歩く一人の少女は、彼が守護するべき主人である。
 
「……そうね、奪われた魔力は山へと流れていってる。新都で起きているほとんどの昏睡事件は、柳洞寺にいるマスターの仕業でしょうね」
 
 少女――遠坂 凛は、自身が出てきた雑居ビルを振り返りながら答えた。
 
 ――昏睡事件。
 
 現在新都を中心にして、謎の昏睡事件が多発していた。一切の原因は不明。関連も不明。対策の立てようもなく、公民共にただ手を拱いている状態だ。
 しかし、それも当然のこと。この事件を起こしているのは人間ではない。
 その事実を知る術など、一体誰にあるというのか。
 
 しかし、それを知る者がいる。
 
 魔術という闇を知るが故に、光に潜む闇を垣間見れる。彼女の従者もまた人間ではないのだから。
 
「――――許せない……!」 
 
 きゅっと唇を噛む彼女。
 遠坂 凛は、つい先程見た光景を思い出していた。
 
 月明かりさえ届かぬという闇の中で、蠢くことさえ出来ぬほど憔悴して、ただ床に“散乱”していた人々。
 その人数は五十人ほどだろうか。
 まだ生きている人間もいた。しかし、全員生きていたのか確認はしていない。
 彼女にそんな余裕などなかったのだ。
 
 凛にとっては、闇の中の出来事だったのは救いになった。
 それでも激しい嘔吐感は拭いきれず、一時とはいえ目を逸らしてしまう。だけど、そんな嫌悪感以上の怒りの感情が、彼女の心の中に渦巻くのも確認していた。
 魔術師としての“ルール”を破り、第三者を平気で巻き込んでいる敵に対して。
 
 訪れた雑居ビルが真っ当なことに使われていないことは知っていた。それでも、彼女には許される事柄ではなかったのである。
 
「これだけの大事を容易く行えるのはキャスターだけだな。しかも惨状を見るに相手は女だろう。――やれやれ、何の恨みがあるかは知らんが、サーヴァントになってまで八つ当たりとは……業が深い」
「能書きはいいから、ここを早く離れるわよ、アーチャー」
 
 生理的に早く場所を移動したかったことと、手がかりを逃さぬようにと思う魔術師の思惑が凛を急き立てた。
 今この場所で凛に出来ることは何も無い。
 無いのなら止まる理由はないし、後は自分に出来ることをするだけだ。
 
 今いる場所は新都の中でも奥まった一角に当たる。
 無計画に乱立したビル郡は、ある種まるで迷路のような通路を作り出していた。その月明かりさえ届かない闇の路を、迷うことなく二人は進む。
 どれくらい進んだのか、突然アーチャーが静かに呟いた。
 
「――――柳洞寺に巣くう魔女か」
「ん? 突然どうしたのよ、アーチャー?」
「いや、キャスターがここまで伸びるほど広範囲の網を張っているのならば、当然情報収集は怠っていないだろう。アレは単独では最弱のサーヴァントだからな。狡猾に罠を張り、策を巡らせる」
 
 魔術師のサーヴァント。
 その魔力、知識は、現代に生きる魔術師のそれを軽く凌駕する。操る魔術は、見るものによっては魔法とすら感じるだろう。
 
 それでも――魔術師。
 
 サーヴァントとは等しく英霊である。
 彼等彼女等は、魔法に匹敵する神秘とすら戦ってきた存在だ。更に、三騎士と呼ばれるセイバー、ランサー、アーチャーは高い対魔力を持っているし、他のサーヴァントにも高い対魔力を備えているものは存在する。
 ならばキャスターにとって、それらとの戦いは不利でしかありえない。
 
 故に策を巡らせる。
 一対一で敵わなくとも、最終的に勝利すれば良いのだから。
 
「……何が言いたいのよ、アーチャー?」 
「凛が何故こうも苦難の道を選ぶのかと思ってね。倒し易い相手を見逃して、もっとも倒し難いと思える敵を追うとは」
 
 アーチャーの言葉に含まれた皮肉を、遠坂凛は逃さなかった。
 
「…………倒し易い敵って、士郎とセイバーのこと? セイバーの強さは計り知れないわ。バーサーカーと互角に渡りあうあの剣技一つとっても侮って良い相手じゃない。それに、肝心の宝具を見せてもいない。それでもアンタは倒し易いって言うつもり?」
「――凛。サーヴァントが倒し難い相手ならば、そのマスターを倒せばいいだろう。サーヴァントはマスターを失っては存命出来ない。よもや、それを知らないとは言わないだろう?」
 
 アーチャーの問いに対して、凛は沈黙で答える。
 
 聖杯戦争とはバトルロイヤルだ。勝者として残れるのはたった一組のマスターとサーヴァントだけ。そんなこと、彼女は子供の頃から知っている。
 戦い続けるということは、魔術師として非情な決断を迫られる時が必ず来ることを示している。
 彼女はそれを知った上でアーチャーを見据えた。
 
 それでも――今は“まだ”その時ではないと。
 
 凛は一頻りアーチャーを睨みつけた後でふっと視線を逸らした。
 それから彼をその場においてスタスタと歩き出す。
 
「行くわよ、アーチャー。魔女の尻尾くらいは掴んでやらないと」
「……了解だ、マスター。私は君の騎士で従者だからな。令呪を使わなくともその命には従うさ」
 
 困ったものだ、とアーチャーは自嘲気味な笑みを残して、静かにその姿を消していった。
 
 凛はゆっくりと闇を振り仰ぐ。
 先の見えない深遠。それこそ暗闇だった。
 それでも自分は立ち止まる訳にはいかないのだと、唇を噛み締めながら確実に歩を進めていった。
 
 
 
 雑居ビル郡の中でも一際高いビルがある。その高層ビルの屋上に一人の女の姿があった。
 彼女はひっそりと屋上の縁に立っている。
 
 一際に目を引くのは、自身の足元まで届こうかという見事な紫の髪。それはとても滑らかで、月明かりを浴びて風に靡いている。
 大人の女性特有のしなやかで豊満な肢体は見事なまでのボディラインを描き、その身体の線をそのまま現すような漆黒のワンピースに身を包んでいた。
 女性にしては身長は高いほうだろう。
 スラリとした長身の美人。そう、彼女は妖しいほどの美女だった。
 それでも故意に彼女に近づこうとする男はいないだろう。
 彼女からは、その美しさ以上に戦慄するような殺伐とした闇の気配が漂っていた。近づけば、その身がただでは済まないと本能で感じ取れるほどに。
 
 不意に、一陣の風が鮮やかな紫髪を巻き上げた。
 そうして露わになった素顔。その目元には濃い紫色をしたアイマスクがかけられていた。
 彼女のマスクはそれ自体が高い魔力を放ち、見るものに嫌悪感を抱かせるような禍々しさを放っている。その高い魔力は一種の封緘の役割を果たしていて、内側に何かを封じているのだ。
 
 彼女の視界はマスクによって完全に覆われているというのに、内にある瞳はしっかりと視ている。その視線はビルの遥か下方――眼下にある迷路じみた通路を行く、一人の少女を捉えていた。
 彼女はいつもの通り、自身の獲物となるべき人物を物色する為に天空に身を置いていたのだ。
 
 この遥か上空からでも彼女には見える。
 数々のネオンに彩られ、光り輝くこの街にある闇の世界。その世界の中から、自身に最適な獲物を選び出しそれを捕食するのだ。
 
 捕食――そう。
 殺しはしないが、それでも限界まで搾り取る。
 
 それがマスターから指示された彼女の使命だから。
 彼女はサーヴァント。マスターの命に従い、彼女は今宵も深遠に身を躍らせる。
 
 しかし、今捉えている少女は彼女が物色している獲物達と同じではない。
 眼下を進む少女。それは彼女の敵。
 
 ――――どうする?
 
 彼女は考える。
 マスターから攻撃に関しての命令は出ていない。それでも彼女はサーヴァントだ。
 敵を駆逐し、排除する為だけにこの世に呼ばれた者だ。
 視界にある少女は気づいていない。よもや、このような天空から視る者のがいるなど想像の範疇外である。
 なら、彼女のサーヴァントはどうだろうか?
 先程見た赤い外套を羽織った男。
 気づいていないと思う。女が少女を発見したのも偶然に近かったのだから。
 
 ――――さて、どうしようか?
 
 もう一度自問する。
 遥か虚空からの一撃を、防ぐ術はないのではないか?
 少女は一撃で首を落とされ、何が起こったのかさえ自覚出来ないまま絶命する。
 例え敵のサーヴァントに単独行動のスキルがあったとしても、自分なら逃げきることが出来るだろう。
 マスターを失ってはサーヴァントは消えるしかない。
 無理に戦う必要性は皆無だ。
 
 ――――どうするべきなのか。
 
 三度目の自問。
 これが最後の機会であり、選択を決断する問いだった。
 
 深遠を見る紫の女。結局、彼女は少女を攻撃することを選択しなかった。
 別に見逃した訳ではない。
 自分が行動を起こす瞬間。その機こそを狙って第三者が行動することに気づいたからだ。
 
 第三者の気配は後方から。
 その気配もまた、彼女と同じサーヴァントのものだった。
 
「隠れるのは下手なようですね」
 
 振り返って闇を凝視する。
 だが、闇の色に変化はない。それでも彼女は視線を外さずにじっと一点を注視し続けた。やがてソレは諦めたように、ゆっくりと月明かりの下にその姿を現す。
 
 
 
「バレちまったか。まあ、アサシンの真似事なんて、俺には似合わなねえってこったな」
 
 月光の下に現れたのは一人の男だった。
 彼はバレたなど言いながら、まったく悪びれた素振りさえ見せず、逆に嬉々としているような雰囲気さえ感じられた。
 
「それともオマエの勘が良かったのか?」 
 
 全身に青い鎧を纏って、相手を皮肉るような笑みを浮かべている男。
 彼女の視線がその男の右手に注がれた。
 その手には色鮮やかな真紅の槍が握られている。
 
「朱色の槍――――ランサーですか」
 
 男はいつかの夜、衛宮家でセイバーと死闘を演じたランサーだった。
 
「そういうお前はライダーだな。……いや、何、驚くことはねえ。経験から基づく推理ってヤツだ」
 
 深夜の高層ビル、その屋上に二人のサーヴァントが揃った。いや、出会ってしまった。
 ランサーとライダーの距離は二十メートルは離れているだろうか。
 その間合いを保ったまま、両者を張り詰めた緊張感が包み込んでいく。
 
「一応訊いておきましょう、ランサー。アナタはここに何をしに来たのですか?」
「――ハッ! 何しにとは愚問だな。こうしてサーヴァント同士が睨み合ってやることは一つだろ? 違うかライダー?」
 
 槍の穂先がライダーを捉えた。それは、まっすぐ彼女の心臓を向いている。その意思を確認するまでもない。彼は彼女と戦おうというのだ。
 それを受けて、ライダーも自身の手に武器を出現させる。
 
 現れたのは巨大な“釘”。
 短剣ほどの長さの釘は、恐ろしいほど鋭く尖り、その柄には数メートルに及ぶ鎖を結びつけていた。一見して鎖鎌のようなそれは、彼女の内面を表した武装に思えるほどに、禍々しくて黒い魔力を放っている。
 
「――鎖、か。捉えて離さない、まるで蛇のようだな、おい」
「そう見えますか? なら捉えてから嬲るように殺してあげましょう。それとも、貴方は串刺しの方が好みでしょうか?」
 
 聞くものを畏怖させるようなアンダーな声。
 闇夜に響くは地獄からの葬送の調べ。それを聞いて、その上で、ランサーは楽しそうに口の端を上げた。
 
「俺を嬲り殺すだと? 面白い。やれるもんなら――やってみやがれっ! ライダー――ッ!」
 
 こうして、深夜の高層ビルを舞台に、二人のサーヴァントの死闘が始まった。
 
 
 
 瞬間、ランサーの姿が掻き消えた。
 実際に身体が消えた訳ではない。そう表現した方が良いほどの神速でランサーがライダーに迫ったのだ。
 だが姿が消えたのはランサーだけではなかった。ライダーの姿もまた、闇夜に消えるようにその身体を無くしていた。
 
 ライダーとは闇を走る黒き火花。
 その姿は視認出来なくとも、彼女の通ったその軌跡が火花を散らせる。
 
 対するランサーの疾走はまさに神速。
 風を切るように突き進む至高の槍だ。彼の前方に立ち塞がる者は刺し貫かれるのみ。
 
 両者は二十メートルの距離など無かったかかのように渡り、ちょうど間合いの中間点で激突した。
 
「く――ッ!」
「なに――ッ!」
 
 激しく響く剣戟の音に混ざって、両者が驚愕に呟きを洩らす。
 
 クラス・ランサーこそが最速のサーヴァントである。それは聖杯戦争において揺るがし難い事実。
 故にランサーの驚愕は自明だろう。自身の速度に付いて来られる者はいないと自負していたのだ。それなのにライダーが見せた疾走は自身に劣るものではなかった。
 
 だが、同時にライダーもまた驚いていた。
 彼女は騎兵のサーヴァントでありながら、その速度に絶対の自信を持っていたのである。
 例えランサーといえど超えられるものではないと。
 この神速こそがライダーの武器であり生命線。セイバーのような剣技はなく、バーサーカーのような破壊力もない。こと接近戦においての彼女の戦法は、相手を翻弄し、間合いを計る事で命を繋げ、最終的に相手の首を狩るのである。
 その優位性を保ってこそ、ライダーは相手に勝ち得るのだ。
 
 もちろん、その速度だけがライダーの武器ではないのだが――――
 
「…………驚きました。ここまで速いとは思いませんでした、ランサー」
「そりゃこっちの台詞だ。お前、騎兵だろうが。――――獲物はどうしたよっ!?」
 
 朱色の魔槍が闇を切る。それをライダーは短剣で受け止め、切っ先を後方へと受け流していた。
 ランサーの言う獲物とは鎖剣のことではない。ライダーとは“騎兵”のサーヴァント。騎乗してこその英霊だ。その姿を確認しないで相手を計れるものではない。
 
「見たいですか? ですが、貴方相手に見せるまでもないでしょう」
 
 刹那の間に六線、闇夜に閃光が走った。全てライダーによる斬撃である。
 その攻撃群をランサーは事も無げに受けきった。
 
 事、防御に関してランサーは飛び抜けている。彼が守りに入ったらセイバーですら正面から打ち崩すのは至難の技だろう。
 しかし、防御に徹していては勝てない。
 ランサーが攻撃に移る一瞬は、彼のその防御力も減じられる。そしてライダーには、その僅かな隙を突くだけのスピードがあった。
 
「――――はあっ!!」 
 
 短剣の殺傷能力は低い。ならば狙うは相手の急所。
 眉間だろうと、首だろうと、心臓だろうと。貫けば長剣も短剣もない。
 故にライダーが繰り出す閃光は全て必殺。
 だが、ランサーの接近戦の能力はライダーを上回るものがあった。
 自身へと迫る斬撃。一点を貫いてくる刺突。
 尋常ではない速度で迫るそれら全ての攻撃を、捌き、払った上で、逆に魔槍の一撃を繰り出しライダーの命を狙うのだ。
 
「――ハハッ! なかなかどうして、楽しめるじゃないかっ――!」
 
 両者は互いに閃光となって、高層ビルの屋上で縦横無尽に交戦する。
 
 ――赤き魔槍を携え、青き燐光を発しながら闇を切るランサー。
 
 ――紫の髪を靡かせ、漆黒の火花となって走るライダー。
 
 その戦いは、激しく発光しながら進む流星が描く演舞のようだ。
 そして、青と紫の軌跡が空中で交差する。互いの武器が打ち合い、高い剣戟の音が辺りに響いた。
 
「……これでは埒が明きませんね」
 
 着地したライダーがランサーを振り仰ぐ。
 二人の距離は再び二十メートルほどに離れていた。
 
 ライダーは軽く自身の後方を一別すると、一足で屋上の縁まで距離を取る。
 
 
「どうしたライダー。臆したか?」 
 
 ランサーの嘲りは無視。ライダーはランサーとの間合いを計るようにして、それから自身の許される最大速度で地を蹴った。
 それは、ランサーを持ってしても追いきれない程の速度。
 縦横無尽に走る漆黒の火花は、あらゆる方向へと転進していく。
 
 右へ。左へ。上へ。斜めへ。屋上全体を使うかのようにして、ランサーを中心にライダーが駆け廻る。
 更に火花は加速していく。
 それでも、ランサーは慌ててはいなかった。
 攻撃されている訳ではない。
 ライダーの全てを捉えることは出来ないが、攻撃に移る瞬間なら話しは別だ。鎖剣を突き刺すには近づかなければいけない。
 槍を構えながら、ランサーは猛る魔力だけを迸らせ、時を待っていた。
 
「――――騎兵の戦いってのは、ただ、走り回るだけか?」
「せっかちですね、貴方は。心配せずとも、直ぐに――――終わらせます」
 
 黒雷が疾走する。ライダーは残像すら残さぬほどの速度でランサーの背後を取った。
 まさに束の間。
 ライダーは一秒の時間もかけずにランサーへと迫り、彼の首元へと短剣を一線させた。
 瞬間、響いた大きな金属音。
 ライダーの完全な奇襲をも、ランサーは槍の柄で受け止める。
 攻めた方も、守った方もまさに神技の域。だがライダーは止まらない。直ぐさま身体を沈めてランサーの足を払い、その回転を利用して鎖剣をランサーの顔へ目掛けて斬撃する。
 剣線は闇を切り裂く疾風か。
 一撃はランサーの顔を掠めて通り過ぎ、頬を切り裂いていた。
 闇夜に血渋きが舞う。
 
「く――っ!!」 
 
 同時に響いたのは、ライダーの苦悶の声。
 舞う血渋きと同じくして、切り裂かれた紫の髪が風に乗って流れていく。
 
 今の立ち合いでは、ライダーの一撃に合わせるようにして、ランサーもまた魔槍を繰り出していたのだ。
 相打ち狙い――いや、受ける傷を鑑みればランサーに分があった。
 だが、咄嗟に感じたライダーが剣を引いた分、彼女の一撃はランサーに届かず、ランサーの槍もまた彼女を捉えられなかった。
 
 慌ててライダーが間合いを離す。足を止めての撃ち合いなど正気の沙汰ではない。
 三度、両者の距離が開いた。  
 
「――どうした? もう終わりか、ライダー」
 
 ランサーが油断なく魔槍を構えている。その切っ先は相変わらずライダーの心臓を向いていた。
 そんなランサーをマスク越しに見据えるライダー。彼女は僅かに思案するように眉根を寄せてから――
 
「そうですね。そろそろ頃合でしょうか。私のマスターは臆病者ですから、予定時間を過ぎて私が帰らないと、令呪を使ってまで戻しかねません。それは――大変、困ります」
 
 ライダーの言葉を受けて、ランサーの気が乱れた。
 想定外――ではないが、彼にはまだ早すぎる。
 
「――――逃げる気か? もっとも、お前がその気でも逃がしゃしねえ」
 
 真紅の魔槍に篭もる魔力が、僅かにゆらぎを作り出す。
 それに合わせるようにして、ランサーの殺気が際限なく膨れ上がっていった。
 そのとき――
 
「布石は打っておきました。本当は貴方を仕留める為だったのですが…………簡単な相手ではないようですので」
 
 ライダーが腕を上げる。瞬間、彼女の鎖がうなりを上げて巻き上げられた。
 
「なんだとっ――――!」
 
 ランサーの足元に巡らされた小さな鎖の結界。それが発動して蛇のように彼の足に絡み付く。
 先程の彼女の乱舞は、この鎖による結界を作り出す為の演舞だったのだ。
 鎖でランサーの足を取ったライダーは、そのまま“力任せ”に、ハンマー投げよろしくランサーを振り回して――放り投げた。
 その光景を見る者がいたなら唖然としただろう。
 長身とはいえ、女性であるライダーが大男であるランサーを軽々と放り投げたのだ。
 
「ちぃ――ッ!」 
 
 ランサーへ迫るコンクリートの壁。
 そのままぶつかれば、如何にランサーとて無事では済まない程の速度と勢い。
 
「うおおッ――――ッッ!!」
 
 雄たけびを上げながら魔槍を突き出すランサー。槍の穂先が壁に触れるや、彼は勢いを上方へと逃がしながら虚空へと飛び上がった。
 夜空を舞う青い燐光。やがてそれは、遥か高みから無事に屋上へと着地していた。
 
「くそっ……やられたぜ」
 
 小さな舌打ちの音が響く。
 屋上へ戻った時、そこにライダーの姿はなかった。
 
「もう少し――――手の内を見たかったんだが……」
 
 ライダーが消えた屋上でランサーが闇を見据える。
 彼はその手にある魔槍を上下に一線させてから消しさると、音も無く闇の中に身を躍らせていった。
  



[1075] その時、聖杯に願うこと 8 
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/15 23:02
 その時、聖杯に願うこと 8 
 
 深夜の衛宮邸、その居間の中を沈黙が支配していた。
 テーブルを挟んで俺の目の前には、新しく俺のサーヴァントとなった赤毛の少女が座っている。
 彼女は既にコートを脱いでいて、黒のカットソーにスキニーデニムという格好になり、くつろぐこともなく、正座しながら俺のことをじっと見つめていた。
 
 話すべきことはあるし、訊きたいこともある。だが、最初の一声をかけるきっかけが掴めずに、ただ時間だけが流れていた。
 何の気なしに落とした視線が、何も置いてないテーブルを捉える。
 
 ……深夜だけど、お茶くらい出した方がいいな。
 
「ちょっと待っててくれ」
 
 少女に声をかけてから台所に向かう。
 それからお茶を二つ、お盆に用意してからテーブルに戻った。彼女の前にお茶を置き、俺も一口お茶を含む。それで少し気分が落ち着いた気がした。
 
「まあ、飲めよ。……安物だけどな」
「いえ、ありがたく」
 
 少女は両手で湯呑みを持って、ゆっくりと口を付けた。
 コクコクと小さく喉を鳴らして飲む様は、なんとなく場の雰囲気を和ませる。
 
 俺は改めて少女に視線を移し、その様子を観察してみた。
 
 やはり一番に目を引くのは、後頭部で結わえて尚、腰まで届く真紅の髪だ。とても綺麗な赤色で流れるようにサラサラしている。華奢な体格はセイバーと同じくらいか、少し大きいくらい。
 表情を見てみる。
 少し太めの眉に漆黒の瞳。凛々しいその表情からは、強い意思の力を感じることが出来た。整った顔立ちは、はっきりと美人だと言えるだろう。
 こうして見れば同年代の少女そのものだが、その身体には計り知れない力が備わっている。
 
「アサシン……て、呼んでいいのか?」
「はい、それで結構です。マスター」
 
 答えてから、アサシンが少し眉根を寄せた。
 
「本来なら真名を伝えなければいけないのですが、それを相手に悟られるのは賢い選択ではないかと。失礼ながらあなたの抗魔力はそう高い方ではありません。敵は魔術師ですから、如何ようにでもそれを引き出す手段があると思います」
 
 アサシンの言いたいことは分かる。
 サーヴァントは英霊だ。その真名が解れば伝承等から相手の弱点を突くことも可能だろう。そして、それを漏洩する危険がもっとも高いのは半人前のこの俺だ。
 
「ですから、真名を伝えるのはご容赦願えないかと――」
「分かった。俺がアサシンの真名を知っても巧く活かす術もないしな。言いたくなければ言わなくていい」
「…………やけに、あっさりしてますね」
「そうか? まあ、悩んでも仕方ないことだ。――それよりも訊きたいことがある、アサシン」 
「――――キャスターのことですね?」
 
 アサシンの目がすっと細められる。    
 
「残念ですが、私はそれほどキャスター個人については詳しくない。仲良く話しをする間柄でもありませんでしたし、ほとんど不干渉の立場でした。命令する者とされる者……ですね」
 
 アサシンは淡々と語っている。
 そこに怒りや悲しみ、喜びといった感情は感じられなかった。
 
「キャスターはセイバーに執心していましたし、当初から私のことは駒の一つ程度に思っていたのでしょうね」
 
 駒――か。
 
 サーヴァントを人間扱いする必要はない、と言ったのは誰だったろうか。彼等はただ戦う為に呼び出された者で、余計な感情を持つ必要などないのだと。
 
 それが聖杯戦争においては正しい選択なのだろう。だけど、俺にはそういう考え方は出来そうにない。セイバーも目の前の少女も、遠坂のサーヴントであるアーチャーも、俺から見たら普通の人間と変わらない。
 だけど、今の言葉の中にもう一つ気になる言い含みがあった。
 
「アサシン。今キャスター“個人”については知らないって言ったよな? なら、それ以外については知ってるのか?」
 
 はい、と彼女が頷く。
 
「キャスターは柳洞寺を本拠地として活動しています。彼女はそこに結界を張り冬木から魔力を吸い上げている。現在多発している原因不明の昏睡事件は、全てキャスターの仕業です」
「……柳洞寺――だって? それに、昏睡事件って――!?」
 
 衝撃だった。
 柳洞寺には俺の同級生が住んでいる。
 名前は柳洞一成。寺の子息らしく質素堅実品行方正な男だ。
 その柳洞寺にキャスターが本拠地を置いているなんて、俺にとってまったく予想外だ。ならば、学園に潜むマスターとはキャスターのマスターなのだろうか。 
 
「キャスターのマスターについての情報はあるか?」
「申し訳ない、マスター。私はキャスターによって彼女のマスターからは故意に遠ざけられていた。ただ、男性とだけは知っています」 
  
 男の魔術師か。その男がキャスターを操って事件を起こしているのだろうか。
 冬木で多発している昏睡事件は俺も知っている。その犠牲者はかなりの数に上っているはずだ。
 
「柳洞寺に蓄えた魔力は、かなりの量に達しています。今の柳洞寺は魔女の神殿――要塞となっているはずです」 
 
 それだけの魔力を蓄えるのに、一体どれだけの人数を犠牲にしたのか。
 
 ――くそっ!
 
 キャスターに対して激しい怒りが沸き上がってくる。無関係の人達を平気で巻き込むなんて、絶対に許せる行為じゃない。キャスターを放っておいたら犠牲者が増えるばかりだ。
 きつく唇を噛む。
 あの時にキャスターを倒せていればと思わずにいられない。
 しかし、今はもう一つだけ確認しておく事柄があった。
 正直、答えは予想出来る。それでも訊かずにはいられなかった。
 
「アサシン、その、セイバーは…………」
 
 少し声が震えた。
 言葉も十分に告げられなかった。それでもアサシンには俺の言いたいことが伝わったようだ。
 
「……セイバーはキャスターの手に落ちました。私がここを訪れたのは、その結果故です」
 
 何というか…………思っていたような衝撃は襲って来なかった。
 ある意味、予想通りの答え。
 僅かな、本当に小さな望みが断ち切られただけだ。それでも湯呑みを取った右手は小さく震えていた。
 俺はその震えを抑えるように、残ったお茶を一気に呷る。
 
「アサシン。彼女――セイバーを助けることは出来ると思うか?」
「――――はっきり言って難しいですね。セイバーを開放するには、マスターであるキャスターを打倒しなければいけません。そのキャスターは陣地に篭もり、それを守るのはセイバー自身です。私ではセイバーに及びませんし、挑んだとしても返り討ちが関の山でしょう」
 
 言葉通り、アサシンははっきりと断言した。
 現状でセイバーは救えないと。
 
 ――セイバー。
 
 聖杯戦争における最優のサーヴァント。身贔屓ではなく、セイバーは強いんだ。
 膨大な魔力を内に秘め、バーサーカーにすら力負けしない剣技。対魔力はキャスターの魔術すら弾き、その手に在る剣は伝説の――
 
 俺がマスターでなかったら、彼女は本当に最強だったかもしれない。
 そのセイバーが俺の敵に…………?
 
「ぐっ――!」
 
 セイバーが敵になると考えただけで胸が痛んだ。
 実感なんてまるでない。頭で理解しようとしても心がそれを拒んでいる。
 
 それでも――それでも、認識しなければ先に進めない。
 敵はキャスターだけではないのだから。
 
「…………分かった。柳洞寺に乗り込むのは危険だって訳だな」
「――はい。ですが、セイバーを救うのが不可能と言っている訳ではありません」
「な……何か、方法があるのか!?」 
「確かに私達だけで挑むのは無謀ですが――――仮に他のマスターの手助けがあるならば、話しは変わってくると思います」
 
 アサシンの言葉を受けて、真っ先に遠坂の顔が浮かんだ。
 
 手を組もうと言ってくれた彼女。だけど、セイバーを失った俺と、遠坂はまだ同盟を組んでくれるのだろうか。
 それに、俺の都合で振り回して彼女まで危険な目に遭わせたくない。
 遠坂の第一目標はバーサーカーのはずだ。
 
 セイバーのことは……俺個人の気持ちの問題だ。
 だけど――そんなに簡単に割り切れるものじゃない。
 
 ふと顔を上げれば、アサシンが心配そうに俺を見つめていた。今の言葉は、彼女なりに俺を気遣ってくれたのかもしれない。
 
「顔色が優れませんね、マスター」
「……いや、大丈夫だ」
 
 アサシンに心配ないと手を振ってから、時計で時刻を確認する。見てみれば、もう深夜の一時を過ぎていた。 
 明日は明日でやることがある。今日はもう、休んだほうがいいかもしれない。
 そう思ってゆっくりと席を立った。
 
「だけど、今夜はもうお開きにするか。昨日はあんまり寝てないから、さすがに睡魔が襲ってきた」
「それが良いですね。睡眠中は私が護衛していますので、安心して眠ってください」
「――警護って……アサシンは寝ないのか?」
 
 彼女はキョトンとした表情をしていた。
 俺の意図したところが掴めないといったところか。
 
「サーヴァントは睡眠を必要としません。ですから、お気遣いなく」
「でも、寝ることは出来るんだろ? セイバーは気持ちよさそうに寝てたぞ」
「…………はあ、まあ。眠ることは出来ますが……しかし……」
「この家には侵入者対策の結界が張ってあるし、もし敵が襲ってきたら助けてくれるんだよな?」
「無論です、マスター」
「なら、いいじゃないか」
 
 アサシンは非情に複雑な表情をしていた。
 そのクラスの特性上、暗殺等には敏感に反応してしまうのかもしれない。何といっても睡眠中が一番無防備になるのだから。
 
「部屋は……そうだな。離れに客間があるから自由に使ってくれ。場所は今から案内する」
 
 護衛するというなら近くの部屋がいいんだろうが、俺の部屋の隣はセイバーが使っていた。
 アサシンには悪いけど、あの部屋はセイバーが戻って来るまで誰にも使わせたくない。
 
「では、お言葉に甘えて私も休ませて頂きます。何か用がある時などは、遠慮なく叩き起こして下さって結構です、マスター」
 
 遠慮なく叩き起こせと言われても、遠慮してしまう。
 女の子の寝てる部屋に突入するなんて俺には出来ないだろうし。
 
 その後、屋敷の中を案内してから彼女を客間に連れていった。アサシンは大人しく俺の後ろをついてきていて、一々頷きながら屋敷の構造を頭に入れているようだった。
 
 十分後、彼女を案内し終えてから部屋に戻った。
 ここ数日の疲れが溜まっていたのか、それとも気が抜けたのか。部屋に入ってすぐに強烈な睡魔が襲ってきた。
 俺は布団に急ぎ潜り込むとそのまま泥のように眠る。
 
 夢は――――見なかった。
 
 
 
「こ――これはっ!?」
 
 翌朝、食卓に並べられた朝食を見つめて、アサシンが驚愕の声を上げていた。
 
「ん、日本食は駄目か?」
 
 テーブルの上には、ご飯に味噌汁。卵焼きや焼き魚といった、典型的な日本の朝食が並べられていた。
 外国人の中には日本食を受け付けない人もいる。彼女はどう見ても日本人ではないし、パン食の方がよかったかな?
 そう思ったが、アサシンは別のことに驚いていたようだ。
 
「マスター…………朝食が二人分あるように見えるのですが……?」
「何言ってるんだ? 当たり前じゃないか」
 
 彼女の前にお茶を用意して、俺も席に着く。
 
「当たり前……ですか? いえ、こうして朝食を頂けるとは思っていませんでしたので、少し驚いてしまいました」
「……なんでさ?」
 
 正直、アサシンの言ってる意味が分からない。
 二人の人間がいるんだから二人分。うん、あってる。
 
「キャスターに召喚を受けて以来、食事を頂く機会がありませんでしたので、その、少し戸惑います」
「何だって? キャスターの奴、そんな非道なことをしてたのかっ」
 
 憤慨する俺に対し、アサシンが微妙な笑みを浮かべた。
 
「別にキャスターを擁護する気はありませんが、サーヴァントは食事を取らずとも問題のない存在です。その点では、非道――ということはありませんね」
「食は人間の基本だろ? ……まあ、ここではそんなことは無いから、遠慮なく食ってくれ」
「それでは、ありがたく」
 
 そう言って彼女が箸を取る。
 アサシンは何から食べようか迷っている風だったが、おもむろに卵焼きに箸を伸ばした。
 口に入れて食べる。その後の表情を見て、どうやら気に入ってくれたようだと安堵した。
 アサシンは、むぐむぐと、よく噛みながらゆっくりと朝食を進めている。
 セイバーの時にも思ったけど、上手に箸を使うもんだ。サーヴァントってのは、そういう細かいことまで知識として持たされるものなんだろうか。
 そんな彼女を見ながら、昨日考えていたことを聞いてみた。
 
「アサシン。今日は学校に行こうと思ってるんだが、問題ないかな?」
 
 彼女は、ごっくんと卵焼きを喉に押し込んでから口を開いた。
 
「そうですね。状況が判りませんのでどうとも言えませんが、霊体化して傍に控えていますので、何かあった時は対処します」
 
 霊体化――セイバーは出来なかったけど、アサシンは出来るんだな。
 それなら不足の事態にも対応出来そうだ。
 
 今日学校に行こうと思ったのには、二つの目的があったからだ。
 
 一つは遠坂に現状の報告すること。
 恥を晒すようなものだし、聖杯戦争の遂行を考えた場合に情報を曝け出すのは間違いかもしれない。それでも手を組むと言ったのだ。隠しておける問題じゃない。
 
 そしてもう一つは、学校に張ってある結界だ。
 セイバーのことがあってなし崩し的に放置していたが、アサシンを得た今、手を拱いている必要はない。
 万一放置して結界が発動したら、目も当てられない。
 
「そっか。じゃあ、よろしく頼む、アサシン」
「了解しました、マスター」
 
 小さく頷いてから、アサシンが食事を再開した。
 そんな彼女を見つめながら、セイバーはちゃんとご飯をもらえているんだろうか、なんて場違いなことを考えてしまう。
 だって、セイバーは本当に美味しそうにご飯を食べていた。
 サーヴァントだから食事はなしなんて、あんまりに彼女が可哀想だ。そう思った。
 
 
 
 いつかの逆のパターンである。
 学校に登校して遠坂を発見した俺は、半ば彼女を引きずるようにして屋上へ出た。
 
「ちょっと、士郎! いきなりなにするのよっ?」
 
 遠坂の手を引き、屋上の隅に移動する。
 俺は辺りの様子を見て、誰もいないのを確認してから遠坂の手を離した。不審そうに俺を見つめる遠坂が怒鳴り出す前に、軽く事情を説明してから本題に入る。
 
 一昨日、キャスターに襲われてから今日の朝までの出来事を遠坂に話す。
 要点を纏めて話すのは難しかったが、なるべく詳しい状況を含めて、あまり熱くならないように慎重に話した。
 記憶の欠損はほとんどなかった。何度も、何度も思い返した事実だし、忘れるはずがない。
 
 キャスターの宝具“ルール・ブレイカー”については、特に詳しく説明する。
 この宝具の能力はマスターにとってかなりの脅威になるだろう。だけど、予めその効力を知っていれば、防ぐ、あるいは受けない方策も立て易い。垣間見たアーチャーの能力なら問題なく捌けるだろう。
 
 喋り続けて喉が渇くが、我慢する。
 それから結構な時間を要したが、何とか一通り説明し終えることが出来た。
 やっと一息と、ふう、と大きく息を吐いた。
 
「質問とかあったら言ってくれ。なるべく詳細に話したつもりだけど、こういうのに馴れてないから、抜けてることがあるかもしれない」
 
 遠坂と、いつの間にか彼女の背後に現れていたアーチャーが真剣な表情で考え込んでいる。 
 彼女達にとっても衝撃的な事実だったようだ。
 もし、遠坂が同盟を破棄すると言っても俺は拒まないつもりだ。
 
 助けは欲しい。だけど、それを無理強いするつもりは毛頭ない。俺にやることがあるように、遠坂にもやることがあるはずだ。
 遠坂とは戦いたくないから、同盟が決裂したからって俺の立ち位置が変わる訳でもない。
 その後、幾つかの質問とその答えを経て、遠坂が盛大な溜息を吐いた。
 
「はあ……。まさかそんな事態になっているなんて、思いもしなかったわ」
 
 同感だ。
 俺もこんなことになるなんて思いもしなかった。
 
「でも、ちょっと以外かな。セイバーを失ったのに案外落ち着いてるのね。正直、もっと取り乱すかと思ったわ」
 
 そっか。遠坂には落ち着いているように見えるんだな。なら、俺は落ち着いているんだろう。
 一度視線を外してアーチャーの奴を見て、それからまた遠坂に戻した。
 アーチャーは特に発言する気はなさそうだ。
 
「それで、士郎はこれからどうするつもり?」
 
 遠坂が首を傾げながら聞いてくる。
 これから俺がどうするのか。そんなのは決まっている。
 
「……戦うさ。セイバーのことを抜きにしてもキャスターのことは放っておけない。冬木で起きてる事件は全部あの魔女の仕業だ。キャスターを止めない限り犠牲者は増え続ける」 
 
 真っ直ぐに遠坂の目を見て答えた。
 その俺の答えを受けて遠坂は何処か嬉しそうに微笑む。
 
「そう。なら、同盟は続行でいいわよね」
「続行って……本当か、遠坂?」
「ええ。実は私達もキャスターを追っていたのよ。相手にはセイバーもいるんだし、士郎が戦うつもりなら一緒に当たった方がいいでしょ?」
「それは……嬉しいけど、本当にいいのか、遠坂?」
「士郎がサーヴァントを失ったって言うなら話は別だけど、アサシンと契約したんでしょ? なら、問題ないわ」
 
 問題ないと遠坂は言ったが、問題ない訳はない。
 俺の判断ミスでセイバーをキャスターに捕らわれてしまったのだ。遠坂としたら文句の一つどころか、幾つ文句を重ねても気がすまないだろう。
 それでも、彼女はその事には触れずに笑って手を差し伸べてくれたのだ。
 怒るときは際限なく怒るくせに、こういう気遣いが出来るのは、やっぱり俺の思ってた通りの遠坂だった。
 
 ちょうどその時、一限終了を告げるチャイムが屋上に鳴り響いた。
 そのチャイムを聞いて、遠坂がゆっくりと踵を返す。
 
「ちょうど一限も終わったことだし、私は教室に戻るわ。詳しい話しはまた今夜にでもしましょう」
 
 スタスタと遠坂が出口に向かう。
 だけど、途中で振り返って
 
「どうしたのよアーチャー? 行くわよ」
「悪いが先に行っててくれ、凛。私もすぐに後を追う」
 
 怪訝な表情を浮かべてアーチャーを見つめる遠坂。けど深く追求しようとはせず、そのまま歩き出した。
 
「……そう? なら、先に行ってるわね」
「ああ」  
 
 アーチャーは遠坂の姿が消えるのを確認するまで、じっと彼女の姿を追っていた。
 
 
 
 遠坂が階下に消えて、俺とアーチャーだけが屋上に残るかたちになった。わざわざここに残ったってことは、アーチャーの奴、俺に何か話でもあるのか?
 正直コイツの相手は苦手だ。とにかく肌が合わない。そんなに話したこともないのに、最悪といっていいほど相性が悪いのがはっきりと解る。
 そして、俺がそう感じているように、アーチャーも俺に対してそう思っているはずだ。
 その男が一体俺に何の用だというのだ。
 
「……何の用だよ。ここに残ったのは俺に話しがあったからじゃないのか?」
 
 勤めて冷静に言ったつもりだったけど、どうしても言葉に棘が出る。
 その言葉を受けて何か言い返してくるかと思ったけど、アーチャーはじっと俺を見つめて口を開かなかった。
 
 俺は奴を睨み、アーチャーも俺を睨んでいる。
 冬の冷たい風が、俺とアーチャーを包み込むようにして逆巻いていた。
 
 結局、アーチャーが口を開いたのは、休み時間終了のチャイムが鳴った後になってのことだった。
 
 
「……戦うと言ったな、衛宮士郎。セイバーを失って尚、お前はこの聖杯戦争を戦うと?」
 
 やっとの思いで口にした。そんな感じがした。
 
「もちろんだ。俺は戦う。そう決めたんだ」
「――――それは彼女の為にか?」
 
 アーチャーの言う彼女とは――たぶんセイバーのことだろう。
 ただ、その言葉を口にした時、僅かだがアーチャーの顔色が変わった気がした。しかし、それはほんの一瞬の間だけだ。奴はすぐに表情を取り戻し、険のある瞳で俺を睨み据える。
 俺も負けじとアーチャーに視線を合わせた。
 
「それもある。だけど、それだけじゃない。無関係な人を巻き込んで平気な顔をしてる奴の存在を俺は許せない。そんなマスターやサーヴァントがいるなら、戦ってでも俺が止める」
「それは何故だ? 関係ない人間が何人死のうが、お前自身が傷つくことではあるまい。むしろ、キャスターにはこのまま続けて貰って、そうして得た力でもってバーサーカーを倒して貰うのが最良ではないのか?」
「……なっ!?」 

 ――一体“何を”言っているんだコイツは。
 
 一瞬聞き違いかと耳を疑ったほどだ。それでも、アイツが発した言葉の意味を理解するにつれ、頭に血が上ってゆくのがわかる。
 体中を血が駆け巡り、頬が熱くなった。
 俺は激昂した意識を覆うことなく、そのまま言葉にしてアイツにぶつける。
 
「――――ふ、ふざけるなっ! 俺も、遠坂もそんな方針は取らないっ!!」
「……そうなのだろうな。まったく――凛は魔術師としては申し分ないのだが、少し正直すぎるきらいがある。もう少し裏の手法でも覚えてくれれば、私もここまで苦労しないのだがな」
「お前……それ、本気で言ってるのか?」
「勿論だ。敢えて苦難の道を進む凛の気がしれん」  
「――――アーチャーッッ!!」
 
 体格差など念頭になかった。
 俺はアーチャー目掛けて、力任せに思い切り殴りかかった。だがアーチャーはあっさりと俺の突進をかわすや、そのまま俺の背中に向かって話しを続ける。
 
「考えろ――衛宮士郎。例えばキャスターが聖杯を手に入れたとする。そうすれば、被害はこの街だけには留まるまい。私が知り得る限り私利私欲で聖杯を使わないのは、お前と凛だけだ。ならば、多少の犠牲など気にせず、聖杯戦争に勝利することだけを考えろ。その結果、被害が最小に抑えらるならば、それは――――お前が目指すものと同じになるのではないのか?」
「違うっ! 勝つ為だけに、結果を得る為だけに周りを犠牲にするなんて、そんな事は絶対にさせないし、俺はそんな道は選ばないっ!」
 
 即答だ。振り返ってアーチャーを射抜くように睨みつけてる。
 アイツの、アーチャーの言っていることはキャスターのやっていることと大差がない。勝利する為に無関係な人を巻き込んで、それで平気な顔をして聖杯を得る? 馬鹿な話だ。そんなことは俺が絶対に許さない。
 けれど、俺の思いとアイツの考えは正反対なのだろう。
 アーチャーは俺を嘲笑うかのように話を続けた。 
 
「今なんと言った、衛宮士郎? 犠牲など出さずに他人を救うだって? お前は正義の味方でも気取るつもりか?」
 
 ――正義の味方。
 
 奇しくもアーチャーの言った“正義の味方”こそが、俺の目指す理想だった。
 
「そうだよ。俺は誰かを救う為の正義の味方になる。何か文句があるのか?」
 
 俺の言葉を受けて、アーチャーが瞳の奥に怖いくらいの光を宿した。
 心の深層すら射抜くような冷たい視線。
 
「衛宮士郎――――お前が言う正義の味方とは、ただの掃除屋だ。その方法では悲しい出来事、悲惨な死を元に戻すことは出来ないし、元よりそれが正義の味方とやらの限界なのだ」  
「……正義の味方が……掃除屋だって?」
「そうだ。正義の味方なんてものは、起きてしまった出来事を都合よく片付けるだけの存在だ。その方法で救える者は生き残った者のみと知れ。お前は、お前が救いたいと思う者をこそ“絶対”に救えない――」
「そんなこと……あるもんかっ!」
 
 そうだ。誰かを救おうと手を伸ばして、その手が“誰か”だけを救えないなんて絶対にない――!
 なのに、それでもアーチャーの言葉が俺の心の中に入ってくる。まるで、それが“真実”であるかのように。
 
「無関係な人間を巻き込みたくないと言ったな? ならば認めろ、衛宮士郎。一人も殺さないなどという方法では、結局誰をも救えない」
「……なんだって、お前はそんな――」 
 
 頭に来る。アーチャーの言い分の全てが、頭に来て仕方がない。
 だけど、何でこんなにアイツの言葉が俺の心を捉えるんだっ? アイツの言っていることは間違いで、俺は認める訳にはいかないのに。
 
「衛宮士郎。まだ引き返せる道だ。まだ――お前は間に合う」
 
 間に合うと。そのアーチャーの言葉が心を抉る。
 苦しい道のりを選ばずとも良い。そんな甘美な誘惑さえ聞こえた。
 だけど、それでも。俺が衛宮士郎である限り、そんな事実を認めるわけにはいかない。
 
「アーチャー。俺はお前がどんな人生を歩んできたのか知らないし、知ることもないんだろう。だからお前を責めることは出来ない。けど、お前が出来なかったからといって俺が出来ないことには繋がらない。俺はどんな苦難が立ち塞がっても諦めない。絶対に道を貫いてみせる。俺は――お前を否定する!」
「――――そうか。やはり“お前”はその道を選ぶのだな」
 
 短い嘆息。そして決意。短い言葉を経て、アーチャーの雰囲気がガラリと変わった。
 アイツから感じたのは、諦め。後悔。そう言った英雄には似つかわしくない負の想念。そして、俺に向けられた確かな殺意だ。
  
「悪く思うな、衛宮士郎。恨むなら――お前自身の理想を恨め」 
 
 ――逃げなければ殺される。そう、直感した。
 
 どうしてアーチャーが突然俺を殺そうとしているのか。その理由が分からない。けど、その事実だけは正しいと確信した。
 
「……アーチャー」 
 
 アーチャーからは恐ろしいほどの殺気を感じる。
 それだけで、俺は蛇に睨まれた蛙のように身体が凍りついた。逃げることすらままならない。それでも半歩、意識を総動員して前進する。
 たかが半歩の前進。しかし、意識でアイツに負けていないと示す前進だった。
 
 奴は殺気を隠そうともせず一歩を踏み出して――――そこで何かに驚いたように立ち止まる。
 
「――そういえば、貴様がいたのだったな」
 
 眼前に現れたのは、紅蓮の少女。
 いつの間にか、アサシンが俺を守るようにアーチャーの前に立ち塞がっていた。
 
「何をする気ですか、アーチャー? 貴方のマスターと私のマスターは、共闘するという話しに落ち着いたはずですが」
 
 アーチャーはアサシンの質問には答えず、一度だけ俺を見据えてから、そのまま背中を向けて歩き出した。
 向かう先は昇降口。このまま場を去ろうというつもりか、赤い背中が遠ざかっていく。
 けれど、何を思ったのか、アイツは途中で歩みを止めて
 
「――衛宮士郎。理想とはあくまで理想に過ぎない。お前が理想を抱き続ける限り現実との摩擦は増え続ける。お前が取ろうとしている道が現実という壁にぶち当たった時、おまえのその選択が多くの命を奪うこともあるだろうよ」
「な、何を……言ってる?」
  
 語って聞かせるような口調だった。
 さっきまで感じていた激しい殺気を、アイツはもう纏っていない。
 
「誰が何をしようと救われぬ者というのは確固として存在する。個人の力など大きな波の前にはあまりにも無力だ。――覚悟くらいはしておけ。お前が目指す理想とはそういうものだ」
 
 一方的に言葉を告げてから、アーチャーは階下へとその姿を消していく。
 アイツの姿が視界から消えても、俺はしばらくの間呆然と屋上に佇み続けた。 
 
 
 
  
 昼休み、俺は結界の基点や学園に潜むマスターについて調べていた。
 以前とは違って、霊体となったアサシンが護衛に付いてくれてるから多少の無茶も出来る。
 しかし手がかりは何も見つからない。
 元々、何が手がかりになるのかも分からないし、何処を調べたらいいのかも分からない。まるで砂浜に落ちた針を見つけるような手探りな作業だ。
 
「ふう。クラブ棟は以上なし……と」
 
 怪しい個所はアサシンに調べてもらったり、魔力の残滓がないかと丹念に調べているから結構疲れる。
 さて、次は何処を調べるか……。
 次のターゲットを決めようとした時、一人の人物に声をかけられた。
 
「よう、衛宮じゃないか」
「……慎二か」
 
 部室棟の影から間桐 慎二が姿を現した。
 以前にも同じような時に出会った気がするが、何か因縁でもあるのか?
 
「衛宮、心配したぜ。なにせお前、二日も学校を休むからさぁ」
「いや……悪いな、慎二。今急いでるから、話しならまた今度にしてくれ」
 
 邪険にする訳じゃないが、今は本当に時間がない。遠坂が指摘した結界が発動するまで余裕がないのだ。
 そう思って話しを打ち切ろうとしたものの、次の慎二の台詞を聞いて打ち切ることが出来なくなった。
 
「本当に心配したんだぜ? 衛宮が他のマスターに殺されたんじゃないかってさ」
「――――何を言ってるんだ、慎二……?」
「この前言っただろ、僕は力を手に入れたって。そうさ、僕は衛宮と同じマスターになったんだよ」
 
 慎二がマスターだって……?
 何の冗談なんだ、これは。
 
「慎二。マスターってお前が――?」
「そうだって言っただろ。でも勘違いしないでくれよ。僕は聖杯戦争の勝利なんかに興味はないんだ。お前もそうじゃないのかい、衛宮?」
「……何が言いたいんだ、慎二?」
 
 辺りを警戒する。
 慎二がマスターなら、サーヴァントが近くにいるはずだ。
 
「簡単な話さ。――二人で協力しようじゃないか衛宮。僕に戦う意思がなくても敵は襲ってくるんだろ? なら一人よりも二人の方がいいに決まってる。衛宮もそう思わない?」
 
 協力だって……? 
 もちろん争わないならそれに越したことはない。だけど慎二が本当にマスターなのか判断がつかない。
 
 ――迂闊な発言は避けた方がいいか?
 
 だが俺の沈黙を逡巡と受け取ったのか、慎二が朗らかに笑いながら近づいてきた。
 
「ああ、そうか。迷ってる? いや、疑ってるのかな。そうだね、口だけでまだ証拠を見せていなかったもんな。ならこれでどうだい。来い――ライダー!」
 
 慎二の叫び声に合わせるようにして、忽然と虚空から一人の女性が現れた。
 
 長い、長い紫の髪。まるで闇が結晶化したような暗い雰囲気を纏っている。
 その女性の目元は何かアイマスクのような物で覆われていた。
 俺より身長が高い。一見すればスラリとした長身の美人だと言える。雑誌のモデルだと紹介されれば一言で納得してしまうような、そんな完成された大人の女性を思わせた。
 
 それでも、見た瞬間に理解した。彼女がサーヴァントであると。人成らざる者だと。
 
 そのライダーがマスク越しに俺を注視していた。眼前で彼女に視線を浴びせられるだけで、背筋に凍るような寒気が走る。
 
「僕のサーヴァント・ライダーだ。どうだい衛宮。これで信じただろ?」
 
 信じるも何も、これ以上ないマスターとしての証だった。
 
「……慎二。お前、魔術師だったのか?」
 
 聖杯戦争のマスターは魔術師がなる者だってさんざん聞かされた。
 ならば慎二は魔術師ということになる。
 
「間桐の家はね、古くからの魔術師の家系なのさ」 
「間桐家が魔術師の家系……? じ、じゃあ桜も……魔術師なのか?」
 
 慎二と桜は兄妹だ。慎二が魔術師ならば当然桜も魔術師ということに……。
 だけど慎二の答えは俺の予想とは違っていた。
 
「あ~あ、衛宮。お前本当に何も知らないんだな。魔術ってのはね、代々一子にしか伝えられないものなのんだよ。それは昔から長男だって決まってる。そう、間桐でいえば僕だ! 桜は何も知らずに普通に生活してるよ」 
 
 その言葉を聞いて少し安心した。
 桜は魔術とは無縁の光のある平穏な世界にいて欲しい。こんな馬鹿げた聖杯戦争なんかに絶対巻き込んじゃいけない娘だ。
 
「さあ、衛宮。答えを聞かせてもらおうか」
 
 答え――その前に慎二に確認することがあった。
 
「……答えるその前に、一つ訊きたいことがある」
「一々細かいな。ま、いいさ。何だい?」
「お前はこの学園に、大規模な魔術結界が張ってある事は知ってるか――?」
 
 結界について知っているのなら、あるいは慎二が……。
 
「――――へえ、衛宮はコレの存在に気づいたのか」
 
 ――知っていた!
 
「し、慎二っ! この結界がどういうものか知っているのか? これは――」
「当然知ってるさ。僕が張った結界だからね」
「――――なっ!」
 
 遠坂が言うには、この結界が発動すれば学園は一瞬にして地獄に変わる。それほど危険な代物らしい。
 そんなものを慎二が仕掛けているだって? ここには桜だっているのに。
 
 怒りで一瞬思考が麻痺しかけたけど何とか踏みとどまった。
 いきなり掴みかかる訳にもいかない。
 
「まあ、慌てるなよ衛宮。これは僕なりの防御策さ。ここには遠坂っていう生粋のマスターがいるんだからね」
「……お前、遠坂がマスターだって知ってたのか?」
「“遠坂”が魔術師だってのは知ってたさ。いいか、アイツは危険な存在なんだ。“遠坂”は他のマスターを許さない。どうだ衛宮、協力してアイツを叩かないか? 何でか知らないけどアイツは君にだけは気を許している。ここはお互い協力して――」
「お断りだッ!」
 
 遠坂を倒すなんて話しに乗る訳にはいかない。
 あいつは、慎二の言うような危険なマスターなんかじゃないんだ。
 
「遠坂はお前が考えてるような奴じゃない。遠坂を倒すなんて協力は出来ない!」 
「…………アイツに気を許しすぎるのもどうかと思うけどね。僕はね遠坂にも声をかけたんだ。なのにアイツは僕を袖にしやがった! 許せるか、衛宮!?」
「そんなことよりこの結界を解除しろっ! これがどんなに危険なものかはお前が良く知ってるんだろ!」
「なに? 僕に命令するワケ? 随分偉くなったもんだね、お前。お願いする立場ならさあ、もっと下手に出るのが筋じゃないの?」
「もう一度言うぞ、慎二。今すぐこの結界を解除するんだっ!」
「――衛宮っ……お前」
 
 俺と慎二の話しは完全に平行線だった。
 慎二は恨みすら篭もっているような視線で俺を射抜き、それからライダーに視線を移して小さく嘆息した。
 
「――――いいぜ。そんなに言うんなら決着をつけようじゃないか」
「決着――だって?」
 
 慎二の隣にいるライダーを見る。彼女は現れた時と同じで、じっとマスク越しに俺を見据えていた。
 
 正直、ここで戦うのはまずい。慎二が仕掛けてきたなら、何とか裏の雑木林あたりまで引き込みたいところだが……。
 けれど、俺の心配とは別方向に話が進んでいく。

「ハハハ。まあ、警戒するなよ。別に今すぐここで仕掛けたりしないさ。遠坂に来られたら厄介だからね。だから今夜だ。今夜、改めてここで決着をつけよう」
「一体なにがしたいんだ、お前はっ!」
「僕の力が上か、衛宮の力が上か、はっきりとさせようじゃないか。おっと、遠坂に助けを請うのはナシだぜ? それと、もし来なかったら結界を発動させる」
「馬鹿な! まだ結界が完成するまで時間がかかるはずだ!」
「確かに万全の状態での発動は無理さ。けど、発動するだけなら何時でも可能なんだ。衛宮――僕の行っている意味、分かるよな?」
 
 慎二は面白そうに笑って、それからくるりと踵を返した。
 
「いくぞ、ライダー」
 
 ライダーは俺を見据えたまま微動だにしなかったが、慎二が俺の視界から消えたところでその姿を消していった。
 
 ここではっきりしたことは一つ。
 慎二はマスターで、広範囲に被害の及ぶ危険な結界を張っているということだ。
 ならば俺は慎二と戦わなければいけない。
 あいつが結界を止めないというのなら、力ずくでもやめさせる。
 それが、今の俺に出来る最大限のことだと思っていた。
  



[1075] その時、聖杯に願うこと 9
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/19 22:40
 その時、聖杯に願うこと 9
 
 夜の深山はしんと静まり返っていた。
 空には厚い雲がかかり、月明かりは遮られていて地上まで届いていない。
 それでも、街灯の明かりがあるので歩く分には問題なかった。
 
「マスター」
 
 穂群原学園まであと少しといったところで、アサシンがその姿を現した。
 彼女は私服姿ではなく、いつか見た真紅の鎧姿になっている。
 流れる風を受けて、彼女の赤髪が少し揺れた。
 
「どうしたんだ、アサシン」
「貴方に訊いておきたいことがあります」
 
 アサシンは改まったように俺の前に立って、真剣な表情を向けてきた。
 
「アーチャーの言葉ではありませんが、貴方はどうして他人の為に身体を張ろうとするのですか? 今だって、罠だとわかっているのに敵の懐に入ろうとしています。私は貴方の行動を阻害するつもりはありませんが、その理由が知りたい」
「俺が戦う為の理由――か」
 
 理由は色々とある。
 誰かの泣き顔を見るのは嫌だ。困っている人は助けたい。理不尽な圧力には抗したいんだ。
 けど、その根幹にある原因ははっきりしている。
 
 ――十年前に冬木で起こった大火災。
 
 視界は炎で真っ赤に染まって、赤い壁が至るところに出現していた。
 泣き叫ぶ声。助けを求める声。焼け焦げた残骸。
 息をすれば肺が焼けて、涙なんて流れ出るそばから蒸発していた。
 
 何処をどう走ったのかなんて覚えていない。それでも力の続く限り走り続けた。
 肌には重度の火傷を負って、いつしか、手足すら動かなくなって――――最後に見えたのは、泣き出しそうな灰色の空だった。
 
 
 ――たった一人、俺だけが生き残った。
 
 
 あの大火災が前回の聖杯戦争によって引き起こされたというのなら、唯一の生き残りである俺は戦わなければならない。

「では、マスターが自身を犠牲にしてまで守ろうとするのは、貴方自身が聖杯戦争の犠牲者だから。自分と同じ存在を作りたくないという想いからですか?」
 
 ただ一人、俺だけが助かった。
 誰もが救いを求めた地獄の中で、他の全員の願いを犠牲にして、俺だけが唯一願いを叶えられたのだ。
 もちろん助かったことは嬉しい。それは言葉にすることなど出来ない程の感情だ。でも、それと同じくらい残してきた人達に対して、後ろめたい気持ちになったんだ。
 
 けれど、起きてしまった出来事は元には戻せない。
 なら、今、生きている俺が出来ることは――誰にも恥じないように胸を張ること。
 
「――あの火災のような惨事は起こさせない。あの炎の中で感じた恐怖を、誰の上にも降りかからせたくない」
 
 だから俺は戦う。
 ますは、目前にある慎二の暴挙を食い止めてやる。
 
 そこまで話した時、アサシンの雰囲気が少し寂しげなものに変わっていることに気づいた。
 
「……炎の恐怖――ですか」
「ん? どうしたんだ、アサシン?」
 
 アサシンは俺から視線を外すと、すっと灰色の空を見上げる。
 彼女はしばらくそのまま固まるように空を見上げていて、眉根をきゅっと寄せていた。
 冬の冷たい風が、ふわりと赤い髪を舞い上げて彼女の目元を隠す。
 
 ――真紅の少女は何を思っているのか。
 
 寂しげな横顔。
 しかし風が流れ去った後には、寂しげな雰囲気を一掃させて微笑む少女の姿がそこにあった。
 
「マスター。私が貴方の元を訪れたのは正解だったようですね」
「――なんでさ?」
「私の最後も炎の中でした。その恐怖は身を以って知っています。行きましょうマスター。貴方の敵を討ちに」
「――え?」 
 
 アサシンは軽快な足取りで学園へと続く坂を登っていく。
 俺はそれに遅れないように後を追いかけた。
 
 揺れる赤い髪。彼女の背中を見つめながら思った。
 俺もいつか、あの時のことを笑って話せるようになるのだろうか――と。
 
 
 
 夜の学園は不気味なほど静まり返り、濃い闇の気配が漂っていた。相変わらず空には雲が厚くかかっていて、月明かりを遮断している。
 
 塀を乗り越えて学園内へ。まず俺達はグラウンドに出た。
 そこを中心にして、手がかり――魔力なり何なりを探ろうと思ったからだ。
 すんなり慎二が姿を現すとは思えない。ならば、こちらから探し出してやるだけだ。
 
『――“同調、開始”……』
 
 家から持ってきた木刀を強化する。
 俺の力などライダーには通じないだろうが、相手が慎二ならこれでも十分武器になる。
 
「気をつけてください、マスター。何処から敵の奇襲があるかわかりません。最初に狙われるのはマスターだと思います」
「……分かった。十分に気をつける」
 
 グラウンドに出たのには奇襲を防ぐ意味もあった。
 こう見渡しがよければ不意打ちは難しいだろう。
 
「本来、奇襲などは私の仕事なのですが……」
 
 アサシンが、ばつが悪そうに苦笑していた。
 
「そういえば“暗殺者”のクラスだったな。でも全然そうは見えない。どっちかっていうと“剣士”だ」
 
 アサシンは既に抜刀している。
 自身の身長を超える二メートルの長剣。幅は普通の剣と変わらないので、異様に長く感じる。
 彼女はその剣を両手に持って、辺りに意識を飛ばしていた。
 
「私が剣士として呼ばれることなどありえませんから、暗殺者が似合いなのでしょうね」
 
 視線をあわせず彼女が答える。
 アサシンは許される最大範囲まで自身の意識を飛ばして、僅かな魔力の流れを探っていた。
 ここで俺に出来ることはない。
 今は彼女の感知に頼るだけだ。
 
 アサシンが瞑目している。辺りはしんと静まっていて、ただ風の音だけが耳に届いていた。
 時間にしたら五分ほど経ったろうか。
 アサシンは目を見開くと、ある方向をすっと指差した。
 
「あちらの方向に魔力の乱れがありました。ここには結界が張ってありますので魔力の乱れが起き難い。何かあるのは確実でしょう」
 
 アサシンの指した方向に視線を向ける。
 俺はそこに何があったのか、脳裏に思い浮かべて見た。
 
「あっちには……体育館があるな」
「どうします、マスター?」
 
 アサシンの問い、これは罠があるだろうが突き進むのか、という問いだった。
 そんなのは決まっている。
 
「行こう、アサシン。慎二の誘いに乗ってやろうじゃないか」
「了解しました、マスター」
 
 ここまで来て臆するなんて出来ない。
 何が待ち受けているのかは判らない。それでも突き進むだけだ。
 
 
 
 体育館の入り口は閉じられていた。
 重そうな金属製の扉が、俺達の進入を拒むように蓋をしている。裏口もあるにはあるが、襲われた場合、広い場所の方が対処しやすいとの考えて正面から突入することにした。
 
 アサシンが扉に手を掛ける。俺はそれを少し離れた場所で見ていた。
 気配遮断のスキルを持つのは“暗殺者”である彼女だけだ。
 それでも油断する訳にはいかない。何処に敵が、あのライダーが潜んでいるのか分からないのだ。
 
 ――ギイ、と音を立てて鉄の扉が開く。
 
 俺は辺りの気配を伺いながら館内の中に目を向けてみた。
 開いた扉から見える範囲には誰の姿もない。それでも、空間の大半は暗闇に覆われているから奥まで判別できない状態だ。
 
「私が先に入ります。マスターは私が声をかけるまで、決して中には入らないように」
 
 アサシンが慎重に闇の内側に身を置いた。
 真紅の後ろ姿が見える範囲から姿を消していく。
 
 そして、彼女の姿が完全に闇の中に消えた――――まさにその時、甲高い金属音がここまで響いてきた。
 同時に闇の中に走る閃光。
 閃光は、剣を構え敵の攻撃を受け止めているアサシンと、それを刺し殺そうとしているライダーの姿を浮かび上がらせていた。
 
「アサシンッ――!」
 
 彼女を追って駆け出そうとした瞬間、突然闇の中から何かが突き出てきた。
 
「ぐっっ――!」
 
 咄嗟に身を捻ったものの、それは二の腕を掠めて後方へ突き進む。
 
 突き出てきたモノ、それは鎖だった。その尖った先端が、俺を刺し貫くべく疾走してきたのだ。
 鎖は後方にあった自販機を串刺して破壊すると、そのまま勢いよく闇の中に舞い戻っていく。
 その光景を見ながら、俺は腕の出血を確認した。
 傷自体はそれほど深手でもないようで、出血もあまりない。
 俺は軽く腕を振って、動かすのに支障はないかを確かめてから、改めて闇に瞳を凝らした。
 
 闇の中からは、幾つもの閃光と激しい剣戟の音が響いていた。
 あの光は、アサシンの剣とライダーの武器がぶつかり合う衝撃で煌いている。ぶつかり合う度に、両者の姿が闇の中に浮かび上がって見えた。
 
 真紅の鎧に燃えるような赤い髪。アサシンは暗闇にある炎の化身に見える。
 対するライダーは、闇に溶けるような漆黒の身なりに鮮やかな紫の髪が映える稲妻に見えた。
 
 手にある木刀をきつく握り締める。
 
 ――中に入るか?
 
 しかし、俺が中に入ったところで何も出来はしない。
 辺りに視線を這わす。
 ライダーがいるのなら、絶対近くに慎二がいるはずだ。しかし、ここからでは何も掴めない。
 
「……待てよ」 
 
 一つの考えが閃いた。
 中でアサシンとライダーが戦っているのなら、外は安全ということになる。なら俺は、周囲を捜索するのが一番じゃないか。
 そう思って、体育館の周囲を調べるべく駆け出した。
 
 
 
「私が先に入ります。マスターは私が声をかけるまで、決して中には入らないように」
 
 アサシンが闇の中に目を凝らす。
 真なる闇ではない。外からは僅かに光源が中に入り込んでいるし、館内には窓もある。
 それでも、数メートル先は視認できない程の深遠だった。
 
 その中を真紅の少女が進む。闇の中に在って異彩を放つ赤色。その彼女が突然後方へと剣を振り払った。
 彼女の優れた直感が、自身へと迫る殺気を捉えたのだ。
 
 ――闇に光が瞬く。
 
 閃光の中で、アサシンは闇に浮かび上がる紫の女を捉えていた。
 
「ライダーか――!」
 
 アサシンがライダーに向けて疾走する。
 その手にはニメートルの長剣。それが闇を切り裂くように振るわれた。
 瞬間、響く甲高い剣戟の音。
 ライダーはアサシンの一撃を短剣で受け流しながら、短剣の柄にある鎖を外の光に向かって投げ放った。
 それは、まっすぐに出口――衛宮士郎に向かって突き進んでいる。 
 
「ちぃ――っ!!」
 
 真紅の少女が俊足でもってライダーの懐まで踏む込み、上段から剣を一線させた。
 唸りを上げて迫る剣。
 烈風の如きアサシンの一撃だったが、ライダーは見切ったように後方へと身体をずらしその攻撃を避けた。
 それでも少女の目的は達成される。
 ライダーが動いた分、ライダーが放った鎖の軌道がずれて、彼女のマスターの命を救ったのだ。
 サーヴァントとマスターは令呪で繋がっている。お互いの生死は確かめるまでもなく感知出来る。
 
「はああぁぁ――っ!!」
 
 アサシンが地を蹴った。
 爆発するような瞬発力は、弾丸もかくやという突進力でライダーに迫る。
 そして振るう剣は剛の一撃。溢れる魔力を刀身に纏わせ立ち塞がる敵を撃ち砕く。
 しかし、闇を走った剛剣はライダーの短剣によって受け流された。
 閃光、そして剣戟の音。
 
「貴女では、この闇の中を視ることは出来ないでしょう――?」
 
 ライダーの妖艶な声が暗闇に木霊する。
 騎兵はそのまま身体を深遠へと滑らせ、闇に溶けるかのようにその存在を抹消してゆく。
 
 体育館の中を暗闇と沈黙が満たす。その中で、アサシンは身の中心に冷たい殺気が通り抜けていくのを感じていた。
 アサシンである彼女はかなり夜目が利く。それでもこの闇の全てを見通すことは出来ない。
 
 だが、ライダーには視える。
 全ての深遠を把握し、赤髪の少女を自在に捉えることが出来るのだ。
 刹那、白刃が闇を切る。
 微塵の狂いもなくアサシンの首に向かって突き進むそれは、彼女の首の皮を切り裂き、赤い血を闇に舞わせた。
 
「つっ――!!」
 
 必死にライダーの斬撃を避けながらも、何とか反撃を試みるアサシン。だが、彼女の長剣が闇を切る頃には、ライダーは既に深遠の中へと身を躍らせていた。
 
「――――視えないというのはどういう感じですか、アサシン?」
 
 アサシン間合い、彼女の視認出来る距離の外から瞬時にしてライダーが駆けて来る。
 短剣の一撃は全て急所へ。
 その一撃が相手を貫こうと、弾かれようと、避けられようとも、ライダーは一足でもってアサシンの間合いの外に脱する。
 完全なヒットアンドアウェイ。
 ライダーは闇の中を乱れ飛ぶ雷となり、舞うようにアサシンの命を削っていく。
 
「ぐっ――! ライダーっ!!」
 
 紫電という言葉がある。
 正にライダーこそが紫電だろう。紫の髪を靡かせ闇を切り裂く火花。
 アサシンとてかなりの敏捷性を持ってはいたが、ライダーには遠く及ばない。
 
 闇の体育館の中を、紫電が死神の鎌を持って荒れ狂う。
 
 一撃は眉間へ。一撃は首へ。一撃は腹部へ。一撃は背中へ。その軌跡に火花を散らして紫電が赤き少女へと疾走するのだ。
 さりとて、相手もサーヴァント。
 
 深遠なる闇の中、傷を負い、髪を振り乱しながらも、ライダーの斬撃を剣で受け、払い、避ける。そして自身に敵が近づいた一瞬の間でもって、必殺の一撃で反撃するのだ。
 
 殺傷能力は圧倒的にアサシンの持つ長剣が上。それはライダーも知っている。
 故に、ライダーは深追いをしない。
 自身に有利な状況が続く限り、相手を追いつめ、その命を散らせるまで闇の中を駆けるのだ。
 
「中々に粘りますね。ですが、この闇の中で貴女に勝機はありませんよ、アサシン?」
「――――そんな台詞は、私の命を取ってから言うのですね、ライダー――ッ!」
  
 暗闇に瞬く幾つもの閃光。
 それらは全て、アサシンとライダーによる剣戟の瞬間だ。
 互いの武器がぶつかり合う瞬間のみ、両者は視線をあわせる。
 ライダーは妖艶な笑みを浮かべながら、アサシンは刹那の瞬間を逃さぬ決意を秘めて。
 
 
 一際輝く閃光が、館内を染め上げた。
 手にある長剣を振るいながら、アサシンは考える。
 
 ――ライダーの武器は宝具ではない。それ自体が禍々しい魔力を放ってはいるものの、殺傷能力は短剣のそれだ。
 ――この身を守る鎧は神秘で編まれたもの。
 ――深手を負うかもしれない。それでも急所を避けてさえいれば、剣を振るうことは出来る。
 
 歯を食い縛り、剣の柄を強く握り込む。
 
 ――この暗闇の中ではライダーに勝つことは出来ない。
 ――ならば、相手の刃が身体を貫こうとも、この剣で相手の首を凪ぐ。
 
 強く闇を見据える。
 その瞬間を誤れば、こちらの命が散る。
 
 
 紫電が闇を走る。
 ライダーの狙いはアサシンの喉。
 突き刺されば命はない。それでも、真紅の少女はギリギリまで引き付ける。
 自身の許す最大限の見切りを持って、まさに短剣が突き刺さる寸前に身体をずらした。
 
「ぐうあぁっ――――!」
 
 激痛がアサシンの左肩を襲う。
 それでも、一瞬の間、ライダーの動きが止まる。ここにきて、初めて紫電の疾走が止まったのだ。
 痛みに叫び声を上げながらも、アサシンは剣に魔力を乗せてライダー目掛けて斬撃する。
 それは、全てを砕くような破壊の一撃だ。
 
「――チッ! 味な真似を――――!!」
 
 魔力の燐光を刀身に纏って、鋭い剣線がライダーに迫る。
 その攻防こそが刹那の時。
 
『なにっ――!?』
 
 両者の驚きの声が館内に響き渡る。
 
 ライダーはアサシンを貫いた短剣から手を離して、最大速度で後方へ飛んだ。
 まさか自らの武器を手放すとは思わなかった赤髪の少女。
 彼女が放った破壊の一撃は、ライダーを捉えることなく後方へ行き過ぎる。その一撃は、その場にあった体育館の壁を轟音と共に粉砕した。
 いつの間にかアサシンは、壁際に追い込まれていたのだ。
 
 アサシンの驚愕は決死の一撃を避けられた故。
 そしてライダーの驚愕は、壁が壊されたことによる暗闇の消滅だった。
 
 
 
 壊された壁から月明かりが館内に射し込む。
 いつの間にか雲は流れていたようだ。
 その中で、アサシンとライダーが互いを牽制しながら睨み合う。
 
 ライダーが鎖を手繰り寄せて、手放した短剣を引き寄せる。
 それを視界に収めながらアサシンは体感で傷の確認をしていた。
 
 思ったより傷は深くない。
 真紅の鎧は貫かれてはいたが、そのおかげで威力がかなり減じられていたようだ。
 戦闘にも支障はない。
 
「やりますね、アサシン。この場所で決着を付けておきたかったのですが……」
「――――決着なら、すぐにでも付けよう」
  
 アサシンが剣を構えて、ライダーを強く見据える。
 対してライダーは、微笑を浮かべながら
 
「そうですね。決着は付けましょう。ですが――――」
 
 ライダーが地を蹴った。
 走る火花は壁から外へと身を躍らせる。
 
「――逃げるのかっ、ライダーッッ!」
「追ってきなさい、アサシン。私達に相応しい舞台で決着としましょう」
 
 ライダーが駆ける。
 それを追って、真紅の少女も体育館を後にした。
 
 
 
 慎二を探して体育館の周りを駆けていた時、凄まじい轟音が耳に届いた。
 それは、遥か前方の壁を打ち砕いた破壊の音。
 
「――一体、何が……」
 
 体育館の壁は大きく砕け、いつの間にか出ていた月明かりが射し込んでいる。
 あの中ではアサシンとライダーが戦っているはずだ。
 とすると、今のは戦闘の余波か?
 
 状況を確認しようと駆け出した。だが、突然に破壊された穴から黒い影が飛び出してくる。
 
「……今のは……ライダー?」
 
 続けて真紅の少女が飛び出してきた。
 
「アサシン――ッ!?」
 
 俺の声は届かないのか、二人はグラウンドへと向かって疾走して行く。
 
「何だってんだ……」
 
 慌てて追いかけるが、駆ける速度が違う。
 それでも息を切らせて、力の許す限りで駆けた。
 必死の思いで建物の角を抜け、やっとグラウンドに到着した時、一陣の突風が俺を襲った。
 
「――――――なっ……?」 
 
 風がグラウンドに渦巻いていた。
 地面は至るところで陥没し、削られ、焼けている。砂塵は空高く舞い上がって、視界を僅かに遮っていた。
 
 それでも――――俺は見た。
 
 視線は空へ。
 大きく翼のはばたく音がする。
 視界に入った色は純白。
 真っ白なその体躯は、夜の闇に在って月明かりよりも輝いていた。
 
「――――――」
 
 声が出なかった。
 それは、神話の中でしか聞いたことない、伝説上の神秘の姿――
 完成されたサラブレッドのようなしなやかな肢体に、綺麗な、本当に綺麗な純白の羽根が自然にそこにあった。
 そして、それに跨って天空から見降ろしているのは、紫の髪を靡かせているライダーの姿。
 
「……天馬」 
 
 ぽつりと、やっとの思いで一言だけを口にした。
 
 
『――幻想種――』
 
 
 文字通り幻想の中にだけ生存するモノ。
 それは妖精であったり、巨人であったり、あるいは竜であったり。その在り方そのものが神秘である彼等は、その存在だけで魔術を遥かに凌駕する。
 神秘はより強い神秘にうち消されるのが理だ。如何に人の身で魔術を極めようと、遥かな太古より存在する彼等にとって、それは争うにも値しない。
 だが強力な幻想種、長く生きた幻想種であればあるほど、この世界から遠ざかっている。
 現在世界に留まっている幻想種は百年単位のモノでしかない。
 
 しかし、今目の前にいる天馬から感じる力は――――
 
「ぐあぁっ――!」
 
 アサシンの叫び声が響き渡る。
 赤い髪の少女は、グラウンドのほぼ中央で倒れこんでいた。
 しかし直ぐさま立ち上がると、絶望ともいえる相手に向かって剣を構え、強く空を見据えていた。
 
 
 
 
「まさか――こんな――こと……」
 
 痛む体に鞭打って、赤き少女が上空を見据える。
 天空に在るはライダーが騎乗した白き天馬。
 ライダーはその名が示す通り騎乗する者。この天馬はライダーが召喚したモノであり、同時に彼女の手足であり武器だった。
 
 天馬は白き光となって天空より舞い降りる。
 遥かな高みより滑空し、アサシン目がけてその身を躍らせた。
 
「うわぁぁぁ――ッ!」
 
 白光が飛び退った後、アサシンが木の葉のように吹き飛んだ。
 光の直撃を受けた訳ではない。
 天馬が迫った時、アサシンは衝突を避けるべく跳躍した。しかし、白光が巻き起こすその余波だけで、まるでボロキレのように吹き飛ばされたのだ。
 
 唇を切ったのか、アサシンの口端から血が流れている。それでも、のんびり寝転がっている暇などない。
 彼女は直ぐさま立ち上がるが――――再び白光によって吹き飛ばされていた。
 天馬は地面に激突することなく上空へ舞い戻り、優雅に空中を旋回する。
 
 ライダーの操る天馬の一撃は、剣で受け止めることなど不可能。回避してもその余波で吹き飛ばされる。追撃しようにも天馬のスピードは速く、その身は天空にあるのだ。
 対抗する手段は皆無。アレに狙われて生き残る術はない。
 それでもアサシンは、両手で剣を構えて、天空の覇者たるライダーを見据える。
 
「まさか神代の……幻想種……だとは」
 
 もしアレが百年単位の幻想種ならば、アサシンはこれほど苦戦していないだろう。
 その身はサーヴァント。英霊なのだ。
 如何に幻想種であろうと、打倒する術はある。
 
 しかし、ライダーの操る天馬は長い年月を経て、その存在は既に幻獣の域に達していた。幻想種の中でも頂点である竜種に、あの天馬は近づきつつある。
 
「諦めなさい、アサシン。貴女では、私の仔に触れる事さえ出来ないのだから」
 
 天馬が白き光となって滑空する。 
 月夜のグラウンドに、幾たびも繰り返される光景。
 アサシンは白光に吹き飛ばされ、グラウンドを転がるようにして地面を滑り、激しく砂塵を巻き上げていた。
 
「――ぐ……!」
 
 それでも歯を食い縛って立ち上がる。
 あの相手に立ち止まるなど許されないのだ。
 再び剣を構えて、天馬を、ライダーを見据える真紅の少女。
 
「ならば――」
 
 風が、竜巻のようにアサシンを包み込んむ。
 
「――――ッ!?」
 
 アサシンはその全身に魔力を巡らせ、グラウンドに小さな台風を出現させていた。
 赤い魔力の光が立ち昇り、アサシンを中心に激しく風が乱舞する。
 
「ライダァー――ッ!!」
 
 瞬間、アサシンが爆ぜた。
 魔力を爆発させ、自身を赤き閃光とかし夜の闇を染め上げるように疾駆する。
 天馬に隙がないなら作り出す。
 ライダーが攻め寄せた時こそ、千載一遇のチャンスになるはずだ。
 
 赤い閃光が砂塵を上げて疾走する。
 アサシンはグラウンドを駆けながら視界に天馬を捉えた。如何に相手が強力な幻想種だろうと、操っているライダーさえ倒せばいいのだ。
 アサシンは手にある長剣に魔力を流し、絶対の一撃に備える。
 
「――――無駄なことを……」
 
 そんな光景を目にしても、ライダーは微塵も動揺することはない。
 彼女は天馬の首筋をやさしく一撫ですると、眼下を走る赤き閃光を見やった。
 
「――――ハァッ!!」
 
 ライダーの声にあわせて迸る閃光。
 彼女は煌く白光となった天馬を操り、真紅に彩られた魔力の奔流へとその身を躍らせる。
 
「でやああぁぁぁぁ――――ッッ!!」
 
 対するは魔力を臨界まで焦がし、その手にある剣に全てを懸ける少女。
 白き光と紅の光がグラウンドで激しくぶつかり合った。
 
 混ざり合った光は瞬く閃光となり、夜のグラウンドを照らし出す。
 アサシンは天馬の一撃を見切り、ギリギリの間合いから絶対の一撃を放ち――――
 
「うあああぁぁっっ!!」
 
 響いた悲鳴はアサシンのもの。彼女は激しく吹き飛ばされ、無様に地面に倒れ伏している。
 対してライダーの操る天馬は、何事もなかったかのように天空へと舞い戻り上空を旋回していた。
 
 確かにアサシンの一撃はライダーを捉えた。それでも、何か見えない壁のようなモノに阻まれ剣はライダーまで届かなかったのだ。
 残ったのは天馬の発した凄まじい魔力の壁だけ。
 アサシンの全身を紅の魔力が覆っていなければ、今ごろ彼女は手足の一本くらいは失っていただろう。
 
「意外に頑張りますね。ですが、それに意味はありますか? 貴女に勝ち目などない。散るしかないのなら――――潔く散りなさい」
 
 天から降る声は断罪する者の声。
 そこに抗う道など地上に在る者にありはしなかった。
 
 それでもアサシンは天を睨み剣を構える。
 自身が敗れればマスターも殺される。サーヴァントとは戦う者。マスターを守り敵を破る者だ。
 彼女は本来ここに在るはずのない存在。その存在価値はサーヴァントの理でしか示せない。
 
 いつの間にか、彼女のマスターはグラウンドにその姿を現せていた。
 彼女の後方で何やら大声を放っている。
 
 ふとアサシンは、手の中の剣に視線を落とした。
 ニメートルにも及ぶ長剣。
 そこには、あらゆるものを滅する力が秘められている。
 
 ――私に、使いこなせるのか?
 
 天空に在るライダー。その力は彼女の力を大きく超えている。
 天馬を破る術はなく残るのは死への道一本だけ。
 
 柄を強く握り込む。
  
 ――私に、力が引き出せるのか?
 
 マスターを守り、敵を破る。
 サーヴァントの理を示すには、自身の存在を示すには、この剣に懸けるしかない。
 
「はああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
 
 決心は行動へと繋がる。
 アサシンの絶叫がグラウンドに木霊した。
 
「――私に力を――!!」 
 
 そして、その剣を黒きフレアが包み込んだ。
 
 
  
 アサシンが天馬にうち倒され吹き飛ぶ。そんな光景を何度見た事だろう。助けに行こうにも、凄まじい魔力の壁に阻まれて駆け寄ることさえ出来ない。
 そこへ、あざ笑うかのような高笑いが響き渡った。
 
「あははははははっ! あーはっはっ――!!」
 
 ――この声は。
 
「慎二っ!」
「見たか、衛宮。これが僕の力! 僕とお前の力の差だ! そうだよ。これが僕の力なんだッ!」
 
 慎二はグラウンドを挟んで対角線上にいた。
 距離はそれほど離れていないが、間にライダー達がいるので近寄れそうにない。
 
「だから言ったじゃないか。僕に従えってさあ! でも、もう遅い。お前もあのサーヴァントもここで終わりだよ!」
「慎二っ! お前は一体何がしたいんだっ!? 聖杯戦争を戦いたくないって言ったのは嘘だったのか!」
「本当だよっ! でもお前は断ったじゃないかっ! ほら、命が惜しかったら土下座くらいしたらどうだ? そうしたら、僕の気も変わるかもしれないぜ!」
「――――ふざけるなっ! お前がやめないのなら殺してでもやめさせてやるっ!」
  
 マスターである慎二をどうにかすればサーヴァントも消える。
 直線じゃ辿り付けないから、何とか廻りこんで……。
 
「言うじゃないか、衛宮。いいね! いいよ! 殺すって言うんなら僕も手加減はしない。なに、これでも知らない仲じゃないんだ。せめて苦しまないように、一瞬で死んじゃえよ――――!」
  
 慎二の視線がライダーへと向けられた。
 
 ――くそっ! まだ、距離が――!
 
「ライダー! やれライダー!! 衛宮とサーヴァントを、跡形も残さず消してやれ――――ッ!!」
 
 マスターの命令がサーヴァントへ。
 その時、アサシンの放つ凄まじいまでの魔力がグラウンドに渦巻いているのに気が付いた。
 
 
 
「――――宝具!?」
 
 ライダーには解った。アサシンが行おうとしているのは、宝具による攻撃なのだと。
 地上では己が主が声高に叫んでいるが、彼女は聞いていなかった。
 彼女の天馬が如何に強力な加護を得ていようと、相手が宝具を使用するとなるとどうなるか判らない。
 
 宝具とはサーヴァントが持つ最強の幻想。
 その力は文字通り計り知れるものではない。相手が宝具を使用するのならば、自身もまた宝具で対抗しなければいけない。
 
「正直――――私の趣味ではありませんが……」
 
 ライダーの手に、今まで足りなかったものが形成されていく。
 それは、黄金に輝く綱。小さな、本当に小さな一本の手綱だった。
 
「この仔は優しすぎて戦いには向いていない。だから、こんな物でも使わないとその気になってくれないのよ」
 
 手綱が天馬の口に結わえられる。
 それを以って、天馬はライダーの意思通りに操られる究極の神秘となる。
 ここに、騎兵の英霊はその力の全てを完成させた。
 
 
  
 高く高く天馬が舞い上がっていく。
 それは、戦いの場にあってさえ神秘的に輝く光景だった。
 
 夜空に舞う白光。
 その光景を見上げながら、アサシンは全ての魔力を長剣へと流し込んでいた。
 黒いフレアは刀身を荒れ狂い、火花を散らせている。
 魔力はどんどんと臨界へと向かって加速していく。
 
「ぐ……ぐう――――ッッ!!」
 
 きつく奥歯を噛み締め、魔力の乱舞に耐える。
 その時、頂点へと達した天馬が弧を描きながら地上に向かって翼を返した。
 舞い降りてくるは白色に輝く彗星だ。
 ライダーは、地上にある全てを粉砕するべく、グラウンドの中心であるアサシンを目指して滑空していく。
 
 
『――――“騎英の手綱”――――“ベルレ・フォーン”――――!!!』
 
 
 真なる名前がライダーの声で紡がれる。
 宝具とは真名を以って放たれる奇跡。
 白光は更に輝きを増し、月明かりさえ遥かに越えて、全てを誅する神の雷となった。
 
 その神罰の雷を瞳に映しながら、アサシンは最後の魔力を剣に込める。
 輝いていた刀身は黒いフレアに覆われ、収束しきれない火花が少女の全身を迸っていた。
 真紅の少女は、燃える赤髪を振り乱しながら、上段に剣を構えて――
 
 
『――――“怒れる”――“グ・”』
 
 
 フレアが一点に収束する。
 火花を纏う二メートルの長剣が、神雷に向かって振り下ろされた。
 
 
『――――“栄光と破滅の剣”――“ラム”――――!!!』
 
 
 アサシンの声で紡がれる真名。
 
 その光は、あらゆるものを滅する太陽の光だ。
 突き進む極光は、触れるもの全てを切り裂いていく。
 
 
 そして――神なる雷と、太陽の光が、夜の学園でぶつかり合った。
 
 
 瞬間、凄まじいまでの閃光がグラウンドを覆い尽くす。
 まるで昼間のような明るさの下、両者の光は互いに譲らずにせめぎ合っている。
 
 互いが真名を以って開放した宝具が、敵を両断するべく唸りを上げて突き進む。
 
 ――ライダーは地上を焼き払うべく天空から――
 
 ――アサシンは全てを滅せよと月に向かって――
 
 光は互いに収束し、それに合わせて両者の距離も近づいて――
 
「うああああぁぁぁぁ――――っっ!!」
「はああああぁぁぁぁっ―――っっ!!」
 
 爆ぜる魔力が地面を焦がし、迸った火花が建物を壊す。
 閃光は更に明度を増していき――激しい爆発音とともに、二つの光が弾け飛んだ。
 
 それぞれの宝具に全ての魔力を注ぎ込んでいた両者は、受身すら取れず凄まじい速度で地面を転がってゆく。
 巻き上げられた砂塵が視界を塞ぐ。
 それでも必死に走った。
 
「アサシンッ――ッ!!」
 
 光に弾き飛ばされたアサシンに駆け寄る。
 彼女は地面に倒れ伏しながらも、必死に立ち上がろうと剣を地面に突き立てている。
 “騎英の手綱”のダメージだろうか、纏っていた鎧の半分は砕け散り、身体の至る個所で出血していた。
 意識が朦朧としているのか、視点が合っていない。
 それでも剣から手は離さずに、懸命に立ち上がろうとしている。
 
「なんてざまだよ、コイツ――!」
 
 慎二の叫び声。
 慌てて振り返って見れば、地面に四つん這いになり、震える身体を支えながら、必死に起き上がろうとしているライダーに向かって慎二が蹴りを入れていた。
 
「何してるんだっ!! やめろ、慎二!」
 
 敵だった。
 だけど弱っている女性に向かって蹴りを入れるなんて、そんな暴挙は見過ごせない。
 
「うるさいっ! ほら、立つんだよライダー! 立って衛宮とそのサーヴァントを殺すんだよっ!」
 
 慎二は更にライダーを蹴りつづける。
 ライダーはそれにも黙って耐え、起き上がるべく四肢に力を込めていた。
 
「マスター……離れて……」
 
 か細いアサシンの声。見るからに彼女のダメージは甚大だった。
 ライダーもかなりのダメージを負ってはいるようだが、アサシンに比べればまだマシな状態に見える。
 しかし、両者共に戦闘続行は不能だろう。
  
 ――どうするべきか?
 
 アサシンを連れて一度引くか、それとも――
 思考を巡らせていた時、アサシンとライダーが申し合わせたように校舎の方に視線を移した。
 俺も慎二も、釣られたようにその方向へ顔を向けて…………。
 
 
 俺はそこに、あってはならない者を見た。
 
「なぁんだ。もう終わりなの? つまらないわ――」
 
 月明かりを背にして俺達を見据えていたのは、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと、そのサーヴァントであるバーサーカーの姿だった。
                     



[1075] その時、聖杯に願うこと 10 
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/19 22:42
 
 その時、聖杯に願うこと 10 
 
「こんばんわ、お兄ちゃん。また会えて嬉しいわ」
 
 夜の穂群原学園、そのグラウンドにローレライのようなイリヤの声が響き渡った。
 いつかの夜と同じように、その背中に絶対なる死の象徴を引き連れて。
 
「く……マ、マスター…………」
 
 それを受けて、アサシンが俺を守るように立ち塞がった。
 身に纏った鎧は砕け、少女の小さな体躯は血に塗れて、両手で握っている剣は小さく震えている。
 そんな状態になっても、マスターを守るサーヴァントであり続ける為に彼女は立ち上がったのだ。 
 
「……な、なんだよアレ……。あんなのって…アリなのかよっ……!?」
 
 恐怖に竦む慎二の声。
 慎二は腰を抜かしたように地面に尻餅を付いたまま、蒼白な顔色を隠そうともせずバーサーカーを見ていた。
 そんな慎二の前にもサーヴァントが立つ。
 ライダーは己が主を守るため――慎二を庇う為に立ち上がり、バーサーカーを見据えていた。
 
 彼女も戦える状態じゃないだろうに。
 
「――あはは。健気なサーヴァント達ね。バーサーカーに敵うわけないのに、それでも自らのマスターを守ろうというの?」
 
 決死の覚悟で立ち上がったアサシンとライダー。
 しかしイリヤは、その光景を見て――笑った。
 
「フフ…。無駄なことはやめてバーサーカーに殺されなさい。大人しくしていれば楽に殺してあげるわ」
 
 イリヤの赤い瞳が順番に俺達を射抜いていく。そして最後に、自らのサーヴァントであるバーサーカーへと視線を移した。
 そのバーサーカーがイリヤの命を受け、巨体を一歩だけ前に動かす。
 それだけ、たったそれだけだ。
 バーサーカーが近づいてきたという事実だけで、今まで張り詰めていた緊張感が切れた。
 
 胸に募るのは圧倒的な――絶望感だけ。
 
 アレは、覆ることのない死刑宣告そのもの。その事実だけが、この場での絶対の真理として胸を突く。
 
「――――そうね。抵抗したければどうぞ。抵抗出来るんなら――ね」  
 
 イリヤの言う通り、俺達の抵抗など全くの無駄だろう。
 いつかの夜は、セイバーとアーチャーという二人の英雄を以ってしても、退けることすら出来なかった相手だ。
 バーサーカーの一撃は岩を砕き、触れる物全てが灰燼に帰す。
 荒れ狂う重戦車のような巨体は、強靭でありながら素早く、その身体を傷つけることすら困難。
 
 ――破壊神。そんな言葉が似合う死の象徴だ。
 
 視線を二人のサーヴァントへ移す。
 アサシン、ライダー共に傷つき、魔力は限界近くまで消耗している。
 俺と慎二は、バーサーカー相手に戦う術などないに等しい。
 こんな状態では、戦うことは勿論のこと逃げることすら不可能だろう。
 
 いや、例えアサシン、ライダー共に万全の状態だったとしてもあの巨人には敵わない。
 それ程に、あの巨人はサーヴァントの中でも飛び抜けた存在なのだ。
 
「――――シンジ、動けますか? 動けるようなら逃げてください」
「ラ、ライダー……?」
 
 アサシンよりは受けたダメージが軽いのだろう。
 ライダーはその手に鎖の付いた短剣を出現させて、バーサーカーに向けて構えを取っている。
 だけど、そんな抵抗など時間稼ぎにもならない。その事実はライダー自身が一番解っているはずなのに、それでも圧倒的な死の象徴を前にして、一歩も引かず相手を見据えている。
 そんなライダーの姿は、萎えてしまった俺の心を奮い立たせてくれた。
 
「――ぐッ……!!」
 
 俺が――俺が諦めてしまってどうする!
 ともすれば恐怖に竦みそうになる身体を叱咤する為に、血が吹き出るまで唇を噛んで、拳を強く握り締めた。
 
 絶対にアイツには勝てない。それは揺るがない事実だ。
 ならば、どうするのか。
 俺達に出来ることは、何としても突破口を開き――――この場から逃げる。
 一度戻って体勢を立て直すんだ。それが、今ここで絶望に近い戦いに身を投じるより、全てにおいて明るいはずだ。
 
 ――そうだ。逃げるだけ、逃げるだけなら……。
 
 だけど、そんな俺の思いを打ち砕くように、イリヤが愉しそうに笑いながら告げる。
 
「無駄だよ、お兄ちゃん。今夜は誰も逃がさない。アサシンもライダーも、そっちで震えてるライダーのマスターもね」
 
 それからイリヤが、宣誓するように右手を掲げ赤色の瞳をすっと細めた。
 
『――――誓うわ。今夜は誰一人逃がさない』 
 
 その言葉からイリヤの決意が伝わってくる。
 誰も逃がさないということは、この場にいる全員を殺すということ。そして、それを行えるだけの力が彼女にはあった。
 だけどイリヤは、最後に俺にだけ救いの手を差し伸べる。 
 
「でも、お兄ちゃんがわたしのモノになるって言うんなら――――シロウだけは助けてあげてもいいんだよ?」
 
 深く染み入るイリヤの声。
 
 ――イリヤに従えば、俺は助かるのか?
 
 俺はゆっくりと視線を巡らせた。
 絶対の死の象徴であるバーサーカー。血に濡れながらも剣を構える紅の少女。己がマスターを守る為、絶望ともいえる戦いに身を投じようというライダー。震えて歯を鳴らしながらも、自身のサーヴァントを見上げる慎二。
 
 ――ならば俺は? 俺が取るべき道はなんだ?
 
「……イリヤ。その話しは以前に断ったろ。俺はマスターで、この聖杯戦争を戦い抜くだけだって」  
「今日、ここで、シロウの聖杯戦争は終わっちゃうのに?」 
「それでもだ。俺は最後まで膝は折らない。最後の最後まで足掻いてやるさ!」 
「そう。馬鹿なシロウ……。なら、殺しちゃうね――――――」
  
 俺の言葉に、一瞬だけイリヤが睫毛を伏せた。でもそれは一瞬のことで、イリヤは納得したように頷いてから、その手を月に向かって振り上げた。
 イリヤのその小さな腕が振り下ろされた時、俺達の命運は決する。
 
「バイバイ――――お兄ちゃ……」 
 
 闇に響くローレライの声。だが、振り下ろそうとしたイリヤの手がその途中で静止していた。
 イリヤは何かに驚いたように目を見開き、一点を注視している。
 視線は俺の後方、俺を挟んでちょうどイリヤと対角線になる場所に注がれていた。
 
 ――そして俺は、その存在に気づく。
 
 はっと、振り返った。
 俺も、アサシンも、ライダーも、そして慎二すらも。
 
 そして、そこに在る者を俺達は見た。
 
 
  
 
 グラウンドの片隅。
 空には月が煌々と輝き、先程の激闘が嘘のように静まり返った世界の中に、ぽつんと一人の少女が佇んでいた。
 
 綺麗な金色だった髪は幾分色素が抜けたように薄くなり、輝くような銀の甲冑は漆黒に染まっていて、吸い込まれそうだった碧の瞳は金色へと変化している。
 凛としながらも清楚な気品を漂わせていた彼女の雰囲気は、暗い負のオーラーに包まれ闇色に染まっていた。
 夜の中にあって、さらに周りを黒く染める漆黒の剣士。
 圧倒的なまでの闇の気配。  
 
「――――セイバー……」
 
 意識せずとも口を吐く名前。
 銀光の下で出会った彼女の面影は限りなく薄れて、至高の芸術品を思わせた聖剣は黒一色に染まっていた。
 
 それでも、忘れるはずがない。間違えるはずがない。
 俺が忘れることなどありえない。
 闇に佇む黒い剣士は――――セイバーだった。
 
「セイバァッー――――ッッ!!」
 
 思わず、目に映る彼女に向かって全力で駆け出していた。
 姿は変わっている。纏う雰囲気も変わっている。別人と言われても仕方がないほど変化している。
 それでも俺には解るんだ。
 彼女はセイバーだ。
 あの日、キャスターの宝具に捉えられ、それでも涙を流しながら俺を想ってくれた少女。
 笑ってくれた。一緒にいてくれた。ずっと一緒にいたかった少女。
 
 綺麗な彼女の声が蘇る。
 
 ――シロウ、と呼んでくれた彼女の声が。 
 
 あそこにいるのはセイバーだ。セイバーがすぐそこにいる。
 彼女を失ってから色々と考えた。覚悟していた。決意もしていたし、冷静に事態を飲み込んでいたと思った。でも、そんなことは全部彼女を見た瞬間に吹き飛んだ。
 
「セイバアァッー――――ッッ!!」
 
 ああ、彼女までの距離が遠い。
 走る――そこまでに至る時間が鬱陶しい。時間と距離を渡りたいと思ったのは初めてだった。
 鼓動はかつてないほど激しいものになっている。
 だから、何だ?
 心臓が爆ぜても構わない。
 今すぐ――今すぐに彼女の元に行けるのなら。
 俺の歩みを止める者など、何処にも存在しない。しかし、だけど。そんな俺の歩みを止めたのは、他ならぬ彼女自身の声だった。 
 
「――動かないでください、シロウ」
 
 あの時と変わらない声で、俺に真っ直ぐ剣を向けて、彼女が、セイバーがそう言った。
 
「え……? セイ……バー……?」
「私はもはや貴方の剣ではない。今の私は――――貴方の敵なのです、シロウ」
「――――――」
  
 声が……出ない。
 一体、何を言っているんだ、セイバーは?
 
 ――敵?
 
 セイバーが俺の……敵だって?
 理解はしていた。頭では解っていた。
 だけど、直接彼女から叩きつけられた事実は、全ての思考を麻痺させるのに十分な衝撃を持っていた。
 
「……………………」
 
 セイバーがゆっくりと歩き出す。一歩、一歩と。彼女が俺に向かって歩いてくる。
 視線は一時も外さず彼女に釘付けになっていた。
 揺れる金砂のような髪。金色の瞳。歩くその度に漆黒に染まった鎧が鳴る。
 俺が歩まずとも二人の距離が近づく。
 やがてその距離はゼロになり、セイバーが俺の目の前に――現れた。
 
「セイ…………」 
 
 自然と伸びる右腕。だけど彼女は、俺の腕から逃れるように身体をずらした。
 
「……あ」 

 月明かりに照らされたグラウンドで、俺とセイバーの身体が交差する。
 お互いの身体が触れるか触れないかというギリギリの距離を、セイバーは真っ直ぐ前を見据えたまま、ゆっくりと通り過ぎて行った。まるで、俺などその瞳に映らないという風に。
 
「セイバッー――!!」
  
 振り返る。だけど、セイバーは振り返らない。
 彼女は俺の声など無視して、満身創痍のアサシンの元まで歩む。
 
「――ぐッ…………!!」 
 
 血に塗れ、更に赤く染まった少女が剣を構える。
 だが――
 
「――――やめておけ、アサシン。今の貴女など吹けば飛ぶ」
  
 動きかけたアサシンの剣が止まった。
 セイバーの言葉は真実だ。今のアサシンではセイバーの一撃すら受け得ないだろう。
 戦えば遭えなくアサシンは両断される。
 だけど、何故だ? セイバーが俺の敵なら、アサシンも彼女の敵になるんじゃないのか?
 
「セイバー…………」 
 
 彼女はアサシンすら無視して、その側を通り過ぎて行く。
 最早その先にあるのは、絶対の死の象徴であるバーサーカーとイリヤだけ。
 
 やがてそれが当然であるように、セイバーは“そこ”で歩みを止めた。
 セイバーの立っている場所は、俺達とバーサーカーとを繋ぐ中間点。まるで俺達をバーサーカーから庇うような、そんな立ち位置で彼女は歩みを止めたのだ。
 
「セイバー――おまえ……」
「勘違いしないでください、シロウ。別に貴方達を庇った訳ではない。貴方は元より、今のアサシンもライダーも取るに足らない存在だ。この場で優先すべきは――――」
 
 バーサーカーだけしか眼中にはない。
 そう断言するように、セイバーは漆黒に染まった聖剣を構え、強くバーサーカーを見据えた。
 
 
 
「へえ…。セイバー一人で戦うっていうんだ。アーチャーと二人ががかりでも倒せなかったバーサーカー相手に、貴女一人で?」
 
 セイバーは黙して答えず、ただ漆黒の聖剣を構えている。
 その身から明確な殺気を迸らせながら。
 
「セイ――」
 
 彼女に向けて、伸ばしかけた手を途中で止めた。
 この機会を逃しちゃいけない。
 セイバーが……彼女の意思がどうであれ、セイバーが作ってくれた千載一遇のチャンスだ。今をおいて逃げる機会はない。
 
「ぐっ――!」
 
 喉元まで出た言葉を無理やり呑みこんで、アサシンの元まで駆け寄る。
 
「動けるか、アサシン? 傷とか大丈夫か?」
「……はい、マスター。何とか……動けます」
  
 満身創痍。
 アサシンの全身は真っ赤な血に塗れてはいるが、命に別状はなさそうだ。
 
 ――良かった。
 
 心底ほっとする。
 俺の為に彼女まで失う訳にはいかない。 
 
 そこで視線を慎二とライダーに向けてみた。
 慎二は呆然としたまま尻餅を付いている。ライダーも武器を構えたまま、事態の推移を見守っているようだ。
 再び視線を動かす。
 バーサーカーとセイバーは未だ動かず、対峙したまま。
 
「辛いだろアサシン。ほら、肩を貸せ」
「……いえ、お気遣いなく…マスター…」
  
 肩を貸そうとした俺を、やんわりと押し返すアサシン。そんな彼女に一度頷いてから、俺は急ぎ慎二の元まで走った。
 
 さっきまで戦っていた敵。
 慎二のやろうとしたことは許せない。でも、こんな奴でも置いては行けない。
 駆け寄って、耳元で叫ぶ。
 
「おい、慎二! 何を惚けているんだっ! 逃げるぞっ!」
「……え、衛宮?」
 
 慎二の腕を取って、力ずくで立ち上がらせる。それでも事態が飲み込めないのか、混乱しているのか。俺を見て呆然としたまま惚けている慎二。
 仕方ないので、先にライダーに話しを通すことにした。
 
「ライダー、アンタは動けるのか?」
「私は問題ありません。ですが、シンジが……」
 
 ライダーが慎二に視線を落とす。
 その間にライダーの様子を間近で視認し、彼女の言う通り動く分には問題なさそうだと確認してから、改めて慎二の耳元で叫んだ。
 
「おい慎二っ! 呆けてる暇はないんだよ! しっかりしろっ!!」
 
 慎二の身体を思い切り揺する。
 しばらくはガクガクと頭が揺れていたが、突然はっと気づいたようにして慎二が俺の腕を振り払った。
 
「な……何するんだ、衛宮っ! 僕に触るな!」
「それだけの元気があれば大丈夫だな。よし――――逃げるぞ!」
 
 慎二に肩を貸そうとして……振り払われた。 
 
「に……逃げるって……何処へっ!?」
 
 元から肉体的なダメージはないんだ。気力が回復したなら大丈夫だろう。
 俺は逃げるべき道を確認してから、再び慎二に声をかけた。
 
「いいから、黙って付いて来いっ!」
 
 一度だけ振り返って、バーサーカーと対峙するセイバーを視界に収める。
 
 ――セイバー。
 
 必ず、必ず助けてやる。
 きつく唇を噛み締める。生きている限り、絶対にそのチャンスは巡って来るはずだ。
  
「行くぞ――!!」 
 
 慎二とライダーに声をかけてから、出口目掛けて走り出した。
 走りながら横目でみんなの様子を見る。アサシンはちゃんと俺のに付いていたし、少し遅れて、慎二とライダーも付いて来ているのが確認できた。
 程なくして、校門を抜ける二人のマスターと二人のサーヴァント。つい先程まで戦っていた間柄なのに、仲良く並んで走っている光景に違和感を覚える。
 だけど全員が理解していた。あの場に留まっていたら、自身の命が無くなっていただろうことを。
 
 目指しているのは、俺の家。
 正直な気持ち、今ここで慎二達に攻撃されたらどうしようかと思ったが、二人にその気はないようだった。一応アサシンはライダーの行動を気にしているようだが、二人共に損耗は激しい。
 ここからもう一戦やらかすのは難しいだろう。
 
「はあ…はあ…。慎二、ライダー。とりあえず落ち着くまで停戦で……いいか?」
 
 走りながら声を投げかける。
 
「はあ…はあ…はあ。わ、わかった。……とにかく、今はアレから逃げよう、衛宮」
「……ライダーも、いいな?」
「構いません。とりあえずは安全圏まで逃げるということでよろしいですね?」
「ああ。それまではお互い矛を収めよう……」 
 
 その時、遥か後方から、バーサーカーの叫び声と甲高い剣戟の音が響いてきた。
 
「セイバー――――」  
 
 口の中に血の味が拡がる。
 バーサーカー。あの巨人を思い出すだけで身体が震える。
 それでも、今のセイバーなら、バーサーカー相手でも十分に渡り合えるはずだ。
 漆黒に染まった剣士。悔しいけど、それが俺には解った。
  
 ――いつか、必ず救い出してみせる。
 
 もう一度、深く心に言葉を刻みながら、俺達は夜の深山を駆け続けた。
 
 
  
 
 衛宮の家に到着して直ぐに、アサシンに中庭の片隅まで連れて来られた。
 慎二とライダーも一緒に衛宮家まで連れて来ているが、二人共に居間の方で休んでいる。慎二とは話す事、話さなければいけない事がある。だけどその間もなく、彼女に引っ張ってこられたのだ。
 
 じっとアサシンを見つめる。
 既に彼女は私服姿になっていて、外見的に傷は塞がって見えた。綺麗な紅の髪が、月明かりを受けて輝いている。
 
「――マスター」
 
 真剣なアサシンの表情。
 彼女が何を伝えたいのか、何となく予想がついた。
 たぶん、彼女の真名、そして宝具についてだろう。
 
 ライダーとの決闘で彼女が見せた宝具。あの最後の激突の際に彼女が叫んだ真名。
 彼女は確かに“グラム”と叫んだ。
 
 
『――魔剣グラム――』
 
 
 グラムっていえば、北欧神話に登場する魔剣の名前だ。
 確かヴォルスング王の館、その大樹に突き立てられた選定の剣の名前がグラムだったと思う。担い手は英雄シグムンド。そしてその息子でもあるシグルド。
 その力は伝説の聖剣エクスカリバーにすら劣るものじゃない。
 
 ――故に最強の魔剣。
 
 しかし、目の前にいる少女はシグルドでもシグムンドでもないはずだ。
 
「私は、キャスターによって召喚されたサーヴァントであると言いましたね?」
「ああ、そうだったな」
 
 アサシンは俺から視線を外して、寂しげに揺れる瞳を月に向けた。
 
「それは、本来は起こりえない召喚でした。故に、通常召喚されるアサシンではない私が召喚されました。この私がサーヴァントとして呼ばれることはありえない。何故なら――」
 
 アサシンが視線を地面に落とし、それからゆっくりと俺に向かって顔を動かす。
 
「何故なら、私は英雄ではないのですから」
「――英雄じゃない……?」
 
 サーヴァントとは等しく英霊だ。
 反英霊という者も存在するらしいが、英霊であることには違いない。だけど、目の前の少女は英霊じゃないと言う。
 なら、彼女は一体誰だというのだろう?
 戦う力は他のサーヴァントに劣るものではなかった。宝具だって――グラムを使って見せた。
 
「この長剣――これは紛れもなく魔剣グラムです。ですが、私は本来の担い手ではありません」
 
 そう言ってアサシンが、ニメートルに渡る長剣を手の中に出現させた。
 刀身に一切の曇りなどなく、月明かりを受けて光輝いている。
 その剣に秘められた魔力は膨大で、伝説の魔剣の名を汚すものじゃない。 
 
「その剣が本物のグラムなら、アサシンはグラムの担い手になるんじゃないのか? それとも、セイバーと同じで伝承の性別が逆だったとか?」
 
 俺の仮説にも、アサシンは寂しげに首を振った。
  
「違います、マスター。私は本来サーヴァントとして召喚されるであろう、その本人に代わって召喚された代替品なのです」 
「その…………よく、判らない」
 
 困惑する俺に向かって、アサシンが苦笑を浮かべた。
 
「キャスターが行った召喚では、正常な英霊は呼び出されない。私の名前はシグニュー。英霊シグムンドの双子の妹です」
「シグニュー? 双子の妹……?」
「はい。本来の私に戦う力などありません。今の私――英霊ではない私の力は全て借り物なのです」
「アサシン……」 
「――――それでも、私はここにいる。マスター、貴方は、こんな私でもサーヴァントだと認めてくれますか?」 
 
 彼女の漆黒の瞳が、真摯に俺に向けられている。
 そこには、如何なる答えでも受け止める決意が秘められているように見えた。
 
「認めるも何も、アサシンは俺の為に戦ってくれたじゃないか。真名を知ったってそれは変わらないし、お前はここにいるんだから……代替品とか、そんなこと言うなよ」
 
 そう、彼女はここにいる。
 アサシンが何者だって俺には関係ない。彼女には彼女の意思があるし、それを偽物みたいに言うのは違うと思う。
 
「借り物の力だっていいじゃないか。アサシンはアサシンで、他の誰でもない」 
 
 彼女は何も答えず、しばらく俺を見つめていた。
 だけど、すっと視線を外すと、再び夜空にある月を見上げる。
 
 風に靡く真紅の髪、揺れる漆黒の瞳。その面に月光を浴びる彼女は、とても神秘的で綺麗だった。
 そんな彼女が視線を戻して改めて俺に向き直る。
 そして、少し照れたように左手を差し出した。
 
「マスター、これからもよろしくお願いします」
 
 俺は差し出された彼女の手を握り返しながら
 
「こちらこそ、よろしく頼む。俺一人の力じゃキャスターを打倒することも、セイバーを救い出すことも出来ない。今日の戦いを経て再確認した」
  
 俺の言葉にアサシンが微笑を洩らす。
 小さくて赤い彼女の唇が綻んでいた。
 
「戦いといえば、ライダーとそのマスターがここに居るなんて何だか不思議な光景ですね。どうされるのですか、マスター?」
「ん、そうだな。考えてる事もあるし、とりあえず、お茶でも入れてから話しをしてみよう」
 
 了解しました、とアサシンが居間に向かって歩き出しす。
 その背中、揺れる赤髪を見つめながら、さて、どうやって二人に話しを切り出そうかと考えた。
 今夜は少し長くなるかもしれないな、なんて思いながら。 
    
 
  
 ~ステータス~
 
 マスター:衛宮士郎 
 クラス :アサシン
 真名  :シグニュー
 性別  :女性
 能力  :筋力C 耐久D 敏捷B 魔力B 幸運C 宝具A+
  
 クラス別能力:気配遮断D
 保有スキル :擬似戦闘技能B
 
 
【シグニュー】
 
 北欧神話に登場する英雄シグムンドの双子の妹で、ヴォルスングとフリョーズの間に生まれた十子の長女。
 ガウトランドの王シッゲイルの妻。
 そのシッゲイルとシグニューの婚礼の日に起こった出来事が、彼女の運命を大きく変えることになる。
 
 二人の婚礼の場に、片目で裸足の老人が入って来た。
 その老人は一本の剣を取り出すと、館の中心に在る大樹に突き刺して
 
 ――この剣は、これを抜き取った者に与えよう。
 
 と言い残し去っていく。
 
 だが、その場にいる誰もが抜くことは出来ず、ただ一人、その剣を引き抜いたのがシグニューの双子の兄シグムンドであった。
 シッゲイル王は、その剣のあまりの素晴らしさに、シグムンドに譲って欲しいと願い出るが彼には断られる。
 その事を恨みに思ったシッゲイル王は、ヴォルスングとシグニューの兄弟全てを捉えて殺してしまう。
 無事生き残ることが出来たのは、シグムンドとシグニューの二人だけだった。
 
 最終的に、二人はシッゲイルを討ち復讐を果たすことになるが、復讐の為にあまりに多くのことを成した彼女は、シグムンドの助けの手を振りきって、燃え盛る館に残りシッゲイル王と共にその生涯を閉じることになる。
 
 
【擬似戦闘技能】
 
 本来召喚されるはずのないシグニューの戦闘技能は、全て英霊シグムンドの劣化コピーである。
 双子故の一種の共感。
 シグニューでもグラムの真名開放は可能だが、グラム本来の担い手であるシグムンドの放つ威力には及ばない。
                   



[1075] その時、聖杯に願うこと 11
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/20 23:13
 
 その時、聖杯に願うこと 11 
 
「まったく……士郎の奴、一体何処に行ったのかしら? 夜に話を詰めようって言っといたのに」
  
 時刻は夕食時。閑静な住宅街である深山はしんと静まり返っている。
 その深山にある衛宮家の前に、憤慨したように腕を組む遠坂凛の姿があった。
 
 彼女は、今朝校舎の屋上で約束した通りに、これからの話しをしようと衛宮士郎を尋ねて来たところだった。ご飯を食べながら話そうと思っていたので、彼女の怒りのボルテージを空腹が少しばかり後押しをしている。
 もっとも、当の衛宮士郎は、現在夜の学園で大変な目に遭っているのではあるが。
 
「大方、凛との約束など忘れて、何処かほっつき歩いているのだろうよ。……やれやれ」
 
 凛の隣に立つ赤い外套の騎士。
 アーチャーが苦笑を浮かべながら肩を竦めている。
 
「……本当、士郎って人の話しを聞かない奴よね」
 
 唇を尖らせて玄関を睨みつける少女。
 だけど、ふと思い出したというように、ぱちぱちと瞬きをしてから凛がアーチャーに向き直った。
 
「そういえばアーチャー。アンタ、今朝は屋上に残って士郎と何を話してたのよ?」
 
 その質問は予想していた、という風にアーチャーが淀み無く答える。 
 
「いや、キャスターの宝具について、衛宮士郎に幾つか確認したいことがあっただけだ。奴は実際に見た訳だからな」
「キャスター宝具…………っていうとルールブレイカー?」
「ああ。アレはサーヴァントにとって致命的な物になりかねない。用心するに越したことはあるまい?」
「…………うん。それは……そうね」
 
 何となく釈然としないものを感じながらも、彼女は話しを打ち切った。
 追求してもアーチャーは答えないだろうし、第一、隠すほどの大事があるとは思えなかった。 
 
 それから、話しに出たキャスターの居城――柳洞寺がある方向に視線を向けた。
 暗雲というのだろうか。柳洞寺があるお山には深い雲が垂れ篭めていて、全景を見通すことは出来なかった。それでも、凛は視線に力を込めて強く睨み据えている。
 そうしていれば、キャスターを射抜くことが出来るというように。 
 
 しばらくは無言のまま、じっとお山の方向を見据える凛。
 真剣な表情。そこに浮かんでいるのは魔術師としての決意だろうか。そんな彼女の様子を、真横で眺めるアーチャー。彼は声をかけることもなく、凛のことを見つめていた。
 
 どれくらいの時間そうしていたのだろうか、突然凛がアーチャーを振り仰いだ。
 
「ねえ、アーチャー」
「何だ、凛」
「これから、柳洞寺に行ってみない?」
 
 己が主の意見に、赤い騎士が眉を顰める。
 
「今から柳洞寺に? その提案は感心しないな、凛。私は反対だ」
「どうしてよ?」
「柳洞寺は魔女の本拠地だぞ? 衛宮士郎の言葉を信じれば、セイバーまでが敵に回っている可能性が高い。そこに何の準備も無く乗り込もうと言うのか、君は?」
 
 アーチャーの言葉を受けて、凛が挑戦的な微笑みを浮かべる。 
 
「――虎穴に入らずんば虎子を得ずよ。それに、聖杯戦争に多少の危険は付き物でしょう? 別に決戦しようってワケでもないし、少し偵察するだけ。それでも駄目なの、アーチャー?」
「ああ、反対だ。だが、止めても行くのだろうな……君は」
  
 今度こそ、遠坂凛は満面の笑みを浮かべた。
 
「あら、判ってるじゃない。今日こそ、魔女の尻尾を掴んで引きちぎってやるわ」
 
 空中にある何かを掴んで、力いっぱい引きちぎるジェスチャーをする凛。
 そんな凛をアーチャーは困ったように見つめて、それから大きく嘆息した。 
 
「…………了解だ、マスター。だが、尻尾を掴むのは構わないが引きちぎるのは勘弁してくれ。キャスターに見つからないに越したことはないからな」
 
 自嘲気味に笑いながらアーチャーが肩を竦める。だが、笑っていたのは彼の口元だけで、赤い騎士の目元は些かも変化していなかった。
 何処か深く思索するような真剣なアーチャーの眼。 
 その鋭い瞳に宿るものに、凛は気付かなかった。
 
 
  
 
 ――柳洞寺。
 
 そこは魔の土地、落ちた霊脈である。
 今の柳洞寺は、その道の者が見たならば一目で判るほどに闇の気配が濃くなっていた。
 キャスターが街から吸い上げた魔力、その残滓が山全体の空気を重くしている。もし今、山を訪れる者がいたならば、肌に絡み付くような違和感を感じたことだろう。
 柳洞寺は今や、魔女が住む闇の神殿となっていた。
 
「――どうやら、特殊な結界が張られているわね」
「やっかいなタイプの結界だな。侵入者に対して重圧をかける――――無理に進入しようとすれば力が減じられる訳か。これは、強引に進入するのは厳しいだろう」
 
 凛とアーチャーが山の裾野から上空を見上げている。
 空には厚い雲がかかり、月明かりを遮っている。その暗い雰囲気は、柳洞寺全体を更に異様なモノに見せていた。
 彼女達の足元から延々続く石段の頂点。そこに、闇の神殿の入り口がある。
 神殿の入り口、柳洞寺の山門が、ぽっかりと闇へ続く口を開いていた。
 
「石段が魔力を吸い上げる道になってるわ。なら、あの山門を通れば結界の影響を受けなくて済みそうじゃない?」
「――確かにな。だが、それは正面からの突入を意味するのではないか、凛?」
 
 入り口が一つしかないのならば、守る側にとってこれほど守り易い事はない。ただ一箇所を守っていれば良いのだ。当然、進入対策は施されているだろう。
 それを知った上で、凛はアーチャーに発破をかける。
 
「――――覚悟してね、アーチャー。もしかしたら、少し手荒い事になるかもしれないわよ」
 
 爛々と輝く少女の瞳が全てを物語っていた。
 アーチャーは、凛の瞳を覗き込んだだけで、一切の反論を捨て去った。
 こうなった遠坂凛を説得する術は、彼には“昔から”ありはしなかった。
 
「……まったく、困ったマスターだ。しかし、突入するのは良いが、いつでも逃げ出せる気構えと、その算段は用意しておいてくれ。ここは魔女の陣地だ。何が起こるか判らん」
「了解よ、アーチャー。さあ、乗り込むわよ!」
 
 彼女が先に石段に足を乗せた。
 それに寄り添うようにして、赤い騎士が主の後ろに続いて行く。
 未だ月明かりは雲に遮られたままで、二人の頭上に月光が届くことはなかった。
 
 
 
 二人が山門に至るまでに、予想されたような抵抗はなかった。
 唯一の通り道、その一本道で抵抗がないなど、凛には全く予想外の出来事である。
 二人が進入しようとしていることなど、キャスターは当然気付いているはず。なのに抵抗がないというのは、凛にしたら酷く不気味に感じられた。
 それでも、ここまで来て歩みを止める必要はない。抵抗がないのならばそのまま進むだけだ。
 そう思って、凛は山門を潜る。
 
 山門を抜けてみれば、広い境内が悠然と二人を迎える格好になった。敷地はかなり広く、先に見えるお堂まではかなりの距離がある。 
 その境内に入り、彼女は一人の人物と邂逅することになった。
 
 ――暗い境内の中心で、ひっそりと佇む女性。
 
 その女性は濃い紫色のローブを纏っていて、フードに隠れた視線を二人の侵入者に向けている。
 素顔はフードの影になっていて見えないが、零れる出る青色の髪は長く、僅かに覗く唇は綺麗な朱色をしていた。
 出会った事はなかった。
 だけど、凛にもアーチャーにも、それが誰であるかははっきりと伝わった。
 
「――キャスター」
 
 呟く声は遠坂 凛。
 彼女は知らず唇を噛んでいた。
 
 境内の中心でひっそりと佇むキャスターから感じる魔力は絶大だった。
 遠坂凛とて最高クラスの魔術師ではあるが、それでもキャスターと比べると見劣りするどころのレベルではない。
 正しく眼前に佇む女は、魔術師の英霊に恥じない存在である。
 
 しかし、それでも魔術師。
 
 キャスター単独では、サーヴァントの中でも最弱と位置づけされている。それはキャスターが弱いのではなく、相性の問題によるところが大きい。
 英霊は基本的に高い対魔力を備えている者が多い。対魔術用の装備をしている者もいる。魔術戦を主体とするキャスターにとって、それは不利にしかならない。
 それ故に、自ら望んで姿を現すとは彼女は考えていなかった。
 魔術師に接近戦など禁忌に等しい。
 それなのにキャスターは堂々と姿を晒しているのだ。何か罠があるのではないかと勘ぐってしまう。
 だけど、凛が考えを纏める前に、件のキャスターが声をかけてきた。 
 
「ようこそ。アーチャーとそのマスターさん」
 
 キャスターの声は、闇に融けるような深さを持った、妖艶な声だった。
 その声の主から少女を守るように、アーチャーが前に出る。 
 
「まさかな――自分から姿を晒すとは思わなかったぞ、キャスター」 
「あら、客人を迎えるのは主人の役目でしょう? 貴方達が来るのは判っていましたからね。こうして出迎えようと待っていたのですよ」
 
 妖艶でいて優雅。
 キャスターは大人の女性が醸しだす優美さをもって笑って見せた。
 その仕草が、凛の癇に触る。 
 
「えらく自信あるじゃない。それは――――セイバーを手中に収めたからかしら?」
 
 挑発するような感じで、凛がキャスターに含み笑いを返す。だが当のキャスターは、そんな挑発など一切気にした風もなく涼しげに受け流していた。
 
「あら? 知っていたのお嬢さん。でも、安心なさいな。今ここにセイバーはいませんから」
「――――セイバーが……いないですって?」
 
 今日は本当に予想外な事が続く。そう、凛は思った。
 セイバーがいないということは彼女にとって僥倖ではある。しかしキャスターにとっては、どうしても隠しておきたい事実のはずなのだ。それを、自分から明かすなんて、彼女には信じられなかった。
 
「…………もの凄い余裕じゃない、キャスター。じゃあなに? やっぱり罠とか仕掛けてあるのかしら?」
「罠だなんて。そんなものを張る必要が何処にあるのかしら。相手がセイバーやバーサーカーだというならいざ知らず、あなた達程度では私に勝つことなど出来ませんからね。だって――ここでなら私は誰よりも強いもの」
  
 含むような微笑。
 キャスターは、余裕があるものだけが浮かべられる、絶対の自信に裏打ちされた笑みを浮かべていた。
 
「――へえ。私とアーチャーには実力で勝ってるって、そういうのかしら?」
「ええ。間違いなくね」
 
 暗い柳洞寺の境内で、二人の魔術師の視線がぶつかり合う。
 それは火花を散らすというよりも、相手を射抜くような、そんな鋭さを秘めた視線の応酬だった。
 互いに相手の真意を計っている。
 
 意外にも、その戦いで先に視線を外したのはキャスターだった。
 キャスターは凛から視線を外すと、その隣で構えている赤い騎士にそっと手を伸ばす。  
 
「戦えば私が勝つのは明白。けれど――アーチャー。貴方の“宝具”には個人的に興味があります。そんな小娘から乗り換えて、私と組む気はないかしら?」 
「なっ……!?」
 
 凛が絶句した。
 まさか、魔女が手を組めと申し出るとは思わなかった。
 
「ば…馬鹿言わないでっ! 私達がアンタなんかと組むワケないでしょう!」
「黙りなさい。私はアーチャーに訊いているのよ、お嬢さん」
 
 魔女は凛を一喝すると、再びアーチャーに声をかける 
 
「どうかしら、アーチャー。そこのお嬢さんも優秀な魔術師らしいけど、私とは比べるべくもない。より優れたマスターの下で働く方が、貴方にとっても明るいと思うのだけれど」
「――ふむ。私にお前のサーヴァントになれと?」
「端的に言えばそうね。もちろん私の命には従ってもらうけれど、代わりに貴方には無限の魔力を授けましょう」  
「ほう。無限の魔力――か。確かに“魅力的”な提案ではあるな」  
 
 キャスターの言葉を受けて、アーチャーが腕を組んで瞑目した。その姿は、キャスターの提案について吟味している、そう凛の瞳に映る。 
 その光景は、今夜で一番の衝撃を凛に与えた。
  
 ――アーチャーがキャスターの申し出について考えている。
 
 それこそ凛にとってはありえるはずのない、衝撃的な事実。
 
「アーチャ、アンタまさか……」

 自分の考えすぎ、思い違いだと、凛がアーチャーに手を伸ばす。しかしアーチャーは、そんな凛の手をかわすようにして前に進み出た。
 
「――キャスター。貴様はあらゆる契約を強制的に破棄させる宝具――“ルール・ブレイカー”というモノを持っているらしいな」 
「セイバーのことを知っているんですもの。このルール・ブレイカーについて知っていても不思議じゃないわね」
 
 そう言って、キャスターが衛宮士郎とセイバーの契約を破壊した、あの歪な形の短剣を取り出した。
 
「――――なっ!?」  
 
 その短剣を見た瞬間、凛に言葉で言い表せない悪い予感が走った。
 悪寒を感じて、寒気を感じた。理由は判らない。ただ、あの短剣からは悪いものしか感じ取ることが出来なかったのだ。 
 アレは駄目だ、と。
 あの短剣をキャスターに使わせてはならないと。
 
「アーチャー! キャスターをここで倒すわ。用意してっ!」
 
 決断は早かった。
 彼女は素早く宝石を取り出して構えを取る。
 中腰になって、いつでも戦闘行為に移れる体勢。
 だがアーチャーは凛の声には従わず、その場に立ち尽くしたままだった。     
 
「何してるのよ! 早く用意して、アーチャー――ッッ!!」 
 
 懇願に近い叫び。それでも赤い弓兵は動かない。 
 
「――凛。この場でキャスターを倒すといっても、ここは彼女の結界の中だ。そう易々とはいくまい。いや、仮にキャスターを倒したとしても――――」
 
 アーチャーが彼女に向き直る。
 その表情は、敵を前にしたように引き締まっていた。
 
「仮にここでキャスターを打倒したとしよう。ならば、キャスターの手中に堕ちているセイバーはどうなる?」
「え? セイバー……?」 
「そうだ。セイバーは喜び勇んで衛宮士郎の元に戻るだろう。それが何を意味するか、判らぬ君ではあるまい?」
「それは……」 
「今度の相手はセイバーとアサシンを得た衛宮士郎だ。それを――君は倒すことが出来るのかな?」
「――――くっ!」
 
 キャスターを倒せばセイバーは衛宮士郎の元に戻る。そして、現在の衛宮士郎の元にはアサシンもいるのだ。 
 凛とてその光景を考えなかった訳ではない。
 それでも、今はまだその時ではないと思っていた。
 結論を先延ばしにしていた。
 
「凛。私なりに現状を冷静に考えてみたのだが、キャスターは全てにおいて他のマスターを上回っている。一番の難敵であるバーサーカーも、セイバーがいるのなら問題なく退けられるだろう」
「アーチャー――ッ!? アンタ、キャスターが冬木でどんなことをしているか知っているでしょう!? それでもキャスターを認めるって言うのっ!?」 
「それは魔術師の台詞とは思えないな、凛。まあ、キャスターは些かやり過ぎの感はあるが、この程度なら問題ない範囲だろう」 
 
 アーチャーは凛から顔を背けて、キャスターに向き直る。 
 
「キャスター、その話しを受けることにするよ」
「アーチャー――――ッッ!!」
 
 力いっぱいの叫び声。けれど彼女の叫びは、赤い騎士には届かなかった。
 彼はそれが正しい事であると、後ろめたい事ではないという風に、少女――遠坂凛を真っ直ぐに見つめた。 
 
「セイバーを得たキャスターには、はっきり言って敵などいないだろう。ならば私は勝算の高い方につく」
「……アンタ」  
 
 凛の身体が小さく震えていた。
 恐怖からではない。怒りからでもない。
 何故か知らないが、身体が震えていたのだ。
 それでも、その震えを相手に悟られないように。この相手にだけは知られたくないと、強くアーチャーを見返していた。
 だけど、そんな彼女の決意は次のアーチャーの言葉で脆くも崩れ去ってしまう。
  
 アーチャーは凛の瞳に視線を合わせて、少しだけ彼女に近づいてきて―― 
 
『――俺を恨んでくれていい、遠坂――』
 
 それは、彼らしくない小さな呟きだった。 
 
「え……アーチャー………?」
 
 だから、聞き間違いだと彼女は思った。だけど、事実を確かめる前にアーチャーは彼女に背中を向ける。 
 呆然と佇む凛に赤い背を向けて、アーチャーがキャスターに歩み寄った。
 その行為に、キャスターは僅かに不審を募らせる。 
 
「――――随分とあっさりしているのね、アーチャー。本当にセイバーとは大違いだわ」
 
 セイバーの抵抗を思えば、アーチャーの行動はあまりにも軽い態度と言わざるを得ない。同じ英霊、同じサーヴァントでも、これほど違うのかとキャスターは訝しがる。 
 
「私は私の“目的”の為に動く。冷静に鑑みて現状はお前につくのがベストだと思っただけだ。――――凛にはまだ令呪が残っているからな。やるなら早くやってくれ」
「……まあ、いいわ。貴方一人御し得ないようでは私の器も知れるというもの。こちらから言い出した話でもあるし、今更引っ込めたりはしないわ」
 
 キャスターの手が振り上げられる。
 その手には歪な形の短剣“ルール・ブレイカー”が握られている。
 その短剣が真っ直ぐにアーチャーの胸に振り下ろされた。
 瞬間、刀身から溢れる真紅の光。
 それは、かつて衛宮士郎とセイバーの契約を断ち切ったように“破戒するべき全ての符”は、遠坂凛とアーチャーの契約を、灰燼の彼方に帰してしまった。
 
「――――痛ぅ……!」
 
 凛の顔が苦痛に歪む。
 今、遠坂凛の腕から、アーチャーとの絆である刻印、サーヴァントを律する令呪が色を失い消えていったのだ。
 
 そこに、境内を包むような明るい光が降りてきた。
 雲がいつの間にか流れ、天から月光が降る。その淡い光が、焦燥する少女の面を照らした。
 
 泣きそうな顔だった。それでも苦境に負けないようにと、ぎゅっと唇を噛む一人の少女。
 その少女に、魔女の容赦ない一言が突き刺さる。 
 
「では、お嬢さん。この状況が判らないほどお馬鹿さんではないでしょう?」
 
 キャスターに言われるまでもなく、状況は最悪を通り越して最低だった。
 凛一人で何が出来ると言うのか。
 魔女を打倒することは勿論、ここから逃げることすら出来ないだろう。
 
 味方はいない。敵は――二人いる。 
 
 だが、ここでアーチャーが口を挟んできた。
 
「すまないがキャスター。ここは凛を見逃してやってくれないか? サーヴァントを失ったマスターなど取るに足らない存在だ。放置しても影響はないと思うが?」
 
 あえて凛に顔を向けず、アーチャーが言う。 
 
「そうねぇ、どうしようかしら……」 
 
 アーチャーの言葉を受けて、キャスターが考え込んでいる。
 彼女は何を思っているのだろうか。フードに隠れてキャスターの表情は見えないが、その口元は薄く綻んでいた。
 やがて短い思案を終了したキャスターが、すっと右手を遠坂凛に向かって突き出した。
 
「アーチャー、マスターは殺すものでしょう? 私も一度マスターを見逃したことがあるけれど、あまり良い結果は得られなかった。教訓は活かさないとね。殺せる時には――確実に殺しておきましょう」
 
 境内に響く魔女の声。
 キャスターの右手は遠坂凛を捉えたまま離れない。
 
「本来なら貴方に殺させるのですけれど、変に手心を加えられても困るわ。ここは私が確実にこの世から消し去ってあげましょう」
 
 魔女の冷たい声が少女に絶望を送る。 
 それを受けながら、凛は、右手に在る宝石をぎゅっと強く握り込んだ。
 
 十年の想いを込めた特別な宝石。あるいはこの宝石を使えば、キャスターの魔術を防ぐことが出来るかもしれない。
 だけど、それが何になるというのか。
 宝石の数には限りがあり、対して魔女には無限とも思える魔力が蓄えられている。
 いずれ力尽き、屍を晒すだろう。 
  
 そして――アーチャー。
 
 彼の真意が何処にあるのか、彼女には判らない。それでも、今、目の前にいる彼は彼女の敵となる道を選んだのだ。その事実が、僅かに抵抗する気力すら彼女から奪い去って行く。
 抵抗しても無駄なのなら、このまま魔女の手にかかって死んでも良いのではないか。
 そう思うのと同じに、いや、それ以上に凛は思った。
 
 ――このまま、ここで死んでたまるもんか!  
 
 しかし、その決意は少し遅かった。
 魔女は無慈悲にその右手を少女に向かって伸ばす。
 そして、キャスターが凛には発音出来ない呪文を口にした瞬間、凄まじい魔力の塊――ランクAに相当する大魔術が遠坂凛を包み込んだ。
 
 
  
 激しい閃光と爆発音が柳洞寺の境内に響く。
 熱風がキャスターとアーチャーの衣服をはためかせ、魔術の直撃を受けた地面は大きく陥没していた。
 やがて閃光も収まり、爆風が流れ去ったその跡地に、遠坂凛の姿はなかった。
 大魔術の直撃を受けて、彼女は消滅してしまったのだろうか。キャスターの放った魔術は、人間一人程度など簡単に消し去る威力を秘めている。
 だが、彼女は魔術を受けて消え去った訳ではなかった。
 
「ボサっと突っ立ってんじゃねえッ! シャンとしやがれっ――!」
 
 乱暴なその声は、境内の片隅から聞こえてくる。
 そこには、凛を小脇に抱えた青い槍兵の姿があった。
 
「ラ…ランサー? あんた…どうして……?」
「よう、お嬢ちゃん。まさに――――危機一髪ってところだったな」
 
 ニヒルに笑う青い騎士。
 彼こそサーヴァント中随一の素早さを誇る真紅の魔槍使い、ランサーである。 
 ランサーがキャスターの魔術が炸裂する寸前に彼女を攫って凛を救っていたのだ。
 
「……ランサーですって――ッ!?」
 
 憎々しげなキャスターの声。対して、もう一人のサーヴァントは落ち着いたものだった。アーチャーは冷静にランサーを見据えて、皮肉めいた笑みを浮かべている。 
 
「――――やはり、目の前で女が殺されるのは見過ごせなかったか」
 
 やはり、と。
 その言葉にランサーが反応する。 
 
「テメエ――気付いてやがったのか?」
 
 ランサーが凛を地面に降ろしてから、彼女を自分の背後の庇うように前に出た。
 
「さあ、どうかな。だが敵であるマスターを救うとは、随分と甘いのだな、ランサー」
「――ハッ! なに言ってやがる。テエメがお嬢ちゃんを裏切らなければ俺が出る幕なんざなかったものを」
 
 ランサーの言葉を聞いて、アーチャーが大きく肩を竦める。 
 
「なんだ? 裏切りは気に入らないか。それで凛を助けた? それは――――英雄の誇りとやらかな、ランサー。だとしたら、実に下らない矜持だ」
「なに――?」
 
 アーチャーの言葉に、ランサーが気色ばんだ。
 いや、ランサーだけでなく、キャスターまでもが僅かに気配を変えている。
 
「生憎と私は誇りなど持たぬ身だからな。そんなものよりも結果、成果が重要なのだよ」
「ほう。現実主義者をきどるか。だが貴様も英霊なら譲れない信念があるはずだ。何故目の前でマスターを見捨てられる? サーヴァントにあるまじき行為だ」
「やれやれ……。先程言わなかったかランサー。私には誇りなどない。あるのは“結果”を求める信念だけだ。英雄としての誇り? 矜持だと? ――そんな余分なプライドは、そこいらの狗にでも食わせてしまえ」
 
 瞬間、境内の雰囲気が一変した。
 全てを凍り尽くすような冷たい殺気が、ランサーの全身から立ち登っている。
 
 その殺気はアーチャーに向かって放たれているものだが、ランサーの側にいた凛は、その余波だけで卒倒しそうなほどの重圧を受けていた。彼女は、それを必死になって耐えている。
 ランサーはそんな彼女の様子に気付いたのか、僅かに殺気を弱めてから
 
「……お嬢ちゃんは早く逃げな。――――ここは、俺が受け持ってやるからよ」
「受け持つって、ランサー、あんた……」
 
 この場を受け持つということは、凛が逃げるまで二人を引き付けるということだ。それは、たった一人で、アーチャーとキャスターの二人を相手することを意味する。
 
「幾らなんでも、無茶――――」
「ああ? 俺を一体誰だと思ってる?」 
 
 無茶などと、彼女に言われるまでもなくランサーは心得ている。
 しかし、無茶を通さなければならない時がある。信じるものを傷つけられたなら尚更だ。
 
「嬢ちゃんは魔術師だろうが。今の状況を冷静に考えろ。考えたその上で自分に出来る最善の行動を導き出せ」
 
 彼のの言葉は真実を突いていた。
 ランサーが現れたとはいえ状況が良くなった訳ではない。敵は変わらず二人。しかし、機会というものがあるのなら今こそが生を手繰り寄せる機会だろう。 
 
 遠坂 凛は考える。
 ここは魔女の陣地で、自身のサーヴァントだったアーチャーはキャスターの手に落ちた。いや、彼自身の意思で敵に回ったのだ。
 ランサーが味方してくれたとしても、ここでアーチャーを取り戻すのは不可能に近い。逆に自分がこの場に留まることによって、ランサー自身が危険に晒される。
 なら今この場で、遠坂 凛に出来る最善の行動とは何か。
 アーチャーに縛られ過ぎて足元を見失う訳にはいかない。
 
 今、自身が取るべき最善の行動とは――?
 
 考えて、結論は出た。 
 凛はランサーに向かって力強く頷いてから、改めてキャスター、そして自らのサーヴァントだった赤い騎士を見据えてから
 
「アーチャー! キャスターを倒してきっとアンタを取り戻す。いい? その時になって後悔しても遅いんだから」
 
 はっきりと、そう口にした。  
 
「――凛。忠告させて貰えれば、それは無駄なことだと私は思うがな」
 
 赤い騎士は、やれやれと肩を竦めている。
 それは、彼女のサーヴァントであった時の仕草と何も変わらなかった。
 
「…………勝手に話を進めてもらいたくないわね。逃げるですって? 無事に逃げられるとでも思っているのかしら?」
 
 キャスターが右手を翳す。
 確かにキャスターの言う通り逃げる事さえ困難な状況だろう。
 だが、二人のサーヴァントが相対しているのは、槍の英霊と五大元素使いの魔術師なのだ。
 決意さえ固めれば、必ず道は開く。 
 
「ランサー。合図は私が出す。いい?」
「ああ。こっちは、いつでもいいぜ!」
 
 ランサーが右手振って槍を出現させた。
 月明かりを受けて輝く真紅の魔槍。その槍の穂先は、キャスターの心臓に向かって伸びている。
 その光景と、自身が目指す道を確認してから、凛は右手にある宝石を強く握り締めた。
 
 機会は一瞬。逃せば更なる窮地に追い込まれる。だけど、彼女は微塵も失敗を恐れてはいなかった。
 
「――いくわっ!」
 
 凛の掛け声が木霊する。
 その響きが、ここでの戦いの合図となった。
    
 



[1075] その時、聖杯に願うこと 12
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/23 02:18
 
 その時、聖杯に願うこと 12 
 
『――“stark”―――“Gros zwei”……!』
 
 二番――強化!
 宝石の魔力を自身に上乗せして、凛が弾丸となって加速する。彼女が目指しているのは、境内から外へと通じる出入り口。石段へと続く山門だ。
 そのあり様はまさに弾丸の跳躍。凛は刹那の時を以って山門へと至る。
 だが、それを黙って見過ごすキャスターではない。
 キャスターは魔術を行使するのに詠唱を必要としない。如何に凛が弾丸となって疾走しても、本来なら幾つもの魔術が襲いかかっても不思議ではないのだ。
 
 それでもキャスターからの魔術攻撃は襲ってこない。
 いや――出来なかったのだ。
 
 凛が弾丸の疾走なら、ランサーこそ神速。
 ランサーは、凛の合図と共に瞬時にキャスターへと迫り、その手から見えない程の槍の一撃を繰り出していた。キャスターも咄嗟に反応して後方へと身体を躍らせていたが、ランサーの一撃は避け得ない速度で迫る。
 そんなキャスターを救ったのは、ランサーの行動を予測していたアーチャーだった。
 その両手に白と黒の双剣を出現させて、ランサーの一撃をキャスターに代わって受け払う。
 
「――グッッ!!」
 
 払った瞬間に受けた衝撃は、アーチャーの予測を超えるものだった。
 以前に一度、アーチャーとランサーは対峙している。その時は捌けたはずの一撃を、アーチャーは捌ききれなかった。
 キャスターを庇って受けたというのも大きい。
 今の攻防で、僅かにアーチャーの体勢が崩れた。その瞬間を見逃すランサーではない。
 
「そらぁ――ッッ!!」 
 
 ランサーはアーチャーを刺し貫くべく、渾身の力で魔槍を繰り出していく。
 闇夜を走る紅の閃光。
 槍の走るその軌跡が、真紅の一線となってアーチャーを襲う。
 その一撃をアーチャーが一度でも受け損なえば、それは頭蓋を割り、あらゆる骨を砕き、腹部を貫くだろう。ランサーの放つ一撃には、全て必殺の意思が込められている。
 
「ぐ…う――ッ!!」
 
 故にアーチャーは、自身の全てを以って閃光のようなランサーの攻撃を捌かねばならない。
 ランサーの行動を予測し、敢えて隙を作って攻撃を誘導し、培ってきたあらゆる戦闘経験を活かしこの状況を打破する。
 アーチャーは体勢を立て直しながら、双剣を自身の盾と成し迫り来る魔槍の連撃を凌いでいった。
 
「はぁっ!! 弓兵風情が――っ!!」
 
 ランサーが魔槍の軌跡を、突きから払いへと変化させる。
 鋭い一撃は足元から頭上に向かって、円を描くようにしてアーチャーの首元へと向かう。 
 
「――――ぬうっ!」
 
 その激しい一撃を、双剣を交差させて受けきるアーチャー。だが、下方から迫った一撃は彼の体躯を僅かに浮かせた。
 それは、ほんの僅かな一時のことである。それでも、神速を身上とするランサーには十分な瞬間だった。
 ランサーは槍を手元に戻し、アーチャーの心臓目掛けて魔槍を繰り出そうとして――
 
「チィ――――ッ!!」
 
 全身のばねを使って大きく後方へと飛び退いていた。
 その瞬間である。
 彼等が攻防していた場所で、爆発を伴った魔力の発光が巻き起こった。
 
「――アーチャー、うまく避けてね」
 
 炸裂した魔力の発光は、キャスターの放った魔術である。
 キャスターは避けてと言う前に、アーチャーをも効果範囲に含む大魔術を放っていた。
 ランサーの一撃から逃れようと後方へ飛んでいなければ、アーチャーは確実に巻き込まれていただろう。
 
「魔術を放ってから避けろとはな――魔女め……」
 
 即死するほどの魔術ではなかったが、巻き添えを食らうなど馬鹿げている。 
 アーチャーは毒づきながらキャスターを見据えた。
 その視線が一本の錫杖を取り出しているキャスターを捉えていた。
 
 細かな装飾が施された優美な錫杖である。
 その杖先には、新円を描くような白銀の円環が施されていて、杖全体は淡い紫の光を放っている。錫杖の長さはキャスターの身長を超えていた。 
 だが、それは英雄が担う宝具ではない。
 それでも、その一本の錫杖には、並みの魔術装具など遥かに凌駕する膨大な魔力が秘められていた。
 
「貴方はここで消えなさい、ランサー!」
 
 キャスターが錫杖の切っ先を、すっとランサーに向けた。
 瞬間、キャスターを中心にして光り輝く魔力の球が溢れ出す。それらは、ふわふわとキャスターの周りを浮いていたが、杖の一振りを受けてランサー目掛けて殺到した。
 続けて巻き起こる激しい爆音と閃光。
 光球は雨あられとランサーに襲いかかる。 
 
「――――キャスターめっ! 一体どれほどの魔力を溜め込んでやがるっ――!!」  
 
 ランサーは境内を縦横に駆け巡りながら、キャスターの操る光球を巧みに避けていく。彼の走った後を追って光球が爆発を繰り返し、境内の至る個所を焼き尽くしながら破壊していった。   
 キャスターの放つ光球の一つ一つが、大魔術に相当する威力を秘めている。如何にランサーとて、直撃を受ければ無事では済まない。
 一つ、二つ程度なら魔槍で弾くことも出来るだろうが、如何せん数が多すぎる。
 
 ――ならば、接敵するまで。
 
 ランサーは何とか光球の嵐を掻い潜って、キャスターに迫ろうとした。だが、キャスターに近づけば近づくだけ、彼女の操る魔術の乱舞は激しくなっていくのだ。 
 
「ちぃ! 魔術師のクラスは伊達じゃないか――」 
「さすがはランサー、その名に恥じない俊敏さね。でも――いつまでも逃げ切れると思って?」
 
 錫杖の一振りで光球の数が更に増す。
 夜空を覆い尽くさんばかりに輝く魔力の塊。それは、神代の魔女が作り出した神話を再現する光景だった。
 無限とも思える魔力から繰り出されるキャスターの魔術。例え卓越した魔術師が数多く寄り集まったとしても、この光景は再現できないだろう。
 それ程に、桁違いの魔術行使。
 だが、そんなキャスターの魔術の乱舞を以ってしても、ランサーを捉えることは出来なかった。
 放つ魔術のことごとくが、ランサーに避けられている。
 もしこの場が広い境内でなければ話しは違ったのだろうが、この広い敷地内でランサーを捉えるのは至難の技どころではない。 
 ランサーは空を舞う翼竜の如く、激しく境内を乱れ飛ぶ。 
 そんな彼の動きを見て、さしものキャスターも眉根を寄せた。 
 
 
「……アーチャー――ッ!」
 
 魔女の声が赤き弓兵に飛ぶ。
 
「一瞬でいいわ。ランサーの脚を止めて」
 
 乱れ飛ぶ光球。それらを避ける神速の槍兵。
 そんな光景を見据えながら、アーチャーが独り呟く。 
 
「まったく、新しい主は何かと注文が多いな。だが、出来ないとは言わないが――――っ!」
 
 双剣を構え、アーチャーが大地を蹴った。
 彼とてサーヴァント。ランサーには及ばずとも常人など遥かに超えた速度で疾走する。
 
「はあぁぁ――ッ!!」 
 
 アーチャーはランサーが光球を避けた瞬間を狙って双剣を打ち込む。互いの位置関係を計算し、卓越した技術を使って行う死角からの一撃だった。 
 だがランサーは、魔槍でその一撃を打ち払うと逆にアーチャーを追撃する。 
 
「――――たわけッ! その程度で足止め出来ると思うなッ!」
 
 赤と青の軌跡が交差する。
 ランサーは光球を避けながらもアーチャーの双剣を捌き、己が槍を繰り出していく。
 
 こと接近戦の技量ならばランサーが勝る。しかしアーチャーには、キャスターの放つ魔術を巧く使って戦う技術があった。光球を避けるランサーの行動を予測して、技量の差を埋める。 
 だがアーチャーとて、キャスターの魔術を受ける訳にはいかない。魔女はアーチャーの巻き添えなど気にもしないだろう。 
 それ故に、満足いくまでランサーの間合いに踏み込めず、彼の足を止めるまでには至らなかった。
 
「流石に楽させてはもらえないか――――だが、これならどうかな!」 
 
 アーチャーが双剣を交差に構えたまま、ランサー目掛けて疾走する。
 その身に魔力を纏って、刹那の間だけでも神速に達し――文字通り赤き閃光となってランサーに突撃したのだ。 
 
「正面から来るとは、良い度胸だぜ――ッ!!」 
 
 迎え撃つは青き槍兵。
 彼は眼前に迫り来るアーチャーに向かって、全力で小細工無しの一撃を放った。
 繰り出す速度が速すぎて、槍の軌跡が消え去るほどの不可視の一撃。その必殺の一撃を、アーチャーは受け止める。 
 瞬間、響く激しい剣戟の音。
 魔槍の繰り出す紅の軌跡と、干将莫耶が織り成す白と黒の軌跡が撃ち合い、激しい火花を散らせた。 
 
「なん――だと!?」  
 
 攻防の中で響くランサーの驚愕の声。 
 ランサーが突き出した槍を、アーチャーは後方に飛んで避けていた。だが、そんなことに驚いた訳ではない。
 彼が驚いたのは、飛び退いたアーチャーの手に双剣が握られていなかったからだ。
 
 ――何時手放した?
 
 そう思った瞬間、ランサーの背後から凄まじいまでの殺気が“飛んで”きた。
 
 殺気の正体、それこそがアーチャーの双剣。
 アーチャーは、刹那の攻防の隙に双剣を空中に向かって投げていたのだ。
 弧を描くようにして迫る白と黒の閃光。それは、夜空を切り裂くようにしてランサーに迫る。
 
「舐めるなっ――――!!」
 
 その完全な奇襲、背後から迫る白と黒の閃光をランサーは魔槍で弾き返していた。
 信じられない反応速度と、勝負勘である。 
 しかし、その攻防を受けてランサーの足が止まった。
 それは、ほんの一瞬の間である。だが、その瞬間こそを魔女は待っていた。
 
 
『――――“塵と消えなさい、ランサー”――――!!!』
 
 
 夜空が青く輝いていた。
 それは、キャスターが描いた光の魔方陣。
 月よりも青く輝く魔方陣は、空中でその魔力を放出し激しく火花を散らせていた。
 迸るキャスターの魔力が空を焼く。 
 そして、キャスターの声と共に魔方陣はその膨大な魔力を開放する。 
 
 ――それは、文字通り夜空を切り裂く青き雷だった。
 
 キャスターの放った大魔術は夜空を青く染め上げて、魔方陣は荒れ狂う龍へと姿を変えて地上に落雷する。
 青き雷は轟音と共に、ランサーがいる立ち位置に寸分の狂いも無く炸裂した。
 瞬間、境内を染め上げる青の閃光。
 青い雷は、ランサーの色すら自身の青に染め上げて、破壊の渦の中に彼を閉じ込めていく。
 
「――――ぐっ……これほどの魔術を、予備動作すらなく発動するとは……」
 
 荒れ狂う閃光から目を覆いながら、アーチャーがキャスターを見やる。
 当のキャスターは、優美に余裕のある笑みを浮かべながら、自身の放った魔術の織り成す青い光を眺めていた。
 
 魔力の乱舞はしばらく続き、激しく砂塵を巻き上げていたが、やがてその光も収まってゆく。
 舞い上がっていた砂埃も落ち、境内に静けさが戻ってきた。
 
 そして、その惨状を二人は見た。
 硬い石造りの地面は大きく陥没し、その周囲は激しく焼かれ、残った魔力の残滓が凄まじい魔術行使の後を伺わせる。
 完璧に破壊し尽くした。そう表現出来る爆心の後だった。この大魔術の直撃を受けていれば、如何なランサーとて生き残る術は無かっただろう。
 そう、直撃を受けていれば――
 
「……今のは、本気で危なかったぜ――」
 
 アーチャーとキャスターが同時に顔を動す。
 その声はキャスターの後方、境内の奥から響いてきていた。二人が見たのは、苦笑いを浮かべながら真紅の魔槍を構える青き槍兵の姿。
 
「…………避けたというの、あの状況から…………?」
 
 キャスターの声に覇気はない。 
 
「……直撃はな。幾らか魔術の余波は受けたさ」
 
 そう言うランサーの鎧の一部は焦げ、露出した肌は焼けて血に塗れていた。
 それでも、キャスターには信じられなかった。
 逃げる時間など皆無に等しかったはずである。事前にアーチャーの奇襲を防ぎ体勢も崩れていたはず。それでもこの槍兵は、刹那の時でここまで逃げ延びていたのだ。
 
「――――やはり貴方を殺すには、その脚を自由にさせないことが重要のようね」
 
 魔女の全身を淡い魔力の光が包み込んだ。
 圧倒的な魔力と殺気。 
 だが、そのキャスターの放つ圧力をその身に受けながらも、ランサーは無防備に魔女の間合いに入っていく。  
 
 一体何をする気なのか。
 キャスターはランサーの放つ異様な魔力を感じ取っていた。
 
 
 
「さすがにサーヴァント二人を同時に相手するってのは、分が悪いか……」
 
 分が悪いと言いながらも、ランサーから撤退の気配は微塵も感じられない。
 ランサーはキャスターの十メートルほど手前で歩みを止め、静かに魔槍を構えた。
 
 それは異様な構えだった。
 槍の穂先を最下段に構えて、ただキャスターの睨み据えるランサー。 
 だが、放たれる殺気、迸る魔力は尋常ではない。今や、ランサーから放たれる凄まじい魔力の渦が、境内を包み込んでいた。
 真紅の魔槍にはランサーの魔力が込められ、全体が赤く光っている。
 ランサーが今から“何を”行おうとしているのか、キャスターもアーチャーも察した。
 
 ――彼は宝具を使用しようとしている。
 
 魔槍にどのような効果があるのか、それを知る術はない。それでも、彼の宝具を包む魔力が、彼の技を受ければたたでは済まないことを如実に教えていた。 
 
 下段に構えた槍から“ゆらぎ”を作り出すほどの魔力が放たれている。 
 その光景にアーチャーは見覚えがあった。
 いつかの校庭での戦い。
 その最後に、ランサーが放とうとしていた技――
 
「――逃げろっ、キャスターッ!!」
「キャスター……その心臓、貰い受ける――――ッ!!」 
 
 アーチャーの声とランサーが動くのはほとんど同時だった
 ランサーは一足で以ってキャスターの間合いに入り、下段に槍を構えたまま――
 対するキャスターも、アーチャーの声と同時に後方へと飛び退っていた。
 
 だが――間に合わない。
 
 
『――“刺し穿つ”……』
 
 ランサーの声で真名が唱えられる。
 この一撃こそ、ランサーが放つ必殺の一撃に他ならない。  
 
『“死棘の槍”――――!!!』
 
 ランサーの技が成った。 
 真名を以って放たれた真紅の魔槍は、その秘められた呪いを全開にしてキャスターに襲いかかる。
 
 下段から突き上げるような一撃。 
 槍の軌跡は間違いなくキャスターの胸を貫いた。
 しかし、槍が貫いた瞬間にキャスターの姿が陽炎のように消え去ってしまう。
 必殺の一撃を受けて、消滅した訳ではない。
 魔女は、その姿を空中へと転移させていたのだ。 
 
「――――空間転移か固有時制御か。どちらにせよこの境内ならば魔法の真似事さえ可能という事か……」
 
 アーチャーの驚きとも、賞賛ともつかぬ呟きが漏れる。
 
「惜しかったわね、ランサー。だけど――」  
 
 キャスターは技を放った後のランサーに狙いを付けて、今度こそ槍兵を消滅させるべく杖先を地上に向けて―― 
 
「馬鹿な……っ!?」 
 
 アーチャー叫び。キャスターの驚愕。
 その光景を見れば無理もない。
 空中に君臨するキャスター。そのキャスターに向かって真紅の軌跡が“伸びて”いく。
 それは本来槍が行える攻撃方法ではない。
 ありえない角度、ありえない軌道。それこそが、あらゆる法則を無視したランサーの放つ宝具の一撃だった。
 
 ランサーの持つ槍ゲイボルクこそ、因果を逆転させるという原因の槍。その呪いは、放った時に“既に心臓を貫いている”という結果を持つ。“既に心臓を貫いている”のだから、技を放たれた後に空間を渡っても無意味。 
 真名を以って放たれた一撃は、如何なる防御、回避行動をも潜り抜け確実に相手の心臓に達する。
 
 ――故に必殺。
 
 この魔槍に狙われて生き残る術はない。
 真紅の軌跡は、当然のように空中にあるキャスターを捉え、その身体を刺し貫いていた。
 
「あ――――あはぁ…………ぐぅ……!」
 
 キャスターはその身体を血で真っ赤に染めながら、地面に向けて落下していった。
 ふわりと落ちる紫の女。 
 やがて地面に到達したキャスターは、吐血しながらも震える身体を両手で支えている。
 魔力の全てを傷の再生、自身の保護に使用してキャスターが呻く。 
 
 キャスターは――生きていた。 
 
「――――かわした……だとっ!」
 
 今度の驚愕はランサーのもの。
 必殺の一撃は確実にキャスターを捉えていた。しかし、必殺のはずの一撃は僅かにキャスターの心臓を避けて貫いていたのだ。
 
「ちっ…………“初見”なのが響いたか――――!」
 
 舌打ちしながらもランサーは後方へと間合いを取る。
 既にアーチャーが迫って来ていたし、宝具を避けられた上での二対一は厳しいと判断して、退却するべく山門を目指したのだ。
 
「逃げる気か、ランサー?」
 
 アーチャーが駆けながら青い槍兵を見据える。
 
「十分に役目は果たしたからな。“今度”会う時を楽しみにしてるぜ――!」
 
 槍兵の行動は速い。このままでは、すんなり逃げられてしまうだろう。
 遠ざかるランサーの姿。 
 
「簡単に逃げられるようでは、新しいマスターに対して格好がつかんか……」     
 
 跳び退るランサーを視界に収めたまま、アーチャーが短く呪を口にする。
 
『――――“I am the bone of my sword”――――』
 
 闇夜に響くアーチャーの声。
 続いて、漆黒の弓と捩れた剣をその手の中に生み出した。
 そのアーチャーの生み出した剣を捉えたランサーが、僅かに顔を顰める。 
 
「……馬鹿な、カラドボルクだとっ!? テメエ、一体何者だ――ッ!?」
 
 ランサーが跳び退りながら槍を構える。 
 弓兵は黙したまま槍兵の問いには答えず、その剣を弓に番えた。
 
「ぬううう…………!!」  
 
 魔力を全身に、その両の手に込めながらアーチャーが限界まで弓を絞っていく。
 そして、臨界に達した瞬間も以って 
 
『――――“偽・螺旋剣”――――!!!』
 
 アーチャーがその矢を弓から手放した。
 
 轟音と閃光を纏い、大気を捻じ切るかのようにして、跳び退るランサーを追撃する一矢。
 その一撃は、かつてアサシンに対して放った時以上の破壊力を宿していた。
 ランサー以上の速度で迫るアーチャーの矢。 
 
 そして――――激しい閃光と爆音が山門付近で捲き起こった。
 
 激しく乱舞する魔力の飛沫。
 砕かれた壁の破片や木々が境内まで乱れ飛んで来ている。その光景を瞳に映しながら、アーチャーは無事逃げ延びたであろう少女のことを考えていた。
 
 あの少女のことだ。必ず戻って、いや、攻めてくるだろうと。それが何時になるのかは判らない。ただ、その場面に衛宮士郎が居合わせている確立は高いだろうとも推測していた。
 
 やがて、閃光と爆風も収まり静けさが戻って来る。
 アーチャーは弓の存在をその手から消して、閃光の収まった山門付近を見た。
 そこに青い槍兵の姿は無く、ただ無残に破壊された山門だけが姿を晒している。その残骸を瞳に収めてから、アーチャーは上空の月に視線を移した。
 空には綺麗な月が在り、雲は完全に流れ去っていた。
 しばらく空を眺めていたアーチャーだったが、キャスターの存在を思い出して踵を返す。
 生きているとはいえ、ランサーの宝具を受けて無事では済まない。今は“まだ”キャスターに死なれては困ると、アーチャーは魔女の元に向かうのだった。 
 
  
  
 柳洞寺から立ち昇る閃光を、凛は山の麓から見上げていた。
 先ほどまで居た死地。そこから上った光は彼等の激闘の証だろうか。
 そっと、令呪のあった腕を見つめる。 柳洞寺に向かった時は二人だった。しかし、今は――一人だけ。
 
 ふと凛は衛宮士郎のことを思い浮かべる。彼はセイバーを失った時、どう感じたのだろうと。しかし、そんな考えは無意味なんだと悟って考えるのをやめた。
 それから凛は、上空にある月に視線を向けてみた。
 いつの間にか完全に雲は流れていて、淡い月明かりが地上まで届いている。
 どれくらいの時間そうしていたのだろう。気付いた時にはすっかり身体が冷え切っていた。風邪を引いちゃいけないと踵を返そうとした時、闇の中から一人の人物が姿を現した。
 
「よう、お嬢ちゃん。まだこんな場所にいたんだな」
「ランサー!? アンタ……無事だったんだ」
「まあな。しかしすまねえ。アイツを引きずって来るつもりだったんだが……」
 
 豪快なランサーにしては珍しく口を濁している。だけど、そんな彼の姿が彼女には嬉しかった。
 
「気にしないで。――アイツを、アーチャーを取り戻すのは私の役目よ」
 
 サーヴァントに裏切られて尚笑える少女。その少女の笑顔がランサーにはとても眩しく感じた。
 その少女を見つめながらランサーは思う。
  
 
 ――戦場での裏切りなんざ日常茶飯事。敵になるなら殺すだけだ。だが、目の前で信頼していた者に裏切られる心痛、それは心を殺す。
 自身に近ければ近いほど、受ける傷は深い。外傷なら治る。だが、心の傷は簡単には癒えないのだ。
 そんな裏切りを少女の身で受けて辛くないはずはない。なのに、自分を気遣って笑えるのだ。 
 
 その少女のサーヴァントだったアーチャー。
 確かにヤツは強い。本来の弓を取っての戦いは言うに及ばず、剣を取ってもかなりの腕だ。戦術眼は優れているし、戦上手という言葉が当てはまる。
 だが、ヤツの剣には決定的に“誇り”が欠けている。あの男が取った道は正解なのかもしれない。だが、決して王道ではない。 
 
 ――ああ、そうか。
 
 今気付いたが。俺は奴が気に食わないのだ。 
 目の前の少女はマスターとして申し分ないように見える。それを自らの目的の為に裏切った。その英雄らしからぬ行為が癇に触るのだ。 
 それに気付いて、それで、彼の決心も付いた。
 
「いつまでもこんな場所にいたら風邪引いちまうぜ。さあ、戻ろうじゃねえか」
 
 ランサーが凛の肩に手を置いて、それからスタスタと歩き出した。 
 
「え? 戻るって何処に?」
 
 彼女にはランサーが何を意図しているのか掴めていない。
 凛は、可愛らしく首を傾げている。 
 そんな彼女を振り返ったランサーは、楽しげに笑いながらその様子を見つめていた。 
 
「ドコって、家に決まってんだろ。それとも他に寄るところでもあるのか?」
「…………あの、アンタの言ってる意味が判んないんだけど」
 
 凛の声を受けて、ランサーが仕方ねえなと片手を広げた。
 
「お嬢ちゃんサーヴァント失っただろ。だから俺が代わりになってやるよ」
 
 意味不明。理解不能。目の前の男は何を言っているのか。 
 凛がランサーの言葉の意味を理解するまでに、キッチリ三分かかった。
 そして口を吐いた言葉。 
 
「――――――はあ?」
「あぁ、判り難かったか? だから、アンタのサーヴァントになってやるって言ったんだ」
「…………ば、ば、馬鹿なこと言わないでよっ! 大体あんた他にマスターがいるんじゃないの!?」   
「ああ、いるぜ」
  
 何を当然の事を、とランサーが肩を竦めている。 
 
「――――――ッッ!!」
 
 言葉が出なかった。 
 彼女は怒ったような足取りで、ズンズンとランサーを置いて歩き出す。
 その背中を見て、慌てて青い槍兵が追いかけて行く。
 
「おいおい、怒るなって。別にからかってるワケじゃねえ。キャスターの方面に戦力が集まりすぎるのは歓迎出来ない事態だからな。だから、しばらく手を貸してやるって言ってるんだ」
「――――む」
 
 手を貸す。それは、魅力的な提案である。 
 
「な、悪い話じゃないだろ? 契約は結べないが、形の上ではマスターとサーヴァントだ。嬢ちゃんの言うことも聞くし、他の敵とも戦ってやる。まあ、その代わりと言っちゃ何だが、俺の目的とかマスターとか、その辺りについては話せねえ」
  
 凛にとってランサーの提案は魅力的ではあるが、全く以って不思議で理解出来ない話しだった。    
 まず、彼の目的が判らない。
 確かにキャスター側に戦力が集まっているのは事実だ。だが、そこで彼が自分のサーヴァントになる理由が思いつかない。
 キャスターの戦力を削る手段は、他にも幾つかあるだろう。
 しかも、彼女はアーチャーを失っていて手を組むメリットも少ない。
 疑問は口にするのが彼女の主義だ。
 凛はズカズカとランサーに歩み寄り、その顔をキッと見上げた。 
 
「…………何でそんなに拘るのよ? 確かに今の話しは魅力的だけど、アンタに何のメリットがあるって言うの? その辺りキッチリ説明しなさいよ」
 
 彼女の問いに、ランサーは至極真面目な顔で“真剣”に答えた。
 
「なんでって、その方が楽しそうじゃねえか」
 
 凛の身体が震えていた。
 それは、心底から沸き起こる怒りの現れ。彼女は思い切り拳を握り締め、きつくランサーを睨んで 
 
「――――馬鹿にするなぁぁぁっっ!!」
 
 夜の深山に遠坂凛の絶叫が響き渡った。
  
 本当に、今日は予想外の事ばかり起こる。
 凛は背後にランサーを置いてけぼりにして、衛宮邸を目指して突き進んだ。
 衛宮士郎に話さなければいけないことが山ほど出来た。アーチャーのこと。キャスターのこと。そして―― 
 今夜は長くなるのかもしれない、なんて思いながら夜の深山を歩く。
 そんな彼女の後ろを、当然のようにして青い槍兵がくっ付いて来ている。
 彼女はランサーのことは思い切り無視して、ただ目的地に向かって歩いて行った。
 
 
  
 
 激闘を終えた柳洞寺の石段を、ゆっくりと登る者がいた。
 既に月は傾き、月光は斜めから石段を照らしている。
 金砂のような滑らかな髪。華奢な身体は漆黒の鎧に包まれ、金の瞳は真っ直ぐ前を向いていた。 
 石段を登っているのは一人の少女。魔女の手に堕ちたセイバーだった。 
 
 しゃらんと、漆黒の鎧が鳴る。彼女は、一歩、一歩と確実に石段を登り、やがて無残に砕かれた山門へと至る。
 破壊された山門、その残骸に背中を預けるようにして一人分の人影が佇んでいた。
 彼はセイバーを確認すると、残骸の影から歩き出し月光の下にその姿を現した。
 
 白い髪に褐色の肌。そして纏うは赤い外套。
 アーチャーは登って来たセイバーをその瞳に捉え、じっと見据えている。
 セイバーの金の瞳もアーチャーを捉えた。
 
「――――アーチャーか」
 
 それだけ言って、セイバーが山門を潜ろうとする。だが、アーチャーがその前に立ちはだかった。
 
「――――何用だ、アーチャー?」
「いや、私がここにいても驚かないのだな、お前は」
 
 アーチャーの言葉を受けても、セイバーは微動だにせずにただ前を見ている。
 私に瞳には何も映らない。そう彼女は言いたいのか、アーチャーに返す言葉は抑揚のないものだった。
 
「――興味が無い。そこを退けアーチャー。これからキャスターに会わねばならない」
 
 セイバーの言葉を受けて、アーチャーがやれやれと肩を竦めながら道を開ける。
 開いた道、その先を真っ直ぐに見据えながら、アーチャーには視線すら向けずにセイバーが山門を潜る。
 セイバーが行き過ぎるのをじっと見ていたアーチャーだったが、セイバーが境内の中程に至ったのを確認してから、その背中に声をかけた。
 
「セイバー、これは忠告だが――キャスターに会うならば、その前に涙くらいは拭いて行け。何があったのかは知らないが、そんな顔でキャスターに会ったら変に勘ぐられてしまうぞ」
 
 セイバーの背中を見つめ、それから瞑目して、アーチャーがゆっくりとその姿を消していく。
 振り返ったセイバーの瞳には、もはや誰もいない壊れた山門しか捉えられなかった。
 
 そして、右手で目元を拭う。
 その手は確かに、何かで濡れていた。
 濡れた右手。
 先ほどから頬が熱かったのはこの為か。セイバーは濡れた右手を握り締め、ふと顔を上げてみた。 
 
 境内で一人佇み、一体何を想っているのか。
 傾いた月を眺めながら淡い月光を面に受ける少女。月の夜に何か特別な想いがあるようにじっと空を眺める。
 その少女が、小さく、本当に小さく、一度だけ唇を動かした。
 
 
 ――――シロウ、と。
  
 
 それは、誰にも聴こえない囁き。
 例えアーチャーが姿を消しただけで、セイバーの隣にたっていたとしても決して聴こえはしなかっただろう。それほど小さな囁きだった。 
 セイバーはもう一度だけ目元を拭ってから、キャスターが待つ場所へと足を向ける。 
 月は傾いていたが、夜が明けるまでにまだ少し時間がかかりそうだった。
 
 



[1075] その時、聖杯に願うこと 13
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/03/28 22:39

 その時、聖杯に願うこと 13 
 
 異様な光景が衛宮家の居間に展開されていた。
 これほど異様な光景は、近年まれに見るといって差し支えないだろう。いや、もしかしたら、俺の中で生涯最高の異様な光景なのかもしれない。
 
「お、いっぱしに旨えじゃねえか。やるな、坊主」
 
 焼き魚を箸で巧く捌き、ご飯をかっ込んでいるのは、派手な厚手のシャツに着替えているランサーである。
 
「マスター、よろしければ、お代わりを頂いてよろしいですか?」
 
 両手でちょこんと握った茶碗を差し出しているのは、これまた普段着になったアサシン。
 俺は彼女から茶碗を受け取って、ご飯を盛ってから彼女の手に返した。
 
「おい、遠坂。そこの醤油を取ってくれよ」
「なによ、手が届くでしょ。自分で取りなさい」
「……ちぇ。ケチだな、相変わらず」
 
 愚痴をこぼしながらも、醤油の小瓶に手を伸ばしているのは、ライダーのマスターである慎二だ。
 その慎二をあしらいながら、卵焼きを口に運んでいるのが、赤いあくまこと遠坂凛である。
 
「シンジは卵焼きに醤油をかけるのですか?」
「別にいいじゃないか。僕はね、味が濃い方が好きなんだよ」
 
 卵焼きにどばどば醤油をかける慎二を嗜めたのが、これまた普段着になっているライダーである。
 寒そうなサーヴァント時の服装と違い、ライダーは暖かそうなセーターにデニムパンツというスタイルになっていた。ただ、あの紫のマスクだけは代わらずに着用しているので、少し……いや、かなり違和感がある。
 マスクを外したライダーを見てみたいという欲求が頭を擡げたが、それを言ったら殺されそうな気がしたので、大人しく黙っていることにした。
 
「坊主、俺にもお代わりをくれ。あ、大盛りで頼むわ」
 
 ずい、と差し出されたランサーの茶碗に山盛りご飯をよそってから返す。
 炊飯ジャーを見てみたら、沢山炊いたご飯がもうほとんど残っていなかった。
 
「士郎、私にもお味噌汁のお代わりちょうだいよ」
「おい、衛宮。僕にも味噌汁だ」
 
 遠坂と慎二から椀を受け取ってワカメの味噌汁を入れて返す。
 その俺の仕草をじーとライダーが見ていた。
 
「……ライダーも味噌汁のお代わりいるか?」
「――――そうですね。頂いておきましょう。普段はお代わり等はあまりしないのですが、ワカメの味噌汁という点が食欲をそそります」
 
 ライダーにも味噌汁のお代わりを用意して、それで味噌汁が品切れた。
 
 時刻は午前九時。ここに展開されているのは衛宮家における朝食の風景である。
 俺の隣には遠坂と慎二が。そしてテーブルを挟んで対面側にサーヴァントが三人並んで座っている。
 サーヴァントは、丁度それぞれマスターの前に陣取る形だ。
 
  
 
 ここで少し、昨夜の出来事を振り返ってみよう。
 学園でのアサシンとライダーの死闘。
 そして狂戦士が現れ、死地とかしたグラウンド。そこから何とか逃げ戻って庭でアサシンと会話して、それから慎二の待つ居間へ戻ろうとした矢先、遠坂とランサーが衛宮の家を訪れたのである。
 その光景を前にした時は、驚愕を通り越して唖然としてしまったものだ。
 
 何故ランサーと遠坂が一緒にいるのか?
 遠坂のサーヴァントであるアイツ、アーチャーはどうしたのか?
 そもそも、並んで二人で訪れた割りに、険悪そうな雰囲気を醸し出しているのはなんでだ?
 等など、疑問は尽きなかった。
 
 だが、当の遠坂達も、居間で休んでいるライダーと慎二を見た時には、俺と似たような反応を示したものだ。
 
「あん? なんでココにライダーがいやがるんだ?」
「それはこちらの台詞です。ランサー――貴方がどうして此処に? 闇討ちが貴方の両分でしょう」
「……ちっ! なんなら、いつぞやの決着をココで付けるか、ライダー?」
「二人共やめなさい! この家で暴れるというのなら、私も容赦しませんが――」 
 
 火花を散らすランサーとライダーの視線。そこにアサシンが割って入って更に状況を悪化させたりと大変だった。
 慎二は毒気を抜かれたように座り込んで動かないし、遠坂には争いを止める気配すらない。
 結局、全て俺に御鉢が回って来るのだ。
 
 何とかランサーとライダーの二人を宥めて――もっとも、本気で争うつもりではなかったようだが――六人でテーブルに付いて話しを始めたのは、もう深夜になろうかという時刻だった。
 
 まず、俺から話を始めた。
 主に遠坂に対して、別れてからの出来事、学園での死闘など、今日一日で起こった事実を説明した。
 さすがにライダーと戦ったあたりの話になると、遠坂も眉を潜めて複雑な表情をしていたが、その後でバーサーカー、セイバーと出会った話しになると、何処か暗い表情になっていた。
 この時点で俺は、遠坂の身に何が起こったのかは知らず彼女の真意は判らなかったが、その後で説明された言葉で理解した。
 
 アーチャー。あの男が遠坂を裏切ったのだという。
 
 ――正直、信じられない話しだった。
 
 飄々とした奴だったが、心の底では遠坂を大切に扱っている素振りが見えた。だけど、現にアーチャーが消えてランサーがこの場にいるのだから、信じるしかない。 
 正直、気に入らない男だった。
 反りも合わないし、意見は真っ向から対立した。それでも、まさか、自ら進んでキャスターに付くとは想像の範疇外だ。
 アイツが何の目的を持ってキャスターに付いたのか判らないし、知りたいとも思わない。ただアイツに対して、激しい怒りが込み上げてくるのを感じるのみだ。
 
 遠坂を裏切った。それだけで、俺にとって怒る十分な理由になる。
 サーヴァントを失う辛さを俺は知っている。……いや、セイバーとは無理やりに引き裂かれた。だけど、アーチャーは自らの意思でキャスターに付いたのだ。
 それは遠坂にとって、俺なんかよりもずっと辛い事実のはずだ。
 
 漆黒に染まった剣士。そのセイバーの話しを受けて、アーチャーが敵として現れた時の事を想像したのだろう。
 俯いて、きつく唇を噛んで、それでも必死に耐えている。泣き言なんて一言も洩らさない。そんな遠坂の姿は、とても強く見えて、同時にとても弱くも見えた。
 
 そして――――青き槍兵。 
 
 ランサーがどうして遠坂にくっ付いているのかよく判らない。
 訊けば、遠坂自身にもよく判らないらしい。ランサー本人の言葉によれば、当分は遠坂のサーヴァントでいるつもりだから遠坂と俺達が敵対しない限りは安心していいとの事だった。
 
 だけど、勿論油断していい相手じゃない。
 俺は一度、奴に殺されかけたことがある。あの時セイバーがいなければ殺されていただろう。いや、実際に“一度殺されている”はずなのだ。
 ランサーに対して含むものはあるし、目的も意味不明。
 それでも遠坂の命を救ってくれたのは事実で、この場で戦う意思がないというのは本気に見えた。だから、ランサーに関しては保留することにして、残る一組に目を向けた。 
 
 今一度、慎二とライダーの様子を鑑みる。
 そこに敵意や殺気といったものは感じられず、慎二は何処か憑き物が落ちたように消沈していて、ライダーは事態の推移を見守っているという感じだった。
 
 ――みんな、疲れきっている。
 
 それが率直な感想だった。 
 
 思いついた事、考えついた事もあるし、話したい事もあった。こうして顔を合わせたのだから、お互いに確認することもあるだろう。
 でも、今日はもう休んで明日話そうか。
 その提案に、誰も首を振らなかった。
 
  
 
 そして――現在に至る訳である。
 
 嵐のような朝食は何とか無事に終わり、各自の前にお茶を用意してから、俺は話しを切り出した。
 
 
「――――一時休戦しよう」
 
 みんなの視線が一斉に俺に集まった。
 
「昨日遠坂から聞いたことを合わせると、今キャスターの下にはセイバーとアーチャーが揃ったことになる。正直、一組のサーヴァントとマスターでは相手出来ない。一時休戦、出来れば力を合わせて当たれたらと思うんだ」
「……そうね。柳洞寺には結界も張ってあるし、蓄えられた魔力は尋常な量じゃなかった。魔女の結界に剣と弓の英霊。それに、まだキャスターのマスターについても判っていないし……」
 
 遠坂が一同を見回しながら昨夜見てきた、感じたことを話していく。
 それをランサーが受けて
 
「あの魔女のことだ。もしかしたら自らのマスターは拘束してるかもしれねえ。その方が好きに動けるだろ?」
「……ありえますね。キャスター程の魔力を持っているなら、並の魔術師程度、操るも拘束するも思いのままでしょう」
 
 ランサーの意見にライダーも頷いていた。
 
「俺達は敵同士だった。実際戦っているし、傷も負った」
 
 ライダーとアサシンは昨日死闘を繰り広げたばかりだし、ランサーは俺とも遠坂とも戦っている。もしかしたら、ライダーとも戦っているかもしれない。
 だけど拘っていられない時がある。 
 
「お互い含むものもあるだろう。俺だって――」
 
 一瞬だけランサーを視界の端に捉えた。
 俺の胸を無造作に貫いた男。ただ目に映ったものを殺したという感じで、軽く命を摘んだ槍兵。
 当のランサーは俺の視線に気付いているのかいないのか、この場を楽しんでいるという感じで状況の推移を見守っている。俺はランサーから視線を切ると、改めてみんなを見回した。 
 
「――俺だって遺恨が無い訳じゃない。だけど、ここで俺達が争っても喜ぶのはキャスターだけだ。なら、一時的にでも休戦して手を組んだ方が、お互いにとってプラスになるんじゃないかと俺は思う」
 
 それが俺の出した結論だった。 
 
「――――どうだ遠坂? 慎二?」
「私は……アーチャーを失った身だから是非もないわ。戦力はキャスターを倒すのに必要だし。……まあ、今はヘンなのがくっ付いて来てるけど」
 
 遠坂の視線が“ヘンなの”を捉える。
 当の“ヘンなの”は、そりゃないぜと肩を竦めている。
 
「――そうか。なら慎二はどうだ?」
 
 慎二は僅かに逡巡してから口を開いた。 
 
「僕は……キャスターがどんな奴なのか知らない。話しを聞いて危険な奴だってのは分かるけどさ。でも僕は、昨日出会った化物の方が気になるね」
  
 化物――――バーサーカーか。
 
 思い出しただけで震えがくるほどの、絶対的な死の象徴。
 それはキャスターとは方向性の違う、目に見える恐怖。確かにあの巨人も戦力として見れば、キャスター陣営に劣らないかもしれない。
 そう思っていたから、次の慎二の言葉は予想外だった。

「あんなケタ違いの化物が二人もいるなんて……さ」
 
 化け物が二人?
 
「…………慎二。二人って、バーサーカーだけじゃないのか?」
「何を言ってるんだ衛宮。ちゃんと二人いたじゃないか。あの巨人と黒い剣士がさ。僕だってマスターなんだ。あの黒い剣士がバーサーカーに劣らない化物だって分かった。…………そっか、片方はキャスター組なんだ」
  
 慎二がセイバーを化物呼ばわりするのは……分かる。
 セイバーがあの状態になってから彼女が戦った場面を見た訳じゃない。けど、あの漆黒の剣士となったセイバーの力は決してバーサーカーに劣るものではなかった。
 力だけを見れば、セイバーは“化物”なのだろう。 
 だけど、それでも、そう慎二が言うのは――――俺としては悲しい事実だった。
 
「まあ、仲間意識みたいなものはないけど、休戦っていうのはいいと思うぜ。僕だって死にたくないからね」
 
 死にたくないから手を組む。
 仲間になるのじゃなく、休戦協定。それで十分だ。
 俺はまだ死ぬわけにはいかない。やらなきゃいけないことがある。
 
 遠坂と慎二を改めて見て、二人は休戦には応じてくれそうだと心に書き加えた。
 次は三人のサーヴァントだ。
 アサシンとライダー。そしてランサー。
 直接話した訳じゃないけど、アサシンは応じてくれると思う。問題はライダーとランサーの意向だ。だけど、アサシンの意見を俺が決め付ける訳にもいかない。
 俺は彼女の意思を確認しておこうと、アサシンの瞳に視線を合わせてから口を開いた。 
 
「じゃあ、アサシンは休戦についてどう思うんだ? 率直な意見を聞かせてくれ」
「私はサーヴァントとしてマスターに従うだけです。マスターが休戦するつもりなら反対する理由はありません」
 
 彼女は予想通りの答えを返してくれた。だけど、それは彼女の意思じゃない。
 あくまで衛宮士郎のサーヴァントとして答えただけだ。
 
「アサシン。サーヴァントとしてじゃなく、アサシン個人が思うことを教えて欲しい。嫌な事を押しつけたくないし……まあ、戦うって言われたら説得するけどさ……」
 
 俺の言葉を受けて、アサシンは困ったような、それでいて嬉しいような、そんな複雑な表情を浮かべている。
 それから逡巡するように辺りに視線を這わせてから、改めて俺に顔を向け答えてくれた。
 
「そうですね、手を組むことに賛成です。ライダーとは……昨日戦った仲ですが、敢えて決着をつけようとも思いません。私達単独でのキャスター打倒は厳しいでしょうから、戦力を集めることは上策だと思います」
  
 アサシンが力強く頷いた。
 これで後は二人。 
 
「ありがとう、アサシン。……それで、ライダーとランサーは今の話しをどう思った?」
 
 残る二人のサーヴァント、ライダーとランサーを見つめる。
 ライダーは目元が覆われているので表情は読めなかったが、ランサーは俺達のやりとりを楽しそうに見つめていた。
 その中から、まずライダーが口を開いた。 
 
「私は基本的にアサシンと同じですね。マスターに従います。ただ、一つ訊いていいですか?」
「ん? 何だ、ライダー?」
「手を組む――とは、具体的にどのような感じなのでしょう?」
 
 最もな疑問である。
 
「実はそこまで深く考えていた訳じゃない。ただ、ここで俺達が争うことは駄目なんじゃないかって思っただけだ。喜ぶのはキャスター一人だけだ。それに、遠坂とは勿論、慎二とだって出来れば戦いたくない」
 
 慎二とは話さなければいけないことがある。
 その為に昨日戦った。でも、出来れば、穏やかに話せるのなら、それは良いことだと思う。 
 
「では、具体的な事は追々決めるとして、とりあえず私達の間に休戦体制を築くということですか」
「そう思ってもらって構わない。……出来れば共同して事に当たりたいとは思ってるけど、相手の出方にもよるし、俺達にもそれぞれやる事があるだろうしな」
 
 俺には譲れないものがある。
 それは、遠坂にだって、きっと慎二にだってあるだろう。だからこそ、それらを潰さない為にここは手を組みたいと思った。 
 そう考えてから、最後の一人であるランサーに話を振ろうとした時、突然電話のベルが鳴り響いた。
 リンリンリンと、居間までベルの音が伝わってくる。その音にみんなが一斉に振り向いた。 
 
「……ごめん、ちょっと出てくる」
 
 電話は廊下側にある。俺は立ち上がって廊下に出た。
 その間もベルの音は続いている。仕方ないので、少し駆け足になって電話を取った。
 
「はい、衛宮で……」
 
 最後まで言葉を告げられない。
 受話器を上げた途端に響くけたたましい声。その声の主を俺は知っている。
 
 電話の相手は藤ねえだった。
 藤ねえはかなり興奮していて中々要領を得なかったが、聞き返しつつ、話しをじっくり聞いて、何とか理解した。 
 重大な話しではなかったが、今の状態に無関係ではない。 
 挨拶もそこそこに電話を終えて、俺は居間へと戻る。そこには、何の電話だった? と目で語る人物が五人待ち受けていた。
 
「どうやら、当分学校が休校になるらしい。……原因不明の破壊跡が、校舎、施設を問わずあちこちに起きていて、調査と事後処理の為に立ち入り禁止になるそうだ……」 
 
 破壊と聞いて遠坂が目を輝かす。
 ピーンときたという感じだ。 
 
「破壊跡ねえ。まあ、事後処理はレヴィアがうまくやるでしょ。その為の監督役なんだし。でも壊したのってやっぱり士郎達? 昨日の夜は学園に行ってたんでしょ?」  
 
 遠坂の言葉を受けて、ライダーとアサシンがすっと目を逸らした。
 それを目ざとく見つけたランサーが、二人に嫌味な笑みを向ける。
 
「学園で破壊活動だと? それをやったのはお前等か? このお転婆どもが。あんまり人様の物を壊すもんじゃねえぜ」
 
 衛宮家のガラス等、散々壊したランサーが何かを言っている。
 ただ、俺は事態をややこしくしたくなかったので、大人しく黙っておくことにした。
 
「……私達はそれほど激しく殺り合った訳ではないので、きっと別口でしょう。そうですよね、ね? ライダー?」
「アサシンの言う通りです。きっと、バーサーカーとセイバーが破壊したに違いありません。…………何ですかシンジ? その、何か言いたそうな目は?」
 
 どうやら慎二も黙っておくことにしたみたいだ。
 五年来の友人だが……お互い少しは成長しているようだ。
 そこで突然の電話に挟まれて、まだ意思を確認していない人物がいたのを思い出した。
 
「そうだ、ランサー。話しが途中になったけど、さっきの話しをどう思った?」
「あ、別にいいんじゃねえか?」
 
 やけにあっさりと、ランサーは了承した。
 何処かその辺りに買い物に行って来る、みたいな簡単な了承だった。
 
「……本当に良いんだな?」 
「ああ。お前らは難しく考えすぎなんだよ。戦争で味方が敵に、敵が味方になんざ珍しくもねえ。敵なら殺す。で、現時点でお前等は敵じゃねえ。それだけだ」
 
 現時点で……か。
 でも、今はそれでもいい。
 サーヴァントのいないマスターが如何に無力か俺は知っている。
 遠坂は例え一人でも戦おうとするだろう。ならランサーが形だけだとしても、遠坂のサーヴァントとして手助けしてくれるなら、それは俺にとっても嬉しい事実だ。
 
「じゃあ、一時休戦ってことでいいか、みんな?」
 
 ゆっくり一同を見回した。
 反対意見は出なかった。
 
 
 
「じゃあ、少し現状を整理してみましょう。まずキャスター、セイバー、アーチャーの柳洞寺組ね」
 
 遠坂が何処からか取り出したメモ用紙に、柳洞寺組と書き込んでいる。
 
「そして私達――アサシン、ライダー、ランサーの衛宮組ね」
 
 きゅっきゅと衛宮組と書き足す。
 しかし、そのネーミングセンスはどうかと思うぞ遠坂。
 
「最後に……イリヤスフィール&バーサーカー組みっと」
 
 大きくバーサーカーと書き込み、最後に丸で囲んだ。
 その図を見て 
 
「こうして見ると、バーサーカー単体が劣ってるように見えるんだが……実際はそうでもないよな?」
 
 俺の言葉にみんなが頷く。
 あの巨人を目にしたことのある者ならば、単騎だからと侮って良い相手じゃないのは骨身に染みて判っているはずだ。
 
「イリヤスフィールはマスターとして飛び抜けてるわ。バーサーカーも規格外の存在だし、決して戦力的に劣っている訳じゃない。逆に一番劣っているのは……私達だと思う」
「何でだよ。僕達も三人じゃないか」
「忘れたの、慎二? キャスターにはセイバーが付いている。魔女の結界もある。逆に私達は、休戦したとはいえ結束してる訳でもないしね」
 
 遠坂が人差し指を立てて語る。
 彼女の得意のポーズ。どうやら、調子が出てきたようだ。
 
「でも、劣ってるイコール負けって訳じゃない。幾らでも出し抜く方法はあると思うわ。バーサーカーだって不死身じゃない。きっと倒す方策はあるはずよ。もっとも、それは相手にも言えるんだけど……」
 
 遠坂の言う通り、依然として厳しい状況下で楽観などしていられない。
 俺は聖杯戦争に勝つことが目的じゃないけど、戦わなければ目的は達成出来ない。
 目指す道のりは険しい。
 だけど、セイバーを失ったあの時から比べれば、信じられないほど状況は好転している。
 アサシンがいて、遠坂がいて、慎二もいる。
 この先何が起こるか分からないけど、ここからもう一度スタート出来るんだ。
 
「アサシン」
 
 そこで赤い髪の少女に顔を向けた。
 アサシンは両手で湯呑みを持ってお茶を飲もうとしていたが、それをテーブルに戻して、漆黒の瞳を向けてくれる。
 
「何ですか、マスター?」
「もう、傷の方はいいのか? 昨日は……かなりやられただろ?」  
 
 血に塗れたアサシンを思い出す。
 昨夜家に戻った時には、もう傷は塞がって表面上は大丈夫そうだった。だけど内面までは分からない。
 
「そうですね、外傷はまったく問題ありません。ただ、魔力をかなり消耗しましたので、回復にはもう少しかかると思います」
「私も同様ですね。魔力が完全に回復するまでには、もう少し時間がかかるでしょう」
 
 アサシンの声を受けて、ライダーも答えてくれた。
 正直に話してくれたのは、ライダーなりの誠意なのかもしれない。隠しておけるなら、隠しておいた方が良い事実なのだから。
 
「それなら今日は、ゆっくり休息を取ることにしましょ。お互い考えること、やることもあるでしょ? 親睦を深めるのもいいしね」
 
 遠坂の言葉を聞いて、ランサーが大きく手を打った。
 何か……思いついたようだ。
 
「なら、バーベキューでもしようぜ。御あつらえ向きの庭があるんだ。ちょうどいいじゃねえか」
 
 唐突なランサーの提案。 
 そのランサーの言葉に、みんなが言葉を失ってしまった。
 しーんと沈黙が降りた衛宮の居間。そこから一番速く復活したのは遠坂だった。 
 
「な、なに言ってんのよランサー! この寒空にバーベキューですって? それに今がどういう時か判ってるでしょっ」
「あのな嬢ちゃん。親睦を深めるには、昔から旨い飯を食って話す。そう相場が決まってんだ。酒があれば尚更言うことはねえ」
 
 判ってないね、と笑みを浮かべる槍兵。 
 どうやらランサーは、今を楽しむということを至上としている雰囲気がある。目先の苦難に捕らわれて、今を楽しまないのは損だと考えているのかもしれない。
 
 休息――戦いに行かないのなら、この場で楽しんでしまえと。 
 
 だけど、今のこの提案に俺は賛成だった。顔を突き合わせて話しをしていくなら楽しい方がいい。 
 問題は他のみんながどう言うかだが……。
 
「いいね、僕は賛成だ。ライダーが万全になるまで家に戻る訳にもいかないんだ。ワイワイやるのも悪くない」
 
 意外にも慎二が乗り気だった。
 そしてライダーも
 
「バーベキューですか。そういう食事は、何処か懐かしい気がしますね」
「焼くだけですが素材の味を楽しむ。私も、懐かしく感じます」
 
 アサシンがライダーに何やら共感している模様。
 昔の食事って基本的に火を通すだけだろうから、お互い感じるものがあったのかもしれない。
 これで賛成者が五人。 
 
「ああ、もうっ。わかったわよ。だけど、やるからには本格的にいきましょう。――――士郎、バーベキュー用の道具とかあるのかしら?」
 
 残った遠坂も決意を固めたようだ。
 だけど、少し固めすぎかもしれない。目を輝かせて、じっと俺を見ている。
 
「ど、土蔵の中に一式あると思う……。藤ねえが同じように庭でやろうとして、昔に持ってきた」
「いいわ。じゃあ買い出しは士郎と慎二に任せるわね。六人分、しっかり買ってきなさいよ。私は今ある物で下拵えをしておくわ。あ、台所借りるわね。――ランサーは言い出しっぺ何だから、鉄板とか土蔵から運びなさいよ」
 
 テキパキと遠坂が指示を出していく。
 鍋奉行のような所行である。
 
「昼食は……中途半端になるといけないから抜きにして、その分バーベキューに全力を注ぎましょう。ライダーとアサシンは士郎と慎二の護衛をしっかりね。で、士郎、土蔵って何処よ?」
 
 もう決まった。いや、決めたと、遠坂が土蔵を見に行くべく腰を上げた。
 
「あ、ああ。案内する……」
「じゃあ、ランサーも付いて来て」
 
 あいよっとランサーも立ち上がる。
 未だ昼前ではあったが、遠坂の采配で作戦は開始された。
 
 
 
 マウント深山商店街を、両手に荷物を下げて歩く。
 各種野菜に数種の肉類。その他の食材や飲み物雑品など、六人分の食材はかなりの量になった。
 俺と慎二だけでは持ちきれなくなり、アサシンとライダーにも出張ってもらうことになったのは少々心苦しい。
 
 その二人は少し前方を並んで歩いている。
 ライダーの長い髪とアサシンのポニーテールが、歩く度に揺れるのが面白い。時々顔をつき合わせて話しをしているみたいだし、思ったよりも二人の相性は良いのかもしれない。
 
「おい、衛宮。こっちの荷物重いじゃないか」
 
 慎二は俺の隣で、やはり両手に荷物を下げている。
 色々と文句を言っているが、その荷物を選んだのは慎二である。家に着くまで頑張ってもらおう。
 
「しかし、慎二って結構買い物慣れしてるんだな。もっと大雑把に選ぶかと思った」
 
 慎二は買い物の時、品物や値段を基準に真剣に選んでいた。
 俺はよく買い物をするから当たり前だけど、慎二は金持ちの坊ちゃんだから、その辺りは適当なんだろうと思っていたんだが、間違いだったようだ。
 
「良い品を安く。当たり前だろ? 何でもそつなくこなすのがスマートなのさ」
「何でもこなすって言えば、遠坂だな。苦手なことってあるのか、あいつ?」
 
 穂群原学園一の優等生、遠坂 凛。
 学業優秀、品行方正。魔術の腕は一流で、機転も利けば理解も早い。
 品行方正という点だけは怪しくなってきたが、何でもこなすのは間違いない。本当に完璧超人かと思える奴だが、いつか、弱点を仕入れたいものである。
 
「遠坂? あれは天性の貧乏性だよ。何もしなけりゃ左うちわなのにさ、好きで苦労してるんだ。つける薬がない」
「そっか…。あいつ、好奇心旺盛ぽいもんな」
 
 よいしょと荷物を持ち替える。
 
「しかし、こうやって衛宮と話すのも久しぶりじゃないか? 最近遊びに行ってないだろ」
「そうだな。考えてみると俺達あんまり趣味あわなかったし。遊びに行くより、こうして無駄話をする時のが多かった」
「まあ、衛宮と遊びに行ってもつまんなかったからね。他に予定がない時だけ付き合ってやってたのさ」
 
 くっくと慎二が笑う。
 それは、いつか見た光景、いつか見た笑顔だった。
 
「よく言うぜ。慎二のケンカに加勢したの十や二十じゃきかないだろ」
「――まあ、そんなこともあったな」 
 
 慎二の性格は誤解を生みやすいから、よく上級、同級問わず喧嘩になったもんだ。
 根は悪い奴じゃない。
 
 そこで、少し会話が途切れた。
 俺も慎二も両手に食材を抱え、並んで商店街を歩いている。その慎二とは、昨日殺す殺されるという戦いを経たばかりだ。
 その俺達が並んで歩いている。
 不思議な光景だ。しばらくは辺りの雑踏だけを聞きながら歩いて行った。 
 
 ふと、冬の冷たい風が頬を撫でた。凍えるほどじゃないけど、気持ちを引き締めるような冷たさを持った風。 
 そこで俺は、もう一度荷物を持ち替えてから、慎二に声をかけた。 
 
「――慎二」
「なんだ、衛宮?」
「その、学園の結界なんだけどさ……」
「心配するなよ、衛宮。結界はライダーに言って解いてもらった。……もう、張っている必要もなくなったしさ」
 
 その質問は予想していたのかもしれない。慎二は視線を動かさず、前を向いたまま答えた。
 それに、俺は一言だけ 
 
「――――そうか」
 
 と、同じく前を見ながら返した。 
 
 確認する術はない。
 だけど、俺には慎二が嘘を吐いている風には見えなかった。
 ふと気付いて見れば、ライダー達は随分と先に進んでいて距離が開いてしまっていた。ライダーとアサシンは、揃ってこっちを振り返り立ち止まっている。
 逆行になって表情は見えないけど、笑っているような気がした。
 それを見て、俺は走り出す。 
 
「いくぞ、慎二!」
「おい、荷物が重いんだって。走るな、衛宮っ!」
 
 文句を言いながら慎二も駆けて来る。
 やがて二人に追いつき、今度は俺達四人で、並んで衛宮の家を目指して歩き出した。  
 
 
 
 ジュウジュウと、肉の焼ける音がする。
 焼き物の出す煙が風に乗って流れ、何ともいえない良い香りを辺りに届けていた。 
 
「やっぱり外で食う食事は最高だなあ、坊主!」
 
 ランサーが焼きたてのカルビを頬張りながら、俺の背中をドンと叩く。
 その衝撃で箸を落としそうになるも、何とか踏み止まって
 
「ランサー、肉ばっかりじゃなく、野菜も食え」
「はっ! 細かいことなんざ気にするな。楽しくいこうぜ、楽しくよぉ!」
 
 言いながら、ランサーが再びカルビに箸を伸ばした。
 ランサーは遠慮なんて何処吹く風とばかりに、どんどんと鉄板上の肉を平らげていっている。こういう事態を想定し、肉の量は充分確保してあるので、すぐになくなったりはしないだろが、その豪快っぷりに一抹の不安がよぎる。
 更に俺は、何というか、適役なのだろうか。いわゆるバーベキューでの焼く係りに任命されてしまった。自分で騒ぐよりも、騒ぐ人を見ている方が楽しいので、適役といえば適役なのだろうが……。
 
「こらぁ、慎二! それは私が確保しておいたやつよ。返しなさい」
「こういう場では早い者勝ちだ。遠坂はそこにあるウインナーでも食べてろよ」
 
 遠坂と慎二の間では食材を巡る抗争が起こっている。
 だけど……勝つのは遠坂だろう。
 慎二の為にも多めに焼いておくか。そう思って、食材をきびきびと鉄板に並べていく。 
 
 夕日が傾く時刻。夕食という時間には少し早いかもしれないが、昼食を取っていないのでみんな箸は進んでいるようだ。吹く風は心地よく、肌寒さは感じない。
 空にかかる雲も少ないし、今夜は綺麗な月が出そうだった。
 
 そこで、近くで座ってるアサシンに視線を向けてみた。
 彼女は取り皿に食べ物を移して、ふーふーと息を吹きかけてから食べていた。
 モグモグと口が動いている。
 彼女は、よく噛んで食べる人のようだ。
 
「アサシン、食べたい物があれば言ってくれ。焼くからさ」
「いいえ、充分に頂いています。お気遣いなくマスター」
 
 こういう返答は焼く方からしたら困る。困るが、仕方ないので、近くにある袋から適当に取り出して焼くことにした。 
 
「……じゃあ、適当に焼いていくから、適当に取っていってくれ」
 
 はい、と頷いて箸を伸ばす彼女。
 夕日に赤い髪が映えて輝いている。それは、とても絵になる光景だった。 
 
 しばらく、バーベキューを楽しむみんなを眺めながら焼き続ける。だけど、食材より先に炭の残りが心許なくなってきた。
 一旦焼くのを止めて、縁側まで炭を取りに行くことにした。
 鉄板は藤村組特製の大型の物で、幾らでも焼くことが出来るのだが、その分、炭の量がかなりいる。食材より先に炭が尽きないかと心配になる。
 炭を求めて縁側へ。そこに到着してみれば、みんなを見つめるようにして、ライダーがちょこんと座っていた。
 ライダーの側にあった炭の箱を抱えながら、折角なので彼女に声をかけてみた。
 近くで見るライダーは驚くほど艶っぽく、大人の女性だなと感心させられる。 
 
「食べないのか、ライダー?」
「頂いてますよ」
 
 ライダーが自分の取り皿を俺に見えるように持ち上げた。
 確かにそこには、幾つかの食材が乗っていた。
 
「それで足りるか? まだまだいっぱい材料はあるから、遠慮はいらないぞ?」
「遠慮している訳ではないのですが……そうですね、折角ですから頂いておきましょう」
 
 俺が炭を取って返すのに付き合うように、ライダーも腰を上げた。
 
「そうそう、ライダー大きいんだからもっと食べてくれ」
 
 俺の言葉に、一瞬、ライダーの動きが止まった。
 固まっている……のかな? 
 
「ん、どうしたライダー?」
「…………いえ、別に…………」
 
 何故か箸と皿を持って佇むライダー。
 そこへ、青い槍兵が大量の肉を持って突っ込んできた。
 
「なにしてんだよ、ライダー! ぼうっと突っ立ってないでどんどん食え! 盛り上がらねえだろうがっ」
 
 ほら、ほらと、ランサーが肉をライダーの皿に移していく。
 それをただ呆然と眺めているライダー。
 程なくランサーは、大量の肉をライダーの皿に移し終えると、次はアサシンの奴だなと叫び颯爽と去っていった。
 後に残ったのは、ライダーの皿にてんこ盛りになっているお肉。
 
「その……頑張ってくれ、ライダー」
 
 ライダーを残して鉄板に向かう。
 何故なら、俺にはやらねばならぬ事があるからだ。
 
 そう――俺が焼かねば場が進まない!
 
 ライダーには申し訳ないが、この場は自身の役目に徹することにした。
 
「士郎、はやくはやくー!」
 
 鉄板の近くで遠坂が手を振って呼んでいる。
 
「ああ、今行く。ちょっと待ってろー!」
 
 ランサーの言う通り、こういう雰囲気も良いかもしれない。単純にこの場で結束が深まるなんてことはないだろうが、楽しい食事であることは間違いないのだ。
 
 ただ、場が楽しければ楽しいほど、少し寂しくもなる。
 だって、この場にはセイバーがいない。
 彼女がいたら、一体どんな反応をしてくれたんだろう。
 きっと、喜んでくれたと思う。
 肉を口一杯に頬張って……いや、セイバーは行儀良かったから、がっつくような真似はしないかな。
 
 心にそんな光景を想い浮かべながら、いつか、そんな日がくればいいのにと俺は願った。
 もしそんな日が来たら、気に入らないけどアーチャーも呼んでやろう。
 こういう場だとアイツの嫌味も良いスパイスになるはずだ。
 俺は一度だけ柳洞寺のある方向を見やり、それから炭を持って鉄板まで駆けて行った。
           



[1075] その時、聖杯に願うこと 14
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/04/01 23:13
 
 その時、聖杯に願うこと 14 
 
「ほら、ほら、士郎~! もっと気合入れなさいよ~。そんなんじゃすぐにやられちゃうわよ」
 
 夜を迎えた衛宮邸、そこにある道場に遠坂の声援が響く。俺はその声を受けながら、構えていた竹刀を振り上げて、上段から袈裟斬りに振り下ろした。  
 向かい合う相手はライダー。
 彼女は俺の一撃を、僅かに身体の軸をずらすだけで避けてしまう。その際にも、長い髪を揺らすことなく移動する様は、見ていて関心してしまうほどだ。
 しかし、今の一撃はフェイント。
 何度か打ち合って分かったのだが、ライダーは俺の攻撃を紙一重で避ける癖がある。俺はそれを利用しようと思いつき、初撃を捨てたのだ。
 
「くらえ――ッ!! ライダー!!」
 
 振り下ろした竹刀をすぐさま返しライダーの肩を狙う。
 
 ――渾身の一撃。
 
 裂帛の気合を込めた一撃だ。たが、悲しいかなライダーには通じなかった。
 彼女は苦もなく俺の竹刀を捌くと、逆に体勢の崩れた俺の肩をビシッと撃ち据える。
 
「ぐっ……!」
 
 肩から走り抜ける痛みを堪えながら、何とかライダーから間合いを離す。
 そして竹刀を構え、態勢を整えようとしたが――突然、視界の真ん前にライダーが現れた。
 
「う、うわぁ……!?」
「フフ。見え透いた手ですね」 
 
 ライダーは驚いて硬直する俺を見下ろしてから、すっと姿勢を下げると、やおら下方から俺の竹刀を跳ね上げた。
 片手で放たれたライダーの一撃。だけど、強く握っていた竹刀は空中に跳ね飛ばされ、俺は無防備にバンザイの姿勢をとらされることになる。
 そんな俺の首元に竹刀を突きつけるライダー。
 
「いいぞぉ、ライダー! 衛宮なんてコテンパンにしてやれ!」
「こら、慎二! 黙ってろ……気が散るっ!」
 
 道場の壁に背中を預けて、俺の激闘――もとい、稽古を観戦しながら、盛大に野次を飛ばすライダーのマスターである慎二。
 その慎二に文句の一つでも言ってやろうかと、顔を動かした瞬間、パコっと俺の頭を竹刀が撃ち据えた。
 
「痛っ……」
 
 頭を擦りながらライダーを見る。
 彼女は竹刀を片手で構えたまま、クスクスと微笑を零していた。  
 
「――油断大敵。戦闘中によそ見は厳禁ですよ?」
 
 もう一度、ポンっと竹刀が俺の頭を撃つ。それを合図にライダーが間合いを離した。
 
「よし! 次は俺の番だな、坊主」
 
 それを見て、出口付近で構えていたランサーが竹刀を手に取った。彼の近くには、遠坂とアサシンが仲良く並んで座っている。

 
 今道場で行われているのは、俺とサーヴァント三人による実戦稽古である。俺が一本取られる度に、サーヴァントが交代して相対するという趣向で、もう何度目か分からない交代を迎えたところだ。
 
 ――発端は夕食後。
 
 俺はアサシンに、軽く稽古を付けてもらおうと声をかけた。それを聞いていたランサーが「面白そうじゃねえか!」とくっ付いて来ることになり、これまた傍で聞いていた慎二が「衛宮がやられているところを見てみたいね」とライダーを参加させたのである。
 そして、こんな面白そうなイベントを見逃す遠坂ではない。彼女はドリンクに茶菓子まで用意して、意気揚々と道場まで見学に来たという訳だ。
 
 
「マスター、頑張ってください」
 
 アサシンがひらひらと手を振って応援してくれている。
 その間に、ライダーと入れ代わるようにしてランサーが俺の前に立った。
 
「今度こそ一本……いや、せめて一太刀」  
 
 落ちていた竹刀を拾って両手で握り込む。構えは正眼に。
 竹刀越しにランサーの大きな身体が見えた。正直、実力で及ぶべくもない相手だが、心では負けまいと強くランサーを見据える。 
 
「ほう、気合だけは一人前だな。いいぜ、好きにかかって来な」
 
 槍を構えるように竹刀を突き出すランサー。
 距離的には五メートルほどか。俺はランサーとの間合いを十分に確認してから、床を蹴った。 
 
「うおおぉぉ――っ!!」
 
 小細工無しに突っ込む。
 今までの経験から分かったことだが、俺程度の実力じゃあどんなフェイントを使ったってサーヴァントには通じない。それなら正面から思い切りぶつかる方が、まだ通用する気がする。
 
「はぁぁ!!」 
 
 竹刀を振り上げ、力任せにランサーの竹刀目がけて叩き付ける。それから、反動を利用してランサーの顔面を狙った。
 だが、当然の如く竹刀は空を切って、バランスを崩した俺の脇腹をランサーが痛打する。
 
「ぐっ……痛えぇ……」
 
 脇腹を抑えながらも、何とか後退して間合いを離す。
 幸いランサーは追撃して来なかったので、何とか体勢を整えることは出来た。
 
 仕切り直し――俺は渾身の力で床を蹴って、今度は思い切り竹刀を突き出した。
 その突きを見てランサーが嘲笑する。
 
「ハッ! 坊主。突きってのはな――こうやって出すんだよ!!」
 
 やっぱり俺の一撃など簡単に弾かれてしまった。だけど、そんなのは予想済み、今回は想定内だ。
 俺は弾かれた勢いを利用しながら身体を回転させ、ランサーの懐へと入り込む。
 
「くらえぇぇ――ッッ!!」
 
 機会は一瞬。
 俺は回し蹴りの要領で竹刀を振り抜いた。狙いはランサーの脇腹。言わば、さっきのお返しだ。
 だがランサーは、迫る俺の攻撃など脅威じゃないとばかりに笑みを浮かべると
 
「良い流れだ。だが惜しいな。スピードが足りん」
 
 引き戻した竹刀で攻撃を受け止めると、空いている左手で俺の腹を殴り上げた。 
 
「ぐおぉ……」
 
 胃液が競り上がってくるような感覚。
 俺は無様に竹刀を取り落とすと、その場で膝を折ってしまう。
 
「ぐ…ぅ……ぐ…ランサー……!」 
 
 腹を抑えながら目の前の槍兵を見上げる。奴は、俺の眼前に竹刀を突き付けながら、楽しそうに笑っていやがった。
 
 正直、滅茶苦茶悔しい。
 せめて一太刀と勢い込んでもこの様だ。まるで大人と子供の喧嘩である。
 これが実戦なら、間違いなく俺は死んでいた。

「ランサー……もう一回だ……」
 
 竹刀を手繰り寄せながら立ち上がる。
 これは稽古だけど、だからと言って遊んでいる訳じゃない。少しくらい対応出きるようにならなきゃ、聖杯戦争を勝つ抜くなんて不可能だ。 
 俺は痛みに悲鳴を上げる身体に鞭打って、竹刀を構える。
 
「まあ、待て坊主」
 
 やる気に満ちた俺を制するように、ランサーが竹刀を下げた。
 
「なんだ、ランサー? 俺ならまだやれる。心配ならいらないぞ」
 
 俺の身体を心配して竹刀を下げたのかと思ったが、ランサーは首を振る。
 
「いいから聞け。何度か打ち合って思ったが、お前は筋は良い。身体も鍛えてあるし心構えも十分だ。一流になれる素質は十分にある」
「……だから、何が言いたいんだ?」
 
 褒められてるのだろうが、嬉しいなんて気持ちは微塵もなかった。
 だって、まだ誰にも一撃だって浴びせていない。そんな言葉を貰うよりも今は打ち合いたかった。 
 
「時間が惜しい。もう一度勝負だ、ランサー」 
「急くな、坊主。お前は肝が据わってる分、攻撃に特化する癖がある。だが、攻撃する技術なんてものは一朝一夕に身に付くもんじゃねえ。しかし――防御に限れば話は変わってくる」
「防御……だって?」
「そうだ。お前、マスターとして一番に優先する事はなんだと思ってる?」
「……何だよ、突然?」
「良いから、答えてみろ」
 
 マスターとして優先する事か。
 
 マスターとは即ち魔術師であり、聖杯戦争をサーヴァントと共に勝利するのが目的だ。
 勝利、聖杯を得る事を第一に考えるってのが“普通の”考え方なのは俺も理解している。その上で“俺が”ではなく“マスター”が優先する事となると限られてくるはずだ。
 
「……聖杯を手に入れる。他のマスターとサーヴァントを駆逐するって事か?」
 
 考えて出した答え。
 だが、俺の言葉にランサーは首を振った。
 
「それは目的だ。それを成す為に優先する事があるだろう。いいか? マスターが優先すべきことは、何があっても死ぬなってことだ」
「死ぬな……だって?」
「ああ。マスターを失えばサーヴァントも消滅する。無論――」
 
 チラっと、ランサーがアサシンに視線を移した。
 
「――消滅する前に再契約するって手もあるが、マスターを失ったサーヴァントの力は大きく減じられる。だからこそ敵はマスターを狙うし、サーヴァントは死ぬ気でマスターを守る」
 
 ランサーが何を伝えたいのか、だいたい分かってきた。
 本当なら、俺のような半人前のマスターは隠れているのが一番なのだ。前線には出ず引きこもる。 
 だけど、それが俺には出来ない。
 
「そこで防御だ。防御に徹すれば、相手が例えサーヴァントでも多少は持ち堪えられる。その間にお前のサーヴァントが助けに入るなり、令呪を使うなりと生き残る方法はある。だから、これからは一本を取るんじゃなくってだな、如何に一本を受けないかという方針で稽古しようや」
  
 死ねば、全てそこで終わり。
 理想を目指す事も、キャスターの横暴を止める事も――セイバーを助ける事も出来ない。
 そんなのは、判ってる。
 判ってるけど――
 
「……でも、いいのか? 一応休戦してるけど、敵側のマスターになるんだぞ、俺」
「馬鹿野郎。俺達がちょっと鍛えたくらいで、お前が“敵”になんかなるかよ。坊主は余計なこと考えずに稽古に集中してりゃいい」
 
 分かったらさっさと構えろ、とランサーが俺を促す。
 その時、慎二が立ち上がって、出口に向かうのが視界の端に映った。 
 
「しっかりやれよ、衛宮」
「何処行くんだ、慎二? お前は稽古していかないのか?」
「馬鹿言うなよ。普通はね、魔術師は接近戦なんてしないもんだ。僕はもっとスマートに戦うさ。じゃあ、僕は先に風呂に入らせて貰うぜ」
 
 慎二が後ろ手に手を振るながら、道場を後にする。それを確認してからアサシンが腰を上げた。
 
「では、次は私の番ですね、マスター」
 
 竹刀を手にして、ゆっくりとアサシンが歩いてくる。
 彼女は三人の中では一番戦い方に癖がなく、稽古し易い相手だった。けど、少女の身ながらサーヴァント。剣を一番扱いなれているアサシンの一撃は、小さな身体に似合わず重い。
 
 俺は視線だけを動かして、壁にかかっている時計を見た。
 夕食が早かったので、まだまだ稽古する時間は残っている。
 
「……いいさ。こうなったら、トコトンまでやってやる!」
 
 眼前に立ったアサシンを見据え、俺は竹刀を構えた。
 
 
 
 
 庭に出た途端、切れるように冷たい風が、容赦なしに肌を刺してきた。
 空には僅かに薄雲が残っていて、月明かりを遮っているものの、歩く分に困らないだけの光量は地上に降りていた。
 俺は空を見上げてから、ゆっくりとした足取りで土蔵へと向かう。
 道場での稽古は苛烈を極めたが、みんなの手加減が巧かったのか、それほど深刻なダメージは身体に残っていない。まだ眠る時間帯でもないし、どうせなら魔術の鍛錬をしよう思ったのだ。
 
 重い扉を開いて中へ。
 土蔵の中は薄暗く、窓からの銀光だけが光源として空間を照らしていた。
 だけど、俺にはこれで十分だった。逆にこの方が落ち着くほどである。
 
 俺は土蔵の中心まで歩き、ゆっくりと精神を集中させていく。
 
 ――そして、唱える。 

『――“投影、開始”……』
 
 俺は“作り出す”べく、心に強くイメージした。
 強化と複製。元からある物と元々ない物。そんな違いなど僅かなものだと思い込み、魔術回路を必死に駆使しながら作り出す。
 思い描くのは二本の剣。悔しいけれどアイツ――アーチャーが使っていた剣が一番強く心に残った。
 それは白と黒の双剣。陽剣干将、陰剣莫耶。   
  
「……っ」 
 
 ――強く、イメージする。
 
 俺には作り出すこと――“剣製”が出来るはずだ。
 かつて見た夢の中で、セイバーの夢を見たあの時に、俺は確かに剣を作り出していた。
  
 
【――お前が使える剣なら、俺が用意する――】 
 
 
 彼女の為に、俺が作った。 
 はっきりと覚えている訳じゃない。記憶の底に埋もれ、霞みがかってしまった泡のような光景。それでも、そのことは忘れるなと魂が訴えかけていた。
  
 ――陽剣干将、陰剣莫耶。
 
 剣製の工程を八節に分けて作り出す。

「――ぐぅぅ…………!」
 
 身体が震え、眩暈が視界を揺らしている。
 本能が、これ以上投影を続けるなと訴えていた。
 
「――ぐ……ぐぅぁ……!」  
 
 それでも、魔術回路をフル稼働させて続ける。
 
「うあぁぁっ――――ッッ!!」
 
 脳裏に拡がる双剣のイメージ。そのイメージは次第に収束していき、形となって現れてくる。
 やがて、両手に感じる確かな感触。
 
「で……出来た……!?」 
 
 そう思った瞬間、干将莫耶は甲高い音と共に崩れ去ってしまった。
 
「…………あ」 
 
 砕けた破片が床に落ち、乾いた音を立てている。 
 もう、両手の中にあの確かな感触は残っていなかった。
 
「はあ…はあ…はあ……くそぉッ!」
 
 鼓動が激しく脈打ち、息が切れて、真冬なのに汗が流れ落ちている。身体が震えているのは、寒いからじゃない。
 投影を行使した代償か。それでも、一旦とはいえ作り出すことに成功した。
 俺は、この手応えが残っている内にもう一度挑戦しようと、再び精神を集中させて――
 
「シロウ、そこにいるのですか?」
 
 そんな声に中断させられた。 
 
「…………」 

 一切の思考が止まった。身体はさっきとは別の意味で震えている。 
 シロウと、ありえる筈のない声が俺を呼ぶ。
 そっと振り返った。
 戸口には、ひっそりと佇む女性の影が確認できる。その彼女がこちらへと歩いて来た。
 心臓がドクン、ドクンと早鐘を打つ中で、彼女が俺の視認出きる距離まで近づいてくる。
 その姿を俺は見止めて、ほっとしたような、残念なような気持ちに苛まれた。 
 
「……何だ、ライダーか」
 
 ライダーは銀光をその身に浴びながら、俺の目の前まで歩いてくる。
 
「あ……“シロウ”ではなく“士郎”でしたね」 

 ライダーの呼ぶ俺の呼び方が、あまりにも彼女に似ていた。だから俺は、ライダーに無理を言って呼び方のアクセントを変えてもらったのだ。
 下らないこだわりだと思う。だけど、シロウと呼ぶあのアクセントは、セイバーだけのものにしておきたかったんだ。

 ライダーは軽く咳払いをしてから、場の空気を変えるように、ほんの少し首を巡らせた。 
 
「これは――投影魔術ですか」
「判るのか、ライダー?」
 
 ライダーが、砕け散った干将莫耶の破片を見つけた。
 
「ええ。私もそれなりに魔術には精通していますから」
 
 彼女は床に肩膝を付いて、砕けた干将莫耶の破片を手に取った。
 それを一頻り眺めてから、ライダーはゆっくりと立ち上がると、やおら俺に視線を合わせてきた。いや、ライダーは目元にマスクをしているからはっきりと判ったわけじゃない。ただ、見つめられているように感じたのだ。
 
「――宝具を投影したのですね。ですが、それは貴方にはまだ早いでしょう。無理をすれば、一生魔術の使えない身体になりますよ?」
「え……? 魔術が使えなくなる――って?」
 
 脅かそうと、そういう訳ではないようだ。
 それはライダーの真剣な雰囲気が物語っている。 
 
「無理をすれば、の話しです。この破片を見る限り、修練を積んでいけばいずれは使いこなせるようになると思いますよ。ですが、今はまだ身体にも魔術回路にも負担が大きい」
 
 ライダーの言う通り、身体のあらゆる箇所に負担が掛かっている。
 それほど投影魔術は俺には荷が勝っている代物なのだろう。 
 
「ですから宝具ではなく、もっと身近な物で鍛錬するのを薦めます」
 
 そう言って、ライダーが足元にあったやかんをコツンとつま先で蹴った。
 やかんはコロコロと転がって、やがて壁に付き当たって止まる。
 
「……そうだな。無理しない程度で頑張るさ。ありがとう、ライダー」
 
 勿論、そんな優長なことを言っていられる状況ではない。
 荷が勝っていようが、投影こそが俺の唯一の武器になる。だからこの言葉は、俺を思って忠告してくれたライダーに対する……思いやりみたいなものだ。
 
 ライダーは、そんな俺に微笑を返してから踵を返した。
 銀光の降る土蔵の中で、ライダーの紫の髪が揺れる。彼女はゆっくりと戸口まで歩き、そこで何かを思い出したように振り返り
 
「そうでした。士郎、お風呂が空きましたよ。私が最後でしたので、それを伝えに来たのです」
 
 染み入るような声で伝えてから、彼女は甘い香りだけを残して土蔵を去って行った。
 
 
 ライダーが去った土蔵の中で、俺はふと気付く。
 始めて会った時ほど、ライダーを怖がっていない事に。
 明確な敵じゃなくなったからか、ライダーが変わったのか。それとも俺が変わったのか。
 それは分からない。
 だけど、どちらにせよ、それは良い事のはずだ。
 そう思ってから、俺は簡単に後片付けをしてから、風呂に入ろうと思い土蔵を後にした。
 



[1075] その時、聖杯に願うこと 15
Name: 石・丸◆054f9cea ID:8782b1c8
Date: 2010/04/05 23:46

 その時、聖杯に願うこと 15 
  
 不思議な光景だった。
 私の知らない世界で、私の知らない人達が戦っている。
 大勢の人たちが死に、大勢の人たちが泣いて、それでも戦いは無くならない。そんな世の中を憂いて一人の少女が立ち上がった。
 黄金に輝く金の髪に、深く澄んだ碧色の瞳。
 華奢な身体を鎧で覆い、数多の騎士を指揮し草原を行く。
 
 その少女の名前を私は知っている。
 なら、この光景は何なのだろうか。夢なのだろうか?
 
 いいや。それはありえない。何故なら、サーヴァントは夢を見ないからだ。
 
 ならばこの光景は、マスターから流れてくる心象風景なのだろう。
 彼がいつか見た光景を私も垣間見ている。
 
 彼女が目指したもの。彼女が志した思い。辛くとも挫けず、ただみんなの笑顔に為にと突き進んだ道。
 それは栄光と破滅へに満ちた軌跡だ。
 この光景を見た時、彼は何を思ったのだろうか?
 
 きっと憤ったと思う。
 やさしくて、厳しい人だから。彼女を思って泣いたのだろう。全てを失っても聖杯を求める彼女を救おうと思ったに違いない。
 
 私はここに在らざる者だ。
 英雄でもなく、英霊でもない。
 そんな私を必要だと言ってくれた。一人の人間として扱ってくれた。
 それは彼にとって些細な配慮だったのかもしれない。けれど、今の私にとっては全てを投げ打つに値する絆になったのだ。
 
 本当なら何を成すこともなく消えるだけの存在。復讐に費やした過去を誰かの為に使える機会を与えてくれた。
 なら私は、サーヴァントとして彼の為に戦おう。彼が求めるものの為に戦おう。
 
 そして、もう一度彼女を彼の元へ。
 
 彼と彼女が共に笑いあえる日がくるようにと願いながら、私は意識を覚醒させていった。
 
 
 
 
「マスター、もう起きているのですか? 毎朝早いのですね。感心します」
 
 朝の鍛錬に道場で汗を流した後、庭でアサシンに声をかけられた。
 
「そういうアサシンこそ早いじゃないか。今はライダーもランサーもいるんだ。もうちょっと寝ててもバチは当たらないと思うぜ」
「その言葉はそっくりとマスターに返させていただきます。マスターは身体が資本なのですから、しっかり休んで頂かないと私も困ります」
 
 両手を腰に当てて、ちょっと怒ったように口を尖らせるアサシン。けど、すぐに破顔すると口元に手を当ててコロコロと笑った。
 その表情はとても朗らかで、見ていて楽しくなってくる。
 朝日を浴びて笑う彼女を、素直に可愛いと思った。
 
「良い表情じゃないか。やっぱり女の子には笑顔が一番似合うと思う」
「え?」
 
 予想外の言葉を貰ったと、アサシンがきょとんとしている。その仕草が可笑しくて、俺はちょっと噴出してしまった。
 
「……どうして笑うのですか、マスター? 何というか、少し遺憾を覚えます」
「悪い。けど他意はないんだ。ほら、アサシンっていっつも張り詰めてるところがあるだろ? だから新鮮だなぁと思ってさ。お詫びに腕によりをかけて朝食を作ることにする。期待しててくれ」
 
 そう言ってから彼女に背を向けて屋敷に向かう。
 約束どおり美味しい食事を作ろう。そう思いながら台所まで駆けて行った。
 
 
 
 
 時刻は早朝、衛宮家における朝食の時間帯である。
 俺は、みんなの分の朝食を用意しようと台所に立っている。
 昨日はご飯だったので、今日の朝食はパンにしようかと、スクランブルエッグを作っている最中なのだが……。

「ごめん…士郎……。牛乳……飲ませてぇ……」
 
 突然幽鬼のような人物が台所に現れてしまった。
 その人物――パジャマ姿の遠坂は、よろよろと冷蔵庫に近づいて……ゴン、と頭をぶつけたりしている。
 ちょっと痛そうだ。 
 
「いたぁ……。あたま……うったあぁ……」
 
 打った箇所を手でさすりながらも、何とか冷蔵庫から牛乳を取り出して虎模様のカップに中身を注いでいる遠坂さん。それからカップを手に取ると、やおら一気に煽ると、ゴクゴクと喉に押し込んでいく。
 はてさて牛乳を飲み終わった遠坂は、頭を打った衝撃が効いたのか、それとも牛乳が効果を発揮したのか、いつもの澄ました彼女に戻っていた。

「あら、士郎。今日はパン食なのね」
「昨日はご飯だったからな。各人好みもあると思って今朝はパンを用意した」
 
 よっと、出来上がったスクランブルエッグを皿に盛りつけていく。
 簡単な料理だが、流石に六人分だと少々時間がかかる。そのスクランブルエッグを、何処から取り出したのか謎のスプーンで、ひとさじ掬って摘み食いする優等生。
 
「ふむ。けっこう美味しいじゃない」
「こら。意地汚いぞ、遠坂。残りは朝食まで待て」  
 
 再び伸びた魔手を叩いて阻止し、サラダの用意に取りかかる。遠坂は、ケチねえ、と呟いてから改めて声をかけてきた。
 
「ねえ、士郎。朝食の後で話しがあるんだけど、いい?」
「話し? ここじゃまずいのか?」
 
 手は止めずに顔だけ彼女へ。
 
「う~ん、ここでもいいんだけど、出来れば二人きりで話したいから」
 
 二人きり――ということは、内緒の話しか。
 確かに台所だと声も通るし、誰が来るか判らない。遠坂が二人きりでと言うからには、重要な話なんだろう。
 
「わかった。じゃあ俺の部屋……は何にもないから、遠坂の部屋でいいか?」
「ええ、いいわ」
 
 衛宮の家には沢山の空き部屋がある。
 ランサーにライダー。慎二、遠坂、それにアサシンと、それぞれに部屋を用意してもまだ余っている程だ。 
 その中で遠坂は、ちゃっかりと客間の一室を自分の部屋として確保している。ちなみに衛宮邸でも一番良い部屋になり、遠坂の隣の客間にはアサシンが陣取っていた。
 
 俺は、サラダの用のボウルを取り出しながら
 
「もうすぐ用意が終わるから、着替えて来ていいぞ」
 
 と、遠坂に声をかけた。
 
 彼女は「そう? じゃあお願いね」と、現れた時とは違うしっかりとした足取りで去っていく。それから仕上げにかかり、きっちり六人分の朝食を完成させた。
 
 
 ――余談ではあるが、パン食もみんなに好評だったと付け加えておこう。
 
 
 
 
 客間は、一目で見て判るほどに様変わりしていた。
 あまり物を置いてなかった部屋の中は雑多な物で溢れかえっていて、遠坂の私物らしきものも色々と置いてある。中でも目を引くのは、妖しげで、用途不明な品々の数々。
 もはや、ちょっとした工房の様相を呈していた。
 そんな光景を前にして、一抹の不安が胸によぎる。
 
「……遠坂。まさかとは思うが、このままここに住み付く気じゃないだろうな?」
「は? 何言ってるのよ。そんな訳ないじゃない」 
 
 遠坂はベッドに腰掛けたまま、備え付けの椅子を俺に薦めてくれる。
 彼女の否定の言葉にも不安は払拭されなかったが、このまま突っ立っていても始まらない。俺は椅子に腰掛けながら、ここに来た用件を切り出した。
 
「それで、話しって何だ遠坂?」
「……うん。それなんだけど……」
 
 わざわざ呼びつけた割りに反応が悪い。
 
「なんだよ? 言いにくいことなのか?」
 
 二人きりになってまで言い淀む用件。
 俺は暫し考えてから一つの結論に至った。
 つまりアレな用件な訳だ。確かにアレは言いにくい。言いにくいだろうから、俺から切り出してやろう。

「遠坂――」
「な……なによ、士郎?」
 
 いつになく真剣な俺の表情に遠坂が狼狽する。真相を探られてしまったのかという表情だ。
 
「――もしかして金の話か? 残念だが期待には応えられない。悪いけど金策なら他を当たってく――――」 
「馬鹿ぁぁ士郎――ッッ!! お金の話じゃないわよっ!!」
   
 遠坂の大声で耳がキーンとしてしまう。
 おかげで俺の方が及び腰になってしまったが、それで緊張が解けたのか、遠坂が溜息と一緒に語りだした。
 
「はぁ……。あのね、話しって言うのは――アーチャーのことなんだ」
「アーチャーだって?」
「うん」
   
 遠坂がコクンと頷く。
 
 遠坂のサーヴァントだった弓の英霊であるアーチャー。 
 奴の話し――か。
 でも、何となくそんな気がしていた。他人に聞かれたくない話ならセイバーか、アーチャーに関してなんじゃないかと思っていた。

「……士郎、一昨日の朝のことって覚えてる?」
 
 一昨日の朝――アーチャーと屋上で会話した時だ。
 もちろん覚えている。忘れるはずがない。
 
「あの時、アーチャーの奴一人で屋上に残ったでしょ? その時にさ、士郎と何を話したのかなって」
 
 指先にくるくると髪を捲きつけながら、遠坂はすっと目を逸らす。
 俺の答えが良い話しじゃないと、気付いているのだろうか。
 
 あの時の奴との会話――俺の目指す理想“正義の味方”を真っ向から否定したアーチャー。
 奴と俺の話しは、まったくの平行線だった。
 それでも、何故だか判らないけど、奴の言葉は強く俺の胸に残っている。
 
「そうだな。あの時は――」
 
 遠坂には全て話した。
 俺が奴に言ったこと。それに対してアーチャーが語った言葉。
 俺がアーチャーに対して感じたこと。
 まだ間に合うとアーチャーが放った言葉を、俺が否定した時に感じた殺気のこと。理由なんて未だに見当も付かないけど、あの時アイツから感じた殺気は本物だった。
 
 遠坂は黙って話を聞いている。
 
 アーチャーを失った遠坂。遠坂を裏切ったアーチャー。そこにどんな思いがあったのか、俺には判らない。だけど二人の間には、確かな絆があったはずだ。それを幾度かの邂逅で俺は感じていた。
 誇張しないように気を付けて、事実に齟齬がないように確認しながら話していく。
 そんなに長い時間じゃなかったけど、全てを話し終えた時には、俺も遠坂も盛大に溜息を吐いたものだ。

「そっか……。そんなことがあったんだ」
 
 遠坂は真剣に何かを考えている様子で、じっと天上を見上げている。
 壁掛け時計が奏でる秒針の音が聞こえるほど静寂が降りた部屋の中。喋り疲れた訳じゃないけど、別段声をかけようとは思わなかった。
 しばらくは互いに無言で時を過ごす。
 
 それからどれくらいたったのか。一度大きく頷いて視線を戻した遠坂は、元の明るい表情に戻っていた。
 
「うん。ありがとう士郎。色々と参考になったわ」
「そっか。遠坂の手助けになったんなら良かった」
 
 アーチャーとの問題は遠坂が解決するべき事だ。もちろん手助けはするし、力になりたいと思っている。だけど最後の最後は、アーチャーのマスターとしての遠坂 凛が答えを見つけないといけない。
 
 そして――それは俺とセイバーの間にも言える事実。
 
 銀色の騎士から漆黒の騎士へ。
 俺の敵だと言い放った彼女。
 もしセイバーが俺の目指す理想の前に立ち塞がったとしたら、その時の俺はどうするんだろう。
 きっと、その時に選べる選択肢は多くない。そしてかならず“その時”は来るのだろう。俺は事実として対面した時に、一体どんな答えを出せば良いのか。
 
 瞳を閉じれば鮮明に思い出せる光景。
 銀色の甲冑に身を包んだ一人の少女と、それを見上げる一人の少年。それは一秒にも満たない邂逅だったけれど、俺は例え地獄に落ちたとしても鮮明に思い出す事が出来ると断言できる。
 それほど鮮烈に焼きついた光景だった。
 彼女を助けてやりたいと思う。いや、助けると誓った。
 
 でも、もし、彼女が闇に堕ちていたとしたら――どうする事が、何を選択することが彼女を救う事になるんだろうか。
 
 俺は――
  
「……う。……ろう。――士郎!?」 
 
 ハッとなって、顔を上げる。
 いつの間にか俯いていたようだ。俺は意識を覚醒させるためにきつく頭を振った。
 
「ねえ、士郎? どうしちゃったのよ急にぼーっとして?」
「……いや、ちょっと考え事をな。何でもない」
 
 思考に深く埋没していたせいで、遠坂が呼んでいたのに気が付かなかったようだ。
 俺は椅子から腰を上げて、扉の方へ身体を向けた。
 
「あれ? もう戻っちゃうんだ、士郎?」
「ああ。もう話しは終わっただろ? それともまだ何かあるのか?」
「う~ん。終わったことは終わったんだけど……」
 
 遠坂にしては珍しく、ごにょごにょと口篭もっている。会話を交わすようになって日は浅いが、遠坂は思ったことはハッキリと口にする方だと思う。
 相当、言い難い事なんだろうか?
 
「なにさ? 何かあるなら遠慮はいらないぞ。俺に出来ることなら言ってくれ」  
「出来るっていうか……士郎がさ、士郎さえその気なら、私が魔術の先――」
 
 その時、遠坂の声を遮るようにして、カラン――と乾いた音が鳴り響いた。
 
「……なに、この音?」
 
 遠坂がベットから立ち上がりながら辺りを気にする。それを制しながら俺は答えた。 
 
「これは……結界が反応した音だ」
「――結界って、魔術師の結界?」 
「ああ。衛宮の家には結界が張ってあって“敵意”のある者が進入すると音を鳴らして警告するよな仕組みになってる。侵入者の存在を家人に知らせるんだ」
「敵意って――じゃあ敵がここに来たってことっ!?」
「……進入したってことになるな」
 
 はたして、どうするべきか。
 迂闊に動くのは危険かもしれない。しかし、敵が進入したのなら一刻も早くアサシン達と合流するのが賢明だろう。
 いや、当然アサシン達も気付いているはずだから、やはり待つのが得策なのか。
 
 これからの行動を思案していたら、遠坂が思い切った提案をしてきた。 
 
「……居間に行きましょう、士郎」
「居間に?」
「魔力の波動を感じたわ。きっと、侵入者はそこにいる」
 
 遠坂が何の考えもなしに動くとは思えない。ここは彼女の考えに従った方が懸命か。
 
「了解だ。けど慎重に行動しよう。俺が先に廊下に出る。いいな?」
「ええ。頼りにしてるわ」
 
 俺達は頷きあってから、ドアノブに手をかけた。
 
 
 
 外に出てすぐに、赤髪の少女が走って来るのが目に入った。
 
「――ご無事で何よりです、マスター」
 
 俺と遠坂の姿を認めて、アサシンは安堵の溜息を洩らしている。
 そのアサシンは既に武装していた。どうやら説明するまでもないらしい。
 
「アサシン。進入者――敵が来ている。どうも居間にいるらしいんだが……」
「気付いています。敵は一人のようですが……魔力が微弱なので判然としません」
「そうか。まあ、どっちにしろ向かうしかないんだ。護衛――頼めるか?」
「無論です。二人共、私から離れないようにしてください」
 
 力強く頷いたアサシンを先頭にして歩く。
 結局、心配していたような攻撃は無く、俺達は無事に居間まで辿り付けた。
 
 だが――そこで俺は、予想すらしなかった者の姿を見る事になる。
 
 
 
 居間には既に慎二とライダー、それにランサーの姿があった。そして彼等に囲まれるようにして、凍るような笑みを浮かべて佇む女の姿があった。
 紫色のローブを羽織った妖艶な魔女。
 忘れもしない、キャスターだった。
 
「キ、キャスターッ! お前、一体何しに来たんだ!? こんな昼間っから殺り合う気かよっ!?」
「そう噛み付かないの、坊や。今日は戦いに来たんじゃないわ。話し合いに来たのよ」
 
 落ち着いた声で語る魔女。そこに焦りや焦燥のようなマイナスの感情は感じられない。
 単身乗り込んできて、三人ものサーヴァントに囲まれてこの余裕はただ事じゃない。
 
 それに話し合いだって?
 冗談じゃない。 
 
「馬鹿な! 話し合うだって? 俺とお前が今更何を話し合うってんだっ!?」
「相変わらず頭に血が上りやすいのね、坊や。それでよく今日まで生き延びられてこれたもの。その悪運だけは評価してあげるわ」
 
 馬鹿にしたように俺を見下げるキャスター。奴はひとしきり俺を眺めた後、ゆっくりとした動作でアサシンに目線を合わせて、嘲笑するように笑い上げた。
 
「お久しぶりね、アサシン。けれど意外だわ。あなたはあのまま黙って消えていくと思っていたのに、卑しくもマスターを選びなおすなんてね。どういう心境の変化かしら?」
「――応える義理はないわ。私は私の信念を以って行動している。しかし――例え言葉にしたとしても、あなたには一生理解できないでしょうね」
「言うわね、偽者さん。けれど貴女もこんな魔術師として不出来な男をマスターに持ってさぞ嘆いているのでしょう? 犬のように従順に振舞うのなら、もう一度私のサーヴァントにしてあげても良いのですよ?」
 
 くつくつと笑い上げるキャスター。
 明らかな挑発行動だった。だけどアサシンは、動じた様子もなくじっと魔女の視線を受け止めている。それよりもライダーやランサーの方が、キャスターの行為を不快に感じたようだった。
 
「ああ、ランサーもライダーも、そんなに色めき立たないで頂戴。今の私に戦う力はないの。歓迎しろ――とまでは言わないけれど、もっと安心してもらって結構よ」
「その魔力の波動――貴女は使い魔ですね」
 
 ライダーは短剣を構えて慎二の前に。
 ランサーは遠坂を確認してすぐに彼女の守りに入っていた。
 
「そう。これは言わば影みたいなものよ。話しをするだけならこれで十分でしょう?」
 
 紫のローブが翻る。
 キャスターは試すような視線を俺達六人に向けつつ、ゆっくりと首を巡らせていた。
 
「……話をしようって、一体どういうつもりなんだキャスター?」
 
 キャスターとアサシンの会話を受けて、俺も話をするくらいの余裕が出来ていた。キャスターを視界に捉えた時に高ぶった感情も少し沈静化している。
 ここで勢いに任せて行動してはみんなに迷惑がかかる。
 
「話し合うというよりは一種の提案なんだけれど。聞いてみる勇気があるかしら、坊や?」
「とりあえず言ってみろ。話はそれからだ」
 
 いいわとキャスターが頷く。
 
「――決着を付けましょう、坊や」
 
 ぽつりと、魔女が洩らした言葉。
 決着という言葉に一同が注目した。
 
「決着……だって? 何が言いたいんだお前は?」
「フフフ…。貴方達、手を組んだのね。それは賢明な判断だけれど、ライダーまで取り込むなんてちょっと予想外。正直に言うとね、少し厄介な存在になっているの。だから――貴方達には柳洞寺まで来て貰う事にしたわ」
 
 キャスターの提案は想像以上にぶっ飛んでいた。
 厄介だから自分の陣地まで引き込んで叩き潰す。そんなのは無視が良すぎる話だ。遠坂がもそう思ったのだろう。キャスターの言葉を真っ向から否定した。 
 
「柳洞寺に来てもらうですって? そんなの見え透いた罠じゃないの! なんでわざわざこっちが赴いて魔女の本拠地で決着しないといけないのよ。はんっ! 馬鹿にしないで!」
「そうかしら? 少なくともお嬢さんとそこの坊やは来るはずよ。いいえ、来ざるを得ない。だって、来ないと言うのなら私にも力が必要になってくる。貴方達に対抗する力がね。――魔女と呼んだのは貴方達ですよ。私が何を言っているか、聡いお嬢さんなら判るでしょう?」
 
 思考が一気にスパークした。
 
 冬木で起きている昏睡事件の犯人はキャスターだ。人々から魔力を吸い上げ、自身の力としている。今はまだ“昏睡事件”で済んでいるが、魔女が手を緩めなければ――多くの人が死ぬ。
 それを行うと魔女は言っているのだ。
 
「キャスター……お前――!」
「私だって出来るならそこまでしたくない。だから、決着を付けましょうと言っているの。こちらは私とセイバーとアーチャー。そちらはランサーにライダーにアサシン。ほら、数の上では同数。粋な計らいではなくて?」
 
 確かに数の上で見るなら同じ三対三になる。
 しかしキャスターには、守りを固め罠を張り巡らせて準備できるのに対して、俺達は無防備に突っ込むしかない。
 条件は対等じゃないんだ。だけど、俺達が行かなければ、冬木の街はキャスターの手によって惨事お迎えることになる。それは想像に難くない事実だった。
 
「理解したようね」
 
 キャスターが俺の顔色を見て判断する。 
 
「――決着は今夜、柳洞寺で。街を守る正義の味方さん。貴方の英断を期待しているわ――」
 
 言葉だけを残して、キャスターの存在が空間に溶けるように消えた。
 後には読めない魔術文字の書かれた符だけが残り、ひらひらと、まるで風に舞うように衛宮の居間を漂っていた。
           


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